ただしい人から、たのしい人へ 第1章
先日、私が最も感銘を受けた本の一冊、小林正観さんの著作「ただしい人から、たのしい人へ――そして『ありがとうの人』になる 」について概要をご紹介しました。
今回は、この本の各章のタイトルと、その第1章より、私が特に印象を受けた部分をご紹介させていただきます。
まず、この本の各章タイトルについて。
第1章 受け入れることがすべて
第2章 楽しい人は、周りを幸せに変えていく
第3章 奇跡を起こす「ありがとう」
第4章 流れに任せて生きる
第5章 楽しい生き方は、喜ばれる生き方
これだけでも、心が救われる気がしませんか?
ご興味の湧いた方は、是非ご自身で読まれることをお勧めいたします。
さて、今回は、この第1章「受け入れることがすべて」より、私が特に感銘を受けたセクション(節)について、一部抜粋にて、ご紹介いたします。
罪を憎むのではなく、自分の心にある憎しみを取り去る。
それが神様の喜ぶことです。
すべての人がこれを「幸せだ」と言える現象・出来事が存在するのではなく、自分が「幸せだ」と思った瞬間に、その人に「幸せ」が生じるのだ。
「幸せ」は存在するものではなく、「感じるもの」である。
自分の中にある敵意や憎しみ、怒り、イライラというものの延長線上に、いろいろな社会上の犯罪や、一般的に悲惨で不幸だと言われる事件があるということを考えれば、まず「私自身」の怒りや憎しみをなくしてしまうこと、ということになるように思います。
罪を憎むのであれば、同じところに自分がいることを考え、自分の中で人や社会に対して敵意や憎しみを持つことをやめよう、ということです。
先日、タレントの自死について、だいぶ話題になりましたが、それもこの例ではないかと思います。
そして、実は、今日、私もちょっとイライラっとすることがありまして、こういう気持ちを引きずっていると、自分自身も嫌ですし、幸せが自分から離れていってしまいそうに感じます。
「自分の心にある憎しみを取り去る」というのは悟りの境地かもしれませんが、時々自分を省みて、心を穏やかにする訓練も必要かなと思います。
正しい経営は、仕事の本質が見えません。
楽しい経営は、喜びにあふれています。
「正しい経営」を志しているうちは、コストや売り上げ、伸び率、人件費率や償却比率、あるいは借金返済の計画などについてどうするかを考え、そして「正しい計画」を立てる、ということが大切だと思うかもしれません。
しかし、「正しい経営」を考えているうちは、本質的なものが見えてこない気がします。
本質的なものとは、「いかにお客さんに喜んでもらえるか」ということです。
そして、経営者はそのことを考えているときが、もっとも楽しい時間ではないでしょうか。
このいちばん楽しい部分を放棄するのは、もったいないの一語に尽きます。
「正しい経営」を考えているうちは、閉ざされた状況から抜け出すことはなかなかできないと思います。
どうしたら楽しい日々を送ることができるか。そこから物事が解決できるのではないでしょうか。
私は経営者ではありませんが、この正観さんのおっしゃることは、誰にでも言えることなのではないかと思いました。
(追記:2023年4月時点においては経営者的立場にあり、こういった考えの大切さを強く感じています)
「いかに相手に喜んでもらえるか」を考えて、自然にそういった行動が取れる人の周りには人が集まり、みんなが楽しい時間を共有することができるようになりますよね。
ものごとの「本質」。
現代の一見したところの当たり前の状況に流されずに、常にその「本質」が何かを、見失わない人でありたいものです。
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