青い鳥 クリスマスにもおすすめの絵本

クリスマス・イブを舞台にした不朽の名作 チルチルとミチルの物語


チルチル・ミチル。
誰もが知る響きだとは思いますが、それがなんの話だったか、意外と詳しくは知らない人も多いようですね。

チルチルとミチルは、ベルギーの詩人で劇作家のモーリス・メーテルリンク作「青い鳥」に出てくる主人公兄妹の名前です。

貧しい木こりの子、チルチルとミチルが、魔法使いに頼まれて、クリスマス・イブに、幸せの象徴である「青い鳥」を探しに出かけるお話。
動物や、身の回りのモノをお供におとぎの国を冒険する、結構ハラハラドキドキで、子どもから大人まで興味をそそられる物語ですが、テーマ性がシビア。『幸福とは何か』について考えさせられるとても深い内容です。


人生いかに生きたらいいのか」という探求の哲学を持っていたというメーテルリンク
青い鳥」の主題も『死と生命の意味』で、ノーベル文学賞を受賞し、世界の名作として、映画や舞台化されたり、児童以上向けに文庫本として出されているものもあれば、小さな子ども向けに絵本として出されているものまで、様々なバージョンがあります。

私は、子どもの頃、こんな感じ(下図)の絵本を持っていて、自分と同じ年頃の兄妹が不思議な冒険をするという物語が想像力を掻き立てれ、気に入って、なんども繰り返して読んだことを覚えています。


ただ、クリスマスの時のお話だったということは、大人になって改めてこちらの本を見るまでは全く記憶になく・・・


こちらは、世界文化社出版の1969年刊「世界の名作」という絵本シリーズのもので、文は高田敏子さん、絵はいわさきちひろさんによるものです。

青い鳥」については、以前ご紹介した日野原重明先生のご著書(テンダー・ラブ―それは愛の最高の表現です。)に取り上げられていたことをきっかけに、改めて読んでみたいと思いまして、どれにするか悩んだのですが、いわさきちひろさんの絵が素敵だな〜と感じて購入したものです。


先に示したアニメ風のコンパクトな絵本に比べ、こちらは字数もページ数も多く、いわさきちひろさんによる挿絵が美しく、絵本の中でも、大人も十分に楽しめる内容となっています。


付録として、メーテルリンクについての裏話や、子どもに読み聞かせるためのポイントなどが、解説として掲載されている点も気に入ってます。

日野原先生の本にしても、こちらもそうなのですが、私がお気に入りの本は絶版となってしまっているものが多く、できればこれからも多くの人に触れていただきたいのですが、そうもいかないようなのが残念です・・・
ご興味のあるかたは、古本もしくは図書館で、ご覧くださいませ。

でも、私は持っていないのですが、いわさきちひろさんの絵による「青い鳥(あおいとり)」は、文章は立原えりかさんで、講談社から出されているものもあり、こちらはまだ新品で手に入れることができます。


もし、いわさきちひろさんの絵がお好きであれば、こちらも良いかもしれません。

2020年の締めくくりに、自分へのクリスマスプレゼントとして、本当の幸せについて考える本「青い鳥」を、手に取ってみるのはいかがでしょう・・・?

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愛とは、誰かの心に 希望の灯をともすこと/心に留めておきたい、愛の医師 日野原重明先生からのメッセージ


あなたの
青い鳥は
どこにいますか?


愛とは、誰かの心に 希望の灯をともすこと

心に留めておきたい、愛の医師 日野原重明先生からのメッセージ


少し前になってしまうのですが、「人間が人間を愛したり尊敬したりするあたりまえの心を狂わせてはならない」と愛を訴える、心あたたかな医師、日野原重明先生の著書「テンダー・ラブ tender love」について、概要のみを紹介させていただきました。

過去の投稿「テンダー・ラブ tender love/日野原重明先生の愛すべき名著


この本について、その後、興味を持たれた方からリクエストをいただきましたので、私がお気に入りの一部を、抜粋にて紹介させていただきたいと思います。

愛には、与える愛と受ける愛とがあり、愛はその二つの思いと行動のバランスのなかに成り立つものです。
コップに水を注ぐことなくしてコップに水を受けることばかりしておれば、容器はだんだんひからびたものになってしまいます。
クリスタル・ガラスのように透明だった心の器も、不透明な重い陶器のようになって、あなた自身にも自分の心が透けて見えなくなります。

あなたが愛に飢えてやるせない気持ちになったとき、もう一度あなた自身、すなわち内なるあなたのなかで会話をしてみてください。

どんな日常の仕事や家庭内の雑事で忙しい思いを持つ方でも、朝、目覚めたひととき、または夜のひととき、床のなかで眼をつむったまま、深い息を数回繰り返してから内なる自分に問いかけてみてください。

自分は本当に愛を相手に注いでいたかと。

自分は、愛の息吹で相手の心を満たすことよりも、受けることばかりを考えてはいなかったかと。 


これは、文庫「テンダー・ラブ tender love」より、第二章「愛とは、誰かの心に希望の灯(ひ)をともすこと」の中の小タイトル「愛を感じられなくなった夫婦へ」の前半部(p42〜43)の内容ですが、夫婦間だけのことではなく、どんな関係性でも大事にすべきことではないかと思います。

夫婦、兄弟、友人、仕事仲間・・・
人は支え合って生きているのだから、相手に求めるような言動ばかりしていては、人は離れ、孤独になっていくばかり。

また、忙しい日々に追われていると、周りのことだけでなく、自分の心さえも見失いがちで、心はどんどん曇ったものになっていってしまいます。
そうならないためにも、「自分に語りかけをする時間をまず持つことが大切」と日野原先生はおっしゃいます。


そして同じく、この第二章の中の小タイトル「テンダー・ラビング」(p54〜58)において、テンダー・ラビング・ケア(tender loving care)について、教えてくださいます。

「テンダー」とは、愛を形容する最高の表現であり、自分に何ができるかをまず考えること
さらに、「テンダー・ラブ(ハート)」というと、それは人間の幸福とは何かということを考えることでもある。ということです。

人間は、だれでも幸福になりたいという気持ちをもっていますが、本当の幸福は求めても得られるものではありません。

メーテルリンク作の『青い鳥』のチルチルとミチルは、青い鳥を探し求めて旅に出ますが、どこにもいません。何日か旅をして帰ってきたら、家のなかにその青い鳥、つまり幸福があったという話ですが、この作品に示唆されているように、幸福は外にあるのではなく、人の心のなかにあるのです。
そして自分が幸福になるだけではなく、希望を失っている人に、小さくてもよいから希望の灯を届けてあげるのが、本当の愛の行為です。
私は何もできないという人がいますが、何もできない人はいません。
悲しみ、悩んでいる人がいたら、そばに行って希望の灯をともしてあげてください。

人間には欲望という厄介なものがあります。
しかし、私たちは誰もが裸で生まれてきたと同じように、地位や財産などの欲望を持って死ぬことはできません。
ささやかなことでも、人の心に希望の灯をともしてあげてこそ、結果として幸福がもたらされるのです。

(「テンダー・ラブ tender love」p56〜57)

実は私もここ最近、仕事に追い立てられてあまり余裕のない日々を送り、ちょっとした壁にもぶち当たっているところでしたが、本日、心あたたかな二人の友人と食事を共にすることができ、癒しと愛を与えてもらえ、まさに、くすみかけていた心に希望の灯がともりました。

まだ、これから乗り越えなくてはならない壁はあるのですが、きっと大丈夫って思えます。

心から、感謝。
本当に、ありがとう。

感謝の心、愛の心、失うことのないように、歩んでいきたいと思います。



あなたの心にも
希望の灯は
ともっていますか?

テンダー・ラブ tender love

日野原重明先生の愛すべき名著


先日投稿した「ナラティブ 〜物語〜 について考える」で日野原重明先生について、少し取り上げました。

日野原先生は、内科医として、早くから予防医学の重要性を指摘し、終末期医療の普及、医学・看護に尽力し、「習慣病」という言葉を生み出すなど、常に医学の先端を走ってきました。

先端を走り続けると、ともすると、その名誉にかられ、人として大事なことを忘れてしまう危うさもありますが、日野原先生は「人間が人間を愛したり尊敬したりするあたりまえの心を狂わせてはならない」と愛を訴える、心あたたかな医師として、多くの人々に慕われました。

※終末期医療(ターミナルケア):病気などで余命がわずかになった人に行う医療的ケアのこと
※習慣病:食事や運動、喫煙、飲酒、ストレスなどの生活習慣が深く関与し、発症の原因となる疾患の総称

今回は、その日野原先生が書かれた名著より、私が大好きな、心があたたかくなる一冊の本をご紹介します。

「テンダー・ラブ―それは愛の最高の表現です。」日野原重明(著) ユーリーグ

テンダー・ラブ―それは愛の最高の表現です。」という本です。

2004年に発刊された本で、新しくはありませんが、これは、何年先までも読まれてしかるべき本だと思います。

先にも述べました通り、日野原先生は医学の先端をゆく人であるにも関わらず、人にとって最も大切なものは愛であると説いたかたです。

tender love(テンダー・ラブ)
直訳して、やさしい愛。
そう名付けられた本では、日野原先生は、ただただ愛を語ります。


この本で、日野原先生が「はじめに」の部分で述べられていることを抜粋にて、紹介させていただきます。

93歳の誕生日を迎えるにあたり、若いときには思いもしなかった長寿への感謝の心を、私の「愛の証(あかし)」を持って読者のみなさまにお伝えできることを、この上もない喜びと思っています。

私は、私が人々に与えたよりも、もっと多くを人から学び、癒しの技の職業につきながら、癒しを与えるよりも病む方から多くのものを学んできました。そしてまた、何と多くの愛を、私が接してきた多くの方々から、また私の尊敬する人たちから、さらに小説や劇、詩や音楽からも与えられてきたことでしょう。

私が辿(たど)ってきた人生のなかでもっとも大切な、愛。それが、すべての人にもそうであることを信じて、私はこの愛の証を2か月間で書き下ろしました。その資料は、私が愛を感じ始めた幼い頃から、そして90歳を超えたいまでも感じることを記した、私の心のノートから集めました。

これから人生が始まることに気づく若者、
大人になったが目標がない方、
中年期の仕事に疲れて愛を見失っている人、
長い病の床にある人、

愛する人を失った方、
これから老いに向かう人、
老いを乗り越えて第三の人生を創めようとする“新老人”の方々、
「緩和期がん」のケアを受けられている方々とそのご家族たちに。

その愛の結晶に「テンダー・ラブ tender love」と名付け、この本をみなさまに捧げたいと思います。恕(ゆる)しに裏付けられた、この愛の心こそが、地上の平和をつくる力となることを切に希(ねが)っています。

どんな内容なのか、もう少し具体的にお分りいただけるように、各章のタイトルもご紹介しますね。

第1章
訣(わか)れのときでさえ、
人は、愛を交わすことができます。

第2章
愛とは、誰かの心に
希望の灯(ひ)をともすことです。

第3章
恋するハプニングが愛を生み、
他人を受け入れることで愛は育ちます。

第4章
誰もみな孤独であってはなりません。
だから、愛を示し合うのです。

第5章
人はいつも、何と多くの愛を
与えられていることでしょう。

日野原先生が接してきた患者さんからのお手紙や、日野原先生自身が感銘を受けた人々の言葉について、いくつか引用されていたりもするのですが、それらも含め、すべてに、胸を打たれます。

この本についても、ご紹介したい部分がたくさんあるのですが、少しでも気になったかたは、とても読みやすい本なので、ご自身で手に取られるのが一番かと思います。
ただ、もう、中古しか見つからないかも・・・

リクエストがあるような時は、またの機会に、一部だけでもご紹介したいと思います。

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ナラティブ 〜物語〜 について考える/エビデンス(科学的根拠)とナラティブ(物語と対話)
愛とは、誰かの心に 希望の灯をともすこと/心に留めておきたい、愛の医師 日野原重明先生からのメッセージ


あなたにとっての
やさしい愛は
見つかりましたか?

ナラティブ 〜物語〜 について考える

エビデンス(科学的根拠)とナラティブ(物語と対話)


少し固そうなタイトルになりましたが、今回は、臨床美術に興味ある人はもちろん、介護関係のお仕事や、心のケアについて考えているかた、そして、日常において人とコミュニケーションを取る上で、どなたにとっても参考になるであろう、ナラティブ・アプローチについて取り上げます。

昨日の記事に、エビデンスという言葉を使いました。研究者や医療従事者などは知ってて当たり前の言葉で、近年では様々な場面でも使われる言葉となってきましたが、まだまだ一般的な日本人には馴染みがない言葉かと思います。

おそらく、日常的な場面では、例えば、テレビの健康番組でゲストのお医者さんが「これはエビデンスに基づいて・・・」とか、「今はこういうエビデンスの統計が出ていて・・・」といったかんじで言うのを、耳にすることがあるかと思います。
エビデンス(根拠・証拠)」は医学分野に限って使う言葉ではないですが、こう言った場合の「エビデンス」とは「科学的根拠」のことを言います。

例えば、私たちが頭痛薬を買う時、もし「この薬は、なんとなく頭痛に効きそうな気がすると思った成分で作りました」なんて製品だったら、不安で買いたくないですよね?「なんとなく」なんて言われたら。
薬が開発されるにはしっかりとした研究があり、様々な実験や統計といった科学的な根拠があって、安心して使える製品として出されるわけです。

私は、医療研究機関に勤めてましたので、その時には、しょっちゅう、エビデンスという言葉に触れていました。
それと共に「EBM」という言葉も。

EBM」は「Evidence Based Medicine(エビデンス・ベイスト・メディスン)」の略で、訳して「科学的根拠に基づく医療」となります。

「Sackett(サケット氏/カナダのEBMの父と言われた医師)らは、EBM個々の患者のケアに関わる意識を決定するために、最新かつ最良の根拠(エビデンス)を、一貫性を持って、明示的な態度で、思慮深く用いることと定義している。」

これは、内科医 斎藤清二氏による「医療におけるナラティブとエビデンス 対立から調和へ」という本からの抜粋です。

さてここで、本のタイトルに「ナラティブ」という言葉が出てきましたが、「ナラティブ」とは日本語では「物語」や「対話」のことを言います。

そして、EBMという概念がある一方、NBMという考え方があり、それは「Narrative Based Medicine(ナラティブ・ベイスト・メディスン)」の略で、訳して「物語と対話に基づく医療」となります。

ところで、上記の本は、医療従事者向けに書かれた本です。
エビデンスEBMと共に、ナラティブNBMについては、医師や看護師といった医療を学ぶ人は必ず学習することになるのだそうです。

しかし、私が医療研究機関に勤めてた時、エビデンスEBMはあっても、ナラティブNBMに触れることがほとんどありませんでした。(もちろん、この言葉が使われている現場もある、ということを付記しておきます。)
私が初めてナラティブNBMという言葉を知ったのは、臨床美術士4級取得のための講座によってでした。

臨床美術士として患者さんや人と接する時、その人自身の生きた背景をストーリー(ナラティブ)にしてトータルで見ていくことが大切である。科学的な分析ももちろん重要ではあるが、それだけではならないのだ、ということを、授業で学んだのでした。

この時の授業がとても私の胸に刺さるものがあって、その後、さらにナラティブに関しての知識を深めたいと調べたところ、医師 日野原重明氏による素敵な言葉を見つけました。

「医学というのは、知識とバイオテクノロジーを固有の価値観を持った患者一人ひとりに如何に適切に対応するかということである。
ピアノタッチにも似た繊細なタッチが求められる。知と技を如何に患者にタッチするかという適応と技がアートである。
その意味で医師には人間性とか感性が求められる。」

これは、EBMNBMの両立を意味します。


日野原重明先生は、内科医で、著書も数冊出されており、テレビなどでもよく取り上げられ、愛を持って医療にあたった人として有名です。多くの人が惜しむ中、2017年に105歳という年齢でその生涯を閉じた、ヒーローです。

当時、医療研究機関に勤めていた私は、次第にこう思うようになりました。

医学界では、エビデンス・ベイスト・メディスン(EBM)ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM)は、臨床においての「両輪」と言われるのに、なぜ、私の職場ではエビデンスばかりでナラティブは全然耳にしないのだろう?
重要視されるのは科学的根拠ばかりで、患者さんやその周りにある物語がないがしろにされているのではないか?
研究って、なんのためにされてるの? 患者さんのためなの? 名誉の為なの?

※臨床:病床に臨んで診療すること。病人を診察・治療すること。

ナラティブという言葉に出会ったことで、臨床美術において大切にする、物語対話による寄り添い、そして、「今ここ」という概念や「いてくれてありがとう」の精神が、私の心の拠り所となっていったのでした。

そしてこれは、臨床美術士だとか専門的な活動をする人のみならず、誰もが頭の片隅に置いておくと、普段から人の心に寄り添って接するための、手がかりになるものと思いますので、また今後も取り上げたいと思います。

※臨床美術士(クリニカルアーティスト):芸術的手法、コミュニケーション術、多様性を享受するマインドなど、臨床美術に必要な知識と技能を体系的に学び、臨床美術のアートプログラムの実践に取り組む。医療従事者ではありません。


あなたはどんな物語を
お持ちですか?

医療におけるナラティブとエビデンス 改訂版──対立から調和へ