遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その1

おしんのような経験を持つ美容師


私の祖母は、101歳でこの世を去りました。
大正、昭和、平成を生きた、強くて優しい人でした。
美容師として80歳まで働いた祖母は、亡くなる少し前の体が衰弱するまで、必ず朝は早起きをして薄化粧をし、身だしなみを整える人で、年齢も常に10歳以上は若く見られていました。

1950年代の美容室の様子(出典:wikipedia)

私は、そんな祖母が大好きで、ずいぶん一緒に時間を過ごしました。
祖母のベットは大きくてフカフカだったので、時々、寝かせてもらいに行ったり。
年と共に足がかなり弱っても、あちこち行くのが楽しいと言う祖母とはよく出歩きました。
私の腕に回された祖母の手の感覚は今でも残っているくらい。
祖母からはたくさんの話を聞きました。

祖母は、宮城県名取市の港町である閖上に、3人兄妹の末っ子として生まれました(1歳で亡くなっている兄がいるので厳密には4人兄妹)。
祖母を産んで間も無く、29歳という若さで亡くなってしまった母親のことは覚えておらず、酒豪だった父親は宮大工だったこともあり芸術への造詣が深い人だったとのことでした。

祖母が生まれた大正初期といえば戦時のこと、米騒動が起きた時代で、落ちてしまった米一粒でも拾って食べたと言います。
そんな幼少期を経て、10代でとある美容院に奉公に出された祖母は、自身の手に職をつけることを願っていましたが、そこでは、小さい子供の世話や家事手伝いといったことしかさせてもらえず、食事も十分に与えられず、粗末に扱われたそうです。

数年後、もう嫌だと言って戻ってきた後は女学校に通わせてもらい、卒業後は今度こそ無事に美容院に勤めることができました。
そこは休みがほとんどない仙台中心部の美容院。住み込みで、早朝から夜中まで仕事づくめ、かなり忙しかったといいます。
有名人では、淡谷のり子さん(ブルースの女王と呼ばれた日本のシャンソン界の先駆け。若い人は知らないでしょうけど…)を対応したことがあったとか。

淡谷のり子/1930年代(出典:wikipedia)

美容師さんというと今では人気の職業ですし、たくさんの美容室があってどこに行けば良いのか迷うほどですが、祖母が若かった時代というのは、女性が手に職をつけるのも難しい時代、美容師もまだまだ稀な職業で、一般的なサラリーマンのお給料の倍はしたのだそうです。
しかも、指名してくれるお客さんもいて、そういった人からはチップももらえていたそう。
おしんのような屈辱的で辛い経験を経ている祖母には、仕事づくめの毎日でも、美容師として働けることに心からやりがいを感じ、本当にありがたかったのだそうです。

※おしん:橋田壽賀子氏の原作で大ヒットした、明治時代末期の女中奉公に出された少女のドラマ


Amazon Prime Videoはこちら→「おしん


ところで、女性の皆さんは、「日本髪」をされたことはありますでしょうか?
現代では日常では当然する人はいないヘアスタイル「日本髪」、女優さんだってカツラをかぶる現代、もうその髪型を作れる人は少ないわけですが、私の祖母は伝統的な日本髪を結うことができる人だったので、ウチでは、祖母の孫にあたる女子(従姉妹と私)は節目に日本髪を祖母に結ってもらうという儀式のようなものがありました(記念撮影をするだけですが)。


「日本髪」ってそのヘアスタイルを見ただけでも、どうやって結ってるのって思いませんか?
実際、その作業は結構な時間がかかりますし、髪の毛に鬢付け(びんつけ)油を塗って引っ張りながらされるのはただただ辛くて、痛い痛い言いながらひたすら耐えていたことしか記憶にありません・・・
でも、大好きな祖母に、自分の長く伸ばした髪の毛を日本髪にしてもらって、着物の着付けもしてもらったことは、かけがえのない一生の思い出です。
ちなみに、私の母親も美容師なので、着物の着付けは祖母と母が一緒にしてくれました。
実家は美容室だったので、何度となく着物を着る機会がありましたが、今思えば、それも貴重で幸せなことでしたね。

さて、話はまた若かりし祖母の話に戻ります。
毎日忙しくて食事を取る時間もままならなかったけれども、美容院のそばには飲食店があってよく駆け込んで食べていたことや、休みが取れたときは映画館に行って一日中ずっと大好きな映画を観ていたこと(昔は今のように指定席制じゃないから一度入ればずっといられる)、超繁忙期の年末年始は明け方まで働いたけどそのまま友達と初詣に行ったとか、楽しいこともたくさんあってとっても充実していたのだそうです。

昭和初期の仙台駅(出典:wikipedia)

そして、そんなある日、仙台の街の中で、絵を描いてる一人の男性に出会った・・・

それが、私の祖母と祖父の出会いというわけですが、長くなりましたので、続きはまたの日に書かせていただきます。


続きはこちら
遠距離結婚を貫いた画家と美容師 その2/ずっと秘密にされてきた二人の馴れ初め



おしんの時代
あなたには
想像がつきますか?

インスタ発で異例のベストセラー!アート絵本

やさしい気持ちになれる「ぼく モグラ キツネ 馬」


ここ日本では、先月(2021年3月17日)発売され、ちまたで話題となっている絵本「ぼく モグラ キツネ 馬(飛鳥新社出版)」は、もうご覧になりましたか?

作者はCharlie Mackesyチャーリー・マッケジー)氏、和訳は川村元気かわむらげんき)氏によるもの。

作者のチャーリー・マッケジーさんはイギリスのイラストレーターで、2018年からこの本に出てくる少年と動物たちをインスタグラムにアップしていったところ、それが大人気となり、2019年10月22日に’The Boy, The Mole, The Fox and The Horse‘という一冊の本として出版され、2020年イギリスで最も売れた本となったばかりでなく、アメリカでも販売冊数は100万部を超え、数々のランキングを総なめにし、世界各国でベストセラーとなっている話題のアート絵本です。

この本の前書きでマッケジーさん自身が「この本はだれでも楽しめる。あなたが8歳でも80歳でも。」と述べているように、老若男女、誰もが親しめる内容となっています。

一人の男の子と、ケーキが大好物のモグラ、無口なキツネ、ちょっとした秘密を持つ馬との出会いと冒険の物語を通して、読者は、友情や愛、人生について考えさせられますが、それは、なにか難しいことではなくて、ただとてもやさしい気持ちになれる、そんな一冊です。

ちなみにこちらの作品、「絵本」ではありますが、結構分厚い(B5サイズ、128ページ)です。
でも、やはり絵本ですから、文章はシンプルで、大人であれば、本好きじゃなくとも、あっという間に読めます。

この絵本の素敵な言葉の一部を、以下に抜粋させていただきます。

”おおきくなったら、なにになりたい?”
モグラにきかれたので、ぼくはこたえた。
”やさしくなりたい”

“What do you want to be when you grow up?”
“Kind” said the boy.

”成功するって、どういうことかな?”
ぼくがたずねると、モグラはこたえた。
“そりゃあ、だれかをすきになることだよ”

“What do you think success is?” asked the boy.
“To love” said the mole.

”いちばんの時間のむだって、なんだとおもう?”
ぼくがたずねると、モグラはこたえる。
”じぶんをだれかとくらべることだね”

“What do you think is the biggest waste of time?
“Comparing yourself to others.” said the mole.

”とてもきれいなものを、みのがすな”

“So much beauty we need to look after.”

”やさしさに勝るものはない”馬がいった。
”すべてのうえに、しずかに存在している”

“Nothing beats kindness”, said the horse.
“It sits quietly beyond all things.”

ぼく モグラ キツネ 馬」ならびに‘The Boy, The Mole, The Fox and The Horse’より引用


そしてお次は、イギリスのボイスアーティスト※であるTim Uffindellティム・ウフィンデル)さんによって製作された‘The Boy, The Mole, The Fox and The Horse’の読み聞かせYouTube動画です。

※ボイスアーティスト(voice artist):ボイスオーバータレント(voice over talent)ともいい、ナレーターや声優を生業とする人

絵本なら、子どもから大人まで、英語学習ツールとしても良いですよね。


最後に、下図はインスタグラムへのマッケジーさんによる最近の投稿で、絵本には挿入されていないものです。
ペンで描かれたイラストと味のある文字、素敵ですよね。

少年と動物たちのアナザーストーリーは続いています。。。

自分は自分のままでいい、愛の溢れる世界に感謝して、シンプルに生きていこう、そう思えるとともに、誰かにやさしくしたくなる、そんな気持ちになれるアート作品のご紹介でした。



あなたにとって
”成功する”とは
どういうことですか?





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親切なサービスに感動

コセキカメラさんの心意気


東日本大震災が起こる数年前に、私の父は癌でこの世を去りました。
父は、電機会社に勤める営業マンだったにも関わらず、プロのカメラマンかと勘違いされるくらい、趣味でいつも一眼レフカメラを手にしていました。
父が亡くなった後、カメラを確認したらフィルムが入っていたのですが、その頃はどうにも辛くて、現像する気になれず、放置してしまっていました。
そして起きてしまったあの未曾有の大震災。
閖上の実家ごとカメラも失い、ひどく後悔し、それからというもの、私も一眼レフカメラを持つようになりました。

父は何台もカメラを持っていましたが、最終的に落ち着いたのはCanonだったので、私も同じく。

さて、2ヶ月ほど前の、2月13日に起きた福島県沖地震。
震度5強という大きな揺れがおさまった後、真っ先に確認したのは、カメラでした。
家にあるものの中で最も高価なものでもありますしね・・・

私はいつでも思いついた時(特に美しい朝焼け)にシャッターが切れるように、テーブルの上にカメラを置いているんです。
それがあの地震で吹っ飛んでいたのですが、無事、電源ON、シャッターも切れて、画像が確認でき、ホッと胸を撫で下ろしました。

しかし、数日後、よくよく見たら、撮った画像に微かに線が写り込んでいる・・・

中央上部から斜めに線が写り込んでいるのが分りますでしょうか?

またもやドキドキしながらレンズを確認したら、カメラのレンズではなく、レンズを覆っているフィルターにヒビが入っていることが分りました。

ガーン・・・でも、フィルター付けといて良かった!!フィルター付けてなかったらレンズがやられちゃってたかもだよー!
フィルターに感謝しつつ、外して新しいのに付け替えようと、手をかけました。
が、しかし、全く回らず・・・

素手では絶対無理だと思い、ネットで調べると、フィルタールーズという道具があることを知り、購入し、試してみたのですが、それでも全く回らず、外れません。

お店に持っていって依頼とかしたらお金かかるんだろうな、そう思って購入した安価なフィルタールーズでしたが、どうしようもないので、諦め、カメラ屋さんに持っていくことにしました。

ちょうど昨年の夏に、自宅から歩いて20分くらいのところに、コセキカメラさん(1946年仙台に創業)がオープンしていたので、そちらへ持参することに。

出典:まちくる仙台(画像をクリックするとまちくる仙台のコセキカメラさん紹介ページへリンクします)

「フィルターが衝撃とかで噛んじゃって取れなくなることはよくありますよ。こうなっちゃうと、もう破壊するしかないね」と店長さん。
そうでしょうねと思っていたし、自分ではどうしようもないので、ああ、お金いくら取られるのかしら、と不安を抱きつつ、お願いしました。

こういうカメラお父さん持ってたなーと店内に並ぶ様々な中古カメラを眺めながら、待つこと数十分・・・
かなり苦戦していらっしゃいましたが、なんとか外していただくことができました。

ペンチなどでフィルターの破壊作業をしていただいたので多少枠に傷はついたけど、撮影には問題なし☆

「おいくらですか?」とお尋ねしたところ、「サービス(無料)です」とのこと!
時間と労力をかけていただいたのに、無料とは、なんて素敵な心意気なんでしょう!
「何かあったらまた来てね」とのお声がけもいただけ、もう、心から感謝いたしました!!

ちなみに、ついでに雑貨を購入させていただいたのですが、たまたま私が欲しかったフォトフレームが店頭展示品のみだったとのことで、値引きもしてくださいました。
コセキカメラさん、本当にありがとうございました。

写真・カメラ好きに寄り添ってくれる、素敵なお店。
マステや、カードが豊富で、おしゃれ、おもしろ雑貨も取り扱われているので、写真趣味さんのみならず、誰でも気軽に立ち寄ることのできるお店です。

地元のカメラ屋さんていいな。また来ます!って思えるお店って、こういう所よね♪
と、喜びと感謝で、あたたかな気持ちになれた日でした。



コセキカメラ
住所:〒980-0014 宮城県仙台市青葉区本町2丁目3-10
電話:022-222-3560
営業:10:00〜19:00
定休日:火曜
Webサイト:https://www.koseki.co.jp/works/shop.html
(ブログ:https://inctec.exblog.jp/

場所は、広瀬通と東二番丁通りの交差点にある、仙台広瀬通郵便局の入ったビルなので、わかりやすいです。
時々ギャラリースペースで展示などもされているので、フラッと立ち寄って、気分転換にも♪


あなたの
心があたたまるお店は
どこですか?

春の訪れと共に届いた贈り物

親友の気だてに涙


20201年3月31日、こちら仙台で、観測史上一番早い桜の満開宣言がなされました。
職場までの道すがらには桜の見所が何箇所かあり、ここ最近は良いお天気も続いているので、徒歩での通勤もとても気持ちがいいです。

花京院橋の上からは仙台市立東六番丁小学校の大きな桜を眺めることができる
仙台管区気象台へ続く道
観測史上初を受けて、仙台管区気象台前の桜の木は全国放映された
仙台管区気象台敷地内に咲く美しい桜の木

新年度が始まって慌ただしさは増す一方ですが、こんな風景には心も癒され、なんだかいい予感さえしてきます。
そんな気分の昨日、宅急便が届きました。

平らで幅50×40cmほどの包み。
送り主は親友です。
そこで、ふと「もしや・・・」との思いがよぎりました。

開封してみると、やっぱり!
2004年に製作された、画家だった祖父の作品集代わりとも言えるカレンダーです。

なんとまあ、15年以上も前のものをこんなに綺麗に取っておいてくれたのでしょう!!
このカレンダーは祖父が亡くなってから数年後に、懇意にしてくださっていた地元閖上の森内科クリニック・森精一先生が製作してくださったものです。

先日、私が祖父のことについて書いたブログを見て、このカレンダーを持っていた友人が送ってくれたのです。

前回の記事:祖父の絵を探しに/孫としてできること

内心、せめてこのカレンダーが残っていたら・・・という思いはあったものの、15年以上も前の、有名でもない画家の、しかも単なるカレンダーなどでは、わざわざ取っておいてくれている人もいないだろうと思っていたので、親友のこの気だてには泣けてしまいました。

このカレンダー表紙の作品は「弥生の頃」というタイトルで、大きさは100号くらい、閖上にあった実家の玄関に飾られていたものです。
祖父亡き後も、実家に帰るとこの絵に出迎えられ、しばし祖父に想いを馳せたものでした。

春の訪れと共に、祖父が描いた桜にも会えるとは・・・
本物の絵ではなくとも、失われてしまった祖父の絵、こんな形でも本当に嬉しく、感謝しかありません。

良い友達に恵まれ、本当に幸せです。ありがとう。


あなたの心に
春は
訪れましたか?