マザー・テレサを取り巻く人々
先に投稿しました「愛の人 マザー・テレサ その1」では、私の愛読書「マザー・テレサ あふれる愛(講談社青い鳥文庫)」について、この本を書かれた写真家の沖守弘さんを中心に書かせていただきました。
今回は、この本に書かれている、つまり、沖氏が出会ってきた、マザー・テレサをとり囲む人々について、ほんの一部だけ、ご紹介させていただきたいと思います。
ユーゴスラビア(現在のセルビア・モンテネグロ)に生まれたマザー・テレサは、貧しい人たちのために働きたいと考え、18歳でインドへ行きました。
そして、数年後、ある出来事をきっかけに、自分のなすべきことは、路上で死を待つしかない人びとが安らかに死を迎えることができる<家>をつくることだと確信し、<死を待つ人の家>をつくり、その3年後には、ゴミ箱に捨てられていた赤ん坊を発見したことをきっかけに、<聖なる孤児の家>をつくりました。
他にも<移動診療所>や<平和の村>など、活動を広げるマザーの元には、多くのシスターや支援をしたいと申し出る人々が集まります。
この本には、沖氏の撮影した写真が、80枚くらい挿入されているのですが、それらの写真の、マザーの元で支援活動をしてる人々は、女性はもちろん男性も、なんだかとても端正で美しいのです。
贅沢のない暮らしをし、衛生状況にも難がある仕事をしているにも関わらず、自分に信念を持ち、心の美しさを保っているから、見た目にも表れるのでしょうか。
ところで現在では、日本でも、マザー・テレサを知らない人はいないし、今も以前も、支援者はたくさんいます。
しかしながら、当時、沖氏は、エコノミック・アニマル(経済的利益ばかりを追求する動物)と言われる日本人は、マザーの活動には無関心なのであろうと思っていたため、ある日、現地で、ボランティアに参加している日本人女性に出会った時には、驚いたのだそうです。
その女性は、商社員である夫のコルカタ勤務に同行、せっかく近くにいるのだからとボランティアに加わったのだそう。
それを沖氏が素晴らしいと賞賛したところ、
「マザーの手伝いをするというより、自分たちのためにやっているんです。
1週間に1回、それもたった2時間ぐらいのお手伝いでしかないけれど、やり終わった後の充足感というか爽快感がたまらなくてやっているので、マザーのためのボランティアなんて、そんな大げさなことではありません。動機不純かしら・・・」
と笑って語ったとのこと。
ボランティア活動をされたことがある人には、その気持ち、わかる!と思われたかた、いらっしゃるのではないでしょうか?
私も臨床美術のボランティアに参加させていただくことがあるのですが、たった数時間の活動で、やっぱり参加してよかった!と毎回心地よい充実感を得ることができます。
もし何らかのボランティアの募集など、参加したことはないけど迷っている、というかたがいらしたら、飛び込むことをお勧めします。
特に、人と直接関わり、サポートしてさしあげるような活動は、相手に喜ばれるだけでなく、自分自身が得られる感動がきっとあると思いますので。
最後に、沖氏がこの本のプロローグに、マザー・テレサの言葉から取り上げている、印象深い一言がありますので、ご紹介いたします。
「 不親切で冷淡でありながら奇跡をおこなうよりは、
むしろ親切と慈しみのうちにまちがうほうを選びたい。」