臨床美術を初体験した時の感動 その2

臨床美術との出会い 〜左脳と右脳〜


このウェブサイトを開設して一番初めに投稿した記事「臨床美術を初体験した時の感動 その1 臨床美術に出会うまで 〜東日本大震災というきっかけ〜」の続きです。

東日本大震災のあった翌年の1月に、心を病んだ叔父が亡くなりました。
私は、震災時に勤めていた会社では、パワハラがあり苦痛な状況でしたので、叔父の死後、自分の生を無駄にしたくないと思い、仕事を辞める決意をしました。

その頃に、
私って、なんで生きてるんだっけ?
私って、なにをしてる時が幸せなんだっけ?

と、自分を見つめ直し、考えた先にあったのが、美術に対しての思いでした。

小さい頃は、みんなが外で一斉に遊んでいる時でも、一人で黙々と絵を描いているような子供で、小学、中学では、図工や美術、写生会といった時間が大好きでした。

そんな
子どもの頃には大好きだったのに、成長するにつれて忘れてしまったこと
それがなぜだかとても大事であるような気がして、再び美術に目覚たのでした。

今さら自分なんかが美術の世界で食べていけるとは思えない。
でも、美術に関することで、なにか、私にできることはないか

と考え、インターネットで「美術・趣味・仕事・ボランティア」などの単語で検索をかけ、情報を探していたところ、ある日、「臨床美術」の文字が目に留まりました。

初めに記事を見たのは、臨床美術協会」が運営しているホームページでした。

「臨床美術は、絵やオブジェなどの作品を楽しみながら作ることによって脳を活性化させ、高齢者の介護予防や認知症の予防・症状改善、働く人のストレス緩和、子どもの感性教育などに効果が期待できる芸術療法(アートセラピー)の一つです。」

これなら私にもできるんじゃない?!
そう思って、調べていくと、東北福祉大学で「臨床美術のワークショップ(体験会)が受けられることを知り、仙台で受けられるのなら、受けない手はない!と思って、早速、ワークショップ参加の申し込みをしました。

さて、「臨床美術」初体験の日。
東北福祉大学の国見キャンパス(当時はまだ仙台駅東口キャンパスはありませんでした)を訪れ、少し緊張しながら、ワークショップ会場に入ると、あたたかい笑顔で先生が出迎えてくださいました。

私以外の参加者は、小学生の女の子とそのお母さん。
島になった机にみんなで向かい合って座る形。
机の上には、オイルパステルや工作道具。
教室の中には、いろいろな美術作品が並んでいて、それだけでワクワクしていました。

ワークショップは、まず、臨床美術を理解するための導入として、左脳モード右脳モードのお話から始まりました。

左脳右脳の違いというのは、一般的にも知られていますね。

左脳は、言語象徴時間理論など、
それに対して、
右脳は、非言語具体非時間非理性直感といった働きをします。

よく、ひとことでは、それぞれ、
左脳言語脳
右脳イメージ脳
と表現されます。

また、
面倒なことが嫌いな脳で、時間が経つのが遅いと感じるのは左脳モード
対して、
夢中になっている時など、楽しくて時間を忘れる感覚の時右脳モード
であるとも言われます。

さて、それでは、「デジタル画(シンボル画)」と「アナログ画」、
それぞれ、どちらが左脳モードで、どちらが右脳モードで描かれる絵でしょうか?

・・・と言いましても、デジタル画アナログ画ってなに?ってことになりますでしょうか。

それでは、今回は、ここまでにして、次回に、デジタル画アナログ画についてと、今度こそ本題の臨床美術の実践についてご紹介しますので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします☆

この記事の続きは、こちらです↓
臨床美術を初体験した時の感動 その3


あなたには
子どもの頃は好きだったのに
忘れてしまった
なにかが、ありませんか?

仙台元気塾 『オウチ』バージョン

自宅での時間を少しでも豊かに

2020年も5月に突入しました。
新型コロナウィルスの蔓延を防ぐため、自宅待機を余儀なくされている、今年のゴールデンウィーク。
緊急事態宣言も延長となる気配とのことで、春のうららかな日が続いているというのに、ひっそりと過ごさなければならないのは、憂鬱ですね。

ですが、世の中には、そんな身も心も重だるい状況を少しでも軽くしようと、色々と尽力してくださる方々がいます。
今回、私の心のサプリメントとなったのは、あるお便りでした。

それは、4月の緊急事態宣言がなされた数日後、東北福祉大学 仙台元気塾から届きました。
私が臨床美術士という資格を持っているお話は「臨床美術」のカテゴリーでお伝えしていますが、その資格取得のための講座やワークショップなどは、東北では東北福祉大学で受けることができます。そして、元気塾では、健康と学びのために様々なプログラムを地域のために提供しており、臨床美術もその一つとしてあるため、定期的にお便りいただけるのです。
(なお、元気塾のプログラムには、資格は不要で、どなたでも参加できます)

今回はなんのお知らせかなと思って封を開けましたら、見出しに「自宅で挑戦! オウチ de 元気塾 臨美編」とプリントされた用紙に、1枚のハガキ。

仙台元気塾では、お休み期間中も皆さまがこれまで積み重ねてきたものを維持し続けられるよう、『オウチ de 元気塾』を発行!元気塾でいつも行っているプログラムを自宅用にアレンジし、スタッフのコメントを添えて定期的にお届けいたします。
ぜひ裏面をご確認いただき、ご自宅での生活に取り入れていただければ幸いです。そしてまた元気でお会いできる日が一日でも早く訪れることを、教員・スタッフ一同心より願っております。

とのメッセージ。
そして、笑顔の古瀬先生。

私、元気塾に通ってるわけじゃないのに、なんてあたたかな。
古瀬先生のアイディアなんだろうな、と顔がほころびました。

ところで、古瀬先生は、臨床美術によって、子供から大人まで、多くの人々の心を明るくさせている、私のまさに師匠であるお方です☆
古瀬先生については、「心の師匠」のページにて改めてご紹介させていただきます。

さて、オウチde臨美をするにあたってのポイントは、
「*特別な画材を準備しなくて大丈夫!オウチにあるものを使って挑戦してみましょう。
 *できた作品はそのまま郵便ポストに投函。皆さんの作品が集まると・・・、どうなるかは2週間後のお楽しみ!」

とのこと。優しくて楽しい気持ちにさせてくれる気遣いがあります。

送られてきた臨床美術のプログラム内容はこちらでした。
古瀬先生の手書きでコメントが付け加えられてて、あたたかさを感じます。

本当にシンプルで、気負いなく取り組める、簡単なプログラム。
やり始めは、なんかよくわかんない・・・って気持ちだったのが、そのうちどんどん手が止まらなくなるから不思議です。
芸術家って、こんな気持ちなのかな?って思ったります。

さらに、4月末、第2弾が送られてきました。
あ!また来た!!今度はどんなプログラムだろう???
そんなふうに、気持ちをウキウキさせてくれます。

わーなんか、面白いのが出来上がったー♪
と思わず自画自賛し、笑顔になっている自分がいます。

後日、古瀬先生に素敵な企画ですねとメールでお礼を伝えましたら、いつもながらの思いやりのある気遣いの言葉に加えて、
「世の中、思いもよらない状況になり、不安に思っている方も多いかと思い『なにか1つでも夢中になれる時間を』と考えたのがオウチde元気塾でした。
一方通行ではない、双方向の関係性が生まれるのがみそです。」
とのコメント。
さすが、やはり私が心から慕うご師匠さまでした♪

なお、今回ご紹介しましたプログラムは、元気塾/古瀬先生のオリジナルであり、臨床美術の既存プログラムではございませんことを付記しておきます。
臨床美術士は3級以上の資格を持つと、自分でもプログラムを考案して、活動することができるんです♪
私も、4級止まりではなく、3級取得を目指して頑張りたいと思います☆

あなたの憂鬱な心にも効くサプリ
それはなんですか?

宮沢賢治の名作 銀河鉄道の夜

猫を擬人化したアニメ映画

最近、臨床美術つながりで知り合った真紀さんとの話題に、宮沢賢治の話があがりました。

宮沢賢治といったら、あなたは何を思い浮かべるでしょうか?

真紀さんは、宮沢賢治の暮らしに憧れるのだそうです。
農業してお勤めもして創作もして、という形ですね。素敵ですよね。
ちなみに、真紀さんはアーティストとしての才能をお持ちです。またの機会に改めてご紹介させていただきたいと思っています♪

真紀さんの素敵な作品たち

さて、私の場合、宮沢賢治の名ではじめに連想するのは、繰り返し見ている、猫を擬人化したアニメ映画の「銀河鉄道の夜」といったところです。

このアニメ映画「銀河鉄道の夜」は、1985年に公開された映画です。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、様々な形で映画化や舞台化がされていますが、これが最も一般的に知られているのではないでしょうか。
アマゾンの評価をみても、高評価でファンが多いのがわかりますね。

私は、小学6年生くらいの頃に、父が買ってきてくれたビデオ(VHS)で観たのが初めてです。
当時の私にとっての宮沢賢治といえば、国語の教科書に載っている「注文の多い料理店」と「雨ニモマケズ」で、「銀河鉄道の夜」については、興味はあったけどなんとなく子供の頃の自分には難しくて読みきれずにいたので、アニメ映画、しかも可愛いらしい猫で表現されている、ということで、喜んで観たことを覚えています。

そして、一度観て、この幻想的で何か例えようのない切ない物語に完全に魅了されました。

主人公は、病気の母と暮らし、帰らない父を待つ少年ジョバンニ。孤独な彼が、星祭りの夜にただ一人の親友であるカムパネルラと、不思議な鉄道の旅をする物語です。


テーマにされているのは、友情と自己犠牲、人間と死、そして本当の幸せ

文字で表すと、子供には難しいテーマのようですが、この映画による表現は、子供ながらの感性にスッと入ってくる感じだったのだと思います。
大好きになって何度も繰り返して観ました。

そして今から3年くらい前。どうしてもまた観たくなって、ブルーレイを購入しました。
静かな気持ちになりたいときなどには最適な作品です。

物語に出てくる言葉には、ところどころ胸に刺さる部分があります。子供の頃はあまり意識しなかったとは思うのですが、今、心に響くのは、カムパネルラとジョバンニが鉄道の旅で出会った青年の言葉でしょうか。宮沢賢治の原作と一緒です。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」


原作にはない部分としては、物語の後半、ジョバンニがカムパネルラの名を叫ぶくだりが、何とも胸を締め付けられます。見たことのない人にはネタバレになってしまうので詳しくは書きませんが、切ない気持ちになる映画を見たい時はお勧めです。

また、このアニメの良さですが、ジョバンニ達の猫の手や尻尾のある丸いお尻がにゃんとも可愛くて、顔が緩んじゃうんですよね。大人の心が優しくなれるポイントが満載だと思います。

それから、物語やキャラクター設定以外の点で、私がこの映画で好きなところはもう一つ、音楽です。
私の父は、映画に加え音楽も好きな人で、音響にもこだわる人でしたから、この映画も大音量で観させてもらったのが効果的だったのでしょう。
まずオープニングで流れた音楽に心を掴まれ、それ以降も流れるこの映画にマッチした幻想的なサウンドに、私は引き込まれました。

というわけで、私はこの映画のサントラCDも持っているのですが、そのことについては、また改めて、音楽のカテゴリーでご紹介したいと思います。


子供のあなたに感動を与えた物語
覚えていらっしゃいますか?

当サイトの背景画像について

誰でも手軽に楽しめる♪ 塩を使った水彩技法

当サイトの背景に使用している画像について、紹介させていただきます。

使用しているのは、こちら↓↓です。

塩を使った水彩技法

白い画用紙に、水彩絵の具と塩を用いて描いた、抽象画です。

臨床美術を通じて仲良くなった、画家でもいらっしゃる郁子さんのお宅にお邪魔した際に教えていただき、やってみた時の作品です。

雪の結晶のような独特の模様ができるのですが、深いことは考えずに楽しんで作業できます。準備から後片付けまで1時間あれば十分、誰にでも気軽にできますので、その方法について、ご案内しますね。

準備するもの
1)画用紙(表面がツルツルのものではなく、凹凸のある水彩紙が良いです)
2)透明水彩絵具
3)お塩(なんでも良いですが、天然塩がお勧めです)
4)その他、絵筆・パレット・水・ティッシュ・作業するために敷く新聞紙など

手順

1)パレットに、好みの色の絵の具を出す。
* 分量は、描きたい範囲にもよりますが、まずは少量で、進めながら必要に応じて足せば良いと思います。
* 色は、もちろんその時のインスピレーションで選ぶでも良いですし、迷うときには、今日の天気とか、見た夢のイメージとか、自分なりのテーマを決めてからだと選択しやすく、楽しさも増しますよ♪

2)水を多めに含ませた筆で、絵の具を溶き、紙に塗る。
*色の混色や、にじみも楽しんでみてください♪

3)塗ったところが乾く前に、塩をパラパラとふりかける。
* 水の加減や乾き具合、塩の分量で表情が変わってきますので、色々試してお好みを探してみてください♪

* ティッシュで、適度に水を吸わせたり、軽くポンポン叩いて部分的に白抜きしてみたり、模様をつけても良いですね。
* 描く範囲が広い時や、複数の色を使って描くときは、一度に全体に絵の具を塗ってからではなくて、部分的に色を塗って塩、また空いているところに色を塗って塩、の作業を繰り返すと良いかもしれません。が、決まりはないので、自由にどうぞ♪

4)絵の具が完全に乾いたら、塩をはらい落とす。

工程は以上です。簡単ですね。

さらに、自分で気に入った部分を切り取って額縁に入れると、立派なアート作品に見えますよ♪

額縁は百均のものでOK!

抽象画は配置で印象が変わります

塩水彩、いかがでしたか?
興味が湧きましたら、是非やってみてくださいね。
お手軽だし、ちょっとした気分転換になるので、お勧めです。

ところで、この技法を教えてくださった臨床美術士仲間の郁子さんのことについては、また改めてご紹介させていただきたいと思います。とても優しくて温かい絵を描かれる画家さんです。

あなたが無心で取り組めることは
なんですか?

臨床美術を初体験した時の感動 その1

臨床美術に出会うまで 〜東日本大震災というきっかけ〜

2011(H23)年3月11日(金)14時46分18秒、東日本大震災(総務省消防庁の記録写真)が起きました。
誰もがショックを受けた大事件でしたが、私自身も直接的なダメージを受けるとは、本当に信じられないことでした。

私は、赤貝で知られる港町、名取市閖上(なとりしゆりあげ)の出身です。
震災当時は、実家を離れ、名取駅そばに住み、仙台市の職場に通っていました。
実家は、毎朝競りの声が響く港のすぐ近く。子供の頃から、地震の時は津波が来たらどうしようと怯えたものでしたから、大地震が起きたその日は、実家や家族がどうなってしまうかとそれまで感じたことのない恐怖に襲われました。

幸いにも、当時住んでいた祖母と弟夫婦一家は無事でしたが、実家は根こそぎ流され、身内では、母方の祖母が津波により亡くなりました。
そして、その翌年の1月には、震災で心を病んだ叔父が自死しました。

叔父は、私のことを常に気にかけてくれていて、父が癌で亡くなり、その後母が家を出ていった後も、誰より私を支えてくれた、私にとって兄であり父のような存在でした。人望もあり、常にリーダーシップを取って、周りを盛り上げるような人でした。そんな叔父が精神を病み、見た目まで小さくなっていく姿は、見ていてとても辛かったのですが、私は、何もできませんでした。

この頃、私は命について深く深く考えました。

なんでみんな死んでいってしまうの?
私は良い歳して独り身で、そのくせ大したこともしていない、私みたいな人間のほうが生きているのに相応しくないのに。
なんで私なんかが生きているんだろう?
私なんか、生きている意味ない・・・

はじめに」でも触れました通り、震災以前から、生きているのが辛いと感じていたような私には、そんな思いが長いこと強かったのですが、ある時、私は生かされているんだという気持ちになりました。

地元で震災があったにも関わらず無事だった自分に比べれば、もっとずっとひどい思いをしている人がたくさんいることや、私自身何度も体験している身近な人を失った時の悲しみを考えると、こんな私でも、死んだりしたら、誰かは悲しんだり、少なくとも人に迷惑をかけてしまう、といったことを改めて考え、気持ちが変わってきたのです。

「与えられた命を全うし、世の役に立ちなさい」と神様仏様に言われているのではないか?
そうとらえて生きていこう、と思えるようになったのでした。

そんな時に出会ったのが臨床美術です。
臨床美術に、私は魂が震えるような感覚を得て、自分自身の心の中にも周りにもあたたかい世界を広げる可能性を感じることができたのです。

…ここまでのお話が長くなってしまいました。お読みいただき、ありがとうございました。
短くまとめるつもりだったのですが、やっぱりこの経緯とかきっかけとかが今の自分にとって大切であるように感じるので、記しておくことにします。

また次回に、本題の臨床美術の初体験について書かせていただきます。
ご興味持っていただけるようでしたら、続けてご覧いただけましたら嬉しいです。


この記事の続きは、こちらです↓
臨床美術を初体験した時の感動 その2


あなたは与えられた命を
大切に生きていらっしゃいますか・・・?