地震による傷口を覆う誓い

‘想い’は ‘誓い’と言えるほど強いものに


昨晩(2021年2月13日)、23時7分、福島県沖の大きな地震がありました。
ここ仙台、私の住む地域は震度5強だったそうです。

発生時は、3.11の時の感覚が蘇り「またなの・・・?」という言いようのない恐怖感。
何もなすすべなく、部屋の一番安全と思われる場所で、ただ膝を抱えて、待つだけ・・・

でも、揺れが収まってからは、10年前より多分マシというのが直感としてありました。

とはいえ、部屋は大変なことに・・・
一番大きな本棚が倒れ、キッチンも物が散乱し食器類もいくつか割れ、古いマンションで、住んだ時からたてつけが悪かった玄関の収納は案の定めちゃくちゃ・・・

部屋はこの通りひどい惨状だけど、でも、運よく、携帯も使え、ネットも見られる、電気やガス、水道といったライフラインは問題ない、津波の心配はないってことだし、翌日は日曜、部屋さえ綺麗にすればいいだけ。
過去の経験があるからこそ、昨晩の時点で、そういう安心感はありました。

だけど、大丈夫なのはわかってるんだけど、心臓の鼓動が平常ではない。
心が落ち着かず、ざわつく。
私は軽度だと思うけど、こういうのをPTSD:心的外傷後ストレス障害というのでしょう。

私でさえこうなんだから、相当な不安感を抱え、震えている人もいるだろうな・・・

一度受けた深い傷というのは、いくら年月が経っても、そう癒えるものではない。
傍目にはわからないけど、苦しんでいる人がいるってこと、癒しを必要としている人がいるってこと、忘れないで、私に何ができるか考えよう。
そんなことを改めて思いました。

熟睡などできるはずもなく、疲労感と共に朝を迎えて、変わり果てた部屋の様子に呆然としながらも、重い腰を上げ、ちょっと片付けてはため息をつき、人には動かすのが大変な棚などが動いていることに、自然の力ってすごいなと恐怖を抱くと共に感心もしつつ、やる気を失くす、の繰り返し。
全くもって、作業がはかどりません。

もう、あんまり頑張らないで、休憩入れがらやろう・・・
カオスなキッチンでお湯を沸かし、コーヒーを入れて、一服し、散々な部屋をボーッと眺めつつ思うのは、

厳しい試練をどうしてこうも与えられるんだろう・・・

目指しているのはオアシスなのか破壊された世界なのかという混沌とした現代にいる私たちに対して、人としての本来の心を失うな、生かされていることに感謝し、豊かな心を保つようにと、自然の怒りを使って神様が教えてくれてるのかなぁ

やっぱり、人生、大切に生きなきゃ・・・

いつ何が起こるか、わからない。
備えも大事だけど、先のことばかり考えて、不安を抱えて生きるよりも、今を幸せに生きることを考えよう。

仕事や与えられた使命に心込めて取り組みながら、コロナ禍という制限がある中でも、やりたいこと出来ることはやろう、行けるところには行こう、会いたい人には会って、感謝の気持ちを伝えよう。

遅かれ早かれ命は尽きるのだから。
その時に後悔がないように。
充実と、最高のありがとうの気持ちを感じて、自分の人生に幕を閉じることができるように。

これまで抱いていた‘想い’が、‘誓い’というさらに強いものに変わったように感じています。


あなたの
人生に対しての
誓いはなんですか?