大切な人の法則

臨床美術の心は全てに繋がる


全国の臨床美術士に向けて発信された、関根一夫先生の新春講演会「いきるをえらぼう!」の動画を見させていただきました。

生きるを選ぶ
含蓄のある言葉ですね。

臨床美術は、独自のプログラムにより、絵やオブジェなどの作品を楽しみながら作ることによって脳を活性化させ、高齢者の介護予防認知症の予防および症状改善働く人のストレス緩和子どもの感性教育などに効果が期待できる芸術療法(アートセラピー)の一つです。
1996年に研究が始まり開発されてまだ30年に満たないものではありますが、現在では、療法という枠を超え、老若男女誰もが体験でき心地よい五感への刺激リラックスできるコミュニケーションによって、生きる意欲潜在能力を引き出す効果のある創作活動として、徐々に認知され、活動ネットワークも広がりを見せています。

この臨床美術考案者の一人であり、牧師でカウンセラーの関根一夫先生については、既にこのサイトでも私の尊敬する方の一人としてご紹介しています。

関連記事:
臨床美術におけるナラティブ(語り)/そして、「いてくれてありがとう」という語り
いてくれてありがとう/いつも忘れずにいたい素敵な言葉

臨床美術士の資格を取得する過程において、関根先生によるビデオ講義の時間があるのですが、皆、涙するほど感動し、臨床美術に出会えたことを心から喜ぶとともに、関根先生の大ファンになること請け合いです。

今回発信された動画も、変わらず、飾らず、やさしさあたたかさに溢れたもので、「講演」と言っても、堅苦しいものではなく、私たちに寄り添い、語りかけてくれている、そんな感じのものでした。

このご講演は、コロナ禍にあって活動も難しくなっている臨床美術士に向けての励ましのメッセージでもあったわけですが、その中で、臨床美術を行うには仲間の存在が大切になってくることもあり、それが生きる力にもなるのだというお話がありました。

そこで、先生が「大切な人の法則」として述べてくださったこと。
これは是非書き記して胸にとめておかねばと思いました。


〜 大切な人の法則 〜


一緒にいる時間が短く感じる

また会いたいと思う


ふとした瞬間に思い出す


自然な笑顔でいられる


話を真剣に聞いてくれる


何気ない一言が胸に刺さる


いつも頭の片隅にいる


失いたくないと思う

そんなお互いの関係があることで、人は生きるを選べるのだ、という素敵なメッセージ。

このような関係性は、臨床美術仲間に限らず、どんなところでも必要とされるものですよね。

心から大切だと思える人に出会えれば、自分自身の生きる支えになるし、数の問題ではないことではありますが、そういう風に思える人が多い人ほど、その人自身が周りからも大切と思ってもらえている、人の支えになれているということ。
そういう人でありたい、そう思います。


最後に、いつも素敵なお話をしてくださる関根先生、力をくださりありがとうございます。
また、今回このような講演企画を担って下さった臨床美術士の有志メンバーの方々にも、感謝を申し上げたいです。
私も少しずつでも癒しの世界が広げられるよう、後に続いていきたいと思います。



あなたには
大切な人が
いますか?

創作造形活動の効能は誰にも有効

臨床美術は難しいものではないのです♪


時々このブログでも述べさせていただいている「臨床美術」についてですが、気になるけど「臨床」ってことは患者さん向けなの?とか、なんだか難しそうという声もお聞きする、今日この頃です。

以前ちょとだけご紹介しました「改訂新版 臨床美術」という本、こちらは臨床美術を知っていただくものとして、一般向けに刊行されている大変オススメのものではありますが、サブタイトルに「認知症治療としてのアートセラピー」とされていることもあり、万人向けではないような印象を持たれるかたも多いようです。

過去の記事↓
臨床美術を初体験した時の感動 その3/デジタル画とアナログ画 そして臨床美術のアートプログラム

臨床美術」は、この本の編集者である金子健二先生(宮城県出身の彫刻家)が、ご自身の親御さんの認知症改善に美術が有効ではないか?ということを経験を持って考え始めたことをきっかけに開発されたものなのです。
この本の中に、その興味深い経緯が詳しく書かれていますが、元々認知症改善へ向けて生み出されたものが、開発されてから数年、認知症改善だけでなく、介護予防や、働く人のストレス緩和、子どもの感性育成などへの効果があるとして、普及していきました。

金子先生はこの本の中で、次のように述べられています。

臨床美術において、また美術教育において、作品に優劣をつけることは危険であり、私は反対です。

学校教育では当たり前のようにしている「評価」ですが、美術作品というものは本来「心の叫び」です。

上手、下手などどいった「評価」は左脳世界のすることであって、右脳世界の美術では意味のないことです。

まして臨床美術では、そのような優劣の価値判断は禁物です。
ですから、「うまいですね」というほめ言葉は使いません。
具体的に良いところを見つけて励まし、ほめることが大切です。

改訂新版 臨床美術」p.37

上手・下手という言葉で「評価」しないで、触れる聞くほめるのが「臨床美術」であり、それが本来の美術教育でもあるということですね。

というわけで、難しい響きに感じられてしまうこともある「臨床美術」ではありますが、勝ち負けのないアート、誰にでも楽しんでいただけるものであり、変化の激しい時代において不安を感じて生きる人が多い昨今では、ますます必要とされていくものと思います。

臨床美術チラシ

また、この本には、私の尊敬する人として既にご紹介した関根一夫先生による考察文もありまして、ここでは「ファミリーケア」の重要性について述べられています。

例えば、対象となる患者さんとそのご家族の関係性であったり、実はご家族自身が心の問題を持っているだとか、そういったことに目を向けることの必要性を説かれています。

臨床美術の一環として、家族が安心して愚痴をこぼせたり、どういうふうに患者さんと接したら良いのかを一緒に考える「ファミリーケア」の役割がいかに大きいかということがよくわかる内容です。

関根一夫先生についての過去の記事はこちら
いてくれてありがとう/いつも忘れずにいたい素敵な言葉

改訂新版 臨床美術」は「臨床美術」が開発されて間もない頃に編集された本なので、主に認知症の患者さんを対象に述べられてはいますが、家族の中での問題や人間関係での問題という点では、何もご病気のかたがいらっしゃるところだけでの話ではないですよね。
人間関係の問題というのは、人の心の問題があって発生するもの。
その心の問題の改善に「臨床美術」は効果が期待できるので、是非とも多くのかたにお試しいただきたいと思うのです。

ちなみに、特に問題などはないという方々にとっては、日々の生活に彩りが増す、そんな効果があります。
例えば、写真を撮ることが好きなかたは、何気なく歩いている時でも道端の花に目が行くとか、空が美しいなとかしみじみ感じるのではないかと思いますが、その感覚と似ています。
何か趣味を持ちたいな、という人にもうってつけだと思いますよ♪


あなたにとって
美術とはどういうもの
でしょうか?

改訂新版 臨床美術

いてくれてありがとう

いつも忘れずにいたい素敵な言葉


先日投稿した「臨床美術におけるナラティブ(語り)」で、「いてくれてありがとう」を提唱された関根一夫先生について、少し触れました。

関根一夫(せきねかずお)先生、いつも笑顔を絶やさず、とても心があたたかく、誰もが癒される、もう神様みたいなかた!
今回は、その関根先生と「いてくれてありがとう」について、ご紹介させていただきたいと思います。

関根先生は、牧師でありカウンセラーで、「臨床美術」の創設者の一人として、人々の心のケアに携わっていらっしゃいます。

臨床美術士となる際の一番初めの学び、5級講座では、関根先生によるビデオ講義があります。
これが、私にとって、関根先生との初めての出会いでした。
まず、第一印象としては、ニコニコした優しそうなおじさま。

そして、講義には、ご自身が大学卒業後にオーストラリアに留学されたお話がありました。
それは、留学先の学校において、オリエンテーションのIQテストで、英語がほとんど分からなかった関根青年は、自身の名前以外何も書けず0点をとってしまったと、今では笑い話というお話で、私たち聴講者の心を掴むのですが、それが、実にいいお話で。

0点をとった関根青年は、学長室に呼ばれ、叱責を受けるのだろうと恐怖の気持ちでその場に臨んだそうです。
しかし、学長先生は、関根青年をにこやかに迎え入れ、「テストは誰かと比較するためにあるのではない。私はあなたがここに一緒にいてくれるということで満足しているのだ。」という話をされ、できる・できないという評価はのけて、だめでも精一杯生きればよい、誠実に生きればよいのだと、大きな安心感を与えられ、「あなたがいてくれることでうれしい」ということの気づきを得たということでした。

関根先生のこの講義が終わる頃には、受講者みんなが、涙していました。
牧師でもある関根先生の語りは、優しい説教を聞いているようで、私はクリスチャンではないですが、まさに赦(ゆる)しを得たという感じになるのです。
当時、臨床美術士5級講座の講師を担当してくれた、私の師匠・古瀬先生まで泣いていました。何度聞いても泣けてくると。
(古瀬先生については「仙台元気塾『オウチ』バージョン」で触れています)

ちなみに、留学された時のエピソードは、関根先生がこの春出版された本「いてくれてありがとう 介護家族の話をひたすら聴き続けた牧師が伝えたいこと (いのちのことば社)」の56-60ページ(「それでも、お前が大好きだ−私自身の気づき」)にも記載されていますので、ご興味のあるかたはこちらも参考にされてみてください。

さて、この本では、「いてくれてありがとう 」の心を実践する上で大切な哲学、「機能論的人間観」「存在論的人間観」についても述べられています。

機能論的人間観」と「存在論的人間観
臨床美術士になる上でも大切なことで、関根先生の講義とともに学びます。

ちょっと難しい言葉にも感じるかもしれませんが、それぞれについて、簡単に表にまとめると次ような感じです。

機能(成果)的に評価しなければならないことは社会において当然必要な場面もあるが、その「機能論的人間観」だけが前に出て、人の価値をすべて決めてしまう現代の風潮は危うい、「存在論的人間観」をもって、褒めること、認めること、「いてくれてありがとう 」と伝えることは、その人に希望を与える、という考え方です。

この哲学がある臨床美術では、様々な創作活動を行いますが、それは、美術のテクニックを教えるものではなく、人の命を支援するというものなのです。

生きることに悩む多くの人々の声を聴き、寄り添ってきた関根先生は訴えます。

一人で重荷を負い続けないように心がけてください。

人間は誰でも悩んでよいのです。泣いてよいのです。愚痴をこぼしてよいのです。
問題は、そういう声を聴き、涙を一緒に流す場所と人が少なすぎるという現実です。

私も、この関根先生のお気持ちに深く共感し、臨床美術への理解を深めるとともに、自分自身のためにも、そして誰かのためにも、生きる意欲を育て、心豊かになれる営みができればと思っています。

ところで、この「臨床美術」については、私の体験記は投稿しましたが、「それで臨床美術とは一体なんのか?」が、初めてお聞きするかたにはまだわかりやすく伝わっていないかと思いますので、近々、改めて書かせていただきますね。


あなたは一人で
重荷を背負っていませんか?

いてくれてありがとう 介護家族の話をひたすら聴き続けた牧師が伝えたいこと (いのちのことば社)

臨床美術におけるナラティブ(語り)

そして、「いてくれてありがとう」という語り


これまで2回「ナラティブ=物語・対話・語り」に関連する事柄を取り上げさせていただきました。

—–これまでのナラティブに関連する記事はこちら—–
ナラティブ 〜物語〜 について考える エビデンス(科学的根拠)とナラティブ(物語と対話)
ナラティブ・アート Narrative Art 「物語」を描く表現技法

今回は、私の趣味の活動でもある臨床美術におけるナラティブについて、改めてご紹介させていただきたいと思います。

富山福祉短期大学教授で、臨床美術士の養成にもあたられている北澤晃先生によると、


ナラティブ(語り)は言葉の連なりであり、それが私たちの意味世界をつくることになる。
そこには、今-ここを生き、未来につなげていく力があり、また、逆にある限定した未来に向かわせ、自己の生を統制する力にもなる。
いずれにせよ、ナラティブ(語り)には、自己の<生>を生み出す根源的な力がある。


そもそも私たちがひらいていく現実は、言葉でつくられた「意識」の世界です。
その意識の持ち方しだいで、現実は大きく変わっていきます。


臨床美術士マインドとして存在論的人間観を私たちは学びました。
「いてくれてありがとう」という語りを私たちが共有していることは、極めて重要なことです。
この言葉があることが、人々の存在の仕方の現実を問う力になるからです。
そして私たちは語りによってそこに開いた世界に対して、臨床美術士として語り、そしてアートの力による非言語的な語り(表現)の力も用いて、「いてくれてありがとう」を現実にするために、ともに生きられる場をつくり出し更新していかなければならないと思うのです。

(臨床美術士向けのセミナーにおける北澤先生からのメッセージを一部抜粋し、構成させていただきました)

深いですね・・・
哲学的で、少々難しい感じもしますでしょうか?

私なりにかみ砕いて表現すると、
人と人とが「語り」合い、その絆のなかでより深めていく「ものがたり」を大切にするのが臨床美術
という感じなのですが、ご理解いただけますでしょうか・・・?

また、「いてくれてありがとう」という一語は、臨床美術における合言葉のようなもので、臨床美術考案者の一人である、牧師でカウンセラーの関根一夫先生が、熱心に説いてくださっているとても大切な言葉です。

臨床美術は「いてくれてありがとう」の気持ちで人と接することを大切にします。
少し難しい言葉になりますが、これは『存在論的人間観』の実践とも表現されています。
それは、「出来るか、出来ないか」で人を見る『機能論的人間観』に対し、「あなたがそこに生きているという”存在”そのものが尊く、”存在”そのものを喜び、愛おしむ」という考え方です。

「いてくれてありがとう」

素敵な言葉ですよね。

関根先生によって説かれているこの一語については、また次回、改めてご紹介させていただきたいと思います。


あなたの大切な人へ
「いてくれてありがとう」
の気持ち、伝えてみませんか?



今回の記事に関連した本はこちらです。

北澤晃先生著作「未来をひらく自己物語―書くことによるナラティヴ・アプローチ

北澤晃先生著作「未来をひらく自己物語2 ナラティヴ・トレーニングのすすめ

関根一夫先生著作「いてくれてありがとう」と言えますか?
この本は、一般書店では取り扱いされておりません。
芸術造形研究所の通信販売ショップより購入することが可能です。