久々の献血

誰かの命と自分のために


私は、以前は、献血が趣味みたいなもので、1・2ヵ月に1回は、ほぼ必ず、行くようにしていました。
しかし、ここ数年は、これまで書いてきましたように、他の趣味同様、気持ち的にも体力的にも余裕がなく、献血にも全く行かないでおりました。

でしたが、本日、久々に、献血ルームへ行って参りました♪

杜の都献血ルームAOBA 左手の写真は建物入り口、右手は建物内の献血ルーム入り口

かなり久々だったので、献血することができるか、ちょっと不安だったのですが、事前検査時、看護師さんからは、
「前回から随分経ってるみたいだけど、今まで80回以上、ありがとうございます
血液の状態も、これまでも良かったけど、今回もとても良い数値なので、今日もよろしくお願いしますね!」
と、明るく元気に言われて、嬉しくなっちゃいました♪

私は今日で、84回目でしたが、世の中には、100回以上という人がざらにいますので、私などは、まだまだです。

というわけで、献血、頻繁に行くかたもいらっしゃるとは思うのですが、逆に、献血なんて怖い、とか、興味はあるけど行ったことなくて・・・というかたもいらっしゃるかと思いますので、簡単に、献血の種類と流れなどについて、ご紹介しますね。

なお、次回の献血まで開けなければならない間隔や年間の可能回数なども、種類によって異なります。
詳細は、日本赤十字社のページをご参照ください。

血の巡りの良い人とそうでない人、その時の体の状態などで、献血時間にも差がでます。
私は、献血の最中、血の巡りが良くなるよう、意識して腹式呼吸をしたりしていますが、血液のポンプの働きがイマイチの時は、看護師さんからホカロンを渡されたり、手をにぎにぎする道具を渡されることもあります。

ちなみに、今日、私は400ml献血をしました。
時間的にはこんな感じでした。

今日は、たまたま私が行った時は人が少なくて、待ち時間もほとんどなく、全てがスムーズに流れましたので、だいぶ早かったです。混み合っている時や、成分献血となると、倍以上かかることもあります。

私は、子供の頃は体が弱く、頻繁に病院に通っていたため、変に注射慣れしていました。
なので、献血も、全く苦にならないんです。針刺されるのがちょっと快感なくらい・・・ヤバイ人ですね(苦笑)

献血は、検査のための採血と、献血としての採血で、1日で左右両方の腕に針を刺されることになりますが、これも慣れかなと思います。
どうしても献血中は違和感あることが多いと思いますが、針刺さってますし、血が巡ってますしで、仕方ないです。
これで、新しい血液が生成されることになりますし、私は、生きてるってことを実感する時間にしています。
でも、よっぽど痛い時などは、看護師さんに言った方が良いですので、無理しませんように。

もしまだ行ったことないけど、自分も役に立てるならやってみたいと思われるかたは、是非、チャレンジしてみてくださいね。
誰でもできるボランティアです。きっと、心も清々しくなると思います♪

また、複数回献血クラブという会員システムがあって、会員として登録すると、ポイント数に応じてプレゼントがもらえたり、ネットで自分のこれまでの献血履歴や、血液のデータなど確認できます。これも時代とともに、どんどん良いシステムになってます♪
自分の健康状態の把握にも役立ちます。特に、コレステロール値とかもわかるので、自分の戒めにも良いです。


なお、仙台には、献血ルームは杜の都献血ルームAOBA献血ルームアエル20の2カ所あります。


以上、繰り返しではありますが、献血についての詳細は、日本赤十字社のホームページに掲載されていますので、ご参考になさってみてください。


あなたの血液力は
いかほどでしょう?

臨床美術を初体験した時の感動 その1

臨床美術に出会うまで 〜東日本大震災というきっかけ〜

2011(H23)年3月11日(金)14時46分18秒、東日本大震災(総務省消防庁の記録写真)が起きました。
誰もがショックを受けた大事件でしたが、私自身も直接的なダメージを受けるとは、本当に信じられないことでした。

私は、赤貝で知られる港町、名取市閖上(なとりしゆりあげ)の出身です。
震災当時は、実家を離れ、名取駅そばに住み、仙台市の職場に通っていました。
実家は、毎朝競りの声が響く港のすぐ近く。子供の頃から、地震の時は津波が来たらどうしようと怯えたものでしたから、大地震が起きたその日は、実家や家族がどうなってしまうかとそれまで感じたことのない恐怖に襲われました。

幸いにも、当時住んでいた祖母と弟夫婦一家は無事でしたが、実家は根こそぎ流され、身内では、母方の祖母が津波により亡くなりました。
そして、その翌年の1月には、震災で心を病んだ叔父が自死しました。

叔父は、私のことを常に気にかけてくれていて、父が癌で亡くなり、その後母が家を出ていった後も、誰より私を支えてくれた、私にとって兄であり父のような存在でした。人望もあり、常にリーダーシップを取って、周りを盛り上げるような人でした。そんな叔父が精神を病み、見た目まで小さくなっていく姿は、見ていてとても辛かったのですが、私は、何もできませんでした。

この頃、私は命について深く深く考えました。

なんでみんな死んでいってしまうの?
私は良い歳して独り身で、そのくせ大したこともしていない、私みたいな人間のほうが生きているのに相応しくないのに。
なんで私なんかが生きているんだろう?
私なんか、生きている意味ない・・・

はじめに」でも触れました通り、震災以前から、生きているのが辛いと感じていたような私には、そんな思いが長いこと強かったのですが、ある時、私は生かされているんだという気持ちになりました。

地元で震災があったにも関わらず無事だった自分に比べれば、もっとずっとひどい思いをしている人がたくさんいることや、私自身何度も体験している身近な人を失った時の悲しみを考えると、こんな私でも、死んだりしたら、誰かは悲しんだり、少なくとも人に迷惑をかけてしまう、といったことを改めて考え、気持ちが変わってきたのです。

「与えられた命を全うし、世の役に立ちなさい」と神様仏様に言われているのではないか?
そうとらえて生きていこう、と思えるようになったのでした。

そんな時に出会ったのが臨床美術です。
臨床美術に、私は魂が震えるような感覚を得て、自分自身の心の中にも周りにもあたたかい世界を広げる可能性を感じることができたのです。

…ここまでのお話が長くなってしまいました。お読みいただき、ありがとうございました。
短くまとめるつもりだったのですが、やっぱりこの経緯とかきっかけとかが今の自分にとって大切であるように感じるので、記しておくことにします。

また次回に、本題の臨床美術の初体験について書かせていただきます。
ご興味持っていただけるようでしたら、続けてご覧いただけましたら嬉しいです。


この記事の続きは、こちらです↓
臨床美術を初体験した時の感動 その2


あなたは与えられた命を
大切に生きていらっしゃいますか・・・?