北斎の生き様に学ぶ
世界で最も有名な日本人アーティスト葛飾北斎。
昨年(2020年)のブログでも書きましたが、2020年は、北斎の生誕260周年、そしてオリンピックも予定されていたので、北斎にちなんだ様々なイベントが企画されていました。
しかしながら、COVID-19によってそのほとんどが中止や延期に。虚しかったですね。
昨年の記事:葛飾北斎 生誕260周年
でもようやくこの度、1年間公開延期となっていた映画「HOKUSAI」を、観ることができました。
絵師としての腕はいいのに、食べることすらままならない生活を送っていた北斎が、もがき苦しみながらも、その才能を真の意味で開花させ、晩年を迎えるまでの、北斎の人生およそ90年間を描いたストーリーとなっています。
(チラシ画像はクリックするとPDF画面が開き拡大できます)
若かりし頃の北斎、なぜ腕はいいのに食えることができなかったのか。
まだ北斎と名乗る前、勝川春朗(カツカワシュンロウ)として活動していた頃に、人気浮世絵の版元(出版人)、今で言う敏腕プロデューサーとして知られた蔦屋重三郎(ツタヤジュウザブロウ)に見出されたものの、叱咤されてばかりの北斎。
「お前、なんで絵を描いてる」と重三郎に問われ、北斎は「絵なら下っぱから這い上がれると思ったからだ」と応えます。
まさに競争の現代を生きる我々としてみれば、その気持ち、わからないでもない。
でも、重三郎は、そんなんだからダメなんだと。
ライバル喜多川歌麿からも「お前の絵(女)には色気がない」と切り捨てられます。
なぜか。
それは、勝ち負けに固執して描く絵、中身がなく上っ面の絵、要するに、描きたいのではなく描かされている絵だから。
放浪した北斎は、大自然の中でそのことに気がつき、本当の自分を見出します。
「ただ描きたいと思ったものを、好きに描く」
そうして北斎は、美人画や役者絵が流行っていた当時に、風景画というジャンルを切り開いたのです。
もちろん、今紹介した重三郎や歌麿たちとのやりとりは、この映画の、あくまでも作られた物語です。
でも、北斎が重三郎や歌麿たちと共に生きた江戸時代、それは描くことや出版にいたるまで自由な表現が規制されていた時代で、その中で風景画のパイオニアとして時代を切り開いたことや、この映画でも描かれていたように、脳卒中に倒れても自力で治し、80歳を過ぎても旅に出て、何キロも歩いたというのは史実です。
平均寿命40歳という時代に90歳近くまで生きた、北斎の生命力。
人が見失いがちなものを決して失わず、時代とそして自分自身の人生と勝負し続けた、アート魂ともいえるブレない信念の持ち主だったからこそなのだろうと思います。
ところで、北斎といえば、やはり波の絵。
最も有名なのは「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」ですね。
映画「HOKUSAI」のパンフレットもこの作品が採用されています。
映画では史実に基づいた架空の物語が展開されますが、こちらのパンフレットには様々な北斎にまつわる豆知識が掲載されていて、アートファンには嬉しい一冊です。
繰り返しますが、北斎といえば、波の絵。
そして、なくてはならないその色「ベロ藍」。
美術ファンなら多くが知ることですが、1700年代にドイツ・ベルリン(当時はプロシア、ドイツ語でプロイセンと呼ばれた地)で発見された人口の青色顔料「プルシアン・ブルー」が1800年代に日本にもたらされ、「ベロ藍」と呼ばれ北斎が多用し、今では「北斎ブルー」、愛用者としては歌川広重も有名なので「広重ブルー」などと言われます。
映画の印象的なワンシーンに、北斎が業者から「ベロ藍」を受け取り、感動のあまり雨の中で自分にぶちまけるシーンがありますが、こういった美術知識を持っていると面白さは倍増しますね。
そういった雑学もパンフレットに掲載されているので、あわせて楽しむのも一つかなと思います。
実際に北斎がどんな性格だったのかは、その時代にでも行ってみないとわかりませんが、この映画では、北斎はプライドが高いだけではなく、自分が描きたいものを好きに描きつつも、人に喜んでもらうにはどうしたら良いか思慮し、孤高ながらもあたたかい心、人への厚い情を持った人物として描かれていたところが、私自身も生きる上での学びになりました。
アートに関心のある方、または自分の生き方に疑問を感じている方には是非ともお勧めしたい映画です。
なお、映画「HOKUSAI」は、仙台では現在(2021年6月26日)、フォーラム仙台にて上映中です。