2023 フランスブルゴーニュ 3日目(最終日)

〜ユネスコ世界遺産「フォントネーのシトー会修道院」〜


ブルゴーニュの友達の家に2泊させていただき、いよいよ最終日となる3日目。
初めてのフランス。
その1日目そして2日目とブルゴーニュの世界遺産を楽しみましたが、この日も飽きることなく、世界遺産!
基本的にいつも旅のテーマは「アート(芸術)」である私にとって、世界遺産に触れることはアートに触れることでもあり、価値ある世界遺産を連日訪れることができ、本当に幸せな毎日でした。


ブルゴーニュ滞在最終日に訪れた世界遺産は「フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」です。


友達の家から北部へと車で1時間半ほど、モンバール(Montbard)という小さな町にあります。
川が流れる森に囲まれ、漂うのは静寂感のみ。


フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」については、ユネスコHPの見出し説明では下記のように述べられています。

この素朴なブルゴーニュ修道院は、1119 年に聖ベルナール(ベルナルド/バーナード)によって設立されました。教会、回廊、食堂、寝室、パン工房、製鉄所があり、初期のシトー会修道士達が実践していた自給自足の理想をよく表しています。

https://whc.unesco.org/en/list/165/


設立年については、フォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)の公式HP(https://www.abbayedefontenay.com/ja/)によると1118年とされているので、この1年の違いがなんなのかよくわかりませんが、いずれにせよ、現存する世界で最古のシトー会修道士の大修道院なのだそうです。


さて、お気づきでしょうか?
ここでも出てきましたね、聖ベルナール(St Bernard)
前日に訪れた世界遺産「ヴェズレーの教会と丘(Vézelay, Church and Hill/Basilique et colline de Vézelay)」に関わった人物で、ユネスコHPでも説明されていた聖人の名前です。
(ブログにも記載したのでこちらも併せてどうぞ→https://calm-smile-chain.com/heritage-vezelay/


1090年、フランスブルゴーニュで、騎士である父と貴族出身で信仰心ある母のもとに生まれたベルナールは、彼が幼い頃に亡くなってしまった母の影響もあり、修道士になったといいます。

一方、シトー会(Cistercians)とは、カトリック教会最古の修道会であるベネディクト会(Benedictine Order)から派生したのですが、同じくベネディクト会から派生したクリュニー会(Cluny)の強大な資産と権力による贅沢な振る舞いに反発して、1098年に発足し、修道士としての清貧を守ってきたのだそうです。


ベルナールは、1112年、23歳の時に自身にとって理想的であったシトー会へ入門を果たすことができました。
そして、1118年にこのフォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)を創設したのです。
(もしかしたら、ベルナールがこの修道院を作ることに着手したのが1118年で、正式に完成したのが1119年ということでしょうか…)


シトー会修道士は、華美なクリュニー会とは異なり、染料を用いない白い修道服を着たことから「白い修道士」とも呼ばれているそうですが、フォントネー修道院も華やかな装飾というものがなく、そのおよそ究極とも言える地味さが、むしろ厳かさを際立たせているように思います。


この質素ながらも厳かな大修道院教会の一角に佇む聖母子像の、幼子イエスと聖母マリアが笑顔で見つめ合ったその表情が、とても優しく愛情豊かに表現されており、ベルナールの想いを伝えているように感じます。
(ベルナールについては後半で改めて述べます)


教会に直接繋がっている建物の2階には、共同寝室があります。
多い時では300人ほどの修道士のための寝室となったそうですが、木造の連続アーチによる天井の作りは圧巻で、船底をひっくり返したような設計が、なんとなくノアの方舟を彷彿とさせます。


修道士達が写本の作成や、革や織物の加工をしたという修道士部屋も、ロマネスク様式の特徴である半円筒型の二重アーチと支えとなる分厚い壁や柱からなり、その簡素なデザインが美しい。


中庭を囲んだ回廊も必見です。
正にシンプル・イズ・ベスト。シンプルゆえに際立つ美しさ。


修道士達は、ここを聖書を読みながら歩き、瞑想していたのでありましょう。


私たちもここをゆっくりと一周しましたが、映画でも見たことがあるようなシーンを、ありありと思い描くことができました。



外に広がる庭園も壮観でした。
綺麗に整えられた緑に癒されます。


次の建物は鍛冶場(製鉄所)。


当時の様子が再現された博物館となっています。


ブルゴーニュ観光の1日目に訪れた、世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(The Climats, terroirs of Burgundy/Les Climats du vignoble de Bourgogne」の構成資産地域内にある「シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ(Château du Clos de Vougeot)」もシトー会によるもので、そちらはワインが修道院の財源でしたが(https://calm-smile-chain.com/climats-burgundy/)、ここフォントネー修道院では、近隣で採れる鉱物を用いた冶金業が重要な財源だったのだそう。


上の写真の燃える石炭は流石に模型ですが、実際に動かされている風車の姿は、再現とはいえ、迫力がありました。


サン=ベルナール渓谷とフォントネー川の合流点地点に位置するフォントネー修道院は、その川の流れを利用し、水力で鉄を打っていたのだそうです。


いくら静かに生きたいと言っても、神に祈るだけとか、単なる布教活動だけでは食べていけませんものね。
質素な修道士達がいかに工夫を凝らして生活していたかがよくわかりました。


最後に、聖ベルナール(St Bernard)のことがとても興味深く思えたので、もう少し彼について記しておきたいと思います。

観想的生活を送りたいというのが本音であったベルナールでしたが、その彼の実直な人格が、名声を高め、シトー会における影響力を増し、否応なく世俗的世界へと巻き込まれていくこととなりました。
静かに過ごしたかったベルナールの想いとは裏腹に、教会の争いの中で陣頭を取ることになり、晩年には十字軍の勧誘演説(1146年:ヴェズレーでの説教)をし絶大な支持を得ますが、1148年に十字軍は惨敗してしまいました。

しかし、この時で第2回十字軍。
この後も十字軍による遠征は何度も何年も続いたのは歴史上有名なことです。
その長い宗教争いの中では初期にあたりますが、第2回十字軍が敗北した時点でベルナールは、

主はわたしたちの罪を怒られて、そのあわれみによってではなく、その正義によって、すぐさまわたしたちを裁かれました。主は、ご自分の民を甘やかさず、主の名声さえ惜しいとは思われなかったのです。教外者は、おまえたちの神は今どこにいるのか、と言っているのではありませんか。そしてだれが、それを怪しみましょう。教会の中堅信者と呼ばれる者が荒れ野で行き倒れ、刃で切られ、飢饉のために滅ぼされたのです。喜びの福音を伝え、平和を述べ伝える者の足は、どんなに迷うことでしょう。わたしたちは『落ち着きなさい』と言っても、落ち着かないのです。わたしたちは、幸運を約束したのに、災難をまのあたりに見たのです。

引用:池田敏雄「聖ベルナルド」(アルバ文庫) p.103

と、十字軍の罪を認め反省しています。
でもその後も争いが続いたということは、残念ながら、この時の彼の想いに関しては理解が集まらなかったということでしょう。

ベルナールは1153年に、クレルヴォー修道院(Clairvaux Abbey:1115年に創設されベルナールが初代院長となった修道院で当時の建物は廃墟となり現在の建物は1708年のもの)にて生涯を閉じ、死後に聖人に加えられ聖ベルナールと呼ばれるようになりました。

神への祈りそして労働を手段として人々に奉仕するシトー会の主要人物ベルナールについて深掘りしていたら、なぜ、人は争う時には団結するのに、平和のために団結できないのだろうと、今も昔も変わらない人間の在り方というものを感じ、切なくなりました。

ただ、このフォントネー修道院が現在も当時とほとんど変わらないままひっそりと残されているのは、ベルナールの想いが生き続けているという光の側面なのかもしれません。

フォントネー修道院
Abbaye de Fontenay
住所:21500 Montbard, France
Webサイト:http://www.abbayedefontenay.com/


静寂の中にあるユネスコ世界遺産「フォントネーのシトー会修道院(Cistercian Abbey of Fontenay/Abbaye cistercienne de Fontenay)」を後に、慎ましく謙虚な心を持って生きてゆかねばと思いつつ、いよいよ花の都パリへと向かいます。


あなたが
瞑想にふけるのは
どんな時ですか?