オランジュリー美術館(Orangerie Museum/Musée de l'Orangerie)

パリの美術館巡り2 オランジュリー美術館

〜元オレンジ温室で堪能するモネの大作『睡蓮』〜


アート好き女子一人旅で訪れた、初めてのパリ滞在での美術館巡りの初日は、オランジュリー美術館(Orangerie Museum/Musée de l’Orangerie)からスタートしました。


こちらがオランジュリー美術館の正面玄関です。
この角度から見た限りでは、中世のお城をイメージするかもしれませんが・・・


次の視点から見た感じ、お城にしてはちょっと地味な感じがしませんか?


オレンジはフランス語でオランジュ、そしてオランジュリーとはオレンジ畑オレンジ温室を意味するのですが、オランジュリー美術館はその名の通り、オレンジの木を保護するための温室だったのだそうです。


次の視点からだと、確かに温室っぽい!と感じていただけるのではないでしょうか?


19世紀にナポレオン3世によって造られた大きなオレンジ温室は、その後、資材置き場や試験会場、召集兵士宿舎などとして使われたり、スポーツや音楽、国家行事などの多目的施設としての経緯を経て、1921年に美術行政に割当てられ、政治家でクロード・モネの友人でもあったジュルジュ・クレマンソーの提案によってモネの作品『睡蓮』が収められることとなり、改修工事ののち、1927年オランジュリー美術館としてオープンしたとのこと。

更にその後、6年間にも及ぶ改修工事を経て2006年にリニューアル・オープンし、モダンな美術館へと変貌しました。


天井から自然光がさんさんと降り注ぐ楕円形の白い空間の2室は、いずれもモネの大作『睡蓮』のための展示室となっていて、これを見るために訪れる人が絶えません。
もちろん私も、この部屋に足を踏み入れることをずっと切望していました。


壁いっぱいに広がる幻想的な絵画によって得られる没入感。


そして、モネのタッチによるマチエールに魅了され。

素晴らしいアートにうっとりするこの感覚。
いつもブログを見てくださる皆さまに少しでも伝えられたらな、という思いで撮影してはいるのですが、私めなどの写真による画像では伝えきれないのがもどかしい・・・
アートは、やはり実物を体感するのが一番ですね。


ちょうど私が訪れた時は「Modigliani : un peintre et son marchand(モディリアーニ:画家とそのディーラー)」と題してモディリアーニ展が開催されていたのも嬉しいポイントでした。


オランジュリー美術館ではモディリアーニの作品は、下図の『ポール・ギヨームの肖像』など5点所蔵していますが、それ以外の絵画に加え素描や彫刻なども展示されており、見応えがありました。

オランジュリー美術館所蔵品:アメデオ・モディリアーニポール・ギヨームの肖像』(Amedeo ModiglianiPaul Guillaume.Nova Pilota

最後に、オランジュリー美術館の場所について、世界遺産情報と共に補足します。
前回の記事(https://calm-smile-chain.com/paris-museum-1/)にも記した通り、オランジュリー美術館ルーブル宮殿(Palais du Louvre)の敷地西側に広がるチュイルリー庭園(Jardin des Tuileries)の西端にあります。

オランジュリー美術館
Musée de l’Orangerie

住所:Jardin des Tuileries, 75001 Paris, France
Webサイト:https://www.musee-orangerie.fr/


そのすぐ西隣にある広場がコンコルド広場(Place de la Concorde)
こちらも世界遺産パリのセーヌ河岸(Paris, Banks of the Seine)」の構成資産の一つです。

フランス語でコンコルド(Concorde)協調共和という意味ですが、フランス革命時代(1789〜1799年)には「革命広場」と呼ばれたこの場所で、ルイ16世やマリー・アントワネットなど貴族や一般庶民たちがギロチン台で処刑されたという、暗い過去を持つ場所。
そんな陰惨な記憶を払拭するため、後にコンコルド広場との名称がついたのだそうです。

コンコルド広場の中心部には、1836年にエジプト政府からフランスへの親善の証として寄贈されたルクソール神殿(エジプトの世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡」)のオベリスク(四角柱)が堂々とそびえ立っているのですが、この周辺は開催が迫っている2024年パリオリンピックの会場の一つとなるため、私が訪れた時にはその準備が進められていました。

中央に見える塔がルクソール神殿のオベリスク

厳かな歴史を持つこの場所が、なんだかゴタゴタした様子になりつつあるのが個人的にはちょっと残念な感じもしましたが、オリンピックで盛り上がるのも、世界人類共通の楽しみの一つですものね。
このために尽力してる方々がいるんだなと思うと、頭が下がります。

コンコルド広場
Place de la Concorde

住所:〒75008 Paris, France
Webサイト:https://parisjetaime.com/transport/place-de-la-concorde-p1981


そしてこの場所からだと、こちらもまた世界遺産パリのセーヌ河岸」の構成資産であるエッフェル塔もこのくらい見えて、改めて、パリにいるんだなぁー、と感慨深い気持ちになりました。


私にとって初めての貴重なパリ滞在。
このままここで感慨に浸っていたかったものの、残された時間はわずかなので、次の目的地であるオルセー美術館へと足早に向かいます。


あなたは
美術館における建築の歴史に
興味はありますか?


2023 フランスブルゴーニュ 3日目(最終日)

〜ユネスコ世界遺産「フォントネーのシトー会修道院」〜


ブルゴーニュの友達の家に2泊させていただき、いよいよ最終日となる3日目。
初めてのフランス。
その1日目そして2日目とブルゴーニュの世界遺産を楽しみましたが、この日も飽きることなく、世界遺産!
基本的にいつも旅のテーマは「アート(芸術)」である私にとって、世界遺産に触れることはアートに触れることでもあり、価値ある世界遺産を連日訪れることができ、本当に幸せな毎日でした。


ブルゴーニュ滞在最終日に訪れた世界遺産は「フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」です。


友達の家から北部へと車で1時間半ほど、モンバール(Montbard)という小さな町にあります。
川が流れる森に囲まれ、漂うのは静寂感のみ。


フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」については、ユネスコHPの見出し説明では下記のように述べられています。

この素朴なブルゴーニュ修道院は、1119 年に聖ベルナール(ベルナルド/バーナード)によって設立されました。教会、回廊、食堂、寝室、パン工房、製鉄所があり、初期のシトー会修道士達が実践していた自給自足の理想をよく表しています。

https://whc.unesco.org/en/list/165/


設立年については、フォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)の公式HP(https://www.abbayedefontenay.com/ja/)によると1118年とされているので、この1年の違いがなんなのかよくわかりませんが、いずれにせよ、現存する世界で最古のシトー会修道士の大修道院なのだそうです。


さて、お気づきでしょうか?
ここでも出てきましたね、聖ベルナール(St Bernard)
前日に訪れた世界遺産「ヴェズレーの教会と丘(Vézelay, Church and Hill/Basilique et colline de Vézelay)」に関わった人物で、ユネスコHPでも説明されていた聖人の名前です。
(ブログにも記載したのでこちらも併せてどうぞ→https://calm-smile-chain.com/heritage-vezelay/


1090年、フランスブルゴーニュで、騎士である父と貴族出身で信仰心ある母のもとに生まれたベルナールは、彼が幼い頃に亡くなってしまった母の影響もあり、修道士になったといいます。

一方、シトー会(Cistercians)とは、カトリック教会最古の修道会であるベネディクト会(Benedictine Order)から派生したのですが、同じくベネディクト会から派生したクリュニー会(Cluny)の強大な資産と権力による贅沢な振る舞いに反発して、1098年に発足し、修道士としての清貧を守ってきたのだそうです。


ベルナールは、1112年、23歳の時に自身にとって理想的であったシトー会へ入門を果たすことができました。
そして、1118年にこのフォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)を創設したのです。
(もしかしたら、ベルナールがこの修道院を作ることに着手したのが1118年で、正式に完成したのが1119年ということでしょうか…)


シトー会修道士は、華美なクリュニー会とは異なり、染料を用いない白い修道服を着たことから「白い修道士」とも呼ばれているそうですが、フォントネー修道院も華やかな装飾というものがなく、そのおよそ究極とも言える地味さが、むしろ厳かさを際立たせているように思います。


この質素ながらも厳かな大修道院教会の一角に佇む聖母子像の、幼子イエスと聖母マリアが笑顔で見つめ合ったその表情が、とても優しく愛情豊かに表現されており、ベルナールの想いを伝えているように感じます。
(ベルナールについては後半で改めて述べます)


教会に直接繋がっている建物の2階には、共同寝室があります。
多い時では300人ほどの修道士のための寝室となったそうですが、木造の連続アーチによる天井の作りは圧巻で、船底をひっくり返したような設計が、なんとなくノアの方舟を彷彿とさせます。


修道士達が写本の作成や、革や織物の加工をしたという修道士部屋も、ロマネスク様式の特徴である半円筒型の二重アーチと支えとなる分厚い壁や柱からなり、その簡素なデザインが美しい。


中庭を囲んだ回廊も必見です。
正にシンプル・イズ・ベスト。シンプルゆえに際立つ美しさ。


修道士達は、ここを聖書を読みながら歩き、瞑想していたのでありましょう。


私たちもここをゆっくりと一周しましたが、映画でも見たことがあるようなシーンを、ありありと思い描くことができました。



外に広がる庭園も壮観でした。
綺麗に整えられた緑に癒されます。


次の建物は鍛冶場(製鉄所)。


当時の様子が再現された博物館となっています。


ブルゴーニュ観光の1日目に訪れた、世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(The Climats, terroirs of Burgundy/Les Climats du vignoble de Bourgogne」の構成資産地域内にある「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ(Château du Clos de Vougeot)」もシトー会によるもので、そちらはワインが修道院の財源でしたが(https://calm-smile-chain.com/climats-burgundy/)、ここフォントネー修道院では、近隣で採れる鉱物を用いた冶金業が重要な財源だったのだそう。


上の写真の燃える石炭は流石に模型ですが、実際に動かされている風車の姿は、再現とはいえ、迫力がありました。


サン=ベルナール渓谷とフォントネー川の合流点地点に位置するフォントネー修道院は、その川の流れを利用し、水力で鉄を打っていたのだそうです。


いくら静かに生きたいと言っても、神に祈るだけとか、単なる布教活動だけでは食べていけませんものね。
質素な修道士達がいかに工夫を凝らして生活していたかがよくわかりました。


最後に、聖ベルナール(St Bernard)のことがとても興味深く思えたので、もう少し彼について記しておきたいと思います。

観想的生活を送りたいというのが本音であったベルナールでしたが、その彼の実直な人格が、名声を高め、シトー会における影響力を増し、否応なく世俗的世界へと巻き込まれていくこととなりました。
静かに過ごしたかったベルナールの想いとは裏腹に、教会の争いの中で陣頭を取ることになり、晩年には十字軍の勧誘演説(1146年:ヴェズレーでの説教)をし絶大な支持を得ますが、1148年に十字軍は惨敗してしまいました。

しかし、この時で第2回十字軍。
この後も十字軍による遠征は何度も何年も続いたのは歴史上有名なことです。
その長い宗教争いの中では初期にあたりますが、第2回十字軍が敗北した時点でベルナールは、

主はわたしたちの罪を怒られて、そのあわれみによってではなく、その正義によって、すぐさまわたしたちを裁かれました。主は、ご自分の民を甘やかさず、主の名声さえ惜しいとは思われなかったのです。教外者は、おまえたちの神は今どこにいるのか、と言っているのではありませんか。そしてだれが、それを怪しみましょう。教会の中堅信者と呼ばれる者が荒れ野で行き倒れ、刃で切られ、飢饉のために滅ぼされたのです。喜びの福音を伝え、平和を述べ伝える者の足は、どんなに迷うことでしょう。わたしたちは『落ち着きなさい』と言っても、落ち着かないのです。わたしたちは、幸運を約束したのに、災難をまのあたりに見たのです。

引用:池田敏雄「聖ベルナルド」(アルバ文庫) p.103

と、十字軍の罪を認め反省しています。
でもその後も争いが続いたということは、残念ながら、この時の彼の想いに関しては理解が集まらなかったということでしょう。

ベルナールは1153年に、クレルヴォー修道院(Clairvaux Abbey:1115年に創設されベルナールが初代院長となった修道院で当時の建物は廃墟となり現在の建物は1708年のもの)にて生涯を閉じ、死後に聖人に加えられ聖ベルナールと呼ばれるようになりました。

神への祈りそして労働を手段として人々に奉仕するシトー会の主要人物ベルナールについて深掘りしていたら、なぜ、人は争う時には団結するのに、平和のために団結できないのだろうと、今も昔も変わらない人間の在り方というものを感じ、切なくなりました。

ただ、このフォントネー修道院が現在も当時とほとんど変わらないままひっそりと残されているのは、ベルナールの想いが生き続けているという光の側面なのかもしれません。

フォントネー修道院
Abbaye de Fontenay
住所:21500 Montbard, France
Webサイト:http://www.abbayedefontenay.com/


静寂の中にあるユネスコ世界遺産「フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」を後に、慎ましく謙虚な心を持って生きてゆかねばと思いつつ、いよいよ花の都パリへと向かいます。


あなたが
瞑想にふけるのは
どんな時ですか?



2023 フランスブルゴーニュ 2日目 その1

〜ユネスコ世界遺産「ヴェズレーの教会と丘」〜


仙台空港から出国して台湾を経由しての、長距離長時間移動を経て無事到着したフランスでの1日目は、夜眠る直前まで充実の時間を過ごすことができました。

その晩、ようやくベッドで良い眠りをとることができましたが、そこはずっと来ることを願っていた異国の地。
翌朝は5時台に目を覚ましました。
が、真っ暗。
夜中?と思うほっどだったので、時計を見直しましたが、時間に間違いはなく。
ようやく明るくなってきたのはなんと8時前。

私はこれまで、ヨーロッパのフランスお隣の国としては、ベルギーとイギリスへ行ったことがあり、ベルギーは春、イギリスは夏だったという時期的なこともありますが、朝6時前には日が昇っていたし、日本は遅い時期でも7時には日が昇っているから、10月のフランスの朝がこんなにも遅いとは思っておらず、なかなか明るくならないことに、時間がもったいないと、もどかしさを感じてしまいました。

待ち侘びた朝の明るくなってからの風景。


この日の朝もあいにくの曇り空でしたが、友達の家の前に広がる風景は、清々しいものでした。
普段、仙台の街中に住む私には吸えない、緑を感じる空気の味を胸いっぱいに堪能しました。

友達が準備してくれた朝食をいただいてから、連れて行ってもらったのは、友達の自宅から車で1時間くらいのヴェズレー(Vézelay)という村。

目的地に到着した頃には、お天気がすっかり良くなり、最高の散歩日和に。


このフランス2日目も1日目に引き続き、ブルゴーニュの世界遺産観光です。
この地は「ヴェズレーの教会と丘(Vézelay, Church and Hill/Basilique et colline de Vézelay)」として1979年にユネスコ世界遺産に登録されました。


村は小高い丘にあります。
中世の面影が感じられる坂道を歩いて登っていきます。


なだらかな斜面から、頂上に近づくにつれて結構な急斜面となりますが、程よい運動加減。
その丘を登り切ったあたりの所にあるのが、サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 (Basilique Ste-Madelaine/La Basilique de Vézelay)、世界遺産として保存されている教会です。


白い外壁が印象的な荘厳で美しい姿に、わぁーと思わず声が出るほどでした。


正面入り口のアーチの中に彫られたキリストは両手を大きく広げ、まるで訪れた人を教会の中へと誘っているようです。


その教会内部も素晴らしいものでした。


独特なデザインのアーチが続く身廊、施された目をみはる彫刻の数々。


ところで、バジリカとは、西洋古代から中世にかけて発達した建築の形式の一つで、入り口を入ると長い身廊、左右の壁側には側廊、両壁の上部には採光・通気用の高窓、一番奥に儀式を執り行う場所がある長方形の建造物のことで、バジリカまたはバシリカ(basilica)と呼ぶのですが、ローマ・カトリック教会では、由緒ある主要な教会堂にバシリカという呼称が冠せられるのだそうで、この教会名称が「サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 (Basilique Ste-Madelaine)」とされているのも、納得です。


地下祭室も、この教会の見どころの一つでした。
教会の名称にもあるマドレーヌとはマグダラのマリアのことで、その遺骨の一部(とされる)が祀られているのです。


ちなみに、マグダラのマリアとは、元々は娼婦で罪深い女だったが、イエス・キリストに出会ったことで悔悛し聖女になったとされて聖書に登場する女性で、キリストの使徒であるとともにキリストが愛した女性とも言われる彼女は、キリストの母である聖母マリアとは別人ですので、念の為。

さて、教会の外も一周してみました。


その丘の上からの眺めは、最高でした。


ブルゴーニュの平原を、まさに一望千里。


広大で美しい自然をぐるりと見渡すことができる、なんとも贅沢なロケーション。


特に私は海育ちで、水平線を見渡すことには馴染みがあるものの、山々や緑が続く地平線の景色にはほとんど出会ったことがないので、とても新鮮でした。

素人撮影で拙いですが、短い動画に収めましたので、その美しいパノラマ風景をご覧くださいませ。


2023年フランスの旅、ブルゴーニュ2日目の半日はここまで。
この日の午後については、また次回に。


なお、世界遺産「ヴェズレーの教会と丘(Vézelay, Church and Hill/Basilique et colline de Vézelay)」については、ユネスコHPによると以下のように説明されています。

9 世紀に設立されて間もなく、ヴェズレーのベネディクト会修道院はマグダラのマリアの聖遺物を取得、以来重要な巡礼地となった。 聖ベルナール(ベルナルド/バーナード)は 1146 年に第 2 回十字軍をこの地で説教し、リチャード獅子心王とフェリペ (仏:フィリップ)2 世アウグストゥスは 1190 年にここで集い第 3 回十字軍に出発した。彫刻が施された柱頭と門を持つ、12 世紀の修道院教会であるヴェズレーのマドレーヌ寺院は、ブルゴーニュのロマネスク芸術と建築の傑作である。

https://whc.unesco.org/en/list/84/

サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂
La Basilique de Vézelay

住所:Vézelay Abbey, 24 Rue Saint-Pierre, 89450 Vézelay, France
Webサイト:https://www.basiliquedevezelay.org/




あなたが
空気が美味しいと感じる
場所はどこですか?

2023 フランスブルゴーニュ 1日目 その2

〜ユネスコ世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ」〜


私にとって初めてのフランスへの一人旅、その初日の13時半頃、待ち合わせの場所としていたディジョン(Dijon)駅に到着し、無事に友人との再会を果たすことができました。

ディジョン ヴィル駅
Gare de Dijon-Ville

住所:Cr de la gare, 21000 Dijon, France


そして早速、ブルゴーニュ観光のスタート。
ユネスコ世界遺産として登録されている「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(The Climats, terroirs of Burgundy/Les Climats du vignoble de Bourgogne」の、構成資産であるディジョン歴史地区へと向かいます。

ちなみに、私はディジョン駅付近で友達の車に荷物を預けて歩いて行くことを想定していたのですが、車では友達の旦那さんも待っていてくれて、ご親切に歴史地区内まで送ってくれたのでした(なお、歴史地区はディジョン駅から徒歩でも数分のところです)。

車から降りた地点の町並みです。


いかにも歴史を感じさせる旧市街に足を踏み入れ、改めて異国の地へ来たのだなと感無量の想いに包まれました。

そして見えてきたノートルダム・ド・ディジョン教会(Church of Notre-Dame of Dijon/Église Notre-Dame de Dijon)


ファサードに並んだ怪物の彫刻と、入り口が3つのアーチによってデザインされているのが印象的な、13世紀に建設されたというゴシック洋式による建物。


もちろん拝観無料とのことで、教会内を見学。
(日本の教会も本来はいつでも無料で入れるのでしょうが、なぜか、海外のように気軽に入れませんよね・・・)


内部は、最低限の明かりしか灯されておらず、ステンドグラスから透き通る光の美しさが際立っており、厳かな雰囲気に、人出も少なくて、パリから移動してくる間にあったような喧騒が一切なく、心が落ち着きました。


外観の怪物達の彫刻が奇抜であれば、こちらの聖母像も奇抜なものでした。
「黒いマリア」と呼ばれているそう。
(下図では見えずらいかもしれませんが、ステンドグラスの下方に写ってます)


そして、この教会の一番の特徴というか名物(?)といえば、外の壁面に施されたフクロウの彫刻だそうで。
撫でると幸福が訪れる(正確には、右手で金製のものを触りながら左手でフクロウを触らないといけないらしい)ということで、多くの人になでなでされて、フクロウなのかなんなのかよくわからなくなってます。


人が群がらない「幸福のフクロウ」を撮影することができましたが、実は、私が訪れた際もこのフクロウを撫でながら写真撮影する人の列があり。
幸いほんの数人だったので、一応、私もなでなでしておきました。

ノートルダム・ド・ディジョン教会
Église Notre-Dame de Dijon

住所:2 Place Notre Dame, 21000 Dijon, France
Webサイト:http://notre-dame-dijon.blogspot.com/


そのフクロウがある通りをそのまま行くと、目を引く建物が。


こちらは「La Moutarderie Edmond Fallot – Boutique Atelier Dijon」。
ディジョンはマスタードの本場であることでも知られているそうで、1840年創業から家族経営によって運営されているファロFallot )社によるマスタード専門のお店。
店内にはずらりと様々なマスタードが並んでいました。


ディジョン名産なら買っていこうかなとも思ったのですが、友達が”スーパーでも売ってる、そっちで買った方が安い”と教えてくれたので、ここでは眺めるのだけを楽しむにとどめ…

ファロ
La Moutarderie Fallot – Boutique Atelier Dijon

住所:16 Rue de la Chouette, 21000 Dijon, France
Webサイト:http://www.fallot.com/en/boutique/


ディジョンはこぢんまりとした町ということで、その後もゆったりと徒歩で巡ってみました。


この日は、あいにくの曇り空ではありましたが、時々晴れ間も見えて、雨に当たることもなく、ノスタルジー漂う町中での散歩を楽しめました。


さて、細い通りを抜けると、突如大きな広場が。
そこは、現在は市庁舎美術館となっている旧ブルゴーニュ大公宮殿(Palais des Ducs et des États de Bourgogne)正面の、リベラシオン広場(Place de la Libération)でした。


この宮殿と広場は、こちらもまたフランスの世界遺産「ヴェルサイユ宮殿と庭園(Palace and Park of Versailles/Palais et parc de Versailles)」の設計を担当した一人であるジュール・アルドゥアン=マンサール(Jules Hardouin-Mansart、1646-1708)というフランス古典主義を大成した建築家による設計とのこと。
訪れた瞬間に独特の美しさを感じたのも納得でした。


私は事前にこのことは知らずにいたのですが、もともとヴェルサイユ宮殿も今回の旅で是非とも訪れたいと考えており、実際に後日それも叶いました。
フランスにおけるバロック建築の第一人者とされるマンサールの建築をセットで楽しむことができて良かったです。


ある建築家にフォーカスを当てて旅するのも、アートの知見を深めるのに役立ちますね。

ディジョン市庁舎
Hôtel de Ville de Dijon

住所:Pl. de la Libération, 21000 Dijon, France
Webサイト:http://www.dijon.fr/


その後、旧市街を出て、少し歩きます。


ディジョンに2022年にできてまもない新しいスポット「ディジョン国際美食館Cité Internationale de la Gastronomie et du Vin)」にちょっとだけ立ち寄りました。
2010年に「フランスの美食術」がユネスコ世界無形遺産に登録されたことがきっかけで建てられた施設だそうです。


ここの敷地内にあるカフェのジェラートを食べ喉を潤してから、友達の旦那さんと再び合流。
世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ」のブドウ畑内をドライブし、構成資産でもある「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴィージョ(Château du Clos de Vougeot)」へと向かっていただきました。

ディジョン国際美食館
Cité Internationale de la Gastronomie et du Vin

住所:12 parvis de l’Unesco, 21000 Dijon, France
Webサイト:https://www.citedelagastronomie-dijon.fr/


ところで、ユネスコ世界遺産である「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(The Climats, terroirs of Burgundy/Les Climats du vignoble de Bourgogne」については、ユネスコのHPにある説明を抜粋させていただきますね。

クリマとは葡萄畑の区画を指し、ブルゴーニュ地方では南ディジョンからマランジュまでの50kmにわたって延びるコート・ド・ニュイとボーヌの斜面に、1247のクリマが広がっている。この景観は、ワイン生産に関連する葡萄畑やコート沿いの村々、および行政的にクリマの仕組みや流通などを調整するディジョンの街からなる。クリマは、一世紀にわたる人々の労働から生まれた技術的なノウハウの宝庫であり、ブルゴーニュのクリマのシステムは、今なお活気ある葡萄栽培の顕著な事例である。

https://whc.unesco.org/en/list/1425


まさにブドウ畑のクリマが延々と広がっていました。
友達曰く、「日本で言えば田んぼのようなものだよね。」
なるほど、確かに。笑


私が訪れたのは10月末のことでブドウを刈り取った後なので、このような見た目で、それはそれで初めて見る景観で圧倒されたのですが、是非とも次回はブドウがたわわになっている風景を見てみたいものです。




実は、こちらは後日談なのですが、なんと偶然にも、私がまさにフランスへと旅立った当日の2023年10月22日のTBS『世界遺産』で、「ブルゴーニュのブドウ畑の景観 〜 世界最高峰のワイン!ブドウ畑の四季」と題して、この世界遺産について放送されたのです!
まさに、豊かにブドウが実っている風景も映し出されたようで、偶然とはいえ、このタイミングにびっくりでした。


私はこの放送がされている時間はまだフランスへと向かう旅路の途中(経由地の台湾へと向かう飛行機の中)でしたので、この放送は見れなかったのがちょっと残念にも思いつつも、その現地へと実際に行けたということを思えば、価値ある行動をとっていたのだなと、自画自賛してしまう自分もいたりします。




さて、ディジョンから車で40分くらいの所、広大なブドウ畑の中に「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ(Château du Clos de Vougeot)」というお城のような建物があります。


こちらは、シトー会修道士が12世紀に建てたワイナリー施設で、現在ではワイン製造の博物館となっています。

この日の最後の見学ツアーに加わらせていただきました。
まずこちらの広間に通され、中央にある樽を演説台代わりにガイドさんがお話を始めました。


もちろん完全フランス語。私はチンプンカンプンなので、友達が訳して教えてくれ、助かりました。


12世紀にブルゴーニュの領主たちの寄付によりこの地を所有したシトー会の修道士たちは、この建物を寝泊まりする館とし、また栽培したブドウをこの敷地内の醸造所でプレスし、せっせとワイン造りに励み、キリスト教布教を行いながら、フランスブルゴーニュワインの基礎を築いたのだそう。


圧巻の巨大なプレス機は、現在のワイン祭りでも実際に使われ、また、2000樽を収容できるワイン熟成庫は、現在はパーティーなどの会場として利用されているそうです。


フランス到着初日から、なんともレアな世界遺産を堪能することができました。

シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ
Château du Clos de Vougeot

住所:Rue de la Montagne, 21640 Vougeot, France
Webサイト:http://www.closdevougeot.fr/


18時頃にこの施設の見学を終え、2泊3日とお世話になる友達の自宅へと向かいました。

想い叶っての高校時代の同級生とのフランスでの再会、そしていよいよ彼女のお宅訪問です。
そこはフランスの国立公園として指定されているモルヴァン自然公園(Morvan Regional Natural Park/Parc naturel régional du Morvan)の森の中。
シャトーから1時間以上の車の運転、ご主人に心から感謝です。

到着したお家(実際には到着した時は真っ暗だったので翌朝撮影)。


事前に写真で拝見していた通り、なんとも素敵。
もちろん、静かな森の奥地に佇む実物をこの目で確かめ、自分の足で踏み入れた時の感動はそう簡単に表現できるものではありません。

彼女と旦那さんの住まい隣の、現在はお休み中の宿屋側の2階にある一室を使わせていただきました。


1階は昔ながらの暖炉やアンティークな家具がなんとも落ち着くサロンです。


築100年以上する石造りの建物を、DIY得意の旦那さんと二人であちこち手をかけ、こんな素敵なお宿を兼ねる自宅に住まう、素敵な夫婦と時間を共にできた私は本当に幸せ者です。

そして、この日のディナーは、友達の手作りによるブルゴーニュの伝統料理「Coq au vin(コック・オ・ヴァン)」というなんとも豪勢なチキンの赤ワイン煮込をいただきました。


ワインに詳しくないので申し訳ないのですが、訪れたのはフランスブルゴーニュ、というわけで本場のワインも出していただけて、何よりも海外の旅先で現地の家庭料理(しかも手が込んでいる)をいただけたというのが嬉しすぎました。

言わずもがな、その日の夜は、飛行機の眠れない長旅から一変、広いベッドで眠らせていただき、翌朝は良い目覚めで迎えることができました。



このところずっと体調を崩していたり仕事が忙しかったりで、ようやく昨年秋に訪れたフランスでの旅1日目の続きがアップできました(正直まだ書き足りない感があるのですが…)。
2日目については、また後日となりますが、なるべく早く記載したいと思います。


あなたの印象に残る
歴史地区といえば
どこですか?

フランス四大河川を知る

人類にとって重要な河川をきっかけに楽しむ旅


旅行する時のテーマは”アート”であり、特に美術世界遺産を中心に、愛用するCanonのカメラを手に撮影を楽しみながら訪れた地を散策するのが、私にとって至福の一つ。

毎週日曜午後6時に放送されるTBS番組「世界遺産」は、Canonの8Kカメラで撮影されていることもあり、通常ほとんどテレビを観ない私でも、この番組だけはチェックしています。
Canon presents”に始まる番組オープニングの画面とナレーションの響きだけでワクワクしちゃう♪


とは言え、限られた時間の中、やるべきことはいろいろあるので、毎回絶対見逃さないというわけでもないのが事実…

なのですが!
本日(2023年8月17日)のテーマは「ローヌ川で行く!南仏の世界遺産」とのことで、フランス旅行を目前に控えている私には外せません!

そしてお恥ずかしながら私、この予告のWEBページ(http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20230827/)を拝見し、初めて「フランス四大河川」について知りました。
世界四大文明であれば中学校の歴史の授業で学んで、どの文明も大河沿いに発展しているということは記憶にあったけれど、フランス四大河川なる存在があったとは。

*世界四大文明:メソポタミア文明 − チグリス・ユーフラテス川(現在のイラク)、エジプト文明 − ナイル川、インダス文明 – インダス川(現在のインド・パキスタン)、黄河文明 – 黄河(中国)

日本のおよそ1.5倍の面積を持つフランスにはたくさんの川が流れていますが、その中でも特に有名なのがフランス四大河川であり、セーヌ川ロワール川ガロンヌ川ローヌ川の4つの河川を指すのだそうです。

フランス四大河川地図(画像引用元:https://www2.rku.ac.jp/sano/France/France.htm

フランス四大河川の要約を以下に記します。

セーヌ川Seine River
フランス北部を流れ、首都パリを通過してイギリス海峡に注ぐ河川。
フランス国内で最も重要な河川の一つで、パリ市内にはセーヌ川に架かる美しい橋や観光名所が点在し、「パリのセーヌ河岸Paris, Banks of the Seine)」として世界遺産に登録されています。

ロワール川Loire River
フランス最長の河川で、フランス中部を流れています。
美しい自然が広がる風景と多くの歴史的な城が点在しており、「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷The Loire Valley between Sully-sur-Loire and Chalonnes)」として世界遺産に登録され、ブドウ畑が広がる地域です。

ガロンヌ川Garonne River
フランス南部を流れ、ピレネー山脈に源を発して大西洋に注ぎます。
フランス南西部の中心都市である港町で世界的なワインの産地ボルドーや、赤レンガ造りの建物が並び「バラ色の街」とも呼ばれるトゥールーズなどの都市がこの川の流域に位置し、商業や農業に利用されています。
ボルドー・リューヌ港Bordeaux, Port of the Moon)もまた世界遺産として登録されており、この港の名「リューヌ」は、湾曲するガロンヌ河岸に発達した町の形状に由来し、フランス語で「」を意味します。

ローヌ川Rhône River
スイスアルプスのローヌ氷河を源流としてフランス南東部を流れ、地中海に注ぎます。
フランス第二の都市であり「絹の町」として知られるリヨンを通過し、主要な交通路としての役割も果たしています。
特にローヌ渓谷地方では高品質なワインが生産され、ワイン愛好家にとっては魅力的な選択肢であるとともに、歴史的な街並みや建造物が点在し、文化的な魅力も携えた、フランスにおける重要な河川の一つです。

この「ローヌ川」が本日のTBS「世界遺産」で大々的に取り上げられました。
フランスのローヌ川沿いには、次の4つの世界遺産が点在しています。

リヨン歴史地区Historic Site of Lyons

オランジュのローマ劇場と「凱旋門」Roman Theatre and its Surroundings and the “Triumphal Arch” of Orange

アヴィニョン歴史地区Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge

アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群Arles, Roman and Romanesque Monuments

水と農業、交通と貿易、都市の形成と成長、そして文化や芸術と宗教…
河川は古代から現代にかけて、人々の生活と社会の構築に大きな影響を与えてきたのですね。

なんて魅力的な世界なのでしょう。
しかし、私が今年控えているフランス旅ではこれらを全て巡る時間はなく(涙)

けれどもこの度、歴史上重要な河川をきっかけに旅の計画を立てるのも面白そうだということに気づかせていただきました。
フランスに限らず、今後の旅の計画がさらに楽しくなりそうです。
良き知見を与えていただけたことに感謝します⚘


あなたが知る
世界の河川といえば
どこですか?


フィリピン ビガンの歴史地区とチャバヤン村

世界の行きたい場所リストに加えたレアスポット


以前は多少なりとも仕事で英語に触れることもあった私ですが、現在勤めている保育園では全くと言っていいほど英語に関わることがありません。
ただでさえ英語苦手な私・・・

今年、久々に海外一人旅をするというのに、自分から英語に触れる機会を作らない限り英語でコミュニケーションする度胸がなくなっていく一方だと危機を感じ、ここ最近、オンラインによる英会話レッスンの時間をわずかながらでも取ることに。

先生は、フィリピン人女性。
日本に住んでいた経験もお持ちで、日本人の特性も把握していらっしゃるので、話しやすく、会話するたびに勇気を得ており、出会いに感謝しています。

さて今日は、フィリピンの世界遺産について話をしたいとリクエストしました。

私が取り上げたのは、一般的にもよく知られている、「プエルト・プリンセサ地下河川国立公園Puerto Princesa Subterranean River National Park)」と「フィリピン・コルディリェーラの棚田群Rice Terraces of the Philippine Cordilleras)」。

プエルト・プリンセサ地下河川国立公園
フィリピン・コルディリェーラの棚田群

東南アジアに位置し、7,641もの島国からなる群島国家フィリピンの南西にある熱帯雨林パワラン島には、手つかずの自然が残っており「フィリピン最後の秘境」と呼ばれているそうです。

パワラン島中央部の港町プエルト・プリセンサの北にセント・ポール山地があり、その地下を流れるのがプエルト・プリンセサ地下河川
自然の宝庫としての価値を持つ世界遺産として1999年に登録された「プエルト・プリンセサ地下河川国立公園Puerto Princesa Subterranean River National Park)」は、8.2mにも渡る世界最大の地下河川を有し、壮大な石灰岩の洞窟内を流れる清澄な水で満たされ、天井から吊り下げられた美しい鍾乳石や岩の形状が、訪れる人々を魅了するのだそうです。

フィリピンの玄関口である首都マニラから、フィリピン南西部の都市プエルト・プリンセサまでは飛行機で約1時間15分、そこから車でプエルト・プリンセサ地下河川国立公園までおよそ3時間とのこと。

次に、世界遺産として1995年に登録された「フィリピン・コルディリェーラの棚田群Rice Terraces of the Philippine Cordilleras)」について。
こちらは、首都マニラを抱えるフィリピン諸島最大の島であるルソン島の北部に位置するバナウェ村から広がる美しい棚田で、その景観は「天国への階段」とも呼ばれています。
地元の農耕山岳民族イフガオ族Ifugao)によって約2,000年以上にわたって築かれてきたこの棚田を伸ばしたら、なんと地球半周分の長さになるほどだそうで、棚田地帯の規模は世界最大級を誇ると言います。

マニラからコルディリェーラの棚田群観光の基点となるバナウェまではバスでおよそ8時間とのこと。

いずれも先生はもちろんご存知で、行ったこともある、どちらも素敵な所だよ!とのことだったのですが、先生の方からはこれらとはまた異なるスポットをオススメいただきまして。

一つは、世界遺産として1999年に登録された「ビガンの歴史地区Historic City of Vigan)」。
フィリピンルソン島北部に位置する都市ビガンは、スペイン植民地時代からの歴史的な建築物と美しい街並みが広がる魅力的な場所で、「カレサ」と呼ばれる馬車に乗って、石畳の道やバロック様式、ネオゴシック様式など、多様な建築様式を持つ建物が点在する歴史的な通りを巡ることができるのだそうです。

画像引用元:Wikipedia(by gyunyu3 – Historic town of vigan

お次のこちらは世界遺産ではないですが、「チャバヤン村Chavayan Village)」について教えていただきました。
フィリピンルソン島北部にあるバタン諸島の島において、西南に位置するサブタン島Sabtang)にあり、石造りの家々の景観がとてもユニークな風情をかもし出している村。

この地域特有の伝統的な家屋のスタイルを指す名称を「イバタンハウスIvatan house)」と言うそうで、サブタン島の先住民族であるイバタン族Ivatan)が、強風や台風などの自然災害に耐えるために厚い石壁や草屋根を用いて築いた建物が、今も住居として使われています。
観光客用のイバタンハウスもあって、伝統的な雰囲気や文化に触れる体験もできるそうです。

画像引用元:Wikipedia(by anne_jimenez – Oldest House in Ivatan

多分ここ、WEB上で日本語で検索してもほとんど出てこないから、まだまだ日本人にとってはレアな場所なのだろうと思います。
フィリピンの方による直々のお話だからこそ知り得ることなのだろうと、貴重な情報をいただけて嬉しい限り。

自分の前世は中世のヨーロッパ人だったのではないかと感じてしまうくらい、なぜか石畳の街並みや石造りの家に惹かれがちな私には、どちらもとても魅力的な場所!
(いや、ピラミッドや万里の長城にもすごく惹かれるから、単に石職人だったのかもしれない・・・)
いずれもこれまでノーマークの所だった上にそのレアさにも惹かれ、是非とも行ってみたいと思いました。

私の、一度きりの人生で行きたい世界の場所リストに、またスポットが増えました。
それは要するに、楽しみが増えて、生きる意欲が益々湧くということ。
本当にありがたいことです。
感謝。


あなたがご存知の
石畳の街は
どこですか?

2023年秋のフランス旅行計画

〜仙台から出国そして旅のテーマは世界遺産〜


幾度となく告げてきたフランス旅への想い・・・


その実現も間近です。
実は、先月(7月)は私の誕生日だったので、自分へのプレゼントに!という理由付けで、今年の秋にフランス旅行することを決断し、航空チケットの購入を済ませました。

地球の歩き方「パリ&近郊の町」とそれをもじったコンビニ菓子
(普段コンビニ菓子はほとんど買わない私ですが、その航空チケットを取った日にたまたまコンビニに寄ったら、地球の歩き方「パリ&近郊の町」をもじったコンビニ菓子を発見し、引き寄せを感じて思わず購入)

今回は、ヨーロッパへ行く経路としては初めて、仙台から出国し、台北経由でパリへと向かう飛行機を選択。

日本在住の人がヨーロッパへ行くとなると、一般的には成田空港や羽田空港からの出国かと思いますが、仙台市民の場合、東京までの交通費がかかるし、飛行機の時間によっては、空港近隣で一泊する必要があったりと、出国以前に時間も費用もかかってしまうので、仙台空港からダイレクトに出国して、経由地を挟みつつでもパリに行けるというのは、仙台市民としてはとてもありがたいです。

とは言え、国内での飛行機さえ、コロナ禍以降一度も乗っていない私。
飛行機の乗り方ってどんなだったっけなんて感覚の上、一人旅でいきなり仙台から出国するのはかなり緊張感あり・・・

仙台空港 展望デッキ
仙台空港 展望デッキ(2019年12月撮影)

でも、飛行機は大好きだし、ワクワク感の方が優っているので、楽しみでなりません。

というわけで、航空チケットは取ってしまったので、今、具体的な訪問先の計画を練っています。
行き当たりばったりの旅を楽しむ人も多いと思いますし、私自身も本当はそういった形に憧れはあるのですが、どうしても仕事の休みが限られている私には、旅行日数も短くなってしまうので、予め予定を立てるのは絶対に必要な作業。
ですが、これもまた楽しくて。
このワクワクな気持ちで練っている楽しい旅の計画を、備忘録として、綴っておこうと思います。


さて、アート好き世界遺産検定2級保持者である私の旅のテーマは自ずと決まってきます。

フランスには世界遺産2023年8月時点で49件も登録されていて、パリだけに限っても世界遺産としての見所は沢山あります。

私のたった数日の滞在期間のみでは、全てを回るのはどうしても不可能なので、まずはパリで押さえておきたいのは、文化遺産として1991年に登録された「パリのセーヌ河岸Paris, Banks of the Seine)」の構成資産に含まれる以下のスポット。

ルーブル美術館Musée du Louvre

グラン・パレGrand Palais *リニューアル工事中とのことだけど、外観だけでも!)

プティ・パレPetit Palais パリ市立美術館

オルセー美術館Musée d’Orsay

シャイヨー宮Palais de Chaillot

サン・ルイ島île Saint-Louis

2000年の歴史都市として栄えてきたセーヌ河畔に広がる数々の構成資産の中から、ざっと一部抜粋しただけでも、こんなに。
ああ、想像するだけでもうっとりする世界遺産パリのセーヌ河岸Paris, Banks of the Seine)」。

でも、パリをご存知の方からは、逆にこれだけで良いの?と突っ込まれるかもしれませんね。
しかしながら、私、今回のパリ滞在は2・3日程度の予定なもので・・・
ルーブル美術館だけでも数日かかっても見切れないのはわかっていますが、大好きな美術館でも2時間程度までと時間制限をかけてまわるしかありません。

そして何より、向かうはフランス
世界遺産の構成資産となっていない場所でももちろん、素敵スポットはあるわけで。

それに今回の旅の目的の一つは、フランスモルヴァン自然公園に住む友達との再会でもあるので。

計画に組み込みたいことは他にも沢山。
その辺りについては、また次回メモります。


あなたがおすすめの
パリのスポットは
どこですか?

映画「ザ・フォール 落下の王国」に見る世界遺産

舞台になった世界遺産は13カ所!


今年は世界遺産検定2級の合格を目標にしています。
2級は、我が国の世界遺産全て(2021年6月現在23件)を含む、世界各国の世界遺産から300件が出題範囲です。
試験は、60分間で、問題数は60問。
当然のことながら、300件の世界遺産のうち、どれが出題されるかわからないわけで、この分量はなかなか厳しいものがあります。
参考書や問題集と向かい合っているだけでは飽きてしまうのが正直なところ・・・

そんな時にふと思い出した映画「ザ・フォール 落下の王国(原題:THE FALL)」 。
2006年に公開された冒険ファンタジーです。

この映画は、世界20カ国以上が舞台となっていて、世界遺産も10件以上出てくるので、世界遺産好きにはもってこい。
壮大さも芸術的表現も圧巻な名作です。


公開前、私は映画館でこの予告編を見て、これ面白そう!公開されたら観よう!!と思ったのに、映画館へ行きそびれてしまったもの。よって、残念ながらパンフレットは無し。
現在ではDVDも高価になってしまって手を出すには躊躇するくらいの、すごく価値ある映画なので、悔やまれます。

現状、ネットでの公開もされていないようなので、見たい方はTSUTAYAでレンタルを。
特に、DVDには映像特典が付いていて、監督たちのインタビューやロケーションについての説明など、撮影秘話や世界遺産情報がとても興味深いです。
いい刺激になると思うので、映画の後は、特典も見ることをお勧めします。
(内容は一緒ですが、ブルーレイならなお良いです♪)

さて、この映画に出てくる世界遺産は以下の通り。Let’s study♪



1.イタリア:ティヴォリのハドリアヌス別荘(Repubblica Italiana:Villa Adriana (Tivoli))
  [文化遺産として1999年に登録]

イタリアの首都ローマの東方約30kmのラツィオ州ティボリは古代からのローマ人の別荘地でした。
紀元2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスは、帝国を巡検中見聞したエジプト、ギリシア、ローマなどの優れた建造物を再現して、「理想の都市」を築こうと、ヴィッラ・アドリアーナを建設しました。
後年、ゲルマン人により破壊されましたが、イタリア統一後、本格的に発掘されたのです。
この1.2k㎡にも及ぶハドリアヌス帝の理想郷は、古代地中海世界の文化を表現した傑作です。

画像引用元:Wikipedia(by Marie-Lan Nguyen)

この場所、映画「ザ・フォール 落下の王国」では、青年が少女に空想の物語を語り始めた序盤、アレキサンダー王が迷い込んだ場所として登場します。
ほんの数秒ですが、芸術的な理想郷の跡地を垣間見ることができます。



2.ナミビア:トゥウェイフルフォンテーン(Republic of Namibia:Twyfelfontein
  [自然遺産として2007年に登録]

アフリカ大陸南部にあるナミビア共和国の北西部にあたるクネネ州ダマラランド地方のトゥウェイフルフォンテーンは、2000年以上前の岩刻画が、アフリカで最も集まった場所の一つ。現在までで、2075もの岩刻画が発見されています。
岩場からの湧水でできる泉が、満水であったり、時に枯れてしまったりと不安定だったことから「不確かな泉」という意味でTwyfelfontein(トゥウェイフルフォンテーン)と名付けられました。

引用元:Wikipedia(by Mike )

映画では、この砂漠の地でアレキサンダー王が家来たちと彷徨っているところに、一人の使者が最後の水を持ってくるのですが、アレキサンダーがその水を捨ててしまうというシーンが描かれています。



3.チェコ:プラハの歴史地区(Czech Republic:Historic Centre of Prague)
  [文化遺産として1992年に登録/2012年に範囲変更]

11世紀から18世紀の間にヴルタヴァ川(モルダウ川/ブルタバ川)沿いに建造された旧市街、城下町、新市街は、中世以来この街にもたらされた大きな建築的・文化的影響を伝えています。
プラハ城聖ヴィート大聖堂、城の前のフラッチャニ広場、左岸にあるヴァルトシュテイン宮殿、ゴシック様式のカレル橋、ロマネスク様式の聖十字架教会のロトゥンダ、スタレー・ムニェスト(旧市街)にあるゴシック最盛期の聖ヤコブ教会といった多くの壮大な建造物は、この中世都市における豊かな建築の歴史とその進化を語っているのです。

以下の写真は、ヴルタヴァ川沿いに建つプラハ城とその城下町。

引用元:Wikipedia(by Stefan Bauer)

ヴルタヴァ川はチェコ国内最長の川で、チェコ語でVltava 、ドイツ語でMoldauです。日本では「モルダウ川」として広く知られていますね。
私がこの川の名称を覚えたのは高校生の時。
音楽の授業で、巨匠スメタナの代表的な管弦楽曲「我が祖国」より第2曲「モルダウ」を聴いて、すごく感動して、CDを買いました。
今でもそのCDは愛聴しています。
クラシックCDを自分で買ったのは、この時が初めてじゃなかったかな・・・
そしてそんな人、私以外にも結構いるんじゃないかしら・・・?


「ザ・フォール 落下の王国」では、ヴルタヴァ川にかかるカレル橋を主人公たちが馬で渡るシーンとして登場します。

引用元:Wikipedia(by Chosovi)

プラハへは日本からの直行便はないけれど、後に記載するイスタンブールからおよそ2時間半。
是非周遊したいですね。



4.インド:ファテープル・シークリー(Republic of India:Fatehpur Sikri)
  [文化遺産として1986年に登録]

インド北部ウッタル・プラデシュ州のアーグラから南西約40kmに位置する、ムガル帝国第3代皇帝アクバルが16世紀後半に建造した城跡で、「ファテープル・シークリー」とは勝利の都シークリーという意味。勝利の都と名づけられたのは、当時、アクバル帝がグジャラート地方での戦いに勝利したため。
台地の上に建設され、直行するグリッドに則した幾何学的な都市計画が実施されており、中心部は宮廷地区とモスク地区とに分けられた、イスラムとインド建築の伝統技術の融合がなされた都市遺跡です。

引用元:Wikipedia(by Marcin Białek)

「ザ・フォール 落下の王国」ではこの場所が、青年が語る物語の悪人である総督オウディアスの領地の入り口として描かれています。



5.トルコ:イスタンブル歴史地区(Republic of Turkey:Historic Areas of Istanbul)
  [文化遺産として1985年に登録]

コンスタンティノープルとして知られたイスタンブルは、アジアとヨーロッパの境界に位置する歴史的都市。
元々はキリスト教の大聖堂だったThe Hagia Sofiaハギヤ・ソフィア/アヤ・ソフィア)は、15世紀にオスマン帝国によってイスラム教のモスクへと改修されました。

下の写真が、ビザンツ建築の最高傑作と言われるアヤ・ソフィア
年間約300万人が訪れるイスタンブルを代表する観光名所です。

引用元:Wikipedia(by Stanisloav Kozlovskiy)

「ザ・フォール 落下の王国」では、アヤ・ソフィアの内部も、総督オウディアスの所有する建物内として描かれています。

イスタンブールまでは成田から直行便が出ていて、およそ12時間で行ける所。
この美しく壮大な歴史的建造物、是非とも自分の足で訪れたいですね。



6.エジプト:メンフィスのピラミッド地帯(Arab Republic of Egypt:Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur)
  [文化遺産として1979年に登録]

エジプト古王国時代の首都メンフィスには、岩のお墓や装飾されたマスタバ(日干しれんがなどで作られた角形の墳墓)、寺院やピラミッドを含む、途方もない葬儀用モニュメントがあります。
このピラミッドとそれを取り巻く周囲の複合体は、建築家イムホテプにより設計され、飾り立てられた廟(びょう/ 死者を祀る宗教施設)として世界で最も古い建造物だとされています。
ピラミッド群は紀元前2650年から紀元前2120年にかけて、その栄光を誇示するために第3王朝の歴代のファラオの墓地として建設されました。
ギザにあるクフ王のピラミッドはエジプトのピラミッド中最大のもので、どのようにして石を積み上げたのかはわかっておらず、世界の七不思議のうち現存するただひとつのものなのです。

引用元:Wikipedia(by icardo Liberato)

日本からエジプトの首都カイロまでは直行便が出ていて、およそ13時間。カイロから1時間程度でピラビッド周辺へいけるのだそうです。
三大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3人のピラミッド)も、死ぬ前には訪れて、ちょっと怖い気もするけれども入ってみたい所。

「ザ・フォール 落下の王国」では、このエジプトから以下に続くアメリカまで、登場人物達が一気に駆け巡る場所の背景として描かれています。
壮大さを表現するには十分すぎる・・・



7.中国:万里の長城(People’s Republic of China:The Great Wall)
  [文化遺産として1987年に登録]

日本人にとっては、お隣中国の世界遺産、知らない人はほとんどいないであろう万里の長城は、春秋時代の紀元前8~前5世紀頃に秦の始皇帝によっ原型が作られました。
土や日干しレンガなどを使って砦をつなぎ合わせ、長城を完成させました。
その後、さまざまな王朝によって改修や増築が繰り返され、焼成(しょうせい)レンガを用いた現在の形になったのは16世紀の明王朝後期のことです。
中国東部から西部までの約3,000kmに渡る遺跡、北方民族との対立と、文化交流の歴史を伝える価値があるものとして認められた世界遺産です。

引用元:Wikipedia(by Hao Wei)


8.カンボジア:アンコールの遺跡群(Kingdom of Cambodia:Angkor)
  [文化遺産として1992年に登録]

カンボジア北西部の都市シェムリアップの北側に位置する「アンコールの遺跡群」は、クメール人が興したアンコール朝の時代に築かれた都市遺跡で、歴代の王が築いた都城や寺院が残っています。
「アンコールの遺跡群」最大の寺院は、幅190mの外堀に囲まれた面積約2㎢のアンコール・ワットです。
クメール語で「アンコール」は「街」を、「ワット」は「寺院」を意味しています。アンコール・ワット本殿の回廊には、ヒンドゥー神話の「乳海撹拌(にゅうかいかくはん/不老不死の妙薬を取り出すため、神々とアスラ(阿修羅)が大蛇ナーガを綱引きして乳海をかき混ぜるというヒンドゥー教の天地創造神話)」の場面などが、精巧な浮き彫りで描かれています。
遺跡群には、他にもアンコール・トムの仏教寺院バイヨンバンテアイ・スレイなどの遺跡群が含まれています。

引用元:Wikipedia(by Javier Gil)


9.イタリア:ローマ歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(Repubblica Italiana:Historic Centre of Rome, the Properties of the Holy See in that City Enjoying Extraterritorial Rights and San Paolo Fuori le Mura)
  [文化遺産として1980年に登録/1990年に範囲拡大および2015年に範囲変更]

イタリアの都市ローマは、紀元前1〜後5世紀にかけて地中海全域を支配した古代ローマの歴史を物語る都市。
ローマには、オオカミに育てられた双子の兄弟にまつわる建国神話があります。オオカミの乳で育った兄弟ロムルスとレムスのうち、兄のロムルスが紀元前754年にローマを築いたとされ、「ローマ」の名は、そのロムロスに由来しています。

引用元:Wikipedia(by Diliff)


10.フランス:パリのセーヌ河岸(French Republic:Paris, Banks of the Seine)
  [文化遺産として1991年に登録]

フランスの首都パリを流れるセーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmほどが「パリのセーヌ河岸」として世界遺産登録されています。
セーヌ河畔に広がる2,000年の歴史都市には、パリのシンボルとも言えるエッフェル塔や、2019年の火災で屋根を焼失したノートル・ダム大聖堂なども含まれています。

パリのセーヌ河岸」のほぼ中心にあり、13世紀に頃に築かれた要塞を起源とし、フランス国王の居城として改築が繰り返されたルーブル宮は、現在、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「モナ・リザ」や「ミロのヴィーナス」などが展示されているルーヴル美術館となり、構成資産に含まれています。
また、駅舎として建造され、1986年に美術館に転用されたオルセー美術館も構成資産の一つとなっています。

引用元:Wikipedia(by Savani1987)


11.アメリカ:自由の女神(United States of America:Statue of Liberty)
  [文化遺産として1984年に登録]

アメリカニューヨーク港入口のリバティ島に立つ自由の女神像(正式名称「世界を照らす自由」)は、アメリカの自由と民衆主義のシンボルです。
像は合衆国の独立100周年を祝ってフランス人民から贈られました。
左手に1776年7月4日と記された独立宣言書を抱え、希望を意味するたいまつを右手に掲げ、奴隷制を象徴する鎖を踏みつけています。


映画「ザ・フォール 落下の王国」での登場は、先ほどのカイロのピラミッドから、このニューヨークの自由の女神像まで、それぞれほんの一瞬なので、目を凝らして楽しんでくださいね。



12.インド:アーグラ城(Republic of India:Agra Fort)
  [文化遺産として1983年に登録]

インドの首都ニューデリーに近いウッタル・プラデシュ州アーグラ市に、1565年、ムガル帝国の第3代皇帝アクバル(ジャラール・アッディーン・ムハンマド)によって建設が始められた赤い城「アーグラ城」があります。
このムガル帝国の栄華を伝える赤い城は、ヒンドゥー建築とイスラム建築が融合した古代インド・ムガル帝国の代表的建物であることが評価され、世界遺産に登録されました。

引用元:Wikipedia(by A.Savin )

この城塞には見学ができる遺跡とできない遺跡がありますが、映画では、見学ができる建築物である、Diwan-i-Aam(ディワーニ・アーム/一般謁見の間)とDiwan-i-Khas(ディワーニ・カース/貴賓謁見の間)が、旅の舞台として使われています。

Diwan-i-Aam(ディワーニ・アーム)
Diwan-i-Khas(ディワーニ・カース)


13.インド:タージ・マハル(Republic of India:Taj Mahal
  [文化遺産として1983年に登録]

上記のアーグラ城から見える場所に、美しい白大理石の霊廟タージ・マハルがあります。
愛妃のムムターズ・マハルを偲んだムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンによって建造されました。
タージ・マハルの平面図は構成において完璧な均整を示しており、インドのイスラム建築の最も偉大な達成だとみなされています。


「ザ・フォール 落下の王国」では、この美しい建築物の前で、青年が語る物語の中の主人公が、愛した女性を復讐のために銃殺しようとする場面が描かれています。



以上が、映画「ザ・フォール 落下の王国」に登場した世界遺産の数々です。

私は、これらのうち、実際にこの目で見たことがあるのは、ニューヨークの自由の女神のみ。

しかも、自由の女神像の立つリバティー島まで行ったわけではなく、マンハッタンのバッテリーパークから見ただけなので、かなり遠目。

本当は昨年、ウィーン経由でチェコに行きたいと思って、旅行本も購入し計画を練っていたのですが、生憎のコロナ禍・・・
ああ、旅がしたい!
いつか必ず行くのだという想いを胸に抱いて、世界遺産検定勉強に臨みます。


旅好きなお方は、こちらもどうぞご活用ください♪
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世界遺産の運河都市アムステルダム回顧

400年の歴史を持つオランダの環状運河都市


TVを普段ほとんど見ない私でも愛好している番組、毎週日曜の午後6時から放映されるTBSの「世界遺産」、本日(2021年5月9日)の内容は『アムステルダムの環状運河地区 〜 400年前に誕生!人工の水上都市』ですね。


オランダの首都アムステルダムは、水路が街の中にはりめぐらされた運河の街。
この運河地区は「アムステルダムの中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区」(Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht)という名称で2010年に世界遺産として登録されました。

世界遺産として認められるには、「世界遺産条約履行のための作業指針」で定められた10項目登録基準の一つ以上に当てはまる必要があります。
このアムステルダム環状運河地区登録基準(ⅰ)(ⅱ)(ⅳ)

(i):人類の創造的資質を示す傑作。
(ii):建築や技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展において、ある期間または世界の文化圏内での重要な価値観の交流を示すもの。
(iv):人類の歴史上において代表的な段階を示す、建築様式、建築技術または科学技術の総合体、もしくは景観の顕著な見本。

この世界遺産についての説明を、「世界遺産検定2級公式テキスト くわしく学ぶ世界遺産300」より参照して、以下に記載します。

アムステルダム旧市街から一番外側の運河「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がっている環状運河は、16世紀末から17世紀初頭にかけて、新しい港湾都市プロジェクトとして整備された。
運河間の泥沢地から排水して干拓した土地に市街地を広げ、運河沿いには切り妻屋根を持つ均質的な建物が立ち並び、港から入った物資は運河を通って街の隅々にまで運ばれた。
アムステルダムの急速な拡大は、大規模な都市計画の見本として、19世紀まで世界の都市計画に影響を与えた。

さて、「緊急事態宣言」及び「まん延防止等重点措置」が発令されている、この2021年のコロナ禍中のゴールデンウィークも、何処にも行けずあっけなく終わってしまいましたので、またいつか旅行できる日を夢見て、今日は、過去に訪れたアムステルダムを、写真で回顧してみようと思います。

私が訪れたのは2019年のちょうど今頃の時期、アムステルダム運河地区散策の当日はあいにくの空模様でした。


東京駅とよく似ていると言われるアムステルダム中央駅を中心に運河が広がっています。
駅前には運河クルーズ運行会社がたくさんあり、世界遺産運河のクルージングを楽しむことができます。


歴史を感じる美しい運河。様々な橋の形状も面白い。


ところどころに跳ね橋があります。


アムステルダムの家並みといえば、これ。
カラフルで楽しげなものもあれば、モノトーンでシックなところも。


市庁舎として建設されたアムステルダム王宮
屋根に立つギリシャ神話の巨人アトラスの像は、アムステルダムのシンボルの一つ。


今は博物館となっているアンネフランクの家
かなり人気のスポットで数週間前には予約する必要があり、私は残念ながら、入館できませんでした。


絶対に訪れたかったレンブラントの家
偉大な画家レンブラント・ファン・レインが1639年から20年間住んでいた家を利用した美術館もアムステルダムの街中にあります。


2019年はちょうどレンブラントの没後350周年だったので、レンブラント出生のオランダに是非行きたい!と思って訪れたのでした。
アムステルダム旧市街から一番外側の運河「ジンフェルグラハトSingelgrachtシンゲル運河)」沿いに、美術ファンなら必ず訪れたい「アムステルダム国立美術館Rijksmuseum)」があります。
ここでも、レンブラントの特別展が開催されていました。


アムステルダム国立美術館は、ゴッホの「自画像」や、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」などの所蔵品はさることながら、その建物自体も素晴らしく、とても広くて数時間では見切れないけれど、ここはレンブラントの名作「夜警」が収蔵されていることでも有名です。
レンブラントの没後350周年ということもあって訪れたオランダ、この作品を見ないわけにはいかないのですが、ご覧の通り、すごい人でした。


大勢の人に圧倒されましたが、挫けずにいいポジション陣取って、しっかり堪能しました。


400年の歴史を持つアムステルダムの運河都市、素晴らしい世界遺産と芸術を味わえる旅でした。
またそんな旅に行ける日はいつだろう・・・


あなたの
旅の思い出の地は
どこですか?


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2020年 去りゆく1年に感謝

豊かな気持ちで生きれたことに、ありがとう


思い起こせば、一昨年(2018年)の今日、私は韓国で年越しを迎えました。

2018年12月31日のソウル広場

それまでは、日本の習わしを大切にする祖母を筆頭にして年末年始を過ごしていましたが、大好きだった祖母がその年に亡くなっていたので、なんとなく、一人で静かに海外で年を越したいと思ったのです。

韓国の世界遺産 昌徳宮(チャンドックン)/2019年1月1日

その時に訪れた「南山コル韓屋村(ナムサンコルハノンマウル)」。

南山コル韓屋村の伝統家屋/2019年1月1日

そこは、各地に散らばっていたソウルの貴族の伝統家屋を移築して集め、再現したもので、ソウル市の現代の街中にあるのでちょっと不思議な空間なのですが、伝統建築・文化を再現した屋外博物館といったところで、ポピュラーな観光スポットとなっています。

そこで、たまたま、誰でも無料で願掛けができるコーナーがありまして。
ソウルの正月伝統行事の火祭りで燃やす事で叶うと言われるもので、用意されている半紙に願い事を書いて、ちょうど日本の神社でおみくじを引いた時と同じように、その場に備えれている縄に結んでおけば、あとで(韓国は陰暦で正月を祝うので2月に)燃やしてくれるから願いが叶うよと。
それで、無料だしせっかくだからと、ペンを手に取り、私が思わず書いた願い事は、

「心のあたたかくて優しい人たちに囲まれて笑って過ごせますように」

でした・・・


その頃は、安定し悪くない収入を得られる仕事についてはいたものの、精神的には全くよろしくない状況で、その収入を手放していいのか、でも、心身がダメになってはどうにもならないという悩みのはざまにあったので、そんな願い事が出てきたのでした。

そして2019年が始まってから間も無く、同じ職場で働く最も信頼していた唯一の心優しい人が退職したことにより、私の迷いは断ち切られ、仕事を辞める事を決意しました。

仕事を辞めてから思ったことは、辞めて良かった。それしかありませんでした。
失業給付や訓練校に通えるというありがたい制度があり、それほどお金の心配をすることもなく、心が穏やかになり心身が回復していくのを感じ、幸せなだけでした。


特に金銭面に関して認識でき、自分にとって大きな収穫だと感じているは、「自身の捉え方によるところが大きい」のだろうということ。
ないと思えばないし、あると思えばある。そういうことなんだなと。

お金にかかわらずモノ・コトなんでも、ないないと嘆き、欲して必死になると、もし得ることができたとしても、それを失わないようにもしくはその上を目指すので、代償として不安も増します。
でも、今あるものでいいじゃん、生きれるじゃん、と思うことができれば、必要以上に求めることもなくなるし、等身大の自分を心地よく感じることができるようになるので、不安もなくなります。

もちろん目標を持って進むことは必要だけれど、見失ってはならないものがあることに気をつけておかなければならないということです。
自分にとって何が本当に大事か
なんのために生きているのか
今あるものに感謝して、そういったことに意識を向けることが大切なのかなと思います。


コロナ禍にあって、仕事を失ってしまった人や、職を探しても見つからない人が大勢いる中で、私は運よく、尊敬するかたから声をかけられ、思いがけない形ではありましたが、今、働くことができています。
そこは、元気でかわいい、未来を担う子どもたちの声が、毎日、響き渡る場所。
そんな子どもたちと親御さんを支えるために、愛に満ちた保育士の先生たちが懸命に働く所。
やさしさ、あたたかさがないと成り立たない環境です。
そこで役に立つことが、今、私に与えられている使命なのだと思えますし、それは本当に幸せなことだと心から感謝しています。

以前の収入に比べたらだいぶ低いのが現状ではありますが、安定はしてるし、自分のために使える時間も増え、お蔭で、やっぱりお金が全てじゃないよねと、これまでなんとなく感じていたそれよりも、本当の意味で認知することができました。
それに、今は副業も認められ、パラレルワークも当たり前となりつつある世の中。
私のようないろいろやりたい人間にはむしろありがたいのがこれからの社会。
今の職場に貢献しつつ、あたたかくて安らげ、笑顔になれる人が増える環境、そんな裾野を広げていきたい、そう思っています。


さて、2020年も本日が最後となりました。
この2020年は、コロナに始まりコロナに終ったとして歴史上刻まれるでしょう。
世界中がこれまで陥った事のない、本当に大変な1年でした。

ちまたでは、このコロナを逆手に取り、「不安な時代を生き抜くために」と言いながら、返って不安な気持ちを助長するかのような報道やビジネスもありますが、こんな時だからこそ、周りに流されずに豊かな心を携えた自分を持つということがとても大切だと感じています。

冬らしさを感じる雪の仙台

2020年も生かしていただいたことに感謝。ありがとうございました。
明日から始まる2021年も心身豊かに過ごすことができますように。。。


2021年に向けて
あなたが願うことは
なんですか?