生かされてきたことに改めて感謝した日
今日、高校卒業以来の、一人の友人に会うことができました。
私にとっての高校卒業以来、それは、20年以上振りで会ったということです。
久しぶりすぎるようでいても、私の高校時代は充実した濃厚な青春時代だったので、細かいことは忘れているものの、ある部分では非常に鮮明で、忘れ難い思い出なのです。
なので、今日、その友人との再会を迎えるまでは、まるで昔の恋人にでも会うような、ちょっとしたドキドキ感があったわけですが、いざ会ったその瞬間、もちろん大感動!
でもそれ以上に感じたのは、何年ものブランクを感じさせない、何とも言えぬ安心感でした。
彼女は、現在、横浜暮らし。
その彼女と再び連絡が取れるようになったのは、今年(2021年)4月のことです。
やたらめったら不必要に人と繋がる必要はないと思っている私ですが、このサイトを開設してからは、FacebookとInstagramもある程度は活用していまして、そしてこのコロナ禍、同じく必要に迫られた部分もあってSNSを使うようになった彼女が私を見つけてくれたのがきっかけです。
(やたらめったら繋がりたくなくても、SNSというものには、「繋がりたい」と思える人との出会いにも恩恵があるのは事実ですね)
彼女のご実家の事情でこの7月に数日だけ仙台に帰ってくるという連絡を受け、今日、何年以上も振りで再会したのです。
今日は彼女が横浜に戻る日ということで、会ったのはランチタイムの仙台駅新幹線改札付近。
彼女は私をすぐに見つけてくれました。
「変わってない!!」
嬉しいお言葉。
でも、あんたも変わってないよ!
高校卒業以来とは思えない、安心感。
私は、本当に高校時代の友人たちには恵まれていて、彼女も当時からリスペクトできる親友の一人。
懐かしい話はもちろん楽しく、そしてそれ以上にこの再会で得た収穫は、紛れもなく互いの現在のあり方と抱えている想いです。
彼女は、高校卒業後、しっかり先を見据え、手に職をつけると言って歯科衛生士となり、それで生計を立てる傍ら、聖書を拠り所とした教育活動をライフワークとして続けているのです。
私は勝手に、彼女は、歯科衛生士の仕事と、聖書教育の両方で収入を得ているのだろうと思い込んでいたのですが、実は、現在の収入源はパート勤務としての歯科衛生士のお仕事のみで、あとは完全にボランティアだとうことを、今日、聞きました。
自分を貫いているな。
彼女の話を聞いていてそう思いました。
私にとって、共通する過去を持つ友人との思い出話はもちろん楽しいですが、それ以上に興味深く感じることができるのは、やはり、現在はどうであるかということと、そしてこの先どうなりたいかという「希望」の話に他なりません。
だって、私たちは生かされているのだから。
この命を無駄にしないように、有意義に生きていかねば。
そう、改めて思えた、当たり前の毎日の中の、とても貴重な今日。
生かしていただいていることに、感謝します。ありがとうございます。
私は、だから、明日からも生きていきたいと思えるし、生きていけるのだ。
そう深く思えた、日常の一コマでした。