映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシを手に持ってクローズアップした写真

映画『ハート・オブ・ビースト』を観て、現実の軍用犬を知る

〜 フィクションから繋がるリアル 〜


ブラッド・ピット(Brad Pitt)主演、デヴィッド・エアー(David Ayer)監督による映画『ハート・オブ・ビースト(原題:Heart of the Beast)』を観てきました。

大々的に宣伝されている印象もなく、私自身、この映画の存在を知ったのは公開が近づいてからでした。
チラシを見つけ、「Heart of the Beastということは、獣の心?感動できそうなテーマという気がするし、ブラピ主演だから面白くないということはなさそう、観ときたいな」くらいの気持ちで、いつも通り、鑑賞前は映画館で放映されていた予告編だけの知識で、映画鑑賞当日を迎えました。

また、行きつけのTOHOシネマズ仙台では一般劇場しか選択肢がなく、パンフレットも販売されていなかったので、あまり話題になっていない作品なのかなと思いつつ鑑賞したのですが・・・

実際には、観終わってからも気になってしまう価値のある作品でした。
大自然の映像も美しく迫力もあったので、是非とも特殊劇場で見たかったほどです。

※この記事では映画『ハート・オブ・ビースト』のストーリーや、映像の肝となる撮影秘話に触れています。未鑑賞の方はご留意ください。

映画『ハート・オブ・ビースト』予告編

元米陸軍特殊部隊員ジェームズと、彼とともに戦場を経験した義足の退役軍用偵察犬オーディン。
アラスカの大自然の中で飛行機事故に遭い、二人が互いを助けながら生き延びようとするサバイバル・スリラー映画です。
そして、結末に向かうとともに泣けてくる映画でもあります。
犬好きさんにはたまらない映画だろうな、とも思います。

そもそもフィクションなのですが、「人間と犬がこれほどの状況を生き延びるなんて映画的すぎる」と言う批判もあるようで、そんな意見が出るのもわかる気はします。
でも、「映画」なのだからそれでいいじゃない、というのが私の考えで、むしろこの映画を観たあとに気になったのは、別のことでした。

このオーディン、いったいどうやって撮ったのだろう?
そして、そこから調べ始めたことが、思いがけず、私がそれまでほとんど知らなかった「軍用犬」という現実の世界につながっていったのです。

オーディンを演じたのは、一頭ではなく親子4頭

まず驚いたのが、オーディンを演じた犬についてでした。

中心となったのは、ウーバー(Uber)というジャーマン・シェパードです。
そして彼の3頭の息子、シーカ(Seeka)、ライカー(Ryker)、ホンドー(Hondo)がスタントダブルとして参加しています。
つまりオーディンは、実の親子4頭によって演じられた一頭の犬でした。

ウーバーはもともと山岳救助に携わっていた犬で、動物コーディネーターのアンドリュー・シンプソン(Andrew Simpson)がニュージーランドで探し出したとのこと。

映画の中ではオーディンが軽飛行機やヘリコプターに乗る場面もありますが、ウーバー自身、以前からヘリコプターを経験していました。
デヴィッド・エアー監督も、撮影時のウーバーが非常に落ち着いていたことについて語っています。

ウーバーは主に表情やブラッド・ピットとの関係性を見せる場面を担当し、身体的な負荷の大きい場面では息子たちがスタントダブルとして活躍しました。

監督によれば、高所でのワイヤーワークが得意な犬、泳ぐのが得意な犬、走るのが得意な犬というように、それぞれの能力を生かして撮影したそうです。
動物コーディネーターのシンプソンも、一頭一頭の性格や得意分野を見極めて撮影していたことを語っています。
たとえば水中での仕事を予定していた犬がそれを嫌がった際には、無理にやらせるのではなく、水が好きなライカーに任せました。

映画では命懸けに見える場面でも、現実の犬に「演技のために危険を強いる」のではなく、それぞれの犬ができることを組み合わせていく。
その積み重ねが、スクリーンの中では一頭のオーディンになっています。

ブラッド・ピットが最初にしたことは、「ウーバーに信用してもらうこと」

もう一つ興味深かったのが、ブラッド・ピットとウーバーの関係でした。

この映画では、ジェームズとオーディンがとても自然に触れ合います。
じゃれ合ったり、身体を寄せたり、顔を舐められたり。

私は観ながら、ジェームズ役のブラッド・ピットがオーディンと戯れて見せる笑顔が、時々「これは演技じゃなくて、本当に出てしまってるのでは?」と感じるほど自然なのが印象に残っていました。

もちろん、特定の表情について「これは素の笑顔だった」と断定することはできません。
けれど撮影前、ピットはウーバーとの信頼関係を作ることにかなりの時間を使っていました。

ピット本人は、この映画で最も重要だったのはウーバーから信頼を得ることだったと語っています。
ウーバーに「この人と一緒なら安全だ」と思ってもらうため、できるだけ多くの時間を一緒に過ごしたそうです。

動物コーディネーターのシンプソンによれば、二人は撮影前に約3週間かけて関係を築き上げたとのこと。
さらに撮影中、ピットのポケットには犬用ビスケット…ではなく、”茹でたチキン”が入っていたそうな。

監督によれば、ピットはウーバーの一日のリズムや注意を引く方法まで理解するようになり、必要なときには自分でウーバーの注意を引けるほどになっていたそうです。

ですから画面の中にあるのは、「ジェームズとオーディン」という架空の関係だけではありません。
その下には、「ブラッド・ピットとウーバー」という実際に築かれた信頼関係があります。

それが、あれほど自然な二人の関係につながっているのではないかと思います。

映画『ハート・オブ・ビースト』特別映像<犬との絆が生まれるまで>

それでも、オーディンはすべて実写ではない

ここからが、VFX(Visual Effects:視覚効果)好きな私にとって非常に面白かったところです。

私は映画を観ながら、狼や熊などにはCGが使われているだろうと思ったものの、オーディンについては、かなりの部分を実際の犬で撮影しているように見えました。

実際その通りなのですが、調べてみると想像以上に複雑でした。
オーディンには、

  • 実際の4頭の犬
  • 実物の装具
  • 部分的なデジタル加工
  • 完全なCGによるオーディン

が組み合わされています。

映画のオーディンは戦争で脚を失い、義足を装着しています。
撮影では実際の犬に装具を取り付ける方法が使われる一方、必要なショットではVFXによる処理も行われました。
さらにオーディンには戦争で失った歯の代わりにチタン製の歯がありますが、こちらもデジタルで表現されています。

そして興味深いのが、オーディンが攻撃的な表情をする場面です。

ウーバーはもともと穏やかな犬だったため、必要なほど激しい威嚇表情を自然に出させることが難しかったそうです。
そこで一部のショットでは、実際のウーバーの身体、目、耳などを残しながら、顎から鼻にかけてのマズル部分をデジタルで置き換えるという方法まで使われました。
これはVFXスーパーバイザーのフランソワ・デュムラン(François Dumoulin)自身が具体的に説明している手法です。

犬に無理に怒らせるのではなく、本物の犬が見せてくれた演技をできるだけ残し、犬にできない部分をVFXが補う。
私はこの考え方が好きです。

「どちらが本物?」—完全CGのオーディンまでいた

VFXを担当したフレームストア(Framestore:イギリス・ロンドンに所在するVFX制作会社)は、ウーバーを詳細にスキャンし、デジタル・ダブル*を制作しました。
さらにウーバーをブルースクリーンの前で複数のカメラを使って撮影し、歩く、走る、方向を変える、さまざまな表情をするといった大量のリファレンス映像も収録しています。
*デジタル・ダブル:映画やVFXの分野で使われる、実在する人間(この場合は犬ですが)をコンピュータ上で精密に再現した3DのCGモデルで、いわゆるそっくりさんのこと

そして制作側は、本物のウーバーとCGのウーバーを比較するテストまで行いました。
もともとデヴィッド・エアー監督は、CGの犬で感情的なクローズアップを作ることには懐疑的だったそうです。

ところが完成したデジタルウーバーの出来を見て、考えが変わりました。
結果として映画には、アクションだけでなく、感情を見せる重要な場面にも完全CGのオーディンが含まれています。

VFXスーパーバイザーのデュムランは、具体的にどのショットがCGなのかを明かしていません。
しかし、映画を観ている間、それをほとんど意識させなかったのですから、VFXとしては大成功なのではないでしょうか。

狼も熊も、「何もないところ」に演技していたわけではない

狼との戦いも興味深いものでした。

ニュージーランド(撮影地。物語上はアラスカという設定)では本物の狼を使えなかったため、撮影では狼のパペットや、狼の動きを演じるスタントパフォーマーが使われたのだそうです。
最終的な激しい戦闘部分では、狼だけでなくオーディンもCGになっている部分があります。

熊も最終的にはCGですが、撮影現場には熊の大きさを表現する実物大の軽量パペットが用意されました。
デュムランは、単に「棒の先のテニスボール」のようなものを相手に演技させる方法ではなく、実際の大きさを持つものを現場に置くことの重要性を説明しています。
そこに熊の大きさを示すものがあれば、俳優だけでなく、カメラ、フォーカス、照明などのスタッフも「そこに熊がいる」ことを前提に仕事ができます。

つまりこの映画のVFXは、撮影後に何でもCGで作ればいいという発想ではなく、現場でできるだけ実在感のあるものを作り、その先をデジタルで完成させるという方法だったことが分かります。

この映画がVFXを多用しているにもかかわらず、どこか身体感覚のある映像に見える理由の一つなのかもしれません。

そして私は、VFXとは別のことが気になり始めた

ここまで調べた時点では、私は完全に「映画の作り方」に興味を持っていました。
ところが、調べているうちに別の疑問が出てきました。

オーディンは退役軍用犬です。
戦争で脚を失い、身体に傷があり、そして映画の中では悪夢にも苦しんでいます。

実際の軍用犬にも、こんなことがあるのだろうか?
そこから、私はそれまでほとんど知らなかった世界を知ることになりました。

映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシ表面
映画『ハート・オブ・ビースト』チラシ(表面)

犬にも、戦争による「心の傷」がある

現在、米軍のJTS:ジョイント・トラウマ・システム(Joint Trauma System:統合外傷システム)には正式に、

  • Canine Posttraumatic Stress(C-PTS)
  • Canine Posttraumatic Stress Disorder(C-PTSD)

という軍用犬のための臨床ガイドラインがあります。
2025年8月14日付で更新された正式な診療ガイドラインです。

つまり、強いトラウマ体験の後に軍用犬が示す心理・行動上の問題は、現在の軍獣医学で正式に扱われているものなのです。

もちろん、「犬が戦争の悪夢を見ている」と本人に確認することはできません。
ですから、映画のオーディンが戦争の記憶を夢として見る描写と、現実のC-PTSD(犬の心的外傷後ストレス障害)をそのまま同一視することはできません。

それでも、戦争によって犬にも長期的な心理・行動上の影響が生じ得ること自体は、現実の軍用犬医療で認識されています。
オーディンの心の傷は、単なる人間的な感情の投影だけで作られた設定ではないことが分かります。

<参考記事>
Do Dogs Dream? What Do Dogs Dream About?
犬は夢を見るのか、そしてどんな夢を見るのかについて述べられた記事。
https://www.petmd.com/dog/general-health/do-dogs-dream?utm_source=chatgpt.com
Joint Trauma System — Canine Posttraumatic Stress / Canine Posttraumatic Stress Disorder Clinical Practice Guideline
軍用犬のC-PTS/C-PTSDについてまとめられた米軍の正式な臨床ガイドライン。戦闘などの強いストレスを経験した犬に生じる心理・行動上の問題について。
https://jts.health.mil/assets/docs/cpgs/K9_C-PTS_C-PTSD_CPG_c18_14_Aug_2025_v1.1.pdf?utm_source=chatgpt.com

軍用犬は、実際に人間より先を歩く

軍用犬の仕事にも、爆発物探知、麻薬探知、哨戒、特殊任務など、さまざまな種類があります。
特に爆発物を探知する犬は、人間が危険な場所へ近づく前に、その優れた嗅覚によって危険を発見する重要な役割を担ってきました。

ある米軍のハンドラー*は、イラクで軍用犬と任務にあたることについて、「外へ出るたびに、自分の命を彼の足に預けています」という趣旨の言葉を残しています。
*ドッグハンドラー:犬の能力や魅力を最大限に引き出し、ドッグショーや警察・災害現場などの特定の目的で犬を誘導・管理する専門家

軍の書類上では高価な「資産」として扱われる犬であっても、そのハンドラーは同じ記事の中で、それは単なる仕事上の関係ではないと語っています。
私はこの言葉がとても印象に残りました。

<参考記事>
U.S. Army — Dogs on duty: Military working dogs offer one-of-a-kind partnership
軍用犬とハンドラーの関係や、爆発物探知などの任務について紹介した米陸軍の記事。
https://www.army.mil/article/92332/Dogs_on_duty__Military_working_dogs_offer_one_of_a_kind_partnership/

人間が犬を守る。犬も人間を守る

映画ではジェームズ自身も負傷しながら、オーディンを助けようとします。
回想シーンでは、戦火の中で二人とも負傷し、それぞれ担架で運ばれながら、ジェームズはオーディンを心配しています。
そして本編では、自分の命を危険にさらしてまでオーディンを救おうとします。

映画だからドラマチックに描かれているのだろう、そう思っていました。
でも現実にも、それに近い出来事がありました。

軍用犬ブロンコ(Bronco)はアフガニスタンで銃撃を受け、7.62mm弾によって顔面に重傷を負いました。
二等軍曹(当時)でハンドラーのジョン・マリアナ(John Mariana)は血痕を追ってブロンコを探し出し、出血を止める応急処置を行いました。
二人は医療搬送され、ブロンコは救命手術を受けました。

さらにその後、マリアナは2週間、ブロンコの犬舎で一緒に寝ました。
負傷したブロンコが夜間も呼吸できるよう、口を開けてやるためでした。

ブロンコの状態が安定すると、二人は一緒に米国へ戻り、ブロンコはさらに4回の手術を受けました。
しかし負傷によって嗅覚に大きな障害が残り、軍用犬として働き続けることはできなくなりました。

これを知ったとき、私は映画のジェームズの行動が、それまでとは少し違って見えました。

<参考記事>
U.S. Army — Bronco, Mariana: MWD team carries on bond of respect, friendship
アフガニスタンで顔面を撃たれ重傷を負った軍用犬Broncoと、ハンドラーMarianaについての米陸軍公式記事。救命処置、医療搬送、手術、その後の二人の関係について。
https://www.army.mil/article/75577/bronco_mariana_mwd_team_carries_on_bond_of_respect_friendship

脚を失って帰ってきた軍用犬も、本当に存在する

米海兵隊の軍用犬ルッカ(Lucca)は、イラクとアフガニスタンへの3度の派遣で、400回を超えるパトロールに参加しました。
米陸軍の記録によると、ルッカが同行した400回以上のパトロールでは、彼女が守った米軍兵士は全員無事に帰還したとされています。

しかし2012年、アフガニスタンで爆発物を発見した際、別のIED(即席爆発装置)が爆発しました。
ルッカは重傷を負い、左前脚を失いました。
それでも生還しました。

私はここで、三本脚のオーディンを思い出さずにはいられませんでした。
ルッカがオーディンのモデルだったという制作側の証言は、私が確認した範囲では見つかっていません。
ですから、そこを直接結びつけることはできません。

けれど、戦場で人間を守るために働き、爆発によって脚を失い、生還して退役する犬は、フィクションの世界だけに存在するわけではなかったのです。

<参考記事>
U.S. Army — War hero Lucca highlights importance of military working dogs, Veterinary Corps
イラク・アフガニスタンで400回以上のパトロールに参加し、IEDの爆発によって左前脚を失った軍用犬Luccaについて。
https://www.army.mil/article/166344/war_hero_lucca_highlights_importance_of_military_working_dogs_veterinary_corps

かつては退役犬が家に帰れない時代もあった

そして、さらにショックを受けました。

現在では、退役した軍用犬を元ハンドラーが引き取る制度があります。
しかし以前のアメリカでは制度が違いました。

2000年に米議会が成立させた、ロビー法(Robby’s Law)の目的について、米議会調査局の資料には明確な記述があります。
それは、国防総省が軍用犬の「有用な勤務期間」の終了時に安楽死させていた慣行を直ちに終了させ、退役した軍用犬を法執行機関、元ハンドラー、その他適切に世話のできる人々へ譲渡できるようにすることでした。

つまり、現在では自然に思える、「仕事を終えた犬に、新しい生活を用意する」という仕組みは、最初から当たり前に存在していたわけではなかったのです。

この法律が「ロビー法(Robby’s Law)」と呼ばれているのは、ロビー(Robby)という一頭の軍用犬の名前に由来しています。

ロビーは軍務を終えたあと、かつてのハンドラーが引き取りたいと希望していました。
しかし当時の制度ではそれが認められず、ロビーは安楽死させられました。

ロビーの出来事は、長年人間のために働いてきた軍用犬が、任務を終えたあとも「軍の所有物」として扱われ、たとえ一緒に暮らしたいと願う人がいても譲渡できない制度の問題を象徴するものとなりました。

そして2000年、退役した軍用犬を元ハンドラーや法執行機関、適切に飼育できる人々へ譲渡できるようにする法律が成立します。
それが、ロビー(Robby)の名を残したロビー法(Robby’s Law)なのです。

現在では自然に思える、「仕事を終えた軍用犬が、かつてのパートナーと一緒に家へ帰る」という選択肢は、最初から当たり前に認められていたものではありませんでした。

ロビー自身はその新しい制度のもとで暮らすことはできませんでしたが、その名前は、後に続く軍用犬たちが任務を終えたあとに新しい人生を送るための法律に残ることになりました。

現在は国防総省の軍用犬譲渡プログラム(Military Working Dog Adoption Program)があり、勤務を終えた犬だけでなく、軍用犬になるための厳しい訓練・認定基準を満たさなかった犬などについても、条件に合う家庭への譲渡が行われています。

映画の中では、退役したオーディンがジェームズと暮らしています。
私は最初、それを当たり前のこととして見ていました。
でも歴史を知ると、それが当たり前になったのは決して最初からではなかったことが分かります。

<参考記事>
Justice for TEDD Handlers — “Robby’s Law”
退役後の引き取りを望んだ元ハンドラーの願いが叶わず、安楽死となった軍用犬Robbyの物語と、その出来事を背景に2000年に成立した「Robby’s Law」について紹介した記事。
https://justice4tedds.com/robbyslaw/

「もう、ただの犬でいさせてあげる」

退役軍用犬について調べていて、もう一つ、とても心に残った言葉がありました。

それは3度の派遣を経験した軍用犬アレックス(Alex)を引き取ったハンドラーによる言葉で、映画の中でもジェームズが似たようなことを言っています。

“It’s time to just let him be a dog.”
(もう彼を、ただの普通の犬として過ごさせてあげる時だ。)

アレックスはずっと働き続けてきました。
だから退役後には、大きなチーズバーガーと、柔らかく快適なソファが待っている、とも話しています。

ずっと仕事をしてきた犬。
危険を探し、人間を守り、指示に従い続けてきた犬。
でも仕事を終えれば、もう爆発物を探さなくていい。
ただ散歩して、食べて、遊んで、眠っていい。

その言葉を知ったあとでは、ジェームズと共に暮らしているオーディンを見る目も少し変わりました。

<参考記事>
U.S. Army — Retired Fort Bragg military working dogs find new forever homes
米陸軍フォートブラッグ基地で退役した3頭の軍用犬Alex、Jerry、Zitaと、新しい家族について紹介した公式記事。
https://www.army.mil/article-amp/259467/retired_fort_bragg_military_working_dogs_find_new_forever_homes

映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシ裏面
映画『ハート・オブ・ビースト』チラシ(裏面)

オーディンは「人間を癒す犬」だけではない

犬が登場する映画では、「傷ついた人間が犬によって癒される」という物語は珍しくありません。
でも『ハート・オブ・ビースト』は、それだけではないと思います。

ジェームズには戦争の傷がある。
オーディンにも戦争の傷がある。

ジェームズには恐怖がある。
オーディンにも恐怖がある。

ジェームズがオーディンを守る。
オーディンもジェームズを守る。

どちらか一方が「救う側」で、もう一方が「救われる側」なのではありません。
傷ついた二つの存在が、お互いを支えています。
だからオーディンには、単なる「忠犬」とは違う存在感があるのだと思います。

「オスカー俳優と並んでも遜色ない」4頭

そして、この映画のオーディンを演じた犬たちは、実際に批評家から非常に高く評価されています。

『ロサンゼルス・タイムズ』は、ウーバー、シーカ、ライカー、ホンドーの4頭が一体となって作り上げた演技について、”オスカー俳優と並ぶにふさわしいほどで、スクリーン上の存在感ではブラッド・ピットを上回るかもしれない”とまで評しています。

さすがにこれには少し笑ってしまいました。
ブラッド・ピットを差し置いて、って…笑

でも確かに、この映画を観たあとでは、言いたいことはよく分かります。
そして私は、エンドロールのキャスト欄に(これを見て、あとで調べてみなきゃと思ったわけなのですが)

Odin Uber
    Seeka
    Ryker
    Hondo

と、彼らの名前がオーディン役としてしっかり表示されたことに感銘を受けました。

CGでも、「犬」という一括りでもなく、それぞれ名前を持つ4頭の俳優たち。
本当に、オスカーものです。

「軍用犬」という現実への入口

さて、この映画の物語の最後には、短い文章が表示されます。

Over the last twenty years, nearly three thousand military working dogs have been deployed. They are credited with saving thousands of service members’ lives.

過去20年間に約3,000頭の軍用犬が派遣され、何千人もの軍人の命を救ったとされている。

映画の途中で、軍用犬について長々と説明することはありません。
「軍用犬はこんなに素晴らしい」と訴えかけることもしません。
ただ私たちに、オーディンという一頭の犬を見せます。

オーディンを知る。
オーディンを好きになる。
オーディンが傷つけば心配する。
助かってほしいと思う。

そして映画が終わるとき、「でも、こういう犬たちは現実にもいる」と、ほんの短い文章で現実へ視線を向けます。

私は、深く考えずこの映画を観るために映画館へ足を運びました。
けれど映画を観終わって、撮影方法が気になって調べ始め、ウーバーたちを知り、そこから実際の「軍用犬」について知ることになりました。
ブロンコ、ルッカ、ロビー法を生んだ歴史・・・
映画を観るまで、私はこの世界をほとんど知りませんでした。

一本のフィクションが、知らなかった現実への窓に

私はもともとVFXを使った映画が好きです。
だから『ハート・オブ・ビースト』を観た直後には、「オーディンの義足はどう撮ったのだろう」「狼との戦いは?」「熊は?」「犬の表情はどこまで本物?」そんなことがかなり気になっていて、それらを知ることができたのも、とても面白い体験でした。
実写とCGの境界が分からなくなるほど高度なVFX、親子4頭の犬、動物トレーナー、スタント、パペット、俳優との信頼関係、などなどが一つになって、スクリーンの中に「オーディン」という一頭の犬を存在させていました。

しかしこの映画は、単なるサバイバル・スリラー映画ではないのです。
デヴィッド・エアー監督は、ジェームズとオーディンについて、地獄のような経験をともにくぐり抜け、深い絆を共有する二つの存在として語り、この作品を二人の「love story(愛情の物語)」と表現しています。

私自身も、調べ始めた入口はVFXだったのに、いつの間にかまったく別のところまで来ていました。

戦場で人間より前を歩く犬がいる。
爆発物を見つけて人間の命を守る犬がいる。
負傷する犬がいる。
脚を失う犬がいる。
戦争による心の傷を抱える犬もいる。
そして、その犬に自分の命を預け、今度は自分が犬を助けようとする人間もいる。

私はそれを知りませんでした。
でも今は知っています。
映画というものには、こういう力もあるのだと思います。

それまで自分の世界にはほとんど存在していなかったものが、一本のフィクションをきっかけに、現実の存在として見えるようになる。

『ハート・オブ・ビースト』は、エンターテインメントとして面白い映画でした。
ブラッド・ピットと犬のサバイバル映画として観ても楽しめます。
VFX映画として観ても非常に面白いです。
犬が好きな人なら、きっとまた違うところを見るでしょう。

でも私にとっては、それだけでは終わりませんでした。
映画館を出たあとまで物語が続き、その先で、これまで知らなかった現実の世界を少し知ることになりました。

大々的に宣伝されているようには感じませんでしたし、パンフレットさえありませんでした。
だからこそ、ひっそり上映されて終わってしまうのなら、少しもったいないとも思い、この記事を綴っています。

オーディンを演じたウーバー、シーカ、ライカー、ホンドー。
そして現実の世界で人間とともに働いてきた、私たちが名前を知らない多くの犬たち。

映画の最後に表示された短い文章まで含めて、私はこの作品を観ることができてよかったと思います。
良い映画でした。


あなたは
この現実を
知っていましたか?

軍用犬と兵士の映画を観る女性の後ろ姿

映画『オデュッセイア』のIMAX限定来場者特典ポスター、パンフレット、チラシ

『オデュッセイア』― 3000年前の神話と、映画が歩んできた長い旅

〜 そして、帰る(還る)ことの意味〜


今年(2026年)、最も楽しみにしていた映画のひとつ、クリストファー・ノーラン(Sir Christopher Nolan)監督の『オデュッセイア(原題: The Odyssey)』を観てきました。

さすがノーラン監督。そして、そうそうたる俳優陣。
壮大な映像と音、次々と現れる神話の世界に圧倒されながら、約3時間という上映時間を駆け抜けたような感覚でした。

けれど、映画館を出てから残ったのは、単に「すごい映画を観た」という興奮だけではありませんでした。

人はなぜ戦うのだろう。
なぜ他者から奪うのだろう。
そして、戦った人間にとって「故郷へ帰る」とは、どういうことなのだろう。

そんなことを、ずっと考えています。

映画『オデュッセイア』予告編

私とギリシャ神話の最初の出会い

私がギリシャ神話に惹かれるようになったきっかけは、小学生時代に父が見せてくれた映画『タイタンの戦い(原題: Clash of the Titans)』(1981年版)でした。
1981年に公開された、レイ・ハリーハウゼン(Ray Harryhausen、1920年6月29日 – 2013年5月7日)製作によるストップモーション・アニメーションが印象的な作品です。

中でも忘れられないのが、髪の毛が無数の蛇で、見た者を石に変える力を持つ怪物メデューサ。
怖かった。
とにかく怖かった。

でも、暗闇の中、いつ現れるのかわからないメデューサにハラハラしながら、それでも目を逸らしたくなるような「ホラー」とは少し違いました。
怖いのに、この先どうなるのか知りたい。
英雄ペルセウスの行方は?
囚われた王女アンドロメダはどうなるの?
そんな気持ちのほうが勝っていたのだと思います。

家にはVHSビデオ(当時の主流媒体)があったので、その後も繰り返し観ました。
そうしていつの間にか、神々と人間が同じ世界に存在し、怪物が現れ、運命と人間の意志が交錯するギリシャ神話の世界そのものに惹かれていったように思います。

ハリーハウゼンからノーランへ

そして今回、映画を観た後に『オデュッセイア』のパンフレットを読んでいて、思わず唸りたくなった部分があります。

ノーラン監督自身も、SFX(特殊効果・特殊撮影)のパイオニアであるレイ・ハリーハウゼンの技術を取り入れた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』といった作品に敬意を抱いているというのです。
これを知ったとき、妙に納得してしまいました。

子どもの頃、『タイタンの戦い』に夢中になった私。
そして、そのような映画に敬意を抱いてきたクリストファー・ノーランが、2026年に『オデュッセイア』を映画にする。

もちろん私とノーラン監督を同列に並べるつもりはありません(苦笑)。
でも、遠く離れたところで同じ映画から伸びていた線が、何十年も経って『オデュッセイア』という一本の映画で交差したようで、なんだか不思議な気持ちになりました。

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そして、映画史上初の「全編IMAX撮影」

もちろんIMAXで鑑賞しました。
映画『オデュッセイア』について触れておきたいのが、この作品が長編劇映画として史上初めて、全編をIMAXフィルムカメラで撮影された作品だということです。

「でも、IMAX上映の映画ならこれまでにもたくさんあったのでは?」
私自身、最初はそんなふうにも思いました。

ところが、「IMAXで上映される映画」と「IMAXカメラで撮影された映画」は同じではありません。
通常の映画用カメラで撮影された作品でも、IMAX向けに調整してIMAXシアターで上映することはできます。
また、IMAXカメラを使用した作品でも、これまでは映画全編ではなく、特に迫力を見せたい場面など一部のシーンで使用されることが少なくありませんでした。

ノーラン監督自身、これまでも『ダークナイト』『インターステラー』『ダンケルク』『オッペンハイマー』などでIMAXフィルム撮影を積極的に取り入れてきました。
それでも、全編をIMAXフィルムカメラで撮影することには大きな壁がありました。
IMAXフィルムカメラは大きく、重く、そして撮影時の作動音も大きい。
壮大な風景や激しいアクションを撮るには適していても、俳優同士が静かに言葉を交わす場面で同時に音声を収録するとなると、その作動音が問題になります。

そこで今回、ノーラン監督と撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマ(Hoyte van Hoytema)、そしてIMAX側が協力し、新しいカメラや防音技術を開発。
それによって初めて、
 壮大な海も
 戦闘も
 神話の怪物たちも
 そして、人間の顔や静かな会話も
すべてをIMAXフィルムで撮影することが可能になったのだそうです。

興味深いのは、ノーラン監督がIMAXを単に「巨大なものを巨大に見せるため」の技術として考えていないことです。
『オッペンハイマー』でIMAXカメラが捉えた主演キリアン・マーフィーの顔に強い可能性を感じ、今回の『オデュッセイア』では、壮大な風景だけではなく、俳優たちの演技や親密な場面にもIMAXを使いたいと考えたといいます。

これは映画を観終えた後に知ると、とても興味深い話でした。

『オデュッセイア』といえば、海、船、戦争、怪物、神々……
確かにIMAXとの相性が良さそうなものばかりです。

けれど、その巨大な世界の中心にいるのは、あくまでひとりの人間。
戦い、迷い、失い、それでも故郷へ帰ろうとするオデュッセウスです。

その人間の「顔」まで巨大なIMAXの世界で捉える。
だからこそ、この作品の圧倒的なスケールと、ひとりの人間の物語が両立していたのかもしれません。

そして考えてみると、これも私には不思議なつながりに思えます。

子どもの頃、私をギリシャ神話の世界へ連れていってくれたのは、レイ・ハリーハウゼンのストップモーションでした。
人形をほんの少しずつ動かし、一コマずつ撮影することで、存在しないはずの怪物に命を吹き込んだ時代。

そして何十年も経った2026年。
同じようにギリシャ神話を愛した映画監督が、今度は映画史上初となる全編IMAXフィルム撮影という方法で、およそ3000年前の物語をスクリーンに蘇らせる。

映画をつくる技術は、驚くほど変わりました。
それでも映画がやろうとしていることは、案外変わっていないのかもしれません。

そこには存在しない世界を目の前に出現させ、観客を物語の中へ連れていくこと──

子どもの頃、『タイタンの戦い』のメデューサを息を詰めて見ていた私が、今度はIMAXの巨大なスクリーンの前で『オデュッセイア』に圧倒されている。

そう考えると、映画というもの自体が、「長い旅」を続けているようにも思えてきます。

映画『オデュッセイア』のチラシ両面
映画『オデュッセイア』チラシ

実は私も『オデュッセイア』をちゃんと知らなかった

さて、ギリシャ神話が好きだと言いながら、少し恥ずかしい話ですが、私はホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』をきちんと読んできたわけではありません。

もちろん、トロイア戦争やオデュッセウス、アキレウス、ポセイドン、アテナ、キュクロプス、セイレーンなど、断片的には知っています。
でも、それらを古代ギリシャの叙事詩として体系的に理解しているかと言われれば、そうではありません。

だから今回の映画も、「原典を知り尽くした人間」として観たわけではありません。
むしろ映画を観たことで、改めて『イリアス』『オデュッセイア』とは何だったのだろう、と掘り下げてみたくなりました。

『イリアス』と『オデュッセイア』は、ともに古代ギリシャの詩人ホメロスの作と伝えられる叙事詩。
成立したのは紀元前8世紀〜前7世紀頃と考えられており、約3000年ものあいだ語り継がれてきた、西洋文学の源流ともいえる物語です。

この二つの作品名そのものにも意味があります。
『イリアス』は、トロイアの別名「イリオン」に由来し、いわば「イリオン(トロイア)の物語」。
一方の『オデュッセイア』は、主人公オデュッセウスの名前に由来する「オデュッセウスの物語」です。
つまり、一方は「場所」の名から、もう一方は「人」の名から生まれたタイトルなのです。

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また、これらの作品の背景にあるのが、ギリシャ軍とトロイアの間で10年間続いたとされる「トロイア戦争」です。

『イリアス』は、その10年間すべてを描いているわけではありません。
戦争終盤のごく限られた期間を舞台に、ギリシャ軍最強の戦士アキレウスの「怒り」を中心として、戦う者たちの名誉、友情、喪失、復讐、そして死を描いています。

一方の『オデュッセイア』は、その戦争が終わった後の物語。
トロイア戦争を戦ったギリシャ側の英雄オデュッセウスが、故郷イタケ島へ帰ろうとするところから始まります。
ところが、その帰路はとてつもなく長いものになります。

一つ目巨人キュクロプス、人を豚に変えてしまう魔女キルケー、美しい歌声で船乗りを破滅へ誘うセイレーン、海の怪物スキュラ……
どこかで聞いたことのある怪物や物語が、実は『オデュッセイア』に由来していることも少なくありません。

さらに、オデュッセウスの旅には神々も深く関わります。
彼に怒り、帰還を妨げる海神ポセイドン。
一方で彼を助ける女神アテナ。

そして、この物語を理解するうえで興味深いのが、最高神ゼウスが守護する「客人をもてなす」という掟です。
古代ギリシャでは、見知らぬ旅人や客人を迎え入れ、食事や寝床を与え、もてなすことが神聖な務めとされていました。
これは「ゼウスの掟(クセニア/xenia)」と呼ばれ、客人の守護者でもあるゼウスのもと、人と人との間で守るべき重要な秩序と考えられていました。
『オデュッセイア』では、この「客をどう迎えるか」、そして反対に「客としてどう振る舞うか」が、物語の随所で繰り返し問われます。
長い旅の途中でオデュッセウスが受ける歓待もあれば、その掟が破られる場面もある。

人間だけで物事が進むのではなく、神々の意志と人間の意志が交錯しながら運命が動いていくところも、ギリシャ神話らしい世界です。

それから、今回改めて面白いと思ったことがあります。

英語の「odyssey(オデッセイ)」という言葉。
英語に疎い人でも、本国日本を代表する自動車メーカーの一つである本田技研工業(ホンダ)の車名として採用されているので、その言葉の響き自体はよく知っている人が多いことでしょう。
この言葉は、この物語のタイトル『オデュッセイア(The Odyssey)』に由来しているのです。

主人公はOdysseus(オデュッセウス)。
その長く困難な帰還の物語『The Odyssey(オデュッセイア)』から、現在では「長い冒険の旅」「波乱に満ちた遍歴」といった意味で、odysseyという言葉そのものが使われるようになりました。

そう考えると、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』の原題が『2001: A Space Odyssey』であることにも、なるほどと思います。
単なる「宇宙旅行」ではなく、「人間が未知の世界へ向かう壮大な旅」、あるいは「長い探求の物語」。

約3000年前に語られたオデュッセウスの旅が、ひとつの言葉となって、今もさまざまな物語の中に生き続けているのです。

そして、この物語で語られる時間もまた長い。
オデュッセウスはトロイア戦争で10年間を過ごし、さらに故郷へ帰るまでに10年を費やします。
妻ペネロペと息子テレマコスのもとを離れて、約20年。

『イリアス』が「戦う人間」の物語だとすれば、『オデュッセイア』は「戦いを終えた人間が帰ろうとする物語」と言えるのかもしれません。
そう考えると、「故郷へ帰る」という一見単純な目的が、まったく違う重みを持って見えてきます。

映画『オデュッセイア』のIMAX限定来場者特典ポスター、パンフレット、チラシ
映画『オデュッセイア』IMAX限定来場者特典ポスター、パンフレット、チラシ

人はなぜ戦い、なぜ奪うのか

映画を観ている最中、強く感じていたことがあります。
それは「略奪」という行為でした。

現代の私たちから見れば、他者の土地へ行き、戦い、食料や財産を奪うという行為には当然大きな抵抗があります。
けれど歴史を遡れば、略奪は戦争と密接に結びついていました。

国家による安定した流通も、現代のような社会制度もない時代。
土地、食料、家畜、金属などを手に入れることは、そのまま共同体の生存や富につながります。

一方で、それは単純に「生きるため」だけだったのだろうか、とも思います。

富を得たい。
土地が欲しい。
力を示したい。
名誉を得たい。
相手を支配したい。

そこには、生存だけでは説明できない人間の欲望もあったはずです。

では、それは現代とまったく違うのでしょうか。
武器も、国家も、法律も、戦争の規模も、古代とは比較にならないほど変わりました。
それでも世界から戦争はなくなっていません。

領土、資源、安全保障、民族、宗教、政治、権力、恐怖、報復。

「自分たちが生きるため」という言葉と、「他者から奪う」という行為の境界は、ときに驚くほど曖昧になります。
約3000年前の物語を観ながら、私はいつの間にか現代のことを考えていました。

戦争が終われば、本当に帰れるのか

そして、もうひとつ。
戦争が終わったからといって、人はその瞬間に以前の自分へ戻れるのでしょうか。

10年間戦ったオデュッセウスが船に乗った瞬間、「戦士」から元の夫や父へ戻れるわけではありません。
戦争を経験した人間は、戦争以前と同じ人間ではない。
それでも、彼は帰ろうとする。

妻のもとへ。
息子のもとへ。
自分の国へ。

そう考えると、『オデュッセイア』は単なる「長い冒険の末に故郷へ帰る英雄の物語」ではなく、
「戦争を経験してしまった人間が、それでも帰ることはできるのか。」
そんな物語にも見えてきます。

「帰る(還る)」とは何なのだろう

ノーラン監督が、この映画にどこまで現代の戦争や人間社会への問いを込めたのか、私にはわかりません。
けれど、映画を観ながらこうしたことを考え、観終わった後にも問いが残り続けている。
それだけでも、この作品が単なる壮大なエンターテインメントではなかったことは、私にとって確かです。

怪物が現れ、神々が人間の運命に関わり、海を渡り、戦う。
映画として圧倒的に面白い。

でも、その壮大な物語の中心にあるものは、驚くほど素朴です。

「帰りたい ──。」

約3000年前につくられた物語のその願いが、2026年を生きる私にも理解できる。
社会が変わり、技術が変わり、人間の生き方がこれほど変わっても、私たちはいまだに戦い、失い、迷い、そして自分の帰る場所、本当の自分に還れるところ…を求めているのかもしれません。

子どもの頃、父と一緒に観た『タイタンの戦い』。
あのときは、メデューサが怖くて、それでも続きが知りたくて仕方がありませんでした。
そして何十年も経った今、同じギリシャ神話の世界を映画館で観ながら、今度は「人間とは何なのだろう」と考えている。

映画との出会いというのは、不思議なものです。
ひとつの物語が、何十年も経ってから別の物語につながり、こんなふうに自分の中に新しい問いを残していくことがあるのです。

約3000年前に生まれた『オデュッセイア』が、長い時を旅して、映画という形で私たちのもとへ届いた今。
映画をつくる技術がどれほど進化しても、その先にあるのは、物語を通して人間を見つめることなのかもしれません。
そして、長い旅の果てに故郷を目指したオデュッセウスのように、私たちもまた、それぞれの人生の中で何かを求めながら、自分の「帰る(還る)場所」を探し続けているのかもしれませんね。


あなたにとって
「帰る場所」とは
どこですか?

丘の上から海峡を眺める女性と犬の後ろ姿 故郷を思っている一人と一匹

Art Lab: Your Atelierについて アートを、つくる・出会う・暮らしに迎える

Art Lab: Your Atelier はじめます ― アートを身近に感じる新しい場所

〜 アートを、つくる・出会う・暮らしに迎える 〜


当サイト「Calm Smile Chain」の中に、新しく Art Lab: Your Atelier という場所をつくりました。
Art Lab: Your Atelier(アートラボ:ユアアトリエ)は、アートを「見る」だけでなく、「つくる・感じる/出会う・知る/暮らしに迎える」ための小さなラボ(実験室)です。

これまでこのサイトでは、絵画や映画、訪れた場所や写真、香りなど、私自身が日々の中で出会った「心が少し動くもの」「穏やかな時間につながるもの」について綴ってきました。

その中で、ただ何かを紹介したり、言葉で伝えたりするだけではなく、自分自身でもアートをつくり、誰かと一緒につくり、そして作品を日々の暮らしの中へ届けてみたい。

そんな思いが少しずつ形になって生まれたのが、Art Lab: Your Atelierです。

CREATE ― アートをつくる・感じる

臨床美術 アートセッション

Art Lab: Your Atelierでは、臨床美術/アートセラピーの手法を取り入れたアートセッションを行います。

上手に描くことや、正解を目指すことが目的ではありません。

色や形、素材に触れながら、自分自身の感覚を楽しむ時間。

「アートはちょっと苦手」という方にも、気軽にアートに触れていただける場所にしていきたいと思っています。

DISCOVER ― アートに出会う・知る

日本画家 浅野紫露 作品集

作品や、その背景にある物語を紹介する場所です。

現在は、日本画家だった祖父・浅野紫露の作品を中心に紹介しています。

作品そのものだけでなく、それが生まれた背景や、そこに残された記憶も含めて、少しずつアーカイブしていきたいと思っています。

そして今後は、祖父の作品に限らず、私自身が出会った作家さん、アートや表現についても、この場所から広げていけたらと考えています。

SHOP ― アートを暮らしの中へ

Art Lab: Your Atelierのオンラインショップ(Etsy)商品 ノートブック

そして今回、新たにEtsyショップ ArtLabYourAtelier(https://artlabyouratelier.etsy.com) をオープンしました。

祖父・浅野紫露の日本画作品や、私自身が制作したデジタルアートなどをもとに、キャンバスをはじめとしたアイテムを展開していきます。

美術館やギャラリーで作品を見るだけでなく、日々過ごす部屋の中にも、自分が心地よいと感じるアートがある。

そんなふうに、アートをもっと自然に暮らしの中へ迎えてもらえたら嬉しく思います。

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まだ始まったばかりの小さなラボです。
これから作品を増やしたり、新しい試みをしたり、ときには方向を変えたりしながら、少しずつ育てていく場所になると思います。
だからこそ「Lab(ラボ/実験室)」なのかもしれません。

― つくる。出会う。そして、暮らしに迎える。―

Art Lab: Your Atelierが、誰かにとってアートと出会う小さな入口になれば嬉しいです。


新たに加えたページ(ART LAB)は、こちらからご覧いただけます。

▶ Welcome to Art Lab: Your Atelier


「アート」という意味合いや捉え方は、人それぞれかもしれません。

見るもの、つくるもの、飾るもの。
あるいは、言葉では説明できないけれど、ふと心を動かしてくれるもの。
自己表現や、コミュニュケーションのツールだったりすることもあるかもしれない。

Art Lab: Your Atelierを通して、そんな一人ひとりのアートとの関わり方を、一緒に見つけていけたらと思っています。


あなたにとって
アートは
どんな存在ですか?

美術館巡りやアート製作そしてアートグッズがある部屋、アートのある日常

エルダーフラワーコーディアルを宮城のクラフトジン「欅」と炭酸水で割り、ライムを添えた低アルコールカクテル

ハーブコーディアルを日常に取り入れて楽しむ植物の香りとアレンジ

〜 ハーブって意外と身近 〜


「ハーブ」と聞くと、どんなイメージを持つでしょうか。

身体によさそう。
香りがよさそう。
でもその一方で、種類もたくさんあるし、使い方もよくわからない。
なんとなく少し敷居が高そう…

実は私自身、以前はそんなふうに感じていました。
アロマテラピーを学んだことをきっかけに、少しずつ植物そのものにも興味が広がってきたものの、ハーブを育てたり、本格的に生活に取り入れたりするとなると、やはり少しハードルが高いように感じていました。

そんな私がハーブコーディアルに出会ったことで、気持ちが少し変化したのです。

水や炭酸水で割るだけ。
ヨーグルトやチーズに加えてもいい。
そして、お酒が好きならカクテルにも。

実際に試してみると、思っていた以上に自由で、気軽に植物の香りを楽しめるものでした。

ハーブコーディアルとは?

ハーブコーディアルは、ハーブや果実などを煮出したり抽出したりして、砂糖やシロップなどの甘味を加えて作る濃縮飲料です。
飲むときには、そのままではなく水や炭酸水などで好みの濃さに薄めます。

「コーディアル(cordial)」という言葉には、もともと「心からの」「心を元気づける」といった意味があります。
語源はラテン語で「心」を意味する cor に由来し、かつてヨーロッパでは、ハーブやスパイスなどをアルコールに浸した薬用酒のような飲み物も「コーディアル」と呼ばれていました。

その後、時代とともに意味や作り方も変化し、現在のイギリスなどでは、果実や花、ハーブなどからつくられた甘い濃縮飲料を「コーディアル」と呼び、水や炭酸水で薄めて楽しむ文化が親しまれています。
なかでもエルダーフラワー・コーディアルは、その代表的なもののひとつです。

エルダーフラワーの写真


市販品なら自分でハーブを用意したり煮出したりする必要もなく、ボトルから少量注いで薄めるだけ。
「ハーブに興味はあるけれど、何から始めたらいいかわからない」という人にとっても、かなり取り入れやすい方法ではないでしょうか。

生活の木のハーブコーディアルを試してみることに

今回、生活の木のハーブコーディアルが来月(2026年9月)から値上げされることを知り、それなら今のうちにと、いくつかまとめて購入してみました。

「生活の木」のコーディアル4種
「生活の木」のハーブコーディアル4種

選んだのは(写真左から)、

  • 有機イングリッシュエルダーフラワー
  • マヌカハニー
  • 有機ゴジベリー&ザクロ
  • 有機アップルジンジャー

の4種類。
まず開けてみることにしたのが、エルダーフラワーです。

「生活の木」のエルダーフラワーコーディアルの外箱と取り出した瓶
「生活の木」のエルダーフラワー・コーディアルの外箱と取り出した瓶

エルダーフラワーは、セイヨウニワトコ(Sambucus nigra)の小さな白い花。
ヨーロッパでは古くから親しまれてきたハーブで、その香りは「マスカットのよう」と表現されることがあります。

でも、私自身はエルダーフラワーをいただくのは今回が初めて。
というか正直なところ、過去に口にしたことはあるのかもしれないのですが、ハーブコーディアルもエルダーフラワーも、これまであまり深く意識したことはなかったのです。

改めて「マスカットのような花の香りって、どんなものだろう?」と興味津々で、まずはシンプルに水で割って飲んでみました。

エルダーフラワーをじっくりと味わう。まずは水割りから

氷を入れたグラスに、エルダーフラワーのコーディアルと水。
見た目は淡い黄金色で、なんとなくジンジャーエールのような見た目。

エルダーフラワーコーディアルを炭酸水で割った飲料
エルダーフラワー・コーディアルの水割

口にしてみると……
美味しい!
そして確かに、飲んだあとにふわっと鼻へ抜けていく香りに、マスカットを思わせるものがあります。

私は普段の飲み物といえば、水や無糖の炭酸水、そしてコーヒーやお茶には基本的に砂糖やミルクは加えません。
ジュースなどの甘い飲み物はほとんど飲まず、お酒もどちらかといえば辛口が好きなので、コーディアルの甘さが自分に合うのか、少し気になっていました。

でも、実際に飲んでみると、甘さだけではなくふわっと広がる植物の香りが印象的。
そして生活の木のエルダーフラワー・コーディアルにはレモン果汁が加えられているため、酸味も効いています。
これなら私も楽しめそうです。

炭酸水、そしてレモンやライムを加えて

次に試したのは、炭酸水割り。
これだけで水割りよりも爽快感が増し、私はこちらの方がさらに好みでした。

そして、手元にあったストレートのレモン果汁をほんの少し加えてみると、さらにすっきり。
甘さが引き締まり、華やかな香りは残しながら、より軽やかな飲み口になりました。

後日ライムでも試してみましたが、こちらはレモンとはまた少し違って、どこかカクテルのような雰囲気が増すように感じます。
もちろん、これは好み次第。

甘めが好きならコーディアルを多めに。
甘さを控えたいなら少なめに。
酸味が好きならレモンやライムを。
酸っぱいものが苦手なら入れなくてもいい。

自分の好みに合わせて自由に調整できる。
これもコーディアルの魅力なのだと気づきました。

ヨーグルトやクリームチーズにも

飲み物だけでなく、食べ物にも使ってみました。
もっとも簡単なのは、無糖ヨーグルトにエルダーフラワー・コーディアルを少量かける方法。
ブルーベリーなどの果物を加えれば、それだけで簡単なデザートになります。

さらに試してみたのが、クリームチーズとの組み合わせです。
柔らかくしたクリームチーズに、エルダーフラワー・コーディアルを少量ずつ混ぜます。
コーディアルを加えるとクリームチーズが柔らかくなるため、一度にたくさん入れず、味と固さを確認しながら加えるのがポイント。
エルダーフラワー・コーディアルの華やかな香りと酸味が、クリームチーズのコクとよく合います。

そして、せっかくなので少しデザートらしく。

  1. グラスの一番下に無糖のクラッカーを砕いて敷き
  2. その上にエルダーフラワー・コーディアル入りクリームチーズ
  3. フロマージュブラン(またはヨーグルト)
  4. ブルーベリーを重ね
  5. 最後にコーディアルを少量かけて
  6. ミントを添えて仕上げました。
エルダーフラワーコーディアルのヨーグルト。ブルーベリーとミント添え。
エルダーフラワー・コーディアルのデザート(この写真ではわかりづらいですが、一番下にはクッキー、その上にクリームチーズ、そしてフロマージュブランという層になってなっています)

ちなみに「フロマージュブラン(fromage blanc)」は、フランス語で「白いチーズ」という意味を持つフレッシュチーズです。
熟成させないためクセが少なく、ヨーグルトのような爽やかな酸味と、チーズならではのまろやかなコクがあります。
そのまま食べるのはもちろん、果物やジャム、蜂蜜などとも合わせやすく、デザートにも使われます。

私自身フロマージュブランが好きなのですが、日本では一般的なスーパーでいつでも手に入るほど身近なものではないため、見つけるとつい買ってしまいます。
今回はちょうど手に入ったので使ってみましたが、もちろん身近な無糖ヨーグルトでも楽しめます。
水切りヨーグルトやギリシャヨーグルトを使えば、さらに濃厚なデザートに。

クリームチーズのコク、フロマージュブランの爽やかさ、ブルーベリーの甘酸っぱさに、エルダーフラワーのふわりとした香り。
甘いのがお好みの場合は、ハチミツなどをプラスしても良いと思います。
混ぜて重ねるだけなのに、ちょっとしたレアチーズデザートのような一品になりました。

お酒好きなら、低アルコールのカクテルにも

そして、お酒好きの私としては、ぜひ試してみたかったのがジンとの組み合わせです。
ジン一つとっても、コンビニなどで気軽に手に入るものからそうではないものまでいろいろありますが、今回私が選んだのは、宮城県で生まれたクラフトジン「欅(KEYAKI/ケヤキ)」。

宮城のクラフトジン「欅(ケヤキ)」
宮城のクラフトジン「欅(ケヤキ)」

「欅」は、宮城県大崎市に拠点を置く株式会社MCGが手がけるクラフトジンです。
「世界最高峰のクラフトジンをここ宮城の地から発信させたい」という思いから2018年に設立されたMCGが、幾度もの試験蒸溜とブレンドを重ね、2020年に誕生しました。

ジュニパーベリーやコリアンダーシードに加え、宮城県産の柚子果皮、セリ、茶葉、ぶどう果皮をボタニカルとして使用。
口に含むとまず柚子の爽やかな香りが広がり、ジュニパーベリーの甘み、最後にはセリや茶葉の爽やかな苦みへとつながります。

そして「欅」という名前は、宮城県の県木である欅に思いを込めて名付けられたもの。
宮城県民の私としては、それだけでも親しみを感じますが、「欅」は国内外のコンペティションでも高く評価されています。

2021年には香港インターナショナルワイン&スピリッツコンペティションのコンテンポラリージン部門で、国産ジンとして初となる最高賞「トロフィー賞」を受賞。
東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)では2021年、2022年と2年連続で金賞を受賞し、その後も国内外で受賞を重ねています。
2025年にはインターナショナルスピリッツチャレンジ(ISC)で金賞、2026年にはフェミナリーズ世界ワインコンクールでも金賞に輝きました。
このほかにも数々の受賞を果たしています。

もちろん、賞を取っていることだけが美味しさの基準ではありません。
それでも、宮城の素材を生かしてつくられた一本が、国内だけでなく海外でも評価されていることは、宮城に暮らす私としてやはり嬉しく、誇らしく感じます。

そんな宮城生まれの「欅」と、ヨーロッパで古くから親しまれてきたエルダーフラワー。
生まれた土地も文化も異なる二つの植物の香りを、一つのグラスの中で合わせてみることにしました。

ただ私自身、最近はアルコールを控えめにしたいとも思っているので、ジンをたっぷり使うのではなく、

  • 欅(お好みのジン) 15ml
  • エルダーフラワー・コーディアル 5〜10ml
  • 炭酸水 150ml程度
  • 氷

という軽い一杯にしてみました。
これなら出来上がりのアルコール度数は、おおよそ3〜4%程度。

まずはライムなしで一口。
思わず、「うまい!」と声が出ました。

エルダーフラワーの香りに、ジンのボタニカルな香りが加わることで、アルコール度数は低めでも「薄いお酒を飲んでいる」という感じがあまりしません。

エルダーフラワーコーディアルを宮城のクラフトジン「欅」と炭酸水で割り、ライムを添えた低アルコールカクテル
宮城生まれのクラフトジン「欅」とエルダーフラワー・コーディアルのライム添え

さらにライムを加えると、より爽やかに。
先ほども述べましたが、ジンを入れずに、
エルダーフラワー+炭酸水+ライム
だけでも、かなりノンアルコールカクテルらしい雰囲気になります。
お酒を飲めない人や、今日はアルコールを控えたいという日でも、同じように楽しめるかもしれません。

アルコールの量ではなく、香りを楽しむ

今回特に面白いと感じたのは、アルコールの強さだけがお酒の満足感を作るわけではないということでした。

エルダーフラワーの花の香り。
炭酸の刺激。
レモンやライムの酸味。
そしてジンのボタニカル。

いくつもの香りや味が重なることで、少量のお酒でも一杯の飲み物として十分楽しめます。

お酒を控えるというと、以前の私なら「楽しみを減らす」というイメージを持っていたかもしれません。
でも、量を少なくする代わりに、植物の香りや組み合わせを楽しんでみる。
そんな方法もあるのだと、今回初めて気づきました。

コーディアルから、実際の花とその土地の暮らしへ

こんな風にしてエルダーフラワーのコーディアルを味わっているうちに、ふと「本物のエルダーフラワーもそばに飾ってみたい」と思うようになりました。

コーディアルを飲みながら、その傍らには実際の花が活けてある。
味や香りだけでなく、目でもその植物を楽しめたら素敵だな、と。

ところが調べてみると、日本ではエルダーフラワー(セイヨウニワトコ)は、一般的な切り花として花屋さんにいつでも並んでいるような植物ではないようです。
苗木や鉢植えとしては流通しているものの、私たちが日常の中でその花を目にする機会は、それほど多くありません。
少し残念に思ったのですが、さらに調べてみると、また違ったことが見えてきました。

エルダーフラワーは世界的に珍しい植物というわけではなく、ヨーロッパでは古くから身近な植物として親しまれてきました。
特にイギリスなどでは、初夏になると生垣や林の縁などに白い花を咲かせ、花を摘んで自家製のコーディアルを作ることも、季節の楽しみのひとつなのだそうです。

カゴにたくさん入った摘み取られたばかりのエルダーフラワー
Picked_Elderflower by SpitfireTally-ho! / CC BY-SA 3.0 via Wikipedia

私にとっては、今回初めて深く味わい、その実物を見てみたいと思った植物。
けれど遠く離れた土地では、その花が咲くことで季節を感じ、摘んだ花から飲み物をつくって楽しんできた人たちがいる。

そう考えると、一杯のコーディアルから、その植物だけではなく、植物とともにある別の土地の暮らしや文化にも、ほんの少し触れているような気持ちになりました。
そして、実物の花が身近にないからこそ、その香りや味わいをこうして日常の中へ取り入れられることも、なんだか幸せなことのように思えてきます。

植物そのものがいつもそばになくても、その土地で育まれてきた楽しみ方とともに、香りや味を暮らしへ取り入れることはできる──

コーディアルは、植物と私たちの日常をつなぐだけでなく、遠く離れた土地の暮らしともつないでくれるものなのかもしれません。

いつかエルダーフラワーの咲く季節に、その土地を訪れてみたい。
実際の花を眺め、その香りを感じながら、「あのとき飲んだコーディアルの香りは、この花から生まれていたんだ」と確かめることができたら・・・

それもまた、いつかの旅の楽しみになりそうです。

ハーブは、もっと自由に楽しんでいいのかもしれない

ハーブについて知識を深めようとすると、植物の名前、成分、作用、使い方……覚えることはたくさんあります。
もちろん、きちんと知ることも大切です。
でも、知識を身につけてからでなければ楽しめないわけではないんですよね。

炭酸水に少し加えてみる。
ヨーグルトにかけてみる。
果物やチーズと合わせてみる。
好きなお酒をほんの少し加えてみる。
そんなところからでも、植物の香りや味に触れることができます。

そして「これ、好きかも」と思ったら、その植物について少し調べてみる。
今回の私にとって、エルダーフラワーがまさにそうでした。
ハーブを学んでから楽しむのではなく、楽しんでいたら、もっとハーブを知りたくなった。
そんな入り方があってもいいのではないでしょうか。

今回購入したコーディアルは、まだエルダーフラワーを開けたばかり。
マヌカハニー、ゴジベリー&ザクロ、アップルジンジャーでは、また違った楽しみ方ができそうです。
そしていつかは、ドライハーブから自分でコーディアルをつくってみることにも挑戦してみたいと思っています。

植物の世界が、また少し身近になり、楽しみも増えました。
新たな幸せを見つけれたことに、感謝です。

あなたなら
どんな香りを
暮らしに加えてみたいですか?

エルダーフラワーのコーディアルやブルーベリーのデザート、植物のある穏やかな暮らしを描いたイラスト

カール・ヴァルザー展 チラシ 図録

スイスの異才?知らない画家だからこそ、出会えた展覧会

〜 “カール・ヴァルザーとは何者か?”その問いに惹かれて 〜


少し前のことになってしまいますが、今年5月に一泊二日で東京へ美術館巡りに行ってきた時のこと。
一番の目的は上野にて、東京都美術館では『アンドリュー・ワイエス展』、国立西洋美術館では『チュルリョーニス展』が開催されていて、その展示を観ることでした。
さらに、会期終了が近づいていた三菱一号館美術館の『トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで』も、この機会にぜひ観ておきたいと思い、ここまでは、迷うことなく予定に入れていました。

すでに記事にした通り、チュルリョーニスもそれまで私にとっては全く知らない画家でした。
それでも展覧会のチラシを見た瞬間、「この作品は好きかもしれない」と感じ、不思議と迷いはありませんでした。
一方で、今回取り上げる画家についてはと言いますと…


私の住む仙台から東京へは、新幹線で2時間前後で行くことができます。
都内で3つの美術展を観るなら日帰りで行くのも不可能ではないのですが、だいぶ忙しなくなり、体力も消耗します。
一泊しようか、でもどうせ一泊するなら、さらに一つくらい展覧会を加えようかな。
そう考え、都内の美術展情報をチェックしてみたところ、東京ステーションギャラリーで『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』という展覧会が開催されているということがわかり、そこから目と鼻の先にある三菱一号館美術館に行くことは決めていたから、ちょうど良いかもしれないと思いました。

東京ステーションギャラリー カール・ヴァルザー展 チラシ(表面)
東京ステーションギャラリー展覧会『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』チラシ(表面)

ただ、WEBで作品を見た第一印象では、「嫌いではない。でも、ものすごく惹かれるというわけでもない。」というのが正直なところで、チュルリョーニスの時ほど、「ぜひ観に行きたい!」と強くは思わなかったのです。

けれど、

日本初の回顧展

という言葉が目に留まりました。
そして、そのチラシの裏面には大きく、

カール・ヴァルザーとは何者か?

という問いが掲げられていました。

カール・ヴァルザーという画家については、彼の母国スイスでは再評価が進んでいるものの、日本ではほとんど知られていません。
だからこそ、「今見逃したら、次はいつ出会えるかわからない。」
そんな思いが背中を押し、予定に加えることにしたのです。

結果、この展覧会も行って、本当によかったです。
もちろん、チュルリョーニスほど直感的な衝撃を受けたわけではありません。
ワイエスのように以前から憧れていた画家でもありません。
それでも、知らなかった画家だからこそ、新鮮な気持ちで作品と向き合うことができました。

東京ステーションギャラリー カール・ヴァルザー展 チラシ(裏面)
東京ステーションギャラリー展覧会『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』チラシ(裏面)

カール・ヴァルザー(Karl Walser、1877年4月8日-1943年9月28日)は、スイス出身の画家です。
油彩や水彩による絵画にとどまらず、挿絵や装幀、舞台・衣装美術、壁画など、幅広い分野で才能を発揮しました。
今回の展覧会も、「絵画と素描」「日本滞在」「挿絵と装幀」「舞台美術」の四つの章から、その多彩な活動をたどる構成となっていました。

現在では、スイスを代表する作家ローベルト・ヴァルザー(Robert Walser、1878年4月15日-1956年12月25日)の兄として紹介されることも多いようですが、20世紀初頭には弟よりも有名な芸術家だったのです。
しかし、その後は次第に語られる機会が少なくなり、日本では長らく、その全貌を知ることのできない芸術家となっていたということです。
(ちなみに、当ブログで人物名称に張っているリンク先はWikipediaですが、カールの内容はローベルトよりはるかに少ないことからも、その知名度の違いがわかります)

そんなカール・ヴァルザーの日本初の回顧展かつ出品作全てが日本初公開とあらば、やはり大変貴重な機会です。
(後述しますが、本展は東京での展示は終了してしまいましたが、現在大阪で開催中です)

作品からは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパ芸術の空気が静かに伝わってきます。
象徴主義やアール・ヌーヴォーを思わせる幻想的な作品。
繊細な色彩。
そして、挿絵や舞台美術まで手がけたという多才さ。
決して派手ではないものの、どこか心に残る余韻のある作品ばかりでした。

特に興味深かったのは、日本との意外なつながりです。
1908年、カール・ヴァルザーは日本を訪れ、数ヶ月間滞在し各地を旅しています。
宮津や京都では歌舞伎役者や市井(しせい)の人々の姿を描き、美しい水彩画も数多く残しました。

120年以上前、日本を訪れた一人のスイス人画家が見つめた風景。
しかし、その存在は長年見過ごされていた。
その作品を、今こうして日本で見ることができる。

そんな不思議な時間のつながりも、この展覧会ならではの魅力でした。

東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリー入口

美術館へ行く理由は、人それぞれだと思います。
好きな画家だから。
話題になっているから。
会期が終わってしまうから。
あるいは、私のように、「今しか出会えないかもしれない。」そんな理由もあるでしょう。

今回の東京旅行では、四つの展覧会を巡りました。
それぞれ、足を運んだ理由は違いました。
でも振り返ってみると、その中で最も「未知との出会い」を感じたのは、このカール・ヴァルザー展だったように思います。
有名だから価値があるのではなく、まだ知らない作品と出会えることにも、美術館へ行く喜びがあるのだと改めて感じました。

カール・ヴァルザー展 チラシ 図録
東京ステーションギャラリー展覧会『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』チラシと図録

図録の最後には、展示では紹介しきれなかったカール・ヴァルザーの世界が、美しい写真とともに詳しい説明でまとめられていました。

ゆかりの地。
日本で過ごした宮津。
そして、スイス各地に今も残る壁画。

実は、私が最も心を動かされたのは、この壁画でした。
もちろん展示会場でも写真や映像で紹介されていました。
しかしながら、壁画です。
当然、本物はスイスにあり、今回の展覧会で実物を目にすることはできませんでした。

以前フランスを旅行したとき、スイスまで足を延ばしたいと思いながら叶わなかったことがあります。
しかしあの頃の私は、まだカール・ヴァルザーという画家を知りませんでした。
だから当然、「彼の壁画を見に行こう」と考えることもありませんでした。
でも今なら違います。

もし今度こそスイスを訪れる機会があるなら、ぜひ、自分の目でカール・ヴァルザーの壁画を見てみたい…
いや、やはりスイスは行かなきゃ。
そして絶対に、カール・ヴァルザーの壁画をこの目で見よう。

そう心に決めたのです。
一つの展覧会との出会いが、いつか訪れたい場所まで増やしてくれました。

大阪中之島美術館 カール・ヴァルザー展 チラシ
大阪中之島美術館展覧会『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』チラシ(画像クリックでPDF画面が開き拡大できます)

なお、『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』展は、現在(2026年7月25日)大阪中之島美術館にて開催されています。会期は2026年9月27日まで。
日本での巡回は、終了してしまった東京と現在開催中の大阪のみです。
大阪近辺にお住まいの方、そうでなくても気になる方は、この貴重な機会をお見逃しなく。

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あなたには
名前を知らないからこそ
出会えた作品や場所がありますか?

『落下の王国』4K UHD & Blu-ray

ようやくこの手に『落下の王国』4K UHD & Blu-ray

〜 映像の奇跡を支えた、創り手たちの物語 〜


「いつか、もう一度この作品を観たい。願わくば、ソフトを手元に置いておきたい。」
そんな願いを抱き続けてきた映画があります。

ターセム・シン監督の『落下の王国(原題:The Fall)』です。

映画『落下の王国』は、1920年代の病院を舞台に、心に傷を負った青年ロイと、幼い少女アレクサンドリアが紡ぐ幻想的な物語です。
現実と空想が交錯しながら描かれる壮大な世界は、美しい映像と芸術性によって、多くの映画ファンを魅了し続けています。

私自身も、この映画のオリジナル版公開当時、不思議な展開を繰り広げる物語と圧倒的な芸術美、そして世界そのものを旅するような、これまでにない感覚に感動を覚えました。
しかし、その後はソフトの入手も難しくなり、「もう二度と最高の状態で観ることはできないのかもしれない」と、口惜しい気持ちでいたのです。

それが時を経て4Kデジタルリマスター版として劇場公開され、さらに今回、4K UHD & Blu-rayを手にすることができました。
映画館で再びあの世界に出会えたことだけでも十分幸せでしたが、特典映像まで含めて作品の背景に触れられたことは、私にとってもう一つの大きな喜びでした。

大好きなこの映画については、既に3回ほど記事にしているので、今回はこれまでと異なる視点で綴ろうと思います。

未来を信じて撮られた映画

特典映像の中で、ターセム・シン(Tarsem Singh)監督は印象的な言葉を語っていました。

この作品は長く観られる映画になると思った。
だから高画質で撮影した。

『落下の王国』が2006年に初公開された頃は、一般的な撮影カメラとして4Kが存在していたわけではありません。
CGに頼らず24か国以上・13の世界遺産で実景撮影するというターセム監督のこだわりから、当時最高峰の35mmフィルムで撮影されていたのです。

しかし当時、その価値を理解し、買い手になってくれる人はほとんどいなかったそうです。
その言葉を聞きながら、私は20年という歳月の重みを思いました。

今こうして4Kという最高の形で作品が蘇り、多くの人がその美しさに改めて驚いています。
監督が信じ続けた未来が、ようやく現実になったのです。

世界を彩った、日本人デザイナー

『落下の王国』の魅力を語る上で欠かせない存在が、衣装デザインを担当した故・石岡瑛子さんです。

石岡瑛子(いしおかえいこ、1938年7月12日-2012年1月21日)さんは、2012年に惜しまれつつ世を去った世界的クリエイターです。
1970年代の広告史に革命を起こしたのち世界に羽ばたいた彼女は、ジャンルを超えて驚異的な足跡を遺しました。
ジャズの帝王マイルス・デイヴィスのジャケットデザインでグラミー賞を、映画『ドラキュラ』でアカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞。
さらにはソルトレイクシティ冬季五輪の競技ウェアやシルク・ドゥ・ソレイユの舞台衣装、そして北京五輪開会式のコスチューム・ディレクションにいたるまで、まさに世界を舞台に多才なメダリストとして極め続けた、唯一無二の表現者です。

『落下の王国』という物語の世界に登場する衣装は、単に美しいだけではありません。
色彩、造形、文化、象徴性 ──
一つひとつがまるで芸術作品のような存在感を放ち、ターセム監督が描く幻想世界を現実のものとして支えています。
世界中のロケーションと石岡さんの衣装が重なり合うことで、『落下の王国』にしか存在しない映像世界が生まれました。

ターセム監督が「女神」と崇めた彼女のデザインは、単なる衣装の枠を超え、映画の色彩や世界観そのものを支配する圧倒的なパワーを放ち、4Kリマスターでより鮮烈に蘇るその造形美は、今見ても全く色褪せることのないタイムレスな輝きに満ちています。

日本人として、この作品に石岡瑛子さんが携わっていたことを改めて誇らしく感じます。

映画『落下の王国 4Kデジタルリマスター』予告編
ロイとアレクサンドリアが教えてくれたこと

そして、もう一つ心を動かされたのが、ロイ役のリー・ペイス(Lee Pace)と、アレクサンドリア役のカティンカ・アンタルー(Catinca Untaru)の撮影秘話でした。

幼いカティンカちゃんにとって、ロイは本当に足の不自由な青年でした。
その自然な感情を大切にするため、リー・ペイスは撮影中、その設定を守り続けたのです。

…さて、これがどういう意味か、『落下の王国』ファンにはよく知られた裏話ですが、ご存知ない方も多いかと思いますので、簡単に説明しますね。

当時6歳だったカティンカの純粋な輝きを引き出すため、ターセム監督は現場でひとつの「優しい嘘」を仕掛けました。
それは、主人公ロイを演じるリー・ペイスが「現実でも本当に足が不自由である」と信じ込ませること。
病院でのシーン撮影中、リーは常に車椅子で過ごしており、なんと、カティンカだけでなく周囲のスタッフも含めて、そんな嘘をずっと突き通したそうです。

『落下の王国』が現実と空想が交錯しながら描かれた物語であれば、その映画の創造もまた、現実のスタジオと物語の境界線が曖昧な中で紡がれたからこそ、この作品は嘘偽りのない輝きを放っているのだと感じます。
映画の中で二人が交わす眼差しや表情には、演技という言葉だけでは表せない、本物の信頼関係が映し出されています。
4Kの高画質で観る彼女の瞳は、その純粋さがより一層クリアに伝わってきて、何度観ても目頭が熱くなります。

映像の美しさに目を奪われがちな作品ですが、その奥には、俳優たちの誠実さと創り手たちの細やかな配慮が息づいていました。

『落下の王国』4K UHD & Blu-ray
映画『落下の王国』4K UHD & Blu-ray
奇跡は、見えない時間の積み重ねから生まれる

さて、この映画は約2時間です。
けれど、その2時間のために費やされた時間は、何年にも及びます。

世界各地でのロケーション撮影。
唯一無二の衣装制作。
俳優たちの献身。
そして、「いつかきっと、この作品は長く愛されるものになる」と信じ続けた監督の想い。

完成した映画だけを観ていると、費やされてきたその膨大な時間や努力を忘れてしまいそうになります。
だからこそ特典映像を観た今、私は以前よりもさらに、この作品を大切に思うようになりました。

『落下の王国』は、美しい映画です。
でも、それ以上に ──
創ることを信じ続けた人たちの物語でもあるのだと感じています。

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あなたは
心を動かされた作品の向こうに
どんな時間を想像しますか?

浅野紫露(本名:浅野四郎)作品集

震災を越えて残したかった祖父の日本画作品

〜 仙台に生まれ閖上を故郷として愛した画家 浅野紫露 〜


祖父 浅野紫露(本名:浅野四郎)は、仙台に生まれ、名取市閖上(ゆりあげ)を故郷として愛しながら日本画を描き続けた画家でした。

私は子どもの頃から祖父の作品に触れて過ごしてきましたが、その存在を改めて強く意識するようになったのは、東日本大震災の後だったかもしれません。
閖上は津波によって大きな被害を受け、実家も流されてしまったので、保管されていた祖父の作品の多くも失われました。
作品そのものだけでなく、それらに込められていた時間や記憶もまた、失われてしまったように感じていました。

そんな中、幸いにも残されていた祖父の作品が掲載されたカレンダー。
2001年に祖父が亡くなった数年後、作品集という意味も込めてカレンダーを作成し、その当時、親しい方々にお配りしたものです。
もちろん実家にも在庫はあったものの、それらも2011年に起きた震災で失われてしまったのですが、


↑ 過去に記事にした通り、そのカレンダーを友人が保管していてくれて、私の元に送ってくれたのです。
それは2021年のこと。祖父のカレンダーは2004年のものなので、それから17年もの間、友人は大切にとっておいてくれたのでした。

そしてその2021年から今日まで、さらに5年以上。
私は当時「祖父の絵を探すことを私自身のライフワークに加えたい」と思っていたものの、それから仕事に追われる生活となり、果てには心身を病んでしまい、そういった活動はできなくなってしまっていました。
せっかく友人が送ってくれたカレンダーも仕舞い込んでしまい・・・

しかし、ようやく本来の自分を取り戻しつつある今、私は再び、その祖父の作品集とも言えるカレンダーを手に取ったのです。
もちろんそれは原画ではありませんが、そこには祖父が描いた花々や風景、そして白鷺たちの姿が確かに残されていました。
「今度こそ、今できる形で残しておきたい」
そんな思いから、カレンダーを高解像度でデータ化し、このたび作品ギャラリーとして公開することにしました。

祖父は仙台市に生まれましたが、祖母との結婚を機に閖上の浅野家に入り、その地を故郷として生きました。
作品には白鷺がたびたび登場します。
私にとって白鷺は、祖父の絵を象徴する存在です。
閖上の風景の中で見られた白鷺を、祖父は生涯にわたり描き続けました。
その作品の一つは後に内閣総理大臣賞を受賞することにもなります。

▼祖父母の物語
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その1/おしんのような経験を持つ美容師
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その2/ずっと秘密にされてきた二人の馴れ初め
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その3/家庭を持っても単身生活を続けた画家

今回公開したギャラリーには、カレンダーに残されていた作品を中心に掲載しています。
現存していない作品も多くありますが、それでも祖父が見つめていた自然や季節の美しさ、その眼差しの一端を感じていただけたら嬉しく思います。

▼作品ギャラリーのページはこちら
https://calm-smile-chain.com/works-by-shiro-asano/


祖父の作品を整理しながら感じたのは、作品を残すことは単に過去を保存することではない、ということでした。
絵は描いた人がいなくなっても、見る人の中で新しい物語を生み続けます。

祖父が愛した風景や季節が、どこかで誰かの心に届くことを願っています。




あなたには
未来へ渡したい記憶が
ありますか?


映画『Michael/マイケル』パンフレット サントラCDとアルバム『Dangerous』

映画『Michael/マイケル』が問いかける「自由に創造すること」

〜 実の甥ジェファー・ジャクソンが蘇らせたマイケル、その物語から考える 〜


音楽伝記映画の歴史を塗り替えるほどの異例の世界的大ヒットを記録している映画『Michael/マイケル(原題:Michael)』、あなたはもうご覧になりましたか?

私もこの映画はとても楽しみにしていたので、もちろんIMAXで、いつものお気に入りの席を陣取って観てきましたが、結論を一言で言うと、最高でした。

映画『Michael/マイケル』予告編

正直に言いますが、私は、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)は昔から好きだったものの、熱烈なファンというほどではありません。
もちろん代表曲は知っていますし、いくつかアルバムも持っています。
しかし、初めは「マイケルの伝記映画だから絶対に観たい」というより、「どんな作品なのだろう」という興味の方が大きかったように思います。

私は基本的に、観たいと思った映画については、事前にはあえてあまり情報を入れずに観に行きます。
週に1、2回のペースで映画館に足を運ぶ私は、本編が始まる前に流れるこれから上映される映画の予告編と、劇場に並ぶチラシをさっと眺めて、観たい映画を決めます。

映画『Michael/マイケル』も、まずチラシを見て「あのマイケル・ジャクソンを再現するとはすごいチャレンジね。これは観ないと」と思い、その後、映画館では予告編が流れるようになり、当然のことながらますます興味を持ちました。
が、やはりこの時点では詳しいことはチェックせず。
予告編には、マイケルを演じた俳優が「Hi, I am Jaafar Jackson.(こんにちは、ジェファー・ジャクソンです)」と挨拶するバージョンもあり、それを見て、私は「ジャクソンっていう名前だから、マイケルの甥かな。マイケルには兄弟が大勢いるから俳優の甥がいてもおかしくない。その子を採用したのね」くらいに思っていました。

そしていよいよ映画鑑賞当日、まずパンフレットを購入するために売店に立ち寄りました。
ディスプレイには、この映画『Michael/マイケル』のサウンドトラックCDも並んでいて、少し気になりはしたものの、映画を見る前は、正直そこまで欲しいと思うかどうかわかりませんでした。
マイケルの楽曲ならすでに持っているものもありますし、それで十分かもしれないと考えたのです。

そんな私でしたが、映画を観終わった後には、結局サウンドトラックCDを購入していました。
この映画を通して知ったマイケルの物語を、もう一度音楽とともに辿りたい。
そんな気持ちになっていたのです。

映画『Michael/マイケル』パンフレット サントラCDとアルバム『Dangerous』
映画『Michael/マイケル』パンフレット&サンドトラックCDとアルバム『Dangerous』(デンジャラス:映画の劇中で描かれた熱狂の「その先」にある時代を象徴するアルバムで、この作品も音楽史に深く名を刻む、凄まじい世界的大ヒットを記録した)

今回のサントラCDを購入する決め手となった理由の一つは、ジャクソン5(The Jackson 5)時代の楽曲でした。
もちろん曲自体は知っていましたが、その歌声の向こうに、幼いマイケルと家族の姿が見えるようになった今、それらの曲は以前とはまったく違う響きを持って聴こえます。

また、CDやレコードは海外の作品でも、日本盤にはライナーノーツ(解説文や歌詞の対訳など入った冊子)が同包されることが多く、ぜひそれも読んでみたいと感じたのです。
今回の解説は音楽ジャーナリストの高橋芳朗さんによるもので、映画に関わる点から各楽曲についてまでかなり詳しく説明されていて、そこから得られる感動も多かったです。

映画『Michael/マイケル』サウンドトラックCD
映画『Michael/マイケル』サウンドトラックCD(モノクロの冊子が21ページにも及ぶライナーノーツ。最終ページにはジャクソンズとマイケルのアルバムの一覧画像も掲載されてました)

そして何より驚いたのは、マイケルを演じたジェファー・ジャクソン(Jaafar Jeremiah Jackson)でした。
映画を観ている間、私は何度も「本当にマイケルを見ているようだ」と感じていましたが、映画を観終わった後にパンフレットを開くと、なんと彼は元々は俳優を目指していたわけでもなく、今回のオファーを受けて初めて演技をすることになったのだと知り、本当に驚きました。

誰がマイケルを演じるのだろうと思っていた本人が、結果としてその役を引き受けることになる。
しかも相手は、世界中の誰もが知る大スターマイケル・ジャクソン。
比較されることも、批判されることも覚悟しなければならない役だったはずです。

それでも彼は、その重責を背負い、見事に演じ切りました。
私は単にダンスや歌の再現度に感動しただけではありません。
マイケルという存在への敬意と覚悟が、スクリーン越しに伝わってきたことに心を動かされたのです。

映画 Michael/マイケル チラシ(1)
映画『Michael/マイケル』チラシ(1)

ところでこの制作には、音楽伝記映画の記憶としてはまだ新しい、ロックバンド・クイーンを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』でプロデューサーを務めたグレアム・キング(Graham King)が携わっています。
『ボヘミアン・ラプソディ』のときは、主演のラミ・マレックの息遣いに加え、フレディ本人の音源、そして声が酷似した外部の歌手の歌声を巧みにパッチワークのように重ね合わせた、いわゆる「3部編成」での緻密な音響エンジニアリングが取られていました。

一方、今回の映画『Michael/マイケル』で取られたアプローチは、それよりもはるかにシンプルで、同時に奇跡的とも言えるものでした。
外部の「そっくりな声」を必要とせず、ただ二人の声だけで構成される「2部編成」。
それが可能だった理由は、主演を務めたジャファー・ジャクソンが、マイケルの実の甥であるという事実にあります。

映画のパフォーマンスシーンで私たちの耳に届いていたのは、マイケル本人のマスター音源(録音)と、ジャファーが撮影現場で実際に喉を枯らして歌った生歌を絶妙にブレンドした音声でした。

声というものは、骨格や声帯の形で決まると言います。
同じジャクソン家のDNAと骨格を受け継ぐジャファーの声は、ふと口ずさむような静かなシーンやアカペラにおいて、加工せずとも驚くほどおじであるマイケルの響きに似ているのです。
さらに、幼少期から身近にあった「ジャクソン・ファミリーのグルーヴやブレスの癖」が、彼の細胞レベルに染み付いていたことも大きかったのでしょう。

映画の中のジャファーは、ただ過去の音源に口の形を合わせる「口パク」をしていたわけではないのです。
マイケルがその声を出す瞬間の、首の筋の立て方、顎の角度、呼吸のタイミングまでを完全に身体にシンクロさせ、実際に歌いながら踊っていました。
だからこそ、私たちはスクリーンの中に「単なる模倣」ではない、本物の魂の実在感を感じ取ることができたのだと思います。

なお、販売されているサウンドトラックアルバムに収められているのは、映画の再現ではなく、100%「マイケル・ジャクソン本人のオリジナル音源」です。
スタジオで完璧に磨き上げられたおなじみの名曲から、彼がかつてツアーのステージで本当に響かせていた当時のライブ音源まで、混じり気のないキング・オブ・ポップの歌声が最高の音質で刻まれています。
映画館で、甥であるジャファーの血の滲むような肉体表現と融合した「新しい体験」としてのマイケルを観たからこそ、このサントラCDから流れる「本物の完全な歌声」を聴いたときの感動は、より深いものになります。

映画 Michael/マイケル チラシ(2外面)
映画『Michael/マイケル』チラシ(2外面)
映画 Michael/マイケル チラシ(2中面)
映画『Michael/マイケル』チラシ(2中面)

そして、映画『Michael/マイケル』にはもう一人、私の心に残った人物がいました。
マイケルの護衛を務めたビル・ブレイ(Bill Bray)です。
映画を観ている間、私は「この人の存在って初めて知ったけど、実はかなり重要な人物では?」と気になっていました。

派手な人物でも、決して目立つ存在でもありません。
けれど、マイケルが苦しい時、迷った時、ビルはいつもその傍にいました。

父ジョセフが厳しさによってマイケルを導こうとした人物だとすれば、ビルは静かに見守る人物として描かれていたように思います。
実際のビルについて詳しい記録は多く残っていないようですが、彼が果たしていた役割は決して小さくなかっただろうと、この映画を観ただけでも感じとることができました。

才能は一人で花開くものではありません。
表舞台に立つ人がいる一方で、その人を支える存在もいる。
今回の映画を観ながら、私はそんなことを何度も考えていました。

そしてもう一つ、私の心に響いたものがあります。
それは映画の中でマイケルがノートに書き留めていた言葉です。

Be free to create.
─ 創造するために自由であれ。

マイケルは世界で最も成功したエンターテイナーの一人でした。
けれど、その一方で、幼い頃から家族や世間の期待を背負い続けた人でもありました。

もし彼がもっと自由だったら。
もし彼がもっと自分らしく生きられていたら。

そんなことを考えずにはいられませんでした。
しかし同時に、その苦しみや葛藤があったからこそ生まれた作品もあったのかもしれません。
だから私は、この映画を観終わった後も簡単な答えを出すことができません。
ただ一つ思ったのは、創造することは、自由と深く結びついているということです。

音楽でも。
絵画でも。
文章でも。
そして人生そのものでも。

私たちは本当に自由に創造できているだろうか。
誰かの期待や評価ではなく、自分自身の心の声に耳を傾けながら生きられているだろうか。

映画『Michael/マイケル』は、そんな問いを私の中に残していきました・・・

✔️『Michael/マイケル』上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=michael

続編(Michael Part 2)の公開も既に計画されているとのこと。
待ち遠しいですね。


あなたは
自由に創造すること
できていますか?

アンドリュー・ワイエス展 図録 クッキー缶

アメリカの国民的画家アンドリュー・ワイエスの静寂に身を置く時間

〜 ニューヨークで出会った画家との再会 〜


東京上野で開催されている『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』を観てきました。
(会期:2026年4月28日(火)~7月5日(日))

20世紀アメリカを代表する具象画家であり、静寂と孤独、そして人々の記憶を描いたとして知られている、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth, 1917年7月12日-2009年1月16日)の展覧会が、米国建国250周年と東京都美術館開館100周年を記念する今年、ここ日本では17年ぶりかつワイエスの没後初めて、開催されることとなったのです。

東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展 チラシ(外面)
『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』 チラシ(外面)

私にとってアンドリュー・ワイエスは、以前から特別な画家の一人です。
初めて彼の作品を見たのは2017年にアートに特化したツアーに参加し、ニューヨークを訪れた時のことでした。
当時の私は、今ほど近現代美術に親しんでいたわけではありません。
それでも、ニューヨーク近代美術館(MoMA : Museum of Modern Art)で目にしたワイエスの作品に、不思議と心を惹かれたのです。

ところで、アメリカの国民的画家と言われているワイエスですが、意外にも、MoMAが所蔵する彼の作品は《クリスティーナの世界(Christina’s World)》*の1点きりとのこと。

*この作品の画像はMoMAの公式サイト(https://www.moma.org/collection/works/78455)にて見ることができます。
『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』では残念ながら出展されていませんが代表作として有名な作品です。

1948年にワイエスが《クリスティーナの世界》を描いた翌年(1949年)、MoMAの初代館長であったアルフレッド・バー・Jr(Alfred Hamilton Barr Jr.,  1902年1月28日-1981年5月15日)がこの作品の価値をいち早く見抜いて買い取りました。
が、その後、MoMAの収集方針は抽象表現主義やポップアートなどの前衛的なモダンアートへとシフトしていきます。
一方で、伝統的な技法で具象的に描くワイエスのスタイルは当時の先端的なモダンアートの主流から外れたため、追加でコレクションされる機会がなかったというのがその理由のようです。

しかし、私にとって初めて目にしたワイエスの作品がその《クリスティーナの世界》1点のみでも、強く胸を打たれたのです。
本作は、病で歩行が困難になりながらも車椅子を拒み、這って進むことを選んだ隣人の女性クリスティーナをモデルに、「過酷な運命を懸命に克服する人間の生命力」を描いた作品です。

MoMAではせっかく撮影可能だったにも関わらず、感銘して見惚れてるうちに、人も集まり良いアングルを得られず写真を撮り損ねてしまったのですが、しっかりと記憶に残り、それ以来、ずっと心に残り続ける画家の一人となったのです。
そのようなことから「もっとこの人の作品を見てみたい」と思ったわけですが、日本で彼の作品に出会う機会は決して多くありません。

後に、福島県立美術館を訪れた際、同館が所蔵しているワイエスの作品6点を常設展で観ることができ、とても驚いたことを覚えています。
私が住む宮城のお隣の県で、彼の作品が6点も保管されていただなんて…

そしてそれからさらに数年後となる今回、ようやくまとまった数の作品をじっくり鑑賞できる機会を得ることができたのです。

東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展 チラシ(中面)
『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』 チラシ(中面)
チュルリョーニスとは違う静けさ

今回の上野行きの目的は、同時期に鑑賞した『チュルリョーニス展』でもありました。
どちらも静かな世界観を持つ画家ですが、私にはその静けさが全く異なるものに感じられました。

チュルリョーニスの作品からは、音楽が聞こえてくるような感覚があります。
星々が巡り、風が流れ、世界そのものが呼吸しているような…
静かでありながら、内側では壮大な宇宙が動いているのです。


一方、ワイエスの世界は違います。
ほぼ無音に近く、聞こえるとしたら、

風が草を揺らす音。
遠くの鳥の声。
古い家屋が軋む音。

そんな自然の気配だけ。
それ以外の音は、ほとんど存在しません。

「何も起きない」のに濃密な世界

ワイエスの作品を見ていて感じるのは、「何も起きていない」ということです。

劇的な出来事もない。
派手な色彩もない。
強いメッセージもない。

けれど、その「何も起きない」が濃密なのです。

空き部屋。
閉ざされた窓。
誰もいない野原。

本来なら何もないはずの場所なのに、そこには確かに人の気配や記憶が残っています。
まるで、「さっきまで誰かがここにいた」そんな感覚を覚えることがあります。

死ではなく、時間の気配

ワイエスの作品には、どこか寂しさがあります。
父親を突然の事故で亡くした経験や、幼少の頃には病弱で一般的な子供のように学校には行けなかったような彼自身の人生背景を知ると、その理由も少し見えてくるように思います。

ただ、不思議なことに「怖さ」は感じません。
死を描いているというより、「いつか失われるもの」への静かなまなざし。
そんな印象を受けるのです。

だからこそ、彼の作品の前に立つと心が静まります。
そして、自分自身の記憶や時間について考え始めてしまうのです。

”境界に立つとき、心が動き出す”

さて私は、『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』観覧後、この記事を綴るためにブログ用の写真を撮影していて、ふと気がつきました。

図録の表紙に選ばれている作品《ヒトデ(Star Fish)》。
そして記念に購入したクッキー缶に描かれている作品《ゼラニウム(Geraniums)》。
さらに、展覧会場で撮影可能な作品だった中で、私自身が直感的にこれ好きだなと感じて撮影していた2枚限りの写真。
私にとってはどれも偶然のように思えたのですが、すべてに「窓」が描かれていたのです。

アンドリュー・ワイエス展 図録 クッキー缶
『東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展』図録 クッキー缶(老舗パティスリー・アンテノールのラングドシャ・シトロン)

実は、私は昔から「窓」というモチーフが好きです。
けれど、その時は全く意識していませんでした。
だからこそ、無意識のうちに選んでいたことに少し驚きました。

しかしそもそもこの展覧会には『Boundaries or Windows』という副題が添えられていました。
これを直訳したら「境界線それとも窓」となりますが、改めてチラシを見返すと”境界に立つとき、心が動き出す。”という言葉が記されていました。
「窓」こそ、今回の展覧会全体のテーマの象徴だったのです。

窓の向こうにあるもの

私自身が心を惹かれ撮影した二つの作品を見返してみます。

《乗船の一行(Bording Party)》は、窓の外に見える帆船によって、旅立ちや不在を想像させる作品です。
そこにいるはずの人々は描かれていないのに、窓の向こうに広がる世界によって物語が生まれています。

アンドリュー・ワイエス 《乗船の一行(Bording Party)》
アンドリュー・ワイエス 《乗船の一行(Bording Party)》

一方、《ケネットの集会場(Kennett Meeting)》は、クエーカー教徒の集会所を描いた作品です。
人々が集い、語り合い、そして別れを迎える場所。
ワイエス自身も「窓の配置が美しい」と語ったそうですが、父N.C.ワイエスの葬儀が行われた集会所とも重なる背景を知ると、その窓がより特別なものに見えてきます。

アンドリュー・ワイエス 《ケネットの集会場(Kennett Meeting)》
アンドリュー・ワイエス 《ケネットの集会場(Kennett Meeting)》

ワイエスが描く窓は単なる建築の一部ではなく、

内と外、
現在と記憶、
ここにいる自分と、その向こうにある世界。

そうした境界を静かにつないでいるように感じます。

思いがけない「ゼラニウム」とのつながり

そしてもうひとつ、これはかなり個人的なことではありますが、驚いたことがありました。

展覧会特設ショップで購入するに至ったクッキー缶。
こちらに採用されている作品も窓が描かれたもので、私は「これも好きな作品だな、缶に配色された色もデザインも悪くないし、エッセンシャルオイル(精油)の保管にちょうど良いサイズ感かも」と思い購入したのです。

その時は作品名まで確認していなかったのですが、帰宅してからこの作品名が《ゼラニウム》だったことに気づき、思わず笑ってしまいました。

実は私はゼラニウム精油の香りが大好きで、常備しているエッセンシャルオイルの一つなのです。
偶然なのか、ご縁なのか。
そんな小さなサプライズも含めて、今回のワイエス展は私にとって印象深い時間になりました。

エッセンシャルオイルケースになったクッキー缶
アンドリュー・ワイエスの《ゼラニウム(Geraniums)》がプリントされたクッキー缶を活用して早速エッセンシャルオイルケースに。
静寂の中に身を置く

念願だった、たくさんのワイエス作品を見ることができて、本当に嬉しく、幸せでした。
展覧会を見終えた後も、強烈な感動というよりは、静かな余韻が残っています。

振り返ってみると、私は昔からこうした作品に惹かれてきたのかもしれません。

大きな声で語りかける作品ではなく、静かな余白の中に物語が宿る作品 ──

ワイエスの絵の前に立っていると、そんな自分自身の好みも改めて見えてくるようでした。。。

東京都美術館
東京都美術館

東京都美術館
住所:東京都台東区上野公園8−36
Webサイト:https://www.tobikan.jp/


あなたは
どんな静けさに
心を動かされますか?

映画 エレノアってグレイト。 Eleanor the Great パンフレット チラシ

映画『エレノアってグレイト。』に感動しすぎた理由

〜 人生は、いくつになっても新しい物語を紡げる 〜


今年は、まさかこんなに泣けるとは、と思える映画との出会いが多いように感じているのですが、『エレノアってグレイト。(原題:Eleanor the Great)』もまさにそのひとつでした。

映画『エレノアってグレイト。』予告編

スカーレット・ヨハンソン初監督作品となるこの映画については、実に観る前から期待していました。

世界的スター女優であるスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)が、初監督作でどんな作品を選ぶのだろうと思っていたら、主人公は、若く美しいヒロインでもアクションヒーローでもなく、90代の女性エレノア。
その時点で、何か面白いものを見せてくれるのではないかと感じたのです。

しかし、実際に観てみると、その期待をはるかに超える作品でした。

この映画は”世代をつなぐ友情の物語”と紹介されています。
確かに、そのとおりです。
けれど私にとっては、それだけでは語りきれない作品でした。

物語の中心にあるのは、エレノアが思わずついてしまった一つの嘘。
ですが、それは悪意から生まれたものではありません。

だからこそ私たち観客は苦しくなります。
「それは違うよ」と思いながらも、「でも気持ちはわかる」とも思ってしまう。
そして、その”今日だけのはずだった嘘”は少しずつ大きくなっていきます。

笑いが散りばめられたフィクション映画なのですが、私は途中から、「いつか必ずバレるよね…そのあとはどうなってしまうのだろう…」「どうかもう少しだけ、この時間が続いてほしい、でも…」と、少し不安が混じる気持ちで観ていました。

映画 エレノアってグレイト。 チラシ
映画『エレノアってグレイト。』チラシ

そんな物語の中で印象的だったのが、ユダヤ教のラビ*が語る「ヤコブとエサウ」のエピソードです。
*ラビ(Rabbi):ユダヤ教における宗教的指導者や律法(トーラー)の教育者

双子の兄エサウを出し抜き、父をだましたヤコブ。
けれど聖書は彼を単純な悪人として描きません。
苦しみや葛藤を経ながら成長していく人間として描いています。

”人は善人か悪人かだけでは語れない。嘘も意図によっては悪くはない。”
ラビの言葉は、まるでエレノアそのものを語っているようでした。

この映画は、観客に簡単な答えを与えないからこそ、深く心に残るのかもしれません。

そしてもう一つ、私が涙なしには観られなかった理由があります。
それはホロコーストです。

映画を観ている間、私はエレノアの長き親友ベッシーの回想シーンに強く心を揺さぶられました。

ホロコースト生存者(サバイバー)としての悲しみを語るその姿には、演技を超えた迫力があり、「もしかすると、この女優さん自身も実際にホロコーストを経験したサバイバーなのではないだろうか」と感じたほどでした。

後からパンフレットを読んで、驚くと同時にやはりと納得しました。
私が感じた通り、ベッシーを演じたリタ・ゾーハー(Rita Zohar)自身がホロコースト生存者だったのです。
だから彼女の語りには、演技を超えた重みがあったのでしょう。

ホロコーストはしばしば膨大な犠牲者数とともに語られます。
しかし、ベッシーの物語は、数字ではなく、一人の人生として私の心に届きました。

映画「エレノアってグレイト。」を深く理解するための図解
映画「エレノアってグレイト。」を深く理解するための図解(筆者作成)

さらに本作では、リタ・ゾーハーだけでなく、実際のホロコースト生存者たちも参加しているとのこと。
スカーレット・ヨハンソンは、ユダヤ系のルーツを持つ自身の背景も踏まえながら、ショア財団*やホロコースト生存者のコミュニティの協力を得て、この作品を作り上げました。
*ショア財団(USC Shoah Foundation):第二次世界大戦時のナチスによるホロコースト(ショア)の記憶の継承をする組織

だからこそ私は、この映画から流れてくるものが単なる再現ドラマ的なものではなく、「実際にその時代を生きた人々の記憶」に支えられているように感じたのかもしれません。

と言いつつ、この現代の日本という国で平穏に暮らしている私は、ホロコーストやユダヤ教について詳しい人間ではありません。
けれど、この映画を観て改めて思いました。

過去にあった悲劇を忘れてはならない。
そして、ただ歴史として知るだけではなく、その悲しみを抱えて生きた人たちにせめて気持ちだけでも寄り添いたい。
──と。

何より胸を打たれたのは、この映画は、単なるホロコーストや嘘にまつわる物語として終わらないことです。

エレノアは、ひょんなことから孫ほど歳の離れたニナという友人を持つことになります。
ニナとその父ロジャーは、母であり妻を亡くした悲しみを抱えていました。
そんなニナに寄り添うエレノアだったからこそ嘘も発展し、しかしやがてその嘘もバレてしまうのですが・・・

・・・あとはネタバレになってしまうので、物語の中身についてはこれ以上触れませんが、深いストーリーはさることながら、ニナを演じたエリン・ケリーマン(Erin Kellyman)の演技も素晴らしく、彼女が涙を流すたび、私も涙をこらえることができませんでした。

映画 エレノアってグレイト。 Eleanor the Great パンフレット チラシ
映画『エレノアってグレイト。』のパンフレットとチラシ。パンフレットはジャーナリスト志望の学生であるニナのジャーナルをイメージしたデザインで可愛い。

『エレノアってグレイト。』というタイトルの映画ですが、まさにグレイトづくしでした。

2024年に『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』で93歳で映画初主演を果たして「映画初主演の史上最高齢」を記録し、94歳で再び主演を務めたジューン・スキッブ(June Squibb)。
グラマラスでクールな女優と知られながらも、このテーマに初監督として挑んだスカーレット・ヨハンソン。
そして人生の終盤に差しかかりながらも、新しい友情を育んでいく、物語の主人公エレノア。

彼女たちは皆、「もう遅い」ではなく、「まだこれから」を生きていました。
だから私は、この映画に感動し、励まされたのだと思います。

人生には失うものも、取り返せない過去もあります。
それでも人は、新しい出会いをし、新しい物語を紡いでいくことができる。

私にとって、映画『エレノアってグレイト。』は、自分の中にある喪失感と向き合う気持ちにさせられると同時に、希望を与えてもらえる作品でした。

なお、私がこの映画を観たのはフォーラム仙台にて。
現時点(2026年6月20日)で東北ではフォーラム仙台でしか上映されていませんが、ぜひ多くの方にご覧になっていただけたらなと思う作品です。

✔️『エレノアってグレイト。』上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=eleanor2026


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