映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシを手に持ってクローズアップした写真

映画『ハート・オブ・ビースト』を観て、現実の軍用犬を知る

〜 フィクションから繋がるリアル 〜


ブラッド・ピット(Brad Pitt)主演、デヴィッド・エアー(David Ayer)監督による映画『ハート・オブ・ビースト(原題:Heart of the Beast)』を観てきました。

大々的に宣伝されている印象もなく、私自身、この映画の存在を知ったのは公開が近づいてからでした。
チラシを見つけ、「Heart of the Beastということは、獣の心?感動できそうなテーマという気がするし、ブラピ主演だから面白くないということはなさそう、観ときたいな」くらいの気持ちで、いつも通り、鑑賞前は映画館で放映されていた予告編だけの知識で、映画鑑賞当日を迎えました。

また、行きつけのTOHOシネマズ仙台では一般劇場しか選択肢がなく、パンフレットも販売されていなかったので、あまり話題になっていない作品なのかなと思いつつ鑑賞したのですが・・・

実際には、観終わってからも気になってしまう価値のある作品でした。
大自然の映像も美しく迫力もあったので、是非とも特殊劇場で見たかったほどです。

※この記事では映画『ハート・オブ・ビースト』のストーリーや、映像の肝となる撮影秘話に触れています。未鑑賞の方はご留意ください。

映画『ハート・オブ・ビースト』予告編

元米陸軍特殊部隊員ジェームズと、彼とともに戦場を経験した義足の退役軍用偵察犬オーディン。
アラスカの大自然の中で飛行機事故に遭い、二人が互いを助けながら生き延びようとするサバイバル・スリラー映画です。
そして、結末に向かうとともに泣けてくる映画でもあります。
犬好きさんにはたまらない映画だろうな、とも思います。

そもそもフィクションなのですが、「人間と犬がこれほどの状況を生き延びるなんて映画的すぎる」と言う批判もあるようで、そんな意見が出るのもわかる気はします。
でも、「映画」なのだからそれでいいじゃない、というのが私の考えで、むしろこの映画を観たあとに気になったのは、別のことでした。

このオーディン、いったいどうやって撮ったのだろう?
そして、そこから調べ始めたことが、思いがけず、私がそれまでほとんど知らなかった「軍用犬」という現実の世界につながっていったのです。

オーディンを演じたのは、一頭ではなく親子4頭

まず驚いたのが、オーディンを演じた犬についてでした。

中心となったのは、ウーバー(Uber)というジャーマン・シェパードです。
そして彼の3頭の息子、シーカ(Seeka)、ライカー(Ryker)、ホンドー(Hondo)がスタントダブルとして参加しています。
つまりオーディンは、実の親子4頭によって演じられた一頭の犬でした。

ウーバーはもともと山岳救助に携わっていた犬で、動物コーディネーターのアンドリュー・シンプソン(Andrew Simpson)がニュージーランドで探し出したとのこと。

映画の中ではオーディンが軽飛行機やヘリコプターに乗る場面もありますが、ウーバー自身、以前からヘリコプターを経験していました。
デヴィッド・エアー監督も、撮影時のウーバーが非常に落ち着いていたことについて語っています。

ウーバーは主に表情やブラッド・ピットとの関係性を見せる場面を担当し、身体的な負荷の大きい場面では息子たちがスタントダブルとして活躍しました。

監督によれば、高所でのワイヤーワークが得意な犬、泳ぐのが得意な犬、走るのが得意な犬というように、それぞれの能力を生かして撮影したそうです。
動物コーディネーターのシンプソンも、一頭一頭の性格や得意分野を見極めて撮影していたことを語っています。
たとえば水中での仕事を予定していた犬がそれを嫌がった際には、無理にやらせるのではなく、水が好きなライカーに任せました。

映画では命懸けに見える場面でも、現実の犬に「演技のために危険を強いる」のではなく、それぞれの犬ができることを組み合わせていく。
その積み重ねが、スクリーンの中では一頭のオーディンになっています。

ブラッド・ピットが最初にしたことは、「ウーバーに信用してもらうこと」

もう一つ興味深かったのが、ブラッド・ピットとウーバーの関係でした。

この映画では、ジェームズとオーディンがとても自然に触れ合います。
じゃれ合ったり、身体を寄せたり、顔を舐められたり。

私は観ながら、ジェームズ役のブラッド・ピットがオーディンと戯れて見せる笑顔が、時々「これは演技じゃなくて、本当に出てしまってるのでは?」と感じるほど自然なのが印象に残っていました。

もちろん、特定の表情について「これは素の笑顔だった」と断定することはできません。
けれど撮影前、ピットはウーバーとの信頼関係を作ることにかなりの時間を使っていました。

ピット本人は、この映画で最も重要だったのはウーバーから信頼を得ることだったと語っています。
ウーバーに「この人と一緒なら安全だ」と思ってもらうため、できるだけ多くの時間を一緒に過ごしたそうです。

動物コーディネーターのシンプソンによれば、二人は撮影前に約3週間かけて関係を築き上げたとのこと。
さらに撮影中、ピットのポケットには犬用ビスケット…ではなく、”茹でたチキン”が入っていたそうな。

監督によれば、ピットはウーバーの一日のリズムや注意を引く方法まで理解するようになり、必要なときには自分でウーバーの注意を引けるほどになっていたそうです。

ですから画面の中にあるのは、「ジェームズとオーディン」という架空の関係だけではありません。
その下には、「ブラッド・ピットとウーバー」という実際に築かれた信頼関係があります。

それが、あれほど自然な二人の関係につながっているのではないかと思います。

映画『ハート・オブ・ビースト』特別映像<犬との絆が生まれるまで>

それでも、オーディンはすべて実写ではない

ここからが、VFX(Visual Effects:視覚効果)好きな私にとって非常に面白かったところです。

私は映画を観ながら、狼や熊などにはCGが使われているだろうと思ったものの、オーディンについては、かなりの部分を実際の犬で撮影しているように見えました。

実際その通りなのですが、調べてみると想像以上に複雑でした。
オーディンには、

  • 実際の4頭の犬
  • 実物の装具
  • 部分的なデジタル加工
  • 完全なCGによるオーディン

が組み合わされています。

映画のオーディンは戦争で脚を失い、義足を装着しています。
撮影では実際の犬に装具を取り付ける方法が使われる一方、必要なショットではVFXによる処理も行われました。
さらにオーディンには戦争で失った歯の代わりにチタン製の歯がありますが、こちらもデジタルで表現されています。

そして興味深いのが、オーディンが攻撃的な表情をする場面です。

ウーバーはもともと穏やかな犬だったため、必要なほど激しい威嚇表情を自然に出させることが難しかったそうです。
そこで一部のショットでは、実際のウーバーの身体、目、耳などを残しながら、顎から鼻にかけてのマズル部分をデジタルで置き換えるという方法まで使われました。
これはVFXスーパーバイザーのフランソワ・デュムラン(François Dumoulin)自身が具体的に説明している手法です。

犬に無理に怒らせるのではなく、本物の犬が見せてくれた演技をできるだけ残し、犬にできない部分をVFXが補う。
私はこの考え方が好きです。

「どちらが本物?」—完全CGのオーディンまでいた

VFXを担当したフレームストア(Framestore:イギリス・ロンドンに所在するVFX制作会社)は、ウーバーを詳細にスキャンし、デジタル・ダブル*を制作しました。
さらにウーバーをブルースクリーンの前で複数のカメラを使って撮影し、歩く、走る、方向を変える、さまざまな表情をするといった大量のリファレンス映像も収録しています。
*デジタル・ダブル:映画やVFXの分野で使われる、実在する人間(この場合は犬ですが)をコンピュータ上で精密に再現した3DのCGモデルで、いわゆるそっくりさんのこと

そして制作側は、本物のウーバーとCGのウーバーを比較するテストまで行いました。
もともとデヴィッド・エアー監督は、CGの犬で感情的なクローズアップを作ることには懐疑的だったそうです。

ところが完成したデジタルウーバーの出来を見て、考えが変わりました。
結果として映画には、アクションだけでなく、感情を見せる重要な場面にも完全CGのオーディンが含まれています。

VFXスーパーバイザーのデュムランは、具体的にどのショットがCGなのかを明かしていません。
しかし、映画を観ている間、それをほとんど意識させなかったのですから、VFXとしては大成功なのではないでしょうか。

狼も熊も、「何もないところ」に演技していたわけではない

狼との戦いも興味深いものでした。

ニュージーランド(撮影地。物語上はアラスカという設定)では本物の狼を使えなかったため、撮影では狼のパペットや、狼の動きを演じるスタントパフォーマーが使われたのだそうです。
最終的な激しい戦闘部分では、狼だけでなくオーディンもCGになっている部分があります。

熊も最終的にはCGですが、撮影現場には熊の大きさを表現する実物大の軽量パペットが用意されました。
デュムランは、単に「棒の先のテニスボール」のようなものを相手に演技させる方法ではなく、実際の大きさを持つものを現場に置くことの重要性を説明しています。
そこに熊の大きさを示すものがあれば、俳優だけでなく、カメラ、フォーカス、照明などのスタッフも「そこに熊がいる」ことを前提に仕事ができます。

つまりこの映画のVFXは、撮影後に何でもCGで作ればいいという発想ではなく、現場でできるだけ実在感のあるものを作り、その先をデジタルで完成させるという方法だったことが分かります。

この映画がVFXを多用しているにもかかわらず、どこか身体感覚のある映像に見える理由の一つなのかもしれません。

そして私は、VFXとは別のことが気になり始めた

ここまで調べた時点では、私は完全に「映画の作り方」に興味を持っていました。
ところが、調べているうちに別の疑問が出てきました。

オーディンは退役軍用犬です。
戦争で脚を失い、身体に傷があり、そして映画の中では悪夢にも苦しんでいます。

実際の軍用犬にも、こんなことがあるのだろうか?
そこから、私はそれまでほとんど知らなかった世界を知ることになりました。

映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシ表面
映画『ハート・オブ・ビースト』チラシ(表面)

犬にも、戦争による「心の傷」がある

現在、米軍のJTS:ジョイント・トラウマ・システム(Joint Trauma System:統合外傷システム)には正式に、

  • Canine Posttraumatic Stress(C-PTS)
  • Canine Posttraumatic Stress Disorder(C-PTSD)

という軍用犬のための臨床ガイドラインがあります。
2025年8月14日付で更新された正式な診療ガイドラインです。

つまり、強いトラウマ体験の後に軍用犬が示す心理・行動上の問題は、現在の軍獣医学で正式に扱われているものなのです。

もちろん、「犬が戦争の悪夢を見ている」と本人に確認することはできません。
ですから、映画のオーディンが戦争の記憶を夢として見る描写と、現実のC-PTSD(犬の心的外傷後ストレス障害)をそのまま同一視することはできません。

それでも、戦争によって犬にも長期的な心理・行動上の影響が生じ得ること自体は、現実の軍用犬医療で認識されています。
オーディンの心の傷は、単なる人間的な感情の投影だけで作られた設定ではないことが分かります。

<参考記事>
Do Dogs Dream? What Do Dogs Dream About?
犬は夢を見るのか、そしてどんな夢を見るのかについて述べられた記事。
https://www.petmd.com/dog/general-health/do-dogs-dream?utm_source=chatgpt.com
Joint Trauma System — Canine Posttraumatic Stress / Canine Posttraumatic Stress Disorder Clinical Practice Guideline
軍用犬のC-PTS/C-PTSDについてまとめられた米軍の正式な臨床ガイドライン。戦闘などの強いストレスを経験した犬に生じる心理・行動上の問題について。
https://jts.health.mil/assets/docs/cpgs/K9_C-PTS_C-PTSD_CPG_c18_14_Aug_2025_v1.1.pdf?utm_source=chatgpt.com

軍用犬は、実際に人間より先を歩く

軍用犬の仕事にも、爆発物探知、麻薬探知、哨戒、特殊任務など、さまざまな種類があります。
特に爆発物を探知する犬は、人間が危険な場所へ近づく前に、その優れた嗅覚によって危険を発見する重要な役割を担ってきました。

ある米軍のハンドラー*は、イラクで軍用犬と任務にあたることについて、「外へ出るたびに、自分の命を彼の足に預けています」という趣旨の言葉を残しています。
*ドッグハンドラー:犬の能力や魅力を最大限に引き出し、ドッグショーや警察・災害現場などの特定の目的で犬を誘導・管理する専門家

軍の書類上では高価な「資産」として扱われる犬であっても、そのハンドラーは同じ記事の中で、それは単なる仕事上の関係ではないと語っています。
私はこの言葉がとても印象に残りました。

<参考記事>
U.S. Army — Dogs on duty: Military working dogs offer one-of-a-kind partnership
軍用犬とハンドラーの関係や、爆発物探知などの任務について紹介した米陸軍の記事。
https://www.army.mil/article/92332/Dogs_on_duty__Military_working_dogs_offer_one_of_a_kind_partnership/

人間が犬を守る。犬も人間を守る

映画ではジェームズ自身も負傷しながら、オーディンを助けようとします。
回想シーンでは、戦火の中で二人とも負傷し、それぞれ担架で運ばれながら、ジェームズはオーディンを心配しています。
そして本編では、自分の命を危険にさらしてまでオーディンを救おうとします。

映画だからドラマチックに描かれているのだろう、そう思っていました。
でも現実にも、それに近い出来事がありました。

軍用犬ブロンコ(Bronco)はアフガニスタンで銃撃を受け、7.62mm弾によって顔面に重傷を負いました。
二等軍曹(当時)でハンドラーのジョン・マリアナ(John Mariana)は血痕を追ってブロンコを探し出し、出血を止める応急処置を行いました。
二人は医療搬送され、ブロンコは救命手術を受けました。

さらにその後、マリアナは2週間、ブロンコの犬舎で一緒に寝ました。
負傷したブロンコが夜間も呼吸できるよう、口を開けてやるためでした。

ブロンコの状態が安定すると、二人は一緒に米国へ戻り、ブロンコはさらに4回の手術を受けました。
しかし負傷によって嗅覚に大きな障害が残り、軍用犬として働き続けることはできなくなりました。

これを知ったとき、私は映画のジェームズの行動が、それまでとは少し違って見えました。

<参考記事>
U.S. Army — Bronco, Mariana: MWD team carries on bond of respect, friendship
アフガニスタンで顔面を撃たれ重傷を負った軍用犬Broncoと、ハンドラーMarianaについての米陸軍公式記事。救命処置、医療搬送、手術、その後の二人の関係について。
https://www.army.mil/article/75577/bronco_mariana_mwd_team_carries_on_bond_of_respect_friendship

脚を失って帰ってきた軍用犬も、本当に存在する

米海兵隊の軍用犬ルッカ(Lucca)は、イラクとアフガニスタンへの3度の派遣で、400回を超えるパトロールに参加しました。
米陸軍の記録によると、ルッカが同行した400回以上のパトロールでは、彼女が守った米軍兵士は全員無事に帰還したとされています。

しかし2012年、アフガニスタンで爆発物を発見した際、別のIED(即席爆発装置)が爆発しました。
ルッカは重傷を負い、左前脚を失いました。
それでも生還しました。

私はここで、三本脚のオーディンを思い出さずにはいられませんでした。
ルッカがオーディンのモデルだったという制作側の証言は、私が確認した範囲では見つかっていません。
ですから、そこを直接結びつけることはできません。

けれど、戦場で人間を守るために働き、爆発によって脚を失い、生還して退役する犬は、フィクションの世界だけに存在するわけではなかったのです。

<参考記事>
U.S. Army — War hero Lucca highlights importance of military working dogs, Veterinary Corps
イラク・アフガニスタンで400回以上のパトロールに参加し、IEDの爆発によって左前脚を失った軍用犬Luccaについて。
https://www.army.mil/article/166344/war_hero_lucca_highlights_importance_of_military_working_dogs_veterinary_corps

かつては退役犬が家に帰れない時代もあった

そして、さらにショックを受けました。

現在では、退役した軍用犬を元ハンドラーが引き取る制度があります。
しかし以前のアメリカでは制度が違いました。

2000年に米議会が成立させた、ロビー法(Robby’s Law)の目的について、米議会調査局の資料には明確な記述があります。
それは、国防総省が軍用犬の「有用な勤務期間」の終了時に安楽死させていた慣行を直ちに終了させ、退役した軍用犬を法執行機関、元ハンドラー、その他適切に世話のできる人々へ譲渡できるようにすることでした。

つまり、現在では自然に思える、「仕事を終えた犬に、新しい生活を用意する」という仕組みは、最初から当たり前に存在していたわけではなかったのです。

この法律が「ロビー法(Robby’s Law)」と呼ばれているのは、ロビー(Robby)という一頭の軍用犬の名前に由来しています。

ロビーは軍務を終えたあと、かつてのハンドラーが引き取りたいと希望していました。
しかし当時の制度ではそれが認められず、ロビーは安楽死させられました。

ロビーの出来事は、長年人間のために働いてきた軍用犬が、任務を終えたあとも「軍の所有物」として扱われ、たとえ一緒に暮らしたいと願う人がいても譲渡できない制度の問題を象徴するものとなりました。

そして2000年、退役した軍用犬を元ハンドラーや法執行機関、適切に飼育できる人々へ譲渡できるようにする法律が成立します。
それが、ロビー(Robby)の名を残したロビー法(Robby’s Law)なのです。

現在では自然に思える、「仕事を終えた軍用犬が、かつてのパートナーと一緒に家へ帰る」という選択肢は、最初から当たり前に認められていたものではありませんでした。

ロビー自身はその新しい制度のもとで暮らすことはできませんでしたが、その名前は、後に続く軍用犬たちが任務を終えたあとに新しい人生を送るための法律に残ることになりました。

現在は国防総省の軍用犬譲渡プログラム(Military Working Dog Adoption Program)があり、勤務を終えた犬だけでなく、軍用犬になるための厳しい訓練・認定基準を満たさなかった犬などについても、条件に合う家庭への譲渡が行われています。

映画の中では、退役したオーディンがジェームズと暮らしています。
私は最初、それを当たり前のこととして見ていました。
でも歴史を知ると、それが当たり前になったのは決して最初からではなかったことが分かります。

<参考記事>
Justice for TEDD Handlers — “Robby’s Law”
退役後の引き取りを望んだ元ハンドラーの願いが叶わず、安楽死となった軍用犬Robbyの物語と、その出来事を背景に2000年に成立した「Robby’s Law」について紹介した記事。
https://justice4tedds.com/robbyslaw/

「もう、ただの犬でいさせてあげる」

退役軍用犬について調べていて、もう一つ、とても心に残った言葉がありました。

それは3度の派遣を経験した軍用犬アレックス(Alex)を引き取ったハンドラーによる言葉で、映画の中でもジェームズが似たようなことを言っています。

“It’s time to just let him be a dog.”
(もう彼を、ただの普通の犬として過ごさせてあげる時だ。)

アレックスはずっと働き続けてきました。
だから退役後には、大きなチーズバーガーと、柔らかく快適なソファが待っている、とも話しています。

ずっと仕事をしてきた犬。
危険を探し、人間を守り、指示に従い続けてきた犬。
でも仕事を終えれば、もう爆発物を探さなくていい。
ただ散歩して、食べて、遊んで、眠っていい。

その言葉を知ったあとでは、ジェームズと共に暮らしているオーディンを見る目も少し変わりました。

<参考記事>
U.S. Army — Retired Fort Bragg military working dogs find new forever homes
米陸軍フォートブラッグ基地で退役した3頭の軍用犬Alex、Jerry、Zitaと、新しい家族について紹介した公式記事。
https://www.army.mil/article-amp/259467/retired_fort_bragg_military_working_dogs_find_new_forever_homes

映画『ハート・オブ・ビースト』のチラシ裏面
映画『ハート・オブ・ビースト』チラシ(裏面)

オーディンは「人間を癒す犬」だけではない

犬が登場する映画では、「傷ついた人間が犬によって癒される」という物語は珍しくありません。
でも『ハート・オブ・ビースト』は、それだけではないと思います。

ジェームズには戦争の傷がある。
オーディンにも戦争の傷がある。

ジェームズには恐怖がある。
オーディンにも恐怖がある。

ジェームズがオーディンを守る。
オーディンもジェームズを守る。

どちらか一方が「救う側」で、もう一方が「救われる側」なのではありません。
傷ついた二つの存在が、お互いを支えています。
だからオーディンには、単なる「忠犬」とは違う存在感があるのだと思います。

「オスカー俳優と並んでも遜色ない」4頭

そして、この映画のオーディンを演じた犬たちは、実際に批評家から非常に高く評価されています。

『ロサンゼルス・タイムズ』は、ウーバー、シーカ、ライカー、ホンドーの4頭が一体となって作り上げた演技について、”オスカー俳優と並ぶにふさわしいほどで、スクリーン上の存在感ではブラッド・ピットを上回るかもしれない”とまで評しています。

さすがにこれには少し笑ってしまいました。
ブラッド・ピットを差し置いて、って…笑

でも確かに、この映画を観たあとでは、言いたいことはよく分かります。
そして私は、エンドロールのキャスト欄に(これを見て、あとで調べてみなきゃと思ったわけなのですが)

Odin Uber
    Seeka
    Ryker
    Hondo

と、彼らの名前がオーディン役としてしっかり表示されたことに感銘を受けました。

CGでも、「犬」という一括りでもなく、それぞれ名前を持つ4頭の俳優たち。
本当に、オスカーものです。

「軍用犬」という現実への入口

さて、この映画の物語の最後には、短い文章が表示されます。

Over the last twenty years, nearly three thousand military working dogs have been deployed. They are credited with saving thousands of service members’ lives.

過去20年間に約3,000頭の軍用犬が派遣され、何千人もの軍人の命を救ったとされている。

映画の途中で、軍用犬について長々と説明することはありません。
「軍用犬はこんなに素晴らしい」と訴えかけることもしません。
ただ私たちに、オーディンという一頭の犬を見せます。

オーディンを知る。
オーディンを好きになる。
オーディンが傷つけば心配する。
助かってほしいと思う。

そして映画が終わるとき、「でも、こういう犬たちは現実にもいる」と、ほんの短い文章で現実へ視線を向けます。

私は、深く考えずこの映画を観るために映画館へ足を運びました。
けれど映画を観終わって、撮影方法が気になって調べ始め、ウーバーたちを知り、そこから実際の「軍用犬」について知ることになりました。
ブロンコ、ルッカ、ロビー法を生んだ歴史・・・
映画を観るまで、私はこの世界をほとんど知りませんでした。

一本のフィクションが、知らなかった現実への窓に

私はもともとVFXを使った映画が好きです。
だから『ハート・オブ・ビースト』を観た直後には、「オーディンの義足はどう撮ったのだろう」「狼との戦いは?」「熊は?」「犬の表情はどこまで本物?」そんなことがかなり気になっていて、それらを知ることができたのも、とても面白い体験でした。
実写とCGの境界が分からなくなるほど高度なVFX、親子4頭の犬、動物トレーナー、スタント、パペット、俳優との信頼関係、などなどが一つになって、スクリーンの中に「オーディン」という一頭の犬を存在させていました。

しかしこの映画は、単なるサバイバル・スリラー映画ではないのです。
デヴィッド・エアー監督は、ジェームズとオーディンについて、地獄のような経験をともにくぐり抜け、深い絆を共有する二つの存在として語り、この作品を二人の「love story(愛情の物語)」と表現しています。

私自身も、調べ始めた入口はVFXだったのに、いつの間にかまったく別のところまで来ていました。

戦場で人間より前を歩く犬がいる。
爆発物を見つけて人間の命を守る犬がいる。
負傷する犬がいる。
脚を失う犬がいる。
戦争による心の傷を抱える犬もいる。
そして、その犬に自分の命を預け、今度は自分が犬を助けようとする人間もいる。

私はそれを知りませんでした。
でも今は知っています。
映画というものには、こういう力もあるのだと思います。

それまで自分の世界にはほとんど存在していなかったものが、一本のフィクションをきっかけに、現実の存在として見えるようになる。

『ハート・オブ・ビースト』は、エンターテインメントとして面白い映画でした。
ブラッド・ピットと犬のサバイバル映画として観ても楽しめます。
VFX映画として観ても非常に面白いです。
犬が好きな人なら、きっとまた違うところを見るでしょう。

でも私にとっては、それだけでは終わりませんでした。
映画館を出たあとまで物語が続き、その先で、これまで知らなかった現実の世界を少し知ることになりました。

大々的に宣伝されているようには感じませんでしたし、パンフレットさえありませんでした。
だからこそ、ひっそり上映されて終わってしまうのなら、少しもったいないとも思い、この記事を綴っています。

オーディンを演じたウーバー、シーカ、ライカー、ホンドー。
そして現実の世界で人間とともに働いてきた、私たちが名前を知らない多くの犬たち。

映画の最後に表示された短い文章まで含めて、私はこの作品を観ることができてよかったと思います。
良い映画でした。


あなたは
この現実を
知っていましたか?

軍用犬と兵士の映画を観る女性の後ろ姿

映画 エレノアってグレイト。 Eleanor the Great パンフレット チラシ

映画『エレノアってグレイト。』に感動しすぎた理由

〜 人生は、いくつになっても新しい物語を紡げる 〜


今年は、まさかこんなに泣けるとは、と思える映画との出会いが多いように感じているのですが、『エレノアってグレイト。(原題:Eleanor the Great)』もまさにそのひとつでした。

映画『エレノアってグレイト。』予告編

スカーレット・ヨハンソン初監督作品となるこの映画については、実に観る前から期待していました。

世界的スター女優であるスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)が、初監督作でどんな作品を選ぶのだろうと思っていたら、主人公は、若く美しいヒロインでもアクションヒーローでもなく、90代の女性エレノア。
その時点で、何か面白いものを見せてくれるのではないかと感じたのです。

しかし、実際に観てみると、その期待をはるかに超える作品でした。

この映画は”世代をつなぐ友情の物語”と紹介されています。
確かに、そのとおりです。
けれど私にとっては、それだけでは語りきれない作品でした。

物語の中心にあるのは、エレノアが思わずついてしまった一つの嘘。
ですが、それは悪意から生まれたものではありません。

だからこそ私たち観客は苦しくなります。
「それは違うよ」と思いながらも、「でも気持ちはわかる」とも思ってしまう。
そして、その”今日だけのはずだった嘘”は少しずつ大きくなっていきます。

笑いが散りばめられたフィクション映画なのですが、私は途中から、「いつか必ずバレるよね…そのあとはどうなってしまうのだろう…」「どうかもう少しだけ、この時間が続いてほしい、でも…」と、少し不安が混じる気持ちで観ていました。

映画 エレノアってグレイト。 チラシ
映画『エレノアってグレイト。』チラシ

そんな物語の中で印象的だったのが、ユダヤ教のラビ*が語る「ヤコブとエサウ」のエピソードです。
*ラビ(Rabbi):ユダヤ教における宗教的指導者や律法(トーラー)の教育者

双子の兄エサウを出し抜き、父をだましたヤコブ。
けれど聖書は彼を単純な悪人として描きません。
苦しみや葛藤を経ながら成長していく人間として描いています。

”人は善人か悪人かだけでは語れない。嘘も意図によっては悪くはない。”
ラビの言葉は、まるでエレノアそのものを語っているようでした。

この映画は、観客に簡単な答えを与えないからこそ、深く心に残るのかもしれません。

そしてもう一つ、私が涙なしには観られなかった理由があります。
それはホロコーストです。

映画を観ている間、私はエレノアの長き親友ベッシーの回想シーンに強く心を揺さぶられました。

ホロコースト生存者(サバイバー)としての悲しみを語るその姿には、演技を超えた迫力があり、「もしかすると、この女優さん自身も実際にホロコーストを経験したサバイバーなのではないだろうか」と感じたほどでした。

後からパンフレットを読んで、驚くと同時にやはりと納得しました。
私が感じた通り、ベッシーを演じたリタ・ゾーハー(Rita Zohar)自身がホロコースト生存者だったのです。
だから彼女の語りには、演技を超えた重みがあったのでしょう。

ホロコーストはしばしば膨大な犠牲者数とともに語られます。
しかし、ベッシーの物語は、数字ではなく、一人の人生として私の心に届きました。

映画「エレノアってグレイト。」を深く理解するための図解
映画「エレノアってグレイト。」を深く理解するための図解(筆者作成)

さらに本作では、リタ・ゾーハーだけでなく、実際のホロコースト生存者たちも参加しているとのこと。
スカーレット・ヨハンソンは、ユダヤ系のルーツを持つ自身の背景も踏まえながら、ショア財団*やホロコースト生存者のコミュニティの協力を得て、この作品を作り上げました。
*ショア財団(USC Shoah Foundation):第二次世界大戦時のナチスによるホロコースト(ショア)の記憶の継承をする組織

だからこそ私は、この映画から流れてくるものが単なる再現ドラマ的なものではなく、「実際にその時代を生きた人々の記憶」に支えられているように感じたのかもしれません。

と言いつつ、この現代の日本という国で平穏に暮らしている私は、ホロコーストやユダヤ教について詳しい人間ではありません。
けれど、この映画を観て改めて思いました。

過去にあった悲劇を忘れてはならない。
そして、ただ歴史として知るだけではなく、その悲しみを抱えて生きた人たちにせめて気持ちだけでも寄り添いたい。
──と。

何より胸を打たれたのは、この映画は、単なるホロコーストや嘘にまつわる物語として終わらないことです。

エレノアは、ひょんなことから孫ほど歳の離れたニナという友人を持つことになります。
ニナとその父ロジャーは、母であり妻を亡くした悲しみを抱えていました。
そんなニナに寄り添うエレノアだったからこそ嘘も発展し、しかしやがてその嘘もバレてしまうのですが・・・

・・・あとはネタバレになってしまうので、物語の中身についてはこれ以上触れませんが、深いストーリーはさることながら、ニナを演じたエリン・ケリーマン(Erin Kellyman)の演技も素晴らしく、彼女が涙を流すたび、私も涙をこらえることができませんでした。

映画 エレノアってグレイト。 Eleanor the Great パンフレット チラシ
映画『エレノアってグレイト。』のパンフレットとチラシ。パンフレットはジャーナリスト志望の学生であるニナのジャーナルをイメージしたデザインで可愛い。

『エレノアってグレイト。』というタイトルの映画ですが、まさにグレイトづくしでした。

2024年に『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』で93歳で映画初主演を果たして「映画初主演の史上最高齢」を記録し、94歳で再び主演を務めたジューン・スキッブ(June Squibb)。
グラマラスでクールな女優と知られながらも、このテーマに初監督として挑んだスカーレット・ヨハンソン。
そして人生の終盤に差しかかりながらも、新しい友情を育んでいく、物語の主人公エレノア。

彼女たちは皆、「もう遅い」ではなく、「まだこれから」を生きていました。
だから私は、この映画に感動し、励まされたのだと思います。

人生には失うものも、取り返せない過去もあります。
それでも人は、新しい出会いをし、新しい物語を紡いでいくことができる。

私にとって、映画『エレノアってグレイト。』は、自分の中にある喪失感と向き合う気持ちにさせられると同時に、希望を与えてもらえる作品でした。

なお、私がこの映画を観たのはフォーラム仙台にて。
現時点(2026年6月20日)で東北ではフォーラム仙台でしか上映されていませんが、ぜひ多くの方にご覧になっていただけたらなと思う作品です。

✔️『エレノアってグレイト。』上映劇場一覧:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=eleanor2026


あなたは今
どんな物語を
紡いでいますか?

物語を紡ぐ
映画 ハムネット パンフレット シェイクスピア 本 ハムレット マクベス

こんなに泣けるとは思わなかった 映画『ハムネット』

〜 現実の中にある物語について 〜


映画を観終えたあと、しばらく席を立てませんでした。
物語の余韻もあれば、さらには個人的な何かが胸の奥に触れていた感覚があって──
それが何なのか、すぐには言葉にできなかったのです・・・

To be, or not to be, that is the question.
生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ。

この、あまりにも有名なセリフはいかにして生まれたのか。
映画『ハムネット(原題:Hamnet)』は、シェイクスピアの名戯曲「ハムレット」誕生の背景を描いた作品です。

けれども、単なる“偉人の物語”ではありませんでした。
むしろそこにあるのは、誰かを失うこと、残された人がそれでも生きていくこと、そしてその想いが形を変えて何かを生み出していくという、激動の中にも静けさのある、確かな人間の営み。

映画『ハムネット』予告編

観る前から泣ける映画なんだろうなとは思ってはいたものの、私にとってのそれは全く想像していた以上でした。

さて、まずこの作品を語る上で欠かせないのが、監督クロエ・ジャオ(Chloé Zhao)の存在です。
彼女の代表作で、アカデミー賞受賞も果たした『ノマドランド』を観た方ならわかると思いますが、

  • 過剰に説明しない
  • 感情を押しつけない
  • 余白の中で“感じさせる”

という独特の作風があります。

なお、映画『ノマドランド』についての私の過去記事はこちらでして、
→ アカデミー賞受賞作「ノマドランド」に見る壮大な風景と生きる意味
偶然ですが、『ノマドランド』にはシェイクスピアの美しい詩が引用されるのですが、そのことにも触れてます。

今回の『ハムネット』もまさにその延長線上にあって、ともすればもっとドラマチックにも描けるであろう題材を、あくまで静かに、しかし確実に心に染み込ませてくるような演出が印象的でした。

さらに、この作品で個人的にとても印象に残ったのが、配役に関するエピソードです。

物語の後半、妻アグネスが夫ウィルの舞台「ハムレット」を観に行き、舞台上のハムレット王子に亡き息子ハムネットの面影を見るシーン。
映画鑑賞中は、私は単純に「似ている俳優を選んだんだな」と思っていました。

けれど後からパンフレットを読んで知ったのは、

という兄弟俳優がキャスティングされていた、という事実。

つまり“似ている”のではなく、本当に似ている存在だったということです。

この事実を知ったとき、感じ方が少し変わりました。
あのシーンについては、この映画の原作者マギー・オファーレル(Maggie O’Farrell)の想像によるもので、完全にフィクションであることは明白です。
しかしながら、感情の部分が現実にぐっと近づいているような、そんな不思議なリアルさを感じたのです。
それは、こうした細やかな演出があってこそのことで、この作品の静かな説得力を支えているのだろうと思いました。

これは私の勝手な想像と見方ですが、現実でもシェイクスピアは息子ハムネットを想いながら戯曲「ハムレット」を文章で綴って、さらにその舞台を演出した時には、やはりハムネットに似た人を配役したんじゃないかと思うんですよね。
今回の映画『ハムネット』での、クロエ・ジャオ監督によるキャスティングも、それと重なる部分があるなと。

楽天ブックス
¥3,080 (2026/10/12 10:53時点 | 楽天市場調べ)

この映画は史実をベースにしながらも、その核心部分はあくまで“想像”で描かれています。

ウィリアム・シェイクスピアと結婚したアグネス(公的な記録としての名はアン・ハサウェイ)は、長女に男女の双子と3人の子供を儲けるが、ウィル(シェイクスピア)は一家の住まいから遠く離れたロンドンでキャリアを模索、その間に訪れる息子ハムネットの死、そしてその後に戯曲として「ハムレット」が書かれたという事実。

一方で、同時にあったはずの感情や出来事は、記録としてはほとんど残っていません。
だからこそこの作品は、

「史実の再現」ではなく、“あり得たかもしれない心の動き”を描いている

そう感じました。

シェイクスピアが息子の死をきっかけに悲劇を書くようになった、という明確な記録もないといことですが、私は、きっと無関係ではないだろうと思っています。

シェイクスピアほどの偉大な存在でなくても、私たちは日々の経験や出来事を通して、考え方や表現が少しずつ変わっていくものです。
それはきっと、アーティストであればなおさらで、人生の中で起きた出来事が、何らかの形で作品に影響を与えるというのは、ごく自然なことではないでしょうか。

戯曲「ハムレット」という作品の奥に、ひとりの父親としての想いが重なっていたとしても不思議ではない、そう思います。

flyer Hamnet 映画 ハムネット チラシ
映画『ハムネット』チラシ

そして実は、観ている最中から観終わったあともずっと、私の中で何かが揺れていたのですが──
その理由にふと気づいたのは、映画館を出た後の帰り道でした。

私は、亡き祖父母のことを思い出していました。
祖父母の間には、長男(私の父)と2人の娘、双子の点や順番は違いますが、ウィルとアグネス同様に、3人の子供がいました。

そして、私の生まれ育った家は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)にあり(震災により今はありません)、祖母はそこで美容室を営みながら、家族を支えていました。
一方で祖父は画家として活動していて、祖母は「こんな田舎では日の目を見ないから」と、祖父の背中を押し、東京へ送り出したそうです。

映画『ハムネット』に描かれているウィル同様、祖父は時々しか家族の住む家に戻って来ない存在だったので、祖母はその間、アグネス同様に、女手一つで子どもたちを育てていました。

決して派手ではないけれど、誰かの人生を信じて支えるという、強くて静かな選択。

今回の映画の中で描かれていた夫婦の関係性や家族の在り方が、どこか重なって見えたのは、きっとそのせいだと思います。

もちろん、シェイクスピアの人生と、私の祖父母の人生はまったく別のものです。
けれどこの作品を通して感じたのは、

「特別な人の物語」ではなく、「どこにでもあり得たかもしれない人間の物語」

でした。
だからこそ、こんなにも深く心に触れたのだと思います。

私の祖父母についての話は少し特殊かもしれません。
しかし、人を愛する幸福感や、大切な人を失った時の喪失感などは、多くの人が体験していることではないでしょうか。

そしてもう一つ、この映画を観て強く感じたことがあります。
それは、

人は、自分が体験したことや想ったことを通じてしか、本当の意味で何かを生み出せないのではないか

ということです。

シェイクスピアの息子を失ったという悲しみが、やがて「ハムレット」という作品へとつながっていったのだとしたら、そこには単なる創作を超えた“必然”のようなものがあったのではないかと感じずにはいられません。

映画の中の出来事はフィクションも多く含まれているはずなのに、どこか現実のように感じられたのは、そうした“あり得たかもしれない感情”が丁寧に描かれていたからなのだと思います。

また、「現実は小説より奇なり」という表現がありますけれども、

現実の中に、すでに物語はある

私はそんな風に思いました。

映画 ハムネット パンフレット シェイクスピア 文庫 本 ハムレット マクベス
映画『ハムネット』パンフレットとシェイクスピアの悲劇「ハムレット」「マクベス」新訳文庫本

映画『ハムネット』は、必ずしも全ての人に強く響くものではないかもしれません。
けれどもし、どこかで自分の中の「やわらかさ」や「痛み」に触れたことがある人なら、きっと何かを感じ取れる、静かで、あたたかくて、そして確かに胸に残る作品だと思います。

映画レビューなのに、今回はだいぶ個人的なことも書いてしまいましたが、私はこの映画を観たことで、祖父母のことを、もう一度ちゃんと書いてみたいなとも感じました。
祖父母については以前にもブログに書いたことがあるのですが、今回観た映画『ハムネット』をきっかけに、その記憶の見え方も少し変わった気がしています。
もしご興味がありましたら、そちらもあわせて読んでいただけたら嬉しいです。

私の大切な祖父母についての過去記事はこちら:
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その1/おしんのような経験を持つ美容師
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その2/ずっと秘密にされてきた二人の馴れ初め
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その3/家庭を持っても単身生活を続けた画家

毎回意外なことを思い起こさせてくれる映画。
つくづく映画ってやはり素晴らしいです。
大好き。そして感謝。

✔️『ハムネット』が上映されている劇場はこちら:
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=RsbAfzMx


あなたの身近にも
「物語」は
ありますか?

物語を感じる風景
楽天ブックス
¥726 (2026/10/17 04:53時点 | 楽天市場調べ)

現実を突きつけられたかのような衝撃作 映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』

〜予告編にしてやられるも、深い作品〜


毎回映画を見る時は、ワクワク・ドキドキ感を楽しみたいので、なるべく予備知識は少ない状態で映画を観に行く私です。
今回も、予備知識はほぼゼロで映画『ハウス・オブ・ダイナマイト(原題:A House of Dynamite)』を観てきました。
というか、そもそも公式HPもあっさりしたもので。

映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』公式ホームページ:https://www.cinemalineup2025.jp/ahouseofdynamitefilm/

意味ありげで緊迫感あふれる予告編を一度観たきりで「テロリストによる破壊工作を描いたサスペンスかな?」と勝手に思い込んでいたんです。

しかし、ストーリーが進むにつれて、私の予想は見事に裏切られたと気がつきました。

これは単なるテロとの戦いではない。
もっと深く、私たちの生きる世界そのものの危うさを描いている。

そんな作品でありながら、パンフレットは制作されていないこともあり、記録しておきたいと思いました。

映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』予告編

この映画で印象深いのは、その「リアル」な描写です。
フィクションでありながら、画面で繰り広げられる政府、軍、専門家たちの混乱と決断のプロセスは、まるで本当に今、この瞬間、世界のどこかで起こっている危機を覗き見ているようでした。

予告編の言葉が示唆していたのは、特定の「敵」の存在ではなく、システムや人間の本質が抱える恐ろしさだったのかもしれません。
ストーリーが進むにつれ、「テロ」という外側の脅威ではなく、極限状態での「人間」の選択や、現代社会が抱える構造的な問題に焦点が移っていくことに気づき、背筋が凍るような思いがしました。

「こんなことがあってほしくない」という願いと同時に、「これは本当に現実の隣にある話だ」と突きつけられる感覚。
映画館を出た後も、その重みがずっしりと心に残っています。

映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』チラシ(表・裏)(画像クリックでPDF画面が開きます)

そして今回、パンフレットが制作されていないという点について、私なりに考えてみました。
映画好きにとって、パンフレットがないのは残念ではありますが、これはもしかすると、「思考を停止するな」という制作者からのメッセージではないかと感じたりもしています。

通常、パンフレットは映画の答え合わせや解説、情報の整理をしてくれるものですが、それがないことで、観客一人ひとりが「あのシーンの意味は?」「彼らの選択は正しかったのか?」と、頭の中で深く考え、他者と語り合うことを強要されている気がするのです。

この映画の「深い意味」は、提供された情報ではなく、私たちが個々で考え、感じることの中にこそある。
そう訴えかけられているような気がします。

これはエンターテイメントとして楽しめる緊迫感がある一方で、私たちが住む世界、そして平和というものが、いかに危ういバランスの上に成り立っているのかを、静かに、しかし強烈に訴えかけてきます。

映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』公式ホームページ:https://www.cinemalineup2025.jp/ahouseofdynamitefilm/

さて、この映画では、最終的な結末は描かれませんでした。
単なるエンターテイメント的な映画を期待していた人にはモヤッとするかもしれません。
しかし、それは要するに、「想像しろ」ということだろうと思うので、私の考える結末はというと…

シカゴは壊滅、そして米国大統領はどうすべもなく(どこが起こした攻撃なのかわからないのに核爆弾なんて本当は落としたくないと思いつつも)報復として核爆弾を発射することを選択、そしてその報復行為は副補佐官が語っていた通り自殺行為となり、米国どころか全世界が滅ぶ道を辿ることになるのだろう。

というところです。
これを映画館を出た帰りの道中で考えていたら泣けてきてしまったのですが、だからこそ、予告編の言葉にあった通り、”我々(自分)を救えるのは我々(自分)だけである”ということを胸に刻み、故郷や大切な人に感謝し、人生に後悔のないように今を生きなければと、改めて思った次第です。

なお、映画『ハウス・オブ・ダイナマイト(原題:A House of Dynamite)』が、私が生まれた故郷閖上のある宮城県で上映されている映画館は、フォーラム仙台、イオンシネマ名取、イオンシネマ新利府、イオンシネマ石巻です。
劇場での上映は2025年10月23日(木)までで、24日(金)からはNETFLIXで配信がスタートするとのことです。



あなたが
深く考えさせられた
映画はなんですか?

movie Fremont (Fortune Cookie)

幸せの予感…だけじゃない、映画『フォーチュンクッキー』

〜邦題と原題のギャップに隠された、深淵な物語〜


映画ネタが続いてしまいますが、フォーラム仙台で上映されている映画『フォーチュンクッキー』(原題:『Fremont』)を観てきまして、結論から述べると、それは、主人公ドニヤの不器用ながらもひたむきに生きる姿に、胸を打たれ心に静かな感動が広がるとても良い映画で、今年観た映画の中でも特に好きな作品となりました。

映画『フォーチュンクッキー』公式ホームページ:https://mimosafilms.com/fortunecookie/

…しかしながら実は、この映画の「邦題(フォーチュンクッキー)」と「原題(Fremont)」の違いが、良くも悪くも心に引っかかった、と言うのが私の本音にはありまして…

と言うわけで、その点について、日本における巷の映画批評でも賛否両論言われているのも納得できるわけですが、私自身の最終結論としては、あり(good👍)と言うわけで、是非記録しておきたいと思ったのです。

映画『フォーチュンクッキー』チラシ(表)
画像をクリックするとPDF画面が開き、拡大できます


フォーチュンクッキー、私は久しく食べてないけど、あなたもご存知ですよね?
そう、クッキーを割るとおみくじ的なものが入っている、あの昔からあるクッキーです。

日本の「辻占煎餅(つじうらせんべい)」というお菓子がその起源と考えられていて、辻占煎餅をヒントに、アメリカに移住した日系人たちがフォーチュンクッキーを作ったのが始まりとされています。
第二次世界大戦中に日系人が強制収容された時期に、中国系の人々がこの製法を引き継ぎ、アメリカ国内の中華料理店で提供されるようになり、今日のような「中華料理のデザート」というイメージが定着していった、という経緯があるようだということですよ。

なお、フォーチュンクッキーの歴史などまではこの映画では語られていませんが、パンフレットにはそのことが記載されたページがあって、興味深かったです。
こういう知識もあると、映画がますます面白く感じますね。

映画『フォーチュンクッキー』チラシ(裏)
画像をクリックするとPDF画面が開き、拡大できます


邦題となっている『フォーチュンクッキー』は、映画の中でも重要なアイテムであり、ささやかな希望や未来への期待を象徴しています。

一方、原題の『Fremont(フリーモント)』は、この映画の舞台であるアメリカの地名です。


映画を観る前は、この原題との極端な違いは何だろうと若干怪訝に思いつつも、『フォーチュンクッキー』とされた邦題、そしてチラシにも書かれている『私の殻をやぶるとき』というキャッチフレーズから、主人公の女性が自分の殻を破って行動したら、素敵な恋なり希望があったというような、あったかい気分になれる物語なのだろうと想像していました。
そしてたまたま、その舞台の地がフリーモントになったのかな?くらいに。

確かにその側面もあるのですが、映画を観て、原題の『Fremont』が持つ意味を知ったとき、この映画の本当の奥行きに気づかされました。

映画『フォーチュンクッキー』予告編


主人公ドニヤは、アフガニスタンからフリーモントにやってきた難民です。
慣れない異国の地で、彼女はこの都市のチャイナタウンにあるフォーチュンクッキーの工場で働き始めます。
クッキーの中に入っているおみくじのようなメッセージは、ときにユーモラスで、ときに示唆に富んでおり、彼女の孤独な日々に小さな光を灯します。

予告編の動画もコミカルな感じで、そういったことをほのぼのと楽しめる映画なのかな?と思えるかもしれません。
が、実はもう一つの深いストーリーがあるのでした。

普段はあまり自分を出そうとしないドニヤが「家族を置いて逃げてきた私なんかが、恋をしたいと思っても良いの?」と言うシーンでは、特に胸が締め付けられました。

カリフォルニア州のフリーモント市は、アフガニスタンからの移民が多く住む場所として知られているのだそうです。
私には映画を観るまでこの知識がなかったため、物語が進むにつれて、原題「Fremont」の意味に気づかされ、そして様々なことを考えさせられることとなりました。

映画は、フリーモントで生きる人々の現実を、静かなモノクロームの映像で描き出します。

主人公ドニヤが抱える過去のトラウマ、言語や文化の違い、そして何よりも「居場所」を探し求める孤独。
これらは、単なる個人の物語ではなく、移民として生きる多くの人々が直面している現実です。

「Fremont」という原題は、この物語が特定の場所で、特定の背景を持った人々の、紛れもない現実を描いていることを強く示唆しています。
それは、幸せや希望の物語といった枠組みを超え、アイデンティティや社会への問いかけを私たちに投げかけているのではないでしょうか。

映画『フォーチュンクッキー』パンフレット
裏話が知れると共に、フォーチュンクッキーのレシピなんかも載っていて面白い


さらに特筆しておきたいのは、主人公ドニヤを演じたのはこれが映画初出演というアナイタ・ワリ・ザダ(Anaita Wali Zada)という女優さんについて。

彼女についても、映画を観た後にパンフレットを読んで初めて知ったのですが、彼女自身、タリバンが復権した2021年8月に、アフガニスタンからアメリカへと逃れてきた人物で、ドニヤのキャラクターに共感を覚えたということで、なんと、アメリカに来てわずか5ヶ月、演技も未経験だったにも関わらず、この主演を果たすこととなったのだそう。
(この点は公式HPにも記載あり)

アナイタ・ワリ・ザダが演じるドニヤはあまりにも自然かつ印象的で、観ているこちらも映画に引き込まれましたが、彼女が持つ事実が、単なる演技を超えた、ドニヤというキャラクターの内面的な真実を、見事に引き出していたのかもしれません。

映画『フォーチュンクッキー』公式ホームページ:https://mimosafilms.com/fortunecookie/

以上、映画『フォーチュンクッキー』(邦題)の原題は『Fremont』である点にフォーカスしてまとめてみました。

確かに、島国日本に住む私たちには『Fremont』(フリーモント=アメリカの都市名)という原題のままでは、ファーストインプレッションではピンとこないですし、これが映画供給会社によるマーケティング戦略の一つだとしても、邦題やキャッチコピーと原題のギャップをきっかけに、より深く作品を考察するきっかけになったのは、私にとっては初めての良き体験でした。


あなたにも
何らかのギャップによる
面白い体験はありますか?