またも大地震、生かされていることに感謝

そんなわけで今回もインスタグラム投稿のまとめにて


今年(2022年)もこの時期に襲われる大地震・・・なぜか雪とセットだし・・・
一体なんなんでしょうね。周期でもあるのでしょうか・・・

それでも、、、いや、だからむしろか、生かされている実感があるので、備忘録と感謝の気持ちをこめてインスタグラムに投稿をしましたので、こちらもそのアーカイブにて。

ちなみに、昨年もあった地震時の記録はこちらです。

今回はこれ以上にひどかったけど、やっぱり生かされてるんだなって思います。
3連休も何かとあっという間で、いまだ片付け切れていない我が家だけど、これしきで、嘆いてなんていられないの!
明日からもまた、私を必要としてくれる人々のために、がんばろぉー♪( ´▽`)/!!


東北在住の皆さま、
大丈夫でしたか…?
生きてゆきましょうね!!

父の命日に改めて想う

我がルーツに感謝し、日々を大切に生きる


昨日(2月10日)は父の命日だったこともあり、今日(2022年2月11日(金)祝)はお墓参りに行ってきました。

私の実家の本来のお墓は名取市閖上(ゆりあげ)の地にあり、私の父が亡くなってからもう10年以上の月日が経っていますが、東日本大震災後、場所を変えることとなりました。
また、母の実家も名取市の北釜(きたがま)地区で、同じく震災の影響をもろに受けているので、こちらもお墓は移動していますが、それぞれの距離が近くなったこともあり、どちらも合わせてお参りすることが多いです。

お墓参りには、一人で行くことや弟家族と行くこともありますが、ほとんどは母方の叔母が一緒に行ってくれます。
その叔母は、母の実家に嫁いだお嫁さんにあたる人で、私とは直接血の繋がりはありませんが、私にとっては誰よりも頼りになる親族です。

叔母の旦那さんである、私にとって兄であり父のような存在だった叔父(私の母の実弟)は、震災によって心を病んで自ら命を絶ってしまい、誰より辛い想いをしているのは叔母ですが、生前の叔父がしてくれていたように、いつも私を支えてくれていてるので本当に感謝が尽きません。

いつも叔母宅に行くたびに美味しい料理を準備してくれます。
今回は、お寿司もありがたかったけど、手作りの大根料理の数々(特にソテー)がめっちゃ美味しかった!!


丁度、先月は叔父の命日、来週は交通事故で亡くなってしまった母方の祖父の命日、そして来月の今日は東日本大震災の日。
だから今日のお墓参りには色々な気持ちがこもります。。。

私が、今、こうして生きていられること、生きていたいと思えるのは、私自身の親族の存在、ルーツがあってのことです。
生きているのが嫌な時、なぜ自分の存在があるのかわからない感謝できないという時もあった私が、今は心から感謝の気持ちで生きていられる。
亡くなってしまった親族達のお蔭と言ってしまうと虚しい気もするけれど、それも事実のひとつ。
私は生かされているのだ。だから、これからも日々を大切に生きていきたい。
そう改めて想った本日でした。

世の中には、過去の私のように、生きている意味がわからない、辛い、といった想いを抱える人がいらっしゃるとは思いますが、無駄にすべき命なんてない、生きる喜びは誰にでも感じられることなのだということに気がついていただけたら・・・そう願っています。

今日も、生かしていただいて、ありがとうございます。
きっと明日も、生きる喜びを感じる一日。そう既に思えていることに感謝です。

関連記事:叔母の愛とクロネコヤマトさん/私が生活できている理由


あなたは
生きる喜びを
感じていますか?



日本の公害汚染を伝えた写真家ユージン・スミスの遺志を継ぐ映画

史実に基づく映画「MINAMATA ーミナマター」から考える生命


科学が発達した現代、私たちは生きるためにその研究や開発からたくさんの恩恵を受けることができています。
しかし人類が押し進める発展によって時に起こる公害汚染という問題。

日本で記憶に新しいのは、ここ宮城県の隣で発生した「福島第一原発事故」がありますね。
これは2011年の東北地方太平洋沖地震による原子力事故で、10年を過ぎてもなお問題は解決していないことは、日本人なら誰もが知っている通り。


しかし、日本で起きた公害汚染といえば、今からさらに遡ること65年、熊本県で発生し、1956年に公式認定された水俣病については、どれだけの人が理解をしているのでしょうね。

私はと言えば、水俣病と公害汚染については、小学校での社会科の授業を通して知った世代です。
日本の四大公害病として他に、富山のイタイイタイ病、三重の四日市ぜんそく、新潟の第二水俣病、テストに出ましたよね。

水俣病は、工場から排出された有機水銀によって体が侵され、中枢神経を中心とする神経系が障がいを受け中毒性疾患となってしまった人が大勢いる公害病で、私は子どもながらに、何となく戦争と同じような怖さを感じ、この時代の熊本の住民に生まれなくて良かったという感覚を持ったことを記憶していますが、その程度で、自国のことでも、訪れたこともない所の自分には関係のない問題といった感じで、それほど考えたことはありませんでした。

映画「MINAMATA ーミナマター」のチラシ(表)
(画像をクリックするとPDF画面が開き、拡大できます)

そんな私が、伝説の写真家とも言われるユージン・スミスが追い世界に伝えた水俣病の真実を、ジョニー・デップ主演によって映画化されたということで話題の「MINAMATA ーミナマター」を観てきました。
(私はフォーラム仙台で観ましたが、2021年9月26日現在、宮城県内では数カ所で上映中です)

映画は、ジョニー・デップ演じるユージン・スミスが、自身が撮影した写真を自宅の暗室で現像作業をしているところから始まります。
BGMに流れるロックな音楽と赤みを帯びた暗室で作業をするその姿はとてもクールで、写真が趣味の一つである私はその出だしでかなり引き込まれました。

しかし、そのかっこいいオープニングも束の間、重くて深刻な物語へと変わっていきます。


映画の中盤、公害汚染を引き起こした企業であるチッソ社の社長が、真実を知らされてはならないと、ユージンを丸め込むために「我々が行なっているのは人類のため、犠牲になるのは漁業なんかを営む少しの人達だけ」といった発言をする場面があったのですが、それには映画鑑賞者としても憤りを感じ、これが映画の中でのセリフとは言え、現実にもあんな被害を起こし、責任逃れをしてきた企業と国はやっぱりおかしいよと改めて思いました。

この映画は、あくまでも”史実に基づく物語”であり、フィクションですが、実際に当時撮影された写真や映像も挿入されており、一層胸が締め付けられる思いがしました。

映画「MINAMATA ーミナマター」のチラシ(裏)

映画にも登場するもう一人の実在の人物でもあるユージンの元妻アイリーン・美緒子・スミスさんが
”ユージンは、決して諦めず、何があっても真実と向き合う人でした。何より大切にしていたことは、被写体と写真を受け止める側、両者への責任でした。
と述べています(映画「MINAMATA ーミナマター」の公式サイトより)。

この映画でも、ユージン・スミスは、酒浸りで自分勝手、複雑な性格を持ちながらも、人との繋がりを大切にし、真実を伝えるために命をも賭けた人であったことが描かれています。

そして、こちらはこの映画のキャッチフレーズ。

” 一枚の写真が世界を呼び覚ます ”

動画が主流となった現代、TVは興味ない私でも、映画は大好きだし、インターネットにアップされた動画も観ますし、たまに自分で動画撮影することもありますが、動画よりも一瞬を切り取る写真からの方が、ずっと強いメッセージを受けると感じることがあります。
一瞬のために渾身が込められた写真にはやはり見るものを捉える力があり、人は心を動かされることがあります。

ユージン・スミスは、世界の人に真実を伝えたいと、時には重症を負いながらも写真を取り続け、報道写真家として壮絶な人生を送り、その生涯は59歳で幕を閉じてしまいますが、彼の写真と生き方は、こうして今も私たちに訴えかけています。

人としての心や生きるものの命を奪ってまでしてなされる科学と経済の発展が人類が目指すゴールなのか、本当の意味での人としての豊かさとは何なのか、生かされている私たちには忘れてはならないことがあるのではないかと深く考えさせられる映画でした。

映画「MINAMATA ーミナマター」のパンフレット

なお、この映画のエンドロールでは、ユージン・スミス氏には直接関係ありませんが、写真とともに世界で起こった数々の公害汚染事件が紹介されます。
普段はエンドロールは見ずに席を立つ人も、是非最後までご覧になって、私たちが生かされている美しく大切な地球の環境について、そして生きとし生けるものの命について、考えてみる時間にしてみてはいかがでしょうか・・・


あなたは、加速される
科学と経済の発展について
どう思いますか?
公害汚染

地震による傷口を覆う誓い

‘想い’は ‘誓い’と言えるほど強いものに


昨晩(2021年2月13日)、23時7分、福島県沖の大きな地震がありました。
ここ仙台、私の住む地域は震度5強だったそうです。

発生時は、3.11の時の感覚が蘇り「またなの・・・?」という言いようのない恐怖感。
何もなすすべなく、部屋の一番安全と思われる場所で、ただ膝を抱えて、待つだけ・・・

でも、揺れが収まってからは、10年前より多分マシというのが直感としてありました。

とはいえ、部屋は大変なことに・・・
一番大きな本棚が倒れ、キッチンも物が散乱し食器類もいくつか割れ、古いマンションで、住んだ時からたてつけが悪かった玄関の収納は案の定めちゃくちゃ・・・

部屋はこの通りひどい惨状だけど、でも、運よく、携帯も使え、ネットも見られる、電気やガス、水道といったライフラインは問題ない、津波の心配はないってことだし、翌日は日曜、部屋さえ綺麗にすればいいだけ。
過去の経験があるからこそ、昨晩の時点で、そういう安心感はありました。

だけど、大丈夫なのはわかってるんだけど、心臓の鼓動が平常ではない。
心が落ち着かず、ざわつく。
私は軽度だと思うけど、こういうのをPTSD:心的外傷後ストレス障害というのでしょう。

私でさえこうなんだから、相当な不安感を抱え、震えている人もいるだろうな・・・

一度受けた深い傷というのは、いくら年月が経っても、そう癒えるものではない。
傍目にはわからないけど、苦しんでいる人がいるってこと、癒しを必要としている人がいるってこと、忘れないで、私に何ができるか考えよう。
そんなことを改めて思いました。

熟睡などできるはずもなく、疲労感と共に朝を迎えて、変わり果てた部屋の様子に呆然としながらも、重い腰を上げ、ちょっと片付けてはため息をつき、人には動かすのが大変な棚などが動いていることに、自然の力ってすごいなと恐怖を抱くと共に感心もしつつ、やる気を失くす、の繰り返し。
全くもって、作業がはかどりません。

もう、あんまり頑張らないで、休憩入れがらやろう・・・
カオスなキッチンでお湯を沸かし、コーヒーを入れて、一服し、散々な部屋をボーッと眺めつつ思うのは、

厳しい試練をどうしてこうも与えられるんだろう・・・

目指しているのはオアシスなのか破壊された世界なのかという混沌とした現代にいる私たちに対して、人としての本来の心を失うな、生かされていることに感謝し、豊かな心を保つようにと、自然の怒りを使って神様が教えてくれてるのかなぁ

やっぱり、人生、大切に生きなきゃ・・・

いつ何が起こるか、わからない。
備えも大事だけど、先のことばかり考えて、不安を抱えて生きるよりも、今を幸せに生きることを考えよう。

仕事や与えられた使命に心込めて取り組みながら、コロナ禍という制限がある中でも、やりたいこと出来ることはやろう、行けるところには行こう、会いたい人には会って、感謝の気持ちを伝えよう。

遅かれ早かれ命は尽きるのだから。
その時に後悔がないように。
充実と、最高のありがとうの気持ちを感じて、自分の人生に幕を閉じることができるように。

これまで抱いていた‘想い’が、‘誓い’というさらに強いものに変わったように感じています。


あなたの
人生に対しての
誓いはなんですか?


人間の原点とは、生き、歩くこと

行為の意味〜出発の季節 より


ここ最近、憂いなニュースが続きますね。
災害やウィルスなどで望まない死を遂げる人がいる一方、自ら命を絶つことを選ぶ人も絶えなくて、人間の世界って儚いな、と感じます。

生きているのが辛い、という思いを抱えて、必死で生きている人は想像以上にいると思いますし、特別な辛いことがなくとも、生きている意味がわからない・・・そういう思いを抱えている人も、この現代では、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。

命ってなんなんだろうか・・・
自分はなんでこの世に生を受けたんだろうか・・・

生きる意義を見出せずにもんもんとしてしまうような、そんな時。
心に静寂がもたらされそうな詩を、先日ご紹介しました宮澤章二さん著作「行為の意味」より、今回は一番初めの章「出発の季節」から、抜粋して紹介させていただきます。


原点について

鳥が鳥である 原点
それは つばさを持ったこと
魚が魚である 原点
それは 水中に生まれたこと

ぼくらは ぼくら人間の原点について
一度でも考えてみたことがあるか……

鳥たちは つばさを持ったから 飛ぶ
魚たちは 水中に生まれたから 泳ぐ

ぼくら人間は 直立する人類として
生き 歩く その意識を初めから持った

−−−歩いていこう 生きていこう
それが 意思する人間の原点であるなら
ぼくらは 常に その原点に立とう


自分の生きる使命を見いだすことができたら幸運でしょうけども、何も、それが全て、というわけではないのかもしれません。
人間は、生き、歩くもの。ただ、それだけ。
そう肩の力を抜いて生きるのも一つなのではないかと考えられれば、だいぶラクになりそうな気がします。

でも、そんな怠慢ダメな気がする、と思ってしまう真面目なかたには、こちらの一編はいかがでしょう。


人間として生きたい

ふと怠けたくなる日があるんだよ
なんにもしたくない日があるんだよ
ぼくらは 生きている人間なのだから
調子の悪いときだって ずいぶんあるんだ

人生を歩き続けるためには 意志が必要で
意志は 鍛えることで強くなるのだから
ぼくらは その努力をしなければならない

努力するのが 人間のつとめで
最初から放棄するわけにはいかない
そんな みっともないことは出来ないよ
ぼくらは人間として生きたいのだから

怠けたい日には ちょっと怠けていい
後ろめたい思いなんか捨てていいんだよ
怠けながら力を蓄えることだってあるんだ


あくせくしすぎて、十分な充電も出来ずに走り続けるよりも、生きるためゆえの休息。
何が本当に大切なのかを考えるための時間を持つこと。
せっかくいただいた命だからこそ・・・

関連記事
生きる礎を感じられる本「行為の意味」/宮澤章二氏著作の詩集「行為の意味 ―青春前期のきみたちに」
自分を信じて進む/行為の意味〜前進の季節 より
強くあたたかく生きる心/行為の意味〜結実の季節 より


あなたは
エネルギーチャージ
できていますか?



「行為の意味―青春前期のきみたちに」宮澤 章二(著) ごま書房新社
「行為の意味―青春前期のきみたちに」宮澤 章二(著) ごま書房新社

障害者とボランティアの実話を元にした映画

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話


友達から勧められた映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」を観ました。

札幌の鹿野靖明(しかのやすあき)さんという、筋ジストロフィーを患い、自ら多くのボランティアを集って、自立生活を送った、実在の人のお話で、2018年に公開された映画です。

この鹿野さんという人の、体は不自由であるにも関わらず、心が自由という生き方を描いたこの映画に、あまりにも身勝手過ぎると不快感を感じるかたもいらっしゃるようです。

でも、この人、余命宣告されてる人なんですよ。
そして、脳はしっかりまともなのに、自分では体が効かないから、人に全てをさらけ出す必要もあるわけです。

もし、自分がそんな立場だったら・・・?

「俺は一日一日が勝負なんだよ。」

「人はできることより、できないことの方が多いんだぞ。」

五体不満足であることを受け入れ、自分らしく生きるために短い生涯を全うした、鹿野さんと、彼を支えた心あるボランティアの方々の物語には、五体満足である私たちにこそ、考えさせられることがあると思いました。

筋ジストロフィー:筋肉の機能に関与している遺伝子の異常によって発生する難病で、筋力低下、筋萎縮が生じ、運動機能障害をもたらす。

正直なところ、私には、鹿野さん役を演じた大泉洋さんは「大泉洋さん」と感じてしまう部分があり、感情移入し切ることができなかったのですが、とても難しい役を演じきった大泉さん、本当にすごいと思います。

また、この映画の公開後、鹿野さんご本人とこの原作者である渡辺一史(わたなべかずふみ)さんらについて、ニュースで取り上げられたものがYouTubeにアップされていますので、こちらも併せてご覧いただけると良いかと思います。

なぜ人は支え合うのか。
渡辺一史さんの視点には非常に興味があるので、出された本も是非読んでみたいと思っています。


<渡辺一史さんが書かれた、この映画に関連する2冊>

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)

なぜ人と人は支え合うのか (ちくまプリマー新書)


あなたにとって
自分らしく生きるとは
なんですか?

 

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 [DVD]

開設から1ヶ月☆

支えてくださる皆さまに感謝いたします


当ウェブサイトを開設してから1ヶ月が経ちました。
初めてイチから自分で作るホームページで、まごつきながらやって参りましたが、やっぱり、過ぎてみるとあっという間です。

1日、1投稿、私なんかの語りが何かになるのか、という思いもありつつではありますが、支えてくださる皆さまのお蔭で、毎日、苦になることなく続けることができました。
見守ってくださって、ありがとうございました。

実は、自分のウェブサイトを持つことについては、新型コロナウィルスが全く初めてのきっかけだったわけではなく、構想はしばらく前からあったことでした。
多分、臨床美術に出会った頃から既に考えていたと思います。

それまで、この世から消えて、みんなの記憶からも存在がなかったものとしていなくなることができたらどんなに良いか、と散々考えた自分だからこそ、できることがあるんじゃないか?と、ずっと考えていたんです。

せっかく命を与えられたにもかかわらず生きづらいと感じている人には、少しでもラクになってほしいし、私自身、いつも楽しく笑って、心が安らげる人で囲まれた環境で過ごしたい。そういう世界をつくっていきたいな・・・

そう思っていたのですが、なかなか一歩を踏み出せずにいました。

今回コロナがその後押しをしてくれるようなことになりましたが、そこには、今なら頼れる人がいると思えたことや、共感してくれるであろう友人たちの存在に確信が持てていたからです。
本当に、ありがとうございます。

また、実際始めてみましたら、書きたいことが、結構あふれてくるんですね。
まだまだ見やすくするための修正が必要なところがあるにもかかわらず、1日24時間があっという間なので、なかなか追いつかずにいますし、投稿も、単なる自己満足でするつもりはないので、ちゃんとやろうと思うと、時間がかかってしまうのですが、正に、案ずるより産むが易しで。

もっと早く取り組んでおけば良かったと思うほどではありますが、でも、やらないで終わるようなことにならなくて、良かったと思っています。

せっかく与えられた、一度きりの人生ですから。
ぼーっとしてたら、あっという間なんで。
命に感謝し、心に素直に、悔いのないように、これかも歩んでいこうと思います。

今日は最後に、ここ最近読んだ本で、とても印象に残った言葉を紹介させていただきます。

「もちろん仕事は自分自身を生かす場でもありますが、もっとも大切にしているのは、『それで困っている人は本当に助かるのですか?』という問いかけです」

私が愛読している雑誌「暮らしの手帳」編集長を務められた松浦弥太郎氏の著作にあった一文です。
これは、単に綺麗事を言っているわけではなくて、人に必要とされ、ビジネス上の利益をあげるという点においても、ないがしろにできないないポイントでもあります。
仕事をする上でも、日常を過ごす上でも、心にとめておくと良い言葉だと思います。

私は、人生を豊かにするための知恵をたくさん与えてくれる松浦弥太郎さんの大ファンです。
松浦さんとこの本ついては、またの機会に改めて。

あなたにとって
24時間は長いですか?
短いですか?

“仕事でも、日常のちょっとしたことでも、スピードばかりに気をとられていると、根本的なことを見落としてしまいます。何のためにやっているのか、立ち止まって考えることも大切です。”

松浦弥太郎さんが、2005年から9年間、編集長を務めたこの「暮らしの手帳」は、大事なことを思い出させてくれる、素敵な雑誌です。

久々の献血

誰かの命と自分のために


私は、以前は、献血が趣味みたいなもので、1・2ヵ月に1回は、ほぼ必ず、行くようにしていました。
しかし、ここ数年は、これまで書いてきましたように、他の趣味同様、気持ち的にも体力的にも余裕がなく、献血にも全く行かないでおりました。

でしたが、本日、久々に、献血ルームへ行って参りました♪

杜の都献血ルームAOBA 左手の写真は建物入り口、右手は建物内の献血ルーム入り口

かなり久々だったので、献血することができるか、ちょっと不安だったのですが、事前検査時、看護師さんからは、
「前回から随分経ってるみたいだけど、今まで80回以上、ありがとうございます
血液の状態も、これまでも良かったけど、今回もとても良い数値なので、今日もよろしくお願いしますね!」
と、明るく元気に言われて、嬉しくなっちゃいました♪

私は今日で、84回目でしたが、世の中には、100回以上という人がざらにいますので、私などは、まだまだです。

というわけで、献血、頻繁に行くかたもいらっしゃるとは思うのですが、逆に、献血なんて怖い、とか、興味はあるけど行ったことなくて・・・というかたもいらっしゃるかと思いますので、簡単に、献血の種類と流れなどについて、ご紹介しますね。

なお、次回の献血まで開けなければならない間隔や年間の可能回数なども、種類によって異なります。
詳細は、日本赤十字社のページをご参照ください。

血の巡りの良い人とそうでない人、その時の体の状態などで、献血時間にも差がでます。
私は、献血の最中、血の巡りが良くなるよう、意識して腹式呼吸をしたりしていますが、血液のポンプの働きがイマイチの時は、看護師さんからホカロンを渡されたり、手をにぎにぎする道具を渡されることもあります。

ちなみに、今日、私は400ml献血をしました。
時間的にはこんな感じでした。

今日は、たまたま私が行った時は人が少なくて、待ち時間もほとんどなく、全てがスムーズに流れましたので、だいぶ早かったです。混み合っている時や、成分献血となると、倍以上かかることもあります。

私は、子供の頃は体が弱く、頻繁に病院に通っていたため、変に注射慣れしていました。
なので、献血も、全く苦にならないんです。針刺されるのがちょっと快感なくらい・・・ヤバイ人ですね(苦笑)

献血は、検査のための採血と、献血としての採血で、1日で左右両方の腕に針を刺されることになりますが、これも慣れかなと思います。
どうしても献血中は違和感あることが多いと思いますが、針刺さってますし、血が巡ってますしで、仕方ないです。
これで、新しい血液が生成されることになりますし、私は、生きてるってことを実感する時間にしています。
でも、よっぽど痛い時などは、看護師さんに言った方が良いですので、無理しませんように。

もしまだ行ったことないけど、自分も役に立てるならやってみたいと思われるかたは、是非、チャレンジしてみてくださいね。
誰でもできるボランティアです。きっと、心も清々しくなると思います♪

また、複数回献血クラブという会員システムがあって、会員として登録すると、ポイント数に応じてプレゼントがもらえたり、ネットで自分のこれまでの献血履歴や、血液のデータなど確認できます。これも時代とともに、どんどん良いシステムになってます♪
自分の健康状態の把握にも役立ちます。特に、コレステロール値とかもわかるので、自分の戒めにも良いです。


なお、仙台には、献血ルームは杜の都献血ルームAOBA献血ルームアエル20の2カ所あります。


以上、繰り返しではありますが、献血についての詳細は、日本赤十字社のホームページに掲載されていますので、ご参考になさってみてください。


あなたの血液力は
いかほどでしょう?

臨床美術を初体験した時の感動 その1

臨床美術に出会うまで 〜東日本大震災というきっかけ〜

2011(H23)年3月11日(金)14時46分18秒、東日本大震災(総務省消防庁の記録写真)が起きました。
誰もがショックを受けた大事件でしたが、私自身も直接的なダメージを受けるとは、本当に信じられないことでした。

私は、赤貝で知られる港町、名取市閖上(なとりしゆりあげ)の出身です。
震災当時は、実家を離れ、名取駅そばに住み、仙台市の職場に通っていました。
実家は、毎朝競りの声が響く港のすぐ近く。子供の頃から、地震の時は津波が来たらどうしようと怯えたものでしたから、大地震が起きたその日は、実家や家族がどうなってしまうかとそれまで感じたことのない恐怖に襲われました。

幸いにも、当時住んでいた祖母と弟夫婦一家は無事でしたが、実家は根こそぎ流され、身内では、母方の祖母が津波により亡くなりました。
そして、その翌年の1月には、震災で心を病んだ叔父が自死しました。

叔父は、私のことを常に気にかけてくれていて、父が癌で亡くなり、その後母が家を出ていった後も、誰より私を支えてくれた、私にとって兄であり父のような存在でした。人望もあり、常にリーダーシップを取って、周りを盛り上げるような人でした。そんな叔父が精神を病み、見た目まで小さくなっていく姿は、見ていてとても辛かったのですが、私は、何もできませんでした。

この頃、私は命について深く深く考えました。

なんでみんな死んでいってしまうの?
私は良い歳して独り身で、そのくせ大したこともしていない、私みたいな人間のほうが生きているのに相応しくないのに。
なんで私なんかが生きているんだろう?
私なんか、生きている意味ない・・・

はじめに」でも触れました通り、震災以前から、生きているのが辛いと感じていたような私には、そんな思いが長いこと強かったのですが、ある時、私は生かされているんだという気持ちになりました。

地元で震災があったにも関わらず無事だった自分に比べれば、もっとずっとひどい思いをしている人がたくさんいることや、私自身何度も体験している身近な人を失った時の悲しみを考えると、こんな私でも、死んだりしたら、誰かは悲しんだり、少なくとも人に迷惑をかけてしまう、といったことを改めて考え、気持ちが変わってきたのです。

「与えられた命を全うし、世の役に立ちなさい」と神様仏様に言われているのではないか?
そうとらえて生きていこう、と思えるようになったのでした。

そんな時に出会ったのが臨床美術です。
臨床美術に、私は魂が震えるような感覚を得て、自分自身の心の中にも周りにもあたたかい世界を広げる可能性を感じることができたのです。

…ここまでのお話が長くなってしまいました。お読みいただき、ありがとうございました。
短くまとめるつもりだったのですが、やっぱりこの経緯とかきっかけとかが今の自分にとって大切であるように感じるので、記しておくことにします。

また次回に、本題の臨床美術の初体験について書かせていただきます。
ご興味持っていただけるようでしたら、続けてご覧いただけましたら嬉しいです。


この記事の続きは、こちらです↓
臨床美術を初体験した時の感動 その2


あなたは与えられた命を
大切に生きていらっしゃいますか・・・?