映画『Michael/マイケル』パンフレット サントラCDとアルバム『Dangerous』

映画『Michael/マイケル』が問いかける「自由に創造すること」

〜 実の甥ジェファー・ジャクソンが蘇らせたマイケル、その物語から考える 〜


音楽伝記映画の歴史を塗り替えるほどの異例の世界的大ヒットを記録している映画『Michael/マイケル(原題:Michael)』、あなたはもうご覧になりましたか?

私もこの映画はとても楽しみにしていたので、もちろんIMAXで、いつものお気に入りの席を陣取って観てきましたが、結論を一言で言うと、最高でした。

映画『Michael/マイケル』予告編

正直に言いますが、私は、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)は昔から好きだったものの、熱烈なファンというほどではありません。
もちろん代表曲は知っていますし、いくつかアルバムも持っています。
しかし、初めは「マイケルの伝記映画だから絶対に観たい」というより、「どんな作品なのだろう」という興味の方が大きかったように思います。

私は基本的に、観たいと思った映画については、事前にはあえてあまり情報を入れずに観に行きます。
週に1、2回のペースで映画館に足を運ぶ私は、本編が始まる前に流れるこれから上映される映画の予告編と、劇場に並ぶチラシをさっと眺めて、観たい映画を決めます。

映画『Michael/マイケル』も、まずチラシを見て「あのマイケル・ジャクソンを再現するとはすごいチャレンジね。これは観ないと」と思い、その後、映画館では予告編が流れるようになり、当然のことながらますます興味を持ちました。
が、やはりこの時点では詳しいことはチェックせず。
予告編には、マイケルを演じた俳優が「Hi, I am Jaafar Jackson.(こんにちは、ジェファー・ジャクソンです)」と挨拶するバージョンもあり、それを見て、私は「ジャクソンっていう名前だから、マイケルの甥かな。マイケルには兄弟が大勢いるから俳優の甥がいてもおかしくない。その子を採用したのね」くらいに思っていました。

そしていよいよ映画鑑賞当日、まずパンフレットを購入するために売店に立ち寄りました。
ディスプレイには、この映画『Michael/マイケル』のサウンドトラックCDも並んでいて、少し気になりはしたものの、映画を見る前は、正直そこまで欲しいと思うかどうかわかりませんでした。
マイケルの楽曲ならすでに持っているものもありますし、それで十分かもしれないと考えたのです。

そんな私でしたが、映画を観終わった後には、結局サウンドトラックCDを購入していました。
この映画を通して知ったマイケルの物語を、もう一度音楽とともに辿りたい。
そんな気持ちになっていたのです。

映画『Michael/マイケル』パンフレット サントラCDとアルバム『Dangerous』
映画『Michael/マイケル』パンフレット&サンドトラックCDとアルバム『Dangerous』デンジャラス:映画の劇中で描かれた熱狂の「その先」にある時代を象徴するアルバムで、この作品も音楽史に深く名を刻む、凄まじい世界的大ヒットを記録した)

今回のサントラCDを購入する決め手となった理由の一つは、ジャクソン5(The Jackson 5)時代の楽曲でした。
もちろん曲自体は知っていましたが、その歌声の向こうに、幼いマイケルと家族の姿が見えるようになった今、それらの曲は以前とはまったく違う響きを持って聴こえます。

また、CDやレコードは海外の作品でも、日本盤にはライナーノーツ(解説文や歌詞の対訳など入った冊子)が同包されることが多く、ぜひそれも読んでみたいと感じたのです。
今回の解説は音楽ジャーナリストの高橋芳朗さんによるもので、映画に関わる点から各楽曲についてまでかなり詳しく説明されていて、そこから得られる感動も多かったです。

映画『Michael/マイケル』サウンドトラックCD
映画『Michael/マイケル』サウンドトラックCD(モノクロの冊子が21ページにも及ぶライナーノーツ。最終ページにはジャクソンズマイケルのアルバムの一覧画像も掲載されてました)

そして何より驚いたのは、マイケルを演じたジェファー・ジャクソンJaafar Jeremiah Jacksonでした。
映画を観ている間、私は何度も「本当にマイケルを見ているようだ」と感じていましたが、映画を観終わった後にパンフレットを開くと、なんと彼は元々は俳優を目指していたわけでもなく、今回のオファーを受けて初めて演技をすることになったのだと知り、本当に驚きました。

誰がマイケルを演じるのだろうと思っていた本人が、結果としてその役を引き受けることになる。
しかも相手は、世界中の誰もが知る大スターマイケル・ジャクソン
比較されることも、批判されることも覚悟しなければならない役だったはずです。

それでも彼は、その重責を背負い、見事に演じ切りました。
私は単にダンスや歌の再現度に感動しただけではありません。
マイケルという存在への敬意と覚悟が、スクリーン越しに伝わってきたことに心を動かされたのです。

映画 Michael/マイケル チラシ(1)
映画『Michael/マイケル』チラシ(1)

ところでこの制作には、音楽伝記映画の記憶としてはまだ新しい、ロックバンド・クイーンを描いたボヘミアン・ラプソディでプロデューサーを務めたグレアム・キングGraham King)が携わっています。
『ボヘミアン・ラプソディ』のときは、主演のラミ・マレックの息遣いに加え、フレディ本人の音源、そして声が酷似した外部の歌手の歌声を巧みにパッチワークのように重ね合わせた、いわゆる「3部編成」での緻密な音響エンジニアリングが取られていました。

一方、今回の映画『Michael/マイケル』で取られたアプローチは、それよりもはるかにシンプルで、同時に奇跡的とも言えるものでした。
外部の「そっくりな声」を必要とせず、ただ二人の声だけで構成される「2部編成」。
それが可能だった理由は、主演を務めたジャファー・ジャクソンが、マイケルの実の甥であるという事実にあります。

映画のパフォーマンスシーンで私たちの耳に届いていたのは、マイケル本人のマスター音源(録音)と、ジャファーが撮影現場で実際に喉を枯らして歌った生歌を絶妙にブレンドした音声でした。

声というものは、骨格や声帯の形で決まると言います。
同じジャクソン家のDNAと骨格を受け継ぐジャファーの声は、ふと口ずさむような静かなシーンやアカペラにおいて、加工せずとも驚くほどおじであるマイケルの響きに似ているのです。
さらに、幼少期から身近にあった「ジャクソン・ファミリーのグルーヴやブレスの癖」が、彼の細胞レベルに染み付いていたことも大きかったのでしょう。

映画の中のジャファーは、ただ過去の音源に口の形を合わせる「口パク」をしていたわけではないのです。
マイケルがその声を出す瞬間の、首の筋の立て方、顎の角度、呼吸のタイミングまでを完全に身体にシンクロさせ、実際に歌いながら踊っていました。
だからこそ、私たちはスクリーンの中に「単なる模倣」ではない、本物の魂の実在感を感じ取ることができたのだと思います。

なお、販売されているサウンドトラックアルバムに収められているのは、映画の再現ではなく、100%「マイケル・ジャクソン本人のオリジナル音源」です。
スタジオで完璧に磨き上げられたおなじみの名曲から、彼がかつてツアーのステージで本当に響かせていた当時のライブ音源まで、混じり気のないキング・オブ・ポップの歌声が最高の音質で刻まれています。
映画館で、甥であるジャファーの血の滲むような肉体表現と融合した「新しい体験」としてのマイケルを観たからこそ、このサントラCDから流れる「本物の完全な歌声」を聴いたときの感動は、より深いものになります。

映画 Michael/マイケル チラシ(2外面)
映画『Michael/マイケル』チラシ(2外面)
映画 Michael/マイケル チラシ(2中面)
映画『Michael/マイケル』チラシ(2中面)

そして、映画『Michael/マイケル』にはもう一人、私の心に残った人物がいました。
マイケルの護衛を務めたビル・ブレイ(Bill Bray)です。
映画を観ている間、私は「この人の存在って初めて知ったけど、実はかなり重要な人物では?」と気になっていました。

派手な人物でも、決して目立つ存在でもありません。
けれど、マイケルが苦しい時、迷った時、ビルはいつもその傍にいました。

ジョセフが厳しさによってマイケルを導こうとした人物だとすれば、ビルは静かに見守る人物として描かれていたように思います。
実際のビルについて詳しい記録は多く残っていないようですが、彼が果たしていた役割は決して小さくなかっただろうと、この映画を観ただけでも感じとることができました。

才能は一人で花開くものではありません。
表舞台に立つ人がいる一方で、その人を支える存在もいる。
今回の映画を観ながら、私はそんなことを何度も考えていました。

そしてもう一つ、私の心に響いたものがあります。
それは映画の中でマイケルがノートに書き留めていた言葉です。

Be free to create.
創造するために自由であれ。

マイケルは世界で最も成功したエンターテイナーの一人でした。
けれど、その一方で、幼い頃から家族や世間の期待を背負い続けた人でもありました。

もし彼がもっと自由だったら。
もし彼がもっと自分らしく生きられていたら。

そんなことを考えずにはいられませんでした。
しかし同時に、その苦しみや葛藤があったからこそ生まれた作品もあったのかもしれません。
だから私は、この映画を観終わった後も簡単な答えを出すことができません。
ただ一つ思ったのは、創造することは、自由と深く結びついているということです。

音楽でも。
絵画でも。
文章でも。
そして人生そのものでも。

私たちは本当に自由に創造できているだろうか。
誰かの期待や評価ではなく、自分自身の心の声に耳を傾けながら生きられているだろうか。

映画『Michael/マイケル』は、そんな問いを私の中に残していきました・・・

✔️『Michael/マイケル』上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=michael

続編(Michael Part 2)の公開も既に計画されているとのこと。
待ち遠しいですね。


あなたは
自由に創造すること
できていますか?

アンドリュー・ワイエス展 図録 クッキー缶

アメリカの国民的画家アンドリュー・ワイエスの静寂に身を置く時間

〜 ニューヨークで出会った画家との再会 〜


東京上野で開催されている『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』を観てきました。
(会期:2026年4月28日(火)~7月5日(日))

20世紀アメリカを代表する具象画家であり、静寂と孤独、そして人々の記憶を描いたとして知られている、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth, 1917年7月12日-2009年1月16日)の展覧会が、米国建国250周年東京都美術館開館100周年を記念する今年、ここ日本では17年ぶりかつワイエスの没後初めて、開催されることとなったのです。

東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』告知動画

私にとってアンドリュー・ワイエスは、以前から特別な画家の一人です。
初めて彼の作品を見たのは2017年にアートに特化したツアーに参加し、ニューヨークを訪れた時のことでした。
当時の私は、今ほど近現代美術に親しんでいたわけではありません。
それでも、ニューヨーク近代美術館(MoMA : Museum of Modern Art)で目にしたワイエスの作品に、不思議と心を惹かれたのです。

ところで、アメリカの国民的画家と言われているワイエスですが、意外にも、MoMAが所蔵する彼の作品は《クリスティーナの世界(Christina’s World)》の1点きりとのこと。

*この作品の画像はMoMAの公式サイト(https://www.moma.org/collection/works/78455)にて見ることができます。
『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』では残念ながら出展されていませんが代表作として有名な作品です。

1948年にワイエス《クリスティーナの世界》を描いた翌年(1949年)、MoMA初代館長であったアルフレッド・バー・JrAlfred Hamilton Barr Jr.,  1902年1月28日-1981年5月15日)がこの作品の価値をいち早く見抜いて買い取りました。
が、その後、MoMAの収集方針は抽象表現主義やポップアートなどの前衛的なモダンアートへとシフトしていきます。
一方で、伝統的な技法で具象的に描くワイエスのスタイルは当時の先端的なモダンアートの主流から外れたため、追加でコレクションされる機会がなかったというのがその理由のようです。

しかし、私にとって初めて目にしたワイエスの作品がその《クリスティーナの世界》1点のみでも、強く胸を打たれたのです。
本作は、病で歩行が困難になりながらも車椅子を拒み、這って進むことを選んだ隣人の女性クリスティーナをモデルに、「過酷な運命を懸命に克服する人間の生命力」を描いた作品です。

MoMAではせっかく撮影可能だったにも関わらず、感銘して見惚れてるうちに、人も集まり良いアングルを得られず写真を撮り損ねてしまったのですが、しっかりと記憶に残り、それ以来、ずっと心に残り続ける画家の一人となったのです。
そのようなことから「もっとこの人の作品を見てみたい」と思ったわけですが、日本で彼の作品に出会う機会は決して多くありません。

後に、福島県立美術館を訪れた際、同館が所蔵しているワイエスの作品6点を常設展で観ることができ、とても驚いたことを覚えています。
私が住む宮城のお隣の県で、彼の作品が6点も保管されていただなんて…

そしてそれからさらに数年後となる今回、ようやくまとまった数の作品をじっくり鑑賞できる機会を得ることができたのです。

東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展 チラシ(外面)
『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』 チラシ(外面)
東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展 チラシ(中面)
『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』 チラシ(中面)

(チラシ画像はクリックするとPDF画面が開き拡大できます)

チュルリョーニスとは違う静けさ

今回の上野行きの目的は、同時期に鑑賞した『チュルリョーニス展』でもありました。
どちらも静かな世界観を持つ画家ですが、私にはその静けさが全く異なるものに感じられました。

チュルリョーニスの作品からは、音楽が聞こえてくるような感覚があります。
星々が巡り、風が流れ、世界そのものが呼吸しているような…
静かでありながら、内側では壮大な宇宙が動いているのです。


一方、ワイエスの世界は違います。
ほぼ無音に近く、聞こえるとしたら、

風が草を揺らす音。
遠くの鳥の声。
古い家屋が軋む音。

そんな自然の気配だけ。
それ以外の音は、ほとんど存在しません。

「何も起きない」のに濃密な世界

ワイエスの作品を見ていて感じるのは、「何も起きていない」ということです。

劇的な出来事もない。
派手な色彩もない。
強いメッセージもない。

けれど、その「何も起きない」が濃密なのです。

空き部屋。
閉ざされた窓。
誰もいない野原。

本来なら何もないはずの場所なのに、そこには確かに人の気配や記憶が残っています。
まるで、「さっきまで誰かがここにいた」そんな感覚を覚えることがあります。

死ではなく、時間の気配

ワイエスの作品には、どこか寂しさがあります。
父親を突然の事故で亡くした経験や、幼少の頃には病弱で一般的な子供のように学校には行けなかったような彼自身の人生背景を知ると、その理由も少し見えてくるように思います。

ただ、不思議なことに「怖さ」は感じません。
死を描いているというより、「いつか失われるもの」への静かなまなざし。
そんな印象を受けるのです。

だからこそ、彼の作品の前に立つと心が静まります。
そして、自分自身の記憶や時間について考え始めてしまうのです。

”境界に立つとき、心が動き出す”

さて私は、『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』観覧後、この記事を綴るためにブログ用の写真を撮影していて、ふと気がつきました。

図録の表紙に選ばれている作品《ヒトデ(Star Fish)》
そして記念に購入したクッキー缶に描かれている作品《ゼラニウム(Geraniums)
さらに、展覧会場で撮影可能な作品だった中で、私自身が直感的にこれ好きだなと感じて撮影していた2枚限りの写真。
私にとってはどれも偶然のように思えたのですが、すべてに「窓」が描かれていたのです。

アンドリュー・ワイエス展 図録 クッキー缶
『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』図録 クッキー缶(老舗パティスリー・アンテノールのラングドシャ・シトロン)

実は、私は昔から「窓」というモチーフが好きです。
けれど、その時は全く意識していませんでした。
だからこそ、無意識のうちに選んでいたことに少し驚きました。

しかしそもそもこの展覧会には『Boundaries or Windows』という副題が添えられていました。
これを直訳したら「境界線それとも窓」となりますが、改めてチラシを見返すと”境界に立つとき、心が動き出す。”という言葉が記されていました。
「窓」こそ、今回の展覧会全体のテーマの象徴だったのです。

窓の向こうにあるもの

私自身が心を惹かれ撮影した二つの作品を見返してみます。

《乗船の一行(Bording Party)》は、窓の外に見える帆船によって、旅立ちや不在を想像させる作品です。
そこにいるはずの人々は描かれていないのに、窓の向こうに広がる世界によって物語が生まれています。

アンドリュー・ワイエス 《乗船の一行(Bording Party)》
アンドリュー・ワイエス 《乗船の一行(Bording Party)》

一方、《ケネットの集会場(Kennett Meeting)》は、クエーカー教徒の集会所を描いた作品です。
人々が集い、語り合い、そして別れを迎える場所。
ワイエス自身も「窓の配置が美しい」と語ったそうですが、父N.C.ワイエスの葬儀が行われた集会所とも重なる背景を知ると、その窓がより特別なものに見えてきます。

アンドリュー・ワイエス 《ケネットの集会場(Kennett Meeting)》
アンドリュー・ワイエス 《ケネットの集会場(Kennett Meeting)》

ワイエスが描く窓は単なる建築の一部ではなく、

内と外、
現在と記憶、
ここにいる自分と、その向こうにある世界。

そうした境界を静かにつないでいるように感じます。

思いがけない「ゼラニウム」とのつながり

そしてもうひとつ、これはかなり個人的なことではありますが、驚いたことがありました。

展覧会特設ショップで購入するに至ったクッキー缶。
こちらに採用されている作品も窓が描かれたもので、私は「これも好きな作品だな、缶に配色された色もデザインも悪くないし、エッセンシャルオイル(精油)の保管にちょうど良いサイズ感かも」と思い購入したのです。

その時は作品名まで確認していなかったのですが、帰宅してからこの作品名が《ゼラニウム》だったことに気づき、思わず笑ってしまいました。

実は私はゼラニウム精油の香りが大好きで、常備しているエッセンシャルオイルの一つなのです。
偶然なのか、ご縁なのか。
そんな小さなサプライズも含めて、今回のワイエス展は私にとって印象深い時間になりました。

エッセンシャルオイルケースになったクッキー缶
アンドリュー・ワイエス《ゼラニウム(Geraniums)がプリントされたクッキー缶を活用して早速エッセンシャルオイルケースに。
静寂の中に身を置く

念願だった、たくさんのワイエス作品を見ることができて、本当に嬉しく、幸せでした。
展覧会を見終えた後も、強烈な感動というよりは、静かな余韻が残っています。

振り返ってみると、私は昔からこうした作品に惹かれてきたのかもしれません。

大きな声で語りかける作品ではなく、静かな余白の中に物語が宿る作品 ──

ワイエスの絵の前に立っていると、そんな自分自身の好みも改めて見えてくるようでした。。。

東京都美術館
東京都美術館

東京都美術館
住所:東京都台東区上野公園8−36
Webサイト:https://www.tobikan.jp/


あなたは
どんな静けさに
心を動かされますか?

映画 エレノアってグレイト。 Eleanor the Great パンフレット チラシ

映画『エレノアってグレイト。』に感動しすぎた理由

〜 人生は、いくつになっても新しい物語を紡げる 〜


今年は、まさかこんなに泣けるとは、と思える映画との出会いが多いように感じているのですが、『エレノアってグレイト。(原題:Eleanor the Great)』もまさにそのひとつでした。

映画エレノアってグレイト。予告編

スカーレット・ヨハンソン初監督作品となるこの映画については、実に観る前から期待していました。

世界的スター女優であるスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)が、初監督作でどんな作品を選ぶのだろうと思っていたら、主人公は、若く美しいヒロインでもアクションヒーローでもなく、90代の女性エレノア。
その時点で、何か面白いものを見せてくれるのではないかと感じたのです。

しかし、実際に観てみると、その期待をはるかに超える作品でした。

この映画は”世代をつなぐ友情の物語”と紹介されています。
確かに、そのとおりです。
けれど私にとっては、それだけでは語りきれない作品でした。

物語の中心にあるのは、エレノアが思わずついてしまった一つの嘘。
ですが、それは悪意から生まれたものではありません。

だからこそ私たち観客は苦しくなります。
「それは違うよ」と思いながらも、「でも気持ちはわかる」とも思ってしまう。
そして、その”今日だけのはずだった嘘”は少しずつ大きくなっていきます。

笑いが散りばめられたフィクション映画なのですが、私は途中から、「いつか必ずバレるよね…そのあとはどうなってしまうのだろう…」「どうかもう少しだけ、この時間が続いてほしい、でも…」と、少し不安が混じる気持ちで観ていました。

映画 エレノアってグレイト。 チラシ
映画『エレノアってグレイト。』チラシ

そんな物語の中で印象的だったのが、ユダヤ教のラビが語る「ヤコブとエサウ」のエピソードです。
*ラビ(Rabbi):ユダヤ教における宗教的指導者や律法(トーラー)の教育者

双子の兄エサウを出し抜き、父をだましたヤコブ。
けれど聖書は彼を単純な悪人として描きません。
苦しみや葛藤を経ながら成長していく人間として描いています。

”人は善人か悪人かだけでは語れない。嘘も意図によっては悪くはない。”
ラビの言葉は、まるでエレノアそのものを語っているようでした。

この映画は、観客に簡単な答えを与えないからこそ、深く心に残るのかもしれません。

そしてもう一つ、私が涙なしには観られなかった理由があります。
それはホロコーストです。

映画を観ている間、私はエレノアの長き親友ベッシーの回想シーンに強く心を揺さぶられました。

ホロコースト生存者(サバイバー)としての悲しみを語るその姿には、演技を超えた迫力があり、「もしかすると、この女優さん自身も実際にホロコーストを経験したサバイバーなのではないだろうか」と感じたほどでした。

後からパンフレットを読んで、驚くと同時にやはりと納得しました。
私が感じた通り、ベッシーを演じたリタ・ゾーハー(Rita Zohar)自身がホロコースト生存者だったのです。
だから彼女の語りには、演技を超えた重みがあったのでしょう。

ホロコーストはしばしば膨大な犠牲者数とともに語られます。
しかし、ベッシーの物語は、数字ではなく、一人の人生として私の心に届きました。

映画「エレノアってグレイト。」を深く理解するための図解
映画「エレノアってグレイト。」を深く理解するための図解(筆者作成)

さらに本作では、リタ・ゾーハーだけでなく、実際のホロコースト生存者たちも参加しているとのこと。
スカーレット・ヨハンソンは、ユダヤ系のルーツを持つ自身の背景も踏まえながら、ショア財団やホロコースト生存者のコミュニティの協力を得て、この作品を作り上げました。
*ショア財団(USC Shoah Foundation):第二次世界大戦時のナチスによるホロコースト(ショア)の記憶の継承をする組織

だからこそ私は、この映画から流れてくるものが単なる再現ドラマ的なものではなく、「実際にその時代を生きた人々の記憶」に支えられているように感じたのかもしれません。

と言いつつ、この現代の日本という国で平穏に暮らしている私は、ホロコーストやユダヤ教について詳しい人間ではありません。
けれど、この映画を観て改めて思いました。

過去にあった悲劇を忘れてはならない。
そして、ただ歴史として知るだけではなく、その悲しみを抱えて生きた人たちにせめて気持ちだけでも寄り添いたい。
──と。

何より胸を打たれたのは、この映画は、単なるホロコーストや嘘にまつわる物語として終わらないことです。

エレノアは、ひょんなことから孫ほど歳の離れたニナという友人を持つことになります。
ニナとその父ロジャーは、母であり妻を亡くした悲しみを抱えていました。
そんなニナに寄り添うエレノアだったからこそ嘘も発展し、しかしやがてその嘘もバレてしまうのですが・・・

・・・あとはネタバレになってしまうので、物語の中身についてはこれ以上触れませんが、深いストーリーはさることながら、ニナを演じたエリン・ケリーマン(Erin Kellyman)の演技も素晴らしく、彼女が涙を流すたび、私も涙をこらえることができませんでした。

映画 エレノアってグレイト。 Eleanor the Great パンフレット チラシ
映画『エレノアってグレイト。』のパンフレットとチラシ。パンフレットはジャーナリスト志望の学生であるニナのジャーナルをイメージしたデザインで可愛い。

『エレノアってグレイト。』というタイトルの映画ですが、まさにグレイトづくしでした。

2024年に『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』で93歳で映画初主演を果たして「映画初主演の史上最高齢」を記録し、94歳で再び主演を務めたジューン・スキッブ(June Squibb)
グラマラスでクールな女優と知られながらも、このテーマに初監督として挑んだスカーレット・ヨハンソン
そして人生の終盤に差しかかりながらも、新しい友情を育んでいく、物語の主人公エレノア。

彼女たちは皆、「もう遅い」ではなく、「まだこれから」を生きていました。
だから私は、この映画に感動し、励まされたのだと思います。

人生には失うものも、取り返せない過去もあります。
それでも人は、新しい出会いをし、新しい物語を紡いでいくことができる。

私にとって、映画『エレノアってグレイト。』は、自分の中にある喪失感と向き合う気持ちにさせられると同時に、希望を与えてもらえる作品でした。

なお、私がこの映画を観たのはフォーラム仙台にて。
現時点(2026年6月20日)で東北ではフォーラム仙台でしか上映されていませんが、ぜひ多くの方にご覧になっていただけたらなと思う作品です。

✔️エレノアってグレイト。上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=eleanor2026


あなたは今
どんな物語を
紡いでいますか?

物語を紡ぐ
Butterfly pea flower tea

青いハーブ「バタフライピー」の癒し

〜 神秘的な美しさを味わって 〜


透き通るような青色のお茶を初めて見た時、「これは本当に自然の色なの?」と驚きました。
その美しい青を生み出しているのが、「バタフライピー」というハーブです。

東南アジアを中心に親しまれている植物で、ハーブティーとして飲まれるほか、スイーツや料理、最近ではバスソルトなどにも活用されています。

Herb tea_Butterfly pea flower tea
バタフライピーのドライハーブ(生活の木で購入)

私自身、このバタフライピーを知ったきっかけは数年前に行われた東南アジアのイベントでした。
そして最近、生活の木仙台藤崎店のワークショップで、改めてその魅力に触れる機会がありました。

今回は、そんなバタフライピーの魅力について、実際に体験した感想も交えながら綴ってみたいと思います。

バタフライピーでつくる、青いバスソルト

今回のワークショップでは、バタフライピーのハーブティーを試飲するだけではなく、バタフライピーを使ったバスソルトづくりも体験しました。

作り方自体はとてもシンプル。
シーソルトに、バタフライピーから抽出した青い液を加え、そこにカレンデュラ(有機マリーゴールド)を少し混ぜ込んでいきます。
さらに別で作ったスイートオレンジエッセンシャルオイル(オレンジ・スイート精油)のアロマスプレーを、入浴前に吹きかけて使うというものでした。

私は最初、「バタフライピーは色づけの役割が大きいのかな?」とも思いましたが、お風呂ほどの湯量を青くするには相当な分量のバタフライピーが必要なので、実際には今回作ったバスソルトではお湯全体が鮮やかな青になるわけではなく、香りも主役はスイートオレンジであるとのこと。

けれど、出来上がったバスソルトを見ているうちに、私はこう思いました。

透き通るような青に、カレンデュラのやさしい黄橙色。
そこに柑橘の香りが重なることで、単なる「入浴剤」というより、「感覚を整えるための小さな作品」のように感じられたのです。

Butterfly pea bath salt
カレンデュラを加えたバタフライピーバスソルト

ハーブには、それぞれ効能があります。
けれど今回改めて感じたのは、ハーブの魅力は「身体への作用」だけではないということ。

色や香りを感じてみる。
バスソルトを手作りする工程を楽しむ。
ゆっくりお湯に溶けていく様子を眺める…

そんな五感を使う時間そのものが、すでに癒しなのかもしれません。
忙しい毎日の中で、ほんの少しでも「美しい」と感じる時間を持つこと。
それは案外、とても大切なことなのだと思います。

バタフライピーとは?

バタフライピー(Butterfly Pea、学名:Clitoria ternatea L.)は、鮮やかな青い花を咲かせるマメ科の植物で、和名は「チョウマメ(蝶豆)」。
この名称は、花びらの形が「蝶(Butterfly)」が羽を広げた姿に似ていること、そして「豆(Pea)」の植物であることに由来しています。
原産国のタイでは「アンチャン」と呼ばれ、昔からお茶や天然の着色料として使われてきました。

Butterfly Pea


特に面白いのが、レモンやビネガー(酢)など酸性のものを加えると、青から紫、そしてピンクへと色が変化する不思議な性質。
その神秘的な変化の様子を見るのは、まるで小さな実験のようでもあり、つい見入ってしまいます。

バタフライピーの嬉しい特徴と魅力

①アントシアニンが豊富

私たちの身体は、日々ストレスや紫外線などによって「酸化」が進むと言われています。
バタフライピーのあの美しい青色の正体は、ポリフェノールの一種である「アントシアニン」
ブルーベリーなどにも含まれる成分ですが、バタフライピーには特に豊富に含まれていると言われています。

もちろん、これだけで劇的に何かが変わるというものではありませんが、「毎日を健やかに過ごすためのお守り」や「自分をいたわる習慣」の一つとして取り入れるのは素敵だなと感じました。

② デスクワークの合間のリフレッシュに

パソコンやスマートフォンを見る時間が増えた現代。
私自身、ブログを書いたり画像編集をする時間が長いので、意識的に画面から目を離す時間を大切にしています。

温かいハーブティーをゆっくり淹れて、湯気を見つめながら一息つく時間は、酷使した頭や目だけでなく、心にとってもちょっとしたリセットになります。

③ リラックスタイムにぴったり

バタフライピーはカフェインを含まないため、夜にも飲みやすいハーブティーです。
味そのものはとてもやさしく、クセが少ないので、はちみつやフルーツジャムを加えるのもおすすめ。

私はこの程、たまたま手元にあった洋梨ジャムを加えて楽しんでみました。
そこにほんの少し酸味を加えると、色がふわっと紫へ変わる瞬間がとても綺麗で…

ただ飲むだけではなく、「眺める楽しさ」があるお茶だなと思います。

Butterfly pea flower tea
バタフライピーのハーブティー(酸味を加える前の色)
一般的に言われている効能以上に感じたこと

今回、耐熱ガラスのカップを新しく迎えたこともあり、バタフライピーを淹れる時間がさらに特別なものになりました。
透明なガラス越しに見る青色や紫色は、本当に美しくて。

忙しい毎日の中でも、ほんの数分、自分のためにお茶を淹れて、その色を眺める。
それだけで少し気持ちが整うような気がします。

もしかすると、バタフライピーの魅力は、成分や効能だけではなく、「美しいものをゆっくり味わう時間」そのものにあるのかもしれません。

バタフライピーのハーブティー(酸味を加えた後の色)

バタフライピーは、東南アジアを中心に広く親しまれているハーブです。
生産地によって背景や文化は異なりますが、美しい青色や色の変化を楽しめる魅力は共通しています。
ちなみに、酸が強いほどピンク色に近づきます。

もし見かける機会があれば、ぜひ一度、その青色そして色の変化を体験してみてください。
少しだけ、日常が特別に見える時間になるかもしれません。


あなたは
どんな色に
心を動かされますか?

青い花とお茶の夢イメージイラスト
映画 プラダを着た悪魔2 パンフレット 映画 プラダを着た悪魔 サウンドトラックCD

20年後に帰ってきた『プラダを着た悪魔』による気づき

〜 音楽と共に、成長から成熟のストーリーへ 〜


映画『プラダを着た悪魔2(原題:The Devil Wears Prada 2)』、2026年5月1日に日米同時上映が始まってから1ヶ月経ちましたが、ここ仙台でも上映は続いていますし(6月5日現在)、老若男女問わず、かなり人気のようです。

記事にするのが遅くなってしまいましたが、私自身も公開開始から5日後にはTOHOシネマズ仙台へ足を運び、観てきました。

映画 プラダを着た悪魔2 チラシ(1)
映画『プラダを着た悪魔2』チラシ(1)

まずは、2006年に公開された映画『プラダを着た悪魔(原題:The Devil Wears Prada)』について振り返ってみましょう。

ヴォーグ誌の女性編集長のアシスタントを務めた経験を持つ新人作家(2003年時)ローレン・ワイズバーガー(Lauren Weisberger)によるベストセラー小説を原作としたこの映画は世界的に大ヒットしました。

気がつけば20年も前の作品ですから、今作の『プラダを着た悪魔2』を劇場に観に行った人の中にも、当時は生まれていなかったという人もいらっしゃるでしょう。

映画プラダを着た悪魔予告編

私はといえば、主人公アンディの「成長」物語としてこの作品を楽しんでいました。

ファッションに興味のなかった一人の女性が、誰もが憧れるファッション誌の世界に飛び込み、戸惑いながらも努力を重ね、自分の居場所を見つけていく。

華やかな衣装やニューヨークの街並み、テンポの良いストーリー展開に加え、印象的な音楽も相まって、とても爽快感のある映画だったように思います。

何より、アンディが仕事を通し、自分の価値観と向き合いながら前に進んでいくその姿に、多くの人が共感したのだと思いますし、私もその一人でした。

20年後の続編が描いたもの

それから20年の時を経て、続編となる『プラダを着た悪魔2』を観て感じたのは、前作とは少し違う空気でした。

映画 プラダを着た悪魔2 チラシ(2)
映画『プラダを着た悪魔2』チラシ(2)

もちろん、相変わらずおしゃれで華やか、テンポも良く、笑える場面もたくさんあります。
けれど、その奥には前作以上に深みのあるドラマが描かれていました。

登場人物たちは20年という歳月を生きています。
成功した人もいれば、挫折を経験した人もいる。
それぞれが様々な選択を重ねながら人生を歩んできました。

だからこそ今回の物語では、「これから何者になるか」ではなく、「何を選び、何を手放すのか」が描かれているように感じました。

ナイジェルのさりげない優しさ。
ミランダが下したある決断。
そしてアンディエミリーの関係性。

どれも若い頃の勢いや競争だけでは語れない、大人だからこその物語でした。
観終わった後、少し胸が熱くなったのは、そんな「成熟」した人間ドラマがあったからかもしれません。

映画「プラダを着た悪魔」の主要人物と関係性
映画『プラダを着た悪魔』の主要人物と関係性の図解(*筆者作成。映画の内容理解を目的としたイメージ図です)
音楽もまた成熟していた

『プラダを着た悪魔』を語る上で、音楽(BGM)は欠かせない存在です。

前作のサウンドトラックは、映画ファンだけでなく音楽ファンからも高く評価されました。
マドンナ(Madonna)U2ジャミロクワイ(Jamiroquai)アラニス・モリセット(Alanis Morissette)など、豪華アーティストの楽曲が並び、作品の世界観を鮮やかに彩っていました。

そして今回の『プラダを着た悪魔2』でも、その伝統は受け継がれています。
レディー・ガガ(Lady Gaga)デュア・リパ(Dua Lipa)マイリー・サイラス(Miley Cyrus)レイヴェイ(Laufey)など、現代を代表するアーティストたちの楽曲が登場し、華やかなファッション業界の空気感を見事に表現していました。

映画を観終わったあと、「サウンドトラックが欲しい」と思った方も多いのではないでしょうか。
私もその一人です。

しかし私にとって、このシリーズを象徴する音楽は別にもあります。
それは、テオドール・シャピロTheodore Shapiro)によるテーマ曲「プラダを着た悪魔(Suite From The Devil Wears Prada)」です。
前作のサントラにも収録されていたこの曲は、まさに『プラダを着た悪魔』そのもの。

テオドール・シャピロTheodore Shapiro「プラダを着た悪魔(Suite From The Devil Wears Prada)」

洗練されたリズム。
都会的で少しユーモアを感じるメロディ。
かと思えばセンチメンタルなピアノの旋律…

あのメロディが流れた瞬間に、ニューヨークの街並みやランウェイ誌の編集部、そしてアンディミランダらの姿が頭に浮かびます。
作品を象徴するテーマ曲というものは数多くありますが、『プラダを着た悪魔』においては、この曲こそが作品の心臓部なのではないかと感じています。

さらに映画の中では、そのテーマを、テンポを変えたり、楽器を変えたり、アレンジした楽曲が様々な場面で使われています。
だからこそ、気づかないうちに作品全体が一つの音楽でつながっているように感じられるのではないかと思えるのです。

20年前、この曲は私にとって「これから始まる物語」の音楽でした。
新しい世界へ飛び込む高揚感や希望を感じさせてくれる音楽だったように思います。

けれど今回続編で耳にしたときは、少し違って聞こえました。
そこには懐かしさがあり、積み重ねた時間があり、そして再会の喜びがあり、「歩いてきた時間を振り返る音楽」にも聴こえます。

同じ旋律なのに、まるで違う意味を持って響いてくる。
それはきっと、映画の登場人物たちだけでなく、観ている私自身も20年という時間を生きてきたからなのでしょう。

映画プラダを着た悪魔2』予告編

それから、ネタバレになってしまいますが、今作でのサプライズは、レディー・ガガの劇中での登場でした。
(すでに話題なので今更ネタバレにもならないかもしれませんが・・・)

『プラダを着た悪魔』を象徴する音楽といえば、私にとってはテオドール・シャピロによるテーマ曲である一方、ポップミュージックという意味ではマドンナ「ヴォーグ(Vogue)」も外せません。

マドンナ(Madonna)「ヴォーグ(Vogue)」

そして続編では、そのヴォーグがさりげなく流れる場面がある一方で、レディー・ガガが新たな時代の空気をまとって登場します。

2006年に『プラダを着た悪魔』が公開されたまさに同じ年にマドンナの生ライブも体験した私としては、マドンナに代わる存在はいない、と思っています。
けれど、「時代を象徴する女性アーティスト」という意味では、レディー・ガガは現代のポップカルチャーを代表する存在の一人なのだろうと捉えることができるのです。

♪ レディー・ガガ(Lady Gaga)&ドーチー(Doechii)「ランウェイ(RUNWAY)」

20年前の『プラダを着た悪魔』と、2026年の『プラダを着た悪魔2』
その間に流れた時間までもが、音楽によって表現されているように感じました。

20年という時間がくれたもの

前作を観た頃の私は、アンディの成長に心を躍らせていました。
そして今は、ミランダナイジェルたちの決断に心を動かされています。

同じ作品の続編なのに、心に響く場所が変わっていました。
それはきっと、この20年で私自身も少しずつ歳を重ねてきたからなのでしょう。

『プラダを着た悪魔2』は、懐かしいキャラクターたちとの再会を楽しめる映画であると同時に、自分自身の時間の流れを感じさせてくれる作品でもありました。
そして、その変化に気づかせてくれたのは、20年前と変わらずそこにあった音楽だったような気がします。

映画 プラダを着た悪魔2 パンフレット 映画 プラダを着た悪魔 サウンドトラックCD
映画『プラダを着た悪魔2』パンフレットと『プラダを着た悪魔』サウンドトラックCD

ちなみですが、今作『プラダを着た悪魔2』のサウンドトラックのCDはまだ販売されておらず、現時点では配信のみです(なので、上の写真もCDは前作のもの)。
7月に輸入盤CDおよびLP(レコード)の発売は予定されていますが、日本盤については今のところ言及されていません。
また、前作の時はありませんでしたが、今回はテオドール・シャピロによるオリジナル・スコアのアルバムの配信もされています。
そしてこのオリジナル・スコアのアルバムについては、輸入盤・日本盤ともにCDの販売は言及されていません。
このご時世ですので、CDでの販売拡大はされないのかもしれませんが、私個人としては、是非とも日本限定特典付きバージョンとして、サウンドトラックとオリジナル・スコアののCDセット販売をして欲しい気持ちです・・・

追記:なんとこの記事をアップした直後、『プラダを着た悪魔2』サウンドトラックCDの日本盤<特典付き>の販売について発表されました!7/31(金)に発売決定とのことで、予約受付が始まっています。
なお、オリジナル・スコアについては未だ配信のみの模様です。

✔️プラダを着た悪魔2上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=devilwearsprada2

✔️プラダを着た悪魔2サウンドトラック情報:https://www.universal-music.co.jp/dwp2soundtrack/


あなたには
年月を経て見え方が変わった
作品はありますか?

The spiral of time and memory
チュルリョーニス展 内なる星図 チラシ 図録 クッキー缶

『チュルリョーニス展 内なる星図』で出会ったリトアニア

〜 遠い国の静かな宇宙 〜


国立西洋美術館で開催されている『チュルリョーニス展 内なる星図』へ行ってきました。
(会期:2026年3月28日(土)〜6月14日(日))

正直なところ、私はこれまでチュルリョーニスという芸術家を知りませんでした。
けれど数ヶ月前、私と同じく仙台に住む友人が上野動物園を訪れ、「アート好きなあなたへ」と私のために、この展覧会のチラシを持ち帰ってきてくれたのです。

チュルリョーニス展 内なる星図 チラシ(外面)
国立西洋美術館展覧会『チュルリョーニス展 内なる星図』 チラシ(外面)

そして私は、そのチラシに載っている絵を見た瞬間、「これは好きかもしれない」と直感しました。

チュルリョーニスという芸術家

ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスMikalojus Konstantinas Čiurlionis、1875年9月22日-1911年4月10日)は、バルト三国の一つであるリトアニアを代表する芸術家です。

彼は画家であると同時に作曲家でもあり、音楽絵画という二つの芸術分野で優れた才能を発揮しました。
ワルシャワ音楽院やライプツィヒ音楽院で音楽を学び、多くの楽曲を残す一方、30歳頃から本格的に絵画制作へ取り組み、わずか数年の間に300点以上の作品を生み出しました。

その作品には、星空神話宇宙といったモチーフが繰り返し登場します。
しかし彼が描こうとしたのは単なる風景ではなく、その奥にある精神世界自然の神秘でした。
音楽用語である「ソナタ」や「フーガ」を題名にした連作も多く、絵画と音楽を一つの世界として表現しようとした独創的な芸術家なのです。

生前は必ずしも高い評価を得られませんでしたが、35歳という若さで亡くなった後、その才能は再評価され、現在ではリトアニアの国民的芸術家として広く敬愛されています。
彼の名を冠した美術館や音楽学校も存在し、リトアニア文化を象徴する存在の一人となっています。

チュルリョーニス展 内なる星図 チラシ(中面)
国立西洋美術館展覧会『チュルリョーニス展 内なる星図』 チラシ(中面)

まず、私が初めてチュルリョーニスの作品を観て感じたのは、そこには、静けさと激しさが同時に存在しているということでした。
星や森や海が描かれているのに、それは単なる風景ではなく、どこか心の奥にある宇宙のようにも感じられる。
また、絵を見ているのに音楽を聴いているようで、音楽を聴いているのに風景を眺めているようでした。

チュルリョーニス 《第6ソナタ(星のソナタ):アレグロ》&《第6ソナタ(星のソナタ):アンダンテ》
チュルリョーニス 《第6ソナタ(星のソナタ):アレグロ》&《第6ソナタ(星のソナタ):アンダンテ》

そして驚いたのが、チュルリョーニスが美術史の上でも「抽象絵画の先駆者の一人」として認められるということです。

彼の作品には、山や森、海や星といったモチーフが描かれている一方で、現実の風景をそのまま再現することにはあまり関心がありませんでした。
むしろ彼が描こうとしたのは、音楽の響きや自然の神秘、そして人の内面に広がる精神世界であり、作品は次第に抽象性を帯びていきます。

チュルリョーニスがこうした表現に取り組んでいたのは1900年代初頭。
それは、私たちが美術の教科書で抽象絵画の先駆者であり巨匠として知るカンディンスキーWassily Kandinsky、1866年12月16日-1944年12月13日)やモンドリアンPiet Mondrian、1872年3月7日-1944年2月1日)が本格的な抽象表現へ向かうよりも早い時期だったのです。

Kandinsky《Yellow-Red-Blue》
Wassily Kandinsky《Yellow-Red-Blue》Public domain, via Wikimedia Commons
Mondrian《CompositionⅡ》
Piet Mondrian《CompositionⅡ》Public domain, via Wikimedia Commons

また、チュルリョーニスは油絵のような重厚な絵画だけでなく、本の装丁、絵はがき、楽譜の表紙、リトアニアの伝統的な十字架のデザインなど、現代でいうグラフィックデザインエディトリアル(出版)デザインの仕事も数多く手がけていました。

いわば、彼は、現代の「グラフィックデザイン」や「視覚伝達(ビジュアル・コミュニケーション)」の視点から見ても、驚くほど先進的なアプローチを行っていたクリエイターだったわけです。
このことは、生前は十分に理解されなかった彼の作品が、時代を超えて新たな価値を見出されている理由の一つなのかもしれません。

リトアニアという国とチュルリョーニス

チュルリョーニスが生きた時代にはロシア帝国の支配下にあったリトアニアは、現在、エストニアラトビアと並ぶ「バルト三国」の最南端に位置する国です。

実は私自身、数年前にエストニアを一人旅で訪れており、たいてい旅行本も「バルト三国」でまとめられているので、その時点でリトアニアにはとても興味を持っていました。
その時にはリトアニアまでは行けませんでしたが、私の中ではいつか行きたい国の一つとなっていたので、今回の展覧会が、リトアニア出身の芸術家の作品によるものであると知った時、なおさら惹かれたわけなのです。


さて、リトアニアとはどんな国なのか。

正式名称はリトアニア共和国(英語:Republic of Lithuania、リトアニア語:Lietuvos Respublika)。
面積は約6.5万平方キロメートルと北海道の約8割ほどの大きさです。
人口は約280万人で、日本でいえば大都市レベルの人口規模ですが、ヨーロッパの歴史と文化の中で独自の存在感を持っています。
首都はヴィリニュス(Vilnius)
中世には巨大なリトアニア大公国として栄え、一時はヨーロッパ有数の大国でした。
しかしその後は周辺諸国の支配を受け、19世紀にはロシア帝国、20世紀にはソ連の支配下に置かれるなど、決して平坦ではない歴史を歩んできました。
そして1990年、ソ連からの独立回復を宣言した最初の共和国となり、現在のリトアニアへとつながっています。

リトアニアを語るうえで欠かせないのが自然です。
国土の約3分の1が森林に覆われ、

  • 深い森
  • 湿地
  • 穏やかな丘陵

が広がっています。
北欧の雄大なフィヨルドとは違い、どちらかといえば静かでやわらかな風景です。
リトアニア人文化精神性には、こうした自然との深い結びつきが今も色濃く残っています。

実はリトアニアには、ヨーロッパの中でも少し特別な歴史があります。
キリスト教化されたのが14世紀末と比較的遅く、それまで長く自然信仰や多神教的な世界観が残っていました。
そのため、

  • 太陽
  • 樹木

などを神聖なものとして敬う感覚が、今でも文化や芸術の中に息づいています。

チュルリョーニスの作品に、

  • 宇宙
  • 星々
  • 神秘的な自然
  • 夢のような風景

が多く登場するのも、こうした土壌と無関係ではないでしょう。

また、リトアニアはしばしば「歌う国」とも呼ばれます。
民謡や合唱文化が非常に盛んで、人々は古くから歌によって歴史や文化を受け継いできました。
バルト三国では1980年代後半、ソ連支配からの独立を求める人々が大規模な合唱集会を開きました。
この平和的な独立運動は「歌う革命」と呼ばれています。

音楽が人々の精神的な支えとなってきた国だからこそ、チュルリョーニスのような「画家であり作曲家でもある芸術家」が国民的存在になったのかもしれません。

チュルリョーニス 《ピアノのための交響詩「海」の楽譜 草稿》
チュルリョーニス 《ピアノのための交響詩「海」の楽譜 草稿》
「リトアニア的ではない」と言われた芸術

しかしながら、生前のチュルリョーニスに対しては、「リトアニアらしくない」という批判もあったそうです。
彼の作品は民族衣装や歴史的英雄を描くわけではなく、あまりにも幻想的で象徴的だったからでしょう。

ですが後年、

ここにはどれほどのリトアニア性が込められているだろう!

と評価する声が現れたとのこと。

それはおそらく、チュルリョーニスリトアニアの風景そのものではなく、「リトアニア人が自然や世界と向き合う感覚そのもの」を描いていたからだと思います。

森に漂う霧。
静かな湖面。
果てしない星空。
自然への畏敬と、どこか物悲しい美しさ。

彼の作品には、そうしたリトアニアの精神風土が静かに息づいているように感じられます。

早すぎる死と、妻ソフィヤの存在

チュルリョーニスの人生を知るほどに、私は妻ソフィヤの存在が気になりました。
今回の展示内ではソフィヤのことについて事細かには説明されていませんが、図録やネットなどから私なりに紐解いてみました。

妻のソフィヤ・チュルリョーニエネ=キマンタイテSofija Čiurlionienė-Kymantaitė、1886年3月13日–1958年12月1日)は、単に「天才を支えた献身的な妻」という枠には収まらない、当時のリトアニアの文化・社会をリードした非常に聡明で自立した女性だったということです。

彼女は、美術や演劇を愛し、記者や文芸評論家として働きながら、自らも詩や小説を執筆していた創作者でした。
二人は互いの芸術を理解し合い、共に創作の道を歩もうとしていたといいます。

しかし、その時間はあまりにも短く終わってしまいました。
二人の結婚生活は、チュルリョーニスが精神を病んで入院するまでのわずか1年ほどでした。

チュルリョーニス 《レックス(王)》
チュルリョーニス 《レックス(王)》

オルガン奏者であった父を持つチュルリョーニスが、音楽の才能を開花させるのは幼少の頃ですが、画家としての彼の活動期間は、1903年から1909年までの実質わずか6年ほどでした。
この短い間に、彼は300点以上の絵画作品や無数の楽曲を残しています。
寝る間も惜しんで創作に没頭する一方で、経済的な困窮も重なり、心身は限界を迎えていました。

代表作である大作『レックス(王)』を完成させた1909年の年末には、深刻な燃え尽き症候群(バーンアウト)と深い鬱状態に陥ってしまいます。
精神科医から「極度の精神的・身体的消耗」と診断された彼は、1910年の初めから、ワルシャワ近郊にある「ツェルヴォニ・ドゥヴル(赤い館)」という静かなサナトリウム(療養所)に入院することになりました。

悲劇が起きたのは、翌年1911年の3月末。
体調が良くなってきたため散歩に出かけたところ、運悪く風邪をひいてしまい、それが重い肺炎を併発してしまって、帰らぬ人となってしまったのです。
35歳という若さでした。

けれど彼の芸術はそこで終わりませんでした。
作品を守り、その価値を信じ続けた人がいたからです。

チュルリョーニスが35歳で亡くなったとき、ソフィヤはまだ25歳で、生後数ヶ月の幼い娘ダヌテを抱えていました。
チュルリョーニスと娘が会うことも叶わぬまま、ソフィヤはシングルマザーとなってしまうのです。
過酷な運命に直面した彼女でしたが、そこからの人生でリトアニアの文化に計り知れない貢献を残しました。

このソフィヤの存在を知ったとき、私はチュルリョーニスの物語は一人の天才の物語ではなく、二人で紡がれた物語でもあったのだと感じました。

チュルリョーニス展 内なる星図 チラシ 図録 クッキー缶
国立西洋美術館展覧会『チュルリョーニス展 内なる星図』 図録 チラシ クッキー缶
日本との不思議な縁そして私が感じた縁

生前のチュルリョーニスの評価は、決して高いものばかりではなく、戸惑いや批判の声も少なくなかったというのは、彼の作品は時代を少し先取りしすぎていたからなのかもしれません。

それでも彼は、音楽を奏で、絵を描き、自らの国の文化に貢献しようと創り続けました。
そして彼の死後、妻ソフィヤやその価値を信じた人々が作品を守り続け、やがて時代は彼に追いつきます。
チュルリョーニスリトアニアを代表する芸術家として再評価され、その作品は国の大切な文化遺産となりました。

国立西洋美術館研究員による解説『チュルリョーニス展 内なる星図』(本展覧会場入口でも放映されている動画ですが、展示を観る前と実際に観た後ではまた印象が変わるかもしれません)

さらに興味深いことに、リトアニア独立回復後に企画された大規模回顧展の海外での最初の開催地は、なんと日本だったのです。

今回の展覧会『チュルリョーニス展 内なる星図』のチラシには”祖国リトアニアにおける生誕150周年の祝賀ムードを引き継いで開催される本展は、日本では34年ぶりの回顧展。”と明記されていたので、展覧会に行く前には、「私は10代の時だし知らなかったど、日本でも過去にこの人の展覧会されたことあったのか」程度にしか思っていませんでした。
が、意外にもそれが世界に先駆けてだったとは ──

1992年セゾン美術館で開催された『チュルリョーニス展 ─ リトアニア世紀末の幻想と神秘』
天皇陛下(現:明仁上皇陛下)も鑑賞されたとのこと。
当時、日本で世界初の回顧展が開催された背景には、ソ連から独立したばかりのリトアニアが自国の偉大な文化を世界にアピールしたかったタイミングと、当時の日本の圧倒的なカルチャー発信力、そしてソ連時代からチュルリョーニスを熱心に研究し信頼関係を築いていた日本の専門家たちの情熱が、奇跡的に合致したというドラマがあったのだそうです。

100年以上前に生きた一人の芸術家と、遠く離れた日本。
その不思議な縁に、私は少し心を動かされました。

チュルリョーニス自身は日本を訪れたことがありません。
しかし19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを席巻したジャポニスムの影響は、彼の時代にも及んでいました。

作品の中には、日本美術を思わせる平面的な構成や、余白を活かした空間表現、自然へのまなざしを感じることもあります。
どこか日本人の感性と響き合うものがあるのです。
だからこそ私は、日本で最初の大回顧展が開催されたことを知ったとき、不思議な偶然というより、どこか必然のようにも感じました。

チュルリョーニス 《第5ソナタ(海のソナタ):フィナーレ》
チュルリョーニス 《第5ソナタ(海のソナタ):フィナーレ》(葛飾北斎の《神奈川沖浪裏》を参照したと思われる作品)

そして、私にとっては、友人が何気なく持ち帰ってくれた一枚のチラシから始まった今回の出会い・・・
その先には、一人の芸術家だけでなく、リトアニアという国の歴史や文化、そして日本との意外なつながりが広がっていました。

遠い国の静かな宇宙は、思いがけず私の心の近くまで届いていたのです。

リトアニアを旅するイメージもますます広がり、この展覧会に足を運んだ後も至福に包まれています。
心から、感謝。。。

国立西洋美術館
国立西洋美術館

国立西洋美術館
住所:東京都台東区上野公園7−7
Webサイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/



あなたにも
遠い国から届いた
宝物はありますか?

遠い国から届いた宝物
映画 ひつじ探偵団 THE SHEEP DETECTIVES パンフレット

癒し系哲学ミステリー映画『ひつじ探偵団』

〜 見逃すところだった、心に残る一本 〜


実は、私はこの映画、元々は全く観るつもりはありませんでした。
『ひつじ探偵団(原題:THE SHEEP DETECTIVES)』というタイトルから受ける印象は、面白おかしく可愛らしいファミリー向け作品。

映画 ひつじ探偵団 THE SHEEP DETECTIVES チラシ(表)
映画『ひつじ探偵団』チラシ(表面)

しかも私は基本的に、洋画は字幕版でしか観ないのですが、こうした作品は地域や劇場により、吹き替え版のみの上映になることも少なくありません。
そのため、今回も「自分とはあまり縁のない映画だろう」と思い込んでいました。

ところが、上映スケジュールを確認してみると、行きつけのTOHOシネマズ仙台でも字幕版が上映されていることが分かりました。
ハリウッドを代表するスターの一人であるヒュー・ジャックマンHugh Michael Jackman出演作品でもありますし、海外での評価も高いようです。
「字幕版があるなら観てみようかな」そんな軽い気持ちで映画館へ向かったのでした。

しかし、その選択は思いがけず、私にとって大切な映画との出会いになりました。

最初は距離を感じていた

映画が始まった当初、私はどちらかというと物語そのものよりも映像表現の方が気になっていました。

羊たちはリアルだけれども、どう見てもCGです。
一方で、ヒュー・ジャックマン演じる羊飼いのジョージは、ごく自然に羊たちと接しています。
「これはどうやって撮影しているんだろう?」そんなことを考えながら観ていました。

また、登場人物たちもどこか現実離れしています。
少し間の抜けた警官や、個性の強い村人たち。

最初は「映画だからこういう演出なのかな」と感じていました。

ところが、気づけばそんなことは全く気にならなくなっていました。
いつの間にか私は、あの不思議な世界の中に入り込み、羊たちのことを心配し、彼らの行く末を見守っていたのです。

映画 ひつじ探偵団 THE SHEEP DETECTIVES チラシ(裏)
映画『ひつじ探偵団』チラシ(裏面)
まさか涙するとは

この映画は間違いなくコメディです。
何度も笑わされました。

ところがなんと、この羊たちが主人公のミステリー映画で、私は涙することにもなったのです。
映画館を出た後も心に残り、パンフレットを読み進めると観た時の感動が思い出されてきて、再び涙が込み上げてきました。

なぜだろうと考えてみると、この映画は単なるミステリーではなかったからだと思います。
そこには、

  • 大切な存在を失うこと
  • 仲間を想うこと
  • 誰かを記憶の中で生かし続けること
  • 物語が人を支えること

そんなテーマがそっと流れていました。

羊たちは羊でありながら、驚くほど人間らしい。
いや、もしかすると人間以上に素直に感情を表現していたのかもしれません。

そこに違和感を覚えるどころか、だからこそ、私は彼らに共感し、心を動かされたのだと思います。

映画『ひつじ探偵団』予告編
ヒュー・ジャックマンの言葉

パンフレットの中で、主演のヒュー・ジャックマンはこんなことを語っています。
脚本を読み始めて25ページほどのところで出演を決意し、最後まで読み終えた時には、自分でも驚くほど涙が止まらなくなった、と。

映画を観る前なら、少し大げさに思えたかもしれません。
けれど、観終わった今の私には、その気持ちがよく理解できます。

ヒュー・ジャックマンはまた、脚本に”理屈抜きに惹きつけられる何かがあった”とも語っていましたが、この作品には確かに、人を理屈抜きに惹きつける魅力があると感じます。

そして、ジョージという人物が本当にそこに生きているように感じられたのは、ヒュー・ジャックマンの存在があったからこそだと思います。

羊たちが彼を慕う理由。
彼を失った悲しみ。

そのすべてに説得力がありました。

羊たちが主役なのに、本格ミステリー

また、この作品に驚かされたのは、ミステリーとしての完成度でした。

「羊たちが活躍するコメディ映画だろうけど、VFX(撮影技術・視覚効果)が気になるから、字幕版上映されるなら行ってみよう」くらいの気持ちで観に行った私には、そのコメディーとしての面白さだけではなく、かなり深い推理小説ばりな内容に感服。

物語が進むにつれ、散りばめられた伏線や謎が少しずつ繋がっていきます。
思わず「そういうことだったのか」と唸る場面もあり、予想以上に本格的なミステリーとして楽しむことができました。

羊たちは、本当にそこにいるようだった

それから、「あの羊たちは、一体どうやって撮影されているのだろう?」という疑問を持つのは、きっと私だけではないでしょう。

パンフレットによると、本作では羊の品種ごとの特徴まで細かく描き分けられているそうです。
実は、羊は犬よりも品種が多いとのことで、それぞれ見た目や性格に違いがあるのだとか。

さらに撮影現場では、本物そっくりに作られた羊のパペットを使ってリハーサルを行い、その後、映像の中で高度なCGへと置き換えていったそうです。

だからこそ俳優たちの視線や仕草に違和感がなく、羊たちが本当にその場に存在しているように感じられたのですね。
映画の冒頭では撮影技術の方が気になっていた私も、気づけばそんなことを忘れ、完全に羊たちの世界に入り込んでいました。

映画 ひつじ探偵団 THE SHEEP DETECTIVES パンフレット
映画 『ひつじ探偵団』パンフレット
見逃さなくてよかった

この映画『ひつじ探偵団』は、もし字幕版が上映されていなかったら、私はおそらく、観ていなかったと思います。
もちろん、吹き替え版は吹き替え版なりの面白さがありますし、そちらを好む方もたくさんいらっしゃるでしょう。
それぞれの楽しみ方があると思います。

ただ、今回の私にとっては、字幕版上映があったからこそ、この作品と出会うことができました。
そして、その出会いに心から感謝しています。

映画には時々、最初から観るつもりだった作品以上に、思いがけない形で心に残る作品があります。

私の場合、今年は特に、そんな出会いが続いている気がします。
振り返ってみると、それらは必ずしも公開前から注目していた作品ではありません。
むしろ、「少し気になる」「なんとなく惹かれる」── そんな小さなきっかけから足を運んだ作品…
直感というほど大げさなものではないのかもしれません。
けれど、心のどこかが向いた方向へ少しだけ歩いてみると、思いがけない景色に出会えることがあります。

映画『ひつじ探偵団』は、まさにそんな一本でした。
可愛らしい羊たちのミステリーだと思っていたら、気づけば笑い、そして涙していました。
私は今、「この映画を見逃さなくて、本当によかった」と思っています。

ちなみに、この原作本『ひつじ探偵団〔新版〕』が、今回の映画公開にあわせて販売されています。
本書の原題は『Glennkill(グレンキル)』で、これは、小説中に登場するアイルランドの架空の村の名前です(映画ではイギリスが舞台)。

2005年にドイツで刊行され、20年以上に渡り世界で愛されている、作家レオニー・スヴァンLeonie Swannによるベストセラー推理小説で、日本でも2007年に刊行されていますが、今回の映画公開にあわせて”新版”として復刊しました。
映画とはまた趣の異なる面白さを味わうことができます。

楽天ブックス
¥2,750 (2026/06/28 16:53時点 | 楽天市場調べ)

✔️『ひつじ探偵団』が上映されている劇場はこちら:
https://hitsuji-tanteidan.jp/theater.html


あなたには
“見逃さなくてよかった”と思う
作品との出会いはありますか?

映画館にて
「トワイライト 新版画 小林清親から川瀬巴水まで」 図録 葉書 クリアフォルダー

古典版画と新版画そして写真『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで』

〜 色褪せない光、そして芸術 〜


東京丸の内の三菱一号館美術館にて開催されていた展覧会『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで 』(会期:2026年2月19日〜5月24日)に、終了間際、滑り込みで訪れることができたのですが、結論から言えば、絵画も写真もどちらも好きな私には「行って本当に良かった」と心から思える素晴らしい展示でした。

三菱一号館美術館 entrance
三菱一号館美術館 入り口

三菱一号館美術館
住所:東京都千代田区丸の内2丁目6−2
Webサイト:https://mimt.jp/


この展覧会は、単なる「美しい版画展」ではありませんでした。
伝統的な浮世絵から新版画へと移り変わる流れと、日本に入ってきたばかりの写真文化が対比されるように展示されていて、

「人はどう光を見つめ、どう風景を表現してきたのか」

そんな視覚表現の変化そのものを体験できる内容だったように思います。

さて、今回の展示タイトルにもなっている小林 清親(こばやし きよちか、1847年9月10日-1915年11月28日)は、明治時代に活躍した浮世絵師です。
江戸から明治へと時代が大きく移り変わるなか、西洋文化写真技術が日本へ流入し、人々の「ものの見方」も大きく変化していきました。
そんな時代に清親は、従来の浮世絵にはあまり見られなかった光と影の表現を積極的に取り入れ、ガス灯に照らされた街並みや夜景、雨景などを描きました。

小林清親 日本橋夜
小林清親《日本橋夜》(一部が撮影可能だった本展覧会で撮った写真)

その作風は「光線画」とも呼ばれ、単に風景を描くだけではなく、光が生み出す空気や時間を表現しようとした点に大きな特徴があります。
そして、その視点は後の新版画へと受け継がれていったということです。

既に清親が活躍していた頃に生まれた、川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年5月18日-1957年11月27日)が描いた夕暮れや雨、雪、夜の風景にもまた、単なる景色の再現ではない、光と空気へのまなざしを見ることができます。
そう考えると、小林清親から川瀬巴水へという流れは、技法の継承というよりも、

「移ろう光をどう表現するか」

という探求の系譜だったのかもしれません。

小林清親川瀬巴水は世代の異なる作家であり、直接的なつながりがあったわけではないようですが、明治という新しい時代の光を描こうとした清親の試みは、確かに、その後の新版画にも通じるものを感じます。

flyer トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで チラシ(表)
三菱一号館美術館展覧会『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで』 チラシ(表)

私が今回観ることが出来た川瀬巴水の作品の中で特に印象的だったのは、《東京十二題 木場の夕暮れ》です。
それはまさに”トワイライト(twilight)”。
日の出前や日没後の空が薄明るい時間帯で、空が美しいグラデーションを見せる幻想的な時。
写真の世界では「マジックアワー」とも呼び、その瞬間を撮影するのが至福の時でもあります。

空から川面へと溶けるように続くグラデーション。
夕暮れ特有の静かな青。
水面に映る柔らかな光。

見ているだけで、ふっと呼吸が深くなるような感覚がありました。

ミュージアムショップでは、ちょうどこの作品がポストカードのみならず、クリアホルダーにもデザインされ販売されていたので、思わず購入してしまったのですが、やはり私にとっては、単なる「グッズ」ではなく、その「感覚を持ち帰りたかった」のだと思います。

「トワイライト 新版画 小林清親から川瀬巴水まで」 図録 葉書 クリアフォルダー
展覧会『トワイライト 新版画 小林清親から川瀬巴水まで』の図録、川瀬巴水東京十二題 木場の夕暮れ》のハガキとクリアフォルダー

また今回、ほんの数点ではありましたが、吉田 博(よしだ ひろし、1876年9月19日-1950年4月5日)の作品を再び見ることができたのも、私にとってはとても嬉しい出来事でした。
以前、川越市立美術館で開催されていた『没後70年 吉田博展』を訪れ、その美しさに深く感動していたからです。

『没後70年 吉田博展』図録 葉書 チケット
過去記事「芸術を満喫する旅で出会えたすごい画家 吉田博」より『没後70年 吉田博展』川越市立美術館)図録、葉書、チケット

山や水辺に差し込む透明な光。
時間によって変化する空気の色。

同じ新版画でも、静かな余韻を描く川瀬巴水と、光そのものを追いかけるような吉田博
その違いもまた、とても興味深く感じました。

版画というと、以前の私はどこか「古典」の世界として見ていた部分がありました。
けれど今回改めて感じたのは、新版画の代表作家である川瀬巴水吉田博たちは、写真を知っている時代の作家だったということ。
カメラという新しい視覚装置が登場した時代に、それでも彼らは版画でしかできない表現へ向かっていったのです。

だからこそ彼らの作品には、

・空気
・湿度
・時間帯
・静けさ
・光の余韻

といった、写真だけではすくいきれない感覚が宿っているのかもしれません。

そして今回、私が特に驚いたのは、幕末から明治期の手彩色写真でした。
まだカラー写真など存在しない時代。
白黒写真の上に、人の手で一枚一枚、繊細に色が重ねられていたのです。
しかも単なる着色ではなく、「どこに色を入れるか」「どこはあえて色を抑えるか」という美意識まで感じられました。

現代ではカラー写真は当たり前です。
でも当時は、光や色をどう感じたかを、人の手で表現していた。
それは記録というより、もはや写真と絵画のあわいに存在する芸術作品でした。

次の画像は、イタリア系イギリス人写真家、フェリーチェ・ベアトFelice Beato、1832年-1909年1月29日)の作品です。

フェリーチェ・ベアト 店先の眺め
フェリーチェ・ベアト《店先の眺め》

ベアトは19世紀を代表する写真家の一人で、世界各地を旅しながら記録写真を撮影し、1863年に来日します。
当時の日本は、長く続いた鎖国を終え、ようやく海外へと門戸を開き始めたばかりの時代でした。

彼は横浜を拠点に、日本の風景や街並み、人々の暮らしを数多く撮影し、その写真を海外へ紹介しました。
現代の私たちにとっても貴重な歴史資料ですが、当時の欧米の人々にとっては、日本という未知の国を知るための「窓」のような存在だったことでしょう。

また、彼が制作した写真アルバムには、職人による繊細な手彩色が施されていました。
その美しい色彩表現は、単なる記録写真を超え、芸術作品としても高く評価されています。

ベアトは異国の風景として日本を見つめていましたが、その眼差しによって残された写真は、結果として近代化以前の日本の姿を今に伝える貴重な記録となりました。

今回の展示を見ていると、当時の写真家たちが光や色彩を追い求めていたこと、また版画家たちも同じように新しい視覚表現を模索していたことが伝わってきます。

本展覧会のチラシの裏面には、

その光だけは、色褪せなかった。

という言葉が書かれていましたが、本当に、その通りだと思います。

時代が変わっても、技術が変わっても、人はずっと、“心に残る光”を表現し続けてきた。
そして、その光は100年以上経った今でも、確かに私たちの心を動かしている。
だからやっぱり、そんな”色褪せない“芸術って、すごい・・・

flyer トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで チラシ(裏)
三菱一号館美術館展覧会『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで』 チラシ(裏)

今回の展示では、三菱一号館美術館所蔵の版画25点に加え、アメリカ・ワシントンD.C.にあるスミソニアン国立アジア美術館が所蔵する版画作品91点、さらに当時の日本の風景や人々の暮らしを記録した同時代の写真34点を合わせた、計150点もの作品が展示されていました。

スミソニアン国立アジア美術館は、アメリカを代表する博物館群であるスミソニアン協会に属する美術館で、日本をはじめとするアジア美術の世界有数のコレクションを所蔵しています。

実は、古典的な浮世絵だけでなく、新版画は、日本国内だけでなく海外でも高く評価され、多くの作品が欧米の収集家や美術館によって大切に保存されてきました。
今回展示されていた川瀬巴水吉田博の作品も、そうした国際的な評価のなかで受け継がれてきたものです。

それは、日本の版画芸術が江戸時代にとどまるものではなく、近代に入っても新たな表現として発展し続けたことを、世界が高く評価してきた証でもあるのでしょう。

日本で生まれた芸術が海を渡り、世界の美術館で守られ、そして再び日本で紹介される。

そんな背景を知ると、今回の展示は単なる版画展ではなく、日本の近代美術が世界の中でどのように愛されてきたのかを知る機会でもあったように思います。

スミソニアン国立アジア美術館
National Museum of Asian Art)
Webサイト:https://asia.si.edu/

※本展で紹介された作品の多くは、米国ワシントンD.C.のスミソニアン国立アジア美術館(National Museum of Asian Art)所蔵。Googleマップ上では東館「Arthur M. Sackler Gallery(アーサー・M・サックラー・ギャラリー)」の名称で表示される場合があります。なお、西館は「Freer Gallery of Art(フリーア・ギャラリー・オブ・アート)」です。


ちなみに、先に写真を載せましたが、『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで』の図録は、展覧会図録としては珍しいサイズの冊子でした。
初め目にした時は、こんな小さいの?と思いましたが、180°きれいに開くコデックス装で綴じられており、そのサイズ感は意外と見やすくて、装丁も素敵で気に入りました。

この出版社である青幻舎より紹介動画がアップされていましたので、埋め込みさせていただきます。
興味のある方は参考になさってください。

トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで』図録

あなたは
どんな光を
心の中に残していますか?

トワイライトのイメージイラスト
Seaside garden of the Louisiana Museum of Modern Art

訪れて良かった、デンマークのルイジアナ近代美術館

〜 北欧の静かな住宅街に現れる“世界一美しい美術館 ” 〜


数年前に一人旅したデンマーク
シェイクスピア『ハムレット』の舞台として知られるクロンボー城を後にし、私は再び首都コペンハーゲン方面へと戻る列車に乗りました。


その旅路、アート好きな私には“世界一美しい美術館”と言われるルイジアナ近代美術館(Louisiana Museum of Modern Art)へと行く目的もあり、降り立ったのは、フムレベック(Humlebæk)という小さな町でした。

その赤レンガの駅舎は可愛らしくも、こぢんまりとしすぎていて、観光地らしい賑わいはありません。

Humlebæk駅
フムレベック駅

そこから閑静な住宅街を歩いていくのですが、本当にこの先に“世界一美しい美術館”があるのだろうかと少し不安になるほどでした。

けれど、その静けさこそが、この場所へ向かうための大切な時間だったのかもしれません。

住宅街を抜け、少しずつ海の気配が近づいてきて、そして現れた美術館の入口もまた、意外なほど控えめでした。

Louisiana Museum of Modern Art の入り口
ルイジアナ近代美術館の入り口

蔦に覆われた建物。
全くその先が見えない小さな入り口。

広大な美術館を想像していた私は、一瞬、本当にここ?と思ったほどです。
ですが、そこにはヘンリー・ムーア(Henry Spencer Moore、1898年7月30日-1986年8月31日)作の彫刻があったので、きっと大丈夫だろうと思いつつその入り口ドアへと足を進めました。

Henry Mooreの作品があるLouisiana Museum of Modern Art の入り口
ルイジアナ近代美術館の入り口

そしてそのドアを抜けたあと、世界がふっと開けました。

芝生の庭園。
空へ伸びる木々。
海から差し込む北欧の光。
そして、自然の中に置かれた彫刻作品たち。

あのひっそりとした入り口からは想像できないほどの美しく広大な空間がありました。

Louisiana Museum of Modern Art の庭園
ルイジアナ近代美術館の庭園

木々の間を歩いていると、ここがデンマークの美術館の敷地内?と思ってしまうほど、まるで日本の山道のような場所もありました。

Louisiana Museum of Modern Art の庭園
ルイジアナ近代美術館の庭園

そして海を望むテラスへ辿り着いた時、私は思わず息をのみました。

風と戯れるようなアレクサンダー・カルダー(Alexander Calder、1898年7月22日-1976年11月11日)の彫刻作品のある庭。
きらめく海と北欧の大きな空。

Seaside and sculpture garden of the Louisiana Museum of Modern Art
ルイジアナ近代美術館の庭園(この写真の建物はカフェ)

そしてこの絶景 ──

Seaside garden of the Louisiana Museum of Modern Art
ルイジアナ近代美術館の庭園

人々は思い思いに椅子へ腰掛け、静かに景色を眺めています。
そこには、観光地特有の慌ただしさがありませんでした。

「ここへ来て本当に良かった」そう心から思えた場所でした。

Seaside and sculpture garden of the Louisiana Museum of Modern Art
ルイジアナ近代美術館の庭園

私は子供の頃、日本画家だった祖父の影響もあり、画家になりたいと思っていました。
だから「美術」といえば、それまでどちらかというと「絵画」を鑑賞するものだと思っていた気がします。
けれどルイジアナ近代美術館で心に残ったのは、絵画だけではありませんでした。

ガラス張りの回廊を歩く時間。
木漏れ日が落ちる庭園。
海を眺めながら静かに過ごす人々。
そして、自然と共に存在する彫刻作品たち。

Louisiana Museum of Modern Art, Sculpture Park
ルイジアナ近代美術館の庭園

館内の展示の中では、特に嬉しかったのが、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901年10月10日-1966年1月11日)のギャラリーがあったこと。
私が最も好きな彫刻家です。

Alberto Giacometti のギャラリー
ルイジアナ近代美術館ジャコメッティ・ギャラリーに展示されたアルベルト・ジャコメッティの作品

細く、孤独な人影のような作品たちが、静かな空間の中に佇んでいました。
そこには、美術館特有の“鑑賞しなければならない”緊張感ではなく、ただ静かに作品と向き合える時間が流れていました。

Inside the Louisiana Museum of Modern Art
ルイジアナ近代美術館の館内

ところで、私がこの場所で感じた「自然・建築・アートが溶け合っている感覚」は、まさにこの美術館が目指していたものだったようです。

この美術館がオープンしたのは1958年。
創設者は、デンマークの実業家でありアート愛好家でもあった、クヌート・W・イェンセン(Knud W. Jensen)
彼は当時の美術館について、「人を緊張させる場所」のように感じていたそうです。
そこで彼が目指したのは、“自然と共に、肩肘張らずアートを味わえる場所”
それを実現すべく建築を手がけたのは、ヨルゲン・ボー(Jørgen Bo)ヴィルヘルム・ウォラート(Vilhelm Wohlert)という二人の建築家。

彼らは敷地を何ヶ月も歩き回りながら、

  • 建物をどこへ配置するか
  • 海をどの角度で見せるか
  • 木々をどう残すか

を考え抜いたと言われています。

だからなのでしょう。
ルイジアナ近代美術館では、「建築が自然を支配している」感じがありません。
むしろ、“もともとそこにあった風景へ、そっと建築が入り込んでいる”ように感じられるのです。

Glass building of the Louisiana Museum of Modern Art
ルイジアナ近代美術館の庭園と建物

美しく機能的なガラス張りの回廊には、“屋根のある散歩道(covered stroll)”というコンセプトがあったそうです。
確かにあの場所では、「展示室を巡る」というより、“自然の中を散歩しながら、建築とアートを味わう”という感覚のほうが近かった気がします。
だからこそ私は、作品だけではなく、

  • 空気
  • 海の気配
  • 木々の揺れ
  • 歩く時間そのもの

まで含めて、この美術館を記憶しているのかもしれません。

Glass corridor of the Louisiana Museum of Modern Art
ルイジアナ近代美術館の館内

余談ですが、「ルイジアナ近代美術館」という名前を初めて知った時、私は「本当にデンマーク?」と思いました。
アメリカのルイジアナ州を連想してしまったからです。

(現に海外のWEBページをGoogle翻訳によって日本語訳された記事を読むと、「ルイジアナ近代美術館」のことが「ルイジアナ州」とされてしまうことがあるので要注意)

けれど実際には、この土地を所有していた人物が、“ルイーズ(Louise)”という名前の女性と三度結婚していたことが名前の由来なのだとか。
そんなエピソードまで含めて、どこか人間味のある美術館だなと思います。

ルイジアナ近代美術館は、“世界一美しい美術館”のひとつとして語られています。
けれど、その美しさは、豪華さや派手さではありません。

静かな住宅街の先で、少しずつ感覚が開いていくこと。
自然と建築とアートが、無理なく溶け合っていること。

そして、ただ「見る」のではなく、そこに身を置いて過ごす時間そのものが美しいのだと思います。

Louisiana Museum of Modern Art, Sculpture Park
ルイジアナ近代美術館の庭園

なお、彫刻公園とも呼ばれるルイジアナ近代美術館の庭園に入るのもカフェやミュージアムショップを利用するにも入館チケットが必要で、2026年現在の一般入館料は145デンマーククローネ、日本円で約3,000円台前半ほどです。
ちょっとお高いのでは?と感じるかもしれませんね。
けれど、あの空間全体を体験すると、「作品を見るための入館料」というより、“場所そのものを味わうためのチケット”だったのだと感じますし、静けさが保たれた空気感にも繋がっているのかもしれないと思えます。

View from the gardens of the Louisiana Museum of Modern Art
ルイジアナ近代美術館の庭園からの眺め(オーレスン海峡(Øresund))

最後にご参考まで、デンマークの首都コペンハーゲンと、先だって記事をアップした世界遺産クロンボー城、そしてルイジアナ近代美術館の位置関係を記した地図を記載します。

このマップ上で朱色のピンの部分がルイジアナ近代美術館の場所で、クロンボー城へと向かう電車と同じ便で行くことができます。

<電車の場合の所要時間>
コペンハーゲン駅ルイジアナ近代美術館最寄フムレベック駅:約40分
フムレベック駅クロンボー城最寄ヘルシンゲル駅:約10〜15分

✔️ルイジアナ美術館公式サイト:https://louisiana.dk/

ちなみに、今(2026年5月15日現在)、イデーショップ 六本木店『ルイジアナ近代美術館のポスター展(Louisiana Museum of Modern Art Poster Exhibition)』が開催されています(5月25日(月)まで)。
デンマークルイジアナ近代美術館までは行くことができなくても、興味があればせめてこちらに足を運んでみるのも一つかもしれません。


あなたの感覚が
静かに開いた場所は
ありますか?

映画 1975年のケルン・コンサート (Köln 75) パンフレット キース・ジャレット(Keith Jarrett) コンサートCD

壊れたピアノから生まれた奇跡の実話 映画『1975年のケルン・コンサート』

〜 人生も完璧じゃつまらない 〜


1975年、それは私が生まれる前のことですし、キース・ジャレット(Keith Jarrett)マイルス・デイヴィス(Miles Davis)といった偉大なミュージシャンの名と一部の音楽は知っていても、ジャズに特別詳しいわけでもない私は、この1975年1月24日のライブが歴史的名盤として語り継がれていることは知りませんでした。

なので、今回も予告動画とチラシ以外の事前情報は得ないまま観に行った映画『1975年のケルン・コンサート(原題:Köln 75)』については、最初は、「実話ベースらしいけれど、これって一体どこまでが事実なの?かなり大袈裟にしてる?」と思いながら観ていました。

flyer Köln 75 1975年のケルン・コンサート チラシ
映画『1975年のケルン・コンサート』チラシ

ところが、パンフレットを読むと、驚くほど多くが実際の背景や起きたことだったとのことでした。

当然ながら映画として脚色された部分はあるにせよ、チラシにある

これは、嘘のような実話に基づく物語。

というキャッチコピーは決して大袈裟というわけではないのです。

若き女性プロモーター、ヴェラ・ブランデス(Vera_Brandes)
反対されながらもコンサートを企画し、疲弊しきったキース・ジャレットを迎え、当日現れたのは、まともとは言い難い”壊れたピアノ”。
普通なら「失敗」で終わってもおかしくない状況です。
けれど、その夜の演奏は後に伝説となりました。

まさに嘘みたいな実話に、私はすっかり引き込まれてしまいました。
ただ、映画を観ている最中、一つだけ少し戸惑ったことがあります。

肝心のクライマックス“ケルン・コンサート”の演奏シーンで、キース・ジャレット本人の音が流れなかったのです。
「え、どうして?」と最初は正直少し拍子抜けしました。
「これって単なるそういう演出?それともこのコンサートCDもパンフと一緒に売店に並んでたけど、それ売るための戦略?」そんなことさえも思いました。

でもこの点についても、後からパンフレットを読んで知りました。
キース本人にとって、このコンサートは必ずしも幸福な思い出ではなく、音源使用の許可も下りなかったのだそうです。

*ヴェラがキースの演奏に惚れ込んだきっかけとなったベルリンでの演奏シーンもあるが、その場面でのピアノ音楽はキース・ジャレット本人のものではなく、いわゆるキースらしい即興演奏を模して再構築されたもの

映画を観たことでキース・ジャレットというアーティストの人柄に触れることもできたせいでしょうか、そんな事情を知った時、妙に納得できました。
そして逆に、「それでも映画化を許したのだ」と思い、ホッとしました。

また、その場面でキースの演奏の代わりに流れていた音楽はジャズシンガーのニーナ・シモン(Nina Simone、1933年2月21日-2003年4月21日)による『To Love Somebody』という誰かを愛することの大切さを歌った曲。
しっかりとした意味合いと配慮があったのだなと理解しました。

結局、私は映画を観た後に、歴史的名盤と言われているキース・ジャレットケルン・コンサートのCDまで買ってしまいました。

つまりこの映画は、キース本人の音を使わなくても、観客を本物へ向かわせる力を持っていたのだと思います。

映画 1975年のケルン・コンサート (Köln 75) パンフレット キース・ジャレット(Keith Jarrett) コンサートCD
映画 『1975年のケルン・コンサート』パンフレット 、 キース・ジャレットザ・ケルン・コンサート』CD

そして心に響いたのは、監督イド・フルーク(Ido Fluk)のパンフレットに記載されたインタビューでした。
彼は、

完璧なものってつまらないと思っていて、良い芸術はその中からは生まれない

と語っていました。

撮影現場でも毎日のように“壊れたピアノ”のような問題が起きる。
でも、その不完全さこそが、作品をより良くすると。

この言葉に、とても共感しました。

創作というのは、本当に思い通りにいかないものです。
時間も、環境も、技術も、感情も、いつだって不完全です。

けれど、だからこそ生まれるものがある。
むしろ、傷や制約や偶然があるからこそ、作品に人間らしさや熱が宿るのかもしれません。

そしてこの映画自体も、まさにそんな“不完全さ”の中から生まれた作品だったように思います。

本人の音源は使えない。
歴史的ライブを扱う。
比較もされる。

それでも、この映画は成立していました。
いや、むしろ“不完全”だったからこそ、単なる再現映画ではなく、「情熱の物語」になったのではないでしょうか。

映画『1975年のケルン・コンサート』予告編

また、この映画が素晴らしかったのは、天才だけを描かなかったことです。

歴史に名を残すのはキース・ジャレットかもしれません。
けれど、その夜を成立させたのは、無茶を通した若きプロモーター、ヴェラ・ブランデスでした。

監督は、

バックステージで働く人にも光を当てる、そういう人たちにを認めるということが私たちの文化にとってもとても大事なこと

とも語っていました。

表舞台の裏には、名前の残らない情熱があります。
そして時に、その情熱こそが歴史を動かしているのだと思います。

映画を観終わった後、私はなんだか、「人生って、こうでなくちゃな」と思いました。

完璧じゃない。
無茶で、危うくて、失敗寸前。
でも、それでも誰かが諦めなかったから、後世に残るものが生まれる。

ちょっとネタバレですが、エンディングでは、現在のヴェラ・ブランデス本人(2026年の誕生日で70歳)と、50歳のヴェラ・ブランデス(役:スザンネ・ウォルフ/Susanne Wolff)、18歳のヴェラ・ブランデス(役:マラ・エムデ/Mala Emde)の3人が並んで登場します。
また、劇中、映画の中の登場人物が映画鑑賞者に向けて直接語りかけるような演出があったりと、それを軽妙だなど批判する声も一部あるようですが、私には内容を理解する助けになったし、ここ最近、実話に基づく映画というと心にズシーンとくるようなものが続いていた私にとって、笑えて明るく朗らかな気持ちになれてよかったです。

最後に、このCDについても触れておきますね。

キース・ジャレット(Keith Jarrett) ケルン・コンサート(The Köln Concert) CD
キース・ジャレット『ケルン・コンサート』CD

キース・ジャレット(Keith Jarrett)は1945年5月8日(2026年現在81歳)、アメリカ・ペンシルベニア州生まれのジャズ・ピアニスト/作曲家です。
20代半ばという若さで当時すでにジャズ界の帝王と言われていたマイルス・デイヴィスMiles Davis、1926年5月26日-1991年9月28日)のバンドでも活躍し、現代ジャズ界の頂点に立つピアニストの一人として知られていますが、特に評価されているのが、その場で音楽を生み出していく即興演奏です。

そして1975年1月24日ドイツ・ケルン歌劇場で行われたソロコンサートを収録したアルバム『ケルン・コンサート(The Köln Concert)』は、ジャズ史上屈指の名盤として語り継がれているのです。

今回私が購入したCDは、映画『1975年のケルン・コンサート』公開と、録音50周年のタイミングに合わせて発売されたもののようで、ブックレット内には、18歳のヴェラ・ブランデスの奮闘ぶりが映画化されたことについても触れられていました。

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もちろん、この演奏は映画を観なくても十分に素晴らしいものだと思います。
けれど私は、映画を観た後だったからこそ、より深く心を揺さぶられました。
その感動は、静けさの中で聴いていると瞳が潤んでくるほどです。

手違いで手配された、老朽化したベビー・グランド・ピアノ。
長距離移動による疲労、腰痛、睡眠不足で満身創痍のキース・ジャレット
しかも本人は当初、「こんなピアノでは弾けない」と演奏を断ろうとしていた。

そんな極限状態の中で生まれた演奏だったのだと知って聴くと、その音は単なる美しいピアノ演奏ではなく、人間の創造力そのもののように感じられます。

壊れたピアノ。
不完全な状況。
それでも、その夜にしか生まれなかった音楽。

映画館では「本物の音」を聴けなかったことに少し残念さも感じてしまった私でしたが、結果的にはその不足があったからこそ、私は実際にこのCDを手に取り、そして深く感動することができました。

完璧ではないからこそ、人の心を動かすものが生まれる。

映画『1975年のケルン・コンサート』、そしてキース・ジャレットのアルバム『ケルン・コンサート』は、そんなことを教えてくれる作品のように感じました。

なお、私がこの映画を観たフォーラム仙台での上映は5月14日(木)には終了予定ですが、他劇場予定は公式ホームページにてご確認くださいませ。


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