怒りや悲しみの原因は、「正義感」と「使命感」
昨日、困難を抱えた子どもたちの幸せを願って活動をされている、NPO法人アスイクさんについて、ご紹介しました。
そして、アスイクさんが掲げる方針の一つに、「相手に楽しんでもらうために、自分たちが楽しいと感じることを大事にする」という点があり、私もそういった点に共感する旨を書かせていただきました。
今回は、そこにもつながる、一冊の素晴らしい本を、ご紹介させていただきたいと思います。
「ただしい人から、たのしい人へ――そして『ありがとうの人』になる 」
心学研究家で著作家の小林正観(こばやしせいかん/1948~2011年)氏の本です。
ギスギスした職場が辛かった頃、気持ちの落ち着く本はないかと、本屋さんで、あてもなく、並んだタイトルを目で追っていた時に、ふと目に入り、手に取った本です。
正観さんは、この本のあとがきで、このように述べています。
この本はもしかすると多くの人に誤解されるかもしれません。
「正しく生きなくていいのか」「人間は正しく生きるべきではないのか」と考えている人にとっては、「正しく生きるよりも、楽しさを優先して考えたらどうですか」という本は我慢のならないものかもしれません。
そのように誤解されても構いませんが、この本を書いた理由というのは、精神世界や人格上の勉強とかをかなりしている人が、最後の最後まで乗り越えられない「怒り」と「憎しみ」が、「正義感」と「使命感」から生まれ出てくるものである、ということに私が気がついたからでした。
確かに、私も、この本のタイトルには、「正しくあることを否定しているの?!楽しけりゃいいの?!」と、一瞬ドキッとしました。
また、私が初めてこの本を目にした時というのは、ものごとを楽しむという意識がほとんどなく、怒りや苛立ちも含む精神の中で、必死に日々を乗り越えるような状況でしたので、「正しい人になろうとせず楽しい人になりなさい」と私自身が言われているような気がして、胸に刺さったのでした。
また、正観さんは「はじめに」ではこのようにも述べていらっしゃいます。
正義と使命を自分の中に背負うのはいい。
しかし、「正義感」と「使命感」というものになると、たちまち相手を糾弾(きゅうだん)し、憎むことになってしまうようです。
基本的には「自分がどう生きるか」ということに尽きるのではないでしょうか。
周りの人が自分の思いどおりに生きているかどうかということではなく、自分がいかに自分の価値観に正直に生きていくか、ということで十分なのではないかと思います。
「正しさ」という価値基準ではなく、それをやることが「楽しい」のかどうか、ということを物差しに置いてみてください。
正しくあることを置いておいて、楽しく生きてさえいればいい、なんて、それまで考えたことがなかった私には、目からうろこが落ちる思いがしました。
それから私は、楽しくあることを意識するようにしました。
そうしたら、気持ちが軽くなっていくことを感じましたし、一緒に気持ちを共有してくれる人が増えました。
そしてまた、もし自分が置かれている場所が、楽しくいることに幸せをを見いだすのが難しい環境なのであれば、その場で必死になって頑張ろうとせず、自分がそこから去ってしまえばいいのだろうと思えるようにもなりました。
そして、生きるこことがラクになっただけでなく、できるだけ長く生きたい、自分の価値ある人生を生きて行きたいと考えられるようになったのでした。
正観さんのお話には、まだまだ他にも救われたメッセージがあります。
もしまだご存命だったら、是非、講演を聞きたかったです。
これらのお話ついては、また改めて、ご紹介させていただきたいと思います。
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