創作造形活動の効能は誰にも有効

臨床美術は難しいものではないのです♪


時々このブログでも述べさせていただいている「臨床美術」についてですが、気になるけど「臨床」ってことは患者さん向けなの?とか、なんだか難しそうという声もお聞きする、今日この頃です。

以前ちょとだけご紹介しました「改訂新版 臨床美術」という本、こちらは臨床美術を知っていただくものとして、一般向けに刊行されている大変オススメのものではありますが、サブタイトルに「認知症治療としてのアートセラピー」とされていることもあり、万人向けではないような印象を持たれるかたも多いようです。

過去の記事↓
臨床美術を初体験した時の感動 その3/デジタル画とアナログ画 そして臨床美術のアートプログラム

臨床美術」は、この本の編集者である金子健二先生(宮城県出身の彫刻家)が、ご自身の親御さんの認知症改善に美術が有効ではないか?ということを経験を持って考え始めたことをきっかけに開発されたものなのです。
この本の中に、その興味深い経緯が詳しく書かれていますが、元々認知症改善へ向けて生み出されたものが、開発されてから数年、認知症改善だけでなく、介護予防や、働く人のストレス緩和、子どもの感性育成などへの効果があるとして、普及していきました。

金子先生はこの本の中で、次のように述べられています。

臨床美術において、また美術教育において、作品に優劣をつけることは危険であり、私は反対です。

学校教育では当たり前のようにしている「評価」ですが、美術作品というものは本来「心の叫び」です。

上手、下手などどいった「評価」は左脳世界のすることであって、右脳世界の美術では意味のないことです。

まして臨床美術では、そのような優劣の価値判断は禁物です。
ですから、「うまいですね」というほめ言葉は使いません。
具体的に良いところを見つけて励まし、ほめることが大切です。

改訂新版 臨床美術」p.37

上手・下手という言葉で「評価」しないで、触れる聞くほめるのが「臨床美術」であり、それが本来の美術教育でもあるということですね。

というわけで、難しい響きに感じられてしまうこともある「臨床美術」ではありますが、勝ち負けのないアート、誰にでも楽しんでいただけるものであり、変化の激しい時代において不安を感じて生きる人が多い昨今では、ますます必要とされていくものと思います。

臨床美術チラシ

また、この本には、私の尊敬する人として既にご紹介した関根一夫先生による考察文もありまして、ここでは「ファミリーケア」の重要性について述べられています。

例えば、対象となる患者さんとそのご家族の関係性であったり、実はご家族自身が心の問題を持っているだとか、そういったことに目を向けることの必要性を説かれています。

臨床美術の一環として、家族が安心して愚痴をこぼせたり、どういうふうに患者さんと接したら良いのかを一緒に考える「ファミリーケア」の役割がいかに大きいかということがよくわかる内容です。

関根一夫先生についての過去の記事はこちら
いてくれてありがとう/いつも忘れずにいたい素敵な言葉

改訂新版 臨床美術」は「臨床美術」が開発されて間もない頃に編集された本なので、主に認知症の患者さんを対象に述べられてはいますが、家族の中での問題や人間関係での問題という点では、何もご病気のかたがいらっしゃるところだけでの話ではないですよね。
人間関係の問題というのは、人の心の問題があって発生するもの。
その心の問題の改善に「臨床美術」は効果が期待できるので、是非とも多くのかたにお試しいただきたいと思うのです。

ちなみに、特に問題などはないという方々にとっては、日々の生活に彩りが増す、そんな効果があります。
例えば、写真を撮ることが好きなかたは、何気なく歩いている時でも道端の花に目が行くとか、空が美しいなとかしみじみ感じるのではないかと思いますが、その感覚と似ています。
何か趣味を持ちたいな、という人にもうってつけだと思いますよ♪


あなたにとって
美術とはどういうもの
でしょうか?

改訂新版 臨床美術

五感で秋の味覚さつまいもを描く

臨床美術で創作に没頭する時間を持ってリフレッシュ


久々の2連休を得ましたが、ちょっと最近お疲れ気味の私は、人に会わず、静かに自分の時間を持ちたいのが正直なところでした。

そんな時に思いたつのが「臨床美術」です。

ちょうど、立派なさつまいもをいただいたところでもあったので、臨床美術プログラムの一つ「さつまいもの量感画」をすることにしました。

さつまいも

さつまいもの量感画」を実施するにあたって、準備するのはこちら。
臨床美術の基本画材、オイルパステルを活用します。

さつまいもの量感画

さて、この中に、薄クリーム色と墨色の用紙がありますが、いざさつまいもを描くとなったら、あなただったら、どちらの用紙に描きこみますか?

実はこのプログラムでは、墨色の用紙に描いていくのです。
これが面白びっくりなところですね。臨床美術の醍醐味です。

そして、ここからは以前ご紹介した「りんごの量感画」と同じような流れとなります。

臨床美術「りんごの量感画」

以前ご紹介した「りんごの量感画」の記事はこちら↓
臨床美術それは誰でもできるアナログアート/お友達を呼んでプチワークショップ♪

まず、さつまいもを手に持ってみて、その独特の形状と重さを感じ、そして、中身の色を観察して、自分が「これ!」と感じた色味で描いていきます。

さつまいも

さつまいもを育てるような気持ちで、中身から描いていく。
ちょっと不思議な感覚を楽しみます。

さつまいもの量感画

次に、改めてさつまいもの外側である皮を観察して、発見できた色を、オイルパステルの中から3色以上選び、かぶせていきます。

さつまいもの量感画

ヒゲや、窪みなども見えるから、引っかき傷を入れてみたり、パステルをトントン打ってみたり、リズムを感じて進めるのも、このプログラムの面白さ。

さつまいもの量感画

納得の行くところまで描けたら、仕上げに魔法の粉(女性なら知っている(?)アノお粉☆)をふりかけツヤツヤにして色留めしたら、いよいよ、収穫(笑)!ハサミを入れてカットします。

さつまいもの量感画

そして終盤にさしかかり、ようやくクリーム色の用紙が出てきます。
こちらは実は、描いたさつまいもを貼り付ける台紙でした。
さつまいもの中身の色と似ているところがミソ。
黒い紙の中ではなんだかボヤッと見えたさつまいもが、切り出し、この用紙の上に乗せると、しっかり浮き上がってきます。

さつまいもの量感画

さて、最後。
台紙に切りだしたさつまいもと、和紙などの端材を置いてみて、どう仕立てたら自分の描いたさつまいもが素敵に見えるかを考え、位置決めしたら貼り付け、固定します。
この構成が実は一番の悩みどころだったりもします。

さつまいもの量感画

普段生活していて、さつまいもの形は愚か、中身の色までしげしげと見ることなんてないですよね。
今ここ、さつまいもに集中することで、いつもは見過ごしていることに気がつく。
食物の神秘さ、面白さを再発見する。
普段は使わない画材や道具を使って、創作することに集中する。
日常生活で忘れかけていることを体験することで、脳が活性化される、ポジティブで自由な時間です。

さつまいもの量感画

臨床美術は、もともと絵を描くことが好きなかたには新たな発見をしていただけると思いますし、美術なんて苦手というかたにも1時間程度で気軽に楽しんでいただけるプログラムが豊富です。

臨床美術には様々なプログラムがあり、お子さんからお年寄りまで老若男女、ご病気や障害をお持ちのかたから健常者まで、どなたでもできるものですが、特に、疲れている多くの現代の皆さま、リフレッシュしたい皆さまに、是非お試しいただきたいなーと思っています。


あなたは
上手に気分転換
できていますか?

雨が続いても、オウチで臨美(アート)

仙台元気塾のやさしさ企画、自宅で楽しむアート製作


5月のコロナによる外出自粛の時にも一度ご紹介させていただいた、東北福祉大学 元気塾の企画『オウチde元気塾/臨美編』。
自粛は解除されましたが、東北福祉大学 仙台駅東口キャンパスの閉鎖は今月末までとのこと。
なかなか厳しい状況ではありますが、東北の臨床美術を牽引する古瀬先生をはじめとした東北福祉大の臨美コースのやさしさは継続されています。

なお、「自宅で挑戦! オウチ de 元気塾 臨美編」の詳細は、こちらの記事をご参照くださいませ。
仙台元気塾 『オウチ』バージョン/自宅での時間を少しでも豊かに

前回に続いて送られてきたプログラムはこちら。

いずれも、作品を作る用紙(ハガキ)には予め一部に絵図が入っていて、手順書の案内を参考に、誰でも手軽に抽象画が楽しめるものとなっています。

まずは、色鉛筆を使い、ハッチングで色面を作るもの。


次は、色ペンでモコモコ模様を描くもの。


予め描かれている図柄をキッカケにしつつも、初めのそれとはだいぶ印象が変わったものが出来上がるのが面白いです。
他の皆さんの作品はどうなってるのかが、気になるところ・・・

以上、わずか数分で手軽にできる脳のリフレッシュでした。


あなたの
リフレッシュ方法は
なんですか?

オイルパステルのアナログ日記で心豊かに

臨床美術仲間、真紀さんの素敵な作品たち


先の投稿「宮沢賢治の名作 銀河鉄道の夜/猫を擬人化したアニメ映画」で、冒頭にご紹介した臨床美術仲間の真紀さんが、日々素敵な作品を生み出していらっしゃるので、本日は、その一部をご紹介させていただきたいと思います。


今回ご紹介するのは、オイルパステル によって描かれた「アナログ日記」です。


アナログ日記」というのは、臨床美術士の資格取得の際に、一番初めに取りかかるもので、オイルパステルを使って、その日の思いを具体画ではなく、抽象的に、即ちアナログ的に表現するものです。

*「アナログ画」についてご興味あるかたは「臨床美術を初体験した時の感動 その3/デジタル画とアナログ画 そして臨床美術のアートプログラム」をご参照いただけますと幸いです。


「アナログ日記」とは真紀さんにとってどういうものか、伺ってみました。



確かに。
言葉、即ちデジタルでは表せきれないことが、このアートでは表現できるわけですね。
ここ最近ささやかれ始めた「アート思考」にも繋がる視点かと思います。


ちなみに、画材に使用されている臨床美術オリジナルのオイルパステル はこちらです。
自分であえて折って使います。
短くすることで、パステルを寝せて描いたり、表現方法が広がります。



なお、臨床美術オリジナルのオイルパステルは、色を重ねたりボカしたりが容易でそれだけで様々な表現ができ、使い心地が気持ちいいので、一度使うと大好きになる人が多い画材ではありますが、アナログ日記をつけるには、オイルパステルにこだわる必要はありません。
色鉛筆、色ペン、絵の具、クレヨン、などなど、お手持ちのもの、お好きなもので、お気軽に♪
想いをアナログで表現するって新鮮ですよ☆


あなたの今日の気持ち
アナログ的に表現したら
どんなでしょう?

臨床美術それは誰でもできるアナログアート

お友達を呼んでプチワークショップ♪


本日、友達にお越しいただいて、臨床美術のまったりワークショップ(体験型講座)を行いました♪

実施したプログラムは、「りんごの量感画」です。

まず自分のモデルに選んだりんごをよく見て、次はなでなでしたり、りんごを触ってその肌を感じ、今度は、ヘタを摘んで持ってみて、その重さを感じ、そして、りんごを切った時の切り口の形や中の色味をじっくり見て、匂いも感じて、さらには食べて味わう・・・

普段は馴染み深くて、あるのが当たり前すぎるりんご。
それを普段、ここまで、改まって感じるということはなかなかありませんよね。

十分に、りんごを五感で感じたら、いよいよ描き始めます。

使う画材はオイルパステル 。
臨床美術オリジナルのオイルパステル は、クレヨンのようでパステルのような、タッチがとても心地よい画材で、色が美しく、描きやすい、体にもやさしい素材でできたものです。
色は16色のみですが、混色が容易で、扱いになれると、これだけで様々な表現ができるようになります。


臨床美術における造形は、平面に描くものから立体を作るものまで様々で、かつそのアプローチも独特で色々なパターンがあるのですが、この「りんごの量感画」も描き方に特徴があります。

まず、果肉の色・匂いに近いと感じる色のオイルパステル を選んで、紙の中心からグリグリと描いていきます。

りんごの量感画
中心にポツリ、りんごの実が生まれました
りんごの量感画
グリグリ、大きく育てていきます
りんごの量感画
感じた重みを思い出して、中身を詰めていく感じ

こうして量感が出来上がったら、皮の色をかぶせていきます。
りんごをよく見ると、単純な赤だけではないことが分かりますので、たくさんの色を使って、オイルパステル を立てたり、寝かせたり、時には色をのせた部分を指でこすったりして、表情を出していきます。

りんごの量感画
ダイナミックに描いちゃって全然OK!

割り箸ペン(割り箸の先を鉛筆のように削ったもの)でスクラッチ(引っかき)を入れたり、なぞったり、白色のオイルパステル を加えて輝きをプラスして、描き上がったら、パウダーを馴染ませて、ハサミで切り抜き、色画用紙と構成して仕上げます。

りんごの量感画で使う道具と材料

出来上がるとこんな感じ。
製作開始から、1時間程度で出来上がります。

りんごの量感画


今日、初体験していただいた友達の作品はこちら。
そのままでも十分素敵ですが、持ち帰って是非お家で飾っていただきたいので、百円ショップのものですが、好きな色の額縁に入れてもらいました。

りんごの量感画
yukikoさんの作品
ツヤ感がよく表現され、構成も大胆で素敵です。
なんだか、水に流れているような、空に浮かんでるような、そんな情景のようにも見えてきて楽しいですね♪
(左下の白い線は光の反射で入ったものです)
りんごの量感画
海さんの作品
意外な色ですが、印象に残ったという香りと味を表現してくれました。
また、用紙の素材感を残したやさしいタッチ、全体的に淡くて爽やかな色味でまとめられていて素敵です♪

遠くから眺めて見ると、印象がまた変わるんです。

りんごの量感画
飾ってみると、そこは、もう、アートギャラリー♪

同じプロセスで制作したにも関わらず、個性があって、面白いですね。

「好きなように描いて」と丸投げされるわけではなく、一定のプロセスが案内されることで、誰にでも楽しんでいただけるのが、臨床美術のプログラムです。

また、プロセスの案内はしますが、それは絶対の決まりではありません。
「こういうやり方を試したい」というかたがいれば、その気持ちを尊重します。

アートに、決まりはない。
自由に楽しめるのが、本来のアートだろうと思います。

ところで、お二人とも、制作中は無言で、集中していました。
ひたすら無心になれたとのこと。
これが臨床美術で感じることのできる「ココロの解放」です♪


あなたは最近
無心になれたことありますか?

いてくれてありがとう

いつも忘れずにいたい素敵な言葉


先日投稿した「臨床美術におけるナラティブ(語り)」で、「いてくれてありがとう」を提唱された関根一夫先生について、少し触れました。

関根一夫(せきねかずお)先生、いつも笑顔を絶やさず、とても心があたたかく、誰もが癒される、もう神様みたいなかた!
今回は、その関根先生と「いてくれてありがとう」について、ご紹介させていただきたいと思います。

関根先生は、牧師でありカウンセラーで、「臨床美術」の創設者の一人として、人々の心のケアに携わっていらっしゃいます。

臨床美術士となる際の一番初めの学び、5級講座では、関根先生によるビデオ講義があります。
これが、私にとって、関根先生との初めての出会いでした。
まず、第一印象としては、ニコニコした優しそうなおじさま。

そして、講義には、ご自身が大学卒業後にオーストラリアに留学されたお話がありました。
それは、留学先の学校において、オリエンテーションのIQテストで、英語がほとんど分からなかった関根青年は、自身の名前以外何も書けず0点をとってしまったと、今では笑い話というお話で、私たち聴講者の心を掴むのですが、それが、実にいいお話で。

0点をとった関根青年は、学長室に呼ばれ、叱責を受けるのだろうと恐怖の気持ちでその場に臨んだそうです。
しかし、学長先生は、関根青年をにこやかに迎え入れ、「テストは誰かと比較するためにあるのではない。私はあなたがここに一緒にいてくれるということで満足しているのだ。」という話をされ、できる・できないという評価はのけて、だめでも精一杯生きればよい、誠実に生きればよいのだと、大きな安心感を与えられ、「あなたがいてくれることでうれしい」ということの気づきを得たということでした。

関根先生のこの講義が終わる頃には、受講者みんなが、涙していました。
牧師でもある関根先生の語りは、優しい説教を聞いているようで、私はクリスチャンではないですが、まさに赦(ゆる)しを得たという感じになるのです。
当時、臨床美術士5級講座の講師を担当してくれた、私の師匠・古瀬先生まで泣いていました。何度聞いても泣けてくると。
(古瀬先生については「仙台元気塾『オウチ』バージョン」で触れています)

ちなみに、留学された時のエピソードは、関根先生がこの春出版された本「いてくれてありがとう 介護家族の話をひたすら聴き続けた牧師が伝えたいこと (いのちのことば社)」の56-60ページ(「それでも、お前が大好きだ−私自身の気づき」)にも記載されていますので、ご興味のあるかたはこちらも参考にされてみてください。

さて、この本では、「いてくれてありがとう 」の心を実践する上で大切な哲学、「機能論的人間観」「存在論的人間観」についても述べられています。

機能論的人間観」と「存在論的人間観
臨床美術士になる上でも大切なことで、関根先生の講義とともに学びます。

ちょっと難しい言葉にも感じるかもしれませんが、それぞれについて、簡単に表にまとめると次ような感じです。

機能(成果)的に評価しなければならないことは社会において当然必要な場面もあるが、その「機能論的人間観」だけが前に出て、人の価値をすべて決めてしまう現代の風潮は危うい、「存在論的人間観」をもって、褒めること、認めること、「いてくれてありがとう 」と伝えることは、その人に希望を与える、という考え方です。

この哲学がある臨床美術では、様々な創作活動を行いますが、それは、美術のテクニックを教えるものではなく、人の命を支援するというものなのです。

生きることに悩む多くの人々の声を聴き、寄り添ってきた関根先生は訴えます。

一人で重荷を負い続けないように心がけてください。

人間は誰でも悩んでよいのです。泣いてよいのです。愚痴をこぼしてよいのです。
問題は、そういう声を聴き、涙を一緒に流す場所と人が少なすぎるという現実です。

私も、この関根先生のお気持ちに深く共感し、臨床美術への理解を深めるとともに、自分自身のためにも、そして誰かのためにも、生きる意欲を育て、心豊かになれる営みができればと思っています。

ところで、この「臨床美術」については、私の体験記は投稿しましたが、「それで臨床美術とは一体なんのか?」が、初めてお聞きするかたにはまだわかりやすく伝わっていないかと思いますので、近々、改めて書かせていただきますね。


あなたは一人で
重荷を背負っていませんか?

いてくれてありがとう 介護家族の話をひたすら聴き続けた牧師が伝えたいこと (いのちのことば社)

臨床美術におけるナラティブ(語り)

そして、「いてくれてありがとう」という語り


これまで2回「ナラティブ=物語・対話・語り」に関連する事柄を取り上げさせていただきました。

—–これまでのナラティブに関連する記事はこちら—–
ナラティブ 〜物語〜 について考える エビデンス(科学的根拠)とナラティブ(物語と対話)
ナラティブ・アート Narrative Art 「物語」を描く表現技法

今回は、私の趣味の活動でもある臨床美術におけるナラティブについて、改めてご紹介させていただきたいと思います。

富山福祉短期大学教授で、臨床美術士の養成にもあたられている北澤晃先生によると、


ナラティブ(語り)は言葉の連なりであり、それが私たちの意味世界をつくることになる。
そこには、今-ここを生き、未来につなげていく力があり、また、逆にある限定した未来に向かわせ、自己の生を統制する力にもなる。
いずれにせよ、ナラティブ(語り)には、自己の<生>を生み出す根源的な力がある。


そもそも私たちがひらいていく現実は、言葉でつくられた「意識」の世界です。
その意識の持ち方しだいで、現実は大きく変わっていきます。


臨床美術士マインドとして存在論的人間観を私たちは学びました。
「いてくれてありがとう」という語りを私たちが共有していることは、極めて重要なことです。
この言葉があることが、人々の存在の仕方の現実を問う力になるからです。
そして私たちは語りによってそこに開いた世界に対して、臨床美術士として語り、そしてアートの力による非言語的な語り(表現)の力も用いて、「いてくれてありがとう」を現実にするために、ともに生きられる場をつくり出し更新していかなければならないと思うのです。

(臨床美術士向けのセミナーにおける北澤先生からのメッセージを一部抜粋し、構成させていただきました)

深いですね・・・
哲学的で、少々難しい感じもしますでしょうか?

私なりにかみ砕いて表現すると、
人と人とが「語り」合い、その絆のなかでより深めていく「ものがたり」を大切にするのが臨床美術
という感じなのですが、ご理解いただけますでしょうか・・・?

また、「いてくれてありがとう」という一語は、臨床美術における合言葉のようなもので、臨床美術考案者の一人である、牧師でカウンセラーの関根一夫先生が、熱心に説いてくださっているとても大切な言葉です。

臨床美術は「いてくれてありがとう」の気持ちで人と接することを大切にします。
少し難しい言葉になりますが、これは『存在論的人間観』の実践とも表現されています。
それは、「出来るか、出来ないか」で人を見る『機能論的人間観』に対し、「あなたがそこに生きているという”存在”そのものが尊く、”存在”そのものを喜び、愛おしむ」という考え方です。

「いてくれてありがとう」

素敵な言葉ですよね。

関根先生によって説かれているこの一語については、また次回、改めてご紹介させていただきたいと思います。


あなたの大切な人へ
「いてくれてありがとう」
の気持ち、伝えてみませんか?



今回の記事に関連した本はこちらです。

北澤晃先生著作「未来をひらく自己物語―書くことによるナラティヴ・アプローチ

北澤晃先生著作「未来をひらく自己物語2 ナラティヴ・トレーニングのすすめ

関根一夫先生著作「いてくれてありがとう」と言えますか?
この本は、一般書店では取り扱いされておりません。
芸術造形研究所の通信販売ショップより購入することが可能です。

おうちでアートレク

気軽にできるアートレクリエーション


新型コロナウィルスによる緊急事態宣言、全国で、ようやく解除となりましたね。
とは言え、地球規模の未曾有のこの危機は、ようやく「収束」に近づいたのであって、決して「終息」ではないということで、引き続き、新型コロナウイルスと向き合いながら生活していかなければなりません。

外出自粛は緩和されましたが、注意を払わなければならないことには変わりませんので、ウィルス発生前に比べ、家で過ごす時間が多くなることと思います。

また、今日(5月30日)は、アメリカでは「National Creativity Day(ナショナル・クリエイティビティ・デー)」と言われ、創造性を育み、想像力を働かせるとともに、他者の創造性を支援する日なのだとか。
芸術を実践して、魂を成長させよう」とうたわれているそうです。


そこで、今回は、お子様から高齢者まで誰もが、ご自宅にいながら楽しんでいただける、アートレクについてご紹介したいと思います。

これは、私の趣味の活動「臨床美術のプログラム開発など、『アート』を通した心豊かな社会作りを目指している「芸術造形研究所」にて、ネット配信型アートレクとして考えられたもので、臨床美術のアートプログラムではありませんが、紙と鉛筆、色鉛筆があれば、20分程度で気軽にできるアートレクリエーションです。

動画を見るだけで、簡単にアート体験ができます。
子供も大人も、一人でも家族とでも、どんな描き方でも、人と違った作品になっても、大丈夫。それがアートの魅力です。
動画を参考に、楽しく自由に♪

私も、「リズム絵」やってみました。
時々バランスも考えますが、ほとんど、インスピレーション、無心で描きます。
何か意味を持たせたい人はそこにこだわっても良いですし、逆に意味なんてなくても全然OK。
ただ、その行為を楽しめば良いんです♪
鉛筆や色鉛筆で描くサラサラした感触も、気持ち良かったりします。

終わってみると、「なんか面白いのができたな・・・」
自分で想像していなかったものが勝手に出来上がるのが不思議です。

もしかしたら、描き始めて最初の時点では、「うーんよくわからないなー」なんて思うかたもいらっしゃるかもしれませんが(私も毎回そうです)、描き続けていくうちに、自然に、「今度はここに線を入れてみよう」「次はこっちに色をつけようかな」と、手がどんどん進むようになります。

通常は20分程度でできるものですが、人によっては、凝り始めて、なかなか終わらなくなることもあります。
右脳が活性化している証拠ですのですので、思う存分やってみてくださいね♪


実際やってみないとわからないことって、生きているとたくさんありますよね。
この動画についても、見ただけではピンと来ないかたや、抽象画なんて、と思うかたもいらっしゃるかもしれませんが、まずはやってみる気持ち、大切にしていただけましたら、嬉しいです。


あなたも、色鉛筆
久しぶりに
握ってみませんか?


なお、右脳の活性化にご興味のあるかたには、下記の投稿も併せてご参照いただけましたら幸いです。
臨床美術を初体験した時の感動 その2(臨床美術との出会い 〜左脳と右脳〜)
驚異と感動の実話 奇跡の脳 その1(〜脳科学者の脳が壊れたとき〜)

ナラティブ 〜物語〜 について考える

エビデンス(科学的根拠)とナラティブ(物語と対話)


少し固そうなタイトルになりましたが、今回は、臨床美術に興味ある人はもちろん、介護関係のお仕事や、心のケアについて考えているかた、そして、日常において人とコミュニケーションを取る上で、どなたにとっても参考になるであろう、ナラティブ・アプローチについて取り上げます。

昨日の記事に、エビデンスという言葉を使いました。研究者や医療従事者などは知ってて当たり前の言葉で、近年では様々な場面でも使われる言葉となってきましたが、まだまだ一般的な日本人には馴染みがない言葉かと思います。

おそらく、日常的な場面では、例えば、テレビの健康番組でゲストのお医者さんが「これはエビデンスに基づいて・・・」とか、「今はこういうエビデンスの統計が出ていて・・・」といったかんじで言うのを、耳にすることがあるかと思います。
エビデンス(根拠・証拠)」は医学分野に限って使う言葉ではないですが、こう言った場合の「エビデンス」とは「科学的根拠」のことを言います。

例えば、私たちが頭痛薬を買う時、もし「この薬は、なんとなく頭痛に効きそうな気がすると思った成分で作りました」なんて製品だったら、不安で買いたくないですよね?「なんとなく」なんて言われたら。
薬が開発されるにはしっかりとした研究があり、様々な実験や統計といった科学的な根拠があって、安心して使える製品として出されるわけです。

私は、医療研究機関に勤めてましたので、その時には、しょっちゅう、エビデンスという言葉に触れていました。
それと共に「EBM」という言葉も。

EBM」は「Evidence Based Medicine(エビデンス・ベイスト・メディスン)」の略で、訳して「科学的根拠に基づく医療」となります。

「Sackett(サケット氏/カナダのEBMの父と言われた医師)らは、EBM個々の患者のケアに関わる意識を決定するために、最新かつ最良の根拠(エビデンス)を、一貫性を持って、明示的な態度で、思慮深く用いることと定義している。」

これは、内科医 斎藤清二氏による「医療におけるナラティブとエビデンス 対立から調和へ」という本からの抜粋です。

さてここで、本のタイトルに「ナラティブ」という言葉が出てきましたが、「ナラティブ」とは日本語では「物語」や「対話」のことを言います。

そして、EBMという概念がある一方、NBMという考え方があり、それは「Narrative Based Medicine(ナラティブ・ベイスト・メディスン)」の略で、訳して「物語と対話に基づく医療」となります。

ところで、上記の本は、医療従事者向けに書かれた本です。
エビデンスEBMと共に、ナラティブNBMについては、医師や看護師といった医療を学ぶ人は必ず学習することになるのだそうです。

しかし、私が医療研究機関に勤めてた時、エビデンスEBMはあっても、ナラティブNBMに触れることがほとんどありませんでした。(もちろん、この言葉が使われている現場もある、ということを付記しておきます。)
私が初めてナラティブNBMという言葉を知ったのは、臨床美術士4級取得のための講座によってでした。

臨床美術士として患者さんや人と接する時、その人自身の生きた背景をストーリー(ナラティブ)にしてトータルで見ていくことが大切である。科学的な分析ももちろん重要ではあるが、それだけではならないのだ、ということを、授業で学んだのでした。

この時の授業がとても私の胸に刺さるものがあって、その後、さらにナラティブに関しての知識を深めたいと調べたところ、医師 日野原重明氏による素敵な言葉を見つけました。

「医学というのは、知識とバイオテクノロジーを固有の価値観を持った患者一人ひとりに如何に適切に対応するかということである。
ピアノタッチにも似た繊細なタッチが求められる。知と技を如何に患者にタッチするかという適応と技がアートである。
その意味で医師には人間性とか感性が求められる。」

これは、EBMNBMの両立を意味します。


日野原重明先生は、内科医で、著書も数冊出されており、テレビなどでもよく取り上げられ、愛を持って医療にあたった人として有名です。多くの人が惜しむ中、2017年に105歳という年齢でその生涯を閉じた、ヒーローです。

当時、医療研究機関に勤めていた私は、次第にこう思うようになりました。

医学界では、エビデンス・ベイスト・メディスン(EBM)ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM)は、臨床においての「両輪」と言われるのに、なぜ、私の職場ではエビデンスばかりでナラティブは全然耳にしないのだろう?
重要視されるのは科学的根拠ばかりで、患者さんやその周りにある物語がないがしろにされているのではないか?
研究って、なんのためにされてるの? 患者さんのためなの? 名誉の為なの?

※臨床:病床に臨んで診療すること。病人を診察・治療すること。

ナラティブという言葉に出会ったことで、臨床美術において大切にする、物語対話による寄り添い、そして、「今ここ」という概念や「いてくれてありがとう」の精神が、私の心の拠り所となっていったのでした。

そしてこれは、臨床美術士だとか専門的な活動をする人のみならず、誰もが頭の片隅に置いておくと、普段から人の心に寄り添って接するための、手がかりになるものと思いますので、また今後も取り上げたいと思います。

※臨床美術士(クリニカルアーティスト):芸術的手法、コミュニケーション術、多様性を享受するマインドなど、臨床美術に必要な知識と技能を体系的に学び、臨床美術のアートプログラムの実践に取り組む。医療従事者ではありません。


あなたはどんな物語を
お持ちですか?

医療におけるナラティブとエビデンス 改訂版──対立から調和へ

臨床美術を初体験した時の感動 その3

デジタル画とアナログ画 そして臨床美術のアートプログラム


カテゴリー「臨床美術 Clinical Art」の記事、「臨床美術を初体験した時の感動 その2 臨床美術との出会い 〜左脳と右脳〜」の続きです。

前回、左脳右脳の機能の違いについて一般的に知られていることについて記載し、最後に、デジタル画アナログ画は、それぞれ、左脳または右脳のどちらで描かれるかを考えていただきました。

答えからいきますと、左脳で描くのがデジタル画(シンボル画)で、右脳で描くのがアナログ画です。

左側がデジタル画(シンボル画)左脳、右側がアナログ画右脳を使って描いた絵

コンピューターで描くのがデジタル画、人の手で描くのがアナログ画、そういうことではないですよ。 多少なりともIT知識のあった私は、はじめ、そう思っちゃいましたけど・・・(苦笑)

※IT:Information Technology(インフォメーション テクノロジー/情報技術)

もう少し、詳しく解説しますと、
左側の絵は、太陽、月、今日の気分、星、チューリップ、家を、一枚の紙に描いてみてくださいと言われた時、一方、
右側今日の気分を描いてみてください。ただし、具体的な形やシンボル的なことは描かないでと言われて描いた絵です。

シンボル画とは、言葉を聞いた瞬間に、そのシンボル(具体的な形)が目の前にポンポンポーンと出てきたもので、左脳の絵、
対して、直線や曲線を使って抽象的に描かれた絵が、アナログ画右脳の絵です。

『気分』の絵については、「具体的な形やシンボル的なことは描かないで」と付け加えられなければ、人によって、描き出される絵は、ふた通りに分かれます。
例えば、上図の側(デジタル画)の人の笑顔の具象画と、側(アナログ画)のような抽象的な表現のタイプに分かれます。

デジタル画には、どうしても、上手い下手がでてきてしまいます。しかし、アナログ画非常に個性豊かな絵になり、「へえ、あなたの気分はこんな感じだったのね」と、上手いとか下手とかいったことではなくなります。

そして、ちょっと専門的な話になりますが、右脳を刺激すると「前頭前野(思考や創造性を担う脳の最高中枢)」が活性化され、同時に、右脳左脳を繋いでいる「脳梁」という神経網を通して、左脳を刺激することにもなります。右脳が活性化されてくると、何か理由もなく元気になってきたり、前向きになる作用があると言われています。

ちなみに、一番上の図の、右側のアナログ画については、私がその日どんな『気分』だったかのメモを裏側に書いていたのですが、「お花を買って幸せな気分で歩いていたら、知らないおばさまに微笑まれ、私も笑顔になりました」とありました。これは臨床美術の一つであるアナログ日記というものなのですが、描いている時も楽しいですし、あとあと見返してみても、面白いですよ♪

さて、私が臨床美術を初体験した時に、話を戻します。
臨床美術のプログラムには様々なものがあり、画材も絵の具や墨、パステル、画用紙に限らず和紙や粘土など、プログラムによって使用するものが異なり、とてもバラエティーに富んでいます。

この時は、オイルパステルという画材を使用して、白画用紙に描いていく、とてもシンプルなものでした。
ただ、いきなり、描きたいことを描けと言われても、描けませんよね。

先生から「まず、好きな色を3色選んでください。その中の一つで、一箇所、お好みのところに線を引いてみてください。次は違う色で引いてみましょう。今度は線で囲まれたところを塗りつぶしてみましょう。」という感じで声をかけられ、先生と一緒に一つ一つのプロセスを踏んで行きます。
考えることは考えるのですが、イチから一人で描くことに比べ、ハードルがぐっと低くなります。

このプログラムの場合、白い画用紙の上に、切り抜かれた画用紙があらかじめ貼り付けられているのですが、その段差の感触を楽しめると共に、見た目にもちょっとしたアクセントにもなっています。
最後に、描いた絵に合いそうだなと思う色の台紙を選んで、自分の好きな位置に貼り付け、完成です。

この作品も、「当サイトの背景画像について 誰でも手軽に楽しめる♪ 塩を使った水彩技法」でご案内したように、百円ショップで買った額縁に入れてみますと、雰囲気がちょっと変わります。作品感がアップしますね。

でも・・・。そうは言っても、こういった抽象画、正直やっぱり、見ただけや話を聞いただけ、ではちょっとわからない、のが多くのかたの本音かなと思います。
絵を描くのが好きだった私も、抽象画は見るのも描くのも苦手とずっと思っていました。
でも、臨床美術は、アプローチの仕方が、独特なんです。
東北福祉大学で初めてこの体験をした時、普段使っていない脳を働かせている感じ、と言うのか、なんとも言えない心地よさを得ることができ、感動しました。

その日の気分で色を選ぶ。線で描く。曲線で描く。点で描く。塗る。指でのばしてみる。台紙に貼る時の見立てを考える・・・時間にして3・40分くらい。没頭します。

抽象画(アナログ画)って、意外と面白いんだな。初めてそう思いました。
語彙力の乏しい私には、ここまでしか言えません。上手く伝えられないのがもどかしいのですが、これは、やってみた人でないとわからない・・・

ちなみに、こちらのりんごのように、見たものを描く、具象的なプログラムもたくさんあります。
ただ、アプローチの仕方が違うのです。普通の描き方ではない。それが、誰にでもできて、面白い。そして、そこにある心が素晴らしい。
その辺のことについては、またおいおい、ご紹介したいと思います。

なお、左脳と右脳に関しましては、カテゴリー「体の健康」の記事、「驚異と感動の実話 奇跡の脳 その1 〜脳科学者の脳が壊れたとき〜」も、あわせてご参照いただけましら嬉しいです。


あなたの
右脳は
活発ですか?
創造活動


本投稿には、臨床美術士5級のテキストと、市販されている本「臨床美術 認知症治療としてのアートセラピー」を参考にしました。市販本の著者は故・金子健二先生で、宮城県出身の彫刻家であり、臨床美術の創始者です。