孫としてできること
先日、心待ちにしていた一冊の本が届きました。
古本屋さんから送っていただいたのですが、かなり丁寧に梱包してくださっていて、添え状も決まり文句ではなく、気遣いの感じられる文章で、心が温まりました。
雑草文庫の池田洋一様には、この場を借りて御礼申し上げます。
とても綺麗な状態で届きました。ご丁寧に、本当にありがとうございました。
さて、注文したのは、昭和55(1980)年に初版発行された「話の散歩道」というもので、著書様には申し訳ないのですが、目的は、本の中身ではなく、この本の『表紙』です。
表紙になっている絵のタイトルは「宮城県名取市閖上 広浦」。
広浦(ひろうら)は、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区と下増田(しもますだ)地区にまたがる潟湖で、市内を流れる増田川の河口潟でもあります。
10年前の津波に飲み込まれましたが、現在も以前のような穏やかで静かな情景が広がっています。
この地を故郷として愛し、テーマの一つとして絵を描き続けた画家が、このカバー絵の作家であり、雅号を「紫露(しろ)」と言います。
本名は四郎。
仙台に生まれ、美容師で絵が好きだった女性と出会い、お婿さんとなった、私の祖父です。
美容師の女性というのはもちろん、私の祖母です。
また改めて書きたいと思っていますが、私の祖父母は、現在でさえ珍しい「遠距離結婚(会社都合による単身赴任とは違い互いの意思によるもの)」です。
ところで、広浦湾はありのままの自然環境なので、鴨、川鵜、白鷺などのバードウォッチングも楽しめる場所です。
そして、この絵にもあるように、私の祖父は、白鷺をよくモチーフにしていました。
日本画家だった祖父は、20年程前に亡くなりました。
逝去年齢的には平均的なものですが、長い間パーキンソン病と戦っていました。
パーキンソン病さえ抱えていなければ、亡くなるまで絵を描き続けることも可能だったかもしれないし、確実にもっとたくさんの作品を残せたはずです。
画家でありながら、右半身の手足の震え、麻痺により、絵が描けなくなってゆく自分がどれだけ悔しかったかことか・・・
東京で単身生活していた祖父でしたが、亡くなる少し前には宮城県の病院に入院し、東京を引き払いましたので、譲ったり処分したものがほとんどですが、一部の私物や作品などは実家に保管されていました。
この本も、実家の祖母の本棚にあったと思います。
大きな本棚には、祖父が持っていた美術関係の本もたくさんあって、祖母の亡き後には、作品まではもらえなくとも、これらは私がもらうと、祖母から了解を得ていました。
しかし、あの未曾有の大地震によって、全てが失われました・・・
実は、祖父が亡くなってからほどない頃に、地元名取での個展をしてはどうかとお話をいただいたことがあります。
私の父と母は乗り気でしたが、祖父を巡っての血縁者間によるつまらないいざこざが続いていたので、私は反対し、お断りしたのです。
当時なら、個展でもやっていれば、データにでも残しておくことができたかもしれないのにと、悔やまれてなりません。
祖父を心から尊敬し、画家になりたいと考えていたことのある私ですが、その願望は高校時代に失ってしまったため、祖父の作品にはそれほど触れていないのです。
私は、これまで、人には流されず、自分のやりたいことをやってきた人間なので、ほとんど後悔はない人生を歩んできたと思っていますが、祖父に関してのことだけは、深く悔やんでいます。
東日本大地震が起きて10年過ぎてしまった今さらですが、だからこそなのでしょう。
祖父の絵を探すことを私自身のライフワークに加えたいと思いました。
正直なところ、この数年、ずっと考えていたことではあるのですが、取り組めないでいたことの一つです。
天国にいる祖父母を喜ばせたいし、私も後悔したくないから・・・