〜 映像の奇跡を支えた、創り手たちの物語 〜
「いつか、もう一度この作品を観たい。願わくば、ソフトを手元に置いておきたい。」
そんな願いを抱き続けてきた映画があります。
ターセム・シン監督の『落下の王国(原題:The Fall)』です。
映画『落下の王国』は、1920年代の病院を舞台に、心に傷を負った青年ロイと、幼い少女アレクサンドリアが紡ぐ幻想的な物語です。
現実と空想が交錯しながら描かれる壮大な世界は、美しい映像と芸術性によって、多くの映画ファンを魅了し続けています。
私自身も、この映画のオリジナル版公開当時、不思議な展開を繰り広げる物語と圧倒的な芸術美、そして世界そのものを旅するような、これまでにない感覚に感動を覚えたのです。
しかし、その後はソフトの入手も難しくなり、「もう二度と最高の状態で観ることはできないのかもしれない」と思った時期もありました。
それが時を経て4Kデジタルリマスター版として劇場公開され、さらに今回、4K UHD & Blu-rayを手にすることができました。
映画館で再びあの世界に出会えたことだけでも十分幸せでしたが、特典映像まで含めて作品の背景に触れられたことは、私にとってもう一つの大きな喜びでした。
大好きなこの映画については、既に2回ほど記事にしているので、今回はこれまでと異なる視点で綴ろうと思います。
未来を信じて撮られた映画
特典映像の中で、ターセム・シン(Tarsem Singh)監督は印象的な言葉を語っていました。
この作品は長く観られる映画になると思った。
だから高画質で撮影した。
『落下の王国』が2006年に初公開された頃は、一般的な撮影カメラとして4Kが存在していたわけではありません。
CGに頼らず24か国以上・13の世界遺産で実景撮影するというターセム監督のこだわりから、当時最高峰の35mmフィルムで撮影されていたのです。
しかし当時、その価値を理解し、買い手になってくれる人はほとんどいなかったそうです。
その言葉を聞きながら、私は20年という歳月の重みを思いました。
今こうして4Kという最高の形で作品が蘇り、多くの人がその美しさに改めて驚いています。
監督が信じ続けた未来が、ようやく現実になったのです。
世界を彩った、日本人デザイナー
『落下の王国』の魅力を語る上で欠かせない存在が、衣装デザインを担当した故・石岡瑛子さんです。
石岡瑛子(いしおかえいこ、1938年7月12日-2012年1月21日)さんは、2012年に惜しまれつつ世を去った世界的クリエイターです。
1970年代の広告史に革命を起こしたのち世界に羽ばたいた彼女は、ジャンルを超えて驚異的な足跡を遺しました。
ジャズの帝王マイルス・デイヴィスのジャケットデザインでグラミー賞を、映画『ドラキュラ』でアカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞。
さらにはソルトレイクシティ冬季五輪の競技ウェアやシルク・ドゥ・ソレイユの舞台衣装、そして北京五輪開会式のコスチューム・ディレクションにいたるまで、まさに世界を舞台に多才なメダリストとして極め続けた、唯一無二の表現者です。
『落下の王国』という物語の世界に登場する衣装は、単に美しいだけではありません。
色彩、造形、文化、象徴性 ──
一つひとつがまるで芸術作品のような存在感を放ち、ターセム監督が描く幻想世界を現実のものとして支えています。
世界中のロケーションと石岡さんの衣装が重なり合うことで、『落下の王国』にしか存在しない映像世界が生まれました。
ターセム監督が「女神」と崇めた彼女のデザインは、単なる衣装の枠を超え、映画の色彩や世界観そのものを支配する圧倒的なパワーを放ち、4Kリマスターでより鮮烈に蘇るその造形美は、今見ても全く色褪せることのないタイムレスな輝きに満ちています。
日本人として、この作品に石岡瑛子さんが携わっていたことを改めて誇らしく感じます。
ロイとアレクサンドリアが教えてくれたこと
そして、もう一つ心を動かされたのが、ロイ役のリー・ペイス(Lee Pace)と、アレクサンドリア役のカティンカ・アンタルー(Catinca Untaru)の撮影秘話でした。
幼いカティンカちゃんにとって、ロイは本当に足の不自由な青年でした。
その自然な感情を大切にするため、リー・ペイスは撮影中、その設定を守り続けたのです。
…さて、これがどういう意味か、『落下の王国』ファンにはよく知られた裏話ですが、ご存知ない方も多いかと思いますので、簡単に説明しますね。
当時6歳だったカティンカの純粋な輝きを引き出すため、ターセム監督は現場でひとつの「優しい嘘」を仕掛けました。
それは、主人公ロイを演じるリー・ペイスが「現実でも本当に足が不自由である」と信じ込ませること。
病院でのシーン撮影中、リーは常に車椅子で過ごしており、なんと、カティンカだけでなく周囲のスタッフも含めて、そんな嘘をずっと突き通したそうです。
『落下の王国』が現実と空想が交錯しながら描かれた物語であれば、その映画の創造もまた、現実のスタジオと物語の境界線が曖昧な中で紡がれたからこそ、この作品は嘘偽りのない輝きを放っているのだと感じます。
映画の中で二人が交わす眼差しや表情には、演技という言葉だけでは表せない、本物の信頼関係が映し出されています。
4Kの高画質で観る彼女の瞳は、その純粋さがより一層クリアに伝わってきて、何度観ても目頭が熱くなります。
映像の美しさに目を奪われがちな作品ですが、その奥には、俳優たちの誠実さと創り手たちの細やかな配慮が息づいていました。
奇跡は、見えない時間の積み重ねから生まれる
さて、この映画は約2時間です。
けれど、その2時間のために費やされた時間は、何年にも及びます。
世界各地でのロケーション撮影。
唯一無二の衣装制作。
俳優たちの献身。
そして、「いつかきっと、この作品は長く愛されるものになる」と信じ続けた監督の想い。
完成した映画だけを観ていると、費やされてきたその膨大な時間や努力を忘れてしまいそうになります。
だからこそ特典映像を観た今、私は以前よりもさらに、この作品を大切に思うようになりました。
『落下の王国』は、美しい映画です。
でも、それ以上に ──
創ることを信じ続けた人たちの物語でもあるのだと感じています。



