映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシを手に持ってクローズアップした写真

映画『ハート・オブ・ビースト』を観て、現実の軍用犬を知る

〜 フィクションから繋がるリアル 〜


ブラッド・ピット(Brad Pitt)主演、デヴィッド・エアー(David Ayer)監督による映画『ハート・オブ・ビースト(原題:Heart of the Beast)』を観てきました。

大々的に宣伝されている印象もなく、私自身、この映画の存在を知ったのは公開が近づいてからでした。
チラシを見つけ、「Heart of the Beastということは、獣の心?感動できそうなテーマという気がするし、ブラピ主演だから面白くないということはなさそう、観ときたいな」くらいの気持ちで、いつも通り、鑑賞前は映画館で放映されていた予告編だけの知識で、映画鑑賞当日を迎えました。

また、行きつけのTOHOシネマズ仙台では一般劇場しか選択肢がなく、パンフレットも販売されていなかったので、あまり話題になっていない作品なのかなと思いつつ鑑賞したのですが・・・

実際には、観終わってからも気になってしまう価値のある作品でした。
大自然の映像も美しく迫力もあったので、是非とも特殊劇場で見たかったほどです。

※この記事では映画『ハート・オブ・ビースト』のストーリーや、映像の肝となる撮影秘話に触れています。未鑑賞の方はご留意ください。

映画『ハート・オブ・ビースト』予告編

元米陸軍特殊部隊員ジェームズと、彼とともに戦場を経験した義足の退役軍用偵察犬オーディン。
アラスカの大自然の中で飛行機事故に遭い、二人が互いを助けながら生き延びようとするサバイバル・スリラー映画です。
そして、結末には泣けてくる映画でもあります。
犬好きさんにはたまらない映画だろうな、とも思います。

そもそもフィクションなのですが、「人間と犬がこれほどの状況を生き延びるなんて映画的すぎる」と言う批判もあるようで、そんな意見が出るのもわかる気はします。
でも、「映画」なのだからそれでいいじゃない、というのが私の考えで、むしろこの映画を観たあとに気になったのは、別のことでした。

このオーディン、いったいどうやって撮ったのだろう?
そして、そこから調べ始めたことが、思いがけず、私がそれまでほとんど知らなかった「軍用犬」という現実の世界につながっていったのです。

オーディンを演じたのは、一頭ではなく親子4頭

まず驚いたのが、オーディンを演じた犬についてでした。

中心となったのは、ウーバー(Uber)というジャーマン・シェパードです。
そして彼の3頭の息子、シーカ(Seeka)、ライカー(Ryker)、ホンドー(Hondo)がスタントダブルとして参加しています。
つまりオーディンは、実の親子4頭によって演じられた一頭の犬でした。

ウーバーはもともと山岳救助に携わっていた犬で、動物コーディネーターのアンドリュー・シンプソン(Andrew Simpson)がニュージーランドで探し出したとのこと。

映画の中ではオーディンが軽飛行機やヘリコプターに乗る場面もありますが、ウーバー自身、以前からヘリコプターを経験していました。
デヴィッド・エアー監督も、撮影時のウーバーが非常に落ち着いていたことについて語っています。

ウーバーは主に表情やブラッド・ピットとの関係性を見せる場面を担当し、身体的な負荷の大きい場面では息子たちがスタントダブルとして活躍しました。

監督によれば、高所でのワイヤーワークが得意な犬、泳ぐのが得意な犬、走るのが得意な犬というように、それぞれの能力を生かして撮影したそうです。
動物コーディネーターのシンプソンも、一頭一頭の性格や得意分野を見極めて撮影していたことを語っています。
たとえば水中での仕事を予定していた犬がそれを嫌がった際には、無理にやらせるのではなく、水が好きなライカーに任せました。

映画では命懸けに見える場面でも、現実の犬に「演技のために危険を強いる」のではなく、それぞれの犬ができることを組み合わせていく。
その積み重ねが、スクリーンの中では一頭のオーディンになっています。

ブラッド・ピットが最初にしたことは、「ウーバーに信用してもらうこと」

もう一つ興味深かったのが、ブラッド・ピットとウーバーの関係でした。

この映画では、ジェームズとオーディンがとても自然に触れ合います。
じゃれ合ったり、身体を寄せたり、顔を舐められたり。

私は観ながら、ジェームズ役のブラッド・ピットがオーディンと戯れて見せる笑顔が、時々「これは演技じゃなくて、本当に出てしまってるのでは?」と感じるほど自然なのが印象に残っていました。

もちろん、特定の表情について「これは素の笑顔だった」と断定することはできません。
けれど撮影前、ピットはウーバーとの信頼関係を作ることにかなりの時間を使っていました。

ピット本人は、この映画で最も重要だったのはウーバーから信頼を得ることだったと語っています。
ウーバーに「この人と一緒なら安全だ」と思ってもらうため、できるだけ多くの時間を一緒に過ごしたそうです。

動物コーディネーターのシンプソンによれば、二人は撮影前に約3週間かけて関係を築き上げたとのこと。
さらに撮影中、ピットのポケットには犬用ビスケット…ではなく、”茹でたチキン”が入っていたそうな。

監督によれば、ピットはウーバーの一日のリズムや注意を引く方法まで理解するようになり、必要なときには自分でウーバーの注意を引けるほどになっていたそうです。

ですから画面の中にあるのは、「ジェームズとオーディン」という架空の関係だけではありません。
その下には、「ブラッド・ピットとウーバー」という実際に築かれた信頼関係があります。

それが、あれほど自然な二人の関係につながっているのではないかと思います。

映画『ハート・オブ・ビースト』特別映像<犬との絆が生まれるまで>

それでも、オーディンはすべて実写ではない

ここからが、VFX(Visual Effects:視覚効果)好きな私にとって非常に面白かったところです。

私は映画を観ながら、狼や熊などにはCGが使われているだろうと思ったものの、オーディンについては、かなりの部分を実際の犬で撮影しているように見えました。

実際その通りなのですが、調べてみると想像以上に複雑でした。
オーディンには、

  • 実際の4頭の犬
  • 実物の装具
  • 部分的なデジタル加工
  • 完全なCGによるオーディン

が組み合わされています。

映画のオーディンは戦争で脚を失い、義足を装着しています。
撮影では実際の犬に装具を取り付ける方法が使われる一方、必要なショットではVFXによる処理も行われました。
さらにオーディンには戦争で失った歯の代わりにチタン製の歯がありますが、こちらもデジタルで表現されています。

そして興味深いのが、オーディンが攻撃的な表情をする場面です。

ウーバーはもともと穏やかな犬だったため、必要なほど激しい威嚇表情を自然に出させることが難しかったそうです。
そこで一部のショットでは、実際のウーバーの身体、目、耳などを残しながら、顎から鼻にかけてのマズル部分をデジタルで置き換えるという方法まで使われました。
これはVFXスーパーバイザーのフランソワ・デュムラン(François Dumoulin)自身が具体的に説明している手法です。

犬に無理に怒らせるのではなく、本物の犬が見せてくれた演技をできるだけ残し、犬にできない部分をVFXが補う。
私はこの考え方が好きです。

「どちらが本物?」—完全CGのオーディンまでいた

VFXを担当したフレームストア(Framestore:イギリス・ロンドンに所在するVFX制作会社)は、ウーバーを詳細にスキャンし、デジタル・ダブル*を制作しました。
さらにウーバーをブルースクリーンの前で複数のカメラを使って撮影し、歩く、走る、方向を変える、さまざまな表情をするといった大量のリファレンス映像も収録しています。
*デジタル・ダブル:映画やVFXの分野で使われる、実在する人間をコンピュータ上で精密に再現した3DのCGモデルで、いわゆるそっくりさんのこと

そして制作側は、本物のウーバーとCGのウーバーを比較するテストまで行いました。
もともとデヴィッド・エアー監督は、CGの犬で感情的なクローズアップを作ることには懐疑的だったそうです。

ところが完成したデジタルウーバーの出来を見て、考えが変わりました。
結果として映画には、アクションだけでなく、感情を見せる重要な場面にも完全CGのオーディンが含まれています。

VFXスーパーバイザーのデュムランは、具体的にどのショットがCGなのかを明かしていません。
しかし、映画を観ている間、それをほとんど意識させなかったのですから、VFXとしては大成功なのではないでしょうか。

狼も熊も、「何もないところ」に演技していたわけではない

狼との戦いも興味深いものでした。

ニュージーランドでは本物の狼を使えなかったため、撮影では狼のパペットや、狼の動きを演じるスタントパフォーマーが使われたのだそうです。
最終的な激しい戦闘部分では、狼だけでなくオーディンもCGになっている部分があります。

熊も最終的にはCGですが、撮影現場には熊の大きさを表現する実物大の軽量パペットが用意されました。
デュムランは、単に「棒の先のテニスボール」のようなものを相手に演技させる方法ではなく、実際の大きさを持つものを現場に置くことの重要性を説明しています。
そこに熊の大きさを示すものがあれば、俳優だけでなく、カメラ、フォーカス、照明などのスタッフも「そこに熊がいる」ことを前提に仕事ができます。

つまりこの映画のVFXは、撮影後に何でもCGで作ればいいという発想ではなく、現場でできるだけ実在感のあるものを作り、その先をデジタルで完成させるという方法だったことが分かります。

この映画がVFXを多用しているにもかかわらず、どこか身体感覚のある映像に見える理由の一つなのかもしれません。

そして私は、VFXとは別のことが気になり始めた

ここまで調べた時点では、私は完全に「映画の作り方」に興味を持っていました。
ところが、調べているうちに別の疑問が出てきました。

オーディンは退役軍用犬です。
戦争で脚を失い、身体に傷があり、そして映画の中では悪夢にも苦しんでいます。

実際の軍用犬にも、こんなことがあるのだろうか?
そこから、私はそれまでほとんど知らなかった世界を知ることになりました。

映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシ表面
映画『ハート・オブ・ビースト』チラシ(表面)

犬にも、戦争による「心の傷」がある

現在、米軍のJTS:ジョイント・トラウマ・システム(Joint Trauma System:統合外傷システム)には正式に、

  • Canine Posttraumatic Stress(C-PTS)
  • Canine Posttraumatic Stress Disorder(C-PTSD)

という軍用犬のための臨床ガイドラインがあります。
2025年8月14日付で更新された正式な診療ガイドラインです。

つまり、強いトラウマ体験の後に軍用犬が示す心理・行動上の問題は、現在の軍獣医学で正式に扱われているものなのです。

もちろん、「犬が戦争の悪夢を見ている」と本人に確認することはできません。
ですから、映画のオーディンが戦争の記憶を夢として見る描写と、現実のC-PTSD(犬の心的外傷後ストレス障害)をそのまま同一視することはできません。

それでも、戦争によって犬にも長期的な心理・行動上の影響が生じ得ること自体は、現実の軍用犬医療で認識されています。
オーディンの心の傷は、単なる人間的な感情の投影だけで作られた設定ではないことが分かります。

軍用犬は、実際に人間より先を歩く

軍用犬の仕事にも、爆発物探知、麻薬探知、哨戒、特殊任務など、さまざまな種類があります。
特に爆発物を探知する犬は、人間が危険な場所へ近づく前に、その優れた嗅覚によって危険を発見する重要な役割を担ってきました。

ある米軍のハンドラー*は、イラクで軍用犬と任務にあたることについて、「外へ出るたびに、自分の命を彼の足に預けています」という趣旨の言葉を残しています。
*ドッグハンドラー:犬の能力や魅力を最大限に引き出し、ドッグショーや警察・災害現場などの特定の目的で犬を誘導・管理する専門家

軍の書類上では高価な「資産」として扱われる犬であっても、そのハンドラーは同じ記事の中で、それは単なる仕事上の関係ではないと語っています。
私はこの言葉がとても印象に残りました。

人間が犬を守る。犬も人間を守る

映画ではジェームズ自身も負傷しながら、オーディンを助けようとします。
回想シーンでは、戦火の中で二人とも負傷し、それぞれ担架で運ばれながら、ジェームズはオーディンを心配しています。
そして本編では、自分の命を危険にさらしてまでオーディンを救おうとします。

映画だからドラマチックに描かれているのだろう、そう思っていました。
でも現実にも、それに近い出来事がありました。

軍用犬ブロンコ(Bronco)はアフガニスタンで銃撃を受け、7.62mm弾によって顔面に重傷を負いました。
二等軍曹(当時)でハンドラーのジョン・マリアナ(John Mariana)は血痕を追ってブロンコを探し出し、出血を止める応急処置を行いました。
二人は医療搬送され、ブロンコは救命手術を受けました。

さらにその後、マリアナは2週間、ブロンコの犬舎で一緒に寝ました。
負傷したブロンコが夜間も呼吸できるよう、口を開けてやるためでした。

ブロンコの状態が安定すると、二人は一緒に米国へ戻り、ブロンコはさらに4回の手術を受けました。
しかし負傷によって嗅覚に大きな障害が残り、軍用犬として働き続けることはできなくなりました。

これを知ったとき、私は映画のジェームズの行動が、それまでとは少し違って見えました。

脚を失って帰ってきた軍用犬も、本当に存在する

米海兵隊の軍用犬ルッカ(Lucca)は、イラクとアフガニスタンへの3度の派遣で、400回を超えるパトロールに参加しました。
米陸軍の記録によると、ルッカが同行した400回以上のパトロールでは、彼女が守った米軍兵士は全員無事に帰還したとされています。

しかし2012年、アフガニスタンで爆発物を発見した際、別のIED(即席爆発装置)が爆発しました。
ルッカは重傷を負い、左前脚を失いました。
それでも生還しました。

私はここで、三本脚のオーディンを思い出さずにはいられませんでした。
ルッカがオーディンのモデルだったという制作側の証言は、私が確認した範囲では見つかっていません。
ですから、そこを直接結びつけることはできません。

けれど、戦場で人間を守るために働き、爆発によって脚を失い、生還して退役する犬は、フィクションの世界だけに存在するわけではなかったのです。

かつては退役犬が家に帰れない時代もあった

そして、さらにショックを受けました。

現在では、退役した軍用犬を元ハンドラーが引き取る制度があります。
しかし以前のアメリカでは制度が違いました。

2000年に米議会が成立させた、ロビー法(Robby’s Law)の目的について、米議会調査局の資料には明確な記述があります。
それは、国防総省が軍用犬の「有用な勤務期間」の終了時に安楽死させていた慣行を直ちに終了させ、退役した軍用犬を法執行機関、元ハンドラー、その他適切に世話のできる人々へ譲渡できるようにすることでした。

つまり、現在では自然に思える、「仕事を終えた犬に、新しい生活を用意する」という仕組みは、最初から当たり前に存在していたわけではなかったのです。

この法律が「ロビー法(Robby’s Law)」と呼ばれているのは、ロビー(Robby)という一頭の軍用犬の名前に由来しています。

ロビーは軍務を終えたあと、かつてのハンドラーが引き取りたいと希望していました。
しかし当時の制度ではそれが認められず、ロビーは安楽死させられました。

ロビーの出来事は、長年人間のために働いてきた軍用犬が、任務を終えたあとも「軍の所有物」として扱われ、たとえ一緒に暮らしたいと願う人がいても譲渡できない制度の問題を象徴するものとなりました。

そして2000年、退役した軍用犬を元ハンドラーや法執行機関、適切に飼育できる人々へ譲渡できるようにする法律が成立します。
それが、ロビー(Robby)の名を残したロビー法(Robby’s Law)なのです。

現在では自然に思える、「仕事を終えた軍用犬が、かつてのパートナーと一緒に家へ帰る」という選択肢は、最初から当たり前に認められていたものではありませんでした。

ロビー自身はその新しい制度のもとで暮らすことはできませんでしたが、その名前は、後に続く軍用犬たちが任務を終えたあとに新しい人生を送るための法律に残ることになりました。

現在は国防総省の軍用犬譲渡プログラム(Military Working Dog Adoption Program)があり、勤務を終えた犬だけでなく、軍用犬になるための厳しい訓練・認定基準を満たさなかった犬などについても、条件に合う家庭への譲渡が行われています。

映画の中では、退役したオーディンがジェームズと暮らしています。
私は最初、それを当たり前のこととして見ていました。
でも歴史を知ると、それが当たり前になったのは決して最初からではなかったことが分かります。

「もう、ただの犬でいさせてあげる」

退役軍用犬について調べていて、もう一つ、とても心に残った言葉がありました。

それは3度の派遣を経験した軍用犬アレックス(Alex)を引き取ったハンドラーによる言葉で、映画の中でもジェームズが似たようなことを言っています。

“It’s time to just let him be a dog.”
(もう彼を、ただの普通の犬として過ごさせてあげる時だ。)

アレックスはずっと働き続けてきました。
だから退役後には、大きなチーズバーガーと、柔らかく快適なソファが待っている、とも話しています。

ずっと仕事をしてきた犬。
危険を探し、人間を守り、指示に従い続けてきた犬。
でも仕事を終えれば、もう爆発物を探さなくていい。
ただ散歩して、食べて、遊んで、眠っていい。

その言葉を知ったあとでは、ジェームズと共に暮らしているオーディンを見る目も少し変わりました。

映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシ裏面
映画『ハート・オブ・ビースト』チラシ(裏面)

オーディンは「人間を癒す犬」だけではない

犬が登場する映画では、「傷ついた人間が犬によって癒される」という物語は珍しくありません。
でも『ハート・オブ・ビースト』は、それだけではないと思います。

ジェームズには戦争の傷がある。
オーディンにも戦争の傷がある。

ジェームズには恐怖がある。
オーディンにも恐怖がある。

ジェームズがオーディンを守る。
オーディンもジェームズを守る。

どちらか一方が「救う側」で、もう一方が「救われる側」なのではありません。
傷ついた二つの存在が、お互いを支えています。
だからオーディンには、単なる「忠犬」とは違う存在感があるのだと思います。

「オスカー俳優と並んでも遜色ない」4頭

そして、この映画のオーディンを演じた犬たちは、実際に批評家から非常に高く評価されています。

『ロサンゼルス・タイムズ』は、ウーバー、シーカ、ライカー、ホンドーの4頭が一体となって作り上げた演技について、”オスカー俳優と並ぶにふさわしいほどで、スクリーン上の存在感ではブラッド・ピットを上回るかもしれない”とまで評しています。

さすがにこれには少し笑ってしまいました。
ブラッド・ピットを差し置いて、って…笑

でも確かに、この映画を観たあとでは、言いたいことはよく分かります。
そして私は、エンドロールのキャスト欄に(これを見て、あとで調べてみなきゃと思ったわけなのですが)

Odin Uber
    Seeka
    Ryker
    Hondo

と、彼らの名前がオーディン役としてしっかり表示されたことに感銘を受けました。

CGでも、「犬」という一括りでもなく、それぞれ名前を持つ4頭の俳優たち。
本当に、オスカーものです。

「軍用犬」という現実への入口

さて、この映画の物語の最後には、短い文章が表示されます。

Over the last twenty years, nearly three thousand military working dogs have been deployed. They are credited with saving thousands of service members’ lives.

過去20年間に約3,000頭の軍用犬が派遣され、何千人もの軍人の命を救ったとされている。

映画の途中で、軍用犬について長々と説明することはありません。
「軍用犬はこんなに素晴らしい」と訴えかけることもしません。
ただ私たちに、オーディンという一頭の犬を見せます。

オーディンを知る。
オーディンを好きになる。
オーディンが傷つけば心配する。
助かってほしいと思う。

そして映画が終わるとき、「でも、こういう犬たちは現実にもいる」と、ほんの短い文章で現実へ視線を向けます。

私は、深く考えずこの映画を観るために映画館へ足を運びました。
けれど映画を観終わって、撮影方法が気になって調べ始め、ウーバーたちを知り、そこから実際の「軍用犬」について知ることになりました。
ブロンコ、ルッカ、ロビー法を生んだ歴史・・・
映画を観るまで、私はこの世界をほとんど知りませんでした。

一本のフィクションが、知らなかった現実への窓に

私はもともとVFXを使った映画が好きです。
だから『ハート・オブ・ビースト』を観た直後には、「オーディンの義足はどう撮ったのだろう」「狼との戦いは?」「熊は?」「犬の表情はどこまで本物?」そんなことがかなり気になっていて、それらを知ることができたのも、とても面白い体験でした。
実写とCGの境界が分からなくなるほど高度なVFX、親子4頭の犬、動物トレーナー、スタント、パペット、俳優との信頼関係、などなどが一つになって、スクリーンの中に「オーディン」という一頭の犬を存在させていました。

しかしこの映画は、単なるサバイバル・スリラー映画ではないのです。
デヴィッド・エアー監督は、ジェームズとオーディンについて、地獄のような経験をともにくぐり抜け、深い絆を共有する二つの存在として語り、この作品を二人の「love story(愛情の物語)」と表現しています。

私自身も、調べ始めた入口はVFXだったのに、いつの間にかまったく別のところまで来ていました。

戦場で人間より前を歩く犬がいる。
爆発物を見つけて人間の命を守る犬がいる。
負傷する犬がいる。
脚を失う犬がいる。
戦争による心の傷を抱える犬もいる。
そして、その犬に自分の命を預け、今度は自分が犬を助けようとする人間もいる。

私はそれを知りませんでした。
でも今は知っています。
映画というものには、こういう力もあるのだと思います。

それまで自分の世界にはほとんど存在していなかったものが、一本のフィクションをきっかけに、現実の存在として見えるようになる。

『ハート・オブ・ビースト』は、エンターテインメントとして面白い映画でした。
ブラッド・ピットと犬のサバイバル映画として観ても楽しめます。
VFX映画として観ても非常に面白いです。
犬が好きな人なら、きっとまた違うところを見るでしょう。

でも私にとっては、それだけでは終わりませんでした。
映画館を出たあとまで物語が続き、その先で、これまで知らなかった現実の世界を少し知ることになりました。

大々的に宣伝されているようには感じませんでしたし、パンフレットさえありませんでした。
だからこそ、ひっそり上映されて終わってしまうのなら、少しもったいないとも思い、この記事を綴っています。

オーディンを演じたウーバー、シーカ、ライカー、ホンドー。
そして現実の世界で人間とともに働いてきた、私たちが名前を知らない多くの犬たち。

映画の最後に表示された短い文章まで含めて、私はこの作品を観ることができてよかったと思います。
良い映画でした。


あなたは
この現実を
知っていましたか?

軍用犬と兵士の映画を観る女性の後ろ姿

映画『オデュッセイア』のIMAX限定来場者特典ポスター、パンフレット、チラシ

『オデュッセイア』― 3000年前の神話と、映画が歩んできた長い旅

〜 そして、帰る(還る)ことの意味〜


今年(2026年)、最も楽しみにしていた映画のひとつ、クリストファー・ノーラン(Sir Christopher Nolan)監督の『オデュッセイア(原題: The Odyssey)』を観てきました。

さすがノーラン監督。そして、そうそうたる俳優陣。
壮大な映像と音、次々と現れる神話の世界に圧倒されながら、約3時間という上映時間を駆け抜けたような感覚でした。

けれど、映画館を出てから残ったのは、単に「すごい映画を観た」という興奮だけではありませんでした。

人はなぜ戦うのだろう。
なぜ他者から奪うのだろう。
そして、戦った人間にとって「故郷へ帰る」とは、どういうことなのだろう。

そんなことを、ずっと考えています。

映画『オデュッセイア』予告編

私とギリシャ神話の最初の出会い

私がギリシャ神話に惹かれるようになったきっかけは、小学生時代に父が見せてくれた映画『タイタンの戦い(原題: Clash of the Titans)』(1981年版)でした。
1981年に公開された、レイ・ハリーハウゼン(Ray Harryhausen、1920年6月29日 – 2013年5月7日)製作によるストップモーション・アニメーションが印象的な作品です。

中でも忘れられないのが、髪の毛が無数の蛇で、見た者を石に変える力を持つ怪物メデューサ。
怖かった。
とにかく怖かった。

でも、暗闇の中、いつ現れるのかわからないメデューサにハラハラしながら、それでも目を逸らしたくなるような「ホラー」とは少し違いました。
怖いのに、この先どうなるのか知りたい。
英雄ペルセウスの行方は?
囚われた王女アンドロメダはどうなるの?
そんな気持ちのほうが勝っていたのだと思います。

家にはVHSビデオ(当時の主流媒体)があったので、その後も繰り返し観ました。
そうしていつの間にか、神々と人間が同じ世界に存在し、怪物が現れ、運命と人間の意志が交錯するギリシャ神話の世界そのものに惹かれていったように思います。

ハリーハウゼンからノーランへ

そして今回、映画を観た後に『オデュッセイア』のパンフレットを読んでいて、思わず唸りたくなった部分があります。

ノーラン監督自身も、SFX(特殊効果・特殊撮影)のパイオニアであるレイ・ハリーハウゼンの技術を取り入れた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』といった作品に敬意を抱いているというのです。
これを知ったとき、妙に納得してしまいました。

子どもの頃、『タイタンの戦い』に夢中になった私。
そして、そのような映画に敬意を抱いてきたクリストファー・ノーランが、2026年に『オデュッセイア』を映画にする。

もちろん私とノーラン監督を同列に並べるつもりはありません(苦笑)。
でも、遠く離れたところで同じ映画から伸びていた線が、何十年も経って『オデュッセイア』という一本の映画で交差したようで、なんだか不思議な気持ちになりました。

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そして、映画史上初の「全編IMAX撮影」

もちろんIMAXで鑑賞しました。
映画『オデュッセイア』について触れておきたいのが、この作品が長編劇映画として史上初めて、全編をIMAXフィルムカメラで撮影された作品だということです。

「でも、IMAX上映の映画ならこれまでにもたくさんあったのでは?」
私自身、最初はそんなふうにも思いました。

ところが、「IMAXで上映される映画」と「IMAXカメラで撮影された映画」は同じではありません。
通常の映画用カメラで撮影された作品でも、IMAX向けに調整してIMAXシアターで上映することはできます。
また、IMAXカメラを使用した作品でも、これまでは映画全編ではなく、特に迫力を見せたい場面など一部のシーンで使用されることが少なくありませんでした。

ノーラン監督自身、これまでも『ダークナイト』『インターステラー』『ダンケルク』『オッペンハイマー』などでIMAXフィルム撮影を積極的に取り入れてきました。
それでも、全編をIMAXフィルムカメラで撮影することには大きな壁がありました。
IMAXフィルムカメラは大きく、重く、そして撮影時の作動音も大きい。
壮大な風景や激しいアクションを撮るには適していても、俳優同士が静かに言葉を交わす場面で同時に音声を収録するとなると、その作動音が問題になります。

そこで今回、ノーラン監督と撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマ(Hoyte van Hoytema)、そしてIMAX側が協力し、新しいカメラや防音技術を開発。
それによって初めて、
 壮大な海も
 戦闘も
 神話の怪物たちも
 そして、人間の顔や静かな会話も
すべてをIMAXフィルムで撮影することが可能になったのだそうです。

興味深いのは、ノーラン監督がIMAXを単に「巨大なものを巨大に見せるため」の技術として考えていないことです。
『オッペンハイマー』でIMAXカメラが捉えた主演キリアン・マーフィーの顔に強い可能性を感じ、今回の『オデュッセイア』では、壮大な風景だけではなく、俳優たちの演技や親密な場面にもIMAXを使いたいと考えたといいます。

これは映画を観終えた後に知ると、とても興味深い話でした。

『オデュッセイア』といえば、海、船、戦争、怪物、神々……
確かにIMAXとの相性が良さそうなものばかりです。

けれど、その巨大な世界の中心にいるのは、あくまでひとりの人間。
戦い、迷い、失い、それでも故郷へ帰ろうとするオデュッセウスです。

その人間の「顔」まで巨大なIMAXの世界で捉える。
だからこそ、この作品の圧倒的なスケールと、ひとりの人間の物語が両立していたのかもしれません。

そして考えてみると、これも私には不思議なつながりに思えます。

子どもの頃、私をギリシャ神話の世界へ連れていってくれたのは、レイ・ハリーハウゼンのストップモーションでした。
人形をほんの少しずつ動かし、一コマずつ撮影することで、存在しないはずの怪物に命を吹き込んだ時代。

そして何十年も経った2026年。
同じようにギリシャ神話を愛した映画監督が、今度は映画史上初となる全編IMAXフィルム撮影という方法で、およそ3000年前の物語をスクリーンに蘇らせる。

映画をつくる技術は、驚くほど変わりました。
それでも映画がやろうとしていることは、案外変わっていないのかもしれません。

そこには存在しない世界を目の前に出現させ、観客を物語の中へ連れていくこと──

子どもの頃、『タイタンの戦い』のメデューサを息を詰めて見ていた私が、今度はIMAXの巨大なスクリーンの前で『オデュッセイア』に圧倒されている。

そう考えると、映画というもの自体が、「長い旅」を続けているようにも思えてきます。

映画『オデュッセイア』のチラシ両面
映画『オデュッセイア』チラシ

実は私も『オデュッセイア』をちゃんと知らなかった

さて、ギリシャ神話が好きだと言いながら、少し恥ずかしい話ですが、私はホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』をきちんと読んできたわけではありません。

もちろん、トロイア戦争やオデュッセウス、アキレウス、ポセイドン、アテナ、キュクロプス、セイレーンなど、断片的には知っています。
でも、それらを古代ギリシャの叙事詩として体系的に理解しているかと言われれば、そうではありません。

だから今回の映画も、「原典を知り尽くした人間」として観たわけではありません。
むしろ映画を観たことで、改めて『イリアス』『オデュッセイア』とは何だったのだろう、と掘り下げてみたくなりました。

『イリアス』と『オデュッセイア』は、ともに古代ギリシャの詩人ホメロスの作と伝えられる叙事詩。
成立したのは紀元前8世紀〜前7世紀頃と考えられており、約3000年ものあいだ語り継がれてきた、西洋文学の源流ともいえる物語です。

この二つの作品名そのものにも意味があります。
『イリアス』は、トロイアの別名「イリオン」に由来し、いわば「イリオン(トロイア)の物語」。
一方の『オデュッセイア』は、主人公オデュッセウスの名前に由来する「オデュッセウスの物語」です。
つまり、一方は「場所」の名から、もう一方は「人」の名から生まれたタイトルなのです。

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また、これらの作品の背景にあるのが、ギリシャ軍とトロイアの間で10年間続いたとされる「トロイア戦争」です。

『イリアス』は、その10年間すべてを描いているわけではありません。
戦争終盤のごく限られた期間を舞台に、ギリシャ軍最強の戦士アキレウスの「怒り」を中心として、戦う者たちの名誉、友情、喪失、復讐、そして死を描いています。

一方の『オデュッセイア』は、その戦争が終わった後の物語。
トロイア戦争を戦ったギリシャ側の英雄オデュッセウスが、故郷イタケ島へ帰ろうとするところから始まります。
ところが、その帰路はとてつもなく長いものになります。

一つ目巨人キュクロプス、人を豚に変えてしまう魔女キルケー、美しい歌声で船乗りを破滅へ誘うセイレーン、海の怪物スキュラ……
どこかで聞いたことのある怪物や物語が、実は『オデュッセイア』に由来していることも少なくありません。

さらに、オデュッセウスの旅には神々も深く関わります。
彼に怒り、帰還を妨げる海神ポセイドン。
一方で彼を助ける女神アテナ。

そして、この物語を理解するうえで興味深いのが、最高神ゼウスが守護する「客人をもてなす」という掟です。
古代ギリシャでは、見知らぬ旅人や客人を迎え入れ、食事や寝床を与え、もてなすことが神聖な務めとされていました。
これは「ゼウスの掟(クセニア/xenia)」と呼ばれ、客人の守護者でもあるゼウスのもと、人と人との間で守るべき重要な秩序と考えられていました。
『オデュッセイア』では、この「客をどう迎えるか」、そして反対に「客としてどう振る舞うか」が、物語の随所で繰り返し問われます。
長い旅の途中でオデュッセウスが受ける歓待もあれば、その掟が破られる場面もある。

人間だけで物事が進むのではなく、神々の意志と人間の意志が交錯しながら運命が動いていくところも、ギリシャ神話らしい世界です。

それから、今回改めて面白いと思ったことがあります。

英語の「odyssey(オデッセイ)」という言葉。
英語に疎い人でも、本国日本を代表する自動車メーカーの一つである本田技研工業(ホンダ)の車名として採用されているので、その言葉の響き自体はよく知っている人が多いことでしょう。
この言葉は、この物語のタイトル『オデュッセイア(The Odyssey)』に由来しているのです。

主人公はOdysseus(オデュッセウス)。
その長く困難な帰還の物語『The Odyssey(オデュッセイア)』から、現在では「長い冒険の旅」「波乱に満ちた遍歴」といった意味で、odysseyという言葉そのものが使われるようになりました。

そう考えると、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』の原題が『2001: A Space Odyssey』であることにも、なるほどと思います。
単なる「宇宙旅行」ではなく、「人間が未知の世界へ向かう壮大な旅」、あるいは「長い探求の物語」。

約3000年前に語られたオデュッセウスの旅が、ひとつの言葉となって、今もさまざまな物語の中に生き続けているのです。

そして、この物語で語られる時間もまた長い。
オデュッセウスはトロイア戦争で10年間を過ごし、さらに故郷へ帰るまでに10年を費やします。
妻ペネロペと息子テレマコスのもとを離れて、約20年。

『イリアス』が「戦う人間」の物語だとすれば、『オデュッセイア』は「戦いを終えた人間が帰ろうとする物語」と言えるのかもしれません。
そう考えると、「故郷へ帰る」という一見単純な目的が、まったく違う重みを持って見えてきます。

映画『オデュッセイア』のIMAX限定来場者特典ポスター、パンフレット、チラシ
映画『オデュッセイア』IMAX限定来場者特典ポスター、パンフレット、チラシ

人はなぜ戦い、なぜ奪うのか

映画を観ている最中、強く感じていたことがあります。
それは「略奪」という行為でした。

現代の私たちから見れば、他者の土地へ行き、戦い、食料や財産を奪うという行為には当然大きな抵抗があります。
けれど歴史を遡れば、略奪は戦争と密接に結びついていました。

国家による安定した流通も、現代のような社会制度もない時代。
土地、食料、家畜、金属などを手に入れることは、そのまま共同体の生存や富につながります。

一方で、それは単純に「生きるため」だけだったのだろうか、とも思います。

富を得たい。
土地が欲しい。
力を示したい。
名誉を得たい。
相手を支配したい。

そこには、生存だけでは説明できない人間の欲望もあったはずです。

では、それは現代とまったく違うのでしょうか。
武器も、国家も、法律も、戦争の規模も、古代とは比較にならないほど変わりました。
それでも世界から戦争はなくなっていません。

領土、資源、安全保障、民族、宗教、政治、権力、恐怖、報復。

「自分たちが生きるため」という言葉と、「他者から奪う」という行為の境界は、ときに驚くほど曖昧になります。
約3000年前の物語を観ながら、私はいつの間にか現代のことを考えていました。

戦争が終われば、本当に帰れるのか

そして、もうひとつ。
戦争が終わったからといって、人はその瞬間に以前の自分へ戻れるのでしょうか。

10年間戦ったオデュッセウスが船に乗った瞬間、「戦士」から元の夫や父へ戻れるわけではありません。
戦争を経験した人間は、戦争以前と同じ人間ではない。
それでも、彼は帰ろうとする。

妻のもとへ。
息子のもとへ。
自分の国へ。

そう考えると、『オデュッセイア』は単なる「長い冒険の末に故郷へ帰る英雄の物語」ではなく、
「戦争を経験してしまった人間が、それでも帰ることはできるのか。」
そんな物語にも見えてきます。

「帰る(還る)」とは何なのだろう

ノーラン監督が、この映画にどこまで現代の戦争や人間社会への問いを込めたのか、私にはわかりません。
けれど、映画を観ながらこうしたことを考え、観終わった後にも問いが残り続けている。
それだけでも、この作品が単なる壮大なエンターテインメントではなかったことは、私にとって確かです。

怪物が現れ、神々が人間の運命に関わり、海を渡り、戦う。
映画として圧倒的に面白い。

でも、その壮大な物語の中心にあるものは、驚くほど素朴です。

「帰りたい ──。」

約3000年前につくられた物語のその願いが、2026年を生きる私にも理解できる。
社会が変わり、技術が変わり、人間の生き方がこれほど変わっても、私たちはいまだに戦い、失い、迷い、そして自分の帰る場所、本当の自分に還れるところ…を求めているのかもしれません。

子どもの頃、父と一緒に観た『タイタンの戦い』。
あのときは、メデューサが怖くて、それでも続きが知りたくて仕方がありませんでした。
そして何十年も経った今、同じギリシャ神話の世界を映画館で観ながら、今度は「人間とは何なのだろう」と考えている。

映画との出会いというのは、不思議なものです。
ひとつの物語が、何十年も経ってから別の物語につながり、こんなふうに自分の中に新しい問いを残していくことがあるのです。

約3000年前に生まれた『オデュッセイア』が、長い時を旅して、映画という形で私たちのもとへ届いた今。
映画をつくる技術がどれほど進化しても、その先にあるのは、物語を通して人間を見つめることなのかもしれません。
そして、長い旅の果てに故郷を目指したオデュッセウスのように、私たちもまた、それぞれの人生の中で何かを求めながら、自分の「帰る(還る)場所」を探し続けているのかもしれませんね。


あなたにとって
「帰る場所」とは
どこですか?

丘の上から海峡を眺める女性と犬の後ろ姿 故郷を思っている一人と一匹

『落下の王国』4K UHD & Blu-ray

ようやくこの手に『落下の王国』4K UHD & Blu-ray

〜 映像の奇跡を支えた、創り手たちの物語 〜


「いつか、もう一度この作品を観たい。願わくば、ソフトを手元に置いておきたい。」
そんな願いを抱き続けてきた映画があります。

ターセム・シン監督の『落下の王国(原題:The Fall)』です。

映画『落下の王国』は、1920年代の病院を舞台に、心に傷を負った青年ロイと、幼い少女アレクサンドリアが紡ぐ幻想的な物語です。
現実と空想が交錯しながら描かれる壮大な世界は、美しい映像と芸術性によって、多くの映画ファンを魅了し続けています。

私自身も、この映画のオリジナル版公開当時、不思議な展開を繰り広げる物語と圧倒的な芸術美、そして世界そのものを旅するような、これまでにない感覚に感動を覚えました。
しかし、その後はソフトの入手も難しくなり、「もう二度と最高の状態で観ることはできないのかもしれない」と、口惜しい気持ちでいたのです。

それが時を経て4Kデジタルリマスター版として劇場公開され、さらに今回、4K UHD & Blu-rayを手にすることができました。
映画館で再びあの世界に出会えたことだけでも十分幸せでしたが、特典映像まで含めて作品の背景に触れられたことは、私にとってもう一つの大きな喜びでした。

大好きなこの映画については、既に3回ほど記事にしているので、今回はこれまでと異なる視点で綴ろうと思います。

未来を信じて撮られた映画

特典映像の中で、ターセム・シン(Tarsem Singh)監督は印象的な言葉を語っていました。

この作品は長く観られる映画になると思った。
だから高画質で撮影した。

『落下の王国』が2006年に初公開された頃は、一般的な撮影カメラとして4Kが存在していたわけではありません。
CGに頼らず24か国以上・13の世界遺産で実景撮影するというターセム監督のこだわりから、当時最高峰の35mmフィルムで撮影されていたのです。

しかし当時、その価値を理解し、買い手になってくれる人はほとんどいなかったそうです。
その言葉を聞きながら、私は20年という歳月の重みを思いました。

今こうして4Kという最高の形で作品が蘇り、多くの人がその美しさに改めて驚いています。
監督が信じ続けた未来が、ようやく現実になったのです。

世界を彩った、日本人デザイナー

『落下の王国』の魅力を語る上で欠かせない存在が、衣装デザインを担当した故・石岡瑛子さんです。

石岡瑛子(いしおかえいこ、1938年7月12日-2012年1月21日)さんは、2012年に惜しまれつつ世を去った世界的クリエイターです。
1970年代の広告史に革命を起こしたのち世界に羽ばたいた彼女は、ジャンルを超えて驚異的な足跡を遺しました。
ジャズの帝王マイルス・デイヴィスのジャケットデザインでグラミー賞を、映画『ドラキュラ』でアカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞。
さらにはソルトレイクシティ冬季五輪の競技ウェアやシルク・ドゥ・ソレイユの舞台衣装、そして北京五輪開会式のコスチューム・ディレクションにいたるまで、まさに世界を舞台に多才なメダリストとして極め続けた、唯一無二の表現者です。

『落下の王国』という物語の世界に登場する衣装は、単に美しいだけではありません。
色彩、造形、文化、象徴性 ──
一つひとつがまるで芸術作品のような存在感を放ち、ターセム監督が描く幻想世界を現実のものとして支えています。
世界中のロケーションと石岡さんの衣装が重なり合うことで、『落下の王国』にしか存在しない映像世界が生まれました。

ターセム監督が「女神」と崇めた彼女のデザインは、単なる衣装の枠を超え、映画の色彩や世界観そのものを支配する圧倒的なパワーを放ち、4Kリマスターでより鮮烈に蘇るその造形美は、今見ても全く色褪せることのないタイムレスな輝きに満ちています。

日本人として、この作品に石岡瑛子さんが携わっていたことを改めて誇らしく感じます。

映画『落下の王国 4Kデジタルリマスター』予告編
ロイとアレクサンドリアが教えてくれたこと

そして、もう一つ心を動かされたのが、ロイ役のリー・ペイス(Lee Pace)と、アレクサンドリア役のカティンカ・アンタルー(Catinca Untaru)の撮影秘話でした。

幼いカティンカちゃんにとって、ロイは本当に足の不自由な青年でした。
その自然な感情を大切にするため、リー・ペイスは撮影中、その設定を守り続けたのです。

…さて、これがどういう意味か、『落下の王国』ファンにはよく知られた裏話ですが、ご存知ない方も多いかと思いますので、簡単に説明しますね。

当時6歳だったカティンカの純粋な輝きを引き出すため、ターセム監督は現場でひとつの「優しい嘘」を仕掛けました。
それは、主人公ロイを演じるリー・ペイスが「現実でも本当に足が不自由である」と信じ込ませること。
病院でのシーン撮影中、リーは常に車椅子で過ごしており、なんと、カティンカだけでなく周囲のスタッフも含めて、そんな嘘をずっと突き通したそうです。

『落下の王国』が現実と空想が交錯しながら描かれた物語であれば、その映画の創造もまた、現実のスタジオと物語の境界線が曖昧な中で紡がれたからこそ、この作品は嘘偽りのない輝きを放っているのだと感じます。
映画の中で二人が交わす眼差しや表情には、演技という言葉だけでは表せない、本物の信頼関係が映し出されています。
4Kの高画質で観る彼女の瞳は、その純粋さがより一層クリアに伝わってきて、何度観ても目頭が熱くなります。

映像の美しさに目を奪われがちな作品ですが、その奥には、俳優たちの誠実さと創り手たちの細やかな配慮が息づいていました。

『落下の王国』4K UHD & Blu-ray
映画『落下の王国』4K UHD & Blu-ray
奇跡は、見えない時間の積み重ねから生まれる

さて、この映画は約2時間です。
けれど、その2時間のために費やされた時間は、何年にも及びます。

世界各地でのロケーション撮影。
唯一無二の衣装制作。
俳優たちの献身。
そして、「いつかきっと、この作品は長く愛されるものになる」と信じ続けた監督の想い。

完成した映画だけを観ていると、費やされてきたその膨大な時間や努力を忘れてしまいそうになります。
だからこそ特典映像を観た今、私は以前よりもさらに、この作品を大切に思うようになりました。

『落下の王国』は、美しい映画です。
でも、それ以上に ──
創ることを信じ続けた人たちの物語でもあるのだと感じています。

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あなたは
心を動かされた作品の向こうに
どんな時間を想像しますか?

映画『Michael/マイケル』パンフレット サントラCDとアルバム『Dangerous』

映画『Michael/マイケル』が問いかける「自由に創造すること」

〜 実の甥ジェファー・ジャクソンが蘇らせたマイケル、その物語から考える 〜


音楽伝記映画の歴史を塗り替えるほどの異例の世界的大ヒットを記録している映画『Michael/マイケル(原題:Michael)』、あなたはもうご覧になりましたか?

私もこの映画はとても楽しみにしていたので、もちろんIMAXで、いつものお気に入りの席を陣取って観てきましたが、結論を一言で言うと、最高でした。

映画『Michael/マイケル』予告編

正直に言いますが、私は、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)は昔から好きだったものの、熱烈なファンというほどではありません。
もちろん代表曲は知っていますし、いくつかアルバムも持っています。
しかし、初めは「マイケルの伝記映画だから絶対に観たい」というより、「どんな作品なのだろう」という興味の方が大きかったように思います。

私は基本的に、観たいと思った映画については、事前にはあえてあまり情報を入れずに観に行きます。
週に1、2回のペースで映画館に足を運ぶ私は、本編が始まる前に流れるこれから上映される映画の予告編と、劇場に並ぶチラシをさっと眺めて、観たい映画を決めます。

映画『Michael/マイケル』も、まずチラシを見て「あのマイケル・ジャクソンを再現するとはすごいチャレンジね。これは観ないと」と思い、その後、映画館では予告編が流れるようになり、当然のことながらますます興味を持ちました。
が、やはりこの時点では詳しいことはチェックせず。
予告編には、マイケルを演じた俳優が「Hi, I am Jaafar Jackson.(こんにちは、ジェファー・ジャクソンです)」と挨拶するバージョンもあり、それを見て、私は「ジャクソンっていう名前だから、マイケルの甥かな。マイケルには兄弟が大勢いるから俳優の甥がいてもおかしくない。その子を採用したのね」くらいに思っていました。

そしていよいよ映画鑑賞当日、まずパンフレットを購入するために売店に立ち寄りました。
ディスプレイには、この映画『Michael/マイケル』のサウンドトラックCDも並んでいて、少し気になりはしたものの、映画を見る前は、正直そこまで欲しいと思うかどうかわかりませんでした。
マイケルの楽曲ならすでに持っているものもありますし、それで十分かもしれないと考えたのです。

そんな私でしたが、映画を観終わった後には、結局サウンドトラックCDを購入していました。
この映画を通して知ったマイケルの物語を、もう一度音楽とともに辿りたい。
そんな気持ちになっていたのです。

映画『Michael/マイケル』パンフレット サントラCDとアルバム『Dangerous』
映画『Michael/マイケル』パンフレット&サンドトラックCDとアルバム『Dangerous』(デンジャラス:映画の劇中で描かれた熱狂の「その先」にある時代を象徴するアルバムで、この作品も音楽史に深く名を刻む、凄まじい世界的大ヒットを記録した)

今回のサントラCDを購入する決め手となった理由の一つは、ジャクソン5(The Jackson 5)時代の楽曲でした。
もちろん曲自体は知っていましたが、その歌声の向こうに、幼いマイケルと家族の姿が見えるようになった今、それらの曲は以前とはまったく違う響きを持って聴こえます。

また、CDやレコードは海外の作品でも、日本盤にはライナーノーツ(解説文や歌詞の対訳など入った冊子)が同包されることが多く、ぜひそれも読んでみたいと感じたのです。
今回の解説は音楽ジャーナリストの高橋芳朗さんによるもので、映画に関わる点から各楽曲についてまでかなり詳しく説明されていて、そこから得られる感動も多かったです。

映画『Michael/マイケル』サウンドトラックCD
映画『Michael/マイケル』サウンドトラックCD(モノクロの冊子が21ページにも及ぶライナーノーツ。最終ページにはジャクソンズとマイケルのアルバムの一覧画像も掲載されてました)

そして何より驚いたのは、マイケルを演じたジェファー・ジャクソン(Jaafar Jeremiah Jackson)でした。
映画を観ている間、私は何度も「本当にマイケルを見ているようだ」と感じていましたが、映画を観終わった後にパンフレットを開くと、なんと彼は元々は俳優を目指していたわけでもなく、今回のオファーを受けて初めて演技をすることになったのだと知り、本当に驚きました。

誰がマイケルを演じるのだろうと思っていた本人が、結果としてその役を引き受けることになる。
しかも相手は、世界中の誰もが知る大スターマイケル・ジャクソン。
比較されることも、批判されることも覚悟しなければならない役だったはずです。

それでも彼は、その重責を背負い、見事に演じ切りました。
私は単にダンスや歌の再現度に感動しただけではありません。
マイケルという存在への敬意と覚悟が、スクリーン越しに伝わってきたことに心を動かされたのです。

映画 Michael/マイケル チラシ(1)
映画『Michael/マイケル』チラシ(1)

ところでこの制作には、音楽伝記映画の記憶としてはまだ新しい、ロックバンド・クイーンを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』でプロデューサーを務めたグレアム・キング(Graham King)が携わっています。
『ボヘミアン・ラプソディ』のときは、主演のラミ・マレックの息遣いに加え、フレディ本人の音源、そして声が酷似した外部の歌手の歌声を巧みにパッチワークのように重ね合わせた、いわゆる「3部編成」での緻密な音響エンジニアリングが取られていました。

一方、今回の映画『Michael/マイケル』で取られたアプローチは、それよりもはるかにシンプルで、同時に奇跡的とも言えるものでした。
外部の「そっくりな声」を必要とせず、ただ二人の声だけで構成される「2部編成」。
それが可能だった理由は、主演を務めたジャファー・ジャクソンが、マイケルの実の甥であるという事実にあります。

映画のパフォーマンスシーンで私たちの耳に届いていたのは、マイケル本人のマスター音源(録音)と、ジャファーが撮影現場で実際に喉を枯らして歌った生歌を絶妙にブレンドした音声でした。

声というものは、骨格や声帯の形で決まると言います。
同じジャクソン家のDNAと骨格を受け継ぐジャファーの声は、ふと口ずさむような静かなシーンやアカペラにおいて、加工せずとも驚くほどおじであるマイケルの響きに似ているのです。
さらに、幼少期から身近にあった「ジャクソン・ファミリーのグルーヴやブレスの癖」が、彼の細胞レベルに染み付いていたことも大きかったのでしょう。

映画の中のジャファーは、ただ過去の音源に口の形を合わせる「口パク」をしていたわけではないのです。
マイケルがその声を出す瞬間の、首の筋の立て方、顎の角度、呼吸のタイミングまでを完全に身体にシンクロさせ、実際に歌いながら踊っていました。
だからこそ、私たちはスクリーンの中に「単なる模倣」ではない、本物の魂の実在感を感じ取ることができたのだと思います。

なお、販売されているサウンドトラックアルバムに収められているのは、映画の再現ではなく、100%「マイケル・ジャクソン本人のオリジナル音源」です。
スタジオで完璧に磨き上げられたおなじみの名曲から、彼がかつてツアーのステージで本当に響かせていた当時のライブ音源まで、混じり気のないキング・オブ・ポップの歌声が最高の音質で刻まれています。
映画館で、甥であるジャファーの血の滲むような肉体表現と融合した「新しい体験」としてのマイケルを観たからこそ、このサントラCDから流れる「本物の完全な歌声」を聴いたときの感動は、より深いものになります。

映画 Michael/マイケル チラシ(2外面)
映画『Michael/マイケル』チラシ(2外面)
映画 Michael/マイケル チラシ(2中面)
映画『Michael/マイケル』チラシ(2中面)

そして、映画『Michael/マイケル』にはもう一人、私の心に残った人物がいました。
マイケルの護衛を務めたビル・ブレイ(Bill Bray)です。
映画を観ている間、私は「この人の存在って初めて知ったけど、実はかなり重要な人物では?」と気になっていました。

派手な人物でも、決して目立つ存在でもありません。
けれど、マイケルが苦しい時、迷った時、ビルはいつもその傍にいました。

父ジョセフが厳しさによってマイケルを導こうとした人物だとすれば、ビルは静かに見守る人物として描かれていたように思います。
実際のビルについて詳しい記録は多く残っていないようですが、彼が果たしていた役割は決して小さくなかっただろうと、この映画を観ただけでも感じとることができました。

才能は一人で花開くものではありません。
表舞台に立つ人がいる一方で、その人を支える存在もいる。
今回の映画を観ながら、私はそんなことを何度も考えていました。

そしてもう一つ、私の心に響いたものがあります。
それは映画の中でマイケルがノートに書き留めていた言葉です。

Be free to create.
─ 創造するために自由であれ。

マイケルは世界で最も成功したエンターテイナーの一人でした。
けれど、その一方で、幼い頃から家族や世間の期待を背負い続けた人でもありました。

もし彼がもっと自由だったら。
もし彼がもっと自分らしく生きられていたら。

そんなことを考えずにはいられませんでした。
しかし同時に、その苦しみや葛藤があったからこそ生まれた作品もあったのかもしれません。
だから私は、この映画を観終わった後も簡単な答えを出すことができません。
ただ一つ思ったのは、創造することは、自由と深く結びついているということです。

音楽でも。
絵画でも。
文章でも。
そして人生そのものでも。

私たちは本当に自由に創造できているだろうか。
誰かの期待や評価ではなく、自分自身の心の声に耳を傾けながら生きられているだろうか。

映画『Michael/マイケル』は、そんな問いを私の中に残していきました・・・

✔️『Michael/マイケル』上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=michael

続編(Michael Part 2)の公開も既に計画されているとのこと。
待ち遠しいですね。

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あなたは
自由に創造すること
できていますか?

映画 エレノアってグレイト。 Eleanor the Great パンフレット チラシ

映画『エレノアってグレイト。』に感動しすぎた理由

〜 人生は、いくつになっても新しい物語を紡げる 〜


今年は、まさかこんなに泣けるとは、と思える映画との出会いが多いように感じているのですが、『エレノアってグレイト。(原題:Eleanor the Great)』もまさにそのひとつでした。

映画『エレノアってグレイト。』予告編

スカーレット・ヨハンソン初監督作品となるこの映画については、実に観る前から期待していました。

世界的スター女優であるスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)が、初監督作でどんな作品を選ぶのだろうと思っていたら、主人公は、若く美しいヒロインでもアクションヒーローでもなく、90代の女性エレノア。
その時点で、何か面白いものを見せてくれるのではないかと感じたのです。

しかし、実際に観てみると、その期待をはるかに超える作品でした。

この映画は”世代をつなぐ友情の物語”と紹介されています。
確かに、そのとおりです。
けれど私にとっては、それだけでは語りきれない作品でした。

物語の中心にあるのは、エレノアが思わずついてしまった一つの嘘。
ですが、それは悪意から生まれたものではありません。

だからこそ私たち観客は苦しくなります。
「それは違うよ」と思いながらも、「でも気持ちはわかる」とも思ってしまう。
そして、その”今日だけのはずだった嘘”は少しずつ大きくなっていきます。

笑いが散りばめられたフィクション映画なのですが、私は途中から、「いつか必ずバレるよね…そのあとはどうなってしまうのだろう…」「どうかもう少しだけ、この時間が続いてほしい、でも…」と、少し不安が混じる気持ちで観ていました。

映画 エレノアってグレイト。 チラシ
映画『エレノアってグレイト。』チラシ

そんな物語の中で印象的だったのが、ユダヤ教のラビ*が語る「ヤコブとエサウ」のエピソードです。
*ラビ(Rabbi):ユダヤ教における宗教的指導者や律法(トーラー)の教育者

双子の兄エサウを出し抜き、父をだましたヤコブ。
けれど聖書は彼を単純な悪人として描きません。
苦しみや葛藤を経ながら成長していく人間として描いています。

”人は善人か悪人かだけでは語れない。嘘も意図によっては悪くはない。”
ラビの言葉は、まるでエレノアそのものを語っているようでした。

この映画は、観客に簡単な答えを与えないからこそ、深く心に残るのかもしれません。

そしてもう一つ、私が涙なしには観られなかった理由があります。
それはホロコーストです。

映画を観ている間、私はエレノアの長き親友ベッシーの回想シーンに強く心を揺さぶられました。

ホロコースト生存者(サバイバー)としての悲しみを語るその姿には、演技を超えた迫力があり、「もしかすると、この女優さん自身も実際にホロコーストを経験したサバイバーなのではないだろうか」と感じたほどでした。

後からパンフレットを読んで、驚くと同時にやはりと納得しました。
私が感じた通り、ベッシーを演じたリタ・ゾーハー(Rita Zohar)自身がホロコースト生存者だったのです。
だから彼女の語りには、演技を超えた重みがあったのでしょう。

ホロコーストはしばしば膨大な犠牲者数とともに語られます。
しかし、ベッシーの物語は、数字ではなく、一人の人生として私の心に届きました。

映画「エレノアってグレイト。」を深く理解するための図解
映画「エレノアってグレイト。」を深く理解するための図解(筆者作成)

さらに本作では、リタ・ゾーハーだけでなく、実際のホロコースト生存者たちも参加しているとのこと。
スカーレット・ヨハンソンは、ユダヤ系のルーツを持つ自身の背景も踏まえながら、ショア財団*やホロコースト生存者のコミュニティの協力を得て、この作品を作り上げました。
*ショア財団(USC Shoah Foundation):第二次世界大戦時のナチスによるホロコースト(ショア)の記憶の継承をする組織

だからこそ私は、この映画から流れてくるものが単なる再現ドラマ的なものではなく、「実際にその時代を生きた人々の記憶」に支えられているように感じたのかもしれません。

と言いつつ、この現代の日本という国で平穏に暮らしている私は、ホロコーストやユダヤ教について詳しい人間ではありません。
けれど、この映画を観て改めて思いました。

過去にあった悲劇を忘れてはならない。
そして、ただ歴史として知るだけではなく、その悲しみを抱えて生きた人たちにせめて気持ちだけでも寄り添いたい。
──と。

何より胸を打たれたのは、この映画は、単なるホロコーストや嘘にまつわる物語として終わらないことです。

エレノアは、ひょんなことから孫ほど歳の離れたニナという友人を持つことになります。
ニナとその父ロジャーは、母であり妻を亡くした悲しみを抱えていました。
そんなニナに寄り添うエレノアだったからこそ嘘も発展し、しかしやがてその嘘もバレてしまうのですが・・・

・・・あとはネタバレになってしまうので、物語の中身についてはこれ以上触れませんが、深いストーリーはさることながら、ニナを演じたエリン・ケリーマン(Erin Kellyman)の演技も素晴らしく、彼女が涙を流すたび、私も涙をこらえることができませんでした。

映画 エレノアってグレイト。 Eleanor the Great パンフレット チラシ
映画『エレノアってグレイト。』のパンフレットとチラシ。パンフレットはジャーナリスト志望の学生であるニナのジャーナルをイメージしたデザインで可愛い。

『エレノアってグレイト。』というタイトルの映画ですが、まさにグレイトづくしでした。

2024年に『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』で93歳で映画初主演を果たして「映画初主演の史上最高齢」を記録し、94歳で再び主演を務めたジューン・スキッブ(June Squibb)。
グラマラスでクールな女優と知られながらも、このテーマに初監督として挑んだスカーレット・ヨハンソン。
そして人生の終盤に差しかかりながらも、新しい友情を育んでいく、物語の主人公エレノア。

彼女たちは皆、「もう遅い」ではなく、「まだこれから」を生きていました。
だから私は、この映画に感動し、励まされたのだと思います。

人生には失うものも、取り返せない過去もあります。
それでも人は、新しい出会いをし、新しい物語を紡いでいくことができる。

私にとって、映画『エレノアってグレイト。』は、自分の中にある喪失感と向き合う気持ちにさせられると同時に、希望を与えてもらえる作品でした。

なお、私がこの映画を観たのはフォーラム仙台にて。
現時点(2026年6月20日)で東北ではフォーラム仙台でしか上映されていませんが、ぜひ多くの方にご覧になっていただけたらなと思う作品です。

✔️『エレノアってグレイト。』上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=eleanor2026


あなたは今
どんな物語を
紡いでいますか?

物語を紡ぐ
映画 プラダを着た悪魔2 パンフレット 映画 プラダを着た悪魔 サウンドトラックCD

20年後に帰ってきた『プラダを着た悪魔』による気づき

〜 音楽と共に、成長から成熟のストーリーへ 〜


映画『プラダを着た悪魔2(原題:The Devil Wears Prada 2)』、2026年5月1日に日米同時上映が始まってから1ヶ月経ちましたが、ここ仙台でも上映は続いていますし(6月5日現在)、老若男女問わず、かなり人気のようです。

記事にするのが遅くなってしまいましたが、私自身も公開開始から5日後にはTOHOシネマズ仙台へ足を運び、観てきました。

映画 プラダを着た悪魔2 チラシ(1)
映画『プラダを着た悪魔2』チラシ(1)

まずは、2006年に公開された映画『プラダを着た悪魔(原題:The Devil Wears Prada)』について振り返ってみましょう。

ヴォーグ誌の女性編集長のアシスタントを務めた経験を持つ新人作家(2003年時)ローレン・ワイズバーガー(Lauren Weisberger)によるベストセラー小説を原作としたこの映画は世界的に大ヒットしました。

気がつけば20年も前の作品ですから、今作の『プラダを着た悪魔2』を劇場に観に行った人の中にも、当時は生まれていなかったという人もいらっしゃるでしょう。

映画『プラダを着た悪魔』予告編

私はといえば、主人公アンディの「成長」物語としてこの作品を楽しんでいました。

ファッションに興味のなかった一人の女性が、誰もが憧れるファッション誌の世界に飛び込み、戸惑いながらも努力を重ね、自分の居場所を見つけていく。

華やかな衣装やニューヨークの街並み、テンポの良いストーリー展開に加え、印象的な音楽も相まって、とても爽快感のある映画だったように思います。

何より、アンディが仕事を通し、自分の価値観と向き合いながら前に進んでいくその姿に、多くの人が共感したのだと思いますし、私もその一人でした。

20年後の続編が描いたもの

それから20年の時を経て、続編となる『プラダを着た悪魔2』を観て感じたのは、前作とは少し違う空気でした。

映画 プラダを着た悪魔2 チラシ(2)
映画『プラダを着た悪魔2』チラシ(2)

もちろん、相変わらずおしゃれで華やか、テンポも良く、笑える場面もたくさんあります。
けれど、その奥には前作以上に深みのあるドラマが描かれていました。

登場人物たちは20年という歳月を生きています。
成功した人もいれば、挫折を経験した人もいる。
それぞれが様々な選択を重ねながら人生を歩んできました。

だからこそ今回の物語では、「これから何者になるか」ではなく、「何を選び、何を手放すのか」が描かれているように感じました。

ナイジェルのさりげない優しさ。
ミランダが下したある決断。
そしてアンディとエミリーの関係性。

どれも若い頃の勢いや競争だけでは語れない、大人だからこその物語でした。
観終わった後、少し胸が熱くなったのは、そんな「成熟」した人間ドラマがあったからかもしれません。

映画「プラダを着た悪魔」の主要人物と関係性
映画『プラダを着た悪魔』の主要人物と関係性の図解(*筆者作成。映画の内容理解を目的としたイメージ図です)
音楽もまた成熟していた

『プラダを着た悪魔』を語る上で、音楽(BGM)は欠かせない存在です。

前作のサウンドトラックは、映画ファンだけでなく音楽ファンからも高く評価されました。
マドンナ(Madonna)、U2、ジャミロクワイ(Jamiroquai)、アラニス・モリセット(Alanis Morissette)など、豪華アーティストの楽曲が並び、作品の世界観を鮮やかに彩っていました。

そして今回の『プラダを着た悪魔2』でも、その伝統は受け継がれています。
レディー・ガガ(Lady Gaga)、デュア・リパ(Dua Lipa)、マイリー・サイラス(Miley Cyrus)、レイヴェイ(Laufey)など、現代を代表するアーティストたちの楽曲が登場し、華やかなファッション業界の空気感を見事に表現していました。

映画を観終わったあと、「サウンドトラックが欲しい」と思った方も多いのではないでしょうか。
私もその一人です。

しかし私にとって、このシリーズを象徴する音楽は別にもあります。
それは、テオドール・シャピロ(Theodore Shapiro)によるテーマ曲「プラダを着た悪魔(Suite From The Devil Wears Prada)」です。
前作のサントラにも収録されていたこの曲は、まさに『プラダを着た悪魔』そのもの。

♪ テオドール・シャピロ(Theodore Shapiro)「プラダを着た悪魔(Suite From The Devil Wears Prada)」

洗練されたリズム。
都会的で少しユーモアを感じるメロディ。
かと思えばセンチメンタルなピアノの旋律…

あのメロディが流れた瞬間に、ニューヨークの街並みやランウェイ誌の編集部、そしてアンディやミランダらの姿が頭に浮かびます。
作品を象徴するテーマ曲というものは数多くありますが、『プラダを着た悪魔』においては、この曲こそが作品の心臓部なのではないかと感じています。

さらに映画の中では、そのテーマを、テンポを変えたり、楽器を変えたり、アレンジした楽曲が様々な場面で使われています。
だからこそ、気づかないうちに作品全体が一つの音楽でつながっているように感じられるのではないかと思えるのです。

20年前、この曲は私にとって「これから始まる物語」の音楽でした。
新しい世界へ飛び込む高揚感や希望を感じさせてくれる音楽だったように思います。

けれど今回続編で耳にしたときは、少し違って聞こえました。
そこには懐かしさがあり、積み重ねた時間があり、そして再会の喜びがあり、「歩いてきた時間を振り返る音楽」にも聴こえます。

同じ旋律なのに、まるで違う意味を持って響いてくる。
それはきっと、映画の登場人物たちだけでなく、観ている私自身も20年という時間を生きてきたからなのでしょう。

映画『プラダを着た悪魔2』予告編

それから、ネタバレになってしまいますが、今作でのサプライズは、レディー・ガガの劇中での登場でした。
(すでに話題なので今更ネタバレにもならないかもしれませんが・・・)

『プラダを着た悪魔』を象徴する音楽といえば、私にとってはテオドール・シャピロによるテーマ曲である一方、ポップミュージックという意味ではマドンナの「ヴォーグ(Vogue)」も外せません。

♪ マドンナ(Madonna)「ヴォーグ(Vogue)」

そして続編では、その「ヴォーグ」がさりげなく流れる場面がある一方で、レディー・ガガが新たな時代の空気をまとって登場します。

2006年に『プラダを着た悪魔』が公開されたまさに同じ年にマドンナの生ライブも体験した私としては、マドンナに代わる存在はいない、と思っています。
けれど、「時代を象徴する女性アーティスト」という意味では、レディー・ガガは現代のポップカルチャーを代表する存在の一人なのだろうと捉えることができるのです。

♪ レディー・ガガ(Lady Gaga)&ドーチー(Doechii)「ランウェイ(RUNWAY)」

20年前の『プラダを着た悪魔』と、2026年の『プラダを着た悪魔2』。
その間に流れた時間までもが、音楽によって表現されているように感じました。

20年という時間がくれたもの

前作を観た頃の私は、アンディの成長に心を躍らせていました。
そして今は、ミランダやナイジェルたちの決断に心を動かされています。

同じ作品の続編なのに、心に響く場所が変わっていました。
それはきっと、この20年で私自身も少しずつ歳を重ねてきたからなのでしょう。

『プラダを着た悪魔2』は、懐かしいキャラクターたちとの再会を楽しめる映画であると同時に、自分自身の時間の流れを感じさせてくれる作品でもありました。
そして、その変化に気づかせてくれたのは、20年前と変わらずそこにあった音楽だったような気がします。

映画 プラダを着た悪魔2 パンフレット 映画 プラダを着た悪魔 サウンドトラックCD
映画『プラダを着た悪魔2』パンフレットと『プラダを着た悪魔』サウンドトラックCD

ちなみですが、今作『プラダを着た悪魔2』のサウンドトラックのCDはまだ販売されておらず、現時点では配信のみです(なので、上の写真もCDは前作のもの)。
7月に輸入盤CDおよびLP(レコード)の発売は予定されていますが、日本盤については今のところ言及されていません。
また、前作の時はありませんでしたが、今回はテオドール・シャピロによるオリジナル・スコアのアルバムの配信もされています。
そしてこのオリジナル・スコアのアルバムについては、輸入盤・日本盤ともにCDの販売は言及されていません。
このご時世ですので、CDでの販売拡大はされないのかもしれませんが、私個人としては、是非とも日本限定特典付きバージョンとして、サウンドトラックとオリジナル・スコアののCDセット販売をして欲しい気持ちです・・・

追記:なんとこの記事をアップした直後、『プラダを着た悪魔2』サウンドトラックCDの日本盤<特典付き>の販売について発表されました!7/31(金)に発売決定とのことで、予約受付が始まっています。
なお、オリジナル・スコアについては未だ配信のみの模様です。

✔️『プラダを着た悪魔2』上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=devilwearsprada2

✔️『プラダを着た悪魔2』サウンドトラック情報:https://www.universal-music.co.jp/dwp2soundtrack/

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あなたには
年月を経て見え方が変わった
作品はありますか?

The spiral of time and memory
映画 ひつじ探偵団 THE SHEEP DETECTIVES パンフレット

癒し系哲学ミステリー映画『ひつじ探偵団』

〜 見逃すところだった、心に残る一本 〜


実は、私はこの映画、元々は全く観るつもりはありませんでした。
『ひつじ探偵団(原題:THE SHEEP DETECTIVES)』というタイトルから受ける印象は、面白おかしく可愛らしいファミリー向け作品。

映画 ひつじ探偵団 THE SHEEP DETECTIVES チラシ(表)
映画『ひつじ探偵団』チラシ(表面)

しかも私は基本的に、洋画は字幕版でしか観ないのですが、こうした作品は地域や劇場により、吹き替え版のみの上映になることも少なくありません。
そのため、今回も「自分とはあまり縁のない映画だろう」と思い込んでいました。

ところが、上映スケジュールを確認してみると、行きつけのTOHOシネマズ仙台でも字幕版が上映されていることが分かりました。
ハリウッドを代表するスターの一人であるヒュー・ジャックマン(Hugh Michael Jackman)出演作品でもありますし、海外での評価も高いようです。
「字幕版があるなら観てみようかな」そんな軽い気持ちで映画館へ向かったのでした。

しかし、その選択は思いがけず、私にとって大切な映画との出会いになりました。

最初は距離を感じていた

映画が始まった当初、私はどちらかというと物語そのものよりも映像表現の方が気になっていました。

羊たちはリアルだけれども、どう見てもCGです。
一方で、ヒュー・ジャックマン演じる羊飼いのジョージは、ごく自然に羊たちと接しています。
「これはどうやって撮影しているんだろう?」そんなことを考えながら観ていました。

また、登場人物たちもどこか現実離れしています。
少し間の抜けた警官や、個性の強い村人たち。

最初は「映画だからこういう演出なのかな」と感じていました。

ところが、気づけばそんなことは全く気にならなくなっていました。
いつの間にか私は、あの不思議な世界の中に入り込み、羊たちのことを心配し、彼らの行く末を見守っていたのです。

映画 ひつじ探偵団 THE SHEEP DETECTIVES チラシ(裏)
映画『ひつじ探偵団』チラシ(裏面)
まさか涙するとは

この映画は間違いなくコメディです。
何度も笑わされました。

ところがなんと、この羊たちが主人公のミステリー映画で、私は涙することにもなったのです。
映画館を出た後も心に残り、パンフレットを読み進めると観た時の感動が思い出されてきて、再び涙が込み上げてきました。

なぜだろうと考えてみると、この映画は単なるミステリーではなかったからだと思います。
そこには、

  • 大切な存在を失うこと
  • 仲間を想うこと
  • 誰かを記憶の中で生かし続けること
  • 物語が人を支えること

そんなテーマがそっと流れていました。

羊たちは羊でありながら、驚くほど人間らしい。
いや、もしかすると人間以上に素直に感情を表現していたのかもしれません。

そこに違和感を覚えるどころか、だからこそ、私は彼らに共感し、心を動かされたのだと思います。

映画『ひつじ探偵団』予告編
ヒュー・ジャックマンの言葉

パンフレットの中で、主演のヒュー・ジャックマンはこんなことを語っています。
脚本を読み始めて25ページほどのところで出演を決意し、最後まで読み終えた時には、自分でも驚くほど涙が止まらなくなった、と。

映画を観る前なら、少し大げさに思えたかもしれません。
けれど、観終わった今の私には、その気持ちがよく理解できます。

ヒュー・ジャックマンはまた、脚本に”理屈抜きに惹きつけられる何かがあった”とも語っていましたが、この作品には確かに、人を理屈抜きに惹きつける魅力があると感じます。

そして、ジョージという人物が本当にそこに生きているように感じられたのは、ヒュー・ジャックマンの存在があったからこそだと思います。

羊たちが彼を慕う理由。
彼を失った悲しみ。

そのすべてに説得力がありました。

羊たちが主役なのに、本格ミステリー

また、この作品に驚かされたのは、ミステリーとしての完成度でした。

「羊たちが活躍するコメディ映画だろうけど、VFX(撮影技術・視覚効果)が気になるから、字幕版上映されるなら行ってみよう」くらいの気持ちで観に行った私には、そのコメディーとしての面白さだけではなく、かなり深い推理小説ばりな内容に感服。

物語が進むにつれ、散りばめられた伏線や謎が少しずつ繋がっていきます。
思わず「そういうことだったのか」と唸る場面もあり、予想以上に本格的なミステリーとして楽しむことができました。

羊たちは、本当にそこにいるようだった

それから、「あの羊たちは、一体どうやって撮影されているのだろう?」という疑問を持つのは、きっと私だけではないでしょう。

パンフレットによると、本作では羊の品種ごとの特徴まで細かく描き分けられているそうです。
実は、羊は犬よりも品種が多いとのことで、それぞれ見た目や性格に違いがあるのだとか。

さらに撮影現場では、本物そっくりに作られた羊のパペットを使ってリハーサルを行い、その後、映像の中で高度なCGへと置き換えていったそうです。

だからこそ俳優たちの視線や仕草に違和感がなく、羊たちが本当にその場に存在しているように感じられたのですね。
映画の冒頭では撮影技術の方が気になっていた私も、気づけばそんなことを忘れ、完全に羊たちの世界に入り込んでいました。

映画 ひつじ探偵団 THE SHEEP DETECTIVES パンフレット
映画 『ひつじ探偵団』パンフレット
見逃さなくてよかった

この映画『ひつじ探偵団』は、もし字幕版が上映されていなかったら、私はおそらく、観ていなかったと思います。
もちろん、吹き替え版は吹き替え版なりの面白さがありますし、そちらを好む方もたくさんいらっしゃるでしょう。
それぞれの楽しみ方があると思います。

ただ、今回の私にとっては、字幕版上映があったからこそ、この作品と出会うことができました。
そして、その出会いに心から感謝しています。

映画には時々、最初から観るつもりだった作品以上に、思いがけない形で心に残る作品があります。

私の場合、今年は特に、そんな出会いが続いている気がします。
振り返ってみると、それらは必ずしも公開前から注目していた作品ではありません。
むしろ、「少し気になる」「なんとなく惹かれる」── そんな小さなきっかけから足を運んだ作品…
直感というほど大げさなものではないのかもしれません。
けれど、心のどこかが向いた方向へ少しだけ歩いてみると、思いがけない景色に出会えることがあります。

映画『ひつじ探偵団』は、まさにそんな一本でした。
可愛らしい羊たちのミステリーだと思っていたら、気づけば笑い、そして涙していました。
私は今、「この映画を見逃さなくて、本当によかった」と思っています。

ちなみに、この原作本『ひつじ探偵団〔新版〕』が、今回の映画公開にあわせて販売されています。
本書の原題は『Glennkill(グレンキル)』で、これは、小説中に登場するアイルランドの架空の村の名前です(映画ではイギリスが舞台)。

2005年にドイツで刊行され、20年以上に渡り世界で愛されている、作家レオニー・スヴァン(Leonie Swann)によるベストセラー推理小説で、日本でも2007年に刊行されていますが、今回の映画公開にあわせて”新版”として復刊しました。
映画とはまた趣の異なる面白さを味わうことができます。

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✔️『ひつじ探偵団』が上映されている劇場はこちら:
https://hitsuji-tanteidan.jp/theater.html


あなたには
“見逃さなくてよかった”と思う
作品との出会いはありますか?

映画館にて
映画 1975年のケルン・コンサート (Köln 75) パンフレット キース・ジャレット(Keith Jarrett) コンサートCD

壊れたピアノから生まれた奇跡の実話 映画『1975年のケルン・コンサート』

〜 人生も完璧じゃつまらない 〜


1975年、それは私が生まれる前のことですし、キース・ジャレット(Keith Jarrett)やマイルス・デイヴィス(Miles Davis)といった偉大なミュージシャンの名と一部の音楽は知っていても、ジャズに特別詳しいわけでもない私は、この1975年1月24日のライブが歴史的名盤として語り継がれていることは知りませんでした。

なので、今回も予告動画とチラシ以外の事前情報は得ないまま観に行った映画『1975年のケルン・コンサート(原題:Köln 75)』については、最初は、「実話ベースらしいけれど、これって一体どこまでが事実なの?かなり大袈裟にしてる?」と思いながら観ていました。

flyer Köln 75 1975年のケルン・コンサート チラシ
映画『1975年のケルン・コンサート』チラシ

ところが、パンフレットを読むと、驚くほど多くが実際の背景や起きたことだったとのことでした。

当然ながら映画として脚色された部分はあるにせよ、チラシにある

これは、嘘のような実話に基づく物語。

というキャッチコピーは決して大袈裟というわけではないのです。

若き女性プロモーター、ヴェラ・ブランデス(Vera_Brandes)。
反対されながらもコンサートを企画し、疲弊しきったキース・ジャレットを迎え、当日現れたのは、まともとは言い難い”壊れたピアノ”。
普通なら「失敗」で終わってもおかしくない状況です。
けれど、その夜の演奏は後に伝説となりました。

まさに嘘みたいな実話に、私はすっかり引き込まれてしまいました。
ただ、映画を観ている最中、一つだけ少し戸惑ったことがあります。

肝心のクライマックス“ケルン・コンサート”の演奏シーンで、キース・ジャレット本人の音が流れなかったのです。
「え、どうして?」と最初は正直少し拍子抜けしました。
「これって単なるそういう演出?それともこのコンサートCDもパンフと一緒に売店に並んでたけど、それ売るための戦略?」そんなことさえも思いました。

でもこの点についても、後からパンフレットを読んで知りました。
キース本人にとって、このコンサートは必ずしも幸福な思い出ではなく、音源使用の許可も下りなかったのだそうです。

*ヴェラがキースの演奏に惚れ込んだきっかけとなったベルリンでの演奏シーンもあるが、その場面でのピアノ音楽はキース・ジャレット本人のものではなく、いわゆるキースらしい即興演奏を模して再構築されたもの

映画を観たことでキース・ジャレットというアーティストの人柄に触れることもできたせいでしょうか、そんな事情を知った時、妙に納得できました。
そして逆に、「それでも映画化を許したのだ」と思い、ホッとしました。

また、その場面でキースの演奏の代わりに流れていた音楽はジャズシンガーのニーナ・シモン(Nina Simone、1933年2月21日-2003年4月21日)による『To Love Somebody』という誰かを愛することの大切さを歌った曲。
しっかりとした意味合いと配慮があったのだなと理解しました。

結局、私は映画を観た後に、歴史的名盤と言われているキース・ジャレットのケルン・コンサートのCDまで買ってしまいました。

つまりこの映画は、キース本人の音を使わなくても、観客を本物へ向かわせる力を持っていたのだと思います。

映画 1975年のケルン・コンサート (Köln 75) パンフレット キース・ジャレット(Keith Jarrett) コンサートCD
映画 『1975年のケルン・コンサート』パンフレット 、 キース・ジャレット『ザ・ケルン・コンサート』CD

そして心に響いたのは、監督イド・フルーク(Ido Fluk)のパンフレットに記載されたインタビューでした。
彼は、

完璧なものってつまらないと思っていて、良い芸術はその中からは生まれない

と語っていました。

撮影現場でも毎日のように“壊れたピアノ”のような問題が起きる。
でも、その不完全さこそが、作品をより良くすると。

この言葉に、とても共感しました。

創作というのは、本当に思い通りにいかないものです。
時間も、環境も、技術も、感情も、いつだって不完全です。

けれど、だからこそ生まれるものがある。
むしろ、傷や制約や偶然があるからこそ、作品に人間らしさや熱が宿るのかもしれません。

そしてこの映画自体も、まさにそんな“不完全さ”の中から生まれた作品だったように思います。

本人の音源は使えない。
歴史的ライブを扱う。
比較もされる。

それでも、この映画は成立していました。
いや、むしろ“不完全”だったからこそ、単なる再現映画ではなく、「情熱の物語」になったのではないでしょうか。

映画『1975年のケルン・コンサート』予告編

また、この映画が素晴らしかったのは、天才だけを描かなかったことです。

歴史に名を残すのはキース・ジャレットかもしれません。
けれど、その夜を成立させたのは、無茶を通した若きプロモーター、ヴェラ・ブランデスでした。

監督は、

バックステージで働く人にも光を当てる、そういう人たちにを認めるということが私たちの文化にとってもとても大事なこと

とも語っていました。

表舞台の裏には、名前の残らない情熱があります。
そして時に、その情熱こそが歴史を動かしているのだと思います。

映画を観終わった後、私はなんだか、「人生って、こうでなくちゃな」と思いました。

完璧じゃない。
無茶で、危うくて、失敗寸前。
でも、それでも誰かが諦めなかったから、後世に残るものが生まれる。

ちょっとネタバレですが、エンディングでは、現在のヴェラ・ブランデス本人(2026年の誕生日で70歳)と、50歳のヴェラ・ブランデス(役:スザンネ・ウォルフ/Susanne Wolff)、18歳のヴェラ・ブランデス(役:マラ・エムデ/Mala Emde)の3人が並んで登場します。
また、劇中、映画の中の登場人物が映画鑑賞者に向けて直接語りかけるような演出があったりと、それを軽妙だなど批判する声も一部あるようですが、私には内容を理解する助けになったし、ここ最近、実話に基づく映画というと心にズシーンとくるようなものが続いていた私にとって、笑えて明るく朗らかな気持ちになれてよかったです。

最後に、このCDについても触れておきますね。

キース・ジャレット(Keith Jarrett) ケルン・コンサート(The Köln Concert) CD
キース・ジャレット『ケルン・コンサート』CD

キース・ジャレット(Keith Jarrett)は1945年5月8日(2026年現在81歳)、アメリカ・ペンシルベニア州生まれのジャズ・ピアニスト/作曲家です。
20代半ばという若さで当時すでにジャズ界の帝王と言われていたマイルス・デイヴィス(Miles Davis、1926年5月26日-1991年9月28日)のバンドでも活躍し、現代ジャズ界の頂点に立つピアニストの一人として知られていますが、特に評価されているのが、その場で音楽を生み出していく即興演奏です。

そして1975年1月24日、ドイツ・ケルン歌劇場で行われたソロコンサートを収録したアルバム『ケルン・コンサート(The Köln Concert)』は、ジャズ史上屈指の名盤として語り継がれているのです。

今回私が購入したCDは、映画『1975年のケルン・コンサート』公開と、録音50周年のタイミングに合わせて発売されたもののようで、ブックレット内には、18歳のヴェラ・ブランデスの奮闘ぶりが映画化されたことについても触れられていました。

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もちろん、この演奏は映画を観なくても十分に素晴らしいものだと思います。
けれど私は、映画を観た後だったからこそ、より深く心を揺さぶられました。
その感動は、静けさの中で聴いていると瞳が潤んでくるほどです。

手違いで手配された、老朽化したベビー・グランド・ピアノ。
長距離移動による疲労、腰痛、睡眠不足で満身創痍のキース・ジャレット。
しかも本人は当初、「こんなピアノでは弾けない」と演奏を断ろうとしていた。

そんな極限状態の中で生まれた演奏だったのだと知って聴くと、その音は単なる美しいピアノ演奏ではなく、人間の創造力そのもののように感じられます。

壊れたピアノ。
不完全な状況。
それでも、その夜にしか生まれなかった音楽。

映画館では「本物の音」を聴けなかったことに少し残念さも感じてしまった私でしたが、結果的にはその不足があったからこそ、私は実際にこのCDを手に取り、そして深く感動することができました。

完璧ではないからこそ、人の心を動かすものが生まれる。

映画『1975年のケルン・コンサート』、そしてキース・ジャレットのアルバム『ケルン・コンサート』は、そんなことを教えてくれる作品のように感じました。

なお、私がこの映画を観たフォーラム仙台での上映は5月14日(木)には終了予定ですが、他劇場予定は公式ホームページにてご確認くださいませ。


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映画 ホールディング・リアット (HOLDING LIAT) パンフレット  

ドキュメンタリー映画『ホールディング・リアット』で知る冷厳な現実

〜 だけど分断の中にも希望を見出したい 〜


正直なところ、この作品のチラシが映画館に出されたばかりの当初は「私の観たい映画リスト」には入っていませんでした。
しかし、いつものように映画館に足を運び、予告編を何度か目にするうちに、なんとなく気になってきたんです。
まぁ、そんなことはよくあること。
そんな軽めの流れで観に行った、『ホールディング・リアット(原題:Holding Liat)』というドキュメンタリー映画でした。

…けど、これはとても軽い気持ちで観られるような映画ではありませんでした。
もちろん予告編を観た時点で気づきつつはありましたけれども…

映画『ホールディング・リアット』予告編

ところで、この映画のタイトル『ホールディング・リアット(原題:Holding Liat)』ですが、私は初め、英語「holding」には「保持」とか「占有」という意味があるので、「人質として拘束されているリアット」という意味合いなのかなと思っていました。
でも「holding」には「抱きしめる」や「支え続ける」「つなぎとめる」といった意味もあるんですよね。
映画を観てからは、そのタイトルには、「リアットという存在を手放さずに受け止め続けようとする家族の思い」が重なっていると感じられました。

理解できない現実と、湧き出る怒り

この映画が描いているのは、イスラエルとパレスチナという長く続く対立の中で起きた出来事です。

日本という島国に住む私には遠い国の話。
ニュースで断片的に目にすることはあっても、どこか現実感を持てずにいた世界。

でも、この映画は違いました。
それは「大きな問題」ではなく、一つの家族の出来事として描かれているからだと思います。
だからこそ私は、その現実を「自分の感情」のように受け取ってしまったのかもしれません。
涙を流さずにはいられない苦しさや悲しさと同時に、怒りの気持ちが湧きました。

なぜこんなことが起きるのか。
なぜ人の命が奪われるのか。
どうしてそれが、どこかで「仕方のないこと」として扱われてしまうのか。

知れば知るほど単純ではない

改めて私はこの問題について少し調べてみました。
イスラエル・パレスチナ問題は、単なる争いではなく、歴史・宗教・土地・安全保障といった様々な要素が絡み合った、非常に複雑な問題です。

イスラエル・パレスチナ紛争/問題 概略図
イスラエル・パレスチナ紛争問題 概略図

どちらの側にも「理由」があり、どちらの側にも「失われたもの」がある。
だからこそ、単純に「どちらが正しい」と言い切ることはできない。
頭では理解できるようでいて、感情は追いつかないという感覚になります。

それでも、彼女が選んだもの

2023年10月7日にニールオズからガザ地区へと拉致され、パレスチナ人のもとで54日間人質となって過ごしたイスラエル系アメリカ人であるリアット・ベイニン・アツィリ(Liat Beinin Atzili)。

映画『ホールディング・リアット』のパンフレットの裏表紙には、彼女による言葉がそっと記載されています。

3人の子どもたち、そしてガザの子どもたちのために、
より良い未来を築くことに焦点を当てたい。

映画 ホールディング・リアット (HOLDING LIAT) パンフレット  
映画 『ホールディング・リアット』パンフレット  

彼女は、怒りや悲しみを抱えていてもおかしくない状況にいたはずです。
それでも彼女は、「復讐」ではなく「未来」を選んでいる。
しかも、自分の子どもだけではなく、ガザの子どもたち、つまり「フェンス<対立>の向こう側にいる存在」まで含めて。

これは簡単にできることではないと思います。
むしろ、人間として自然な感情に従えば、違う選択をしてもおかしくない。
それでも彼女は、別の道を選んだ。
私はそれを、「感情を否定した」のではなく、感情を抱えたまま、その先を選んだ行為なのではないかと感じました。

「生かされた命」という問い

彼女の気持ちを本当の意味で理解することは、私にはできません。
それでも私は、彼女の選択の背景に、「生かされた命をどう使うのか」という問いがあったのではないかと感じました。

なぜ自分は生きているのか。
この命を、これからどう使っていくのか。

それは、極限の状況を経験した人だけが抱く問いなのかもしれません。
そして彼女は、その答えとして「未来を選ぶ」という道を選択したのではないか。
そう思わずにはいられませんでした。

もう一つの「赦し」の物語

実はこの映画を観た同日、偶然にも私は「分断」や「許し<赦し>」に関わる別の話を知りました。
映画『ホールディング・リアット』を観た直後にその話を知ったので、映画のこともこの話も残すべきではないか、そう感じたこともあり、このブログを綴っています。

それは、第二次世界大戦後、日本に対して寛容な姿勢を示したスリランカの話です。
当時の日本は敗戦国として厳しい立場に置かれ、分割統治、つまり「分断」される可能性もあったと言われています。
そんな中でスリランカは、日本を裁くのではなく、再び国際社会の一員として受け入れるべきだと訴えました。
結果として日本は分断を免れ、一つの国として再出発する道を歩むことになります。

スリランカが日本に示した「寛容」
スリランカが日本に示した「寛容」について(私の解釈に基づく図解です)

日本がもし分断されるようなことになっていたら、今頃一体どうなっていたのか…

もちろん、これはイスラエル・パレスチナ問題とは状況も規模もまったく異なります。
単純に重ね合わせることはできません。
それでも私は、この二つの出来事のあいだに、ある共通点を感じました。

それは、「分断」へと向かう流れの中で、それでもなお、別の選択をしようとした意思があったということ。
過去の出来事に対して、憎しみや対立を深める方向ではなく、「赦し」、対話を深めることで未来をどう築いていくかという視点に立った選択。

日本はそのおかげで苦境を免れましたが、イスラエル・パレスチナだけでなく、世界各地で今も紛争が起きている地域ではそれが叶っていないということです。

分断の中で、人は何を選べるのか

映画『ホールディング・リアット』は、答えを提示する作品ではありません。
むしろ、簡単に答えが出ない問いを、静かに差し出してきているように思いました。

  • なぜ人は対立するのか
  • なぜ暴力が連鎖するのか
  • その中で、人は何を選べるのか

そしてもう一つ、「自分ならどうするのか」。

日本にいる私たちは、この問題を「自分ごと」として感じる機会は多くありません。
だからこそ、この映画を観なければ、知ることもなかった現実があります。

そして同時に、知ってしまった以上、完全に無関係ではいられないという感覚も残ります。
しかし私はまだ、この問いに対する答えを持っていません・・・

最後に:監督ブランドン・クレーマーのメッセージと共に

この映画を観ていて強く感じたのは、ここまで個人的で、感情の深い部分にまで触れている作品は、そう多くはないのではないかということでした。

ただ出来事を記録するのではなく、そこにいる人たちの揺れや葛藤までもが繊細に映し出されている ──

なぜここまで踏み込むことができたのだろうと思っていたのですが、パンフレットを読んで、その理由が少しわかった気がしました。
この作品の監督ブランドン・クレーマー(Brandon Kramer)と、プロデューサーの一人で兄のランス・クレーマー(Lance Kramer)は、リアットたちと親族関係にあり、カメラの外でも彼女とその家族を支える立場にあったといいます。
だからこそ、この映画は「外から見た記録」ではなく、関係性の中で紡がれた記録になっていると言えるかもしれません。

とはいえ、同時にそれは、簡単なことではなかったはずです。
近しい関係だからこそ、どこまで踏み込むのか、何を映すのか、そして、それを世に出すことの重さ、恐怖。
そのすべてに葛藤があったのではないかと思います。
それでもなお、この物語を記録し、伝えることを選んだ。
だからこそこの作品は、単なるドキュメンタリーではなく、観る側の感情にまで深く入り込んでくるのだと感じました。

flyer Holding Liat ホールディング・リアット チラシ
映画 『ホールディング・リアット』チラシ

ちなみに、この映画のチラシにはおそらくマーケティングの観点でダーレン・アロノフスキーがプロデューサーであることがアピールされていて、もちろんそれもそうなのでしょうが、私には、「鬼才」という看板文句よりも、兄弟が紡いだ「家族の対話」に心が打たれました。
監督とプロデューサー/ブランドン&ランスクレーマー兄弟の強い連携こそが、この過酷な物語を映画として成立させた真の力ではないかと思うのです。

ここで、パンフレットに記載されていたブランドンによる”監督メッセージ”の後半部分を引用させていただきます。

人質は拘束されたまま、数万人のパレスチナ人が命を落とし、双方で人々が苦しんでおり、こうした諸問題をめぐる議論は、コミュニティや家族内ですらますます分極化しています。
直接的な影響を受けたある家族の物語と、彼らがお互いの違いをどう乗り越えたかを描いた本作が、この戦争を理解するための新たな可能性を開くこと、そして暴力の連鎖の終結に寄与することを願っています。
この映画が数え切れないほどの物語の中のたった一つの家族の物語に過ぎず、多くの重要な物語が悲劇的に語れることなく終わるかもしれないことを、私たちは痛感しています。
この家族のレジリエンスと率直さ、そして理解を広げようとする本作のみならず、イスラエルとパレスチナを扱った他の映画を通して、観客がより深い問いを投げかけ、癒しと和解への道筋を見つけるきっかけになることを願っています。

この映画が世界で初めて上映されたのは、2025年2月の第75回ベルリン国際映画祭でのワールドプレミア上映の時で、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。

ドキュメンタリー映画、特にこの作品のようなデリケートで複雑な政治・歴史的背景を扱う作品は、日本への導入に慎重な調整が必要なのが多いこともあり、その世界初上映から1年以上を経ての日本公開となります。

この公開に向けて届けられた、監督からの日本へのメッセージ動画もありましたので、こちらも埋め込ませていただきます。

映画『ホールディング・リアット』ブランドン・クレーマー監督より日本へのメッセージ

私も、このメッセージが少しでも多くの人の心に届くことを願っています。

なお、この映画は全国一斉公開ではなく、「順次ロードショー型」で、各地1週間前後の限定上映をリレーしていく形で上映されています。
私が観てきた仙台フォーラムでの上映は5月7日(木)で終わってしまう予定ですが、その後も上映される地域はありますので、気になる方はぜひご確認くださいませ。

✔️『ホールディング・リアット』上映情報:https://unitedpeople.jp/liat/scr


あなたは
「生かされた」と
感じたことがありますか?

大切な生かされている命
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こんなに泣けるとは思わなかった 映画『ハムネット』

〜 現実の中にある物語について 〜


映画を観終えたあと、しばらく席を立てませんでした。
物語の余韻もあれば、さらには個人的な何かが胸の奥に触れていた感覚があって──
それが何なのか、すぐには言葉にできなかったのです・・・

To be, or not to be, that is the question.
生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ。

この、あまりにも有名なセリフはいかにして生まれたのか。
映画『ハムネット(原題:Hamnet)』は、シェイクスピアの名戯曲「ハムレット」誕生の背景を描いた作品です。

けれども、単なる“偉人の物語”ではありませんでした。
むしろそこにあるのは、誰かを失うこと、残された人がそれでも生きていくこと、そしてその想いが形を変えて何かを生み出していくという、激動の中にも静けさのある、確かな人間の営み。

映画『ハムネット』予告編

観る前から泣ける映画なんだろうなとは思ってはいたものの、私にとってのそれは全く想像していた以上でした。

さて、まずこの作品を語る上で欠かせないのが、監督クロエ・ジャオ(Chloé Zhao)の存在です。
彼女の代表作で、アカデミー賞受賞も果たした『ノマドランド』を観た方ならわかると思いますが、

  • 過剰に説明しない
  • 感情を押しつけない
  • 余白の中で“感じさせる”

という独特の作風があります。

なお、映画『ノマドランド』についての私の過去記事はこちらでして、
→ アカデミー賞受賞作「ノマドランド」に見る壮大な風景と生きる意味
偶然ですが、『ノマドランド』にはシェイクスピアの美しい詩が引用されるのですが、そのことにも触れてます。

今回の『ハムネット』もまさにその延長線上にあって、ともすればもっとドラマチックにも描けるであろう題材を、あくまで静かに、しかし確実に心に染み込ませてくるような演出が印象的でした。

さらに、この作品で個人的にとても印象に残ったのが、配役に関するエピソードです。

物語の後半、妻アグネスが夫ウィルの舞台「ハムレット」を観に行き、舞台上のハムレット王子に亡き息子ハムネットの面影を見るシーン。
映画鑑賞中は、私は単純に「似ている俳優を選んだんだな」と思っていました。

けれど後からパンフレットを読んで知ったのは、

という兄弟俳優がキャスティングされていた、という事実。

つまり“似ている”のではなく、本当に似ている存在だったということです。

この事実を知ったとき、感じ方が少し変わりました。
あのシーンについては、この映画の原作者マギー・オファーレル(Maggie O’Farrell)の想像によるもので、完全にフィクションであることは明白です。
しかしながら、感情の部分が現実にぐっと近づいているような、そんな不思議なリアルさを感じたのです。
それは、こうした細やかな演出があってこそのことで、この作品の静かな説得力を支えているのだろうと思いました。

これは私の勝手な想像と見方ですが、現実でもシェイクスピアは息子ハムネットを想いながら戯曲「ハムレット」を文章で綴って、さらにその舞台を演出した時には、やはりハムネットに似た人を配役したんじゃないかと思うんですよね。
今回の映画『ハムネット』での、クロエ・ジャオ監督によるキャスティングも、それと重なる部分があるなと。

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この映画は史実をベースにしながらも、その核心部分はあくまで“想像”で描かれています。

ウィリアム・シェイクスピアと結婚したアグネス(公的な記録としての名はアン・ハサウェイ)は、長女に男女の双子と3人の子供を儲けるが、ウィル(シェイクスピア)は一家の住まいから遠く離れたロンドンでキャリアを模索、その間に訪れる息子ハムネットの死、そしてその後に戯曲として「ハムレット」が書かれたという事実。

一方で、同時にあったはずの感情や出来事は、記録としてはほとんど残っていません。
だからこそこの作品は、

「史実の再現」ではなく、“あり得たかもしれない心の動き”を描いている

そう感じました。

シェイクスピアが息子の死をきっかけに悲劇を書くようになった、という明確な記録もないといことですが、私は、きっと無関係ではないだろうと思っています。

シェイクスピアほどの偉大な存在でなくても、私たちは日々の経験や出来事を通して、考え方や表現が少しずつ変わっていくものです。
それはきっと、アーティストであればなおさらで、人生の中で起きた出来事が、何らかの形で作品に影響を与えるというのは、ごく自然なことではないでしょうか。

戯曲「ハムレット」という作品の奥に、ひとりの父親としての想いが重なっていたとしても不思議ではない、そう思います。

flyer Hamnet 映画 ハムネット チラシ
映画『ハムネット』チラシ

そして実は、観ている最中から観終わったあともずっと、私の中で何かが揺れていたのですが──
その理由にふと気づいたのは、映画館を出た後の帰り道でした。

私は、亡き祖父母のことを思い出していました。
祖父母の間には、長男(私の父)と2人の娘、双子の点や順番は違いますが、ウィルとアグネス同様に、3人の子供がいました。

そして、私の生まれ育った家は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)にあり(震災により今はありません)、祖母はそこで美容室を営みながら、家族を支えていました。
一方で祖父は画家として活動していて、祖母は「こんな田舎では日の目を見ないから」と、祖父の背中を押し、東京へ送り出したそうです。

映画『ハムネット』に描かれているウィル同様、祖父は時々しか家族の住む家に戻って来ない存在だったので、祖母はその間、アグネス同様に、女手一つで子どもたちを育てていました。

決して派手ではないけれど、誰かの人生を信じて支えるという、強くて静かな選択。

今回の映画の中で描かれていた夫婦の関係性や家族の在り方が、どこか重なって見えたのは、きっとそのせいだと思います。

もちろん、シェイクスピアの人生と、私の祖父母の人生はまったく別のものです。
けれどこの作品を通して感じたのは、

「特別な人の物語」ではなく、「どこにでもあり得たかもしれない人間の物語」

でした。
だからこそ、こんなにも深く心に触れたのだと思います。

私の祖父母についての話は少し特殊かもしれません。
しかし、人を愛する幸福感や、大切な人を失った時の喪失感などは、多くの人が体験していることではないでしょうか。

そしてもう一つ、この映画を観て強く感じたことがあります。
それは、

人は、自分が体験したことや想ったことを通じてしか、本当の意味で何かを生み出せないのではないか

ということです。

シェイクスピアの息子を失ったという悲しみが、やがて「ハムレット」という作品へとつながっていったのだとしたら、そこには単なる創作を超えた“必然”のようなものがあったのではないかと感じずにはいられません。

映画の中の出来事はフィクションも多く含まれているはずなのに、どこか現実のように感じられたのは、そうした“あり得たかもしれない感情”が丁寧に描かれていたからなのだと思います。

また、「現実は小説より奇なり」という表現がありますけれども、

現実の中に、すでに物語はある

私はそんな風に思いました。

映画 ハムネット パンフレット シェイクスピア 文庫 本 ハムレット マクベス
映画『ハムネット』パンフレットとシェイクスピアの悲劇「ハムレット」「マクベス」新訳文庫本

映画『ハムネット』は、必ずしも全ての人に強く響くものではないかもしれません。
けれどもし、どこかで自分の中の「やわらかさ」や「痛み」に触れたことがある人なら、きっと何かを感じ取れる、静かで、あたたかくて、そして確かに胸に残る作品だと思います。

映画レビューなのに、今回はだいぶ個人的なことも書いてしまいましたが、私はこの映画を観たことで、祖父母のことを、もう一度ちゃんと書いてみたいなとも感じました。
祖父母については以前にもブログに書いたことがあるのですが、今回観た映画『ハムネット』をきっかけに、その記憶の見え方も少し変わった気がしています。
もしご興味がありましたら、そちらもあわせて読んでいただけたら嬉しいです。

私の大切な祖父母についての過去記事はこちら:
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その1/おしんのような経験を持つ美容師
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その2/ずっと秘密にされてきた二人の馴れ初め
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その3/家庭を持っても単身生活を続けた画家

毎回意外なことを思い起こさせてくれる映画。
つくづく映画ってやはり素晴らしいです。
大好き。そして感謝。

✔️『ハムネット』が上映されている劇場はこちら:
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=RsbAfzMx


あなたの身近にも
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