仙台に生まれ、愛した故郷を描き続けた日本画家

私の祖父で日本画家だった浅野紫露 ( Shiro Asano ) の作品を公開しています。
本名は浅野四郎(あさのしろう)、宮城県仙台市に生まれ、後に名取市閖上(ゆりあげ)を故郷として愛し、白鷺をはじめとする自然の姿を数多く描きました。



浅野紫露(本名:浅野四郎)「白に舞う」。雪景色の中を舞う二羽の白鷺を描いた日本画作品。

白に舞う
A Dance in White

雪景色の中を舞う二羽の白鷺を描いた作品です。
(内閣総理大臣賞受賞)



浅野紫露(本名:浅野四郎)「冬葦」 東北地方太平洋沿岸に位置する、閖上の浜辺の冬景色を描いた作品。

冬葦
Winter Reeds

東北地方太平洋沿岸に位置する、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の浜辺の冬景色を描いた作品です。
(文部大臣奨励賞受賞)



浅野紫露(本名:浅野四郎)「旅立ち(鷺)」 羽ばたく2羽の白鷺を描いた日本画作品

旅立ち(鷺)
Taking Flight: White Herons

名取市立閖上小学校に寄贈した作品で、長年同体育館に掲示され、多くの卒業生を見送ってきました。
(市民功労賞受賞)



浅野紫露(本名:浅野四郎)「広浦」 作者の故郷である宮城県名取市閖上(ゆりあげ)にある潟湖の広浦(ひろうら)を描いた日本画作品。

広浦
Hiroura Lagoon

「広浦(ひろうら)」は、作者の故郷である閖上にある潟湖で、白鷺の姿をよく見かける場所でした。



浅野紫露(本名:浅野四郎)「望郷」 流木と浜昼顔そして猛禽が舞う閖上の浜を描いた作品

望郷
Bokyo
(Longing for Home)

閖上の浜辺を描いた作品。
他の作品に描かれた白鷺が故郷そのものを象徴しているとしたら、この猛禽は遠くから故郷を見守る魂や視点のようにも見えます。



浅野紫露(本名:浅野四郎)「あおい砂丘」 月夜に青く染まる閖上の海岸砂丘を描いた作品。震災以前の松林が生い茂った風景。

あおい砂丘
Aoi Sakyu
(The Blue Dunes)

月夜に青く染まる閖上の海岸砂丘を描いた作品。
松林が生い茂った風景は、東日本大震災以前に見られたものです。



浅野紫露(本名:浅野四郎)「濱狭霧」 霧の立ちこめる浜辺を描いた作品

濱狭霧
Hamasagiri
(Morning Mist by the Shore)

「狭霧(さぎり)」とは、古くから日本で使われてきた、朝夕に立ちこめる霧や霞を表す言葉です。



浅野紫露(本名:浅野四郎)「爽涼」 鮮やかに咲いた朝顔と黒鳳蝶を描いた作品

爽涼
Soryo
(Refreshing Coolness)

「爽涼(そうりょう)」とは、暑い季節の中で感じる爽やかで心地よい涼しさ。
そんな季節の空気感を描いた作品です。



浅野紫露(本名:浅野四郎)「華」 壮麗な菊の花々を描いた日本画作品


Hana
(Floral Splendor)

菊は桜と並ぶ日本の国花。
壮麗に輝いて咲き誇るその花々を描いた作品です。
(名取市立閖上中学校へ寄贈)



浅野紫露(本名:浅野四郎)「弥生の頃」 春の月を背景に咲き誇る枝垂れ桜を描いた日本画作品。

弥生の頃
Season of Yayoi
(In the Time of Blossoms)

「弥生(やよい)」は旧暦三月の呼び名で、「草木がいよいよ生い茂る季節」を意味し、冬を越えた命が再び息づき始める春の季節を表す、日本の美しい古語です。



浅野紫露(本名:浅野四郎)「惜春」 満開に咲いた桜の花びらが舞い散る様子を描いた日本画作品

惜春
Sekishun
(The Passing of Spring)

「惜春(せきしゅん)」とは、過ぎゆく春を惜しむこと。
桜が満開だから春を喜ぶのではなく、もうすぐ終わってしまうという気持ちが含まれています。
「弥生の頃」が春の到来なら、「惜春」は春との別れを描いています。
(日本弁護士連合会会館へ寄贈)



浅野紫露(本名:浅野四郎)「蔵王連峰(私冬)」 白く染まる蔵王連峰、東北の冬の厳しさと荘厳さを描いた日本画作品

蔵王連峰(私冬)
The Zao Mountain Range in Winter

蔵王連峰は、宮城県と山形県の県境に広がる雄大な山岳地帯で、冬になると雪と氷で樹木が覆われます。
そんな東北の冬の厳しさと荘厳さを描いた作品です。
(名取市文化会館へ寄贈、市民功労賞受賞)



浅野紫露(本名:浅野四郎)「生きる」 枯木の静けさと紅葉の輝きが織りなす、生命への讃歌を描いた日本画作品

生きる
To Live

生と死、衰退と再生が交錯する森の姿を通して、生命の尊さを表現した作品です。
(名取市役所へ寄贈)



浅野紫露 略歴
浅野紫露(本名:浅野四郎)
(本名:浅野四郎)

1917      7月15日、宮城県仙台市生まれ
1932      田中頼璋(帝展審査員)及び牛嶋紅璋に内弟子として入門
1933      第1回グループ麗日社展に出品(菜園−50号)
1940-45 青龍社研究所に入所、川端龍子に師事
1946-48 東京美術研究所に入所、研究科修了後同校講師
1947-52 玉村方久斗、土味川独歩と日本画人連盟の創立に参加、第1回展を東京都美術館にて開催、画人展賞受賞、以後5回展まで出品
1952-70 無所属
1971-78 銀座、新宿にて個展、グループ展を毎年開催
1972      新美術協会展に出品後各賞受賞
1975      西ドイツ文化協会の招待によりドイツ、オランダ、スイス等にて巡回展を開催
1979      第26回新美術協会展出品作(生きる−100号)名取市市役所に寄贈、市民功労賞を授与される
1979      芹沢光治良著「苦悩多き日々に」(広論社発行)表紙絵を描く
1980      楠本憲吉著「話の散歩道」(日本図書館協会選定図書、広論社発行)表紙絵を描く
1981      第28回新美術協会展出品作(私冬−200号)名取市体育館落成祝に寄贈、市民功労賞を授与される
1982      楠本憲吉氏と二人展(グランドパレス梅の間)
1982      第29回新美術協会展出品作(冬葺−100号)文部大臣奨励賞を受賞
1985      第32回新美術協会展出品作(花菖蒲−六曲半双屏風)読売新聞大阪本社賞受賞
1985      この年まで毎年朝日新聞厚生文化事業団主催一流美術家と名士作品展に出品(社会福祉のため)
1987      第32回新美術協会展出品作(花菖蒲−六曲半双屏風)直方市建設業組合より買上、直方市市役所新築落成記念として寄贈、感謝状を授与される
1987      この年まで毎年朝日新聞大阪・名古屋、読売新聞大阪・名古屋、毎日新聞大阪・名古屋、西部厚生文化事業団主催の歳末助け合い各界名士書画工芸作品展に出品
1988      第34回新美術協会展出品作(旅寸ち−100号)名取市立閖上小学校に寄贈、市民功労賞を授与される
1989      第35回新美術協会展出品作(白に舞う−六曲半双屏風)内閣総理大臣賞受賞
1989      板橋区立美術館開館10周年記念招待出品(月下美人−50号)
1993      第40回新美術協会展出品作(溪−奥入瀬−六曲半双屏風)創立40周年記念大賞受賞
1993・95 NHK厚生文化事業団及びサロン・デ・ボザール主催チャリティ展出品
1995      読売新聞大阪文化事業団主催、阪神大震災救援チャリティ展出品
1996      第42回新美術協会展出品作(惜春 桜花−150号)日本弁護士連合会会館に寄贈
1997      第43回新美術協会展出品作(華 菊花−100号)名取市立閖上中学校創立50週年記念を祝し寄贈、感謝状を授与される
1997      第40回新美術協会展出品作(溪−奥入瀬−六曲半双屏風)千葉県市原市役所に寄贈、感謝状を授与される
2001      6月6日永眠(83歳)

日本美術家連盟会員、新美術協会理事長・常任審査員