〜 現実の中にある物語について 〜
映画を観終えたあと、しばらく席を立てませんでした。
物語の余韻もあれば、さらには個人的な何かが胸の奥に触れていた感覚があって──
それが何なのか、すぐには言葉にできなかったのです・・・
To be, or not to be, that is the question.
生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ。
この、あまりにも有名なセリフはいかにして生まれたのか。
映画『ハムネット(原題:Hamnet)』は、シェイクスピアの名戯曲「ハムレット」誕生の背景を描いた作品です。
けれども、単なる“偉人の物語”ではありませんでした。
むしろそこにあるのは、誰かを失うこと、残された人がそれでも生きていくこと、そしてその想いが形を変えて何かを生み出していくという、激動の中にも静けさのある、確かな人間の営みでした。
まず、この作品を語る上で欠かせないのが、監督クロエ・ジャオ(Chloé Zhao)の存在です。
彼女の代表作で、アカデミー賞受賞も果たした『ノマドランド』を観た方ならわかると思いますが、
- 過剰に説明しない
- 感情を押しつけない
- 余白の中で“感じさせる”
という独特の作風があります。
なお、映画『ノマドランド』についての私の過去記事はこちらでして、
→ アカデミー賞受賞作「ノマドランド」に見る壮大な風景と生きる意味
偶然ですが、『ノマドランド』にはシェイクスピアの美しい詩が引用されるのですが、そのことにも触れてます。
今回の『ハムネット』もまさにその延長線上にあって、ともすればもっとドラマチックにも描けるであろう題材を、あくまで静かに、しかし確実に心に染み込ませてくるような演出が印象的でした。
さらに、この作品で個人的にとても印象に残ったのが、配役に関するエピソードです。
物語の後半、妻アグネスが夫ウィルの舞台「ハムレット」を観に行き、舞台上のハムレット王子に亡き息子ハムネットの面影を見るシーン。
映画鑑賞中は、私は単純に「似ている俳優を選んだんだな」と思っていました。
けれど後からパンフレットを読んで知ったのは、
- 息子ハムネット役を演じた
ジャコビ・ジュープ(Jacobi Jupe:子役にして素晴らしい才能の持ち主!) - その実の兄である
ノア・ジュープ(Noah Jupe:舞台のハムレット王子役として出演)
という兄弟俳優がキャスティングされていた、という事実。
つまり“似ている”のではなく、本当に似ている存在だったということです。
この事実を知ったとき、感じ方が少し変わりました。
あのシーンについては、この映画の原作者マギー・オファーレル(Maggie O’Farrell)の想像によるもので、完全にフィクションであることは明白です。
しかしながら、感情の部分が現実にぐっと近づいているような、そんな不思議なリアルさを感じたのです。
それは、こうした細やかな演出があってこそのことで、この作品の静かな説得力を支えているのだろうと思いました。
これは私の勝手な想像と見方ですが、現実でもシェイクスピアは息子ハムネットを想いながら戯曲「ハムレット」を文章で綴って、さらにその舞台を演出した時には、やはりハムネットに似た人を配役したんじゃないかと思うんですよね。
今回の映画『ハムネット』での、クロエ・ジャオ監督によるキャスティングも、それと重なる部分があるなと。
この映画は史実をベースにしながらも、その核心部分はあくまで“想像”で描かれています。
ウィリアム・シェイクスピアと結婚したアグネス(公的な記録としての名はアン・ハサウェイ)は、長女に男女の双子と3人の子供を儲けるが、ウィル(シェイクスピア)は一家の住まいから遠く離れたロンドンでキャリアを模索、その間に訪れる息子ハムネットの死、そしてその後に戯曲として「ハムレット」が書かれたという事実。
一方で、同時にあったはずの感情や出来事は、記録としてはほとんど残っていません。
だからこそこの作品は、
「史実の再現」ではなく、“あり得たかもしれない心の動き”を描いている
そう感じました。
シェイクスピアが息子の死をきっかけに悲劇を書くようになった、という明確な記録もないといことですが、私は、きっと無関係ではないだろうと思っています。
シェイクスピアほどの偉大な存在でなくても、私たちは日々の経験や出来事を通して、考え方や表現が少しずつ変わっていくものです。
それはきっと、アーティストであればなおさらで、人生の中で起きた出来事が、何らかの形で作品に影響を与えるというのは、ごく自然なことではないでしょうか。
戯曲「ハムレット」という作品の奥に、ひとりの父親としての想いが重なっていたとしても不思議ではない、そう思います。
そして実は、観ている最中から観終わったあともずっと、私の中で何かが揺れていたのですが──
その理由にふと気づいたのは、映画館を出た後の帰り道でした。
私は、亡き祖父母のことを思い出していました。
祖父母の間には、長男(私の父)と2人の娘、双子の点や順番は違いますが、ウィルとアグネス同様に、3人の子供がいました。
そして、私の生まれ育った家は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)にあり(震災により今はありません)、祖母はそこで美容室を営みながら、家族を支えていました。
一方で祖父は画家として活動していて、祖母は「こんな田舎では日の目を見ないから」と、祖父の背中を押し、東京へ送り出したそうです。
映画『ハムネット』に描かれているウィル同様、祖父は時々しか家族の住む家に戻って来ない存在だったので、祖母はその間、アグネス同様に、女手一つで子どもたちを育てていました。
決して派手ではないけれど、誰かの人生を信じて支えるという、強くて静かな選択。
今回の映画の中で描かれていた夫婦の関係性や家族の在り方が、どこか重なって見えたのは、きっとそのせいだと思います。
もちろん、シェイクスピアの人生と、私の祖父母の人生はまったく別のものです。
けれどこの作品を通して感じたのは、
「特別な人の物語」ではなく、「どこにでもあり得たかもしれない人間の物語」
でした。
だからこそ、こんなにも深く心に触れたのだと思います。
私の祖父母についての話は少し特殊かもしれません。
しかし、人を愛する幸福感や、大切な人を失った時の喪失感などは、多くの人が体験していることではないでしょうか。
そしてもう一つ、この映画を観て強く感じたことがあります。
それは、
人は、自分が体験したことや想ったことを通じてしか、本当の意味で何かを生み出せないのではないか
ということです。
シェイクスピアの息子を失ったという悲しみが、やがて「ハムレット」という作品へとつながっていったのだとしたら、そこには単なる創作を超えた“必然”のようなものがあったのではないかと感じずにはいられません。
映画の中の出来事はフィクションも多く含まれているはずなのに、どこか現実のように感じられたのは、そうした“あり得たかもしれない感情”が丁寧に描かれていたからなのだと思います。
また、「現実は小説より奇なり」という表現がありますけれども、
現実の中に、すでに物語はある
私はそんな風に思いました。

映画『ハムネット』は、必ずしも全ての人に強く響くものではないかもしれません。
けれどもし、どこかで自分の中の「やわらかさ」や「痛み」に触れたことがある人なら、きっと何かを感じ取れる、静かで、あたたかくて、そして確かに胸に残る作品だと思います。
映画『ハムネット』公式ホームページ:https://hamnet-movie.jp/
映画レビューなのに、今回はだいぶ個人的なことも書いてしまいましたが、私はこの映画を観たことで、祖父母のことを、もう一度ちゃんと書いてみたいなとも感じました。
祖父母については以前にもブログに書いたことがあるのですが、今回観た映画『ハムネット』をきっかけに、その記憶の見え方も少し変わった気がしています。
もしご興味がありましたら、そちらもあわせて読んでいただけたら嬉しいです。
私の大切な祖父母についての過去記事はこちら:
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その1/おしんのような経験を持つ美容師
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その2/ずっと秘密にされてきた二人の馴れ初め
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その3/家庭を持っても単身生活を続けた画家
毎回意外なことを思い起こさせてくれる映画。
つくづく映画ってやはり素晴らしいです。
大好き。そして感謝。
✔️『ハムネット』が上映されている劇場はこちら:
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=RsbAfzMx


