チュルリョーニス展 内なる星図 チラシ 図録 クッキー缶

『チュルリョーニス展 内なる星図』で出会ったリトアニア

〜 遠い国の静かな宇宙 〜


国立西洋美術館で開催されている『チュルリョーニス展 内なる星図』へ行ってきました。
(会期:2026年3月28日(土)〜6月14日(日))

正直なところ、私はこれまでチュルリョーニスという芸術家を知りませんでした。
けれど数ヶ月前、私と同じく仙台に住む友人が上野動物園を訪れ、「アート好きなあなたへ」と私のために、この展覧会のチラシを持ち帰ってきてくれたのです。

チュルリョーニス展 内なる星図 チラシ(外面)
国立西洋美術館展覧会『チュルリョーニス展 内なる星図』 チラシ(外面)

そして私は、そのチラシに載っている絵を見た瞬間、「これは好きかもしれない」と直感しました。

チュルリョーニスという芸術家

ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスMikalojus Konstantinas Čiurlionis、1875年9月22日-1911年4月10日)は、バルト三国の一つであるリトアニアを代表する芸術家です。

彼は画家であると同時に作曲家でもあり、音楽絵画という二つの芸術分野で優れた才能を発揮しました。
ワルシャワ音楽院やライプツィヒ音楽院で音楽を学び、多くの楽曲を残す一方、30歳頃から本格的に絵画制作へ取り組み、わずか数年の間に300点以上の作品を生み出しました。

その作品には、星空神話宇宙といったモチーフが繰り返し登場します。
しかし彼が描こうとしたのは単なる風景ではなく、その奥にある精神世界自然の神秘でした。
音楽用語である「ソナタ」や「フーガ」を題名にした連作も多く、絵画と音楽を一つの世界として表現しようとした独創的な芸術家なのです。

生前は必ずしも高い評価を得られませんでしたが、35歳という若さで亡くなった後、その才能は再評価され、現在ではリトアニアの国民的芸術家として広く敬愛されています。
彼の名を冠した美術館や音楽学校も存在し、リトアニア文化を象徴する存在の一人となっています。

チュルリョーニス展 内なる星図 チラシ(中面)
国立西洋美術館展覧会『チュルリョーニス展 内なる星図』 チラシ(中面)

まず、私が初めてチュルリョーニスの作品を観て感じたのは、そこには、静けさと激しさが同時に存在しているということでした。
星や森や海が描かれているのに、それは単なる風景ではなく、どこか心の奥にある宇宙のようにも感じられる。
また、絵を見ているのに音楽を聴いているようで、音楽を聴いているのに風景を眺めているようでした。

チュルリョーニス 《第6ソナタ(星のソナタ):アレグロ》&《第6ソナタ(星のソナタ):アンダンテ》
チュルリョーニス 《第6ソナタ(星のソナタ):アレグロ》&《第6ソナタ(星のソナタ):アンダンテ》

そして驚いたのが、チュルリョーニスが美術史の上でも「抽象絵画の先駆者の一人」として認められるということです。

彼の作品には、山や森、海や星といったモチーフが描かれている一方で、現実の風景をそのまま再現することにはあまり関心がありませんでした。
むしろ彼が描こうとしたのは、音楽の響きや自然の神秘、そして人の内面に広がる精神世界であり、作品は次第に抽象性を帯びていきます。

チュルリョーニスがこうした表現に取り組んでいたのは1900年代初頭。
それは、私たちが美術の教科書で抽象絵画の先駆者であり巨匠として知るカンディンスキーWassily Kandinsky、1866年12月16日-1944年12月13日)やモンドリアンPiet Mondrian、1872年3月7日-1944年2月1日)が本格的な抽象表現へ向かうよりも早い時期だったのです。

Kandinsky《Yellow-Red-Blue》
Wassily Kandinsky《Yellow-Red-Blue》Public domain, via Wikimedia Commons
Mondrian《CompositionⅡ》
Piet Mondrian《CompositionⅡ》Public domain, via Wikimedia Commons

また、チュルリョーニスは油絵のような重厚な絵画だけでなく、本の装丁、絵はがき、楽譜の表紙、リトアニアの伝統的な十字架のデザインなど、現代でいうグラフィックデザインエディトリアル(出版)デザインの仕事も数多く手がけていました。

いわば、彼は、現代の「グラフィックデザイン」や「視覚伝達(ビジュアル・コミュニケーション)」の視点から見ても、驚くほど先進的なアプローチを行っていたクリエイターだったわけです。
このことは、生前は十分に理解されなかった彼の作品が、時代を超えて新たな価値を見出されている理由の一つなのかもしれません。

リトアニアという国とチュルリョーニス

チュルリョーニスが生きた時代にはロシア帝国の支配下にあったリトアニアは、現在、エストニアラトビアと並ぶ「バルト三国」の最南端に位置する国です。

実は私自身、数年前にエストニアを一人旅で訪れており、たいてい旅行本も「バルト三国」でまとめられているので、その時点でリトアニアにはとても興味を持っていました。
その時にはリトアニアまでは行けませんでしたが、私の中ではいつか行きたい国の一つとなっていたので、今回の展覧会が、リトアニア出身の芸術家の作品によるものであると知った時、なおさら惹かれたわけなのです。


さて、リトアニアとはどんな国なのか。

正式名称はリトアニア共和国(英語:Republic of Lithuania、リトアニア語:Lietuvos Respublika)。
面積は約6.5万平方キロメートルと北海道の約8割ほどの大きさです。
人口は約280万人で、日本でいえば大都市レベルの人口規模ですが、ヨーロッパの歴史と文化の中で独自の存在感を持っています。
首都はヴィリニュス(Vilnius)
中世には巨大なリトアニア大公国として栄え、一時はヨーロッパ有数の大国でした。
しかしその後は周辺諸国の支配を受け、19世紀にはロシア帝国、20世紀にはソ連の支配下に置かれるなど、決して平坦ではない歴史を歩んできました。
そして1990年、ソ連からの独立回復を宣言した最初の共和国となり、現在のリトアニアへとつながっています。

リトアニアを語るうえで欠かせないのが自然です。
国土の約3分の1が森林に覆われ、

  • 深い森
  • 湿地
  • 穏やかな丘陵

が広がっています。
北欧の雄大なフィヨルドとは違い、どちらかといえば静かでやわらかな風景です。
リトアニア人文化精神性には、こうした自然との深い結びつきが今も色濃く残っています。

実はリトアニアには、ヨーロッパの中でも少し特別な歴史があります。
キリスト教化されたのが14世紀末と比較的遅く、それまで長く自然信仰や多神教的な世界観が残っていました。
そのため、

  • 太陽
  • 樹木

などを神聖なものとして敬う感覚が、今でも文化や芸術の中に息づいています。

チュルリョーニスの作品に、

  • 宇宙
  • 星々
  • 神秘的な自然
  • 夢のような風景

が多く登場するのも、こうした土壌と無関係ではないでしょう。

また、リトアニアはしばしば「歌う国」とも呼ばれます。
民謡や合唱文化が非常に盛んで、人々は古くから歌によって歴史や文化を受け継いできました。
バルト三国では1980年代後半、ソ連支配からの独立を求める人々が大規模な合唱集会を開きました。
この平和的な独立運動は「歌う革命」と呼ばれています。

音楽が人々の精神的な支えとなってきた国だからこそ、チュルリョーニスのような「画家であり作曲家でもある芸術家」が国民的存在になったのかもしれません。

チュルリョーニス 《ピアノのための交響詩「海」の楽譜 草稿》
チュルリョーニス 《ピアノのための交響詩「海」の楽譜 草稿》
「リトアニア的ではない」と言われた芸術

しかしながら、生前のチュルリョーニスに対しては、「リトアニアらしくない」という批判もあったそうです。
彼の作品は民族衣装や歴史的英雄を描くわけではなく、あまりにも幻想的で象徴的だったからでしょう。

ですが後年、

ここにはどれほどのリトアニア性が込められているだろう!

と評価する声が現れたとのこと。

それはおそらく、チュルリョーニスリトアニアの風景そのものではなく、「リトアニア人が自然や世界と向き合う感覚そのもの」を描いていたからだと思います。

森に漂う霧。
静かな湖面。
果てしない星空。
自然への畏敬と、どこか物悲しい美しさ。

彼の作品には、そうしたリトアニアの精神風土が静かに息づいているように感じられます。

早すぎる死と、妻ソフィヤの存在

チュルリョーニスの人生を知るほどに、私は妻ソフィヤの存在が気になりました。
今回の展示内ではソフィヤのことについて事細かには説明されていませんが、図録やネットなどから私なりに紐解いてみました。

妻のソフィヤ・チュルリョーニエネ=キマンタイテSofija Čiurlionienė-Kymantaitė、1886年3月13日–1958年12月1日)は、単に「天才を支えた献身的な妻」という枠には収まらない、当時のリトアニアの文化・社会をリードした非常に聡明で自立した女性だったということです。

彼女は、美術や演劇を愛し、記者や文芸評論家として働きながら、自らも詩や小説を執筆していた創作者でした。
二人は互いの芸術を理解し合い、共に創作の道を歩もうとしていたといいます。

しかし、その時間はあまりにも短く終わってしまいました。
二人の結婚生活は、チュルリョーニスが精神を病んで入院するまでのわずか1年ほどでした。

チュルリョーニス 《レックス(王)》
チュルリョーニス 《レックス(王)》

オルガン奏者であった父を持つチュルリョーニスが、音楽の才能を開花させるのは幼少の頃ですが、画家としての彼の活動期間は、1903年から1909年までの実質わずか6年ほどでした。
この短い間に、彼は300点以上の絵画作品や無数の楽曲を残しています。
寝る間も惜しんで創作に没頭する一方で、経済的な困窮も重なり、心身は限界を迎えていました。

代表作である大作『レックス(王)』を完成させた1909年の年末には、深刻な燃え尽き症候群(バーンアウト)と深い鬱状態に陥ってしまいます。
精神科医から「極度の精神的・身体的消耗」と診断された彼は、1910年の初めから、ワルシャワ近郊にある「ツェルヴォニ・ドゥヴル(赤い館)」という静かなサナトリウム(療養所)に入院することになりました。

悲劇が起きたのは、翌年1911年の3月末。
体調が良くなってきたため散歩に出かけたところ、運悪く風邪をひいてしまい、それが重い肺炎を併発してしまって、帰らぬ人となってしまったのです。
35歳という若さでした。

けれど彼の芸術はそこで終わりませんでした。
作品を守り、その価値を信じ続けた人がいたからです。

チュルリョーニスが35歳で亡くなったとき、ソフィヤはまだ25歳で、生後数ヶ月の幼い娘ダヌテを抱えていました。
チュルリョーニスと娘が会うことも叶わぬまま、ソフィヤはシングルマザーとなってしまうのです。
過酷な運命に直面した彼女でしたが、そこからの人生でリトアニアの文化に計り知れない貢献を残しました。

このソフィヤの存在を知ったとき、私はチュルリョーニスの物語は一人の天才の物語ではなく、二人で紡がれた物語でもあったのだと感じました。

チュルリョーニス展 内なる星図 チラシ 図録 クッキー缶
国立西洋美術館展覧会『チュルリョーニス展 内なる星図』 図録 チラシ クッキー缶
日本との不思議な縁そして私が感じた縁

生前のチュルリョーニスの評価は、決して高いものばかりではなく、戸惑いや批判の声も少なくなかったというのは、彼の作品は時代を少し先取りしすぎていたからなのかもしれません。

それでも彼は、音楽を奏で、絵を描き、自らの国の文化に貢献しようと創り続けました。
そして彼の死後、妻ソフィヤやその価値を信じた人々が作品を守り続け、やがて時代は彼に追いつきます。
チュルリョーニスリトアニアを代表する芸術家として再評価され、その作品は国の大切な文化遺産となりました。

国立西洋美術館研究員による解説『チュルリョーニス展 内なる星図』(本展覧会場入口でも放映されている動画ですが、展示を観る前と実際に観た後ではまた印象が変わるかもしれません)

さらに興味深いことに、リトアニア独立回復後に企画された大規模回顧展の海外での最初の開催地は、なんと日本だったのです。

今回の展覧会『チュルリョーニス展 内なる星図』のチラシには”祖国リトアニアにおける生誕150周年の祝賀ムードを引き継いで開催される本展は、日本では34年ぶりの回顧展。”と明記されていたので、展覧会に行く前には、「私は10代の時だし知らなかったど、日本でも過去にこの人の展覧会されたことあったのか」程度にしか思っていませんでした。
が、意外にもそれが世界に先駆けてだったとは ──

1992年セゾン美術館で開催された『チュルリョーニス展 ─ リトアニア世紀末の幻想と神秘』
天皇陛下(現:明仁上皇陛下)も鑑賞されたとのこと。
当時、日本で世界初の回顧展が開催された背景には、ソ連から独立したばかりのリトアニアが自国の偉大な文化を世界にアピールしたかったタイミングと、当時の日本の圧倒的なカルチャー発信力、そしてソ連時代からチュルリョーニスを熱心に研究し信頼関係を築いていた日本の専門家たちの情熱が、奇跡的に合致したというドラマがあったのだそうです。

100年以上前に生きた一人の芸術家と、遠く離れた日本。
その不思議な縁に、私は少し心を動かされました。

チュルリョーニス自身は日本を訪れたことがありません。
しかし19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを席巻したジャポニスムの影響は、彼の時代にも及んでいました。

作品の中には、日本美術を思わせる平面的な構成や、余白を活かした空間表現、自然へのまなざしを感じることもあります。
どこか日本人の感性と響き合うものがあるのです。
だからこそ私は、日本で最初の大回顧展が開催されたことを知ったとき、不思議な偶然というより、どこか必然のようにも感じました。

チュルリョーニス 《第5ソナタ(海のソナタ):フィナーレ》
チュルリョーニス 《第5ソナタ(海のソナタ):フィナーレ》(葛飾北斎の《神奈川沖浪裏》を参照したと思われる作品)

そして、私にとっては、友人が何気なく持ち帰ってくれた一枚のチラシから始まった今回の出会い・・・
その先には、一人の芸術家だけでなく、リトアニアという国の歴史や文化、そして日本との意外なつながりが広がっていました。

遠い国の静かな宇宙は、思いがけず私の心の近くまで届いていたのです。

リトアニアを旅するイメージもますます広がり、この展覧会に足を運んだ後も至福に包まれています。
心から、感謝。。。

国立西洋美術館
国立西洋美術館

国立西洋美術館
住所:東京都台東区上野公園7−7
Webサイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/



あなたにも
遠い国から届いた
宝物はありますか?

遠い国から届いた宝物
「トワイライト 新版画 小林清親から川瀬巴水まで」 図録 葉書 クリアフォルダー

古典版画と新版画そして写真『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで』

〜 色褪せない光、そして芸術 〜


東京丸の内の三菱一号館美術館にて開催されていた展覧会『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで 』(会期:2026年2月19日〜5月24日)に、終了間際、滑り込みで訪れることができたのですが、結論から言えば、絵画も写真もどちらも好きな私には「行って本当に良かった」と心から思える素晴らしい展示でした。

三菱一号館美術館 entrance
三菱一号館美術館 入り口

三菱一号館美術館
住所:東京都千代田区丸の内2丁目6−2
Webサイト:https://mimt.jp/


この展覧会は、単なる「美しい版画展」ではありませんでした。
伝統的な浮世絵から新版画へと移り変わる流れと、日本に入ってきたばかりの写真文化が対比されるように展示されていて、

「人はどう光を見つめ、どう風景を表現してきたのか」

そんな視覚表現の変化そのものを体験できる内容だったように思います。

さて、今回の展示タイトルにもなっている小林 清親(こばやし きよちか、1847年9月10日-1915年11月28日)は、明治時代に活躍した浮世絵師です。
江戸から明治へと時代が大きく移り変わるなか、西洋文化写真技術が日本へ流入し、人々の「ものの見方」も大きく変化していきました。
そんな時代に清親は、従来の浮世絵にはあまり見られなかった光と影の表現を積極的に取り入れ、ガス灯に照らされた街並みや夜景、雨景などを描きました。

小林清親 日本橋夜
小林清親《日本橋夜》(一部が撮影可能だった本展覧会で撮った写真)

その作風は「光線画」とも呼ばれ、単に風景を描くだけではなく、光が生み出す空気や時間を表現しようとした点に大きな特徴があります。
そして、その視点は後の新版画へと受け継がれていったということです。

既に清親が活躍していた頃に生まれた、川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年5月18日-1957年11月27日)が描いた夕暮れや雨、雪、夜の風景にもまた、単なる景色の再現ではない、光と空気へのまなざしを見ることができます。
そう考えると、小林清親から川瀬巴水へという流れは、技法の継承というよりも、

「移ろう光をどう表現するか」

という探求の系譜だったのかもしれません。

小林清親川瀬巴水は世代の異なる作家であり、直接的なつながりがあったわけではないようですが、明治という新しい時代の光を描こうとした清親の試みは、確かに、その後の新版画にも通じるものを感じます。

flyer トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで チラシ(表)
三菱一号館美術館展覧会『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで』 チラシ(表)

私が今回観ることが出来た川瀬巴水の作品の中で特に印象的だったのは、《東京十二題 木場の夕暮れ》です。
それはまさに”トワイライト(twilight)”。
日の出前や日没後の空が薄明るい時間帯で、空が美しいグラデーションを見せる幻想的な時。
写真の世界では「マジックアワー」とも呼び、その瞬間を撮影するのが至福の時でもあります。

空から川面へと溶けるように続くグラデーション。
夕暮れ特有の静かな青。
水面に映る柔らかな光。

見ているだけで、ふっと呼吸が深くなるような感覚がありました。

ミュージアムショップでは、ちょうどこの作品がポストカードのみならず、クリアホルダーにもデザインされ販売されていたので、思わず購入してしまったのですが、やはり私にとっては、単なる「グッズ」ではなく、その「感覚を持ち帰りたかった」のだと思います。

「トワイライト 新版画 小林清親から川瀬巴水まで」 図録 葉書 クリアフォルダー
展覧会『トワイライト 新版画 小林清親から川瀬巴水まで』の図録、川瀬巴水東京十二題 木場の夕暮れ》のハガキとクリアフォルダー

また今回、ほんの数点ではありましたが、吉田 博(よしだ ひろし、1876年9月19日-1950年4月5日)の作品を再び見ることができたのも、私にとってはとても嬉しい出来事でした。
以前、川越市立美術館で開催されていた『没後70年 吉田博展』を訪れ、その美しさに深く感動していたからです。

『没後70年 吉田博展』図録 葉書 チケット
過去記事「芸術を満喫する旅で出会えたすごい画家 吉田博」より『没後70年 吉田博展』川越市立美術館)図録、葉書、チケット

山や水辺に差し込む透明な光。
時間によって変化する空気の色。

同じ新版画でも、静かな余韻を描く川瀬巴水と、光そのものを追いかけるような吉田博
その違いもまた、とても興味深く感じました。

版画というと、以前の私はどこか「古典」の世界として見ていた部分がありました。
けれど今回改めて感じたのは、新版画の代表作家である川瀬巴水吉田博たちは、写真を知っている時代の作家だったということ。
カメラという新しい視覚装置が登場した時代に、それでも彼らは版画でしかできない表現へ向かっていったのです。

だからこそ彼らの作品には、

・空気
・湿度
・時間帯
・静けさ
・光の余韻

といった、写真だけではすくいきれない感覚が宿っているのかもしれません。

そして今回、私が特に驚いたのは、幕末から明治期の手彩色写真でした。
まだカラー写真など存在しない時代。
白黒写真の上に、人の手で一枚一枚、繊細に色が重ねられていたのです。
しかも単なる着色ではなく、「どこに色を入れるか」「どこはあえて色を抑えるか」という美意識まで感じられました。

現代ではカラー写真は当たり前です。
でも当時は、光や色をどう感じたかを、人の手で表現していた。
それは記録というより、もはや写真と絵画のあわいに存在する芸術作品でした。

次の画像は、イタリア系イギリス人写真家、フェリーチェ・ベアトFelice Beato、1832年-1909年1月29日)の作品です。

フェリーチェ・ベアト 店先の眺め
フェリーチェ・ベアト《店先の眺め》

ベアトは19世紀を代表する写真家の一人で、世界各地を旅しながら記録写真を撮影し、1863年に来日します。
当時の日本は、長く続いた鎖国を終え、ようやく海外へと門戸を開き始めたばかりの時代でした。

彼は横浜を拠点に、日本の風景や街並み、人々の暮らしを数多く撮影し、その写真を海外へ紹介しました。
現代の私たちにとっても貴重な歴史資料ですが、当時の欧米の人々にとっては、日本という未知の国を知るための「窓」のような存在だったことでしょう。

また、彼が制作した写真アルバムには、職人による繊細な手彩色が施されていました。
その美しい色彩表現は、単なる記録写真を超え、芸術作品としても高く評価されています。

ベアトは異国の風景として日本を見つめていましたが、その眼差しによって残された写真は、結果として近代化以前の日本の姿を今に伝える貴重な記録となりました。

今回の展示を見ていると、当時の写真家たちが光や色彩を追い求めていたこと、また版画家たちも同じように新しい視覚表現を模索していたことが伝わってきます。

本展覧会のチラシの裏面には、

その光だけは、色褪せなかった。

という言葉が書かれていましたが、本当に、その通りだと思います。

時代が変わっても、技術が変わっても、人はずっと、“心に残る光”を表現し続けてきた。
そして、その光は100年以上経った今でも、確かに私たちの心を動かしている。
だからやっぱり、そんな”色褪せない“芸術って、すごい・・・

flyer トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで チラシ(裏)
三菱一号館美術館展覧会『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで』 チラシ(裏)

今回の展示では、三菱一号館美術館所蔵の版画25点に加え、アメリカ・ワシントンD.C.にあるスミソニアン国立アジア美術館が所蔵する版画作品91点、さらに当時の日本の風景や人々の暮らしを記録した同時代の写真34点を合わせた、計150点もの作品が展示されていました。

スミソニアン国立アジア美術館は、アメリカを代表する博物館群であるスミソニアン協会に属する美術館で、日本をはじめとするアジア美術の世界有数のコレクションを所蔵しています。

実は、古典的な浮世絵だけでなく、新版画は、日本国内だけでなく海外でも高く評価され、多くの作品が欧米の収集家や美術館によって大切に保存されてきました。
今回展示されていた川瀬巴水吉田博の作品も、そうした国際的な評価のなかで受け継がれてきたものです。

それは、日本の版画芸術が江戸時代にとどまるものではなく、近代に入っても新たな表現として発展し続けたことを、世界が高く評価してきた証でもあるのでしょう。

日本で生まれた芸術が海を渡り、世界の美術館で守られ、そして再び日本で紹介される。

そんな背景を知ると、今回の展示は単なる版画展ではなく、日本の近代美術が世界の中でどのように愛されてきたのかを知る機会でもあったように思います。

スミソニアン国立アジア美術館
National Museum of Asian Art)
Webサイト:https://asia.si.edu/

※本展で紹介された作品の多くは、米国ワシントンD.C.のスミソニアン国立アジア美術館(National Museum of Asian Art)所蔵。Googleマップ上では東館「Arthur M. Sackler Gallery(アーサー・M・サックラー・ギャラリー)」の名称で表示される場合があります。なお、西館は「Freer Gallery of Art(フリーア・ギャラリー・オブ・アート)」です。


ちなみに、先に写真を載せましたが、『トワイライト、新版画 小林清親から川瀬巴水まで』の図録は、展覧会図録としては珍しいサイズの冊子でした。
初め目にした時は、こんな小さいの?と思いましたが、180°きれいに開くコデックス装で綴じられており、そのサイズ感は意外と見やすくて、装丁も素敵で気に入りました。

この出版社である青幻舎より紹介動画がアップされていましたので、埋め込みさせていただきます。
興味のある方は参考になさってください。

トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで』図録

あなたは
どんな光を
心の中に残していますか?

トワイライトのイメージイラスト

宇都宮 アート旅 Day 1

25周年記念展開催中「宇都宮美術館」と自然に癒される「うつのみや文化の森」


この数年、毎年訪れている栃木県宇都宮市。
例年訪れるのは、私が過去に勤めていた職場でパワハラにより自死してしまった方を弔うためなのですが、”このご縁”と言ってしまうのも複雑な想いはあるものの、亡くなった方のご両親が私と同じくアート好きなことや、不思議にも他にもいろいろと共通し想いを共にできる部分があり、結ばれるがゆえにして結ばれたような、心地よい関係性によって、命日前後で、ほぼ1日を一緒に過ごさせていただくというお付き合いが続いています。

今年(2022年)は、私が引越しと仕事とで落ち着かないでいたこともあり、命日から2ヶ月遅れではあるのですが、故人の月命日に合わせ、宇都宮を訪れました。

宇都宮駅西口

だいぶ規制は緩んできていますが、未だコロナ禍であることには変わりなく、宮城県を出たのは今年2回目。
私にとって貴重な遠征。せっかくなので、1泊してきました。
その2日間はアート一色で、とても充実の休日となりました。

宇都宮美術館

1日目、一人でゆっくりと訪れた、初めての宇都宮美術館
そこは、宇都宮駅付近の喧騒から離れ、森の中に佇んでいます。

宇都宮美術館 エントランス
北庭には、ポップアートの巨匠、彫刻家クレス・オルデンバーグによる巨大な作品「中身に支えられたチューブ」がある

宇都宮美術館はずっと気になっていたのですが、昨年の宇都宮訪問の際に、今年こそ行こうと思った時には、改修工事が始まってしまっていて。
その大規模改修工事が終わって今年の9月末、1年2ヶ月ぶりに再オープンされたばかりで、ちょうど開館25周年ということで開催されていたのが「宇都宮美術館開館25周年記念 全館コレクション展 これらの時間についての夢」と題された企画展。

宇都宮美術館開館25周年記念 全館コレクション展 これらの時間についての夢」チラシ 見開き表 (画像をクリックするとPDF画面が開きます)
宇都宮美術館開館25周年記念 全館コレクション展 これらの時間についての夢」チラシ 見開き中(画像をクリックするとPDF画面が開きます)

想像していた以上に良かったです。
宇都宮美術館の収蔵品、一見の価値あるものばかり・・・
とても見応えがありました。

展示室の入り口
展示会場図 宇都宮美術館は独特の形状をした建築物
第1章は宇都宮美術館がオープンしてからの企画展のポスターがズラリ。面白ろそうな企画ばかり。
一部のインスタレーションが撮影可能
大巻伸嗣氏による岩絵具によって花々を描き出す作品『Echoes-Infinity』シリーズの新作
力石咲氏による編む、ほどくといったことで表現されるインスタレーション
髙橋銑氏の写真によるインスタレーション作品

ところで、宇都宮美術館といえば、ナニか、あなたはご存知ですか?
恥ずかしながら、実は、この時まで知らずだった私・・・
美術の教科書にも載っている、誰もが知る世界的有名作品ルネ・マグリットの「大家族」、初めて実物を見ました。感動。

宇都宮美術館所蔵作品図録の最新版に掲載されているルネ・マグリット大家族

この名作を、宇都宮美術館がオープン当初、6億円で購入したことで物議をかもしたとのことで。
でも、それを知らなかった私でしたので、思いがけずこの目で間近に見ることができ、とても嬉しかったです。
会場を一周した後も、この作品前に戻ってじっくり拝見しました。

開館25周年記念出版 宇都宮美術館所蔵作品選 doors: the collection 1997-2022」(宇都宮美術館最新図録)は、カバー付きで、シンプルながら素敵な装丁。260頁程で、見やすくデザインされていながらも説明が丁寧で中身が濃い図録。

ご紹介した通り、今回も図録を購入してきました。図録もとても見応えあり、アート好きなら絶対に興味津々で見入るはずとは思いますが、やはり、作品そのものを生で見るに越したことはありません。言うまでもないですが、素晴らしい作品だからこそ。

この「宇都宮美術館開館25周年記念 全館コレクション展 これらの時間についての夢」展示は2023年1月15日(日)まで開催されています。
古典的なものから、現代アートまでバラエティに富んでいるので、アート好きはもちろん、それほどでもないという方にもアートについて新しい発見をされるであろう、とても楽しめる内容だと思いますので、オススメします。

静かな森に囲まれている宇都宮美術館

また、宇都宮美術館は森の中にあり、「うつのみや文化の森」という整備された公園が広がっているので、休日を過ごすには最適です。

宇都宮美術館の外側

私も、美術館と公園で、丸一日をここで過ごしました。
この日は天気も良く、秋の森林浴がとても気持ちよかったです。

広い森の中には散策路があり、静かな時間を過ごすことができる。

宇都宮美術館の北庭にあるオルデンバーグの作品に加え、広場には2点の彫刻作品があります。

イタリアの画家で彫刻家のサンドロ・キアハートを抱く片翼の天使

次が、髙橋銑氏による今回のインスタレーション展示のモチーフになっていた彫刻作。
この作品の周りには常に人がいました。

ウサギをモチーフにした作品で知られるイギリスの彫刻家バリー・フラナガンの「ホスピタリティー

散策を楽しむ人、ランニングしている人、バドミントンをするファミリー、ゆったりと読書をして過ごす人、音楽を奏でる人・・・
安らぐ自然の中、それぞれが思い思いに豊かな時間を過ごしていました。


そして、私はといえば、ところどころ、紅葉が美しくて、写真撮影するのに夢中になり。


儚い落ち葉のカサカサという音にも癒され。


日が落ちかける頃までの時間を過ごしてしまいました。


お天気にも恵まれたこの日、訪れて、本当に良かった。
穏やかで豊かな時間を得られたことに、心から感謝です。


宇都宮美術館およびうつのみや文化の森は、宇都宮駅から車で20分くらい。
バスも1時間に1・2本ですが、美術館行きが出ているので、不便ということはないです。
美術館にはカフェもありますが、お弁当を持って出かけるのも良いですね。
ゆっくりとお時間を取って行かれることをお勧めします♪

宇都宮美術館

 住所:
  〒320-0004 栃木県宇都宮市長岡町1077

 開館時間:
  午前9時30分~午後5時
  (入館は午後4時30分まで)

 休館日:
  毎週月曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)
  祝日の翌日(土日、祝日の場合は開館)

 WEBサイト:http://u-moa.jp/

うつのみや文化の森は開かれた公園なので、24時間OKです


あなた自身の
これからの時間について
夢はありますか?