カール・ヴァルザー展 チラシ 図録

スイスの異才?知らない画家だからこそ、出会えた展覧会

〜 “カール・ヴァルザーとは何者か?”その問いに惹かれて 〜


少し前のことになってしまいますが、今年5月に一泊二日で東京へ美術館巡りに行ってきた時のこと。
一番の目的は上野にて、東京都美術館では『アンドリュー・ワイエス展』国立西洋美術館では『チュルリョーニス展』が開催されていて、その展示を観ることでした。
さらに、会期終了が近づいていた三菱一号館美術館『トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで』も、この機会にぜひ観ておきたいと思い、ここまでは、迷うことなく予定に入れていました。

すでに記事にした通り、チュルリョーニスもそれまで私にとっては全く知らない画家でした。
それでも展覧会のチラシを見た瞬間、「この作品は好きかもしれない」と感じ、不思議と迷いはありませんでした。
一方で、今回取り上げる画家についてはと言いますと…


私の住む仙台から東京へは、新幹線で2時間前後で行くことができます。
都内で3つの美術展を観るなら日帰りで行くのも不可能ではないのですが、だいぶ忙しなくなり、体力も消耗します。
一泊しようか、でもどうせ一泊するなら、さらに一つくらい展覧会を加えようかな。
そう考え、都内の美術展情報をチェックしてみたところ、東京ステーションギャラリー『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』という展覧会が開催されているということがわかり、そこから目と鼻の先にある三菱一号館美術館に行くことは決めていたから、ちょうど良いかもしれないと思いました。

東京ステーションギャラリー カール・ヴァルザー展 チラシ(表面)
東京ステーションギャラリー展覧会『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』チラシ(表面)

ただ、WEBで作品を見た第一印象では、「嫌いではない。でも、ものすごく惹かれるというわけでもない。」というのが正直なところで、チュルリョーニスの時ほど、「ぜひ観に行きたい!」と強くは思わなかったのです。

けれど、

日本初の回顧展

という言葉が目に留まりました。
そして、そのチラシの裏面には大きく、

カール・ヴァルザーとは何者か?

という問いが掲げられていました。

カール・ヴァルザーという画家については、彼の母国スイスでは再評価が進んでいるものの、日本ではほとんど知られていません。
だからこそ、「今見逃したら、次はいつ出会えるかわからない。」
そんな思いが背中を押し、予定に加えることにしたのです。

結果、この展覧会も行って、本当によかったです。
もちろん、チュルリョーニスほど直感的な衝撃を受けたわけではありません。
ワイエスのように以前から憧れていた画家でもありません。
それでも、知らなかった画家だからこそ、新鮮な気持ちで作品と向き合うことができました。

東京ステーションギャラリー カール・ヴァルザー展 チラシ(裏面)
東京ステーションギャラリー展覧会『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』チラシ(裏面)

カール・ヴァルザー(Karl Walser、1877年4月8日-1943年9月28日)は、スイス出身の画家です。
油彩や水彩による絵画にとどまらず、挿絵や装幀、舞台・衣装美術、壁画など、幅広い分野で才能を発揮しました。
今回の展覧会も、「絵画と素描」「日本滞在」「挿絵と装幀」「舞台美術」の四つの章から、その多彩な活動をたどる構成となっていました。

現在では、スイスを代表する作家ローベルト・ヴァルザーRobert Walser、1878年4月15日-1956年12月25日)の兄として紹介されることも多いようですが、20世紀初頭には弟よりも有名な芸術家だったのです。
しかし、その後は次第に語られる機会が少なくなり、日本では長らく、その全貌を知ることのできない芸術家となっていたということです。
(ちなみに、当ブログで人物名称に張っているリンク先はWikipediaですが、カールの内容はローベルトよりはるかに少ないことからも、その知名度の違いがわかります)

そんなカール・ヴァルザー日本初の回顧展かつ出品作全てが日本初公開とあらば、やはり大変貴重な機会です。
(後述しますが、本展は東京での展示は終了してしまいましたが、現在大阪で開催中です)

作品からは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパ芸術の空気が静かに伝わってきます。
象徴主義やアール・ヌーヴォーを思わせる幻想的な作品。
繊細な色彩。
そして、挿絵や舞台美術まで手がけたという多才さ。
決して派手ではないものの、どこか心に残る余韻のある作品ばかりでした。

特に興味深かったのは、日本との意外なつながりです。
1908年、カール・ヴァルザーは日本を訪れ、数ヶ月間滞在し各地を旅しています。
宮津や京都では歌舞伎役者や市井(しせい)の人々の姿を描き、美しい水彩画も数多く残しました。

120年以上前、日本を訪れた一人のスイス人画家が見つめた風景。
しかし、その存在は長年見過ごされていた。
その作品を、今こうして日本で見ることができる。

そんな不思議な時間のつながりも、この展覧会ならではの魅力でした。

東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリー入口

美術館へ行く理由は、人それぞれだと思います。
好きな画家だから。
話題になっているから。
会期が終わってしまうから。
あるいは、私のように、「今しか出会えないかもしれない。」そんな理由もあるでしょう。

今回の東京旅行では、四つの展覧会を巡りました。
それぞれ、足を運んだ理由は違いました。
でも振り返ってみると、その中で最も「未知との出会い」を感じたのは、このカール・ヴァルザー展だったように思います。
有名だから価値があるのではなく、まだ知らない作品と出会えることにも、美術館へ行く喜びがあるのだと改めて感じました。

カール・ヴァルザー展 チラシ 図録
東京ステーションギャラリー展覧会『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』チラシと図録

図録の最後には、展示では紹介しきれなかったカール・ヴァルザーの世界が、美しい写真とともに詳しい説明でまとめられていました。

ゆかりの地。
日本で過ごした宮津。
そして、スイス各地に今も残る壁画。

実は、私が最も心を動かされたのは、この壁画でした。
もちろん展示会場でも写真や映像で紹介されていました。
しかしながら、壁画です。
当然、本物はスイスにあり、今回の展覧会で実物を目にすることはできませんでした。

以前フランスを旅行したとき、スイスまで足を延ばしたいと思いながら叶わなかったことがあります。
しかしあの頃の私は、まだカール・ヴァルザーという画家を知りませんでした。
だから当然、「彼の壁画を見に行こう」と考えることもありませんでした。
でも今なら違います。

もし今度こそスイスを訪れる機会があるなら、ぜひ、自分の目でカール・ヴァルザーの壁画を見てみたい…
いや、やはりスイスは行かなきゃ。
そして絶対に、カール・ヴァルザーの壁画をこの目で見よう。

そう心に決めたのです。
一つの展覧会との出会いが、いつか訪れたい場所まで増やしてくれました。

大阪中之島美術館 カール・ヴァルザー展 チラシ
大阪中之島美術館展覧会『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』チラシ(画像クリックでPDF画面が開き拡大できます

なお、『スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー』展は、現在(2026年7月25日)大阪中之島美術館にて開催されています。会期は2026年9月27日まで。
日本での巡回は、終了してしまった東京と現在開催中の大阪のみです。
大阪近辺にお住まいの方、そうでなくても気になる方は、この貴重な機会をお見逃しなく。

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『落下の王国』4K UHD & Blu-ray

ようやくこの手に『落下の王国』4K UHD & Blu-ray

〜 映像の奇跡を支えた、創り手たちの物語 〜


「いつか、もう一度この作品を観たい。願わくば、ソフトを手元に置いておきたい。」
そんな願いを抱き続けてきた映画があります。

ターセム・シン監督『落下の王国(原題:The Fall)』です。

映画『落下の王国』は、1920年代の病院を舞台に、心に傷を負った青年ロイと、幼い少女アレクサンドリアが紡ぐ幻想的な物語です。
現実と空想が交錯しながら描かれる壮大な世界は、美しい映像と芸術性によって、多くの映画ファンを魅了し続けています。

私自身も、この映画のオリジナル版公開当時、不思議な展開を繰り広げる物語と圧倒的な芸術美、そして世界そのものを旅するような、これまでにない感覚に感動を覚えました。
しかし、その後はソフトの入手も難しくなり、「もう二度と最高の状態で観ることはできないのかもしれない」と、口惜しい気持ちでいたのです。

それが時を経て4Kデジタルリマスター版として劇場公開され、さらに今回、4K UHD & Blu-rayを手にすることができました。
映画館で再びあの世界に出会えたことだけでも十分幸せでしたが、特典映像まで含めて作品の背景に触れられたことは、私にとってもう一つの大きな喜びでした。

大好きなこの映画については、既に3回ほど記事にしているので、今回はこれまでと異なる視点で綴ろうと思います。

未来を信じて撮られた映画

特典映像の中で、ターセム・シン(Tarsem Singh監督は印象的な言葉を語っていました。

この作品は長く観られる映画になると思った。
だから高画質で撮影した。

『落下の王国』が2006年に初公開された頃は、一般的な撮影カメラとして4Kが存在していたわけではありません。
CGに頼らず24か国以上・13の世界遺産で実景撮影するというターセム監督のこだわりから、当時最高峰の35mmフィルムで撮影されていたのです。

しかし当時、その価値を理解し、買い手になってくれる人はほとんどいなかったそうです。
その言葉を聞きながら、私は20年という歳月の重みを思いました。

今こうして4Kという最高の形で作品が蘇り、多くの人がその美しさに改めて驚いています。
監督が信じ続けた未来が、ようやく現実になったのです。

世界を彩った、日本人デザイナー

『落下の王国』の魅力を語る上で欠かせない存在が、衣装デザインを担当した故・石岡瑛子さんです。

石岡瑛子(いしおかえいこ、1938年7月12日-2012年1月21日)さんは、2012年に惜しまれつつ世を去った世界的クリエイターです。
1970年代の広告史に革命を起こしたのち世界に羽ばたいた彼女は、ジャンルを超えて驚異的な足跡を遺しました。
ジャズの帝王マイルス・デイヴィスのジャケットデザインでグラミー賞を、映画『ドラキュラ』でアカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞。
さらにはソルトレイクシティ冬季五輪の競技ウェアやシルク・ドゥ・ソレイユの舞台衣装、そして北京五輪開会式のコスチューム・ディレクションにいたるまで、まさに世界を舞台に多才なメダリストとして極め続けた、唯一無二の表現者です。

『落下の王国』という物語の世界に登場する衣装は、単に美しいだけではありません。
色彩、造形、文化、象徴性 ──
一つひとつがまるで芸術作品のような存在感を放ち、ターセム監督が描く幻想世界を現実のものとして支えています。
世界中のロケーションと石岡さんの衣装が重なり合うことで、『落下の王国』にしか存在しない映像世界が生まれました。

ターセム監督が「女神」と崇めた彼女のデザインは、単なる衣装の枠を超え、映画の色彩や世界観そのものを支配する圧倒的なパワーを放ち、4Kリマスターでより鮮烈に蘇るその造形美は、今見ても全く色褪せることのないタイムレスな輝きに満ちています。

日本人として、この作品に石岡瑛子さんが携わっていたことを改めて誇らしく感じます。

映画『落下の王国 4Kデジタルリマスター』予告編
ロイとアレクサンドリアが教えてくれたこと

そして、もう一つ心を動かされたのが、ロイ役のリー・ペイス(Lee Pace)と、アレクサンドリア役のカティンカ・アンタルー(Catinca Untaru)の撮影秘話でした。

幼いカティンカちゃんにとって、ロイは本当に足の不自由な青年でした。
その自然な感情を大切にするため、リー・ペイスは撮影中、その設定を守り続けたのです。

…さて、これがどういう意味か、『落下の王国』ファンにはよく知られた裏話ですが、ご存知ない方も多いかと思いますので、簡単に説明しますね。

当時6歳だったカティンカの純粋な輝きを引き出すため、ターセム監督は現場でひとつの「優しい嘘」を仕掛けました。
それは、主人公ロイを演じるリー・ペイスが「現実でも本当に足が不自由である」と信じ込ませること。
病院でのシーン撮影中、リーは常に車椅子で過ごしており、なんと、カティンカだけでなく周囲のスタッフも含めて、そんな嘘をずっと突き通したそうです。

『落下の王国』が現実と空想が交錯しながら描かれた物語であれば、その映画の創造もまた、現実のスタジオと物語の境界線が曖昧な中で紡がれたからこそ、この作品は嘘偽りのない輝きを放っているのだと感じます。
映画の中で二人が交わす眼差しや表情には、演技という言葉だけでは表せない、本物の信頼関係が映し出されています。
4Kの高画質で観る彼女の瞳は、その純粋さがより一層クリアに伝わってきて、何度観ても目頭が熱くなります。

映像の美しさに目を奪われがちな作品ですが、その奥には、俳優たちの誠実さと創り手たちの細やかな配慮が息づいていました。

『落下の王国』4K UHD & Blu-ray
映画『落下の王国』4K UHD & Blu-ray
奇跡は、見えない時間の積み重ねから生まれる

さて、この映画は約2時間です。
けれど、その2時間のために費やされた時間は、何年にも及びます。

世界各地でのロケーション撮影。
唯一無二の衣装制作。
俳優たちの献身。
そして、「いつかきっと、この作品は長く愛されるものになる」と信じ続けた監督の想い。

完成した映画だけを観ていると、費やされてきたその膨大な時間や努力を忘れてしまいそうになります。
だからこそ特典映像を観た今、私は以前よりもさらに、この作品を大切に思うようになりました。

『落下の王国』は、美しい映画です。
でも、それ以上に ──
創ることを信じ続けた人たちの物語でもあるのだと感じています。

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あなたは
心を動かされた作品の向こうに
どんな時間を想像しますか?

浅野紫露(本名:浅野四郎)作品集

震災を越えて残したかった祖父の日本画作品

〜 仙台に生まれ閖上を故郷として愛した画家 浅野紫露 〜


祖父 浅野紫露(本名:浅野四郎)は、仙台に生まれ、名取市閖上(ゆりあげ)を故郷として愛しながら日本画を描き続けた画家でした。

私は子どもの頃から祖父の作品に触れて過ごしてきましたが、その存在を改めて強く意識するようになったのは、東日本大震災の後だったかもしれません。
閖上は津波によって大きな被害を受け、実家も流されてしまったので、保管されていた祖父の作品の多くも失われました。
作品そのものだけでなく、それらに込められていた時間や記憶もまた、失われてしまったように感じていました。

そんな中、幸いにも残されていた祖父の作品が掲載されたカレンダー。
2001年に祖父が亡くなった数年後、作品集という意味も込めてカレンダーを作成し、その当時、親しい方々にお配りしたものです。
もちろん実家にも在庫はあったものの、それらも2011年に起きた震災で失われてしまったのですが、


↑ 過去に記事にした通り、そのカレンダーを友人が保管していてくれて、私の元に送ってくれたのです。
それは2021年のこと。祖父のカレンダーは2004年のものなので、それから17年もの間、友人は大切にとっておいてくれたのでした。

そしてその2021年から今日まで、さらに5年以上。
私は当時「祖父の絵を探すことを私自身のライフワークに加えたい」と思っていたものの、それから仕事に追われる生活となり、果てには心身を病んでしまい、そういった活動はできなくなってしまっていました。
せっかく友人が送ってくれたカレンダーも仕舞い込んでしまい・・・

しかし、ようやく本来の自分を取り戻しつつある今、私は再び、その祖父の作品集とも言えるカレンダーを手に取ったのです。
もちろんそれは原画ではありませんが、そこには祖父が描いた花々や風景、そして白鷺たちの姿が確かに残されていました。
「今度こそ、今できる形で残しておきたい」
そんな思いから、カレンダーを高解像度でデータ化し、このたび作品ギャラリーとして公開することにしました。

祖父は仙台市に生まれましたが、祖母との結婚を機に閖上の浅野家に入り、その地を故郷として生きました。
作品には白鷺がたびたび登場します。
私にとって白鷺は、祖父の絵を象徴する存在です。
閖上の風景の中で見られた白鷺を、祖父は生涯にわたり描き続けました。
その作品の一つは後に内閣総理大臣賞を受賞することにもなります。

▼祖父母の物語
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その1/おしんのような経験を持つ美容師
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その2/ずっと秘密にされてきた二人の馴れ初め
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その3/家庭を持っても単身生活を続けた画家

今回公開したギャラリーには、カレンダーに残されていた作品を中心に掲載しています。
現存していない作品も多くありますが、それでも祖父が見つめていた自然や季節の美しさ、その眼差しの一端を感じていただけたら嬉しく思います。

▼作品ギャラリーのページはこちら
https://calm-smile-chain.com/works-by-shiro-asano/


祖父の作品を整理しながら感じたのは、作品を残すことは単に過去を保存することではない、ということでした。
絵は描いた人がいなくなっても、見る人の中で新しい物語を生み続けます。

祖父が愛した風景や季節が、どこかで誰かの心に届くことを願っています。




あなたには
未来へ渡したい記憶が
ありますか?