2023 フランス ブルゴーニュから(ハプニング続きで)パリへ

初めてのパリ滞在1日目、そしてその夜の風景


2023年10月末フランスの旅、友達の住むブルゴーニュで充実の3日間を過ごさせていただき、いよいよパリへと向かう時がやってきました。

一人旅にて日本仙台から出国し、フランスブルゴーニュで友達と再会した駅はディジョン(Dijon)でしたが、お別れの地点は世界遺産「フォントネーのシトー会修道院」の最寄り駅であるモンバール(Monbard)


ちょうど「フォントネーのシトー会修道院」の見学を楽しんだ後だったから幸いではあったのですが、雨が激しく降ってきてしまい、モンバール駅(Gare de Montbard)付近は全く写真が撮れずでした。
天候のせいもあったのだろうと思いますが、ここも喧騒がなく静かな街。

せめて、友達が気を利かせてエスプレッソをいただくのに立ち寄ってくれたカフェくらい撮影できれば良かったのにと悔やまれますが、賑やかな場所が苦手な私には、また天気の良い時に改めて行ってみたいと思える所で、この地域に聖人ベルナールが過ごしたシトー会修道院があるのもうなずける気がしました。
ベルナールについては前回記事をご参照ください→https://calm-smile-chain.com/abbey-fontenay/

モンバール
Gare de Montbard

住所:21500 Montbard, France


さて、モンバール駅は、パリディジョン駅を結ぶ沿線上の途中にある駅です。
日本仙台空港台湾桃園空港→フランスパリ=スシャルル・ド・ゴール国際空港という経路によってフランスを初めて訪れ、その初日にブルゴーニュへと向かった私が、再びブルゴーニュからパリを目指す経路も、ブルゴーニュ到着時同様に、高速列車TGVを利用しました。


ちなみに、位置関係は下図の通りです。

TGVにて、モンバール(Monbard)からパリの終点地リヨン(Paris Gare de Lyon)駅までは、途中停車駅なしで1時間ほどです。

SNCF(フランス国鉄)アプリのTGVチケット予約済画面

この電車に乗る直前まで友達が一緒にいてくれて、列車時刻の電光掲示板を見た友達が遅れてるみたいと教えてくれ、待合室でのんびりとしていたら、なんと、ほぼ定刻に列車が来る雰囲気が伝わってきて、慌ててホームへ。
「遅れてるんじゃないの?本当にこの電車で良いの?!」と慌てる私に、友達は「いいからもうここで乗って!確かめてくるから!」と言い、私は予約していた車両よりも何両も先の場所で列車へ乗り込み友達を待つも、ドアは閉まってしまいました。
しかし、動きだした列車の外で友達が私の方に向かって、笑顔でグッドポーズをしてくれ、どうやら問題ないらしいことがわかりました。
(改札がない駅のため誰でもホームまで行けます。チケットは列車の中で車掌さんにチェックされます)

遅れそうになって重いスーツケースを持って構内を走った上、TGV車両はその独特な2階建の構造によって車両を移動するには階段を登り降りする必要があり、ヘトヘトになりながら車内を歩く途中で車掌さんに出会い、フランス語で(多分)チケットを見せてと言われ、少しドキドキしながら携帯のチケット画面を出しQRコードを読み取ってもらうと、「OK、英語はわかりますか?あなたの席はあちらですよ」と親切に英語で教えていただけ、ホッとしたのも束の間、ようやくその車両へと辿り着いたと思ったら、予約したはずの席には女性が座っている・・・
またしてもここで、少しドキドキしながら「Excuse me, but…」と声をかけるとその女性は自身のチケットを確認する仕草をしてから、席を離れてくれました。
その女性は私の席の後ろに元々荷物を置いていたので、確信犯だったのでしょうけど(苦笑)。

そんなこんなで、いつまた会えるかわからない高校時代の同級生というかけがえのない友人との、しんみりお別れを惜しむこともできないというハプニングの後でしたが、無事、リヨン(Paris Gare de Lyon)駅へ、定刻通り到着しました。


発着駅の、2階建車両の並ぶ風景は、こんな感じ。


往路の時と変わらず、駅舎内はたくさんの人。


でも、何度見ても、建物の佇まいはやっぱり素敵。
ブルゴーニュでは雨に見舞われましたが、こちらでは青空も見えてラッキーでした。


そして、ここから宿泊するホテルへ向かうために、次は地下鉄を乗り継ぐ必要がありました。
駅の外観の写真を撮ってから、再びリヨン(Paris Gare de Lyon)駅内へ戻ります。


まずはリヨン(Paris Gare de Lyon)駅から地下鉄1番線ラ・デファンス=グランダルシュ(La Défense – Grande Arche)駅行きに乗り、バスティーユ(Bastille)で下車。

ここまでは良かった・・・


ここで地下鉄の8番線に乗り換える必要がありました。
フランスの地下鉄はたくさん番線がありますが、目的地へ行くための番線さえわかっていれば、その番号を頼りに構内を移動すれば良いので大して難しくはないのですが、バスティーユ(Bastille)駅内では無駄に重いスーツケースを持っていた私には、想像以上に階段の上り下りと移動距離が長く感じて、汗だくになり体力をかなり消耗してしまっており、8番線の乗車口に着いたものの、なんとうっかり・・・

バラール(Balard)駅方面へ乗らなければいけないのに、逆方面であるクレテイユ(Créteil)駅行きに乗ってしまったのです。

↓これが証拠写真。


私が立っていたホームの案内板にクレテイユ(Créteil)と行き先がしっかり写ってますが、ヘトヘトになりながらなんとなく写真を撮ったので、本当は対面側のホームに行かなければならないのに、間違っているとこの時点では気がついておらず、しかも間も無く電車が来たと思ったら、それがめちゃくちゃ混んでいる!
こんなの乗りたくないけど仕方がないと乗り込み、ギューギュー詰めの電車の中、さらに思考能力低下・・・

混雑した車内では、157cmほどの身長の私には、行き先の掲示案内も見るに見えない。
バスティーユ(Bastille)駅から7駅目が目的地のグラン・ブールヴァール(Grands Boulevards)駅ということを疲れながらもしっかり記憶していたので、ちゃんと数えていたつもりだったものの、多分次あたりかなというタイミングでもアナウンスではそうとは聞き取れないし、停車した駅の表示も明らかにグラン・ブールヴァール(Grands Boulevards)ではない・・・

私が行きたいはずのグラン・ブールヴァール(Grands Boulevards)駅はどこ?!

携帯電話で調べようにも電車はどんどん進むので、このままどこまでも行ってしまったらまずいと何箇所か目の駅で降りたのですが、その駅がどこだったのかはもう覚えていません。
もちろん写真撮る余裕もなく。
その時は若干パニクってて単純に逆方面に乗ってしまったということにすぐに気が付かず、ここはどこ??私の犯したミスは何??私は一体どうしたらいいの??状態。

でも、どこだかわからない地下鉄駅の椅子にかけて、「冷静になれ、私。」と自分に言い聞かせ、数分考えたところで、「バスティーユ(Bastille)8番線まで行ったのは間違いないはず。けど、そこで行き先をちゃんと確認していない。疲れてて単に手前のホームに下りてしまった。それが逆方面だったんだ。だから、単純にここで対面側のホームへ移動して来た電車に乗ればバスティーユ(Bastille)に戻れるし、そしてバスティーユ(Bastille)では降りずにそのままそこから7駅目のグラン・ブールヴァール(Grands Boulevards)までいけば良いのだ。」と自分の過ちと改善方法に気がつきました。
そこで改めて対面側のホームを見ると本来向かうべきバラール(Balard)行きとしっかり表示されていて、そっちに乗ればいいだけのことだと分かり、ほっと一安心、今度こそ無事にグラン・ブールヴァール(Grands Boulevards)駅に着くことができました。

そして、ようやく目的地の地上に出てくることができて、ホッとしてパシャリした写真がこちら↓(苦笑)



グラン・ブールヴァール(地下鉄駅)
Grands Boulevards
住所:75002 Paris, France
Webサイト:https://www.sortiesdumetro.fr/grands-boulevards.php


予約していたホテルはグラン・ブールヴァール(Grands Boulevards)駅から徒歩5分程度のところで、そちらへは迷うことなく辿り着き、チェックインも問題なく、でしたが、想定外のハプニングで体力を消耗し切っていたことと、そこから3泊する部屋に入った際に、カードで支払い済みのホテル料金の額に対してこれ??と正直思ってしまった現在のフランスのホテル事情に、精神も疲れ果て、ホテルの部屋でしばらく動けなくなってしまいました。

そんな状態でしばらくボーッとしていたら、外がすっかり暗くなっていることに気がつきまして。
今私はパリにいるんだ!これじゃ勿体無い!
と、気を取り直して、夜のセーヌ川を見ることを目標に、外へと繰り出しました。

暗い中で撮った写真なので画像はよくありませんが、せっかくなので道中の一部を以下に残しておこうと思います。

まずは、事前情報なしに、素敵な外観に目を惹かれ思わず撮影した建物は「ブルス・ド・コメルス・ピノー・コレクション(Bourse de Commerce – Pinault Collection)」、我が国日本を誇る建築家 安藤忠雄氏が、パリの歴史的建造物を美術館として再生するための設計を担当され、2021年にオープンしたばかりの名所でした。



ブルス・ド・コメルス・ピノー・コレクション
Bourse de Commerce – Pinault Collection
住所:2 Rue de Viarmes, 75001 Paris, France
Webサイト:https://www.pinaultcollection.com/fr/boursedecommerce



その同じ通り沿いにある「サン ジェルマン ロクセロワ教会(Saint-Germain-l’Auxerrois)」の、美しいゴシック様式の佇まい。



サン ジェルマン ロクセロワ教会
Saint-Germain-l’Auxerrois

住所:2 Pl. du Louvre, 75001 Paris, France
Webサイト:https://saintgermainlauxerrois.fr/



ここでおよそ宿泊先のホテルから歩くこと30分程。
セーヌ川(la Seine)の向こうに、夜に輝くパリのシンボルエッフェル塔(La tour Eiffel)を望む風景。


セーヌ川も越えてみようと、セーヌ川に浮かぶシテ島(Île de la Cité)へと渡り、パリ最古のステンドグラスで知られるサント・シャペル(Sainte-Chapelle)の門前へ。



サント・シャペル
Sainte-Chapelle

住所:10 Bd du Palais, 75001 Paris, France
Webサイト:https://www.sainte-chapelle.fr/


再びセーヌ川を戻り、ライトアップされたパリ市庁舎(Hôtel de Ville)を拝みます。



パリ市庁舎
Hôtel de Ville

住所:Pl. de l’Hôtel de Ville, 75004 Paris, France
Webサイト:https://www.paris.fr/


そしてパリ市庁舎からセーヌ川を越えシテ島に渡るための最寄の橋アルコル橋Pont d’Arcole)と、その先に見えるノートルダム大聖堂


記憶にもまだ新しい2019年に起きたあの忌まわしい惨事により、ノートルダム大聖堂は修復中のため、工事用のクレーンもうっすら見えます。

アルコル橋
Pont d’Arcole


セーヌ川にかかるシャンジュ橋(Pont au Change)とゴシック様式の建物は死の牢獄と言われるコンシェルジュリー(Conciergerie)、そしてその奥で空に光を放っているのがエッフェル塔



シャンジュ橋
Pont au Change


そろそろホテルへ戻ろうと辿った経路にてでくわしたサン・ドニ門(Porte Saint-Denis)
パリに残る凱旋門(軍事的勝利をもたらした将軍らが凱旋式を行う記念のために作られた門)のうちの一つです。



サン・ドニ門
Porte Saint-Denis
住所:Boulevard St Denis, 75010 Paris, France


初めてのパリの夜を一人でフラフラしつつも、午後8時半頃、無事ホテルへ帰還。


翌日の美術館巡りの計画に想いを馳せつつ、眠りにつきました・・・


あなたの
思い出に残る
夜の風景はどこですか?

2023 フランスブルゴーニュ 3日目(最終日)

〜ユネスコ世界遺産「フォントネーのシトー会修道院」〜


ブルゴーニュの友達の家に2泊させていただき、いよいよ最終日となる3日目。
初めてのフランス。
その1日目そして2日目とブルゴーニュの世界遺産を楽しみましたが、この日も飽きることなく、世界遺産!
基本的にいつも旅のテーマは「アート(芸術)」である私にとって、世界遺産に触れることはアートに触れることでもあり、価値ある世界遺産を連日訪れることができ、本当に幸せな毎日でした。


ブルゴーニュ滞在最終日に訪れた世界遺産は「フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」です。


友達の家から北部へと車で1時間半ほど、モンバール(Montbard)という小さな町にあります。
川が流れる森に囲まれ、漂うのは静寂感のみ。


フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」については、ユネスコHPの見出し説明では下記のように述べられています。

この素朴なブルゴーニュ修道院は、1119 年に聖ベルナール(ベルナルド/バーナード)によって設立されました。教会、回廊、食堂、寝室、パン工房、製鉄所があり、初期のシトー会修道士達が実践していた自給自足の理想をよく表しています。

https://whc.unesco.org/en/list/165/


設立年については、フォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)の公式HP(https://www.abbayedefontenay.com/ja/)によると1118年とされているので、この1年の違いがなんなのかよくわかりませんが、いずれにせよ、現存する世界で最古のシトー会修道士の大修道院なのだそうです。


さて、お気づきでしょうか?
ここでも出てきましたね、聖ベルナール(St Bernard)
前日に訪れた世界遺産「ヴェズレーの教会と丘(Vézelay, Church and Hill/Basilique et colline de Vézelay)」に関わった人物で、ユネスコHPでも説明されていた聖人の名前です。
(ブログにも記載したのでこちらも併せてどうぞ→https://calm-smile-chain.com/heritage-vezelay/


1090年、フランスブルゴーニュで、騎士である父と貴族出身で信仰心ある母のもとに生まれたベルナールは、彼が幼い頃に亡くなってしまった母の影響もあり、修道士になったといいます。

一方、シトー会(Cistercians)とは、カトリック教会最古の修道会であるベネディクト会(Benedictine Order)から派生したのですが、同じくベネディクト会から派生したクリュニー会(Cluny)の強大な資産と権力による贅沢な振る舞いに反発して、1098年に発足し、修道士としての清貧を守ってきたのだそうです。


ベルナールは、1112年、23歳の時に自身にとって理想的であったシトー会へ入門を果たすことができました。
そして、1118年にこのフォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)を創設したのです。
(もしかしたら、ベルナールがこの修道院を作ることに着手したのが1118年で、正式に完成したのが1119年ということでしょうか…)


シトー会修道士は、華美なクリュニー会とは異なり、染料を用いない白い修道服を着たことから「白い修道士」とも呼ばれているそうですが、フォントネー修道院も華やかな装飾というものがなく、そのおよそ究極とも言える地味さが、むしろ厳かさを際立たせているように思います。


この質素ながらも厳かな大修道院教会の一角に佇む聖母子像の、幼子イエスと聖母マリアが笑顔で見つめ合ったその表情が、とても優しく愛情豊かに表現されており、ベルナールの想いを伝えているように感じます。
(ベルナールについては後半で改めて述べます)


教会に直接繋がっている建物の2階には、共同寝室があります。
多い時では300人ほどの修道士のための寝室となったそうですが、木造の連続アーチによる天井の作りは圧巻で、船底をひっくり返したような設計が、なんとなくノアの方舟を彷彿とさせます。


修道士達が写本の作成や、革や織物の加工をしたという修道士部屋も、ロマネスク様式の特徴である半円筒型の二重アーチと支えとなる分厚い壁や柱からなり、その簡素なデザインが美しい。


中庭を囲んだ回廊も必見です。
正にシンプル・イズ・ベスト。シンプルゆえに際立つ美しさ。


修道士達は、ここを聖書を読みながら歩き、瞑想していたのでありましょう。


私たちもここをゆっくりと一周しましたが、映画でも見たことがあるようなシーンを、ありありと思い描くことができました。



外に広がる庭園も壮観でした。
綺麗に整えられた緑に癒されます。


次の建物は鍛冶場(製鉄所)。


当時の様子が再現された博物館となっています。


ブルゴーニュ観光の1日目に訪れた、世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(The Climats, terroirs of Burgundy/Les Climats du vignoble de Bourgogne」の構成資産地域内にある「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ(Château du Clos de Vougeot)」もシトー会によるもので、そちらはワインが修道院の財源でしたが(https://calm-smile-chain.com/climats-burgundy/)、ここフォントネー修道院では、近隣で採れる鉱物を用いた冶金業が重要な財源だったのだそう。


上の写真の燃える石炭は流石に模型ですが、実際に動かされている風車の姿は、再現とはいえ、迫力がありました。


サン=ベルナール渓谷とフォントネー川の合流点地点に位置するフォントネー修道院は、その川の流れを利用し、水力で鉄を打っていたのだそうです。


いくら静かに生きたいと言っても、神に祈るだけとか、単なる布教活動だけでは食べていけませんものね。
質素な修道士達がいかに工夫を凝らして生活していたかがよくわかりました。


最後に、聖ベルナール(St Bernard)のことがとても興味深く思えたので、もう少し彼について記しておきたいと思います。

観想的生活を送りたいというのが本音であったベルナールでしたが、その彼の実直な人格が、名声を高め、シトー会における影響力を増し、否応なく世俗的世界へと巻き込まれていくこととなりました。
静かに過ごしたかったベルナールの想いとは裏腹に、教会の争いの中で陣頭を取ることになり、晩年には十字軍の勧誘演説(1146年:ヴェズレーでの説教)をし絶大な支持を得ますが、1148年に十字軍は惨敗してしまいました。

しかし、この時で第2回十字軍。
この後も十字軍による遠征は何度も何年も続いたのは歴史上有名なことです。
その長い宗教争いの中では初期にあたりますが、第2回十字軍が敗北した時点でベルナールは、

主はわたしたちの罪を怒られて、そのあわれみによってではなく、その正義によって、すぐさまわたしたちを裁かれました。主は、ご自分の民を甘やかさず、主の名声さえ惜しいとは思われなかったのです。教外者は、おまえたちの神は今どこにいるのか、と言っているのではありませんか。そしてだれが、それを怪しみましょう。教会の中堅信者と呼ばれる者が荒れ野で行き倒れ、刃で切られ、飢饉のために滅ぼされたのです。喜びの福音を伝え、平和を述べ伝える者の足は、どんなに迷うことでしょう。わたしたちは『落ち着きなさい』と言っても、落ち着かないのです。わたしたちは、幸運を約束したのに、災難をまのあたりに見たのです。

引用:池田敏雄「聖ベルナルド」(アルバ文庫) p.103

と、十字軍の罪を認め反省しています。
でもその後も争いが続いたということは、残念ながら、この時の彼の想いに関しては理解が集まらなかったということでしょう。

ベルナールは1153年に、クレルヴォー修道院(Clairvaux Abbey:1115年に創設されベルナールが初代院長となった修道院で当時の建物は廃墟となり現在の建物は1708年のもの)にて生涯を閉じ、死後に聖人に加えられ聖ベルナールと呼ばれるようになりました。

神への祈りそして労働を手段として人々に奉仕するシトー会の主要人物ベルナールについて深掘りしていたら、なぜ、人は争う時には団結するのに、平和のために団結できないのだろうと、今も昔も変わらない人間の在り方というものを感じ、切なくなりました。

ただ、このフォントネー修道院が現在も当時とほとんど変わらないままひっそりと残されているのは、ベルナールの想いが生き続けているという光の側面なのかもしれません。

フォントネー修道院
Abbaye de Fontenay
住所:21500 Montbard, France
Webサイト:http://www.abbayedefontenay.com/


静寂の中にあるユネスコ世界遺産「フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」を後に、慎ましく謙虚な心を持って生きてゆかねばと思いつつ、いよいよ花の都パリへと向かいます。


あなたが
瞑想にふけるのは
どんな時ですか?



2023 フランスブルゴーニュ 2日目 その2

〜体感:フランス・ブルゴーニュの日常〜


私にとって初めてのフランスの旅におけるブルゴーニュ観光2日目は、ユネスコ世界遺産として登録されている「ヴェズレーの教会と丘(Vézelay, Church and Hill/Basilique et colline de Vézelay)」からスタートしました。

(前回の記述はこちら↓)


ヴェズレーの丘を登り、世界遺産として保存されている教会「サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 (Basilique Ste-Madelaine)」の内外を散策して2時間ほどのところで、既に午後1時を回っていたので昼食をとることに。

散策中はそれほど人を見かけなかったのですが、こぢんまりとした村のそもそも数少ない飲食店に、ちょうどお昼時とあって割とどこもいっぱいで、丘の頂上からどんどん下り、最終的に、丘の麓にある「ル ルレ デュ モルヴァンLe Relais du Morvan)」という可愛らしいホテルのレストランに入ってみました。


当然ながら、フランス語によるメニューは、私にはチンプンカンプン。


でも今回の旅は、フランスに10年以上在住の心強い友達の存在があり、メニューについて一つ一つ丁寧に教えてもらい、ブルゴーニュの郷土料理ということで、私がチョイスしたのはこちら。
ガーリックトーストにポーチドエッグが乗った赤ワイン煮込み「ウフ・アン・ムレットŒufs en meurette)」。


前日の夜に友達が手作りしてくれたブルゴーニュ伝統料理も、赤ワインのボトル1本を丸々使用された「コック・オ・ヴァンCoq au vin)」という鶏肉の赤ワイン煮込みで、それと似た感じの料理と教えてもらったのですが、あえての選択。
確かに、前日いただいた料理と似た風味。でも具材が異なるし、こちらの方が酸味が強く、前夜のコックリ濃厚な食感に比べ、スープのようなサラサラ感。

いずれにせよ、私にとっては初めての味でしたし、料理の素材の一部となっている赤ワインをしっかりと感じることができ、フランスのワイン名産地ブルゴーニュに来たのだということを改めて実感しました。

対して、友達が選んだ料理はというと、チーズが練り込まれたシュー生地「グジェールGougère)」。
こちらもまたブルゴーニュ郷土料理です。


日本ではシューといえば、クリームがたっぷり入ったシュークリームですが、こちらはデザートではなくお食事。
そもそも「シュー」はフランス語で「キャベツ」の意味なのだそうです。
確かに、日本でよく見るシュークリームより大きくて、キャベツに似た形というのがよくわかる!

そしてシューの中は空洞という、その出立ちを初めて拝見した私は驚きました。


さらに、味見せていただき、初めて体験する味に、甘いクリームが詰まったものだけがシューではないのね!と感動。
私自身がチーズ好きであるからかもしれませんが、誰か、日本にこれを持ち込んでみては?!と感じた次第です。
もしかしたら、探せば日本にも、これに近い料理を出すお店もどこかにあるのかなぁ・・・?
(この書き込みを見てご存知の方がいらっしゃれば是非ご連絡くださいませ)

そして、この次にメイン料理として出てきたのは、想像していた以上にがっつりのお肉。
これもまた私にとって初体験となる鴨のステーキ「マグレ・ド・カナールMagret de Canard)」。

見た目にも美しく、美味しい。
…のだけれども、お肉は分厚く歯応えあり、ポテトもたっぷり添えられていて、素朴なりにも豪華、栄養もあるでしょうし育ち盛りのお子さん等には絶対に良いと思うのですが、私には食べ応えがありすぎ、全部平らげるには困難を要しました・・・


ちなみに、飛び込みで入ったレストランだったので事前情報なしでしたが、このブログを残すためにこのお店のサイトを後に拝見したところ、私が前菜に選んだムレットはこちらの名物料理だったということを知りました。

ル ルレ デュ モルヴァン
Le Relais du Morvan

住所:45 Pl. du Champ de Foire, 89450 Vézelay, France
Webサイト:https://www.relais-du-morvan-vezelay.fr/index.html


そうそうそれから、初めメニューを決める時に、「ごめん、私一人でも、せっかくだからワインもいただくね」と、この日運転手をしてくれた友達に断ったところ、「うん、私も一杯飲むよ」とさらりと言い返され、「そうだった、ここはフランス、少しくらいなら飲酒運転も許されるのだな」と思い出したのですが、「とはいえ、ワインってグラス一杯だけでも結構な度数よね、この後運転するの、ほんとに大丈夫?」と、実はちょっとだけ思ってしまったのでした。
日本の在り方になんやかんやと時々不満言いつつも、実際には完全日本人の自分であることを否めません・・・

しかしながら、そんなカルチャーショックも面白いのが海外旅だよね、と、ブルゴーニュの郷土料理に舌鼓を打ちつつブルゴーニュで生活する友達との会話をゆっくりと楽しんで、その後、訪れたのはヴェズレービール工房Vezelay Brewery, Brasserie de Vezelay)。


こちらでは工場見学が可能という事前情報を受け立ち寄ったものの、残念ながらこの日は開催されておらずでしたが、赤ワインを使ったビールを試飲させていただくことができました。

もちろん、ここでも運転手を担ってくれた友達は普通に飲みましたよ。笑


なるほど、確かに赤褐色の色目に、赤ワインが効いた独特のお味で、ワインの産地ブルゴーニュ!ならではのものを感じるというか、これはこれで面白く、話題性はあるかもとは思いつつも、美味しい!好き!と言う人はどれだけいるのか?という感想を持ったのも正直なところでしたが、私たちが滞在している時にこちらのビールを大量に購入していくグループがあったので、それなりに好評なのだろうなと思います。

ヴェズレービール工房
Vezelay Brewery, Brasserie de Vezelay
住所:Rue du Gravier, 89450 Saint-Père, France
Webサイト:http://www.brasseriedevezelay.com/


ワインを様々な角度から楽しめるブルゴーニュ。
そんなこんなの体験に引き続き、連れて行ってもらったのが、ここ。


ヴェズレーのお隣の町アヴァロン (Avallon)にある「オーシャンAuchan)」という大型スーパーです。
フランスのハイパーマーケットチェーンの一つで、国外にも展開されていて、ヨーロッパでは有名なスーパーなのだそう。

写真は撮り損ねましたが、電化製品などの日用品も取り扱われていて、私が思うに、日本で言えばイオンやイトーヨーカドーみたいなところでしょうか。


とは言え、野菜や果物の陳列状態や、これぞフランスパン!が大量に並べられた風景を目の当たりにし、フランスの日常をまざまざと感じることができる場所でした。


チーズのコーナーも想像していた以上。
乳製品好きの私には夢のような空間でした。
(ただ、今回のフランスでのスーパー体験を通して、フロマージュブランの日本における存在の薄さが残念に感じたので、後日改めて記事にできればと思っています)


有名な観光地を巡るのも良いけれど、その地の日常を垣間見るのも興味深いのでは?と気を利かせてくれた友達に大感謝です。
ちなみに、このスーパーで私自身、前日訪れたお店で見たマスタードや、名産塩など、お土産になるものもお得に購入することができました♪

オーシャン アヴァロン店
Auchan Hypermarché Avallon
住所:Route De Tonnerre, 89200 Avallon, France
Webサイト:https://www.auchan.fr/magasins/avallon/sl-185


そんなブルゴーニュの今を感じた次に案内していただいたのは、同じくアヴァロンAvallon)の古き良き界隈。


こちらには、先ほどまで過ごしていた近代的な雰囲気から一変、再び歴史を感じる静かな情景が広がっていました。

こちらがアヴァロン市庁舎Mairie d’Avallon)。
メイン通り沿いに佇んでます。


オフシーズンということもあったようですが、人の姿はあまりなく、人混みが苦手な私にはありがたかったです。
市庁舎前の広場も、喧騒が全くありません。


ここアヴァロン (Avallon)は一般的に日本人が参考にする旅行本にはほとんど取り上げられておらず、ブルゴーニュに住む友達のおかげで立ち寄ることができたレアな場所です。

その歴史的風景が印象に残ったので、帰国してからこの地について改めて調べていたら、なんとびっくり、わが国日本の長野県佐久市の姉妹都市なのだということを知りました。


以下に、佐久市のHPから一部抜粋させていただきます。

昭和48年10月にスイスにおいて、開催されたヨーロッパ禅大会に出席した、貞祥寺(市内前山)住職に、佐久市長が、フランスに佐久市と見合う市があったら紹介していただきたい旨依頼したところ、ヨーロッパ禅協会の会長であり、ヨーロッパで禅を布教している「弟子丸氏」より、佐久市と自然環境などがよく似ているアバロン市が紹介された。

https://www.city.saku.nagano.jp/shisei/profile/shimaiyukokoryu/shimaiyukoyukari/kokugai/france-avallon/france.html


よって、是非とも佐久市へと行ってみたいと思い、私自身の日本国内の行ってみたい場所リストに加えたところです。

そのメインストリートを進み、くぐり抜けることができる素敵な時計台が、この地のシンボルかと思われます。


そしてこの地もまた、いかにも十字軍の基地であったことを知ることができる城壁が残っています。


先に訪れたヴェズレーを見渡すことができる高台にあり、正に中世の城塞都市を感じることのできる情緒的な町でした。

アヴァロン市庁舎
Mairie d’Avallon

住所:37 Gd Rue Aristide Briand, 89200 Avallon, France
Webサイト:http://www.ville-avallon.fr/


この日、盛りだくさんなブルゴーニュ観光を経て、友達のお宅へと戻ったのは午後6時過ぎ。
陽が落ちてきた頃の、年季ある石造りのお家から漏れる灯りの、なんたる素敵な趣きでしょう。
(友達の旦那さまが、室内を暖かくし、明かりを灯してくれていました。感謝です★)


その夜もまた、ブルゴーニュに住む友達夫妻と共に過ごすディナーの時間にて、この地ならではのチーズを楽しませていただきました。


フランスに到着してから2日目が終わる。明日にはもうブルゴーニュを発って再びパリへと向かうのね・・・
と嬉しい反面寂しい気持ちで眠りについたものの、快適な翌朝を迎えることができたのは言うまでもありません。


あなたが
カルチャーショックを受けた
料理はどんなものですか?

2023 フランスブルゴーニュ 2日目 その1

〜ユネスコ世界遺産「ヴェズレーの教会と丘」〜


仙台空港から出国して台湾を経由しての、長距離長時間移動を経て無事到着したフランスでの1日目は、夜眠る直前まで充実の時間を過ごすことができました。

その晩、ようやくベッドで良い眠りをとることができましたが、そこはずっと来ることを願っていた異国の地。
翌朝は5時台に目を覚ましました。
が、真っ暗。
夜中?と思うほっどだったので、時計を見直しましたが、時間に間違いはなく。
ようやく明るくなってきたのはなんと8時前。

私はこれまで、ヨーロッパのフランスお隣の国としては、ベルギーとイギリスへ行ったことがあり、ベルギーは春、イギリスは夏だったという時期的なこともありますが、朝6時前には日が昇っていたし、日本は遅い時期でも7時には日が昇っているから、10月のフランスの朝がこんなにも遅いとは思っておらず、なかなか明るくならないことに、時間がもったいないと、もどかしさを感じてしまいました。

待ち侘びた朝の明るくなってからの風景。


この日の朝もあいにくの曇り空でしたが、友達の家の前に広がる風景は、清々しいものでした。
普段、仙台の街中に住む私には吸えない、緑を感じる空気の味を胸いっぱいに堪能しました。

友達が準備してくれた朝食をいただいてから、連れて行ってもらったのは、友達の自宅から車で1時間くらいのヴェズレー(Vézelay)という村。

目的地に到着した頃には、お天気がすっかり良くなり、最高の散歩日和に。


このフランス2日目も1日目に引き続き、ブルゴーニュの世界遺産観光です。
この地は「ヴェズレーの教会と丘(Vézelay, Church and Hill/Basilique et colline de Vézelay)」として1979年にユネスコ世界遺産に登録されました。


村は小高い丘にあります。
中世の面影が感じられる坂道を歩いて登っていきます。


なだらかな斜面から、頂上に近づくにつれて結構な急斜面となりますが、程よい運動加減。
その丘を登り切ったあたりの所にあるのが、サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 (Basilique Ste-Madelaine/La Basilique de Vézelay)、世界遺産として保存されている教会です。


白い外壁が印象的な荘厳で美しい姿に、わぁーと思わず声が出るほどでした。


正面入り口のアーチの中に彫られたキリストは両手を大きく広げ、まるで訪れた人を教会の中へと誘っているようです。


その教会内部も素晴らしいものでした。


独特なデザインのアーチが続く身廊、施された目をみはる彫刻の数々。


ところで、バジリカとは、西洋古代から中世にかけて発達した建築の形式の一つで、入り口を入ると長い身廊、左右の壁側には側廊、両壁の上部には採光・通気用の高窓、一番奥に儀式を執り行う場所がある長方形の建造物のことで、バジリカまたはバシリカ(basilica)と呼ぶのですが、ローマ・カトリック教会では、由緒ある主要な教会堂にバシリカという呼称が冠せられるのだそうで、この教会名称が「サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 (Basilique Ste-Madelaine)」とされているのも、納得です。


地下祭室も、この教会の見どころの一つでした。
教会の名称にもあるマドレーヌとはマグダラのマリアのことで、その遺骨の一部(とされる)が祀られているのです。


ちなみに、マグダラのマリアとは、元々は娼婦で罪深い女だったが、イエス・キリストに出会ったことで悔悛し聖女になったとされて聖書に登場する女性で、キリストの使徒であるとともにキリストが愛した女性とも言われる彼女は、キリストの母である聖母マリアとは別人ですので、念の為。

さて、教会の外も一周してみました。


その丘の上からの眺めは、最高でした。


ブルゴーニュの平原を、まさに一望千里。


広大で美しい自然をぐるりと見渡すことができる、なんとも贅沢なロケーション。


特に私は海育ちで、水平線を見渡すことには馴染みがあるものの、山々や緑が続く地平線の景色にはほとんど出会ったことがないので、とても新鮮でした。

素人撮影で拙いですが、短い動画に収めましたので、その美しいパノラマ風景をご覧くださいませ。


2023年フランスの旅、ブルゴーニュ2日目の半日はここまで。
この日の午後については、また次回に。


なお、世界遺産「ヴェズレーの教会と丘(Vézelay, Church and Hill/Basilique et colline de Vézelay)」については、ユネスコHPによると以下のように説明されています。

9 世紀に設立されて間もなく、ヴェズレーのベネディクト会修道院はマグダラのマリアの聖遺物を取得、以来重要な巡礼地となった。 聖ベルナール(ベルナルド/バーナード)は 1146 年に第 2 回十字軍をこの地で説教し、リチャード獅子心王とフェリペ (仏:フィリップ)2 世アウグストゥスは 1190 年にここで集い第 3 回十字軍に出発した。彫刻が施された柱頭と門を持つ、12 世紀の修道院教会であるヴェズレーのマドレーヌ寺院は、ブルゴーニュのロマネスク芸術と建築の傑作である。

https://whc.unesco.org/en/list/84/

サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂
La Basilique de Vézelay

住所:Vézelay Abbey, 24 Rue Saint-Pierre, 89450 Vézelay, France
Webサイト:https://www.basiliquedevezelay.org/




あなたが
空気が美味しいと感じる
場所はどこですか?

2023 フランスブルゴーニュ 1日目 その2

〜ユネスコ世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ」〜


私にとって初めてのフランスへの一人旅、その初日の13時半頃、待ち合わせの場所としていたディジョン(Dijon)駅に到着し、無事に友人との再会を果たすことができました。

ディジョン ヴィル駅
Gare de Dijon-Ville

住所:Cr de la gare, 21000 Dijon, France


そして早速、ブルゴーニュ観光のスタート。
ユネスコ世界遺産として登録されている「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(The Climats, terroirs of Burgundy/Les Climats du vignoble de Bourgogne」の、構成資産であるディジョン歴史地区へと向かいます。

ちなみに、私はディジョン駅付近で友達の車に荷物を預けて歩いて行くことを想定していたのですが、車では友達の旦那さんも待っていてくれて、ご親切に歴史地区内まで送ってくれたのでした(なお、歴史地区はディジョン駅から徒歩でも数分のところです)。

車から降りた地点の町並みです。


いかにも歴史を感じさせる旧市街に足を踏み入れ、改めて異国の地へ来たのだなと感無量の想いに包まれました。

そして見えてきたノートルダム・ド・ディジョン教会(Church of Notre-Dame of Dijon/Église Notre-Dame de Dijon)


ファサードに並んだ怪物の彫刻と、入り口が3つのアーチによってデザインされているのが印象的な、13世紀に建設されたというゴシック洋式による建物。


もちろん拝観無料とのことで、教会内を見学。
(日本の教会も本来はいつでも無料で入れるのでしょうが、なぜか、海外のように気軽に入れませんよね・・・)


内部は、最低限の明かりしか灯されておらず、ステンドグラスから透き通る光の美しさが際立っており、厳かな雰囲気に、人出も少なくて、パリから移動してくる間にあったような喧騒が一切なく、心が落ち着きました。


外観の怪物達の彫刻が奇抜であれば、こちらの聖母像も奇抜なものでした。
「黒いマリア」と呼ばれているそう。
(下図では見えずらいかもしれませんが、ステンドグラスの下方に写ってます)


そして、この教会の一番の特徴というか名物(?)といえば、外の壁面に施されたフクロウの彫刻だそうで。
撫でると幸福が訪れる(正確には、右手で金製のものを触りながら左手でフクロウを触らないといけないらしい)ということで、多くの人になでなでされて、フクロウなのかなんなのかよくわからなくなってます。


人が群がらない「幸福のフクロウ」を撮影することができましたが、実は、私が訪れた際もこのフクロウを撫でながら写真撮影する人の列があり。
幸いほんの数人だったので、一応、私もなでなでしておきました。

ノートルダム・ド・ディジョン教会
Église Notre-Dame de Dijon

住所:2 Place Notre Dame, 21000 Dijon, France
Webサイト:http://notre-dame-dijon.blogspot.com/


そのフクロウがある通りをそのまま行くと、目を引く建物が。


こちらは「La Moutarderie Edmond Fallot – Boutique Atelier Dijon」。
ディジョンはマスタードの本場であることでも知られているそうで、1840年創業から家族経営によって運営されているファロFallot )社によるマスタード専門のお店。
店内にはずらりと様々なマスタードが並んでいました。


ディジョン名産なら買っていこうかなとも思ったのですが、友達が”スーパーでも売ってる、そっちで買った方が安い”と教えてくれたので、ここでは眺めるのだけを楽しむにとどめ…

ファロ
La Moutarderie Fallot – Boutique Atelier Dijon

住所:16 Rue de la Chouette, 21000 Dijon, France
Webサイト:http://www.fallot.com/en/boutique/


ディジョンはこぢんまりとした町ということで、その後もゆったりと徒歩で巡ってみました。


この日は、あいにくの曇り空ではありましたが、時々晴れ間も見えて、雨に当たることもなく、ノスタルジー漂う町中での散歩を楽しめました。


さて、細い通りを抜けると、突如大きな広場が。
そこは、現在は市庁舎美術館となっている旧ブルゴーニュ大公宮殿(Palais des Ducs et des États de Bourgogne)正面の、リベラシオン広場(Place de la Libération)でした。


この宮殿と広場は、こちらもまたフランスの世界遺産「ヴェルサイユ宮殿と庭園(Palace and Park of Versailles/Palais et parc de Versailles)」の設計を担当した一人であるジュール・アルドゥアン=マンサール(Jules Hardouin-Mansart、1646-1708)というフランス古典主義を大成した建築家による設計とのこと。
訪れた瞬間に独特の美しさを感じたのも納得でした。


私は事前にこのことは知らずにいたのですが、もともとヴェルサイユ宮殿も今回の旅で是非とも訪れたいと考えており、実際に後日それも叶いました。
フランスにおけるバロック建築の第一人者とされるマンサールの建築をセットで楽しむことができて良かったです。


ある建築家にフォーカスを当てて旅するのも、アートの知見を深めるのに役立ちますね。

ディジョン市庁舎
Hôtel de Ville de Dijon

住所:Pl. de la Libération, 21000 Dijon, France
Webサイト:http://www.dijon.fr/


その後、旧市街を出て、少し歩きます。


ディジョンに2022年にできてまもない新しいスポット「ディジョン国際美食館Cité Internationale de la Gastronomie et du Vin)」にちょっとだけ立ち寄りました。
2010年に「フランスの美食術」がユネスコ世界無形遺産に登録されたことがきっかけで建てられた施設だそうです。


ここの敷地内にあるカフェのジェラートを食べ喉を潤してから、友達の旦那さんと再び合流。
世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ」のブドウ畑内をドライブし、構成資産でもある「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴィージョ(Château du Clos de Vougeot)」へと向かっていただきました。

ディジョン国際美食館
Cité Internationale de la Gastronomie et du Vin

住所:12 parvis de l’Unesco, 21000 Dijon, France
Webサイト:https://www.citedelagastronomie-dijon.fr/


ところで、ユネスコ世界遺産である「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(The Climats, terroirs of Burgundy/Les Climats du vignoble de Bourgogne」については、ユネスコのHPにある説明を抜粋させていただきますね。

クリマとは葡萄畑の区画を指し、ブルゴーニュ地方では南ディジョンからマランジュまでの50kmにわたって延びるコート・ド・ニュイとボーヌの斜面に、1247のクリマが広がっている。この景観は、ワイン生産に関連する葡萄畑やコート沿いの村々、および行政的にクリマの仕組みや流通などを調整するディジョンの街からなる。クリマは、一世紀にわたる人々の労働から生まれた技術的なノウハウの宝庫であり、ブルゴーニュのクリマのシステムは、今なお活気ある葡萄栽培の顕著な事例である。

https://whc.unesco.org/en/list/1425


まさにブドウ畑のクリマが延々と広がっていました。
友達曰く、「日本で言えば田んぼのようなものだよね。」
なるほど、確かに。笑


私が訪れたのは10月末のことでブドウを刈り取った後なので、このような見た目で、それはそれで初めて見る景観で圧倒されたのですが、是非とも次回はブドウがたわわになっている風景を見てみたいものです。




実は、こちらは後日談なのですが、なんと偶然にも、私がまさにフランスへと旅立った当日の2023年10月22日のTBS『世界遺産』で、「ブルゴーニュのブドウ畑の景観 〜 世界最高峰のワイン!ブドウ畑の四季」と題して、この世界遺産について放送されたのです!
まさに、豊かにブドウが実っている風景も映し出されたようで、偶然とはいえ、このタイミングにびっくりでした。


私はこの放送がされている時間はまだフランスへと向かう旅路の途中(経由地の台湾へと向かう飛行機の中)でしたので、この放送は見れなかったのがちょっと残念にも思いつつも、その現地へと実際に行けたということを思えば、価値ある行動をとっていたのだなと、自画自賛してしまう自分もいたりします。




さて、ディジョンから車で40分くらいの所、広大なブドウ畑の中に「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ(Château du Clos de Vougeot)」というお城のような建物があります。


こちらは、シトー会修道士が12世紀に建てたワイナリー施設で、現在ではワイン製造の博物館となっています。

この日の最後の見学ツアーに加わらせていただきました。
まずこちらの広間に通され、中央にある樽を演説台代わりにガイドさんがお話を始めました。


もちろん完全フランス語。私はチンプンカンプンなので、友達が訳して教えてくれ、助かりました。


12世紀にブルゴーニュの領主たちの寄付によりこの地を所有したシトー会の修道士たちは、この建物を寝泊まりする館とし、また栽培したブドウをこの敷地内の醸造所でプレスし、せっせとワイン造りに励み、キリスト教布教を行いながら、フランスブルゴーニュワインの基礎を築いたのだそう。


圧巻の巨大なプレス機は、現在のワイン祭りでも実際に使われ、また、2000樽を収容できるワイン熟成庫は、現在はパーティーなどの会場として利用されているそうです。


フランス到着初日から、なんともレアな世界遺産を堪能することができました。

シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ
Château du Clos de Vougeot

住所:Rue de la Montagne, 21640 Vougeot, France
Webサイト:http://www.closdevougeot.fr/


18時頃にこの施設の見学を終え、2泊3日とお世話になる友達の自宅へと向かいました。

想い叶っての高校時代の同級生とのフランスでの再会、そしていよいよ彼女のお宅訪問です。
そこはフランスの国立公園として指定されているモルヴァン自然公園(Morvan Regional Natural Park/Parc naturel régional du Morvan)の森の中。
シャトーから1時間以上の車の運転、ご主人に心から感謝です。

到着したお家(実際には到着した時は真っ暗だったので翌朝撮影)。


事前に写真で拝見していた通り、なんとも素敵。
もちろん、静かな森の奥地に佇む実物をこの目で確かめ、自分の足で踏み入れた時の感動はそう簡単に表現できるものではありません。

彼女と旦那さんの住まい隣の、現在はお休み中の宿屋側の2階にある一室を使わせていただきました。


1階は昔ながらの暖炉やアンティークな家具がなんとも落ち着くサロンです。


築100年以上する石造りの建物を、DIY得意の旦那さんと二人であちこち手をかけ、こんな素敵なお宿を兼ねる自宅に住まう、素敵な夫婦と時間を共にできた私は本当に幸せ者です。

そして、この日のディナーは、友達の手作りによるブルゴーニュの伝統料理「Coq au vin(コック・オ・ヴァン)」というなんとも豪勢なチキンの赤ワイン煮込をいただきました。


ワインに詳しくないので申し訳ないのですが、訪れたのはフランスブルゴーニュ、というわけで本場のワインも出していただけて、何よりも海外の旅先で現地の家庭料理(しかも手が込んでいる)をいただけたというのが嬉しすぎました。

言わずもがな、その日の夜は、飛行機の眠れない長旅から一変、広いベッドで眠らせていただき、翌朝は良い目覚めで迎えることができました。



このところずっと体調を崩していたり仕事が忙しかったりで、ようやく昨年秋に訪れたフランスでの旅1日目の続きがアップできました(正直まだ書き足りない感があるのですが…)。
2日目については、また後日となりますが、なるべく早く記載したいと思います。


あなたの印象に残る
歴史地区といえば
どこですか?

2023 フランスブルゴーニュ 1日目 その1

〜パリ シャルル・ド・ゴール国際空港からブルゴーニュへ向かった初日〜


10月末、台湾を経由してフランスへ行って参りました。
無事日本へと戻って来てからの日常は、相変わらず職場のごたごたが絶えないのが現実で、休日はただただ何も考えたくなくなり、ブログを記述するペースも遅くてタイムラグが大きくなる一方ですが、私自身、次回のより良き旅へと活かしたいので、牛の歩みなりでも記録しておこうと思います。

まずは、フランスでの1日目から。


…その前に。飛行機の乗り継ぎについてよく聞かれるので、補足しておきます。
私が今回往路で乗った便の、台湾台北の桃園国際空港からフランスパリのシャルル・ド・ゴール国際空港への乗り継ぎ時間は4 時間 45 分ですが、割とあっという間でした。

”世界の素晴らしい空港ランキング”では上位には上がらないものの、桃園国際空港は大きくて、保安検査を通った後のショッピング&フードエリアも広くラウンジ等の設備も充実しており、空き時間を有意義に過ごすことができます。

記載した写真は検査通過後に撮影したものですが、制限エリア外も盛り沢山です。
もし時間的に余裕があったら、乗り継ぎにもっと時間をとっても良いくらいだと思えました。

桃園国際空港 第2ターミナル 3・4階(制限エリア)

さていよいよ、台北からパリへと向かうわけですが、出発の時刻が予定よりも大幅に遅れ、飛行機へと乗り込むまで、何もない搭乗ゲートの待合室で1時間近く待機することに。

そして、ようやく乗った飛行機での移動時間はおよそ15時間。

それだけでかなりのパワーを消耗するとともに、無事シャルル・ド・ゴール国際空港へ到着したものの、今度は、友達との待合せ場所へ向かうための高速列車に間に合うだろうかとの焦りが。

シャルル・ド・ゴール国際空港 第1ターミナル 1階

いつもだと空港の写真も多少撮りますが、全くその余裕なく。
なので実は、上の写真は帰りに撮ったものです。

とはいえ、余裕がなかったのは、この全く初めての海外の場所で、時間的余裕のない状況で、電車の乗り換えをし、予約済みの高速列車に間に合うだろうかという私の気持ち的なもので、実際は、もともとゆとりを持って予定を立てていたので、余裕というほどの余裕は無くなったものの、落ち着いて動けば時間的には問題ないだろうという状況でした。

というわけで、冷静な心を保ちつつ(写真撮る余裕はないけど)、スタッフの方々に行き方を尋ねつつ、無事、目的の電車に乗ることができました。

電車の席に座れてホッと一息ついたところで、ようやくカメラをバッグから取り出して、フランスに降り立ってからから初めて撮った写真がこれ(笑)。

RER B線(シャルル・ド・ゴール国際空港とパリ市中心部を結ぶ高速郊外鉄道)車内

シャルル・ド・ゴール国際空港
Aéroport de Paris-Charles de Gaulle

住所:95700 Roissy-en-France, France
Webサイト:https://www.parisaeroport.fr/roissy-charles-de-gaulle


フランスでの初日は、今回の旅の目的の一つである友人との再会です。
彼女が住むのはブルゴーニュ(Bourgogne)で、待ち合わせ場所としたディジョン(Dijon)へと向かうルートは以下の通り。

  1. シャルル・ド・ゴール国際空港 第1ターミナル
    *ターミナル間は無料の無人電車CDGVALで移動
    ・まずはエレベーターでCDGVAL乗り場の2階へ
    ↓ ターミナル1〜3は5分程度
  2. シャルル・ド・ゴール国際空港 第3ターミナル
    ↓ 構内を徒歩で数分
  3. 高速郊外鉄道RER シャルル・ド・ゴール空港Aéroport Charles de Gaulle)駅にてB線乗車
    ・切符自動券売機でパリ行きのチケットを購入
    ・パリ市内であれば下車駅全て料金は同じ
    (2023年10月時点€11.45)
    ↓ 主要駅停車便で約40分
    (直行は30分、各駅停車の場合は50分)
  4. RER シャトレ・レ・アール(Chatelet Les Halles)駅にてA線乗車
    *B線を降りたホームのすぐ隣がA線

    ↓ 約2分(1駅)
  5. RER リヨン(Gare de Lyon)駅(地下)
    リヨン駅は広いので徒歩移動の為の時間的余裕が必要

    ↓ 構内を徒歩で数分
  6. 高速列車TGV リヨン(Gare de Lyon)駅(地上階 Hall2)11:56発

    ↓ 1時間35分(停車駅なし)
  7. TGV Dijon駅 13:31着

ドキドキオロオロもしたけれど、無事に予定通り、待ち合わせ場所のディジョン(Dijon)駅に到着できました。

ディジョン駅 構内

特になぜそんなにドキドキしたかというと、先に述べた通り、高速列車のチケットを予約済みだったからです。
フランスの国鉄SNCFが運営する高速列車TGV(ティー・ジェー・ヴェー)は、日本で言えば新幹線のようなもの。
と言えば想像がつきますよね?
そうです。それなりのお値段!
全席指定席で、1等席と2等席の二つの値段設定による車両があり、1等は空いてる席の中から希望する席を選ぶことができますが*、2等は詳細な席の指定ができません**。また、1等席は高い分、1名席がゆったり広めかつ防犯上の安心感があるということで、私は初めての1時間半の道のり、安心感を優先させました。

SNCFでの直接の予約であればこの選択ができますが、各国の言語に対応する交通・旅行情報検索サービス(Omio(オミオ)やKlook(クルック)といったものなど)からの予約では1等席でも自分で席を選択することはできない上、手数料が発生します。

**2等席は、通路側か窓側かという指定のみで、1等席のようにシートマップによりピンポイントで指定することができません。

そのお値段98ユーロ。日本円にしておよそ1万6千円。
今の日本人にとっては色々と何かとお高いフランス、ユーロ!絶対に乗り遅れたくない!!
もちろん、待ち合わせしてる友達にも迷惑かけるし(そこが本来はとても重要…)。

ちなみに、新幹線と同様に取る時期などによって変動するので、もっと早く取っていればもう少し安かったのでしょう…

SNCFアプリのTGVチケット予約済画面。既に使用後なので消えていますが、利用時は駅員さんが読み取るためのQRコードが表示されます。

実は今回、日本出発の直前までは、シャルル・ド・ゴール国際空港からパリ市内までの移動は、エアポートバスを利用しようかと思っていたのです。
理由は単純に、海外の初めての場所でいきなり電車の乗り継ぎは手間取るかもしれないから、市内までは直行のバスに乗ってしまった方が良いだろうと考えていたから。
それに、日本のサイトで検索すると「空港〜パリ市内移動はバスが良い」という書き込みが多いので、自分もそうするべきかな、と。

でも念の為、会う約束をしていた友人に伺ってみたら、バス到着地のオペラ(Opera)からリヨン駅までの移動も考えるとこっちの方が早いし移動しやすいのではと今回のルートを勧めていただきまして。
「RERの治安を心配しているの?」とのことでしたが、私自身は特にそういうわけでもなかったですし。
列車によるルートは私もチェックはしていて、早いこともわかってはいたけど、日本サイトでのバスによるルートの強調度合いに押され、いまいち考えが及ばなかっただけのこと。
友人から伺ったことで、なんか列車のみのプランで行けそうかも、と思うことができ計画を変更しました。

往路で私が乗ったTGVはこれと同タイプ。外観はどっしり重厚感がありますが、車内については、正直、新幹線の方がずっと綺麗で、その点では我が国に軍配を上げたい。

結果的に、今回は飛行機が遅れたこともあり、エアポートバスの場合では直行といっても限られた本数で時間もかかるので、往路は全て鉄道で予定を組んで正解でした。

もちろん、私の今回の予定がブルゴーニュまで行くからということもあったろうし、海外での個人旅行はある程度は慣れていないと、ということもあるかもしれませんが、誰かの、特に日本人だけの「絶対これがいい」的な話は、鵜呑みにするべきではないのだろうなと改めて感じました。
インターネット上で多く見かけるお話は参考にしつつも、何事も広い視野を持って、自分なりのやり方というものを模索することを楽しみつつ、豊かさにつながる行動をしてゆきたいです。

左手がフランスの主要駅の一つリヨン駅。大きな時計塔がシンボルとなっている駅舎のなんと美しいこと…(復路にて撮影)

リヨン駅
Gare de Lyon

住所:Pl. Louis Armand, 75012 Paris, France
Webサイト:https://www.gares-sncf.com/fr/gare/frply/paris-gare-lyon


毎回『改めて』何かを感じる海外一人旅。
そんなこんなで、今日も移動の話で長くなってしまいましたので、良きフランスを感じた体験についてはまた次回に…


あなたは
駅舎に感動することは
ありますか?

パリ エッフェル塔

仙台から出国し台湾を経由してフランスへ

〜全便 EVA AIR(エバー航空)による渡航記録〜


久々の海外一人旅、目指したのは、高校時代の同級生が住む国フランス
コロナ禍が明けたら真っ先に行くのはそこだと決めていたことがようやく実現し、無事帰ってまいりました。

仙台市民の私は仙台からダイレクトに出国したくて、今回、仙台から台湾を経由してフランスへと向かう航空便を利用しました。
これが、チケット購入検討時の目論見通り、人混みが苦手な私にとっては好都合で、移動や手続きの快適さを実感しましたので、しっかり記録しておこうと思います。

仙台国際空港 展望デッキからの眺め

この度私が利用した航空便はすべて、台湾の航空会社であるEVA Airエバー航空
すべて同じ航空会社だと、乗り継ぎ時の検査や手続きもすんなりだし、預け入れ荷物についてもロストバゲージの不安が減ります。

旅程は以下の通り(時刻は現地時間*)です。

<往路>
仙台から台湾(台北)を経由してフランス(パリ)へ

出発
場所:仙台空港(Sendai, Japan (SDJ))
日時:10 月 22 日 (日) 16:05
↓(所要時間 : 4 時間 45 分/便名:EVA Airways 117)
到着
場所:台北 桃園國際機場(Taipei, Taiwan (TPE-Taoyuan Intl.) ターミナル 2)
日時:10 月 22 日 (日) 18:55

*日本と台湾の時差:1時間(日本が台湾より1時間早い)

 =乗継時間 : 4 時間 45 分=

出発
場所:台北 桃園國際機場(Taipei, Taiwan (TPE-Taoyuan Intl.) ターミナル 2)
日時: 10 月 22 日 (日) 23:40
↓(所要時間 :  15 時間/便名:EVA Airways 87)
到着
場所:パリ シャルル・ド・ゴール国際空港(Paris, France (CDG-Roissy-Charles de Gaulle)ターミナル 1)
日時 : 10 月 23 日 (月) 8:40

*サマータイム**における台湾とフランスの時差:6時間(台湾がフランスより6時間早い)

**サマータイム:フランスを含むEUでは、サマータイム(夏時間)の期間は3月の最終日曜日から10月の最終日曜日まで

スマホにエバー航空のアプリを入れて。チケットの確認やWEBチェックイン等ができ、搭乗口の変更や遅延のお知らせも随時入ってくるので便利(もちろんアプリなしでもWEBサイトからでも可能)。

<復路>
フランス(パリ)から台湾(台北)、台北にてストップオーバー***し、仙台へ

***ストップオーバー:またはレイオーバー。目的地に向かう途中の乗継地で24時間以上滞在すること

出発
場所:パリ シャルル・ド・ゴール国際空港(Paris, France (CDG-Roissy-Charles de Gaulle)ターミナル 1)
日時 : 10 月 28 日 (土) 11:20
↓(所要時間 :  13 時間 15 分/便名:EVA Airways 88)
到着
場所:台北 桃園國際機場(Taipei, Taiwan (TPE-Taoyuan Intl.) ターミナル 2)
日時:10 月 29 日 (日) 6:35

 =台北にてストップオーバー:2 泊 3 日=

出発
場所:台北 桃園國際機場(Taipei, Taiwan (TPE-Taoyuan Intl.) ターミナル 2)
日時:10 月 31 日 (火) 10:15
↓(所要時間 : 3 時間 10 分/便名:EVA Airways 118)
到着
場所:仙台空港(Sendai, Japan (SDJ))
日時:10 月 31 日 (火) 14:25

(ただし、そうはきっちり予定通り行かないのが航空事情。実際には予定時刻から多少変動があったことを申し添えます)

仙台国際空港 3階フロア

仙台から東京の成田や羽田までは電車なり飛行機で行くにも時間がかかるし、特に国際便の場合はフライト時刻の2時間くらい前までには空港に到着しておくのがベターで、便の出発時間によっては前日から空港近辺に宿泊する必要もあったりして費用もかさみます。
また、どちらの空港も大きいのでカウンターはたくさんあるし、人も多く、チェックイン手続きや荷物を預けるだけでも長い列に並ばなくてはならないし、保安審査にも時間がかかります。

その点、仙台空港なら、国内便も国際便も、保安検査の入り口は別なれど、そこを通過すれば待合のフロアは一緒という規模なので、手続きに時間が取られない点でラク。
ただその分、お店も少ないので、待ち時間をショッピングで楽しみたいという人には不向きかもしれませんが・・・

仙台国際空港 2階フロア エバー航空カウンター(私は事前にWEBチェックインを済ませており、荷物を預けるのみだったので、あっという間に済みました)
仙台国際空港 2階フロア 国内線と国際線の保安検査場の位置関係

もちろん、東京まで行けば、フランスまでの直行便が出ていて、乗り継ぎなしで目的地に辿り着けるに越したことはありませんが、費用はそれなりとなります。

飛行機代の支出を抑えたかったら、どこかを経由していくことを選択せねばならず、東京からでもアジアを経由地とするパターンがよく考えられるので、仙台からフランスへの直行便がなくとも、仙台から出国してアジアの空港を経由して行けば、仙台から東京までの移動のワンステップを省くことができ、出国手続きがラクな上、費用を抑えることができます。

仙台国際空港 2階 国際線保安検査場入口
仙台国際空港 2階 保安審査を通過すれば国内線も国際線も一緒の搭乗待合室

ちなみに、私の今回の飛行機代にいくらかかったのかというと、税およびサービス料込で21万8千円。
これを高いという人もいるかもしれませんが、私の場合、仕事の都合上どうしても日程が限られていて、金額だけを優先して決めることができません。
限られた日程の範囲内で、東京から発つ便なども含めかなり検索したのですが、この金額はその中でもトータル的にみて安い方でした。
金額だけを優先して旅程を組めるのであれば、もっと安くできたろうと思います。

もちろん経由地をさらに増やしたり、乗り継ぎ時間が長くなる便を選ぶなど、移動に時間をかけることでもコストを抑えるのは可能ですが、それはそれで時間にだいぶ余裕がないとそれも難しいです。

また、私は一人旅で好きに動きたいし、旅程を交通機関から宿泊施設、回るルートなどを自分で考えることも楽しみたいタイプなのですべてを自分で決めていますが、場合によっては団体ツアーの方がよっぽどトータル的には安くなることもあります。
自分にとってのプライオリティを明確にしておけば、より良い旅が実現するだろうと思います。

結論として、今回の旅は私にとって、期間的にもコスト的にも概ね満足するものとなりました。
概ね、というのはパリでのホテル代の異常な高さに納得できかねるから。(苦笑)
本日は飛行機に関してのみの話で終わりますが、その辺も含め、フランスや台湾における記録は後日アップいたします。

最後に、2023年10月22日(日)の仙台空港の様子をもう一枚。

仙台国際空港 展望デッキ

私が仙台から台湾へと渡る飛行機に乗ったのは日曜日だったこともあったからでしょうが、この人出。
日本では未だマスクをしてる人は多いですが、コロナ禍が明けたことを改めて実感しました。

余談ですが、フランスではマスクをしてる人に出会うのは1日にせいぜい2・3人でした。
お国柄の違いを身をもって知るのもまた面白い海外旅ですよね。


あなたは
どの航空会社が
お好みですか?

映画「ミッドナイト・イン・パリ」で巡る名所旧跡

名作映画で知るパリの名所 ーそれは世界遺産やアートの学び


アート好き、そして、SF映画(特にタイムトラベル系)が好きな私にとって、愛してやまない名作映画「ミッドナイト・イン・パリ(Midnight in Paris)」。

2回にわたってその概要と登場する偉大なアーティスト達についてレポートしてきましたが、念願だったフランスへの一人旅を目前に、最後は、主人公ギルが立ち寄った名所について、ほんの少しの雑学を交えつつ記述しておきたいと思います。

モネの家と庭園(Maison et jardins Claude Monet)

フランスのノルマンディー地方、パリから西へ70kmほどのジヴェルニー(Giverny)という小さな村にモネの家と庭園があります。
印象派の巨匠クロード・モネ(Claude Monet、1840-1926)はここで43歳から86歳で亡くなる時までを過ごし、大作「睡蓮(Les Nymphéas)」を生み出しました。
映画「ミッドナイト・イン・パリ」は、舞台のほとんどがフランスの首都パリですが、パリ郊外も一部登場します。
先のブログ(https://calm-smile-chain.com/midnight-in-paris/)で概要を記述した通り、映画はジャズ名曲「Si Tu Vois Ma Mère」に乗せて流れる現代の何気ないパリの日常の映像というオープニングで始まるのですが、曲の終了と同時に、物語はこの美しいモネの庭を舞台に幕を開けます。

エッフェル塔(Tour Eiffel)

パリといえばコレ、ですね。
行ったことがなくても、興味がなくても、知らない人はほとんどいないでしょう。
世界遺産「パリのセーヌ河岸(Paris, Banks of the Seine)」の構成資産の一つでもあります。
324mもの高さを誇るこの巨大で芸術的な鉄の塔が、パリの象徴として映画に幾度も現れます。

シャンゼリゼ通り(Champs-Élysées)

シャンゼリゼ通りもまた世界遺産「パリのセーヌ河岸」の構成資産の一つで、その名称は誰もが知るであろう有名な大通り。
エトワール凱旋門(Arc de triomphe de l’Étoile)からコンコルド広場(Place de la Concorde)まで全長約2.5kmに渡る緩やかな坂道の美しいマロニエ並木からなる通りで、老舗ブティックやレストラン、カフェなどで賑わっています。
なお、コンコルド広場は世界遺産「パリのセーヌ河岸」の構成資産であるものの、エトワール凱旋門は構成資産となっていません。
凱旋門”といえば、エトワール凱旋門からコンコルド広場を挟んで対極に位置するカルーゼル凱旋門(Arc de triomphe du Carrousel)が「パリのセーヌ河岸」の構成資産となっています。

ヴェルサイユ宮殿(Château de Versailles)

パリから約20km南西に位置するフランス北部のイル=ド=フランス地域圏(Île-de-France)のコミューン(基礎自治体)であるヴェルサイユにある壮麗な宮殿で、世界遺産「ヴェルサイユの宮殿と庭園(Palace and Park of Versailles)」として登録されています。
映画の前半で、主人公のギルとフィアンセのイネズ、そしてたまたまパリで会った友人夫婦が、4人で連れ立ってヴェルサイユ宮殿の庭園を歩くシーンがあり、その広大さと美しさを見て取ることができます。

ロダン美術館 (Musée Rodin)

その名の通り、かの有名な彫刻家オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin、1840-1917)の作品を一堂に展示している美術館で、ロダンが1908年から亡くなる1917年までを過ごしたという館でもあります。
誰もが知る名作のブロンズ像「考える人(Le Penseur)」が置かれた庭園はバラの名所としても知られており、映画ではギルたちがその美しい庭園を散策するシーンなどが撮影されています。

サンテティエンヌ・デュ・モン教会(Église Saint-Étienne-du-Mont)

セーヌ川を背にパリ5区に位置する聖ジュヌヴィエーヴの丘(Montagne Sainte-Geneviève)に建つ、ゴシック様式とルネサンス様式の要素が組み合った教会。
特に美しい装飾が施されたファサードが印象的で、パリのランドマークであるとともに、静寂で神聖な雰囲気に包まれた内部は、訪れる人々に穏やかな安らぎをもたらします。
映画ではこの場所がギルがタイムスリップするための起点となっているのですが、聖ジュヌヴィエーヴパリの守護聖女だそうで、彼女の墓を収めたのがこの教会とのことで、なんだか優しく守ってくれそうな気配が、物語も映画の観客である私たちも幸せになれそうな予感がしますね。

ポリドール (Polidor)

1845年にオープンした歴史のあるレストランで、作家アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway、1899-1961)が通った店としても知られています。
映画の中では、ギルが過去にタイムスリップしてヘミングウェイと出会う場所で、ギルが現代に戻るとコインランドリーになってしまいます。
しかし実際(映画ではない私たちの現実世界)は、今も昔から変わらぬ所で、ヘミングウェイに愛された時と同様、19世紀半ばの世界を思わせる雰囲気のままに営業している人気のレストランで、フランスの家庭料理を味わうことができるのだそうですよ。

サン・トゥアンの蚤の市(Marché aux Puces de Saint-Ouen クリニャンクールの蚤の市)

100年以上の歴史を持つパリ最大級のアンティークマーケットで、掘り出し物の宝庫と言われ、世界各地からスタイリストやデザイナーなど、インテリアの業界人が大勢訪れています。
映画では、広大なマーケットの敷地を散策していたギルが、聴こえてきたコール・ポーター(Cole Porter、1891-1964)の音楽に魅かれて入った骨董品店で、物語の鍵の一人である女性ガブリエルと出会うことになります。

オランジュリー美術館 (Musée de l’Orangerie)

モネセザンヌルノワールマティスピカソモディリアーニなどの、印象派やポスト印象派の作品で知らる美術館。
「オランジュリー」とは、フランス語で「オレンジ畑」「オレンジ温室」の意味で、もともとはチュイルリー宮殿(かつてルーヴルの西側にあった宮殿で、その庭が現在は「チュイルリー公園(Jardin des Tuileries)」として人々の憩いの場となっている)のオレンジ温室だったことから名付けられました。
モネの名作「睡蓮」が所蔵されていることでも有名で別名として「モネ美術館」とも呼ばれています。
映画の中では、ギルとイネズその友人夫婦が一緒に、その大作が掲げられている大きな円形の展示室を訪れる場面が描かれています。
なお、ここも世界遺産「パリのセーヌ河岸」の構成資産です。

縁日博物館(Musée des Arts Forains

19世紀の当初はワインの貯蔵庫として使用されていましたが、その後、所有者のジャン=ポール・ファヴァン(Jean-Paul Favand)氏によってコレクションされたメリーゴーランドの乗り物やアーケードゲームなど、遊園地のオブジェを集めた私立博物館としてオープンしました。
映画ではギルが過去の時代へと3度目にタイムスリップする場所で、F・スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald、1896-1940)が主催するパーティー会場として描かれていますが、今も見学可能で100年以上前の遊具を体験することができるという大人も遊んで楽しめる博物館です。

サクレ・クール寺院(Sacré-Cœur Basilica)

モンマルトルの丘の頂上に位置し、パリの美しい景色を一望することができるロマネスク様式とビサンチン様式が融合した白亜の美しい教会です。
映画では、この寺院の裏手の階段を、ギルが過去の世界で一目惚れしたアドリアナと語り合いながら降りるシーンがあります。

セーヌ川(La Seine)

フランスを代表する美しい川で、全長777キロメートルに及び首都パリを流れます。
セーヌ川の河岸のうち、シュリー橋(Pont de Sully)からイエナ橋(Pont d’Iéna)までのおよそ8kmほどが、すでに述べている通りの世界遺産「パリのセーヌ河岸(Paris, Banks of the Seine)」として登録対象とされています。
映画には何度も登場するのですが、パリの美しい街並みを反映する鏡のような存在であるこの河岸が、映画の終盤で夜にライトアップされて映し出された景色が特に幻想的です。

ラ・トゥルネル通り(Quai de la Tournelle)

セーヌ川の南岸に位置し、パリ5区と12区の境界に沿った通り。
映画ではこの河岸のブキニスト(セーヌ河岸に沿って屋台のスタイルで営業する古本屋)で、ギルがアドリアナが書いた日記を購入します。

ノートルダム寺院(Cathédrale Notre-Dame de Paris)

“パリ発祥の地”とも称されるシテ島(Île de la Cité)に建つゴシック様式の大聖堂で、その美しい建築や彫刻、ステンドグラスなどから美術史上でも重要な位置付けとされています。
世界遺産「パリのセーヌ河岸(Paris, Banks of the Seine)」の構成資産の一つでもありますが、2019年の4月に火災が発生し尖塔が焼け落ちた事件は記憶に新しく、今も修復が続けられています。
映画「ミッドナイト・イン・パリ」が制作されたのは2011年のこと。当時の姿を拝見してみたかったものです。

ジャン23世公園(Square Jean XXIII)

その名称は、教皇ヨハネ23世Jean XXIII)の名にちなんでつけられ、シテ島の上流部分、ノートルダム大聖堂裏手にある公園で、訪れる人々に癒しとくつろぎを与える空間です。
映画では、ギルがロダン美術館で出会ったガイドとこの公園のベンチで腰掛け、アドリアナがフランス語で書いた日記を英語へ翻訳して聞かせてもらいます。

デロール(Deyrolle)

1831年に創業し、昆虫や貝殻、あらゆる種類の動物の立派な標本や剥製が並ぶ専門店で、今も多くの人が訪れる場所。
映画では、1920年代のパリのこの場所でパーティが行われており、ギルがアドリアナと再会し連れ出します。

ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)

ムーラン・ルージュはフランス語で「赤い風車」という意味で、パリ北部のモンマルトルにある世界的に有名なカバレット劇場(キャバレー)です。
1889年に開業し、特にモダンなカンカンダンスのショーで知られ、見事なエンターテイメントで多くの人々を魅了してきました。
映画では、ギルがアドリアナと一緒に1920年代からさらにさかのぼってベル・エッポクの時代へとタイムスリップすることとなり、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec、1864-1901)とここで出会います。

シェイクスピア・アンド・カンパニー書店(Shakespeare and Company)

1919年に創設され、パリにおける英米文学とモダニズム文学の殿堂として由緒ある書店。
映画にも登場したアーネスト・ヘミングウェイスコット・フィッツジェラルドガートルード・スタインマン・レイなどもこの書店で多くの時を過ごしたといいます。
映画の終盤で、主人公のギルがこの書店から出るシーンがあります。

アレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)

1900年のパリ万国博覧会に際して建設されたセーヌ川に架かる橋で、世界遺産「パリのセーヌ河岸(Paris, Banks of the Seine)」の構成資産の一つです。
映画のラストシーンで登場するのがこの橋で、ギルがとある女性と再会します。
雨が滴りキラキラと輝く情緒あるパリの風景、物語の流れにも思わず頷いてしまうシチュエーションで、ホッと和むエンディングに静かで穏やかな感動を覚えます。

ここまでざっと挙げてみましたが、正確には、映画「ミッドナイト・イン・パリ(Midnight in Paris)」ロケーションとなった場所は他にもあるんですよね・・・


そして、私にとっては初のフランスへの一人旅、念願のパリ滞在、といってもほんの短時間。
ここに挙げたどれだけを訪れることができるのか。

次は、自分で撮影する写真とともに、さらに楽しんでレポートしたいと思っています。

サラリーウーマンでありながら、自由とは言い切れないこのご時世に、ほんの数日とはいえ日本から海外へ旅に出られることに心から感謝して・・・
本当に、ありがとうございます。
行ってまいります。


あなたが愛する
パリのスポットは
どこですか?

映画「ミッドナイト・イン・パリ」に登場する偉大なアーティスト

名作映画で知る歴史に名を残した芸術家たち


前回は、大大大好きな映画「ミッドナイト・イン・パリMidnight in Paris)」について簡単にご紹介させていただきました。

この映画は、主人公であるハリウッドの売れっ子脚本家ギルが、2010年の夏、婚約者と訪れた憧れの街パリで、現代から黄金時代(ゴールデンエイジ)の1920年代へとタイムスリップし、当時のアーティスト達と夢のような時間を過ごして…という言わば大人のためのおとぎ話です。

尊敬する歴史上の偉大なアーティストに会えることができたら。。。
そんなことを夢見るのは、この映画の主人公ギルに限ったことではなく、私もそうですし、このブログを読んでくださっているあなたもそうかもしれませんね。

真夜中のパリ、午前0時を知らせる鐘の音とともに現れたクラシックカーに乗り込み、過去へとタイムスリップしてしまったギルでしたが、さまよいこんだのは芸術や文化が開花し、活気にあふれた1920年代のパリの社交場。
続々と登場する当時のアーティスト。
初めは困惑するも、脚本家から本格的な小説家への転身を願っていたギルにとって、敬愛してやまないアーティスト達との夢のような時間なわけで。
興奮しつつその幸せに素直に身を任せる彼の姿には共感できます。


さて、映画「ミッドナイト・イン・パリ」にはいかなる歴史的アーティストが登場するのか。
その人物達を登場順にご紹介します。
(なお、ポートレイトは全てWikipediaから転載させていただいています。写真をクリックするとWikipediaのページにリンクしますので、ご活用くださいませ)


コール・ポーター(Cole Porter、1891-1964)

アメリカの作曲家・作詞家で、1910年代後半から1920年代後半にかけてパリに在住していました。彼の曲は数多くのミュージカルや映画で使われ、ジャズのスタンダードとしても愛されています。
映画では、主人公ギルがタイムスリップしたばかりの場面で訪れたパーティー会場で、コール・ポーターがピアノを弾きながら名曲「Let’s Do it, Let’s Fall in Love」披露しています。

Cole Porter – Let’s Do It.(by renato reyes

ゼルダ・フィッツジェラルド(Zelda Fitzgerald、1900-1948)

アメリカアラバマ州生まれで、ハイスクールを卒業後、スコット・フィッツジェラルドと1920年に結婚。彼の作品に影響を与えたことで知られています。彼女自身も小説やエッセイを書いており、独自の創作活動を行い、自由奔放ながらも壮絶な人生を送りました。
映画では、ゼルダが困惑した表情のギルに「迷子みたいね」と声をかけます。英語で話しかけられたギルは同じアメリカ人かと安心し、自己紹介し作家であることを伝えたところで、夫のスコット・フィッツジェラルドに紹介されます。

F・スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald、1896-1940)

アメリカ文学の象徴的な作家で、ゼルダと結婚した同年の1920年に処女長編「楽園のこちら側」が全米ベストセラーになったことや、1974年にロバート・レッドフォード主演、2013年にはレオナルド・ディカプリオが主演で映画化された「華麗なるギャツビー」などの作品で知られています。1924年から1930年まで、ゼルダと娘とともにフランスに移住しました。
映画では、過去にタイムスリップしてしまったことにまだ気がつけていないギルが、F・スコット・フィッツジェラルドから「このパーティーのホストはジャンコ・クトーだ」と聞き、「冗談がきつい」と返すのですが、フィッツジェラルド夫妻はギルがつまらながっていると勘違いし、他の場所へと連れ出します。


ちなみに、ジャン・コクトーJean Cocteau、1889-1963)は映画監督、劇作家、詩人、小説家、画家として、フランスの多才な芸術家でした。
この映画ではここで名前が出てくるのみですが、彼が20世紀の芸術界で偉大な存在であるがゆえ、ギルが冗談かと思うのも頷けます。

ジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker、1906-1975)

アメリカ出身のダンサー、歌手、女優で、パリのミュージックホール「フォリー・ベルジュール」の看板スターとなり、フランスで人気を博した黒人アーティスト。
映画では、ギルがフィッツジェラルド夫妻らとともに訪れたバーで、ジョセフィン・ベイカーによるルンバ曲「La Conga Blicoti」のパフォーマンスを前に、初め驚きつつも次第に表情が和み、過去の時代に来てしまったということを徐々に受け入れていくさまが見て取れます。

Josephine Baker – La Conga Blicoti(by Roman Nep /Scene from “Midnight in Paris”)


アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway、1899-1961)

20世紀のアメリカ文学の巨星とも言われるほどの小説家で、1954年にノーベル文学賞を受賞しました。
1921年から1928年までパリに住み、文学的なサークルで多くの作家や芸術家と交流し、その体験が彼の創作に大きな影響を与えたとのことです。代表作としては「老人と海」「日はまた昇る」「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」など。
映画では、ジョセフィン・ベイカーが歌い踊るバーを出た後、フィッツジェラルド夫妻はギルをレストラン「ポリドール」に連れて行き、ヘミングウェイに紹介します。ギルは彼に大ファンだと言い、自分の作品を評価してもらうことを熱望します。


ファン・ベルモンテ(Juan Belmonte、1892−1962)

スペイン生まれの闘牛士で、20世紀初頭のスペインで最も偉大な闘牛士の一人とされています。闘牛技術の革新者であり、伝統的な闘牛のスタイルを大きく変えたことで有名です。ヘミングウェイとは親友で、「日はまた昇る」に実名で登場しています。
映画では、フィッツジェラルド夫妻ヘミングウェイとパリで楽しむ様子が描かれていますが、実際はパリに住んでいたことはなかったようです(この映画のように、旅行など短期滞在していた可能性はあるかもですね!)。

ガートルード・スタイン(Gertrude Stein1874-1946)

アメリカの作家であり詩人で、パリの文学界に影響を与えた女性。パリでサロンを主宰し、多くの芸術家や作家と交流した、近代芸術の擁護者的存在でした。ヘミングウェイにも文章指導をしており「言葉の料理人」と言われた人物です。
映画では、ギルから小説の評価を頼まれたヘミングウェイが作家はライバル同士だからとガートルード・スタインを紹介します。

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)

スペイン出身の画家でフランスに定住しました。フランスの画家ジョルジュ・ブラックらとキュビスムを創始し、その後もシュルレアリスム、抽象表現主義など、さまざまな芸術運動に影響を与えました。代表作には「ゲルニカ」や「アヴィニョンの娘たち」「海辺を走る二人の女」があります。
映画では、ヘミングウェイがギルを連れて行ったガートルード・スタインのサロンで登場します。ギルは美術的な視点からもインスピレーションを受けることになります。

ジューナ・バーンズ(Djuna Barnes、1892-1982)

アメリカの作家で、モダニズム文学の一翼を担った女性。彼女の代表作「夜の森」の出版にあたっては詩人のT.S.エリオットが多大な尽力をしたといいます。
映画では、遊園地で開かれたパーティーでギルとジューナ・バーンズが一緒にダンスしている様子が描かれています。


サルバドール・ダリ(Salvador Dalí、1904-1989)

スペインのシュルレアリスムを代表する画家で映画制作者。常識を破壊し新しいアートを創造した芸術家で、「偏執狂的批判的方法(ダブルイメージ、二重影像)」という技法でだまし絵的幻想画を描きました。パリでの滞在では多彩なアーティスト達と活動を共にしています。
映画では、ギルが3度目に訪れた1920年代のパリのレストランで、サルバドール・ダリに声をかけられ、ダリの作品のモチーフの一つでもあるサイについてやたらと語られるのが笑えます。

ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel、1900-1983)

スペイン出身の映画監督で、シュルレアリスム運動の一員として知られています。ダリと共同でパリで制作した映画「アンダルシアの犬(Un Chien Andalou)」で注目されるようになりました。
映画では、ダリとギルが話しているところににルイス・ブニュエルと写真家のマン・レイが連れ立って現れます。脚本家であるギルが彼らとの出会いを喜ぶのは当然ですね。

マン・レイ(Man Ray、1890-1976)

アメリカの写真家で、画家や彫刻家としても活動している、シュルレアリストを代表する芸術家。フランスを代表するダダイストであるマルセル・デュシャンに感化されパリに渡り、ニューヨーク・ダダとヨーロッパのダダを同時並行的に進めました。
映画では、サルバドール・ダリルイス・ブニュエルそしてマン・レイという奇抜なアーティスト達を前に思わずギルが「自分は未来から来た」と打ち明けるのですが、マン・レイは「理にかなっている。君は2つの世界の住人。何ら不思議はない。」と疑問を抱かずで、ギルは「あなたはシュルレアリストだから」と納得しつつ身の上を話します。

T.S.エリオット(T.S. Eliot、1888-1965)

アメリカ生まれのイギリスの詩人で、モダニズム運動の代表的な人物の一人。ハーバード大学進学後、パリに留学しました。詩集「荒地」などが有名で、詩の中で精緻な言葉遊びを展開し、1948年にノーベル文学賞を受賞しました。また、子供向けの詩集である「キャッツ – ポッサムおじさんの猫とつき合う法」はミュージカル「キャッツ」の原作となっています。
映画では、ギルが4度目の過去へのトリップを図った際に現れた車に搭乗していたのがT.S.エリオットで、ギルはそこでエリオットの処女詩集「プルーフロックその他の観察」は自分の経典だと本人に伝えます。


アンリ・マティス(Henri Matisse、1869-1954)

フランスの画家で、印象派とフォーヴィズムの要素を取り入れた画風で知られています。色彩感覚と抽象的なアプローチが際立っており「色彩の魔術師」と言われました。
映画では、ガートルード・スタインのサロンを再訪したギルが、マティスの新作をスタインが500フランで買い取ろうとしているところに遭遇。現在500フランはおよそ82,000円。それは普通に考えれば一般人にとって大金ですが、マティスの本物の作品を現代で買うには安すぎなのでギルは自分も欲しいと言い放ちます。


さてここまでが、1920年代の場面でギルが出会ったアーティスト達ですが、物語ではさらなる展開があり、時代をさらに遡り、ギルは1890年代のパリまで旅することになります。
そこで出会うのが以下のアーティスト。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec、1864-1901)

フランスの画家で、ポスターアートの先駆者として知られ、モンマルトルのナイトライフやキャバレーのシーンを描きました。
映画では、ギルが1920年代のパリで出会った美しい女性アドリアナとともに、さらに過去のベル・エポック(良き時代、美しき時代)と言われる1890年代へとトリップし、訪れたモンマルトルのダンスホール「ムーラン・ルージュ」で2人はロートレックに出会い、声をかけます。
ちなみに、アドリアナはこの映画のヒロインの一人で架空の人物です。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックムーラン・ルージュの舞踏会Bal au Moulin Rouge 1890年)」

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック ポスター「ムーラン・ルージュのラ・グリュMoulin Rouge – La Goulue 1891年)」

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックフィンセント・ファン・ゴッホVincent van Gogh 1887年)」

(引用元:Wikipedia


ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin、1848-1903)

フランスの後期印象派で象徴主義の画家。南太平洋での滞在中に独自のスタイルを開発しました。彼の作品にはタヒチの風景やポリネシアの文化が描かれています。
映画では、ギルとアドリアナがロートレックと話している席にゴーギャンドガが共に現れます。ゴーギャンは、オートクチュールを職業にしているというアドリアナに、ドガの友人が新作バレエの衣装係を探していることを教えます。

ポール・ゴーギャンブルターニュの羊飼いLa bergère bretonne 1886年)」

ポール・ゴーギャン「タヒチの女(浜辺にて)(Femmes de Tahiti 1891年)」

ゴッホが描いた「ポール・ゴーギャン(赤いベレー帽の男)portrait of Paul Gauguin (Man in a Red Beret) 1888年)」

(引用元:Wikipedia

エドガー・ドガ(Edgar Degas、1834-1917)

フランスの印象派の画家で、特にバレエやダンサーをテーマにした作品で知られています。彼の描写は動きや瞬間を捉えたもので、美術史に重要な存在とされており、彫刻作品も秀逸です。
映画では、このベル・エポック期こそ黄金時代だと言うアドリアナに対し、ゴーギャンとともに「今よりルネサンス期こそが良い時代だ」と主張します。

エドガー・ドガ踊りの花形(エトワール、あるいは舞台の踊り子とも呼ばれる)(L’étoile de la danse (L’étoile ou danseuse sur scène) 1878年頃)」

エドガー・ドガ14歳の小さな踊り子(La Petite Danseuse de Quatorze Ans 1881年)」

エドガー・ドガオペラ座のオーケストラ(L’Orchestre de l’Opéra 1870年)」

(引用元:Wikipedia


以上が、映画「ミッドナイト・イン・パリ」で主人公のギル・ペンダーが出会ってきた歴史に名を残す偉大なアーティストたちです。

ここでは書ききれませんが、映画に登場したアーティスト達について、現実の世界でも実際に語られている姿が、本作内でも外見や言動からよく表現されていて、本当に面白い。
名優揃いの配役とはいえ、いかに俳優さんたちが努力をされたかということがうかがい知れます。
(是非このページに記載した実在したアーティスト達のポートレイトと、映画で演じる俳優さんたちの姿を見比べてみてください!!)


なお、この映画のDVDやチラシ等にはゴッホの名作「星月夜」が使われていますが、ゴッホは映画には登場しません。
パリを愛したアーティストとしてゴッホを外すわけにはいきませんよね。
しかしながら、フィンセント・ファン・ゴッホVincent van Goghがこの現実世界に生きたのは1853年から1890年で、「星月夜」が描かれたのは1889年、フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンスにあるサン・ポール・ド・モゾル修道院病院で精神科治療を受けていたときのこと。
というわけで、この映画がフィクションであるものの、ギルが訪れた時代設定を考えるとゴッホ自身を登場させるのは難しかったからゆえと思いますが、名画だけでも登場させるというのが、また素敵です。

ゴッホ「星月夜」(引用元:Wikipedia


さて、ここまでだいぶネタバレ的なことを書いてしまいましたが、ウディ・アレンの脚本はさすがで、BGMは始終ゆったりしているものの、展開からは目を離せず、中身の濃いあっという間な鑑賞時間に充実感を覚えます。


というわけで、登場人物だけでまた長くなってしまいましたので、映画「ミッドナイト・イン・パリ」で主人公ギルが訪れたパリの名所については次回に。


あなたが尊敬する
歴史上の人物は
誰ですか?

アート好きにはたまらないラブコメ「ミッドナイト・イン・パリ」

2012年アカデミー賞&ゴールデン・グローブ賞 最優秀脚本賞W受賞の名作


本日取り上げますのは映画「ミッドナイト・イン・パリ(原題:Midnight in Paris)」。
映画界の巨匠ウディ・アレンが脚本と監督を務め、2011年に全編パリで撮影されました。
2012年のアカデミー賞ゴールデングローブ賞でどちらも最優秀脚本賞を受賞し、その他の数々の賞にもノミネートし受賞しています。

もう、私も大大大好きな映画です!
2012年に日本で公開された当初は映画館で観て、期待していた以上の面白さに感動し、DVDも即買いしました。

映画「ミッドナイト・イン・パリ」のパフレットとDVD


ブログを綴り始めた頃はこの映画について必ず書こうと思っていたのですが、大大大好きだと言いながらも、そのうちすっかり失念。
しかし、初めてのフランス旅を目前に、今こそ綴っておかなければと思い出しました。

ミッドナイト・イン・パリ」のDVDのジャケットおよびチラシのイメージを見て、アート好きならもちろん、そうでなくとも多くの人がアートに関わる映画なのかな?と察しがつくかと思います。

そう、このイメージに使われているのは、天才画家ゴッホによって描かれた名画「星月夜」。
アーティスティックな映画であることを予感できますよね。

映画「ミッドナイト・イン・パリ」のチラシ(表)
(画像をクリックするとPDF画面が開き、拡大できます)

映画「ミッドナイト・イン・パリ」のチラシ(裏)

更には、この映画のキャッチフレーズに

天才ウディ・アレンが真夜中のパリに魔法をかけた!
誰しもをめくるめくおとぎ話の世界へトリップさせる至福のロマンティック・コメディ

とあるように、ラブコメ要素あり、SFファンタジー要素もありで、見応え抜群です。

映画『ミッドナイト・イン・パリ』予告編(by 映画配給会社ロングライド


この映画の内容について私流に一文でまとめると、
あまたのアーティストたちが愛し、誰もが憧れてやまない魅惑の都市パリへ、お嬢様育ちの婚約者との婚前旅行にやってきた、ハリウッドの売れっ子脚本家から本格的な小説家への転身を夢見る主人公ギル・ペンダー(オーウェル・ウィルソン)が、パリの黄金時代へとタイムスリップし、当時のアーティストたちと出会い夢のような時間を過ごす中で、自分の内面に気がつき、言い換えれば、現実と向き合い本当の自分に戻り、そして最終的に自分にとって本当に必要な人に巡り会う物語、
という感じでしょうか。

私事ですが、この映画を観た前年は2011年、東日本大震災で私自身も大きなダメージを受けた年です。
震災後という点で初めて映画館で観たのがこの「ミッドナイト・イン・パリ」でした。

過去のブログにも書きましたが、私は震災のおかげで、命のありがたさを感じ、それまで忘れかけていたアートへの想いが復活したので、そのタイミングでこの素晴らしい映画を観ることができたのには因縁のようなものを感じましたし、映画館で映画を観ることができる幸せを噛みしめ、大好きなアートに関連する物語で楽しく現実逃避しつつも、命ある現実に感謝する気持ちになれたこの映画は私の宝物の一つです。

さて話がそれましたが、映画「ミッドナイト・イン・パリ」はオープニングがまた良いのです。
シドニー・ベシェのジャズ名曲「Si Tu Vois Ma Mère」をBGMに、現代の何気ないパリの日常の映像が映し出されます。
何気ないといっても、そこはパリ。
美しい名所の数々をおよそ3分の曲分いっぱい堪能することができます。

この部分では全く俳優さんたちは出てきませんし、なんの装飾もされていないパリの日常風景の記録動画という感じですので、何も知らないでこれだけを見ると、まさかロマンティック・コメディ映画の一部とは気がつかないかもしれません。
けど、そんなオープニングで始まる映画だからこそ、むしろこのシンプルさが、パリというそれだけで素晴らしい空間で、素敵な物語が展開されるのかもと胸が高鳴るのです。

なんと!その、映画「ミッドナイト・イン・パリ」のオープニングだけを切り取られた動画がYouTubeで観ることができますので、こちらも是非♪

Si Tu Vois Ma Mère – Midnight in Paris (2011)(by Alex Wang


ちなみに、このゆったりした曲を奏でるシドニー・ベシェ(Sidney Bechet、1897年5月14日 – 1959年5月14日)は、アメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のクラリネットおよびソプラノ・サックスのジャズ・ミュージシャンで、フランスへは1949年に移住したそうです。

曲名の「Si Tu Vois Ma Mère」はフランス語で、「もしもあなたが私の母を見たら」という意味で、1930年代にフランスの歌手Lucienne Delyleによって歌われ、その後も多くのアーティストによってカバーされてきました。

この曲が映画「ミッドナイト・イン・パリ」にピッタリなのも納得ですね。
他にも、古き良き時代の名曲によって心地よく物語が展開されます。

以上、ここまで簡単にまとめましたが、フランス・パリへの一人旅を控えている私なので、本当は、この映画に登場する歴史上のアーティストや舞台になった観光スポットも述べたかったのです。
しかしながら、それでは長くなってしまいそうですので、それらについてはまたの機会に投稿しようと思います。


あなたの好きな
アカデミー賞受賞作といえば
なんですか?