movie Fremont (Fortune Cookie)

幸せの予感…だけじゃない、映画『フォーチュンクッキー』

〜邦題と原題のギャップに隠された、深淵な物語〜


映画ネタが続いてしまいますが、フォーラム仙台で上映されている映画『フォーチュンクッキー』(原題:『Fremont』)を観てきまして、結論から述べると、それは、主人公ドニヤの不器用ながらもひたむきに生きる姿に、胸を打たれ心に静かな感動が広がるとても良い映画で、今年観た映画の中でも特に好きな作品となりました。

映画『フォーチュンクッキー』公式ホームページ:https://mimosafilms.com/fortunecookie/

…しかしながら実は、この映画の「邦題フォーチュンクッキー)」と「原題Fremont)」の違いが、良くも悪くも心に引っかかった、と言うのが私の本音にはありまして…

と言うわけで、その点について、日本における巷の映画批評でも賛否両論言われているのも納得できるわけですが、私自身の最終結論としては、あり(good👍)と言うわけで、是非記録しておきたいと思ったのです。

映画『フォーチュンクッキー』チラシ(表)
画像をクリックするとPDF画面が開き、拡大できます


フォーチュンクッキー、私は久しく食べてないけど、あなたもご存知ですよね?
そう、クッキーを割るとおみくじ的なものが入っている、あの昔からあるクッキーです。

日本の「辻占煎餅(つじうらせんべい)」というお菓子がその起源と考えられていて、辻占煎餅をヒントに、アメリカに移住した日系人たちがフォーチュンクッキーを作ったのが始まりとされています。
第二次世界大戦中に日系人が強制収容された時期に、中国系の人々がこの製法を引き継ぎ、アメリカ国内の中華料理店で提供されるようになり、今日のような「中華料理のデザート」というイメージが定着していった、という経緯があるようだということですよ。

なお、フォーチュンクッキーの歴史などまではこの映画では語られていませんが、パンフレットにはそのことが記載されたページがあって、興味深かったです。
こういう知識もあると、映画がますます面白く感じますね。

映画『フォーチュンクッキー』チラシ(裏)
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邦題となっている『フォーチュンクッキー』は、映画の中でも重要なアイテムであり、ささやかな希望や未来への期待を象徴しています。

一方、原題の『Fremont(フリーモント)』は、この映画の舞台であるアメリカの地名です。


映画を観る前は、この原題との極端な違いは何だろうと若干怪訝に思いつつも、『フォーチュンクッキー』とされた邦題、そしてチラシにも書かれている『私の殻をやぶるとき』というキャッチフレーズから、主人公の女性が自分の殻を破って行動したら、素敵な恋なり希望があったというような、あったかい気分になれる物語なのだろうと想像していました。
そしてたまたま、その舞台の地がフリーモントになったのかな?くらいに。

確かにその側面もあるのですが、映画を観て、原題の『Fremont』が持つ意味を知ったとき、この映画の本当の奥行きに気づかされました。

映画『フォーチュンクッキー』予告編


主人公ドニヤは、アフガニスタンからフリーモントにやってきた難民です。
慣れない異国の地で、彼女はこの都市のチャイナタウンにあるフォーチュンクッキーの工場で働き始めます。
クッキーの中に入っているおみくじのようなメッセージは、ときにユーモラスで、ときに示唆に富んでおり、彼女の孤独な日々に小さな光を灯します。

予告編の動画もコミカルな感じで、そういったことをほのぼのと楽しめる映画なのかな?と思えるかもしれません。
が、実はもう一つの深いストーリーがあるのでした。

普段はあまり自分を出そうとしないドニヤが「家族を置いて逃げてきた私なんかが、恋をしたいと思っても良いの?」と言うシーンでは、特に胸が締め付けられました。

カリフォルニア州のフリーモント市は、アフガニスタンからの移民が多く住む場所として知られているのだそうです。
私には映画を観るまでこの知識がなかったため、物語が進むにつれて、原題「Fremont」の意味に気づかされ、そして様々なことを考えさせられることとなりました。

映画は、フリーモントで生きる人々の現実を、静かなモノクロームの映像で描き出します。

主人公ドニヤが抱える過去のトラウマ言語や文化の違い、そして何よりも「居場所」を探し求める孤独
これらは、単なる個人の物語ではなく、移民として生きる多くの人々が直面している現実です。

Fremont」という原題は、この物語が特定の場所で、特定の背景を持った人々の、紛れもない現実を描いていることを強く示唆しています。
それは、幸せや希望の物語といった枠組みを超え、アイデンティティや社会への問いかけを私たちに投げかけているのではないでしょうか。

映画『フォーチュンクッキー』パンフレット
裏話が知れると共に、フォーチュンクッキーのレシピなんかも載っていて面白い


さらに特筆しておきたいのは、主人公ドニヤを演じたのはこれが映画初出演というアナイタ・ワリ・ザダ(Anaita Wali Zada)という女優さんについて。

彼女についても、映画を観た後にパンフレットを読んで初めて知ったのですが、彼女自身、タリバンが復権した2021年8月に、アフガニスタンからアメリカへと逃れてきた人物で、ドニヤのキャラクターに共感を覚えたということで、なんと、アメリカに来てわずか5ヶ月、演技も未経験だったにも関わらず、この主演を果たすこととなったのだそう。
(この点は公式HPにも記載あり)

アナイタ・ワリ・ザダが演じるドニヤはあまりにも自然かつ印象的で、観ているこちらも映画に引き込まれましたが、彼女が持つ事実が、単なる演技を超えた、ドニヤというキャラクターの内面的な真実を、見事に引き出していたのかもしれません。

映画『フォーチュンクッキー』公式ホームページ:https://mimosafilms.com/fortunecookie/

以上、映画『フォーチュンクッキー』(邦題)の原題は『Fremont』である点にフォーカスしてまとめてみました。

確かに、島国日本に住む私たちには『Fremont(フリーモント=アメリカの都市名)という原題のままでは、ファーストインプレッションではピンとこないですし、これが映画供給会社によるマーケティング戦略の一つだとしても、邦題やキャッチコピーと原題のギャップをきっかけに、より深く作品を考察するきっかけになったのは、私にとっては初めての良き体験でした。


あなたにも
何らかのギャップによる
面白い体験はありますか?


青い鳥 クリスマスにもおすすめの絵本

クリスマス・イブを舞台にした不朽の名作 チルチルとミチルの物語


チルチル・ミチル。
誰もが知る響きだとは思いますが、それがなんの話だったか、意外と詳しくは知らない人も多いようですね。

チルチルとミチルは、ベルギーの詩人で劇作家のモーリス・メーテルリンク作「青い鳥」に出てくる主人公兄妹の名前です。

貧しい木こりの子、チルチルとミチルが、魔法使いに頼まれて、クリスマス・イブに、幸せの象徴である「青い鳥」を探しに出かけるお話。
動物や、身の回りのモノをお供におとぎの国を冒険する、結構ハラハラドキドキで、子どもから大人まで興味をそそられる物語ですが、テーマ性がシビア。『幸福とは何か』について考えさせられるとても深い内容です。


人生いかに生きたらいいのか」という探求の哲学を持っていたというメーテルリンク
青い鳥」の主題も『死と生命の意味』で、ノーベル文学賞を受賞し、世界の名作として、映画や舞台化されたり、児童以上向けに文庫本として出されているものもあれば、小さな子ども向けに絵本として出されているものまで、様々なバージョンがあります。

私は、子どもの頃、こんな感じ(下図)の絵本を持っていて、自分と同じ年頃の兄妹が不思議な冒険をするという物語が想像力を掻き立てれ、気に入って、なんども繰り返して読んだことを覚えています。


ただ、クリスマスの時のお話だったということは、大人になって改めてこちらの本を見るまでは全く記憶になく・・・


こちらは、世界文化社出版の1969年刊「世界の名作」という絵本シリーズのもので、文は高田敏子さん、絵はいわさきちひろさんによるものです。

青い鳥」については、以前ご紹介した日野原重明先生のご著書(テンダー・ラブ―それは愛の最高の表現です。)に取り上げられていたことをきっかけに、改めて読んでみたいと思いまして、どれにするか悩んだのですが、いわさきちひろさんの絵が素敵だな〜と感じて購入したものです。


先に示したアニメ風のコンパクトな絵本に比べ、こちらは字数もページ数も多く、いわさきちひろさんによる挿絵が美しく、絵本の中でも、大人も十分に楽しめる内容となっています。


付録として、メーテルリンクについての裏話や、子どもに読み聞かせるためのポイントなどが、解説として掲載されている点も気に入ってます。

日野原先生の本にしても、こちらもそうなのですが、私がお気に入りの本は絶版となってしまっているものが多く、できればこれからも多くの人に触れていただきたいのですが、そうもいかないようなのが残念です・・・
ご興味のあるかたは、古本もしくは図書館で、ご覧くださいませ。

でも、私は持っていないのですが、いわさきちひろさんの絵による「青い鳥(あおいとり)」は、文章は立原えりかさんで、講談社から出されているものもあり、こちらはまだ新品で手に入れることができます。


もし、いわさきちひろさんの絵がお好きであれば、こちらも良いかもしれません。

2020年の締めくくりに、自分へのクリスマスプレゼントとして、本当の幸せについて考える本「青い鳥」を、手に取ってみるのはいかがでしょう・・・?

関連記事
愛とは、誰かの心に 希望の灯をともすこと/心に留めておきたい、愛の医師 日野原重明先生からのメッセージ


あなたの
青い鳥は
どこにいますか?


楽しい生き方は、喜ばれる生き方

ただしい人から、たのしい人へ 第5章


心が救われる小林正観さんの著作「ただしい人から、たのしい人へ――そして『ありがとうの人』になる 」より、これまで第4章までを、特に心に留めておきたいと思った項目をピックアップしてご紹介して参りました。

今回は、最終となります第5章「楽しい生き方は、喜ばれる生き方」より、一部抜粋して、紹介させていただきます。

落ち込む人も、有頂天になる人も、自分を「大したものだ」と思っている人です。
それは驕(おご)り、高ぶり、うぬぼれ、傲慢(ごうまん)にほかなりません。

落ち込むのは、自分が「大したものだ」と思っているのに、
さほどの評価を得られなかったからです。
有頂天になるのは、自分が「大したものだ」と思っているところに

「大したものだ」「素晴らしい」という賞賛を浴びるからです。

自分が

「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」
と思いさだめることができたら、とても楽に生きることができます。
ちゃんとした人、いろんなことがきちんと全部できる人を、

多分「正しい人」と言うのだと思いますが、
もともと人間はそんなに正しく生きるようには
できていないように思います。

不完全で不十分で未熟。

やることなすこと完全にはできず、ミスばかり。
そういうものが積み重なって、人間があるのだと思います。


この正観さんのお言葉、ドキッとしませんでしたか?
でも、「不完全で不十分で未熟」それが人間なんだとも教えてくださり、ホッとしますよね。

非難され否定的なことを言われてしまうことや、逆におだてられその気にさせられるということも、生きていればよくありますが、自分は未熟なんだと謙虚な気持ちでいつもいられれば、落ち込むことも、有頂天になることもなく、いつもニュートラルで、心おだやかに過ごせるということかなと思います

競わない、比べない、争わない。
そこから「幸せ」を感じることができます。

「幸せ」というのは、その人が「幸せだ」と思ったら、その人にのみ存在する。

「幸せ」は「感じるもの」であるならば、

なぜみんなはそれを感じることができないのでしょうか。

「幸せ」の構造は大変簡単であるにもかかわらず、

多くの人が「幸せ」を手に入れているとは思えません。
それはなぜか。

私たちは「競うこと」「比べること」「争うこと」を

前提として生きることを教え込まれてしまったからです。

自分自身の生活の中で

「他人と比べない」「世間と比べない」ということが身についたら、
生きることがどれほど楽になるかわかりません。


人より抜きんでることが偉くて、立派。そういう教育の中で生きてきてしまった私たち。
この現代、心を病む人が多いのも、当たり前なような気がします。

そろそろ、「競争」するのではなく、共に手を取り「共創」する世界を目指す人、幸せの「共有」を考える人に、本当の意味での豊かな人生がもたらされる時が来ているのではないかと感じます。

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