映画 ホールディング・リアット (HOLDING LIAT) パンフレット  

ドキュメンタリー映画『ホールディング・リアット』で知る冷厳な現実

〜 だけど分断の中にも希望を見出したい 〜


正直なところ、この作品のチラシが映画館に出されたばかりの当初は「私の観たい映画リスト」には入っていませんでした。
しかし、いつものように映画館に足を運び、予告編を何度か目にするうちに、なんとなく気になってきたんです。
まぁ、そんなことはよくあること。
そんな軽めの流れで観に行った、『ホールディング・リアット(原題:Holding Liat)というドキュメンタリー映画でした。

…けど、これはとても軽い気持ちで観られるような映画ではありませんでした。
もちろん予告編を観た時点で気づきつつはありましたけれども…

映画『ホールディング・リアット』予告編

ところで、この映画のタイトル『ホールディング・リアット(原題:Holding Liat)』ですが、私は初め、英語「holding」には「保持」とか「占有」という意味があるので、「人質として拘束されているリアット」という意味合いなのかなと思っていました。
でも「holding」には「抱きしめる」や「支え続ける」「つなぎとめる」といった意味もあるんですよね。
映画を観てからは、そのタイトルには、「リアットという存在を手放さずに受け止め続けようとする家族の思い」が重なっていると感じられました。

理解できない現実と、湧き出る怒り

この映画が描いているのは、イスラエルとパレスチナという長く続く対立の中で起きた出来事です。

日本という島国に住む私には遠い国の話。
ニュースで断片的に目にすることはあっても、どこか現実感を持てずにいた世界。

でも、この映画は違いました。
それは「大きな問題」ではなく、一つの家族の出来事として描かれているからだと思います。
だからこそ私は、その現実を「自分の感情」のように受け取ってしまったのかもしれません。
涙を流さずにはいられない苦しさや悲しさと同時に、怒りの気持ちが湧きました。

なぜこんなことが起きるのか。
なぜ人の命が奪われるのか。
どうしてそれが、どこかで「仕方のないこと」として扱われてしまうのか。

知れば知るほど単純ではない

改めて私はこの問題について少し調べてみました。
イスラエル・パレスチナ問題は、単なる争いではなく、歴史・宗教・土地・安全保障といった様々な要素が絡み合った、非常に複雑な問題です。

イスラエル・パレスチナ紛争/問題 概略図
イスラエル・パレスチナ紛争問題 概略図

どちらの側にも「理由」があり、どちらの側にも「失われたもの」がある。
だからこそ、単純に「どちらが正しい」と言い切ることはできない。
頭では理解できるようでいて、感情は追いつかないという感覚になります。

それでも、彼女が選んだもの

2023年10月7日ニールオズからガザ地区へと拉致され、パレスチナ人のもとで54日間人質となって過ごしたイスラエル系アメリカ人であるリアット・ベイニン・アツィリ(Liat Beinin Atzili)

映画『ホールディング・リアット』のパンフレットの裏表紙には、彼女による言葉がそっと記載されています。

3人の子どもたち、そしてガザの子どもたちのために、
より良い未来を築くことに焦点を当てたい。

映画 ホールディング・リアット (HOLDING LIAT) パンフレット  
映画 『ホールディング・リアット』パンフレット  

彼女は、怒りや悲しみを抱えていてもおかしくない状況にいたはずです。
それでも彼女は、「復讐」ではなく「未来」を選んでいる。
しかも、自分の子どもだけではなく、ガザの子どもたち、つまり「フェンス<対立>の向こう側にいる存在」まで含めて。

これは簡単にできることではないと思います。
むしろ、人間として自然な感情に従えば、違う選択をしてもおかしくない。
それでも彼女は、別の道を選んだ。
私はそれを、「感情を否定した」のではなく、感情を抱えたまま、その先を選んだ行為なのではないかと感じました。

「生かされた命」という問い

彼女の気持ちを本当の意味で理解することは、私にはできません。
それでも私は、彼女の選択の背景に、「生かされた命をどう使うのか」という問いがあったのではないかと感じました。

なぜ自分は生きているのか。
この命を、これからどう使っていくのか。

それは、極限の状況を経験した人だけが抱く問いなのかもしれません。
そして彼女は、その答えとして「未来を選ぶ」という道を選択したのではないか。
そう思わずにはいられませんでした。

もう一つの「赦し」の物語

実はこの映画を観た同日、偶然にも私は「分断」や「許し<赦し>」に関わる別の話を知りました。
映画『ホールディング・リアット』を観た直後にその話を知ったので、映画のこともこの話も残すべきではないか、そう感じたこともあり、このブログを綴っています。

それは、第二次世界大戦後、日本に対して寛容な姿勢を示したスリランカの話です。
当時の日本は敗戦国として厳しい立場に置かれ、分割統治、つまり「分断」される可能性もあったと言われています。
そんな中でスリランカは、日本を裁くのではなく、再び国際社会の一員として受け入れるべきだと訴えました。
結果として日本は分断を免れ、一つの国として再出発する道を歩むことになります。

スリランカが日本に示した「寛容」
スリランカが日本に示した「寛容」について(私の解釈に基づく図解です)

日本がもし分断されるようなことになっていたら、今頃一体どうなっていたのか…

もちろん、これはイスラエル・パレスチナ問題とは状況も規模もまったく異なります。
単純に重ね合わせることはできません。
それでも私は、この二つの出来事のあいだに、ある共通点を感じました。

それは、「分断」へと向かう流れの中で、それでもなお、別の選択をしようとした意思があったということ。
過去の出来事に対して、憎しみや対立を深める方向ではなく、「赦し」、対話を深めることで未来をどう築いていくかという視点に立った選択。

日本はそのおかげで苦境を免れましたが、イスラエル・パレスチナだけでなく、世界各地で今も紛争が起きている地域ではそれが叶っていないということです。

分断の中で、人は何を選べるのか

映画『ホールディング・リアット』は、答えを提示する作品ではありません。
むしろ、簡単に答えが出ない問いを、静かに差し出してきているように思いました。

  • なぜ人は対立するのか
  • なぜ暴力が連鎖するのか
  • その中で、人は何を選べるのか

そしてもう一つ、「自分ならどうするのか」。

日本にいる私たちは、この問題を「自分ごと」として感じる機会は多くありません。
だからこそ、この映画を観なければ、知ることもなかった現実があります。

そして同時に、知ってしまった以上、完全に無関係ではいられないという感覚も残ります。
しかし私はまだ、この問いに対する答えを持っていません・・・

最後に:監督ブランドン・クレーマーのメッセージと共に

この映画を観ていて強く感じたのは、ここまで個人的で、感情の深い部分にまで触れている作品は、そう多くはないのではないかということでした。

ただ出来事を記録するのではなく、そこにいる人たちの揺れや葛藤までもが繊細に映し出されている ──

なぜここまで踏み込むことができたのだろうと思っていたのですが、パンフレットを読んで、その理由が少しわかった気がしました。
この作品の監督ブランドン・クレーマー(Brandon Kramer)と、プロデューサーの一人で兄のランス・クレーマー(Lance Kramer)は、リアットたちと親族関係にあり、カメラの外でも彼女とその家族を支える立場にあったといいます。
だからこそ、この映画は「外から見た記録」ではなく、関係性の中で紡がれた記録になっていると言えるかもしれません。

とはいえ、同時にそれは、簡単なことではなかったはずです。
近しい関係だからこそ、どこまで踏み込むのか、何を映すのか、そして、それを世に出すことの重さ、恐怖。
そのすべてに葛藤があったのではないかと思います。
それでもなお、この物語を記録し、伝えることを選んだ。
だからこそこの作品は、単なるドキュメンタリーではなく、観る側の感情にまで深く入り込んでくるのだと感じました。

flyer Holding Liat ホールディング・リアット チラシ
映画 『ホールディング・リアット』チラシ

ちなみに、この映画のチラシにはおそらくマーケティングの観点でダーレン・アロノフスキーがプロデューサーであることがアピールされていて、もちろんそれもそうなのでしょうが、私には、「鬼才」という看板文句よりも、兄弟が紡いだ「家族の対話」に心が打たれました。
監督とプロデューサー/ブランドン&ランスクレーマー兄弟の強い連携こそが、この過酷な物語を映画として成立させた真の力ではないかと思うのです。

ここで、パンフレットに記載されていたブランドンによる”監督メッセージ”の後半部分を引用させていただきます。

人質は拘束されたまま、数万人のパレスチナ人が命を落とし、双方で人々が苦しんでおり、こうした諸問題をめぐる議論は、コミュニティや家族内ですらますます分極化しています。
直接的な影響を受けたある家族の物語と、彼らがお互いの違いをどう乗り越えたかを描いた本作が、この戦争を理解するための新たな可能性を開くこと、そして暴力の連鎖の終結に寄与することを願っています。
この映画が数え切れないほどの物語の中のたった一つの家族の物語に過ぎず、多くの重要な物語が悲劇的に語れることなく終わるかもしれないことを、私たちは痛感しています。
この家族のレジリエンスと率直さ、そして理解を広げようとする本作のみならず、イスラエルとパレスチナを扱った他の映画を通して、観客がより深い問いを投げかけ、癒しと和解への道筋を見つけるきっかけになることを願っています。

この映画が世界で初めて上映されたのは、2025年2月第75回ベルリン国際映画祭でのワールドプレミア上映の時で、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。

ドキュメンタリー映画、特にこの作品のようなデリケートで複雑な政治・歴史的背景を扱う作品は、日本への導入に慎重な調整が必要なのが多いこともあり、その世界初上映から1年以上を経ての日本公開となります。

この公開に向けて届けられた、監督からの日本へのメッセージ動画もありましたので、こちらも埋め込ませていただきます。

映画『ホールディング・リアット』ブランドン・クレーマー監督より日本へのメッセージ

私も、このメッセージが少しでも多くの人の心に届くことを願っています。

なお、この映画は全国一斉公開ではなく、「順次ロードショー型」で、各地1週間前後の限定上映をリレーしていく形で上映されています。
私が観てきた仙台フォーラムでの上映は5月7日(木)で終わってしまう予定ですが、その後も上映される地域はありますので、気になる方はぜひご確認くださいませ。

✔️ホールディング・リアット上映情報:https://unitedpeople.jp/liat/scr


あなたは
「生かされた」と
感じたことがありますか?

大切な生かされている命
When you take a breath?

検索窓に映る、私たちの「静かな悲鳴」

〜「しんどい」のはなぜ? 〜


私は日頃、Google Trendsを活用していて、ニュースレター受信の設定もしているのですが、昨日受け取った内容がとても気になりましたので、このブログをしたためます。

Google Trends(グーグルトレンド:https://trends.google.co.jp/trends/)とは、世界中の人が、今、何に関心を持ち、何を検索しているかを可視化する『時代の鏡』のようなツールです。
余談ですが、この『時代の鏡』は、Googleによる生成AIのGeminiによる表現で、なるほどなと思いました。

昨日(2026年4月2日)受信した内容で私が気になったのは、『Overwhelmed and Stressed(圧倒される感覚とストレス)』『Burnout(燃え尽き症候群)』についてです。

今、世界中で『Overwhelmed(オーバーウェルムド)という言葉の検索が過去最高になっているとのこと。
『Overwhelmed』は直訳すると『圧倒される』という意味なのですが、これを日本的に意訳すると『もう、いっぱいいっぱい』『脳がパンクしそう』という感覚かと思います。

SNSやニュース、仕事のタスク・・・
外からの刺激が強すぎて、心のコップから水が溢れ出している状態ではないでしょうか。

興味深いことに、世界ではその癒やしとして『塗り絵』が流行り、働き方として『低ストレスな仕事(データ分析など)』が切望されているのだそうです。
要するに世界では、その「しんどさ」を和らげるために、静かな時間を求める動きが広がっているのではないかと思われます。

翻って、私たちの日本はどうでしょうか。
日本では、海外のように『圧倒されてる!』みたいに自分の感情を外に出すよりも、『仕事 行きたくない』『適応障害 診断』『HSP』といった言葉が検索窓を埋め尽くしているようです。

「仕事行きたくない」を検索する日本人


私、これって実は、すごく重い事実ではないかと思うのです。
SNSで『疲れた』と呟くのとはまた違うのです。
誰にも言えない、上司にも家族にも見せられない本音を、夜中に一人で、震える指で検索窓に打ち込んでいる。
検索窓は、現代の駆け込み寺のような存在なのかもしれません。

もし”うちの社員は元気にやっている”と思っている経営者やリーダー層の方がいらしたら、この検索データの背景を想像してみてほしいのです。

口に出せないからこそ、みんな検索している。
『行きたくない』のは甘えではなく、今の社会のスピードや刺激が、人間の処理能力(キャパシティ)を物理的に超えてしまっているサインではないでしょうか。

これからの時代に必要なのは、根性論ではなく、いかに「人を圧倒させない(Overwhelmedにさせない)環境」を作れるか」という視点なのかもしれません。

When you take a breath?


もし今、あなたが検索窓にそっと弱音を吐き出しているなら。
それはあなた一人の問題ではなく、世界中が同じ痛みを抱えている証拠です。

必要なのは、例えば、たまにはスマホを置いて、塗り絵をしたり、静かな本の世界に逃げ込んだり。
そんな自分の中の「圧倒されないための余白」。

けれど、実際には、今、自分自身のための“余白”がどこにあるのか、まだ見つかっていない人も多いのかもしれません・・・


あなたは
どこで
息をつけていますか?

Image_A man is sitting alone
映画 フェザーズ その家に巣食うもの, 小説 悲しみは羽根をまとって

ホラーだと思って避けていた映画『フェザーズ その家に巣食うもの』だったけど・・・

〜 本当のところは泣かされる物語 〜


フォーラム仙台で上映中の『フェザーズ その家に巣食うもの(原題:The Thing with Feathers)』を観てきました。

実はこの映画の公開前、私は、最初に映画館でチラシをパッと見した時、「ホラーっぽいな」と思って、観るつもりはありませんでした。
私はグロテスクだったり、残虐な描写がリアルなタイプのホラー映画が苦手だからです。

とはいえ、チラシを一見したその日、映画好きの私は念の為、家に帰ってからPCで予告編動画も確認。
で、やはり怖そうだなという印象は変わらずで、この映画はスルーするつもりでいたのです。

映画フェザーズ その家に巣食うもの予告編

だって、こんな予告編ですよ?
怖そうじゃないですか??(それとも私が気弱なだけ??)

でも、素晴らしいパフォーマンスで知られ、私にとっても好きな俳優の一人、かつ偶然にも私と誕生日が近しいベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Timothy Carlton Cumberbatch, 1976年7月19日〜)主演の作品、そしてアート好きの私には、そのカンバーバッチが今回演じる主人公はコミック・アーティストであるというところも興味深くて、どうしても気になって…

それで後日、再度この映画のチラシを見たときに、改めてキャッチコピーに目を留めました。

いびつな美しさをまとい癒しをもたらす、絶望と再生のファンタジースリラー

映画『フェザーズ その家に巣食うもの』チラシ(表)

私はスリラー系の映画も描写がグロすぎるものは避けるタイプですが、ふと、そういった類のスリラーやホラーというより、どこか違う方向の作品なのではないかと思いました。

さらにこの映画の原作小説のタイトルが
『悲しみは羽根をまとって(原題:Grief is the Thing with Feathers)』
であることを知り、これは単なる怖い映画ではないのかもしれない、と感じたのです。

そして、実際に観てみて思ったのは、これは「喪失」の映画だということでした。

映画『フェザーズ その家に巣食うもの』チラシ(裏)

物語の中に現れるカラスは、不気味で少し怖い存在です。
けれど同時に、どこか可笑しさもあり、完全に恐怖の対象にはなりません。

最初はその違和感に戸惑いましたが、観ているうちに気づきました。
あの存在は恐怖そのものではなく、「悲しみ」そのものなのではないかと。

悲しみは、突然やってきて、居座り、理屈ではどうにもなりません。
それでも時に、どこか現実離れした形で自分の中に現れることがあります。

そう考えると、あのカラスの奇妙さは、とてもリアルに感じられました。

Image_Crow_The Thing with Feathers


この映画を観ていて感じたのは、人の死というものは「乗り越えるもの」ではなく、「抱えたまま生きていくもの」なのかもしれない、ということです。

悲しみを無理に消そうとするのではなく、ちゃんと感じて、そのまま受け止めること。

それは決して楽なことではありませんが、それでも自分は生きていくしかありません。

カラスの言葉は、突き放しているようでいて、どこか慰めにも感じられました。
厳しさと優しさが同時にあるような、不思議な存在です。

この映画の最中、私は、思いがけず、泣いてしまいました。
瞳から、静かにツーッと涙が流れ落ちてくるのです。

私はこれまでに身近な人を何人も失った経験があります。
だからこそ、この映画が心に刺さったのかもしれません。

観ているうちに、自分の中にある感情に、少し気づくことができた気がしました。

観終わったあと、完全にスッキリしたわけではありません。
ただ、自分の感情に気づけたという意味では、少しだけ心が軽くなったようにも感じています。

一方で、内容については考えさせられる部分も多く、どこか引きずるような余韻も残りました。

でも今こうして振り返ってみると、どちらかというと「スッキリ」に近い感覚だったのかもしれません。

映画『フェザーズ その家に巣食うもの』のパンフレットと来場者特典カード、原作小説『悲しみは羽根をまとって

この映画は、もしかしたら人を選ぶ作品かもしれません。
物語としてわかりやすい展開を求める人には、少し難しく感じるかもしれないです。

けれど、もし何かを失った経験があるなら、この映画は静かに寄り添ってくる作品ではないでしょうか。
ホラーが苦手な私でも観ることができたので、同じように少し不安に感じている方でも、大丈夫じゃないかと思います。

なお、私の住む宮城県内では現在フォーラム仙台でのみ上映されています(2026年4月9日まで)。
全国の劇場情報はこちらです→https://feathers-film.com/theater/
もし気になっている方は、ぜひ、劇場で観てみてください。

私は映画を観たあと、原作小説『悲しみは羽根をまとって(原題:Grief is the Thing with Feathers)』(著:マックス・ポーター 、翻訳:桑原 洋子)も読んでみたくなり、今読み進めているところです。
読み終えたら、また違った視点でこの作品について書いてみたいと思います。

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あなたにとって
「悲しみ」は
どんな形で現れるものですか?

静寂 早朝の空 仙台

新月の夕暮れに、命の呼吸を整える

〜「静養」という名の大切なお仕事〜

今日は2026年3月19日(木)、新月ですね。
たった一度きりの人生、スピリチュアルとサイエンスの両方をバランスよく取り入れて豊かに生きよう、と考える欲張りな私が、本日感じたことを綴らせていただきます。

その一、ブルーグレーの静かな朝を迎えて

今朝、ふと目を覚まして窓の外を眺めると、空は一面の曇り空でした。

この静寂に包まれたような青灰色の空を見て、私は
「あ、今日は無理に動かなくていいんだな」
と、心からホッとしたのです。

そんな私ですけれども、実は、おそらく季節の変わり目だからだろうとは思うのですが、一昨日あたりから鼻のムズムズ感やひどい眠気、だるさがありまして。
けど、一見憂鬱とも思えるこの静かな朝を迎えて、それを否定せず、この空の色と一緒に受け入れてみようと思えたのです。


その二、過去の自分と今の自分

かつて責任ある立場でお仕事をしていた頃、だるさを感じれば栄養ドリンクを流し込み、戦うように出勤していました。
それなりの収入はありましたが、引き換えに「ぐっすり眠れる夜」や「自分の体の声」をどこかに置き忘れていました。
今の穏やかな生活と、かつてのお給料。
それは、雲泥の差かもしれません。
でも、貯金を取り崩してでも手に入れたかったのは、この「自分のリズムで呼吸できる幸せ」だったのだと、今つくづく感じています。

その三、節目が重なる祈りの季節

この時期、私の周りにはいくつもの大切な節目が重なっています。

新月と春分
明日は宇宙の元旦とも言われる「春分」です。
その直前の新月である今日は、まさに「最大のデトックスと準備」の時。
エネルギーが切り替わる前だからこそ、体が休息を求めるのは自然なリズムです。

お彼岸
また、今はお彼岸の真っただ中。
明日はお墓参りに行く予定です。
先祖を敬い、命のつながりに感謝するこの期間は、自分を置き去りにせず、大切に扱う時期でもあります。

東日本大震災から15年
そして、先日の3月11日で、東日本大震災から15年が経ちました。
生まれ育った名取市閖上、そして現在の生活地である仙台の街中でこの月日を数えるたび、生かされていることの有り難さ、そして「自分の命の尊さ」をいつにも増して深く感じます。

東日本大震災被災地 宮城県名取市閖上 名取市震災メモリアル公園 慰霊碑
名取市震災メモリアル公園の慰霊碑が建つ場所:奥の鳥居がある小山は震災前からある日和山だが(鳥居は再建)、他はほとんど震災後と震災前では景色が違うので、訪れるたび侘しい気持ちになる一方で、命の尊さに感謝の念が湧く
その四、「静養」という名の大切なお仕事

こうして振り返ると、今感じている「だるさ」さえも、愛おしく思えてきます。

ある人に言われた
「今のあなたは、次の一歩を踏み出すための『静養』という大切なお仕事をしている最中なんだ。それでいいんだよ」

この言葉が、今の私の支えとなっています。
個人事業主として「稼がなきゃ」という焦りがゼロと言えば嘘になります。
でも、枯れた土に種をまいても、元気な芽は出ないんですよね…
今は、私の心と体が一生懸命に「土壌改良」をして、春分からの新しいサイクルに向けて、ふかふかの土を作ってくれているサインなのだろうと感じています。

その五、穏やかな笑顔の連鎖をここから

新月は、リセットと始まりの時。
もし今、この記事を読んでいるあなたも「休むこと」に罪悪感を感じているなら、一緒に深呼吸してみませんか?
「休むこと」は、命を慈しみ、自分を立て直すための、立派で不可欠なお仕事。

そんなことをしみじみ感じている現在の私です。
今夜は自分をたっぷり甘やかして、また明日、お彼岸の静かな空気の中で、ご先祖様へ
「私は元気です。命を与えてくれてありがとう」
と伝えに行こうと思っています。


あなたが
生かされている幸せを
感じる瞬間はどんな時ですか?

新月 new moon


またも大地震、生かされていることに感謝

そんなわけで今回もインスタグラム投稿のまとめにて


今年(2022年)もこの時期に襲われる大地震・・・なぜか雪とセットだし・・・
一体なんなんでしょうね。周期でもあるのでしょうか・・・

それでも、、、いや、だからむしろか、生かされている実感があるので、備忘録と感謝の気持ちをこめてインスタグラムに投稿をしましたので、こちらもそのアーカイブにて。

ちなみに、昨年もあった地震時の記録はこちらです。

今回はこれ以上にひどかったけど、やっぱり生かされてるんだなって思います。
3連休も何かとあっという間で、いまだ片付け切れていない我が家だけど、これしきで、嘆いてなんていられないの!
明日からもまた、私を必要としてくれる人々のために、がんばろぉー♪( ´▽`)/!!


東北在住の皆さま、
大丈夫でしたか…?
生きてゆきましょうね!!

父の命日に改めて想う

我がルーツに感謝し、日々を大切に生きる


昨日(2月10日)は父の命日だったこともあり、今日(2022年2月11日(金)祝)はお墓参りに行ってきました。

私の実家の本来のお墓は名取市閖上(ゆりあげ)の地にあり、私の父が亡くなってからもう10年以上の月日が経っていますが、東日本大震災後、場所を変えることとなりました。
また、母の実家も名取市の北釜(きたがま)地区で、同じく震災の影響をもろに受けているので、こちらもお墓は移動していますが、それぞれの距離が近くなったこともあり、どちらも合わせてお参りすることが多いです。

お墓参りには、一人で行くことや弟家族と行くこともありますが、ほとんどは母方の叔母が一緒に行ってくれます。
その叔母は、母の実家に嫁いだお嫁さんにあたる人で、私とは直接血の繋がりはありませんが、私にとっては誰よりも頼りになる親族です。

叔母の旦那さんである、私にとって兄であり父のような存在だった叔父(私の母の実弟)は、震災によって心を病んで自ら命を絶ってしまい、誰より辛い想いをしているのは叔母ですが、生前の叔父がしてくれていたように、いつも私を支えてくれていてるので本当に感謝が尽きません。

いつも叔母宅に行くたびに美味しい料理を準備してくれます。
今回は、お寿司もありがたかったけど、手作りの大根料理の数々(特にソテー)がめっちゃ美味しかった!!


丁度、先月は叔父の命日、来週は交通事故で亡くなってしまった母方の祖父の命日、そして来月の今日は東日本大震災の日。
だから今日のお墓参りには色々な気持ちがこもります。。。

私が、今、こうして生きていられること、生きていたいと思えるのは、私自身の親族の存在、ルーツがあってのことです。
生きているのが嫌な時、なぜ自分の存在があるのかわからない感謝できないという時もあった私が、今は心から感謝の気持ちで生きていられる。
亡くなってしまった親族達のお蔭と言ってしまうと虚しい気もするけれど、それも事実のひとつ。
私は生かされているのだ。だから、これからも日々を大切に生きていきたい。
そう改めて想った本日でした。

世の中には、過去の私のように、生きている意味がわからない、辛い、といった想いを抱える人がいらっしゃるとは思いますが、無駄にすべき命なんてない、生きる喜びは誰にでも感じられることなのだということに気がついていただけたら・・・そう願っています。

今日も、生かしていただいて、ありがとうございます。
きっと明日も、生きる喜びを感じる一日。そう既に思えていることに感謝です。

関連記事:叔母の愛とクロネコヤマトさん/私が生活できている理由


あなたは
生きる喜びを
感じていますか?



日本の公害汚染を伝えた写真家ユージン・スミスの遺志を継ぐ映画

史実に基づく映画「MINAMATA ーミナマター」から考える生命


科学が発達した現代、私たちは生きるためにその研究や開発からたくさんの恩恵を受けることができています。
しかし人類が押し進める発展によって時に起こる公害汚染という問題。

日本で記憶に新しいのは、ここ宮城県の隣で発生した「福島第一原発事故」がありますね。
これは2011年の東北地方太平洋沖地震による原子力事故で、10年を過ぎてもなお問題は解決していないことは、日本人なら誰もが知っている通り。


しかし、日本で起きた公害汚染といえば、今からさらに遡ること65年、熊本県で発生し、1956年に公式認定された水俣病については、どれだけの人が理解をしているのでしょうね。

私はと言えば、水俣病と公害汚染については、小学校での社会科の授業を通して知った世代です。
日本の四大公害病として他に、富山のイタイイタイ病、三重の四日市ぜんそく、新潟の第二水俣病、テストに出ましたよね。

水俣病は、工場から排出された有機水銀によって体が侵され、中枢神経を中心とする神経系が障がいを受け中毒性疾患となってしまった人が大勢いる公害病で、私は子どもながらに、何となく戦争と同じような怖さを感じ、この時代の熊本の住民に生まれなくて良かったという感覚を持ったことを記憶していますが、その程度で、自国のことでも、訪れたこともない所の自分には関係のない問題といった感じで、それほど考えたことはありませんでした。

映画「MINAMATA ーミナマター」のチラシ(表)
(画像をクリックするとPDF画面が開き、拡大できます)

そんな私が、伝説の写真家とも言われるユージン・スミスが追い世界に伝えた水俣病の真実を、ジョニー・デップ主演によって映画化されたということで話題の「MINAMATA ーミナマター」を観てきました。
(私はフォーラム仙台で観ましたが、2021年9月26日現在、宮城県内では数カ所で上映中です)

映画は、ジョニー・デップ演じるユージン・スミスが、自身が撮影した写真を自宅の暗室で現像作業をしているところから始まります。
BGMに流れるロックな音楽と赤みを帯びた暗室で作業をするその姿はとてもクールで、写真が趣味の一つである私はその出だしでかなり引き込まれました。

しかし、そのかっこいいオープニングも束の間、重くて深刻な物語へと変わっていきます。


映画の中盤、公害汚染を引き起こした企業であるチッソ社の社長が、真実を知らされてはならないと、ユージンを丸め込むために「我々が行なっているのは人類のため、犠牲になるのは漁業なんかを営む少しの人達だけ」といった発言をする場面があったのですが、それには映画鑑賞者としても憤りを感じ、これが映画の中でのセリフとは言え、現実にもあんな被害を起こし、責任逃れをしてきた企業と国はやっぱりおかしいよと改めて思いました。

この映画は、あくまでも”史実に基づく物語”であり、フィクションですが、実際に当時撮影された写真や映像も挿入されており、一層胸が締め付けられる思いがしました。

映画「MINAMATA ーミナマター」のチラシ(裏)

映画にも登場するもう一人の実在の人物でもあるユージンの元妻アイリーン・美緒子・スミスさんが
”ユージンは、決して諦めず、何があっても真実と向き合う人でした。何より大切にしていたことは、被写体と写真を受け止める側、両者への責任でした。
と述べています(映画「MINAMATA ーミナマター」の公式サイトより)。

この映画でも、ユージン・スミスは、酒浸りで自分勝手、複雑な性格を持ちながらも、人との繋がりを大切にし、真実を伝えるために命をも賭けた人であったことが描かれています。

そして、こちらはこの映画のキャッチフレーズ。

” 一枚の写真が世界を呼び覚ます ”

動画が主流となった現代、TVは興味ない私でも、映画は大好きだし、インターネットにアップされた動画も観ますし、たまに自分で動画撮影することもありますが、動画よりも一瞬を切り取る写真からの方が、ずっと強いメッセージを受けると感じることがあります。
一瞬のために渾身が込められた写真にはやはり見るものを捉える力があり、人は心を動かされることがあります。

ユージン・スミスは、世界の人に真実を伝えたいと、時には重症を負いながらも写真を取り続け、報道写真家として壮絶な人生を送り、その生涯は59歳で幕を閉じてしまいますが、彼の写真と生き方は、こうして今も私たちに訴えかけています。

人としての心や生きるものの命を奪ってまでしてなされる科学と経済の発展が人類が目指すゴールなのか、本当の意味での人としての豊かさとは何なのか、生かされている私たちには忘れてはならないことがあるのではないかと深く考えさせられる映画でした。

映画「MINAMATA ーミナマター」のパンフレット

なお、この映画のエンドロールでは、ユージン・スミス氏には直接関係ありませんが、写真とともに世界で起こった数々の公害汚染事件が紹介されます。
普段はエンドロールは見ずに席を立つ人も、是非最後までご覧になって、私たちが生かされている美しく大切な地球の環境について、そして生きとし生けるものの命について、考えてみる時間にしてみてはいかがでしょうか・・・


あなたは、加速される
科学と経済の発展について
どう思いますか?
公害汚染

地震による傷口を覆う誓い

‘想い’は ‘誓い’と言えるほど強いものに


昨晩(2021年2月13日)、23時7分、福島県沖の大きな地震がありました。
ここ仙台、私の住む地域は震度5強だったそうです。

発生時は、3.11の時の感覚が蘇り「またなの・・・?」という言いようのない恐怖感。
何もなすすべなく、部屋の一番安全と思われる場所で、ただ膝を抱えて、待つだけ・・・

でも、揺れが収まってからは、10年前より多分マシというのが直感としてありました。

とはいえ、部屋は大変なことに・・・
一番大きな本棚が倒れ、キッチンも物が散乱し食器類もいくつか割れ、古いマンションで、住んだ時からたてつけが悪かった玄関の収納は案の定めちゃくちゃ・・・

部屋はこの通りひどい惨状だけど、でも、運よく、携帯も使え、ネットも見られる、電気やガス、水道といったライフラインは問題ない、津波の心配はないってことだし、翌日は日曜、部屋さえ綺麗にすればいいだけ。
過去の経験があるからこそ、昨晩の時点で、そういう安心感はありました。

だけど、大丈夫なのはわかってるんだけど、心臓の鼓動が平常ではない。
心が落ち着かず、ざわつく。
私は軽度だと思うけど、こういうのをPTSD:心的外傷後ストレス障害というのでしょう。

私でさえこうなんだから、相当な不安感を抱え、震えている人もいるだろうな・・・

一度受けた深い傷というのは、いくら年月が経っても、そう癒えるものではない。
傍目にはわからないけど、苦しんでいる人がいるってこと、癒しを必要としている人がいるってこと、忘れないで、私に何ができるか考えよう。
そんなことを改めて思いました。

熟睡などできるはずもなく、疲労感と共に朝を迎えて、変わり果てた部屋の様子に呆然としながらも、重い腰を上げ、ちょっと片付けてはため息をつき、人には動かすのが大変な棚などが動いていることに、自然の力ってすごいなと恐怖を抱くと共に感心もしつつ、やる気を失くす、の繰り返し。
全くもって、作業がはかどりません。

もう、あんまり頑張らないで、休憩入れがらやろう・・・
カオスなキッチンでお湯を沸かし、コーヒーを入れて、一服し、散々な部屋をボーッと眺めつつ思うのは、

厳しい試練をどうしてこうも与えられるんだろう・・・

目指しているのはオアシスなのか破壊された世界なのかという混沌とした現代にいる私たちに対して、人としての本来の心を失うな、生かされていることに感謝し、豊かな心を保つようにと、自然の怒りを使って神様が教えてくれてるのかなぁ

やっぱり、人生、大切に生きなきゃ・・・

いつ何が起こるか、わからない。
備えも大事だけど、先のことばかり考えて、不安を抱えて生きるよりも、今を幸せに生きることを考えよう。

仕事や与えられた使命に心込めて取り組みながら、コロナ禍という制限がある中でも、やりたいこと出来ることはやろう、行けるところには行こう、会いたい人には会って、感謝の気持ちを伝えよう。

遅かれ早かれ命は尽きるのだから。
その時に後悔がないように。
充実と、最高のありがとうの気持ちを感じて、自分の人生に幕を閉じることができるように。

これまで抱いていた‘想い’が、‘誓い’というさらに強いものに変わったように感じています。


あなたの
人生に対しての
誓いはなんですか?


人間の原点とは、生き、歩くこと

行為の意味〜出発の季節 より


ここ最近、憂いなニュースが続きますね。
災害やウィルスなどで望まない死を遂げる人がいる一方、自ら命を絶つことを選ぶ人も絶えなくて、人間の世界って儚いな、と感じます。

生きているのが辛い、という思いを抱えて、必死で生きている人は想像以上にいると思いますし、特別な辛いことがなくとも、生きている意味がわからない・・・そういう思いを抱えている人も、この現代では、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。

命ってなんなんだろうか・・・
自分はなんでこの世に生を受けたんだろうか・・・

生きる意義を見出せずにもんもんとしてしまうような、そんな時。
心に静寂がもたらされそうな詩を、先日ご紹介しました宮澤章二さん著作「行為の意味」より、今回は一番初めの章「出発の季節」から、抜粋して紹介させていただきます。


原点について

鳥が鳥である 原点
それは つばさを持ったこと
魚が魚である 原点
それは 水中に生まれたこと

ぼくらは ぼくら人間の原点について
一度でも考えてみたことがあるか……

鳥たちは つばさを持ったから 飛ぶ
魚たちは 水中に生まれたから 泳ぐ

ぼくら人間は 直立する人類として
生き 歩く その意識を初めから持った

−−−歩いていこう 生きていこう
それが 意思する人間の原点であるなら
ぼくらは 常に その原点に立とう


自分の生きる使命を見いだすことができたら幸運でしょうけども、何も、それが全て、というわけではないのかもしれません。
人間は、生き、歩くもの。ただ、それだけ。
そう肩の力を抜いて生きるのも一つなのではないかと考えられれば、だいぶラクになりそうな気がします。

でも、そんな怠慢ダメな気がする、と思ってしまう真面目なかたには、こちらの一編はいかがでしょう。


人間として生きたい

ふと怠けたくなる日があるんだよ
なんにもしたくない日があるんだよ
ぼくらは 生きている人間なのだから
調子の悪いときだって ずいぶんあるんだ

人生を歩き続けるためには 意志が必要で
意志は 鍛えることで強くなるのだから
ぼくらは その努力をしなければならない

努力するのが 人間のつとめで
最初から放棄するわけにはいかない
そんな みっともないことは出来ないよ
ぼくらは人間として生きたいのだから

怠けたい日には ちょっと怠けていい
後ろめたい思いなんか捨てていいんだよ
怠けながら力を蓄えることだってあるんだ


あくせくしすぎて、十分な充電も出来ずに走り続けるよりも、生きるためゆえの休息。
何が本当に大切なのかを考えるための時間を持つこと。
せっかくいただいた命だからこそ・・・

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生きる礎を感じられる本「行為の意味」/宮澤章二氏著作の詩集「行為の意味 ―青春前期のきみたちに」
自分を信じて進む/行為の意味〜前進の季節 より
強くあたたかく生きる心/行為の意味〜結実の季節 より


あなたは
エネルギーチャージ
できていますか?



「行為の意味―青春前期のきみたちに」宮澤 章二(著) ごま書房新社
「行為の意味―青春前期のきみたちに」宮澤 章二(著) ごま書房新社

障害者とボランティアの実話を元にした映画

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話


友達から勧められた映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」を観ました。

札幌の鹿野靖明(しかのやすあき)さんという、筋ジストロフィーを患い、自ら多くのボランティアを集って、自立生活を送った、実在の人のお話で、2018年に公開された映画です。

この鹿野さんという人の、体は不自由であるにも関わらず、心が自由という生き方を描いたこの映画に、あまりにも身勝手過ぎると不快感を感じるかたもいらっしゃるようです。

でも、この人、余命宣告されてる人なんですよ。
そして、脳はしっかりまともなのに、自分では体が効かないから、人に全てをさらけ出す必要もあるわけです。

もし、自分がそんな立場だったら・・・?

「俺は一日一日が勝負なんだよ。」

「人はできることより、できないことの方が多いんだぞ。」

五体不満足であることを受け入れ、自分らしく生きるために短い生涯を全うした、鹿野さんと、彼を支えた心あるボランティアの方々の物語には、五体満足である私たちにこそ、考えさせられることがあると思いました。

筋ジストロフィー:筋肉の機能に関与している遺伝子の異常によって発生する難病で、筋力低下、筋萎縮が生じ、運動機能障害をもたらす。

正直なところ、私には、鹿野さん役を演じた大泉洋さんは「大泉洋さん」と感じてしまう部分があり、感情移入し切ることができなかったのですが、とても難しい役を演じきった大泉さん、本当にすごいと思います。

また、この映画の公開後、鹿野さんご本人とこの原作者である渡辺一史(わたなべかずふみ)さんらについて、ニュースで取り上げられたものがYouTubeにアップされていますので、こちらも併せてご覧いただけると良いかと思います。

なぜ人は支え合うのか。
渡辺一史さんの視点には非常に興味があるので、出された本も是非読んでみたいと思っています。


<渡辺一史さんが書かれた、この映画に関連する2冊>

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)

なぜ人と人は支え合うのか (ちくまプリマー新書)


あなたにとって
自分らしく生きるとは
なんですか?

 

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 [DVD]