いてくれてありがとう

いつも忘れずにいたい素敵な言葉


先日投稿した「臨床美術におけるナラティブ(語り)」で、「いてくれてありがとう」を提唱された関根一夫先生について、少し触れました。

関根一夫(せきねかずお)先生、いつも笑顔を絶やさず、とても心があたたかく、誰もが癒される、もう神様みたいなかた!
今回は、その関根先生と「いてくれてありがとう」について、ご紹介させていただきたいと思います。

関根先生は、牧師でありカウンセラーで、「臨床美術」の創設者の一人として、人々の心のケアに携わっていらっしゃいます。

臨床美術士となる際の一番初めの学び、5級講座では、関根先生によるビデオ講義があります。
これが、私にとって、関根先生との初めての出会いでした。
まず、第一印象としては、ニコニコした優しそうなおじさま。

そして、講義には、ご自身が大学卒業後にオーストラリアに留学されたお話がありました。
それは、留学先の学校において、オリエンテーションのIQテストで、英語がほとんど分からなかった関根青年は、自身の名前以外何も書けず0点をとってしまったと、今では笑い話というお話で、私たち聴講者の心を掴むのですが、それが、実にいいお話で。

0点をとった関根青年は、学長室に呼ばれ、叱責を受けるのだろうと恐怖の気持ちでその場に臨んだそうです。
しかし、学長先生は、関根青年をにこやかに迎え入れ、「テストは誰かと比較するためにあるのではない。私はあなたがここに一緒にいてくれるということで満足しているのだ。」という話をされ、できる・できないという評価はのけて、だめでも精一杯生きればよい、誠実に生きればよいのだと、大きな安心感を与えられ、「あなたがいてくれることでうれしい」ということの気づきを得たということでした。

関根先生のこの講義が終わる頃には、受講者みんなが、涙していました。
牧師でもある関根先生の語りは、優しい説教を聞いているようで、私はクリスチャンではないですが、まさに赦(ゆる)しを得たという感じになるのです。
当時、臨床美術士5級講座の講師を担当してくれた、私の師匠・古瀬先生まで泣いていました。何度聞いても泣けてくると。
(古瀬先生については「仙台元気塾『オウチ』バージョン」で触れています)

ちなみに、留学された時のエピソードは、関根先生がこの春出版された本「いてくれてありがとう 介護家族の話をひたすら聴き続けた牧師が伝えたいこと (いのちのことば社)」の56-60ページ(「それでも、お前が大好きだ−私自身の気づき」)にも記載されていますので、ご興味のあるかたはこちらも参考にされてみてください。

さて、この本では、「いてくれてありがとう 」の心を実践する上で大切な哲学、「機能論的人間観」「存在論的人間観」についても述べられています。

機能論的人間観」と「存在論的人間観
臨床美術士になる上でも大切なことで、関根先生の講義とともに学びます。

ちょっと難しい言葉にも感じるかもしれませんが、それぞれについて、簡単に表にまとめると次ような感じです。

機能(成果)的に評価しなければならないことは社会において当然必要な場面もあるが、その「機能論的人間観」だけが前に出て、人の価値をすべて決めてしまう現代の風潮は危うい、「存在論的人間観」をもって、褒めること、認めること、「いてくれてありがとう 」と伝えることは、その人に希望を与える、という考え方です。

この哲学がある臨床美術では、様々な創作活動を行いますが、それは、美術のテクニックを教えるものではなく、人の命を支援するというものなのです。

生きることに悩む多くの人々の声を聴き、寄り添ってきた関根先生は訴えます。

一人で重荷を負い続けないように心がけてください。

人間は誰でも悩んでよいのです。泣いてよいのです。愚痴をこぼしてよいのです。
問題は、そういう声を聴き、涙を一緒に流す場所と人が少なすぎるという現実です。

私も、この関根先生のお気持ちに深く共感し、臨床美術への理解を深めるとともに、自分自身のためにも、そして誰かのためにも、生きる意欲を育て、心豊かになれる営みができればと思っています。

ところで、この「臨床美術」については、私の体験記は投稿しましたが、「それで臨床美術とは一体なんのか?」が、初めてお聞きするかたにはまだわかりやすく伝わっていないかと思いますので、近々、改めて書かせていただきますね。


あなたは一人で
重荷を背負っていませんか?

いてくれてありがとう 介護家族の話をひたすら聴き続けた牧師が伝えたいこと (いのちのことば社)

障害者とボランティアの実話を元にした映画

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話


友達から勧められた映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」を観ました。

札幌の鹿野靖明(しかのやすあき)さんという、筋ジストロフィーを患い、自ら多くのボランティアを集って、自立生活を送った、実在の人のお話で、2018年に公開された映画です。

この鹿野さんという人の、体は不自由であるにも関わらず、心が自由という生き方を描いたこの映画に、あまりにも身勝手過ぎると不快感を感じるかたもいらっしゃるようです。

でも、この人、余命宣告されてる人なんですよ。
そして、脳はしっかりまともなのに、自分では体が効かないから、人に全てをさらけ出す必要もあるわけです。

もし、自分がそんな立場だったら・・・?

「俺は一日一日が勝負なんだよ。」

「人はできることより、できないことの方が多いんだぞ。」

五体不満足であることを受け入れ、自分らしく生きるために短い生涯を全うした、鹿野さんと、彼を支えた心あるボランティアの方々の物語には、五体満足である私たちにこそ、考えさせられることがあると思いました。

筋ジストロフィー:筋肉の機能に関与している遺伝子の異常によって発生する難病で、筋力低下、筋萎縮が生じ、運動機能障害をもたらす。

正直なところ、私には、鹿野さん役を演じた大泉洋さんは「大泉洋さん」と感じてしまう部分があり、感情移入し切ることができなかったのですが、とても難しい役を演じきった大泉さん、本当にすごいと思います。

また、この映画の公開後、鹿野さんご本人とこの原作者である渡辺一史(わたなべかずふみ)さんらについて、ニュースで取り上げられたものがYouTubeにアップされていますので、こちらも併せてご覧いただけると良いかと思います。

なぜ人は支え合うのか。
渡辺一史さんの視点には非常に興味があるので、出された本も是非読んでみたいと思っています。


<渡辺一史さんが書かれた、この映画に関連する2冊>

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)

なぜ人と人は支え合うのか (ちくまプリマー新書)


あなたにとって
自分らしく生きるとは
なんですか?

 

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 [DVD]

楽しい人は、周りを幸せに変えていく

ただしい人から、たのしい人へ 第2章


先日も投稿しました、小林正観さんの著作「ただしい人から、たのしい人へ――そして『ありがとうの人』になる」より、今回は第2章「楽しい人は、周りを幸せに変えていく」からピックアップした項目をご紹介させていただきたいと思います。

「ただしい人から、たのしい人へ」小林正観(著)廣済堂出版


投げかかけたものが返ってくる。投げかけないものは返らない。
愛すれば愛される。
愛さなければ愛されない。

自分自身が、「光」になる。
それは、簡単なことではないように思いますが、なるべく暗い言葉は発さないということであれば、努力次第でできることだと思います。
「嬉しい」「楽しい」「幸せ」「愛してる」「大好き」「ありがとう」
そういったプラスの言葉を発することに意識を置いて、日々を過ごしたいと思います。

目の前のことを問題だと思うから問題になります
「で、何が問題なんですか?」そう思えたら、問題はなくなるのです。


何かあったとき、「気にしない」でいればいいことは、なんとなくわかっていても、それがなかなか難しいというのが実際かと思いますが、そもそも、問題を問題として認識しないという生き方をするというのは、「気にしない」と意識さえしないということですよね。
「なんとかしなければ」とも、「気にしない」とも、考えないこと。
そんな穏やかさの境地で過ごす、楽しい人で、ありたいものです。

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受け入れることがすべて/ただしい人から、たのしい人へ 第1章
奇跡を起こす「ありがとう」/ただしい人から、たのしい人へ 第3章


あなたのそばには
楽しい人がいますか?


「ただしい人から、たのしい人へ」小林正観(著)廣済堂出版
「ただしい人から、たのしい人へ」小林正観(著)廣済堂出版

受け入れることがすべて

ただしい人から、たのしい人へ 第1章


先日、私が最も感銘を受けた本の一冊、小林正観さんの著作「ただしい人から、たのしい人へ――そして『ありがとうの人』になる 」について概要をご紹介しました。

今回は、この本の各章のタイトルと、その第1章より、私が特に印象を受けた部分をご紹介させていただきます。

「ただしい人から、たのしい人へ」小林正観(著)廣済堂出版


まず、この本の各章タイトルについて。

第1章 受け入れることがすべて
第2章 楽しい人は、周りを幸せに変えていく
第3章 奇跡を起こす「ありがとう」
第4章 流れに任せて生きる
第5章 楽しい生き方は、喜ばれる生き方

これだけでも、心が救われる気がしませんか?
ご興味の湧いた方は、是非ご自身で読まれることをお勧めいたします。

さて、今回は、この第1章「受け入れることがすべて」より、私が特に感銘を受けたセクション(節)について、一部抜粋にて、ご紹介いたします。

罪を憎むのではなく、自分の心にある憎しみを取り去る。
それが神様の喜ぶことです。

すべての人がこれを「幸せだ」と言える現象・出来事が存在するのではなく、自分が「幸せだ」と思った瞬間に、その人に「幸せ」が生じるのだ。
「幸せ」は存在するものではなく、「感じるもの」である。

自分の中にある敵意や憎しみ、怒り、イライラというものの延長線上に、いろいろな社会上の犯罪や、一般的に悲惨で不幸だと言われる事件があるということを考えれば、まず「私自身」の怒りや憎しみをなくしてしまうこと、ということになるように思います。

罪を憎むのであれば、同じところに自分がいることを考え、自分の中で人や社会に対して敵意や憎しみを持つことをやめよう、ということです。


先日、タレントの自死について、だいぶ話題になりましたが、それもこの例ではないかと思います。

そして、実は、今日、私もちょっとイライラっとすることがありまして、こういう気持ちを引きずっていると、自分自身も嫌ですし、幸せが自分から離れていってしまいそうに感じます。

「自分の心にある憎しみを取り去る」というのは悟りの境地かもしれませんが、時々自分を省みて、心を穏やかにする訓練も必要かなと思います。

正しい経営は、仕事の本質が見えません。
楽しい経営は、喜びにあふれています。

「正しい経営」を志しているうちは、コストや売り上げ、伸び率、人件費率や償却比率、あるいは借金返済の計画などについてどうするかを考え、そして「正しい計画」を立てる、ということが大切だと思うかもしれません。
しかし、「正しい経営」を考えているうちは、本質的なものが見えてこない気がします。
本質的なものとは、「いかにお客さんに喜んでもらえるか」ということです。
そして、経営者はそのことを考えているときが、もっとも楽しい時間ではないでしょうか。

このいちばん楽しい部分を放棄するのは、もったいないの一語に尽きます。

「正しい経営」を考えているうちは、閉ざされた状況から抜け出すことはなかなかできないと思います。
どうしたら楽しい日々を送ることができるか。そこから物事が解決できるのではないでしょうか。


私は経営者ではありませんが、この正観さんのおっしゃることは、誰にでも言えることなのではないかと思いました。
(追記:2023年4月時点においては経営者的立場にあり、こういった考えの大切さを強く感じています)

「いかに相手に喜んでもらえるか」を考えて、自然にそういった行動が取れる人の周りには人が集まり、みんなが楽しい時間を共有することができるようになりますよね。

ものごとの「本質」。
現代の一見したところの当たり前の状況に流されずに、常にその「本質」が何かを、見失わない人でありたいものです。


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あなたは
幸せを
「感じて」いますか?


「ただしい人から、たのしい人へ」小林正観(著)廣済堂出版
「ただしい人から、たのしい人へ」小林正観(著)廣済堂出版

血液力レシピ

食べ方で鍛える血液力


先日、献血について書いたのですが、献血したくてしても、検査で基準値を満たさずなかなかできない、というかたも結構いらっしゃるようです。

私も、稀にですが、ダメな時があるんです。

何か落ち込む出来事があって、そんな気持ちを挽回したくて、こんな私でも人の役に立ちたい!と思って献血へ行くことがあるのですが、そういう時というのはNGになりやすく、役立たずな自分にさらに落ち込むことになったりします・・・

そういう意味でも、献血は自分の健康のバロメーターにもなるので、私は良いシステムだと思っているのですけれども、体だけでなく、心にも疲れを感じている時は、何はともあれ、人の役に立とうなどと無理せず、ゆっくり休むのが一番かと思います。

大事なのは、しっかり休息を取ることと、食べること!

そこで、今回は「血液力をきたえる食べ方」という料理本をご紹介いたします。

病気の予防と美容は血液からということで、

良質の血液
弾力のある血管
スムーズな血流

この3つの総合力が、体をつくる源、血液力であるとし、そして、この血液力を、食べ方で鍛えようというものです。

食材ごとに、血液力としての栄養や食べ方、調理のコツなどまとめられている上、ひとつの料理からいくつかにアレンジする方法も紹介されていたりして、参考になります。

今回は、血になる肉として最も心強い赤身肉、牛肉のレシピから、「牛赤身肉のビール煮」を作ってみました。

ビール酵母に含まれる、約50種類ものビタミンとミネラルが血液力をサポート

たたいてつぶしたニンニクと生姜を炒めた鍋に、切って塩胡椒した牛肉の赤身を並べて焼き色をつけ、ビール・ローリエ・スープの素を加えて20分ほど煮込むだけの、簡単料理です。
保存する時は、煮汁ごと浸けて冷蔵庫で保存します。
アレンジが効くので、お肉が安い時を狙って、多めに作っておくと良いかと思います。

ちなみに、牛肉の栄養については、この本によると、
「牛肉の栄養分で特筆すべきは、鉄分の多さです。肉に含まれる鉄は、タンパク質と結びついて赤血球のヘモグロビンの成分として利用されます。鉄が不足すると、鉄欠乏性貧血やそれによる疲労感を引き起こします。動物性たんぱく質と結びついた鉄分はヘム鉄と呼ばれ、野菜などの植物性の非ヘム鉄より5〜10倍吸収率が高いのが特徴。ですから、牛肉で取るのは効率のいい食べ方なのです。」
とのこと。

お次は、昨日の牛肉のビール煮の残りを、「きのこたっぷりハッシュドビーフ」にアレンジ。

豊富に含まれるナイアシンの働きで血行促進。食物繊維たっぷりのきのこをプラス。

薄切りにした玉ねぎをバターで炒め、しんなりしたらしめじを加えて炒めた中に、細切りにした牛肉のビール煮を加え、野菜ジュース(私はトマトジュースにしました)・トマトケチャップ・しょうゆ・ローリエを入れて10分ほど煮込み、塩胡椒で味付けするだけ。
パセリを混ぜたご飯にスライスアーモンドを散らして、一緒に器に盛れば、おしゃれな一品に。

食べるものによって私たちの体はつくられます。
たとえ、そのときの血液の状態が悪くても、いい食生活を送ると、1か月で血液は変わりはじめるのだそうです。

牛肉、お安くはないですが、贅沢じゃないかな、無駄遣いじゃないかな、なんて、変なストレスを抱えず、自分の体への投資と思って、楽しく買い物したいと思います♪


あなたは
血になる栄養素
取り込めていますか?

ただしい人から、たのしい人へ

怒りや悲しみの原因は、「正義感」と「使命感」


昨日、困難を抱えた子どもたちの幸せを願って活動をされている、NPO法人アスイクさんについて、ご紹介しました。

そして、アスイクさんが掲げる方針の一つに、「相手に楽しんでもらうために、自分たちが楽しいと感じることを大事にする」という点があり、私もそういった点に共感する旨を書かせていただきました。

今回は、そこにもつながる、一冊の素晴らしい本を、ご紹介させていただきたいと思います。

ただしい人から、たのしい人へ――そして『ありがとうの人』になる 


心学研究家で著作家の小林正観(こばやしせいかん/1948~2011年)氏の本です。

ギスギスした職場が辛かった頃、気持ちの落ち着く本はないかと、本屋さんで、あてもなく、並んだタイトルを目で追っていた時に、ふと目に入り、手に取った本です。

正観さんは、この本のあとがきで、このように述べています。

この本はもしかすると多くの人に誤解されるかもしれません。

「正しく生きなくていいのか」「人間は正しく生きるべきではないのか」と考えている人にとっては、「正しく生きるよりも、楽しさを優先して考えたらどうですか」という本は我慢のならないものかもしれません。

そのように誤解されても構いませんが、この本を書いた理由というのは、精神世界や人格上の勉強とかをかなりしている人が、最後の最後まで乗り越えられない「怒り」と「憎しみ」が、「正義感」と「使命感」から生まれ出てくるものである、ということに私が気がついたからでした。


確かに、私も、この本のタイトルには、「正しくあることを否定しているの?!楽しけりゃいいの?!」と、一瞬ドキッとしました。
また、私が初めてこの本を目にした時というのは、ものごとを楽しむという意識がほとんどなく、怒りや苛立ちも含む精神の中で、必死に日々を乗り越えるような状況でしたので、「正しい人になろうとせず楽しい人になりなさい」と私自身が言われているような気がして、胸に刺さったのでした。

また、正観さんは「はじめに」ではこのようにも述べていらっしゃいます。

正義と使命を自分の中に背負うのはいい。
しかし、「正義感」と「使命感」というものになると、たちまち相手を糾弾(きゅうだん)し、憎むことになってしまうようです。

基本的には「自分がどう生きるか」ということに尽きるのではないでしょうか。
周りの人が自分の思いどおりに生きているかどうかということではなく、自分がいかに自分の価値観に正直に生きていくか、ということで十分なのではないかと思います。

「正しさ」という価値基準ではなく、それをやることが「楽しい」のかどうか、ということを物差しに置いてみてください。


正しくあることを置いておいて、楽しく生きてさえいればいい、なんて、それまで考えたことがなかった私には、目からうろこが落ちる思いがしました。

それから私は、楽しくあることを意識するようにしました。
そうしたら、気持ちが軽くなっていくことを感じましたし、一緒に気持ちを共有してくれる人が増えました。
そしてまた、もし自分が置かれている場所が、楽しくいることに幸せをを見いだすのが難しい環境なのであれば、その場で必死になって頑張ろうとせず、自分がそこから去ってしまえばいいのだろうと思えるようにもなりました。
そして、生きるこことがラクになっただけでなく、できるだけ長く生きたい、自分の価値ある人生を生きて行きたいと考えられるようになったのでした。

正観さんのお話には、まだまだ他にも救われたメッセージがあります。
もしまだご存命だったら、是非、講演を聞きたかったです。
これらのお話ついては、また改めて、ご紹介させていただきたいと思います。


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奇跡を起こす「ありがとう」/ただしい人から、たのしい人へ 第3章
流れに任せて生きる/ただしい人から、たのしい人へ 第4章
楽しい生き方は、喜ばれる生き方/ただしい人から、たのしい人へ 第5章


あなたは
正しいことを選びますか?
それとも
楽しいことを選びますか?


「ただしい人から、たのしい人へ」小林正観(著)廣済堂出版
「ただしい人から、たのしい人へ」小林正観(著)廣済堂出版


驚異と感動の実話 奇跡の脳 その2

脳卒中に倒れた脳科学者が語る、左脳と右脳


以前の投稿「驚異と感動の実話 奇跡の脳 その1」では、アメリカの脳科学者ジル・ボルト・テイラー氏による自叙伝の概要を紹介させていただきました。

テイラーさんは、自らが脳卒中という病に倒れ、左脳の機能を欠いたことで知ることができた、右脳の素晴らしさと、左脳も含めた脳機能の神秘についてを、この本で語っています。

今回は、そのテイラーさん自身が語る、左脳と右脳について、興味深いと思った点を、ご紹介いたします。

まず、左脳、右脳のそれぞれのユニークな特徴について、この本に書かれているほんの一部を抜粋し、箇条書きにしますね。

左脳と右脳のユニークな特徴


そして、テイラーさんは、このように述べています。

右脳と左脳はそれぞれユニークな特徴を持っており、ちがったやり方で情報を処理するわけですから、それが別々の価値体系となってあらわれ、結果的に非常に異なる人格が生じるのは、あたりまえかもしれません。

二つの性格のあいだの健全なバランスを生み出すことによって、初めて、変化に対して柔軟に対応できる(右脳)認知能力を持ちながら、同時に道を踏み外さず具体的に行動できるようになります。


与えられた認知能力を100パーセント大切にし、うまく使うことにより、まさに『生命の傑作』とも言えるわたしたちに見合った人生への道が開けます。


決意さえすれば、慈愛に満ちた世界を作つくることが可能なのです。


テイラーさんは、脳卒中に襲われたことで、頑固で傲慢で皮肉屋で、嫉妬深い性格が、傷ついた左脳の自我(エゴ)の中枢に存在することを知り、新しく発見した右脳マインドの純粋さを台無しにしないようにしようと考えたのだそうです。

何事もバランスが大事ですので、脳だって、左脳と右脳、バランス良く機能するに越したことはないでしょうけれども、実際は、どちらかに偏ってしまうのが現実でしょうか・・・?
自分がどっちよりなのか自覚して、うまくバランスをとっていくと、より生きやすくなるのかなと思います。
また、左脳と右脳の機能について知ることは、人を理解する上での助けにもなるかと思います。

なお、左脳と右脳については、臨床美術の記事でも書かせていただいております。ご興味のあるかたには、ご覧になっていただけましたら幸です。

あなたは、左脳派ですか?
それとも、右脳派ですか?

開設から1ヶ月☆

支えてくださる皆さまに感謝いたします


当ウェブサイトを開設してから1ヶ月が経ちました。
初めてイチから自分で作るホームページで、まごつきながらやって参りましたが、やっぱり、過ぎてみるとあっという間です。

1日、1投稿、私なんかの語りが何かになるのか、という思いもありつつではありますが、支えてくださる皆さまのお蔭で、毎日、苦になることなく続けることができました。
見守ってくださって、ありがとうございました。

実は、自分のウェブサイトを持つことについては、新型コロナウィルスが全く初めてのきっかけだったわけではなく、構想はしばらく前からあったことでした。
多分、臨床美術に出会った頃から既に考えていたと思います。

それまで、この世から消えて、みんなの記憶からも存在がなかったものとしていなくなることができたらどんなに良いか、と散々考えた自分だからこそ、できることがあるんじゃないか?と、ずっと考えていたんです。

せっかく命を与えられたにもかかわらず生きづらいと感じている人には、少しでもラクになってほしいし、私自身、いつも楽しく笑って、心が安らげる人で囲まれた環境で過ごしたい。そういう世界をつくっていきたいな・・・

そう思っていたのですが、なかなか一歩を踏み出せずにいました。

今回コロナがその後押しをしてくれるようなことになりましたが、そこには、今なら頼れる人がいると思えたことや、共感してくれるであろう友人たちの存在に確信が持てていたからです。
本当に、ありがとうございます。

また、実際始めてみましたら、書きたいことが、結構あふれてくるんですね。
まだまだ見やすくするための修正が必要なところがあるにもかかわらず、1日24時間があっという間なので、なかなか追いつかずにいますし、投稿も、単なる自己満足でするつもりはないので、ちゃんとやろうと思うと、時間がかかってしまうのですが、正に、案ずるより産むが易しで。

もっと早く取り組んでおけば良かったと思うほどではありますが、でも、やらないで終わるようなことにならなくて、良かったと思っています。

せっかく与えられた、一度きりの人生ですから。
ぼーっとしてたら、あっという間なんで。
命に感謝し、心に素直に、悔いのないように、これかも歩んでいこうと思います。

今日は最後に、ここ最近読んだ本で、とても印象に残った言葉を紹介させていただきます。

「もちろん仕事は自分自身を生かす場でもありますが、もっとも大切にしているのは、『それで困っている人は本当に助かるのですか?』という問いかけです」

私が愛読している雑誌「暮らしの手帳」編集長を務められた松浦弥太郎氏の著作にあった一文です。
これは、単に綺麗事を言っているわけではなくて、人に必要とされ、ビジネス上の利益をあげるという点においても、ないがしろにできないないポイントでもあります。
仕事をする上でも、日常を過ごす上でも、心にとめておくと良い言葉だと思います。

私は、人生を豊かにするための知恵をたくさん与えてくれる松浦弥太郎さんの大ファンです。
松浦さんとこの本ついては、またの機会に改めて。

あなたにとって
24時間は長いですか?
短いですか?

“仕事でも、日常のちょっとしたことでも、スピードばかりに気をとられていると、根本的なことを見落としてしまいます。何のためにやっているのか、立ち止まって考えることも大切です。”

松浦弥太郎さんが、2005年から9年間、編集長を務めたこの「暮らしの手帳」は、大事なことを思い出させてくれる、素敵な雑誌です。

ノンフィクション 彼女が目覚めるその日まで

実話をもとにした感動の映画

邦題は「彼女が目覚めるその日まで
ある日、映画を観に行こうと思った時、このタイトルとアイキャッチ画像の印象は、若い男女のちょっとありがちな感動を誘う恋愛映画かな、でした。
なんとなく、その時はそういう気分ではなかったので、映画は観るつもりないけど、一応、予告編だけでも、と思いチェックしてみましたら、ありがちな恋愛映画でもなさそうで。

それで、原題を確認しましたら「Brain on Fire」なんです。
火の脳とか燃える脳ってことですね。
こっちの方がよっぽどしっくりくると感じました。
実話ということですし、結局、気になって観に行ったところ、非常に印象に残る映画となりました。

というわけで、今回も、脳つながりなのですが、脳に関わる病気と戦った女性と、その家族をはじめたとした彼女を支える人々の、実話にもとづく、衝撃的かつ感動的な映画について、ご紹介したいと思います。

さて、この映画、初めは書籍として出版されたものです。

2009年に「抗NMDA受容体脳炎」という病におかされた、ニューヨーク・ポスト紙の記者であるスザンナ・キャハランが、壮絶な闘病の日々を、医療記録や家族の日誌などから再現し、ノンフィクションとして発表しました。

それが、オスカー女優シャリーズ・セロンのプロデュースによって映画化され、日本では2016年に公開されました。

脳炎:脳内に白血球が入り込んで炎症を起こし、脳が害される病気。寄生虫といった病原体が脳に感染して起こる「感染性脳炎」と、自己免疫によって起こる「自己免疫性(免疫介在性)脳炎」とがあります。

抗NMDA受容体脳炎:自己免疫性脳炎で、若年女性に好発し、発症初期に不安、抑うつ、幻覚妄想などの精神症状を呈することが特徴であり、その後は意識障害、不随意運動(運動異常)、けいれん発作、中枢性低換気(呼吸障害)と重篤な経過をとることを特徴とする脳炎。

古い映画に「エクソシスト」という、悪魔に取り憑かれた少女のホラー映画がありますが、その主人公のモデルになった実在の少年が、実は、スザンナさんがかかった病気の典型的な症例だったと指摘されているのだそうです。
21世紀に入るまでは、精神の病や悪魔憑きと判定され、正しい治療を受けることが難しい病気だったとのこと。

スザンナさんも、発症した時は、医師からも原因不明と見放され、家族や恋人とともに、苦しい日々を送ることになります。

しかし、目覚めぬ娘を信じ続けた両親、絶対にあきらめないと誓った恋人、彼らに突き動かされた医師たちの、献身的な愛によって、希望の道が開かれることとなるのでした。

壮絶な物語なので、こんな現実があるのかと、思い知らされます。
スザンナさんを演じた女優クロエ・グレース・モレッツの迫真の演技も素晴らしく、ゆえに、観ていて辛くもなる一方、完全に引き込まれます。

胸が痛むシーンも多いですが、これは愛の物語です。
両親は離婚しそれぞれの生活があるにも関わらず、自分たちの娘のために力をあわせる姿、頼りない医師がいる一方で、患者のために必死になってくれる医師がいること、彼女が変わり果てても、耐え忍ぶ恋人や友人達。
そんなあたたかい愛に、感動します。

ちなみに、映画のエンディングではスザンナさん本人の写真も出てきます。
ご覧になるのであれば、是非、最後の最後まで♪

あなたも愛の映画で
癒されてみませんか?

脳に棲(す)む魔物 【本】

スザンナさんが執筆した原作です。
記者というだけあって、描写が細かいです。
ページ数も結構あるので、本が苦手な人にはきついかもしれませんが、
とても興味深い内容なので、本好きにはあっという間かもしれません。

テンダー・ラブ tender love

日野原重明先生の愛すべき名著


先日投稿した「ナラティブ 〜物語〜 について考える」で日野原重明先生について、少し取り上げました。

日野原先生は、内科医として、早くから予防医学の重要性を指摘し、終末期医療の普及、医学・看護に尽力し、「習慣病」という言葉を生み出すなど、常に医学の先端を走ってきました。

先端を走り続けると、ともすると、その名誉にかられ、人として大事なことを忘れてしまう危うさもありますが、日野原先生は「人間が人間を愛したり尊敬したりするあたりまえの心を狂わせてはならない」と愛を訴える、心あたたかな医師として、多くの人々に慕われました。

※終末期医療(ターミナルケア):病気などで余命がわずかになった人に行う医療的ケアのこと
※習慣病:食事や運動、喫煙、飲酒、ストレスなどの生活習慣が深く関与し、発症の原因となる疾患の総称

今回は、その日野原先生が書かれた名著より、私が大好きな、心があたたかくなる一冊の本をご紹介します。

「テンダー・ラブ―それは愛の最高の表現です。」日野原重明(著) ユーリーグ

テンダー・ラブ―それは愛の最高の表現です。」という本です。

2004年に発刊された本で、新しくはありませんが、これは、何年先までも読まれてしかるべき本だと思います。

先にも述べました通り、日野原先生は医学の先端をゆく人であるにも関わらず、人にとって最も大切なものは愛であると説いたかたです。

tender love(テンダー・ラブ)
直訳して、やさしい愛。
そう名付けられた本では、日野原先生は、ただただ愛を語ります。


この本で、日野原先生が「はじめに」の部分で述べられていることを抜粋にて、紹介させていただきます。

93歳の誕生日を迎えるにあたり、若いときには思いもしなかった長寿への感謝の心を、私の「愛の証(あかし)」を持って読者のみなさまにお伝えできることを、この上もない喜びと思っています。

私は、私が人々に与えたよりも、もっと多くを人から学び、癒しの技の職業につきながら、癒しを与えるよりも病む方から多くのものを学んできました。そしてまた、何と多くの愛を、私が接してきた多くの方々から、また私の尊敬する人たちから、さらに小説や劇、詩や音楽からも与えられてきたことでしょう。

私が辿(たど)ってきた人生のなかでもっとも大切な、愛。それが、すべての人にもそうであることを信じて、私はこの愛の証を2か月間で書き下ろしました。その資料は、私が愛を感じ始めた幼い頃から、そして90歳を超えたいまでも感じることを記した、私の心のノートから集めました。

これから人生が始まることに気づく若者、
大人になったが目標がない方、
中年期の仕事に疲れて愛を見失っている人、
長い病の床にある人、

愛する人を失った方、
これから老いに向かう人、
老いを乗り越えて第三の人生を創めようとする“新老人”の方々、
「緩和期がん」のケアを受けられている方々とそのご家族たちに。

その愛の結晶に「テンダー・ラブ tender love」と名付け、この本をみなさまに捧げたいと思います。恕(ゆる)しに裏付けられた、この愛の心こそが、地上の平和をつくる力となることを切に希(ねが)っています。

どんな内容なのか、もう少し具体的にお分りいただけるように、各章のタイトルもご紹介しますね。

第1章
訣(わか)れのときでさえ、
人は、愛を交わすことができます。

第2章
愛とは、誰かの心に
希望の灯(ひ)をともすことです。

第3章
恋するハプニングが愛を生み、
他人を受け入れることで愛は育ちます。

第4章
誰もみな孤独であってはなりません。
だから、愛を示し合うのです。

第5章
人はいつも、何と多くの愛を
与えられていることでしょう。

日野原先生が接してきた患者さんからのお手紙や、日野原先生自身が感銘を受けた人々の言葉について、いくつか引用されていたりもするのですが、それらも含め、すべてに、胸を打たれます。

この本についても、ご紹介したい部分がたくさんあるのですが、少しでも気になったかたは、とても読みやすい本なので、ご自身で手に取られるのが一番かと思います。
ただ、もう、中古しか見つからないかも・・・

リクエストがあるような時は、またの機会に、一部だけでもご紹介したいと思います。

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