愛が溢れる本「あなたがいてくれて、ありがとう」

たくさんの「ありがとう」が詰まった、心があたたかくなる、異色の詩集


本日は、瞑想家でエッセイストの宝彩有菜さん作、挿絵はとっても優しいイラストを描かれる石村紗貴子さんによる、「あなたがいてくれて、ありがとう」という素敵な一冊の詩集を紹介させていただきます。


さて、こちらのタイトル「あなたがいてくれて、ありがとう」の「あなた」の対象は、普通に考えれば「人」だと思うのですが、宝彩有菜さんの素晴らしいところは、さにあらず、日常におけるあらゆるモノ・コトに対して、感謝を捧げるというところです。

以下は、宝彩さんによる、この本の『あとがき』です。

朝、元気な太陽が昇ってくるのを見たり、夜、涼やかな満点の星を眺めたりしていると、私は、この大きな宇宙に浮かんでいる「地球」と一緒に宇宙を航行しているのだなあと思います。
たしかに「宇宙船地球号」に乗っているんだなあと。

こんな「宇宙船」があるってことがとても奇跡に思えますし、その宇宙船に同時にみんな乗り合わせてるっていうのも、それもまたまたものすごい奇跡だと思うんです。

そして、そのことを「すごいね、すごいね」って喜び合えるって、本当に、涙が出るほど、嬉しいですし、本当にありがたいことだなあと思います。


そうおっしゃる宝彩さんの詩は、どれも、対象とされるモノ・コトの発想が素晴らしく、全てが愛情深くて心があたたかくなるので、どれか一つだけを選び出すのは苦難なのですが、この中から、一編を抜粋にてご紹介させていただきますね。

ちなみに、全てが英訳されていて、英語の学習にも繋がりますし、素敵なフレーズは真似させていただいたりして、とても重宝しています♪


あなたがいてくれて、ありがとう。
あなたの姿は見えないけれど、
いつもそばに感じている。
そして、あなたを通して、
私は世界につながっている。
一人じゃないんだって、ちょっと涙ぐむ。

Wind
Thank you for being there.
Although I can’t see you.
I always feel you nearby
And through you,
I am connected to the world.
I’m not alone, I think
– and my eyes mist a little.


この本を読み進めるうちに、当たり前の日常がとても愛おしくなって、生きていられることへの感謝の気持ちが湧いてきます。


なお、この「あなたがいてくれて、ありがとう」は、残念ながら、現在では絶版となっており、あっても中古のみという、大変レアな本です。
私も中古で手に入れ、手放したくはない貴重な一冊です。
個人的には、石村紗貴子さんによる挿絵がカラーだったらもっと良かったのにと思ったりしています。
カラーイラストで再販されたら、間違いなく購入しますね☆


あなたの日常で
「ありがとう」を伝えたいのは
[何 ]ですか?

↓その後チェックしたところ、2022年3月時点、(中の挿絵はカラーではないとは思いますが)Amazonでの取り扱いがあるようです!

いてくれてありがとう

いつも忘れずにいたい素敵な言葉


先日投稿した「臨床美術におけるナラティブ(語り)」で、「いてくれてありがとう」を提唱された関根一夫先生について、少し触れました。

関根一夫(せきねかずお)先生、いつも笑顔を絶やさず、とても心があたたかく、誰もが癒される、もう神様みたいなかた!
今回は、その関根先生と「いてくれてありがとう」について、ご紹介させていただきたいと思います。

関根先生は、牧師でありカウンセラーで、「臨床美術」の創設者の一人として、人々の心のケアに携わっていらっしゃいます。

臨床美術士となる際の一番初めの学び、5級講座では、関根先生によるビデオ講義があります。
これが、私にとって、関根先生との初めての出会いでした。
まず、第一印象としては、ニコニコした優しそうなおじさま。

そして、講義には、ご自身が大学卒業後にオーストラリアに留学されたお話がありました。
それは、留学先の学校において、オリエンテーションのIQテストで、英語がほとんど分からなかった関根青年は、自身の名前以外何も書けず0点をとってしまったと、今では笑い話というお話で、私たち聴講者の心を掴むのですが、それが、実にいいお話で。

0点をとった関根青年は、学長室に呼ばれ、叱責を受けるのだろうと恐怖の気持ちでその場に臨んだそうです。
しかし、学長先生は、関根青年をにこやかに迎え入れ、「テストは誰かと比較するためにあるのではない。私はあなたがここに一緒にいてくれるということで満足しているのだ。」という話をされ、できる・できないという評価はのけて、だめでも精一杯生きればよい、誠実に生きればよいのだと、大きな安心感を与えられ、「あなたがいてくれることでうれしい」ということの気づきを得たということでした。

関根先生のこの講義が終わる頃には、受講者みんなが、涙していました。
牧師でもある関根先生の語りは、優しい説教を聞いているようで、私はクリスチャンではないですが、まさに赦(ゆる)しを得たという感じになるのです。
当時、臨床美術士5級講座の講師を担当してくれた、私の師匠・古瀬先生まで泣いていました。何度聞いても泣けてくると。
(古瀬先生については「仙台元気塾『オウチ』バージョン」で触れています)

ちなみに、留学された時のエピソードは、関根先生がこの春出版された本「いてくれてありがとう 介護家族の話をひたすら聴き続けた牧師が伝えたいこと (いのちのことば社)」の56-60ページ(「それでも、お前が大好きだ−私自身の気づき」)にも記載されていますので、ご興味のあるかたはこちらも参考にされてみてください。

さて、この本では、「いてくれてありがとう 」の心を実践する上で大切な哲学、「機能論的人間観」「存在論的人間観」についても述べられています。

機能論的人間観」と「存在論的人間観
臨床美術士になる上でも大切なことで、関根先生の講義とともに学びます。

ちょっと難しい言葉にも感じるかもしれませんが、それぞれについて、簡単に表にまとめると次ような感じです。

機能(成果)的に評価しなければならないことは社会において当然必要な場面もあるが、その「機能論的人間観」だけが前に出て、人の価値をすべて決めてしまう現代の風潮は危うい、「存在論的人間観」をもって、褒めること、認めること、「いてくれてありがとう 」と伝えることは、その人に希望を与える、という考え方です。

この哲学がある臨床美術では、様々な創作活動を行いますが、それは、美術のテクニックを教えるものではなく、人の命を支援するというものなのです。

生きることに悩む多くの人々の声を聴き、寄り添ってきた関根先生は訴えます。

一人で重荷を負い続けないように心がけてください。

人間は誰でも悩んでよいのです。泣いてよいのです。愚痴をこぼしてよいのです。
問題は、そういう声を聴き、涙を一緒に流す場所と人が少なすぎるという現実です。

私も、この関根先生のお気持ちに深く共感し、臨床美術への理解を深めるとともに、自分自身のためにも、そして誰かのためにも、生きる意欲を育て、心豊かになれる営みができればと思っています。

ところで、この「臨床美術」については、私の体験記は投稿しましたが、「それで臨床美術とは一体なんのか?」が、初めてお聞きするかたにはまだわかりやすく伝わっていないかと思いますので、近々、改めて書かせていただきますね。


あなたは一人で
重荷を背負っていませんか?

いてくれてありがとう 介護家族の話をひたすら聴き続けた牧師が伝えたいこと (いのちのことば社)

臨床美術におけるナラティブ(語り)

そして、「いてくれてありがとう」という語り


これまで2回「ナラティブ=物語・対話・語り」に関連する事柄を取り上げさせていただきました。

—–これまでのナラティブに関連する記事はこちら—–
ナラティブ 〜物語〜 について考える エビデンス(科学的根拠)とナラティブ(物語と対話)
ナラティブ・アート Narrative Art 「物語」を描く表現技法

今回は、私の趣味の活動でもある臨床美術におけるナラティブについて、改めてご紹介させていただきたいと思います。

富山福祉短期大学教授で、臨床美術士の養成にもあたられている北澤晃先生によると、


ナラティブ(語り)は言葉の連なりであり、それが私たちの意味世界をつくることになる。
そこには、今-ここを生き、未来につなげていく力があり、また、逆にある限定した未来に向かわせ、自己の生を統制する力にもなる。
いずれにせよ、ナラティブ(語り)には、自己の<生>を生み出す根源的な力がある。


そもそも私たちがひらいていく現実は、言葉でつくられた「意識」の世界です。
その意識の持ち方しだいで、現実は大きく変わっていきます。


臨床美術士マインドとして存在論的人間観を私たちは学びました。
「いてくれてありがとう」という語りを私たちが共有していることは、極めて重要なことです。
この言葉があることが、人々の存在の仕方の現実を問う力になるからです。
そして私たちは語りによってそこに開いた世界に対して、臨床美術士として語り、そしてアートの力による非言語的な語り(表現)の力も用いて、「いてくれてありがとう」を現実にするために、ともに生きられる場をつくり出し更新していかなければならないと思うのです。

(臨床美術士向けのセミナーにおける北澤先生からのメッセージを一部抜粋し、構成させていただきました)

深いですね・・・
哲学的で、少々難しい感じもしますでしょうか?

私なりにかみ砕いて表現すると、
人と人とが「語り」合い、その絆のなかでより深めていく「ものがたり」を大切にするのが臨床美術
という感じなのですが、ご理解いただけますでしょうか・・・?

また、「いてくれてありがとう」という一語は、臨床美術における合言葉のようなもので、臨床美術考案者の一人である、牧師でカウンセラーの関根一夫先生が、熱心に説いてくださっているとても大切な言葉です。

臨床美術は「いてくれてありがとう」の気持ちで人と接することを大切にします。
少し難しい言葉になりますが、これは『存在論的人間観』の実践とも表現されています。
それは、「出来るか、出来ないか」で人を見る『機能論的人間観』に対し、「あなたがそこに生きているという”存在”そのものが尊く、”存在”そのものを喜び、愛おしむ」という考え方です。

「いてくれてありがとう」

素敵な言葉ですよね。

関根先生によって説かれているこの一語については、また次回、改めてご紹介させていただきたいと思います。


あなたの大切な人へ
「いてくれてありがとう」
の気持ち、伝えてみませんか?



今回の記事に関連した本はこちらです。

北澤晃先生著作「未来をひらく自己物語―書くことによるナラティヴ・アプローチ

北澤晃先生著作「未来をひらく自己物語2 ナラティヴ・トレーニングのすすめ

関根一夫先生著作「いてくれてありがとう」と言えますか?
この本は、一般書店では取り扱いされておりません。
芸術造形研究所の通信販売ショップより購入することが可能です。